TRACK,7
翌日、翠は昼過ぎには『rock shooter』に居た。
前日帰り際に古賀が「明日遅くなるかもしれない」と言っていたので、頼まれた訳では無いが今日は別の仕事も入っていないので早めに出勤したのだ。
昨日、駿はあの後 特に車内での出来事に触れることも無く、彼の大学時代の話や翠のアロマ講師の仕事のことなど他愛もない会話をして別れた。故に翠は余計モヤモヤしてしまい、昨日はなかなか寝付けなかった。
寝不足でアクビをしながら翠が階段を掃除していると、入り口からヒールの足音が響いた。翠が下を覗くようにして入り口を見ると、そこには髪の毛をくるんくるんに巻いて白いパンツスーツを着た可愛い20代半ばの女性が居た。彼女は翠を見つけると笑顔で近寄ってきて声をかけた。
「あの、ここにウチのSHUNがお邪魔してませんか?」
「はい?」
よく聞き取れず、翠が階段を降りて彼女の前に立ち会釈をすると、彼女はもう1度尋ねる。
「初めまして、私「トレジャーボックス」のSHUNのマネージャーで、遠藤 沙也加 と言います。…彼、来てませんか?今朝ここに来る予定にしてるって聞いたんですけど。」
ボーッと話を聞いていたが、2秒ほどで翠は内容を理解し 答えた。
「あ、いえ、今は居らしてませんけど…。こちらにいらっしゃる事は聞いておりませんでしたが、駿さんが来るとおっしゃってるなら…待たれますか?」
すると彼女は少し考えながら、まるで値踏みするように翠を見ると 何か思いついたように言った。
「あの、失礼ですが貴女「アキラさん」ですよね?私の代わりにアナタの携帯からSHUNさんに電話してもらえませんか?朝の電話以来全然繋がらなくって。」
「は?あの、おっしゃってる意味が…」
彼女は一体なんなんだ、と翠は首をかしげる。正直、翠が今までに接した事のないタイプだ。
そんな翠を見て、沙也加はケラケラと笑ながら説明を始める。
「ごめんなさい、私って思いつくまま言っちゃう人なんで。アキラさんの事は何度かメンバーから名前が出てたんで、この人かな?って思って。で、SHUNさんって、私の電話は10回に1回ぐらいしか取ってくれないから、アナタの電話からなら連絡付くかな?ってことで言ってみたの。お願い出来ません?」
翠は昨日の事を思い出す。確かに駿は車の中で携帯の着信を無視していた。
…緊急の用事かも知れない。
そう思い翠は彼女の依頼を承諾した。
スタッフルームから携帯を持って翠は沙也加の元へ行った。立ちっぱなしにさせるのも失礼かと思い、ドリンクカウンターへ案内しておいたのだが、彼女は落ち着き無く他のアーティストのチラシや壁に貼ってある公演スケジュールなどを見て回っている。
「あの、携帯持ってきましたが…」
そう呼びかけた翠の方は見ずに、沙也加は言った。
「あー、じゃあかけてみてもらえますぅ〜?」
何故か気が進まないと思いながら翠は駿に電話をかけた。だいたい、繋がらないという事は基本的に出にくい状況だからじゃないのか。自分がかけたからといって出る訳が無い。
そう思っていたのに、ほんの3コールほどで駿は電話に出た。
「もしもし翠さんっ?どうしたの、何か有った⁈」
慌てて応答したような駿に翠はビックリして言葉に詰まる。
「あ、その、昨日は有難うございました。何か有った訳じゃ無いんだけど今ね…」
話の途中で沙也加は翠から携帯を取り上げ、甘えたような声で電話に出た。
「もしも〜し、SHUNさんてば、やっぱり電話出れるんじゃないですか。今もうアキラさんのライブハウスに来てますよ、何時に来るんですか〜?」
翠は茫然自失状態でその光景を見ていた。微かに聞こえる駿の声は明らかに怒鳴っているようで、所々で沙也加は電話から耳を離しているが飄々(ひょうひょう)と対応している。最後のやり取りは何とか翠にも理解出来るもので、どうやら駿が今日ここには来ないらしいという事と彼女が会社に戻るよう命令されたらしいという事だった。
電話を切って、沙也加は翠に手渡した。
「有難うございました、連絡取れて良かったです〜。じゃ、私はこれで。」
