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有翼人エリカ・スプリングフィールドのお届け物  ~ 羊皮紙のラブレター ~

作者: kon12




「で……出来たあっ」


そう言って少女は手に持っていた羽ペンをテーブルの上に慎重に置き、自分のいる居間の木目の天井を仰いで思わず溜息をついた。

ふと、少女は傍の窓の外に目を向ければ、さっきまで鬼灯ほおずきのような橙色で明るかった空はいつの間にかその色を失い、空に浮かぶ幾つもの浮島にはぽつぽつと町の灯りがともり、白い月と無数の星々が輝いていた。


窓の外のやわらかな輝きはペンを置いたばかりの大きな一つ目を持つ金髪の少女の満足げな笑顔を映した。


その一つ目の少女は『サイクロプス』といわれる種族でその種は大柄な事で知られるが、少女はまだ幼く普通の子供と背丈や力はまだそれほど大差は無い。


少女はその種独特ともいえる額についた犬歯のように白く尖った小さな角、そして森の色の澄んだ大きな一つ目を持っていた。


そして今その目は多くの雲の向こう、遠くでたたずむようにひっそり浮かぶ一つの浮島をじっと見つめていた。



「……」



その小柄なまだ十もいかない年頃のサイクロプスの少女は薄暗い部屋の中で一人顔を赤らめ、慌ててその浮島に向けていた目を反らし、顔に手を当て恥じらいだ。



(う、うー……書いちゃったよぅ……)



顔を赤らめたままかさり、と少女の手が動き、つい先程自分が長い時間をかけ書き上げたばかりの手紙を手に取る。


その紙は日常よく使う植物の繊維から作られたものではなく、この日、この時のために親にも内緒で少女の少ない小遣いをはたいて市場でようやく買った高価な羊皮紙だった。


少女の金色に輝く綺麗に伸びた前髪の下で少女の緑に輝く目が手紙の文字を追い、左右にふれる。



(……恋文ラブレターなんて書いたこと無かったけど……こ、これでよかったのかなあ?)



少女は薄暗い部屋の中、瞬きもせずときおり首を傾げながら何度も何度もその文面を確かめた。


手紙の送り先は少女の思い人である少女の住む浮島とは別の浮島にある神学校に通う同い年の有翼人ゆうよくじんの少年だ。


少女がその少年と文通を始めてもう幾つもの季節が経つ。そして、文通を続ける内に、互いの気が合うようになり、繰り返されるインクと紙とのやり取りの中、少女が少年に対し恋心を抱くようになったのはつい最近の事だった。


そして今夜、少女はその有翼人の少年が大好きという気持ちを精一杯書き綴ったのだ。


やがて、手にしていた便箋から目を外し少女の潤んだサイクロプスの一つ目が再び、少年の住む浮島を見つめ、そしてその目が閉じられ、祈るようにそっと両手を組み合わせる。



「――私たちの大地、龍神ラウデュール様。お願いします」



少女の小さな口から小さく、しかし意志のこもった声が出る。



「どうか……どうかわたしのこの手紙があの子に無事に届きますように……!」



やがて少女はそっと目を開き、便箋を引き出しの中に入れ、手紙を書くのに使ったインクと羽ペンをしまい寝入っている両親を起こさぬようにまたこっそりとベッドに向かった。



そして、少女にとって予想外の事態が起こったのは日が昇ったばかりの朝早く、珍しく早起きした少女が書き終えた恋文をたずさえ、家を出て間もない時だった。





「え……? 届けることができない?」



様々な浮島に手紙や品物を届ける役割を担う『郵送局』の建物の中、手紙を渡すカウンターの前に着いたばかりの少女は手紙を渡したものの要求を拒んだその局員を信じられないという表情で見つめている。


カウンター――といっても両側に本が高く積まれた少女の肩幅の倍ほどの小さな机だったが――の向こうのその局員も手紙を持ったまま、その少女の気持ちを察してか、うなずいた後で幾分済まなさそうに慎重に言葉を発した。



「うん。あ、あー……ほ、ほら、これは羊皮紙だよね? こういった羊皮紙の紙は君も知ってると思うけどすっごく高価なもので、配達員ポーターさん達――つまり品物を届ける側の責任が大きくなるから、僕達は普段とは別の優秀な配達員さんにお願いして届けてもらうんだ。……わかるかな?」



