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TRACK,6

11月某日。突然思いつきで決めたライブまで3週間と迫っていた。


「ヤバイ。あの時 悠斗にはエラそうに言ったけど、緊張してきた…。」


打ち合わせの為 訪れた『rock shooter』の前で駿はなかなか入る事ができずにいる。つい5日程前の勢い付いていた自分は何処へ行ったのか と、駿は情けなくなった。今日も本当は敦が一緒に来る予定だったが、連日 駿や憲司以上の過密スケジュールの為 パソコンから離れられない状況になり、駿1人で来るハメになったのだった。

「あれ?もしかしてSHUNさん?」

急に背後から名前を呼ばれて駿は振り向くのをためらう。何故なら今日の変装は自分でも完璧だ。どこからどう見ても営業で外回りのサラリーマンで、絶対ファンの方にもバレないに違いないと思っていた。

そんな事はお構い無しに、声の主は駿の正面に廻る。

「ども、『rock shooter』の古賀です、この前はお疲れ様でしたー!こんなとこで何してんスか?」

声の主が彼だった事に駿は複雑な気分になった。コアなファンにバレるならまだしも、ライブハウスのスタッフにもバレる程度の変装だったとは。

「君かぁ。よく俺ってすぐ分かったな。」

「そりゃあ…あ、もしかしてバレたらまずい感じでしたか?スミマセン。だって、そんな大きなグラサンかけてスーツ着た金髪で長身の男性って、ハリウッドスターか駿さんしか居ないですって。」

存外 この古賀という青年はあけすけに物を言う。体育会系だが腰が低く、礼儀正しいだけと思っていた駿は逆に好感を持てた。古賀は駿が着ている黒いスーツをましまじと見て言った。

「SHUNさん、なんかそのスーツって…リクルートっぽいですね。」

「そうそう。就活ん時の。」

けろっとしている駿とは対象的に古賀は目を見開いて驚いた。

「就活⁉SHUNさん就職する気、有ったんですか⁈いつ⁇」

「いつ、って…、普通に大学3年生から就職活動してたよ?」

「普通に?てか、大学⁈行ってたんスか⁉」

「…なんか変?」

そんなにも古賀が驚愕する理由が解らずに駿は不思議そうな顔をしている。駿が気分を害したかと思った古賀は何とか自分を落ち着かせて謝った。

「スミマセン、いや全然!変じゃないっス。なんか若い時から音楽やってて、人気もあったからずっとバンド一筋(ひとすじ)だったのかと思ってて、就活とか大学とかのイメージ 駿さんとかに持って無かったからビックリしちゃって。」

駿は相変わらず不思議そうな顔のまま すかさず追い打ちをかける。

「他のメンバーも大卒だよ?」

「えぇ⁈‼」

更に驚いて変な顔で固まった古賀を見て駿はゲラゲラと笑い出した。古賀にはそれが本当なのか冗談なのか分からなかったが、そこは掘り下げずにおこうと思って一緒に笑った。


「…おはようございます。」

笑っている2人が その声に顔を上げると、いつの間にかツイードのスーツを着た翠が立っていた。

「なんか、楽しそうですね。」

そう微笑んだ翠に駿の体は突如さっきまで緊張していた事を思い出す。

「あっ、この前はスミマセンでした…」

つい口をついて出た消極的な言葉に駿は自分でもウンザリした。積極的に近付きたいという気持ちはあるが、いざ彼女の前に出ると意識してしまうのか上手くコミュニケーションが取れず、歯がゆい。