ペコっと頭を下げて、沙也加はサッサと出て行った。翠は携帯をエプロンのポケットに入れて、掃除の途中だった階段へ戻りモップを手に持つと、つい独り言が出た。
「…最近の娘は、なんかスゴイなぁ。」
自分が世の中に付いていけていないような気になりながら、翠は黙々と掃除を続けた。
それから2時間ほど経って、『rock shooter』に 古賀と共に血相を変えた駿が現れた。
「翠さんゴメン!遅くなっちゃって。大丈夫だった?アイツにトンデモナイ事言われなかった⁈」
今日は来ない筈の駿がやって来た事にも翠は驚いたが、それ以上に物凄い剣幕の彼に驚いた。
「あ、べつに大丈夫、はは…」
力無く笑う翠に駿は頭痛を止めるようにコメカミを押さえた。さらに古賀が翠を気遣う。
「アキラさんすみません、今日も早く来てくれたんですよね。それなのに…」
翠は2人が自分の反応に対して気遣っていると分かると抜け殻のような己を奮い立たせた。
「いや、ホント大丈夫だから!何をされた訳でも無いし。」
その言葉に駿は思わず翠の両肩を掴んで揺さぶる。
「されたろ⁈あれ、アイツ絶対翠さんから携帯引ったくったじゃん!」
こんなにキレ気味の駿を初めて見たと、翠はマジマジと彼を観察した。そこで初めて昨日までの彼と違う事に翠は気がついた。
「あれ?駿さん、髪の毛真っ黒じゃない⁈どうしたの?」
「えっ⁈」
駿は翠から手を離し 自分の髪を触ると、不安げに翠を見た。
「昨日作業しながら染めてもらったんだ。年末ぐらいに写真集の撮影が有って、それのコンセプトカラーが黒だったし、ライブもあるから丁度良いタイミングかと。 …変?」
「ううん、超似合ってる。あ、そっか、今度のライブは『トレジャーボックス』じゃ無いもんね。ナルホド。」
ウンウンと頷きながら和かに笑う翠を駿は直視出来なかった。まるで自分の中で自制心と独占欲が戦っているかのように心が乱れる。昨日は翠のそういう部分を 作戦なのか と言ってみたが この人はそんなもん練っちゃいない。只只素直なだけだ。
しかしそれはそれで 厄介だ、と駿は自分が暴走しないよう気を引き締める。
「とにかく、遠藤の件は申し訳なかった。キツく言っておくから。」
「ううん、彼女もあなたのマネージメントに責任持って取り組みたいだけだろうから、何も言わなくて良いからね。」
そう言ってから、翠は古賀が手にしているチラシが目に入った。古賀はそれに気付き、サッと翠に一枚手渡した。
「これ、来月の告知です。メインはここに置くんですが 他所のライブハウスとかBARとかにも頼んで置いて貰ってきたんスよ。」
「そうなんだ、何か着々と進んでるね〜。わぁ、これカッコいい!」
チラシの写真は白黒で、だいたい何時も目にする『トレジャーボックス』の写真はカメラ目線の物が多かったが 今回全員がカメラから目線を反らしている。センターはやはり駿で、サイドに2人ずつ。
2人ずつ?と翠はチラシを顔に近付ける。
「人数が…増えてない?」
駿はニヤニヤしながら写真の右端で背中を向けて横顔で映っている人物を指差した。
「これは、古賀くん。今度のライブ、ローディーやってもらう事になったから、いっそメンバーに入れちゃおっかと思って。」
「へ〜!古賀くんよかったね!…それで、ローディーって何?」
キョトンとして自分を見る翠に対して駿はすぐ古賀に振った。
「古賀くん、教えたげて。」
古賀の腰をバシッと叩いて駿は出入口へ歩いていく。
「えーっ⁈SHUNさん帰るんスかっ⁈」
後ろからの古賀の声に駿は腕を上げ、手の平をヒラヒラとさせて そのままフロアを出た。
駿は真っ直ぐ駐車場に停めた自分の車へ向かい、運転席に座りドアを閉めた。
同時に頭を抱えて叫ぶ。
「あーっっ‼何で俺の征服欲を刺激すんだ‼」
押さえていた感情が全身から噴き出したように駿は身悶える。
正直、結花莉以上に好きになれる存在など現れないと思っていた。しかも結花莉の時のような明確に好きな理由も見つからない。ただ、好きだと思ってしまってからは翠の全てに胸が高鳴るのだ。