局員の説明にわからない言葉が幾つかあったものの幼いサイクロプスの少女は何となく、うんとうなずいた。


――局員は知能が高いといわれる『エルフ』という種族であり、局員自身普段口がよく回るとはいうものの、こうした幼い少女に納得のいく説明が出来るか自信が無かった。


局員はエルフの多くが持つ特徴的な巻き毛を指でいじりながら、目の前で呆然としている少女に再び口を開く。



「つまり、君の羊皮紙をこの送り先の彼の元に届けたかったら、優秀な配達員さんにお願いするお金が別に必要になるんだ」



そこで少女の顔色に始めて希望の光が差したように見えた。



「い、いくらですか?」



救いを請うような少女の声に局員は胸が締め付けられる思いでどうにかその値段を言った。――そして案の定、少女の顔に再び落胆の影が差した。


予想通りの反応にエルフの局員は長い溜息をついた。――気の毒に、こんな幼い女の子が払えるはずも無い金額なのだから。



「そ……そんな……っ」



やがて少女の大きな目が潤む。

あわてて局員が肩をふるわす少女にカウンター越しに身を乗り出し、泣き止むようはかってみる。



「あっ、そ、そのっ、ほらっ! いつも君が書いてくれてたこっちの安い紙ならお金はかからないよ! こっちに書いてくれれば――」



「いや。……いやなの。……ぐすっ。こ、『この手紙』は……」



少女は襲いかかってくる悲しみに震えながらそれでも懸命に言葉を紡ぐ。



「こっちの……こっちの白くてキレイな紙で絶対出すってわたし決めてたもん……!」



「……そ……そんなどうして――――



局員が少女の気持ちが理解出来ず口を挟もうとしたその時、彼らのいる郵送局の入り口から一人の有翼人の少女が現れた。歳は少女よりは上で十五歳ほどだ。



「たっだいまぁーっ!」



その有翼人の少女は沈滞し始めていた空気の中で調子はずれなほど明るい大声を出して、胸に抱えたずだ袋のような中身の入った皮の大きな肩掛けカバンを持って、それをエルフの局員とサイクロプスの少女とを隔てていた高く積まれた本の置かれたカウンターの上に二人が見つめるのにもまったく構わず、どかっと叩きつけるように置いた。


その音に驚き、少女の小さな体がびくっとし、さらに少女の大きな目が更に大きく開かれ、泣くのを忘れたように少女は自分の前に突如現れた三つ編みの黒い髪に黄色の三角巾をした年上の女の子を見つめていた。



背に生えた少女の倍ほどの背丈の大きく白い翼。それは現れたその女の子が有翼人種であることを物語っていた。



カバンを置いた有翼人は笑顔を浮かべ目に付けていた大きな四角いレンズのついたゴーグルを外し、驚く少女を他所に明るい声で話し始めた。



「国選配達員エリカ・スプリングフィールド、配達を全て滞りなく済ませただいま帰還しました!! ほらっ、中央局員のエル君。アタシが向かい先で受け取った荷物ここに置いておいたからね!」



エル君と呼ばれた局員は驚きに身を硬くしてしまった少女を見、やがて騒ぎの元の有翼人の少女、エリカを抗議の目で見る。やがて、エル君が溜息をついた後、



「あのね、エリカさん。僕の名前はエル君じゃなくて、『エルク』ですよ全くもう。――――……って、え……!? 済ませたってエリカさん……えっ!? ち、ちょっと待ってください!!」



その途端、何かに憑かれた様にエル君は少女とは別の驚きに目を見開き、置かれた本の一つを開いて忙しなくその中のページをめくる。


やがてその手が止まり、その開いたページをしばらく見つめた後、ゆっくりとエル君はエリカを仰ぎ見る。



「う……嘘でしょう……? え……エリカさんもう終わらせたんですか? 複数配達を依頼して昨日の今日ですよ? 指示された飛行予定表フライトプランでは、エリカさんはまだ他の島に――――



「あーもう。細かい事はいいっこなしだよエル君。アタシの頑張りのせいで時間はちょーっと早めだったけど無事に全部終わらしてきたんだからいいじゃん? それより、この女の子どうしたの?」