「ああ!SHUNさん今日はアキラさんに会いに来たんスね⁈」

「違っ…」

何てタイミングで何て事を言うんだ古賀よ。思わず否定してしまったが、図星なだけに後ろめたい。そんな駿を知ってか知らずか 翠は気に留める様子も無く古賀に説明する。

「あのね、妙なこと言わないの。彼はココに打ち合わせに来たの!」

「あ、なんだそうなんスか。てっきりお2人そうゆう関係なのかと思って…」

「なんでっ⁈」

声を揃えて2人に詰め寄られた古賀は仰け反るようにして言った。

「いや だって、打ち上げの時『お姫様抱っこ』だったから。」

確かにアレは普通なら有り得ない行為だったことは事実だが、翠は必死の形相で弁解する。

「あれは駿さんが勝手にね⁉」

その弁解に乗っかる事もなく駿は切り返す。

「だって、翠さんが「酔っぱらって立てなぁ〜い」って言うから。」

駿は特に焦る様子も無く、むしろ翠をよりムキにさせるような言い方をした。

「そんな事言ってません!断じてそんな言い方はしてないっ!」

「言ったね。「抱っこしてよ〜」って言われて俺も仕方無く。」

「ちょっとアンタ!話 創ってんじゃないわよっ!」

そう怒鳴った瞬間に 翠はヒートアップした自分をイタズラっ子のような顔で面白がっている駿に気付き、からかわれた悔しさと羞恥心で一気に赤面した。行き場の無い感情をぶつけるように古賀に向かって「とにかく!変な誤解しないでっ‼」と釘を刺し、逃げるように『rock shooter』に入って行った。


「怒っちゃいましたかね、アキラさん…。オレ、なんか誤解しちゃったみたいでスミマセン。」

申し訳なさげな古賀だったが、駿には逆に好都合に思えた。週の半分は翠と一緒に仕事をしている古賀を味方に付ければ、何かと自分に有利なのではないか。

「俺と翠さんが「そういう関係かも」って、誰かが言った?」

「あ、いえ、オレが勝手に思ってただけで。あの時皆は酔った女性スタッフをSHUNさんがオレんとこに連れて来ただけだと思ってますよ。だって、その後のやり取り込みでオレは勘違いしたんスから。」

なるほど と頷いて、駿は急に鋭い目をして古賀に確認する。

「…それ、誰かに話した?」

「まさか!これでも空気読むタイプですよ⁈今大事な時なのに、そういう噂話はご法度でしょ?誤解とはいえ、ほんとスミマセンでした。」

自分の軽率な発言が翠だけでなく駿までも不快にさせたと思い、古賀は再び謝罪する。そんなションボリした彼の両肩をいきなり掴んで、駿は真剣な顔をした。

「…俺としては誤解しといて欲しいんだけど。」

「はい?」

古賀は、突然何を言うんだという顔をしている。

「古賀くん、キミは口が堅くて誠実だ。そんなキミを(おとこ)と見込んで話がある。」

「そ、それは嬉しい褒め言葉ですが…結局SHUNさんはココに何しに来られたんですか?」

「あ!そうだった、俺 打ち合わせで来たんだったぁ〜…」

駿は個人的な事で頭が一杯になり、本来の目的をコロッと忘れていた。慌てて時計を見た駿に、古賀が尋ねる。

「それは今日の打ち合わせですか?確か初めてウチで演るバンドの打ち合わせだったと思ったんスけど…。打ち合わせはオレが。公演スケジュール管理の担当なんで…けど、何でSHUNさんが?」

どう説明するか、少し考えながら駿はとりあえず後でまとめようと思った。

「あー… うん、まぁ、それじゃ良かった。そこんとこ込みで話があるって事でヨロシク!」

バシッと古賀の背中を叩いて駿は肩を組み、足取り軽く『rock shooter』に入った。



打ち合わせは『トレジャーボックス』が最後のライブを行ったフロアでする事になった。まだ昼前で他のスタッフは出勤しておらず、ステージの照明は消えていて先日とはまるで別の場所のようだ。

「ちょっと予約帳持って来るので待っててくださいね。」

そう言うと古賀は駿の前にソーサーに乗せたコーヒーカップを置いてスタッフルームへ入って行った。ドリンクカウンターでは駿に背中を向けてユニフォームに着替えた翠が何か作業をしている。駿はコーヒーに口を付けて、そのカップを持ったまま翠のもとへ行った。

「ねえ、翠さんだけ何でこんな早いの?」

手を止める事なく翠は答える。

「…今日は夕方に仕事があるから。終わったら戻って来るけど、ライブの開場には間に合わないから先にできる事しとこうと思って。」

コーヒーをカウンターに置いて、駿は翠の真後ろに座る。駿にはさっきからかってしまった事より気になることがあった。口にするか悩んだが 何か手応えが欲しくて口に出してみる事にした。