このままでは近いうちに抑えが効かなくなり、また自分の気持ちだけを押し付けてしまうのではないかと駿は怖かった。その恐怖とは翠を傷付ける事。冷静になれ、と何度も自分に言い聞かせる。
駿は1つの打開案を見出すと、エンジンをかけてメンバーと落ち合う予定である『クラップエンタテインメント』へ車を走らせた。
この頃、『トレジャーボックス』は多忙なスケジュールを強いられていた。
年末からは来年発売される写真集『NOIR』の撮影があり、イギリスとフランスでロケを予定している。
年明けからはアルバムのレコーディング、その後『クラップエンタテインメント』に所属のアーティスト達で行われるライブイベントが東京・大阪で開催されるので、当然彼らも出演予定だ。
現在も日々雑誌の取材など細かな仕事もこなしている中、そこに自らを追い込むように急遽ゲリラライブのような事をしようと言うのだから、正気の沙汰ではない。
駿は敦の家と事務所を往復する日々が続いていた。『ミミック』のライブ用セットリストは完成し、生演奏以外の打ち込みも終了したが、駿は歌詞をまだ完璧に歌う事が出来ないでいる。仕上げるには時間が短過ぎるということを理解の上でメンバー全員が覚悟していたが、想定外に環境があまりにも過酷だった。
メンバーが敦の家に集まった『ミミック』のライブまで1週間を切ったある日、そんな過酷な状況下で駿はさらに自分を追い込むような提案をした。
「『ミミック』のライブ敢行をリークする。」
「はあ⁈」
駿以外のメンバーが全員その提案に驚かされる。敦が代表して駿の意見を聴き込んだ。
「それは客寄せ目的か?それとも『トレジャーボックス』の意外な側面としての話題作りか?」
眠そうに目を擦りながら駿は答える。
「両方だ。まぁ、意外な側面と言うよりは『ミミック』込みで『トレジャーボックス』を まるっと世間に認めさせる。勿論ウチの事務所も例外じゃなく。ライブ当日も入場規制はしない!希望の報道陣はカメラごと許可だ。その方が2つの活動をイコールで結ぶの早いだろ?」
もう目を開けているのか閉じているのかも分からない駿の顔を3人はじっと見つめた。こんな状態でなんて事を思いつくのかと憲司は思わず口にした。
「こいつ、賢いのか馬鹿なのか どっちだ?悠斗。」
「ケンちゃん、知らなかったの?駿は馬鹿で天才なんだよ。」
そのやり取りに敦は大笑いする。憲司と悠斗も少し遅れて笑い出した。しかし駿は目を閉じたまま、まるで仏像のように微動だにせず静かに寝息をたてているだけだった。
笑い過ぎて涙目の敦は駿の頬をピタピタと軽く叩き「お前今日ぐらい家で寝ろ」と、引きずるように自分の車に乗せて駿のマンションまで送り届けた。
敦の車を降りて、何とか自力で自分の部屋がある階へ駿は辿り着いた。左右にフラフラと蛇行しながら玄関の鍵を取り出し、ドアの前に立つ。なかなか鍵が刺さらず手間取ったが、やっとの思いで玄関を開け 中へ入った。
「マジ今なら立ったまま寝れる…」
極限状態の割に呑気な独り言を言って靴を脱ごうとかがんだ瞬間、玄関に見慣れないパンプスがあるのが目に入った。
「…?」
この部屋に越して来てから女性と付き合った事は無い。厳密に言うと靴を置いておくほど深い付き合いをしていない。自分では起きているつもりだか実は寝ていて、夢でも見てるのかと駿が自分を疑ったその時 バスルームからの水音が耳に入り、急激に頭が冴える。
「いや、やっぱ俺起きてるな。」
用心して靴を履いたまま、恐る恐るバスルームを覗いた。明らかにシャワーを浴びているような人影が磨りガラス越しに見え、そしてシャワーの水音が止んだ。
背筋に冷たい緊張が走り、駿が硬直した次の瞬間 見ず知らずの女性が全裸でバスルームのドアを開け放った。
「わあっ‼」
驚いて尻餅をついた駿に全裸の女性は怪しく微笑む。
「SHUNったら、遅いゾ!こんな時間まで何処行ってたの?今日アタシが来るって知ってたくせに。待ちくたびれちゃった。」
この女性は誰だ。今日来るって知ってた?俺が?