「え……あ……」



そこで初めてエリカの黒い二つの眼に見つめられてしまい、少女はたじろいだ。


たじろぐ少女の代わりにエル君が話す。



「あー実は、この子が羊皮紙に書いた手紙を持ってきてしまって……」



「へえー羊皮紙ね。こんな小さな子にしちゃ、随分高価な紙ね。この子が自分でそれに書いたの?」



「はい……配達手数料も高額なのでこの子には……」



そこで、エリカは縮こまった少女を見つめ、にんまりと笑う。



「へえー……ふーん。……で、あなた、お名前は?」



「……パアリ」



小さく紡がれた少女の声にエリカはにっこり笑って見せ、口を開く。



「じゃあ、パアリちゃん。とりあえずこれからアタシに着いて来て。ね、エル君、パアリちゃんの手紙は?」



「こ、これですけど。どうするんですか?」



「えいやっ」



「――あいてっ!」



エル君がエリカに手紙を差し出すなりそれはひったくられるように強引にエリカに取られてしまった。

ひったくられた時に図らずも受けてしまったエリカの振るった張り手の痛みに手をさすりながら、エル君は眉をひそめ、抗議の目でエリカを見る。突然の事にエル君は内心汗をかいていた。



「な、何するんですか!」



「い、いやあ。ごめんねーエル君……そんな怒んなくても」



エリカはニッコリ微笑んだまま片手の掌を立て、謝罪の意を表すが、エル君の目には不思議な事にそこには誠意と言うものがまるでないように思えた。



「でもね、きっとこれはパアリちゃんにとって、とってもとー……っても大事なお手紙だと思うから。そうよね?」



「……」



パアリはこくりとうなずいた。


エリカはそのうなずきに意を得たようでパアリを見て、優しく微笑んだ。


やがてその目はエル君のきょとんとした顔に向けられる。



「そんじゃ、エル君。アタシは三日分の仕事も無事に終わったし、今からこのパアリちゃんとお外でお話してくるから。後よろしくぅー」



「え……あ、あの……」



しかし既にパアリはエリカに率いられ、エル君を残し、二人は局の外に出て行ってしまっていた。


やがて、郵送局に一人取り残されたエル君は、カウンターに頬杖をつこうとしたが、エリカが先程どかっと無遠慮に置いた大きな配達カバンのせいでそれは阻まれてしまった。



(あー。もうっ……何も僕が書類仕事してる上に置かなくてもいいじゃないですか。本当に、あのエリカさんって人は……。あーあ……)



そしてエル君は二人が去っていった後を見ながら溜息をつき、手紙を渡せなかった少女を率いて出たエリカの態度を思いだしながら一人こっそり口を開く。



「はー……やれやれ、あの人も『また』ですか……」



そう言ったエル君の顔からはさっきまで心の奥底に潜んでいたエリカに対する怒りがいつの間にか消え、その口元はどこか微笑んですら見えた。





「ねえ、パアリちゃん」



朝を迎え、徐々にその賑わいを見せ始めた町の市場の石畳を歩くエリカは唐突に控えるように後ろを歩くパアリに声をかける。


パアリの顔が一度ぴくっと震えた後、それまで俯きがちに歩いていたパアリはゆっくりと前のエリカを仰ぎ見る。



「は……はい」



「パアリちゃん何が好き? フルーツ? それともお菓子? アタシはお菓子のほうが好きなんだけど」



「……へ?」



パアリは思わぬ質問にきょとんとした顔をする。



「パアリちゃんは何が食べたいのかなーって。アタシお腹減っちゃったからついでにパアリちゃんの分も何か買ってあげるよ。どうする? フルーツがいい? それともお菓子? 今の時間はまだ早いからお店でお食事はまだだろうし」



そう言ってエリカは腰に穿いている麻布のキュロットのポケットに片手を入れ、その中に入った硬貨を手の中でジャラジャラいわせていた。音からしてその量はかなりある。

しかし、パアリ自身素直にエリカのその好意に甘えるわけにはいかなかった。



「で、でも……わたしのお母さんに人に物を買ってもらうなって言われてるし……」



「ふーん。そうなの? いらない? 遠慮しないでよー。アタシ今お金いっぱい持ってるから。ほらーパアリちゃんの好きなの言ってみ?」



エリカは押しが強い性格なのかどうしても買ってやりたいらしい、しかしパアリ自身母の言いつけを破るわけにはいかなかった。

パアリは自分なりにどうにかエリカに買ってもらわないための考えを巡らせる。

数秒の後、やがて答えが出た。



「う、うー……そっ……そのー……あ! で、でもわたし、もうおうちでご飯食べて来たから! お腹いっぱいなの!!」



「え、本当なの?」



そう言ってパアリの前を歩いていたエリカが途端に踵を返し、パアリのほうに振り向いた。


パアリはうなずいた。



「う、うんっ! だからお姉ちゃんだけで―― ぐ……ぐうぅーー……



突如、パアリの小さなお腹から小さく呻くような音がした。


パアリは恥ずかしさのあまり顔全体が燃え盛る焚き火のストーブの様に熱くなるのを感じた。



「……………………ッ!!」



それはエリカにも聞こえていたらしくエリカは恥じらいだパアリをいやらしくニヤニヤ笑いながら見ていた。



「………………………………ねーぇ? フルーツかお菓子、どっちにする?」



「………………お菓子」



あらゆる感情を含んだ消え入りそうな声で言ったパアリの声はエリカに通じたらしく、やがて二人はとある広場で仲良く贅沢品である棒のついた糖蜜キャンディーをそれぞれ買ったのであった。