「あのこと、怒ってる?」

「あのこと?って、どのこと?」

翠はようやく手を止めて駿を振り返る。目が合った途端 駿は少し斜め上に視線を反らしたが、ゆっくりと翠の目に視線を戻した。

「あ〜…の、携帯勝手にいじったこと。」

「あー…」

駿から目線を離し、手元で仕事を探すフリをしながら翠はあの時の感覚が自分の中で蘇るのを押さえ込む。

「別に怒ってないですよ。私の携帯なんて、見られて困るシロモノじゃないしね。でも…」

口ごもり沈黙した翠に駿は何も言わず、ただジッと見つめて次の言葉を待った。すると翠は駿の考えを見透かすように彼の思惑とは別の方向で話を繋げる。

「でも、貴方も悠斗くんも個人情報の管理、甘くない⁈ もしかしたら私がファンのコたちに情報流すんじゃないか、とか思わないの?」

「流すの?」

「なっ、流すわけないでしよ!」

「じゃあ平気じゃん。」

うっ、と翠は言葉に詰まる。

本当は何故アドレスの登録内容を上書きしたのか聞きたかった。駿もそう聞いてくると考えていただろう。でもそれを聞いてしまった時の駿の返事が、自分にとって今1番求めている答えであり、それ以上に聞いてしまうと都合が悪い答えでもあると分かっている。

駿は不服そうにサングラスを外してカップの横に置き、深呼吸をして翠を見る。その 死ぬほどカッコいい、と声に出してしまいそうな駿に 翠は全身が痺れて目を反らせない。もしも今 彼に無理な事を頼まれたとしても、首は縦にしか振れないだろう。


遂に駿の口唇が動き、声が出る瞬間「お待たせしましたー‼」と元気良く古賀が走って来て、2人の間に張りつめていた緊張の糸がブツンと切れた。

「SHUNさん、早速ですが…どうしたんですか?」

そう言った古賀はカウンターに突っ伏している駿と、(にわ)かにレモンを切り出した翠を交互に見た。駿は恨めしい目で古賀を見て「さあ古賀くん、打ち合わそーじゃないか!」と、打ち合わせのテーブルに向かった。



古賀は分厚い予約台帳の12月を広げ、本題に入る。

「それでさっきの話の続き、ですよね?SHUNさん。いま思えば この前アキラさんが電話でスケジュール押さえてくれって言った時、途中で代わったのって…」

「うん、俺だったんだけど。ちょっと込み入った話だから他言無用で頼む。」

古賀は真剣な顔で頷いたが、すぐに何か思い出したように表情を変えた。

「あ、なんか誤解しといて欲しいって言ってたのは…」

「あーっ‼それはいい!今はいいんだ‼後でいい、先に仕事の話をしよう!」

古賀の質問を遮って一度(いちど)咳払いをし、改めて駿は事情を説明し始める。翠は今回の打ち合わせ内容が知っている話とはいえ、自分には聞かれたくない話も有るかもしれないと思い 有線をつけた。身振り手振りを加え 古賀に熱く語っている駿と、それを聞きながら何かを提案するように答えている古賀は『デキる男』の顔をしていて、翠は何だかその光景にときめいた。しかし、しばらく後にそのトキメキをぶち壊すような古賀の声がフロアに響く。

「えぇっ⁉Uさんのお姉さんが初恋の相手なんスか⁈」

ガックリと翠は項垂(うなだ)れたが、内容は気になる。今となれば有線がかなり邪魔だ。

「悠斗の姉貴って俺より九つ上なんだけどさ、すっげ可愛くて。初恋っつーか、中坊ん時憧れだったなぁ。ミスK大で、悠斗と大学までミスコン応援に行ったんだ。そのミスコンもレベル高くってさ、俺がK大行ったのはそれも関係有ったのかもな〜。」


「ちょっと良いですか⁈」


今の話に思わず翠はカウンターから出てテーブルの横に立っていた。駿と古賀は一体何事(いったいなにごと)かと翠を見上げる。


「もしかして悠斗くんのお姉さんって…曽我部(そがべ) 結花莉(ゆかり)さん?」

「そうだけど…あれ?翠さん知り合い?」


知り合いも何も 結花莉は翠の大学時代の先輩で、同じゼミにも参加していた為 交流があった。

…悠斗の名前を聞いた時に何故気付けなかったのだろう。しかも結花莉の家に行ったときに彼女の弟とは会っている。あれは悠斗だったんだ。その上、何?駿は何と言った?

