4章(2)
ようやく通りかかったタクシーに、恵美と浩一は慌てて乗り込んだ。恵美は乗り込むやいなや、先ほどの旅館に電話を掛けた。恵美は京子を追うことに心を決めたのだ。幸いに平日とあって部屋は空いていた。恵美は自分の予約も入れたのだ。浩一は、電話のやり取りを聞いてはいたが、声は掛けれずにいた。本当ならば一緒に行きたいのだが、それは恵美との外泊を意味していた。友達の京子のことも心配だが、浩一は結果的には口をつぐんでしまった。真っ直ぐに向かうことも出来たが、女一人で荷物も無ければ、不審に思われる。恵美は一度アパートに戻ることにした。
「今日はほんとにありがとうございました」アパートが近づいたとき、恵美は浩一に頭を下げた。
「とんでもない、気にしないでください。それより、お友達と会えればいいですね」浩一は出来る限り優しく答えた。普段でも優しい声が、恵美の心をいたわる様に包み込んだ。
「ええ、馬鹿なことをする前に・・・」恵美はつい考えが口から出てしまった。
「あっ、すいません。変なことを・・・」京子の性格からいえば、どちらとも言えないように感じたのだ。京子が雅子みたいな性格ならば、恵美もここまでは心配しなかっただろう。
「いえ、心配な気持ちは解ります。気をつけて行って下さい。何か、あれば連絡をください」浩一は付いて行きたい気持ちを抑え、恵美を励ました。まるで、親鳥が巣立つわが子を見守るように、浩一は恵美に寂しげな視線を投げかけた。
「大丈夫です。ありがとうございました」恵美は深く頭を下げ、アパート前でタクシーを下りて行った。
少しの着替えと化粧道具をバックに押し込み、恵美はすぐに部屋を出た。旅館は熱海。横浜まで行けば、特急電車に乗れるはずだった。品川駅でも乗れるかも知れない。しかし、知らない工程で失敗はしたくなかった。あの時も京子の合流に合わせて、横浜駅で待ち合わせをしたのだ。今から向かえば2時間とはかからない。夕刻には旅館につくことが出来そうだ。恵美の心配は少し薄らいだ。仮に変なことをするにしても、明るい時間には行動を起こさないと思ったのだ。暗くなるまでに、どうしても京子と合う必要があった。横浜発、スーパービュー踊り子7号、15時51分発。京子はその切符を買った。到着予定は16時36分。旅館に着くのは夕方の5時前。どうにか暗くなる前に着きそうだった。座席に座って落ち着くと、恵美は携帯をとり出した。乗客はほとんどいない。デッキに向かおうとしたが、恵美はそのまま雅子の連絡を入れた。
「え〜、マジ?」雅子の声は電話口でもよく響いた。
「しーっ、静かに。もう・・・。で、これから行ってみる事にしたの」
「そう、会えればいいけど・・。何かわかったら、連絡ちょうだい」雅子も雅子なりに心配しているようだった。恵美は連絡を入れる約束をしてから、雅子との電話を切った。恵美はそのまま浩二に連絡を入れた。元彼の浩二だ。呆れたことに、浩二はバンド練習の真っ最中で、ばつが悪そうに答えた。
「悪いな。頼むよ。一緒に行きたいけど、バンドも仕事も休めないからさ〜」浩二に期待はしていなかった。それでも、浩二の態度は恵美の怒りを爆発させるには十分すぎた。
「どうせ、探してもいないんでしょ。2度と京子に近づかないで。もう沢山」恵美は携帯を投げつけそうになった。今の声で、数人の乗客が恵美に振り返った。恵美は慌ててデッキに向かい駆け出した。涙がこぼれて来たのだ。こんな男と付き合っていた自分が情けなく、京子の心配からも涙が溢れたのだ。デッキの扉に寄りかかりながら、恵美は必死に嗚咽を堪えた。
「もしもし」いつの間にか恵美は、浩一の番号を押していた。
「もしもし、恵美さん?恵美さん大丈夫?」携帯からは浩一の声が優しく流れた。
「こ、浩一さん・・・」恵美は涙を堪えたが、言葉は詰まってしまった。自分が京子に会っても、救う自身すらなくなっていたのだ。今は、誰かにすがりつきたい気持ちで一杯だった。
「恵美さん、恵美さん」
「お願い、来て」無駄な願いとは思いつつも、そう言わずにはいられなかった。ところが、浩一の答えは、恵美を驚かすには有り余った
「わかりました。そこにいてください」恵美は言葉の意味が判らなかった。まさか、今から追ってくるのかと考えもしたが、そこで待てとはどう言う事?恵美は思わず携帯を見つめた。耳を澄ますと、どうやら浩一も電車に乗っているようだ。まさかと思いながらも涙を拭き、まわりをみると後ろの車両に浩一の姿があった。通路に立って恵美に笑顔を向けていたのだ。恵美の目からは大粒の涙が流れ出した。喜びと安心感から来るもので、不快感は微塵も感じなかった。浩一がデッキに来ると、思わず恵美は抱きつき、声を出して泣き出した。
「すいません、心配で付いてきました。何事も無ければ帰るつもりでした」恵美は浩一の胸で、何度も首を振った。やっと自分の帰る場所を見つけたように思えたのだ。その後二人は座席で寄り添い、一言も言葉は交わさなかった。浩一も何も聞かない。恵美も何も話さない。それでも2人の心は1つになっていた。落ち着きを取り戻し、熱海に着く頃には恵美の涙もすっかりと消えてい。