「――ね、パアリちゃんの出そうとしたこの羊皮紙の手紙って恋文ラブレターでしょ?」



広場のベンチに並んで座った二人がキャンディーを舐めてる途中にふとエリカが口にした言葉に、思わずキャンディーを持った手を放してしまい、パアリは再び顔を赤くした。


地面に落ちたキャンディーの末路を見届ける事もないままパアリの口がいつの間にか、隣に座るエリカの前でぱくぱくと陸に上がった魚のように動く。



「なななな……なに……いいい言っててててててっ……!」



目に見えて動揺するパアリを見てエリカはキャンディーをくわえながら、さもおかしそうにからからと笑った。



「わっ、笑わないでよ!! もう! そんなに笑うんだったらわたしの手紙返して!!」



怒って向かってきたパアリをエリカは空いた方の片手で抑えながら、慌てて咥えていたキャンディーを噛み砕き、残った棒を咥えたままパアリに明るい声で言う。



「いやいや、ごめんごめん。そうじゃないの。そうじゃないんだってばっ。パアリちゃんの気持ちわかるって話。アタシだって昔、パアリちゃんと全く同じことしたんだもん」



「……え?」



暴れていたパアリの動きが止まる。



「お姉ちゃんもなの?」



「そうそう。やっぱり自分の大事な気持ちを伝える手紙だもん。私、よく使うような安い紙で書くのがどうしても嫌で、一番いい紙に書いて思いを相手に伝えたいと思ったの。パアリちゃんもでしょ?」



「……うん」



パアリは小さくうなずくとエリカは心の底から楽しそうにあははと笑った。



「でしょ? でしょ? いやーやっぱりかー。小さな子が羊皮紙の手紙に書いたって聞いた時、そうだろうと思ったんだー。うれしいなあ……アタシとおんなじ子がいて。アタシもね、パアリちゃんみたいに届けるお金が無くて断られたなあ……」



そういった後、エリカの細めた目はその頃を懐かしむように遠い空を見上げていた。


パアリはちら、とそんなエリカの顔を仰ぎ見てぽつりと口を開く。



「……断られて……それでお姉ちゃんはどうしたの?」



「……もちろん。諦めなかったよ。大人たちが届けてくれないならアタシが自分の翼で行ってやる! ってね。その時にいた局員のエルフに啖呵たんかきって出てってやったの。アタシが九歳の時にね」



エリカが言い終わった途端、パアリが不安な表情になる。



「え? で、でも……その歳の有翼人の子って確か……」



エリカもパアリの表情から伝わってくるその不安がどういう意味か察していた。


エリカは微笑んでいたが、先程までのふざけた明るさは嘘のように無かった。エリカは静かに口を開く。



「そうね。本来アタシたち有翼人と呼ばれる種族は十四歳になるまで浮島と浮島とを行き来しちゃ駄目なの。そう言うルールがある事はアナタの通う神学校でも習うわよね」



「う……うん」



「でも……それ以前に翼を動かす力がまだ発達しきっていない有翼人が浮島を行き来するのは本当に……本当に危険な事なの。大人たちに言わせれば死んじゃう可能性のほうが多いんだって。だから皆飛ばない。アタシもその時それを知ってた」



「…………」



「――でも結局アタシは飛んじゃった。えへへ」



「えぇ!?」



(る、ルールを破っちゃうなんて、信じられない!)