翠は何から触れていいか分からぬまま、とりあえず口を開く。

「結花莉さんは私の先輩で、大学のゼミも同じだったの。…それよりさっきの話だと、駿さんもK大生だったってこと⁈ えっ?じゃあ、後輩⁈」

案の定 若干パニック気味で話し始めたせいで どんどん早口になる翠を、さらに上回る勢いで駿も混乱している。

「えっ、翠さんもK大⁈えっ?俺の先輩⁈」

「お2人とも、落ち着いて 落ち着いてっ。アキラさんもホラ、座って!」

古賀に促されるまま 翠はストンと椅子に座った。駿もあまりの事に次の言葉が出ない。

見兼ねた古賀が話を整理してくれる。

「つまり、アキラさんとSHUNさんはK大学の先輩と後輩。Uさんのお姉さんとアキラさんも同じく先輩後輩で面識があると。まぁ、SHUNさんとは在籍期間が被ってないからお互い知らなくて当然ですよ。」

「…そっか、先輩かぁ。はは、変なとこで共通点有ったね、翠さん。」

駿はどこか嬉しそうにそう言った。かなり驚きの事実だったので狼狽したが、自分にとって これは良い風向きだ。しかも悠斗の姉とも知り合いだと言う事は、今後話題にも事欠かない。


一方(いっぽう)翠はなぜ駿の初恋が話に出たのかは謎だったが、彼が大卒で しかも同じ大学だという事と、悠斗と面識が有ったという事が発覚し 翠は頭がこんがらがっている。


そんな中 すぐに古賀と駿が打ち合わせを再開してくれた為、翠も平静を取り戻して行くことが出来た。やがて仕事の途中だったと思い出してフラリと席を立ち、無言でカウンターへ戻る。

翠がカウンターの中へ入ったのを確認し、古賀がヒソヒソと駿に問いかける。

「で、SHUNさんはマジなんっスよね?」

「…そだな、さっき古賀くんに過去に年上女性と付き合った事が有るかって聞かれて初めて気が付いたんだけど、俺は多分 元々が年上好きなんだろな〜。」

照れ臭そうにはにかんだ駿に古賀はビシッと敬礼して見せた。

「了解です!オレで力になれる事は何でも言って下さい。あと、来月のライブの件も任せて下さいよ!…でも、ほんとにアレはオレなんかで良いんスか?」

カップに半分ほど残っていたコーヒーを飲み切って、古賀を上目遣いで見た駿は 不敵な笑みをうかべた。

「俺が良いと言った事だからな。誰にも文句いわせねーからさ。」

そう言った駿は 外していたサングラスをかけながらカウンターの方向を見たが、そこに翠の姿は無かった。

「あれ…」

フロアを見回すが気配も無い。

「古賀くん、翠さんは?」

ああ、と古賀は台帳を持って立ち上がりスタッフルームの方を見た。

「今から別の仕事があるから、着替えてんじゃ?また夜来てくれるみたいっスけど、準備だけ手伝うって言って早く来てくれたんですよ。」

「あ、ああ。さっき聞いた。ま、丁度いっか。…古賀くんは?ココの仕事だけなの?」

そう聞いてきた駿を すこし羨やましそうに古賀は答えた。

「オレ、将来的には親の会社継がないといけないんスよ。大学卒業してから2年ぐらいは親の会社で働いてみたけど、事情が有りまして。今は社会勉強を兼ねて、好きにさせて貰ってマス。」

駿は古賀の言い方に何処と無く迷いを感じた。自分の将来を考えて迷い、悩むのは人間なら誰しもなんだと再認識する。

「…そか、ウチは普通に親父はリーマンだから古賀くんの気持ち、簡単に 分かる って言えないけど、きっと大変なんだろうな。 でも人のこと散々 意外だとか言っといて古賀くんも大卒なんじゃん。どこの大学行ってたの?」

「T大学っス。」

「…T大、マジすか。」

古賀の返事がマサカの最高学府だった為 駿が絶句していると、スタッフルームのドアを開けてスーツ姿に戻った翠が出てきた。

「あれ、打ち合わせもう終わったんですか?」

「あ、終わりました!早くから来てくれて有難うございました。SHUNさんもお疲れ様でした。オレ今からやる事あるんで失礼します。じゃ、アキラさん、また夜待ってますね!」