駿は何が起きてるのかサッパリ理解できなかった。
「あの、すみませんが…俺あなたから電話とかもらってましたっけ…。」
刺激しないよう丁寧に尋ねた駿に、その女性はニヤリと笑う。
「もう、何言ってるのよ、SHUNとアタシに電話なんか必要無いでしょ。いつも2人はテレパシーで通じ合ってるじゃない…?」
ヤバイ人だ‼
駿は頭で理解するより早く体が動いた。
猛ダッシュで玄関へ戻り 外へ飛び出した。後ろからその女性が何か叫んでいたが構わずエレベーターのボタンを何度も押して、少し開いたドアを押し広げるようにして飛び乗る。閉ボタンを連打しながら駿はスマートフォンを取り出し、110をダイヤルするのは躊躇って 直近の着信にリダイヤルする。
「駿くん?どうしたんだ?」
応答した相手はラッキーにも『クラップエンタテインメント』ゼネラルマネージャー、橘だった。
「たっ、橘さん!大変な事がっ‼」
エレベーターが1階で開くと まるで弾丸のように飛び出て、車の存在をすっかり忘れていた彼は 橘に今自分に起きたことを訴えながら駅まで走った。
翠がその出来事を知ったのは、『ミミック』のライブ前夜にかかってきた悠斗からの電話だった。
「それでさ、駿すっげーテンパってて。ぼくたちに話した時もさ、「帰ったら、女が勝手にうちの風呂に入ってたんだ!シャワー浴びてて、しかも裸で‼」だって。そりゃ、普通シャワーん時は裸だよね〜。あはは。」
「イヤイヤ、悠斗くん 笑い事じゃ無いでしょ。それで、その人誰だったわけ?どうなったの?」
やや翠も笑い気味だったが、悪いと思い堪えていた。
「なんかさ、あいつチョイ抜けてるっていうか 自覚ないっていうか。先週、事務所の近くにあるレンタル屋行って資料の為のDVD借りる時に会員証作ったらしくて。当然 実名と住所フルで記入したら、そこの店員が偶然にも駿の熱烈ファンだったワケ。」
「でも、部屋の鍵閉まってたんでしょ?」
「ピッキングしたらしいよ、怖いね〜。駿はやっぱりストーキングとかされるから、しょっ中引っ越ししてたんだけど。」
現在でもそんな感じなら、今後はもっと大変だろうと翠は同情した。ストーカーの事は置いといて、悠斗から聞いた仕事の忙しさに駿の身を案じる。
「駿さん…身体は平気なのかな?」
その翠の質問に悠斗は意外そうに言った。
「もしかして、連絡無い?…いつから?」
「え?え〜っと…多分最後に会ったのは古賀くんとうちにチラシ持って来た時かな?」
悠斗は無言になり、翠は何か自分から話題を振るか迷った。違う話題を思いつく前に悠斗が口を開く。
「その時何か有った感じ?何か言ったとか?」
「うーん、特に何も?」
ふーん、と悠斗は声をフェイドアウトさせた。本当に思い当たる事は無かったのだが、実際は何か有って自分がそれに関与していてはマズイと思った翠は話題を変える。
「あ、そういえば駿さんて今は自分マンションに戻ったの?」
「ああ、あそこはもう引き払うんだって。今回の事は警察沙汰にはせずにウチの事務所が処理したんだけど、ファンの間で情報が流れたみたいで。昨日までは事務所に泊まったりしてたけど、取り敢えず明日から10日間は事務所がホテル押さえてくれたって。あ、今日は僕ん家に来るよ。さっき連絡有ったからもう着くと思うけど、来たら代わろうか?」
「いい、いい!私も明日早いからもう寝るね。駿さんには宜しく言っといて。じゃ、お休みなさい。」
「お休み〜。また明日ね。」
翠との電話を終えて悠斗が自室を出ると、玄関のチャイムが鳴った。階段を降りて行くと悠斗の母親が玄関を開けて駿を迎えている所で、彼は礼儀正しく何か手土産を渡していた。
「駿、そんな気を使わないでいいよ。」
上から降ってきた悠斗の声に駿は階段を見上げる。
「気は使ってないよ、コレそこに売ってた「たい焼き」だから。俺の分も有るんだ。一緒に喰おうぜ。」
悠斗は母親に紙袋の中身を半分渡して上を指差した。
「ぼくの部屋で食べよっか。隣が客間だから荷物置いて来て。」
駿は悠斗の後に着いて階段を上がった。
荷物を客室に置き、駿は隣の悠斗の部屋へ行った。