その言葉を聞いた途端、驚きのあまりパアリの中で張り詰めていた重苦しい雰囲気が一気にぶち壊れてしまった。


そして、パアリはエリカに身を乗り出し、問い詰める。



「な――何で!?」



エリカは頬をかきながら、



「その時のアタシは手紙を出すその人のことが大大だーい好きだったからよ。――あ、あはは……。ホントだー……。誰かに言うと恥ずかしいねーっ。さっきのパアリちゃんがアタシに怒った時の気持ちわかったよー」



そう言ってエリカは笑いながらも、今までの態度から信じられない事に顔を赤らめた。



「……」



気を取り直してという風に、エリカは驚きのあまり瞬き一つしないパアリと手に持った羊皮紙の手紙とを見比べてけらけら笑った。



「こんな羊皮紙なんて、そんじょそこらの子供が買える代物じゃないもの。好きな人のために一生懸命おこずかい貯めたんでしょう?」



「そ……それ、は……」



「歳は違うけど、おんなじだよ。アタシたち二人」



「……ちっ……違うもん!!」



「……え?」



「わ……わたしはおねえちゃんとは違う! わたしはお姉ちゃんみたいにきれいな翼もないし、お空を飛べないもんっ!」



そう言ったサイクロプスの少女、パアリの持つ大きな森の色をした一つ眼は一際険しい雰囲気を宿していた。


エリカの表情から笑みが消える。



(うっ……)



だがパアリは当然だと思った。

今自分が言った事はこの世界で決して言う事が許されないこと――差別――だ。


周りの大人達にこんな事を言えばすぐさま叱られるようなことだから。


力に秀でた一つ目の人の『サイクロプス』と、力は無いものの大空を飛ぶことの出来る背に大きく白い翼を生やした人、『有翼人』。


その違いを口に出し、自分の種に不平や不満を言う事は許されない事なのだ。――でも、



「翼の無いわたしは……お姉ちゃんとはぜんぜん違うもん……!」



罪悪感のあまりに消え入りそうな自分の声。


しかし、それでもパアリはエリカの前で言い切った。


――手紙を渡せずにいる、翼のない自分の思いを。



「そっか……」



エリカはパアリに息を吐くように優しくそう言った。怒りも、哀れみも無い、ただ友人にかけるような優しい声。


それはパアリにとって全く予想外の反応だった。



「お、怒らないの……?」



怒るかわりに、エリカは両手を腰に当て、飴の棒切れを咥えたまま微笑んで言う。



「……ねえ。パアリちゃん。よかったらアタシのお仕事どんなのか知りたくない?」



「?」



質問の意図がわからずパアリは首をかしげた。


エリカは手に取り出していた手紙を見つめながら、



「この手紙……すっごく大事だったらパアリちゃんがその有翼人の子に直接渡してあげたらいいんじゃないかと思ってね。アタシとおんなじで本当ならパアリちゃんも一番そうしたいんじゃないの?」