古賀はそう言って会釈をし、翠と入れ替わりでスタッフルームに入って行った。ドアが閉まると翠は古賀から駿の方へ目線を移した。

スーツのジャケットを整え、駿は小走りで駆け寄り 翠の前に立った。

「仕事、何処まで行くの?何時から?」

「あ、今日は18時から代官山でなんだけど、準備が早く済んだから何処かで時間潰してから向かいます。」

「うん、分かった。じゃ行こう。」

スタスタと先に歩いて行く駿の後姿をその場を動かず翠はただボーっと見ていた。背後に気配が無い事に気付いた駿が振り返り手招きする。

「翠さん何突っ立ってんの?早く。」

「え?あ、はい。」

返事を聞いて、また駿は先々歩いて行く。言われるまま翠は駿を追いかけた。

ビルの玄関口に出ると駿は立ち止まり翠に ここで待っててくれ と何処かへ走って行った。意図が分からなかったが翠は素直に指示に従い 待つこと数分、目の前に黒いスポーツタイプの車が停まった。車の窓があいて、運転席の駿が顔を出す。

「近くまで送るから、乗って。」

翠は一瞬戸惑ったが、すぐに助手席の方へまわった。

ずっと駿の言動に振り回されている自分を情けなく思っていた。ちょっとした事に慌てたり、怒ったり、驚いたり、全くもって大人気ない。きっとどこかに自分を女性として見て欲しいという気持ちが有って、それがペースを乱している原因に違いない。その気持ちは捨てよう。そうだ、女は年齢を重ねると厚かましくなっていくもので、それは若い彼から見ればただのオバサン。対象外と見てくれればコッチも諦めがつくというものだ。

翠が助手席のドアを開け、シートに座ったのを意外そうに見た駿に翠は言った。

「なに?遠慮して断わると思ったの?」

強気な口調で翠が言うと、駿はまた翠の考えを見透かしたように笑った。

「いや、面倒臭く無くてイイ。愛想で言われた事には謙虚になるべきだが、好意には素直に甘えるのが正解。」

想定外の反応に、またしてもヤラレタ という顔で翠がシートベルトを締めると、駿はしたり顔でギアを入れ アクセルを踏んだ。




車が発進してすぐに翠は駿に話しかけた。

「送って頂けるのは有難いんだけど、駿さんは今から何処に行く予定だったの?」

遠慮無く車に乗ったものの、やはり翠は相手の都合が気になる。もし仕事だったとしたら、遅れたりしないかが心配だった。 察知したように駿はあえてカラッと答える。

「いま敦ん家が作業場でさ、そこで来月のライブの曲合わせとかチラシ作ったりとかしてるから行かないといけないんだけど、その前に一旦 (うち)に着替えに帰るんだよ。この格好は無いでしょ?それに俺が住んでるの、代官山なんだ。…安心した?」

「うん、安心した。」

安堵が伺えるその声に駿が横目で翠を見ると、彼女は真っ直ぐ前を見たまま微笑んでいた。そのきれいな横顔に駿の心は火がついたように熱くなった。

(おもむ)ろに駿は話し始める。

「…結花莉さんは、俺が中学ん時の憧れの人でさ。けっこうずっと好きだったんだけと、彼女大学卒業してすぐ結婚して海外に行っちまって。」

「そうだったね。なんか急で式もせずに行っちゃって、当時は私たちもビックリしたな。でも私も結花莉さんに憧れてたよ、綺麗だし性格もイイし、素敵な先輩だった。」

そこで会話が途切れ、赤信号で車は停止する。目の前の横断歩道を人の波が行き交った。

再び駿は会話を続ける。

「3年ぐらい前に、旦那さんが事業に失敗したのが原因で 結花莉さん離婚して子供連れて戻って来たんだよ。」

初めて聞く内容に翠は驚いた。

「知らなかった…。あ、じゃあ今はご実家にいらっしゃるの?」

「もう居ない。またフランスに行っちゃったんだ。」

「そっか…」

残念そうに翠はうつむく。信号が青に変わり、車を発進させながら駿が言った。

「俺のせいなんだ。」

「それは…どういう意味?」

翠に問われ、駿は言葉の意味を説明し始めた。


彼の話によると3年前、駿と結花莉は 彼女が離婚して実家に戻った時に10数年ぶりの再開を果たした。結花莉は年齢を重ねても変わらず魅力的な女性で、27歳になった駿にとって『初恋』という淡い憧れから一気に本気の恋愛へ転じるのは簡単な事だったようだ。駿は受動的に恋愛へ発展した場合はそうでも無いが、相手に夢中になると見境いが無くなり 非常に押しが強くなってしまうタイプらしい。勿論 結花莉も駿の事は憎からず思っていたが、9歳という年齢差にこだわった。女性からすれば当然の事で、しかも子持ちとなると自分よりずっと年下の男性の気持ちに答えるには勇気が要る。だが、そんな事 お構い無しに駿は彼女に自分を受け入れて欲しいという気持ちを押し付け、懇願した。しかし本気で結花莉を愛していたからこその彼の行動が彼女を傷つけ、結果 彼女は駿から逃げるようにフランスへ戻ってしまった。