「お前ん家、ほんとデカイな。」
そう言ってソファーに座った駿の前に悠斗は日本茶を出して自分はラグの敷いてある床に座り、ガサガサと紙袋の中からたい焼きを取り出してかぶりつく。
「…ぼくは頭から食べるタイプ。駿は?」
駿はたい焼きを手に取り、ジッと見つめる。
「俺は…尻尾かな?アンコは最後まで取っときたいタイプ。」
言い終わると駿は尻尾の部分を口に入れた。
「ふぅん。…アキラさんはどっちかな。」
ブッと駿は口から尻尾を吹き出した。
「も〜 駿、汚いなぁ。」
「悠斗が変な事言ったからだろ!何でそこで翠さんを出す必要があった⁈」
「なんとなく。さっきまで喋ってたから。駿にヨロシクってさ。」
そう言いながら立ち上がり、悠斗は転がって行った尻尾を拾って駿を振り返る。
「連絡取り合ってると思ってたのに全然みたいじゃん。アキラさんから連絡しないってのは当然だけど、何でワザと距離置いてんの?駿は。」
本当にいつも悠斗は鋭く的確にコッチの心情を見抜いてくる。駿は感心しつつも、唯一嘘をつけない相手である事が憎らしかった。さらに悠斗は核心を突く。
「あ〜…成る程、さてはもう彼女と接する方がヤバイのか。自制して自分もアキラさんも守ってるんだ?」
その正確な憶測に駿は観念した。いや、むしろ口に出して明日に備えたかったのかも知れない。
「それしか思いつかなかったんだよ。ある時は異常なまでに俺の事警戒したかと思えば、次の日はまるで無防備で。人間の習性か何か知らないが逃げられると追うだろ?で、追った途端に向こうから距離詰めて来るんだから冷静でいられない。毎日会いたい、声が聞きたいけど、そうしたら俺は…」
「…うちの姉貴の二の舞にでもなると思ってるの?」
辛辣な悠斗の言葉に駿はただ押し黙っていることしか出来なかった。
しかし駿が取った行動は、結果彼の気持ちを限界まで追い込む事になっているという事実を悠斗は告げた。
「駿、それは自制じゃなくて ただ無闇に自分を緊縛してるだけだ。ぼくに話したから良かったようなものの、そのままの駿で明日アキラさんに会っちゃったらイキナリ縄が切れて彼女を頭から丸ごと喰っちゃうよ?」
「変な言い方すんなよ…」
口ではそう言いながら、何て今の自分の状況にピッタリと合った表現だろう、と 駿は翠に対する想いを痛感した。
悠斗は宙を見つめる駿の隣に座る。
「ぼくは駿が羨ましいけどね、そんな熱い想いで他人を好きだと思えるって。」
駿は一呼吸おいて口を開いた。
「…悠斗、前に俺が好きだとか言ってたけどさ。」
「何だよ、藪から棒に。」
珍しく悠斗は戸惑って見せた。
「あ、ごめん。俺がこんな事言うのはおかしいのは分かってんだけど、悠斗のそれは 何か違うのかと思って。好きにも色々あるんだとは思うけどさ…」
悠斗は少し考えてから立ち上がり、窓の方へ向かい 外を見ながら自分の想いを語る。
「ぼくもさ、少し前までは駿の事ある意味 丸ごと喰っちゃえると思ってたよ。でもそれは、今思うとただの執着心かな?って。アキラさんを見てるお前のような気持ちになった事は多分、無いから。」
俺を喰うつもりだったのかよ、と普段の駿なら突っ込んだだろう。しかし彼は何も意見を述べる事なく黙って聞いていた。
「だからさ、ぼくは2人が上手く行くと良いなって心から思ってる。駿はアキラさんが傷付かなければ良いんだろうけど 駿が傷付くのは ぼくが嫌だからね。そこで僕は明日の作戦を考えといた。」
「作戦⁉なんだ⁈どんな⁇」
飛び掛かる勢いで立ち上がった駿に悠斗は勿体ぶる。
「ま、コーヒーでも飲みながら話すよ。入れてくるから。」
そう言って悠斗は部屋を出ていった。
駿は再びソファーに腰掛ける。
まったく、明日が本番だというのにセットリストも頭に入って無いし、歌詞も何曲か微妙だ。そんな不安よりも翠と会う事の不安の方が大きいと感じている自分に駿は呆れる。
何日もマトモに寝ていない。もう自分では何も思いつかないし、何も考えられない。
重くて自然に落ちる瞼を堪え、駿は早く悠斗が戻って来て「明日の自分」を決めてくれるのを待った。
つづく