「そうだけど。で、でも……」



その答えに待ってましたとばかりにこれ以上無いくらいエリカがすっとベンチから立ち上がり、パアリに振り返り明るく笑った。



「あははっ。でしょ? やっぱりアタシたち同じだよ! ――今からアタシがその子のいるお家までパアリちゃんを抱えて連れてってあげるよっ」



「え? でもわたし、お金は……」



「でももデモクラシーもないのっ。今日は特別。今日はアタシお金いっぱい持ってるし。ほら、パアリちゃん照れてないで遠慮なくお姉さんの胸においで!」



そう言ってエリカは額につけていた四角いレンズのはまったゴーグルを先程のように目に当て、腰に当てていた両手をパアリの前で大きく広げる。


目の前のエリカの勢いに流されるまま、パアリは立ち上がりおずおずとエリカに近づいてゆく。


パアリがエリカの体の近くまで来ると、エリカは優しくその小さな体を抱きしめた。

頬に触れたエリカのお腹の暖かい体温と優しい腕にパアリは自分の母にもこうして優しく抱きしめられた事を思い出した。


陽の光を浴びたように暖かいエリカの体温に思わず安心してしまい僅かに眠気を覚えた。


すると、ふとエリカは「あ」、と何かに気付いたようにパッと目を開いてすぐ傍のパアリを見る。



「――さすがにパアリちゃんの体って大酒樽二つぶんよりは軽いよね? 言っておくけどアタシ、それ以上重たいものは無理だからー」



「――そっ、そんなに重たくないよ!!」



「あはは、良かった。――――じゃ、ちょっとの間、目と口しっかり閉じててね?」



エリカはパアリを抱きかかえたまま脚をかがめる。



「え?」



突然大きなテーブルクロスの布を勢いよく広げるような乾いた音がすると共に、エリカの畳まれていた背中の翼が左右に広げられ、それは大きくはためく。


その時、パアリの足はさっきまでいた広場の石畳から急速で離れそのエリカに抱かれた体が空からの見えない力に思い切り吊り上げられるように浮いた。



「――――!!」



ゴウッ、という激しい音と共に耳元で感じたことのない風が続けざまに勢いよく後ろへ流れ、その風は真っ直ぐ伸びたパアリの金色の髪をばたばたと容赦なくたなびかせた。


パアリの目の前の景色が滝のように信じられない速度で流れ、パアリの体は瞬く間に大空へ舞い上がった。


やがて、その風の音が止み、勢いが収まった頃、閉じかけていた目をパアリはゆっくりと開く。



「う、わ。な……何……――え? ええええぇ!?」



そこにはいつの間にか市場の景色は無くなり、もうパアリたちの周りの景色は既に空の青と雲の白だけになっていた。


今まで見た事の無い、空からの景色にパアリは空の上の寒さも忘れていた。



真上から見る幾つもの浮島の列島は空から見ると、パアリの通う神学校で言い聞かされたとおり竜の体を真上から見たようになっていた。


列島の名であるラウデュールの大地には幾つもの家々が星のように点々と建っている。


パアリはその景色を見ながら自分がいる場所なのに、その島は小人の住まう異世界のように映った。



遥かパアリの真下にはさっきまでいた市場のあった浮島の中で一番大きな体島からだしま、そして、流れる幾筋もの細い雲の中、遠くに見えるのはパアリが文通をしている思い人が住む場所であり、かつ有翼人が多く住む二番目に大きな浮島、左羽島ひだりはねしまがある。


左羽島特有の標高の高い山々のふもとに幾つもの町や家々が見える。


パアリを抱えながら、エリカはゴーグルの四角い大きなレンズ越しに有翼人が持つ高い視力をもって、その中の一つの家に目を留める。


それはパアリの手紙の贈り主の家だ。


それを視野に入れたエリカは再び白い歯を見せ、目をぱちくりとさせ驚くパアリをよそに、にかっと笑った。



「それじゃー、パアリちゃん。超スピードであそこまで行くよっ! 国選配達員エリカ・スプリングフィールド、いっきまーす!!」



エリカはそう言うと、パアリを両腕で強く自分のほうへ抱き寄せると思い切り左羽島に向かって突き進む。



「ひ、――――ひぃぃやぁぁぁぁっ!!!!」



もの凄い量の風を切り、信じられない速度で滑空する中、エリカは驚きに叫びまわるパアリに負けないくらいの大声ですぐ傍に抱きかかえているパアリの耳元で叫ぶ。



「パアリちゃーん! アタシのー! 『お仕事』はねー! こうやってねー! みんなの手助けしてあげることなのー!! 解ったー!?」



「ひぃぃぃ……!! ――……わ――」



パアリの声が途切れる。



「えー!!? 何ー!!? ここじゃパアリちゃん、もっと大きく言わないと聞こえないってー!!」


 

「……わかったよーっ!! お……お姉ちゃーん!! 本当に、本当にありがとーっ!!」



その喜びに満ちたパアリの声は、彼女らが暮らす幾つもの浮島からなるラウデュール諸島の大空にどこまでも響き渡った。








翌日、中央郵送局にて。


いつものように小さなカウンターの机に乗せた沢山の本プラス書類と使い古した羽ペンで格闘しながら、その中の耳長のエルフの局員――エルクことエル君は目の前にいる有翼人の少女が自分の前で昨日の出来事を話し続けるのをうっとうしく思いながら、再び話しかける。



「……で、そのパアリさんはうまく手紙を渡せたんですか?」



そしてその有翼人の少女、黄色い三角巾を巻いたエリカ・スプリングフィールドは自分の『仕事』を誇るように胸を張って、いつもの底抜けに明るい笑顔を見せた。



「うん。もっちろん! いやー、手紙を渡すパアリちゃんの恥じらいぶりったら、後ろで隠れて見てるこっちが恥ずかしくなったよー」



「恥ずかしいとか言いながらでも、しっかり見てるじゃないですか。というか、人が恋文ラブレターを渡す現場を見るなんてつくづくエリカさんも悪趣味ですね」



エリカはぷー、と怒ったように顔をむくませる。



「えー、エル君もそう言う事言うのー!?」



「エル君もって……他の人に既に言われてるんですか。大方、パアリさんですか? それより僕の名前はエルクです。お間違いなきよう」



と、エル君はいつものように言ってペン先をインクに浸し、先程までと同じように書類仕事を続ける。

やがて、その最中でエル君は再び口を開く。



「それにしても、エリカさん。あなたは昨日のパアリさんの事といい、郵送局に無断で色々やりすぎなんですよ……」



そこで初めてエル君の目がエリカに向けられ、エリカはきょとんとした顔をする。



「へ?」



「ですから、あなたはもうフリーの配達員と違って一番格の高い国選配達員なんですよ。つい最近国選になったばかりとは言え、軽々しく動かないでもう少し自覚を持ってください」