悠斗の話では、結花莉が日本へ帰国した(しばら)く後に 別れた夫から復縁の話が持ちかけられていたそうだ。お互い嫌いで離婚したのでは無いのだから復縁は容易い事だったかも知れないが、確実に結花莉は駿に惹かれていた。フランスへ発つ前、彼女は悠斗に「年齢の事など無ければ夫の元へ帰ろうなど思わなかった」と泣きながら告げたらしい。


「…その話を聞いて、ああ、俺やっぱ結花莉さんからしたらガキだったんだなぁって思った。年齢差がウンヌンとかさ、思わせちゃった時点でアウトじゃん?振られた瞬間はフランス追っかけてっちゃおうかな〜とか考えたけど、悠斗の話聞いて、あ、こりゃ望みねーな!って分かっちゃって。」

そう話す駿に、ずっと黙って話を聞いていた翠がポツリと言った。

「追っかければ良かったじゃない、フランス。」

「え?」

「本気で好きなら追いかけるべきじゃない。そうすれば結花莉さんだって…」

そう言いかけて駿を見た翠は、彼の淋しそうな顔に言葉の続きを飲み込んだ。その翠の様子に駿は 辛い記憶を蘇らせて話したせいなのか そんな顔をしてしまっていた自分に気付かされ、1度咳払いをして気を取り直す。

「…とにかく、俺はもう同じ過ちは繰り返さない事にしたから。」

そう言うと駿は車を停めた。

翠は(にわ)かに心拍数が上がり、彼の方を向く事ができない。今の言葉はどういう意味なのか?予測することすら怖かった。駿はシートベルトを外して翠の背もたれに手を掛け、顔を近づける。

「あのさ、翠さん。ここ俺のマンションなんだけど…」

「えぇっ⁈」

狭い場所で限界まで自分から遠ざかった翠に、駿は吹き出した。

「何で笑うのっ⁈」

「だって翠さんの、その顔! だ〜いじょうぶ、取って喰ったりしねぇって。翠さんの職場もうちょい先でしょ?また戻るの面倒だから、10分だけ待っててくれる?」

翠の肩にポン と軽く触れて駿は車を降り、マンションに入って行った。しばらく翠は状況が理解できずにいたが、それを理解できた瞬間ダッシュボードに手をついて項垂(うなだ)れた。自意識過剰も(はなは)だしい、笑われて当然だ。何回同じ失敗で赤面すれば気が済むのかと翠が悔しさを反芻(はんすう)していると、後部座席で着信の振動が聞こえた。振り返り確認すると、後部座席のヘッドレストに掛かっているジャケットの胸ポケットが震えている。ああ、携帯が入っているのかとシートベルトを外して翠が手を伸ばすと、振動が止まった。

そこへ着替えた駿が戻ってきて車のドアを開けた。サングラスは掛けておらず、服装もカジュアルだ。

「すみません、お待たせ。翠さんまだ時間あるなら…ん?何かあった?」

駿は、携帯を取ろうとした体勢のままになっている翠を まるで珍獣を見るような顔で見ている。

「携帯が鳴ってた。切れたけど。」

慌ててカチャカチャとシートベルトを差し込みながら翠は後部座席を指差した。駿は運転席に座り、シートをリクライニングさせて 逆さまにジャケットからスマートフォンを取り出し着信を確認すると、すぐにそのままストンとポケットに戻してしまった。翠は気遣うように聞いた。

「折り返さなくていいの?」

「いいんだ。」

シートを戻してキーを差し、エンジンをかけて駿は車を発進させたが、しばらくしてからふと翠を見て思った。この人の事だ きっとまた気にしているんだろう と話す事にした。

「さっきの電話、うちのマネージャーから。最近ついたんだけど、うるさくって。やれ何処に居るのかだの、やれ何してるのかだの、細かいの何の。」

「そうなんだ。でも何か、マネージャーさんが付くって、さすが芸能人って感じ。…きっとすごく忙しくなるんだろうね。大変だと思うけど、私も影ながら応援します。」

まるで別世界の人間に向かっての社交辞令かのように言い、翠は作り笑いで駿の顔は見ずに軽く頭を下げた。それを視界の端で見て、駿もワザとらしい笑みで翠に言った。

「…そう、それはそれは。影ながら、ね。」

丁度そこでカーナビの目的地周辺という音声が鳴り、駿はハザードランプを出して車を路肩に止めた。

「有難う、助かりました。」

そう言いながらシートベルトを外そうと翠が左を向いた時、駿の視線に気付き目が合ってしまった。これはさっき『rock shooter』のカウンターで見たあの駿だ、と翠は手が止まり動けなくなる。

ところが、フワッと駿はその緊張感を払うように微笑んで言った。

「…翠さんはさ、もしかしてチョイ鈍感なの?」

「は?」

何を意味不明な事を言うのかという顔をした翠に駿は続ける。

「それとも、そういう作戦?あー、駆け引きとか?」

畳み掛けるような駿の言い方に翠は困惑した。

「ねえ、ちょっと待って。どういう意味?ちゃんと説明してくれないと何の事かが分からない。」

駿はハンドルに寄り掛かり、頬杖をつく。

「説明?しないよ。さっき言っただろ、俺は同じ事は繰り返さない。」

彼は一度軽く目を閉じてから強い瞳で瞼を開き、シートベルトを外して まるで彼女の全てを見透かすような鋭い眼差しを翠へ向けた。


「説明なんかしたら、アンタ逃げるだろ。」


翠は弾丸に撃ち抜かれたように心に激痛が走った。その痛みは頭の中にまで届き、やがて甘美に疼いて脳内麻薬を分泌させる。それが全身に染み渡っていく感覚に翠は怯えた。

「翠さんが鈍いだけだろうが、駆け引きだろうが、俺はどっちでも構わない。ただ、それが深入りしない為のバリケードだとしたら…」

頭の芯が麻痺しているのに駿の一語一句がくっきりと耳に入り、翠は高揚する気持ちとは逆に指先から体温が無くなっていく。

すると駿の大きな手がその指先に体温を与えた。

「悪いけど全力で撤去させてもらう。」

翠は何か言おうとしたが、すぐにキュっと口唇を真っ直ぐに結んだ。翠の指を握っていた手を離し、その手で無意識に駿は彼女の口唇に触れる。駿の顔が近付き翠が覚悟を決めたその時、駿は突然しかめっ面をして右目の(まばた)きを繰り返した。

「…あれ?痛てっ、ん?」

「え…なに?駿さん大丈夫?」

ピタッと瞬きを止めて両目を開き、駿は潤んだ仔犬ような目で翠を見る。

「コンタクト、落ちた…」

そのセリフに暫し2人は見つめ合い、やっと状況を把握した翠は慌てふためき辺りを見た。

「えっ⁈ヤバイんじゃ?運転できないじゃん、探さないと!」

アームレストの横などを必死に探し始める翠をよそに駿は両手で顔を(おお)って上を向いた。

「くっそ〜、何でこんなタイミングで…」

「何ブツブツ言ってんの、あなたも探しなよ〜。」

一生懸命下を見て探している翠を見て、駿は ふぅ と溜息をついて左目のコンタクトを外した。

「翠さん、ちょっとダッシュボード開けて。」

顔を上げ、駿を見てから翠はダッシュボードを開けた。中にはグラスケースが幾つも入っていて、1つだけコンタクトケースが入っていた。

「そのコンタクトのケースと黒い眼鏡ケースを取ってくれる?」

翠はそれらを駿に渡した。駿は左目から外したコンタクトをケースに戻し、眼鏡ケースから薄いブラウンの色がついているレンズが入った眼鏡を出して、それを掛けた。

「ありがとう、さっきの どうせ使い捨てだから探さなくていいよ。」

「ああ そう、良かった。そうよね、目が悪い人は眼鏡も持ってるよね。」

2人は照れ臭そうに微笑み合った。駿は車のエンジンを止めてドアのロックを解除し、外へ出て反対側にまわり助手席のドアを開けた。

「翠さんまだ時間有るんだろ?良かったらお茶でもどーですか。」

「…そうですね、ご一緒しましょうか。」

翠は車を降りて、駿の隣に並んだ。

この先またどんな風に気持ちを乱されるのかと不安は有ったが、今はもう少し彼と一緒に居たいというのが正直な気持ちだ。自分に向けられている駿のこの優しい笑顔が決して手に入らないモノだとしても、見ているだけで気持ちが満たされるのであれば、それぐらいは許される事だろう。翠はそんな風に思いながら、駿に並んで歩いた。