「はーい。ごめんってばエル君。いっつもアタシの飛行報告書ごまかしてくれてるもんねー。気をつけるよっ」



「――……はぁ。もういいです。本当にあなたって人は……」



「ねえ、エル君?」



「……なんですか?」



「パアリちゃんの羊皮紙の手紙……。ねえ、エル君何か思い出さない?」



ぴく。エル君のペンを持つ手が不自然なほど急に止まった。



「お、覚えて……ないですね」



その声は珍しく、エル君の心の内の動揺をうつしたように歯切れが悪く震えていた。


エル君は六年前のある朝、一人の自分と同じ歳ごろの有翼人の少女から羊皮紙の手紙を渡された。



汗で滲み、息を切らせながらも頬と耳をリンゴのように真っ赤に赤らめ、差し出だされたその少女の手紙には自らを思う少女の気持ちが書き綴られていた。



「あのね……一応言っておくけどあの時のアタシの手紙の返事は……その、まだ有効だからね?」



今、エル君の目の前のいるエリカはその有翼人の少女が自分と同じく歳を重ね、大きくなった姿だ。



「…………あ、あの……いや……その。それは……その……」



そして今、エル君はかつての手紙を渡した時のエリカ以上に顔を赤らめ、羞恥に悶えた。



「そ、その……へ、返事は……」



「返事は?」



そう言うエリカの黒い眼は、見慣れたはずなのに何故だかとても愛おしく見えた。


思わず目を伏せるが、やがてエル君は、いつのまにか目の前に迫り僅かに頬を染め微笑むエリカを見て言う。



「僕が頑張って、国選になった君と同じ位偉くなったら……その時に返事を言うよ。ご、ごめん……」



エリカはエル君に近づけた顔の前で、かつて二人が共に通っていた神学校に通っていた頃から久しく聞かなかった幼馴染同士で内緒話をするような小さな声でぽつりと言った。



「そ――っか。……エル君らしいね。ふふ、ありがとっ」



「う、うん……」



やがて、エリカはくるっと身を返しエル君に背を向け手を広げ、小さな歩幅でとことこと歩いた。

その途中、エリカの口からいつもの明るい声が聞こえてくる。



「へぇーっ。だから今まで返事くれなかったんだ。そっか、エル君はやっぱり現実的だねー。そうだよねー今、アタシたちが『結婚』してもお金できっと苦労するだけだもんねー」



「なっ……! ……も、もう……エリカさん……それを言わないで下さいよ……!」



エリカが振り向き、感情を露にしたエル君を見ておかしそうにけらけら笑う。



「あはは、ごめんごめん。えー……でもさーエル君、ホントに偉くなれるのぉ? まだ、そんなに担当地区広くないんでしょ?」



局員のポストは多くの集落との物品のやり取りを管理できるにつれ昇進し、一つの村のやり取りをまとめるフリーに始まり、地方選局員、そして島選、最後に最高度の薬や本など重要な物品のやり取りをまとめる国選となっている。


しかし、まだエル君は一番下から二番目のポストの地方選局員であり、他の浮き島の物品のやり取りを自らまとめる権限はまだ無かった。


しかし、目の前のエリカ・スプリングフィールドという有翼人の少女は十五歳にして配達員ポーターの中で類稀たぐいまれな最も重要な立場である国選に選ばれた史上最年少の配達員であった。


エル君は種族と業種は違うものの、いつの間にか信じられない出世を果たしたエリカに対し強い対抗意識を燃やしていた。


そこには嫉妬の気持ちは無い。


ただ、エル君は自分に結婚を申し込んだ女の子に、早く相応しい夫になろうと努力する、幼い頃に抱いたのと同じ純粋な気持ちがあるだけだった。


「こっ、これから増えます! エリカさんが気にする事じゃないです! だ、だから、安心しててください!!」



「ありがとー。期待してるよー」



半分ほど開いた目でまったく気持ちのこもっていない、棒立ち、棒読みで言うエリカの言葉にエル君は馬鹿にされてると思い、歯を噛み締める。――でも、エリカは決して頑張る人を応援しない有翼人ではない事をエル君は解っていた。