駿は翠と小1時間近くにあったオーガニック系のカフェで話した後、敦の家へ向かった。

「打ち合わせ、行って来たぞ〜。」

そう言って駿が玄関を入ると、他のメンバーは全員すでに作業に取り掛かっていた。敦はパソコンに、悠斗はタブレットにヘッドフォンを繋ぎ作曲していて、憲司はパソコンで配布用のビラを作っている。敦は駿に気付きヘッドフォンを外した。

「おー、お疲れ。シュンが行ってくれて助かったよ。お陰でもうすぐ編曲終わるわ。」

「そう?そりゃ良かった。あ、これ差し入れ。今日お前の彼女、実家帰ったって言ってたから。」

悠斗は駿が差し出した紙袋に飛びついた。

「やった〜!お腹すいてたんだ。…あれ?」

紙袋の中を覗いて眉をひそめた悠斗に、駿は不思議そうに中を覗いて尋ねる。

「なんだ?なんか変?」

「…変。駿がこんな小洒落たチョイス出来るわけ無い。誰が選んだの⁈」

悠斗は紙袋からベーグルサンドを取り出し、駿に突き付ける。

「それは…翠さんとお茶した店で買ったんだよ。これ美味しいよ!って教えてくれたから。」

すると憲司がパソコンのキーボードを叩きながら釘をさした。

「お、アキラさんてこの前の?お前堂々とデートしてんじゃね〜ぞ〜?橘さんにバレたらヤバイぞ〜。」

「違うよ!そんなんじゃなくって、その、たまたま!そう、たまたまなんだ!」

焦る駿を確実に憲司は面白がっている。駿は逃げるように 既にサンドイッチをパクついている悠斗の隣に座った。

「なぁ、悠斗。彼女、結花莉さんの事知ってたんだよ。」

「あ、話したの?それで、ぼくの事は憶えてた?」

悠斗の反応に駿は固まった。

「…え?お前、結花莉さんと翠さんが知り合いって事、知ってたのか⁈ しかも何?翠さんと会ったことあるのか⁈」

口の中のモノを飲み込んで、悠斗は駿の質問に答える。

「知ってたよ。昔、姉貴の友達が家に来るってんで名前が出て。そんで、てっきり彼氏かと思ってさ。ほらアキラって、男の名前と思ってたから。そしたら、来たのは可愛らしい女の人だったんだ。会ったのはその時だけだったから、この前『rock shooter』の非常階段で名前聞いて驚いたよ。」

「じゃあ最初から知ってたのか…。彼女もお前と結花莉さんが姉弟だって知らなかったみたいだったけど、言ってなかったのか?」

「いつ気付くかなぁ、って思って。あえて言う事でも無いしね。姉貴の名前出さなくても友達になってくれたし。ヒントは出したつもりだったけどね〜。」

ニコッと笑って悠斗はまたサンドイッチを食べ始めた。駿はいつも悠斗のそういう所が理解不能であり、羨ましくもあった。ただ今回、悠斗が翠に何も言わなかった事で、自分と彼女の距離が近付いたのは事実だと感じた。

「そうだな。口に出して言う必要が無い事だってあるよな。」

駿は悠斗の肩を軽く叩いて立ち上がり、敦の元へ行った。

「敦、『rock shooter』との打ち合わせ内容なんだけど…」

「ああ、そうだったな。皆1回休憩も兼ねてミーティングするぞ〜」

敦の号令で全員がダイニングテーブルに集まり、駿は詳しく古賀と話した内容を伝える。

当然 翠とのやりとりは除いて。


ミーティング後 各自作業に戻り23時を回った頃、憲司が駿にチラシの雛型を見せた。

「こんな感じでどうよ?あとは写真なんだけど…」

駿はそれを受け取り、字体やバランスを見ながら敦に声をかけた。

「写真ってさ、今日ここで撮るんだろ?」

「そのつもりで隣の部屋準備してるけど?カメラも知り合いに借りて来たよ、手元でシャッター切れるヤツ。」

その時来客を知らせるチャイムが鳴り、敦はインターフォンを取ると明るく対応してオートロックを解除した。

数分後、部屋のチャイムが鳴って駿が玄関のドアを開けた。

「お〜、お疲れ!悪いね、こんな時間から。丁度今から始めようと思ってたトコなんだ。」

駿はその客人を招き入れ、ドアを閉めた。




つづく



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