「ふ……ははっ」



「え? あれ? な、なによ? もーっ、どうしてエル君が笑うの?」



「いや、エリカさんも嘘をつけない人なんだなーって、思って。つい」



「? ……まあいいや。ねえ、それじゃ、次のアタシの配達分早くちょうだい!」



「ええ、その事なんですけど。ちょっとエリカさんにお仕事に関して重要なお話が」



そこでエル君は気を取り直して、座っている椅子の上で姿勢を正しエリカをじっと見る。


そのエル君の釣りあがった目にふと、優秀な配達員にあるといわれる第六感で嫌なものを感じたのか、エリカの額に一筋の汗が伝う。



「へ? な、何かな?」



「エリカさんが昨日もって帰った配達分の品物の中で、エリカさんその品物の配達費のお金も貰って来ましたよね?」



「う……うん」



「ところがその後、僕がカバンの中のお金を計算したところ、幾らか足りないんですよ。……あの、エリカさんまさかとは思いますが……」



「…………………………ご、ごめんなさい。使っちゃいました」



目を反らし、引きつった笑みを浮かべ言うエリカとは対照的にエル君は真っ白になって口をぽかんと大きく開けていた後、やがて、



「――――は……はぁぁああ!? つ、使ったぁ!!? 何に!!? 一体何にだ!!? エリカ、お前、一体その金を何に使ったあぁぁぁ!!?」



ついエル君は口調を神学校に通い始めていた頃に戻してしまい、更には目の前のエリカに掴みかかりその細い体をがくがく揺らす。


エリカはもはや完全に冷静さを失ったエル君によって、自分の頭が前へ後ろへ勢いよく振られながらもどうにか答える。



「あーっ! あーっ! そ、その! パアリちゃんと一緒に食べた糖蜜キャンディーにー! ほんの出来心っ! 出来心なんですー!!」



「うるせぇー!! このまえのエルフのおばあさんに買ってあげた小麦のパン代といい、お前はまた安月給の僕の財布に飴代を立て替えさせる気かっ!! この前もその前も仕事の金を使うなって言っただろーが!!」



「えー、アタシたち国選は年俸制だからしょうがないじゃん! たまった借金は年度末に返すからさー!」



「この前の言いつけも守れねえヤツを信用できるかぁー!」



すっかり幼い頃の自分に豹変してしまったエル君は頭を抱え、木張りの郵送局の天井を仰いだ。



「ああ、ちくしょーっ!! 今回は僕が一銭も払わなくても良いと思ったのにーっ!!」






その日の午後。


サイクロプスの少女、パアリは神学校の授業を終え、パアリは家に帰るなり、とるものもとりあえず、母に頼んでいたあるものを受け取って、目をきらきら輝かせた。


エプロンをつけたパアリの母は苦笑し、手に取ったそれを見て喜ぶ自分の娘を不思議に思いながら言う。



「久しぶりにあなたがお母さんにおねだりしてきたと思えば、羊皮紙の便箋が欲しいなんて。随分変なおねだりね? 昨日も言ったけど、その便箋は送るのにお金がすっごくいるのよ? 本当にそれで良かったの?」



パアリは手に取った真新しい白い羊皮紙を見て嬉しそうにニッコリと微笑んだ。



「うん。知ってる。でも、どうしてもこの紙がよかったのっ! お母さん、ありがとー!」



そう言ってパアリはとたとたと居間のテーブルに向かい、机に羊皮紙を広げた。


手紙の送り主の相手と書く内容は長年の自分の恋が実った昨日のあの時から決まっている。


パアリはテーブルの傍の羽ペンを取り、ペン先をインクに着けるや迷い無く羊皮紙の上でペンを走らせた。



これからパアリが羊皮紙の便箋に書く内容は誰にも見せられない。



と言うのも、自分が出そうとした、他の人には言えないとってもとっても大事な恋文ラブレターを出すのを手伝ってくれたあの有翼人のお姉ちゃんにあてたとってもとっても大事なお礼のお手紙なのだから。



――この大事な手紙はわたしが自分で渡すんだもん。



パアリがふと見上げた居間の窓からは澄んだ湖のようなきれいな青色の大空の中、大勢の翼をもった配達員達が今日も誰かの荷物を運んでいる。




お疲れ様でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 心理描写や風景の表し方(特に大空を羽ばたくシーンは圧巻でした)など多様な表現をされていて、多くの作品に触れ、勉強なさっているのだろうと感じました。 幼いキャラクターを年相応の等身大で可愛ら…
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