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TRACK,4

『トレジャーボックス』のライブから数日後、翠は以前勤めていた会社の最寄り駅近くのカフェにいた。せっかくの休日にも関わらず、辞めた会社の後輩である 安達(あだち) 玲奈(れな)に呼び出されたのだ。自身の休みが土曜日に重なるのはOLを辞めて依頼で、店内の人の多さにウンザリしつつも 少し懐かしい気持ちになった。

「主任、遅くなりました すみません~。」

久しぶりに会う玲奈は、相変わらずスレンダーな脚を堂々と出したミニスカートに、流行(はやり)のトップス、そして元々のハッキリした顔立ちにバッチリメイク、というまるでマネキンのようなスタイルで現れた。

「玲奈ちゃん、もうすぐ三十路だから、そろそろ落ち着いてるかと思ったけど 相変わらずね〜。あと、主任は止めてくれない?せめて先輩とかにしといてよ。」


翠が勤めていた会社は外資系の化粧品会社で、玲奈は翠が開発部の主任に抜擢(ばってき)された時に店舗勤務からチームに移動してきた若手ホープである。派手な外見とは裏腹に素直で真面目で、気持ちの優しい玲奈に たちまち開発部の男性はみな好意を寄せた。

…翠の婚約者、久保田(くぼた) 英和(ひでかず)も その1人だった。


カプチーノを注文し、一息(ひといき)ついて玲奈は切り出した。

「先輩、実は私、まだ英和さんとお付き合いしてるんです。すみません。」

玲奈は申し訳なくて言い出しにくい様子だったが、その報告を聞いても翠は全く何の感情も湧かなかった。

「そっか、逆に安心した。2人が気兼ね無く付き合えたなら 会社辞めて良かったって思えるよ。大体、玲奈が悪い訳じゃないじゃない?私と彼には縁が無かっただけ。」

プロポーズされ、両親に挨拶を済ませた後すぐ、翠が管理職になって忙しくなり その頃から英和との関係が上手くいかなくなっていた。彼の事よりも仕事を優先して、自分が忙しくイライラすると都合よく彼に当たり散らしたりもした。『他に好きな人ができた』 と言われた時も 悲しいという気持ちより先に 腹が立って彼を責め立てた。そんな怒りの感情しか湧かなかったのは、彼を愛してるから結婚したいという気持ちは無くなっていて、この年齢で結婚のビジョンが失われた事への焦りだけだったからかもしれない。

「今日先輩を呼び出したのは、私も気になっていたからと言うのも有るけど、英和さんが凄く心配してて…。」

「英和が?私を?」

「あ、そんな事言える立場じゃ無いのは彼も重々分かってますが、まさか会社辞めるなんて思って無かったから。」

言葉を選んで話す玲奈に翠は本心を言った。

「あのね、辞めた直接的な理由は確かに居心地が悪くなったから。だって、結婚予定ってのは周知の事だったし。同じチーム内でやりにくいでしょ、お互い。でも、それはただのキッカケであって 私が変わらず仕事に夢中だったら図太く居座ってたと思う。だけど少し前からやりたい仕事があったから、丁度良い機会かなって。」

「ホントですか…?」

玲奈は大きな目に涙を溜めて翠を見た。

「うん。まぁ、予定ではもう少し先で退職願を出すつもりだったけどね!」

冗談で嫌味っぽく言って翠はカフェオレを飲んだ。本当に玲奈や英和に対して妬む気持ちなど一切(いっさい)無く、むしろ2人がこんなに後ろめたい気持ちでいたなんて申し訳ないぐらいだった。

そんな翠の気持ちを汲み取ったように、玲奈も晴れ晴れとした表情でカプチーノをひと口飲む。

「やっぱり今日先輩と会って、ちゃんと話して良かったです。…ところで、その やりたい仕事はもうやってるんですか?」

「一応、ね。毎日じゃ無いけど。」

その時、はめ込みで壁一面ガラス張りの窓の方を見て 店内の女性客が数人ざわついた。翠はそれを気に止めることなく会話を続けようとしたが、その窓ガラスに背を向けて座っている翠に玲奈が後ろを指差して聞いた。

「…先輩、お知り合いですか?」

「え?」

ふと振り返ると、外にガラスに額をくっつけてこっちを見ている男性がいた。

「ひゃっ、何この人⁈」

翠と目が合い、男性はニコッと笑って見せた。ニット帽に薄い茶色のサングラス、カーキ色のパーカーに破れたデニム、翠はジッと顔を見る。

「…悠斗くん?」

初めて見るあまりにもラフな格好のせいで すぐに認識出来なかったが、間違いなく悠斗だ。彼は窓ガラスから離れ、パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま 軽快な足取りでカフェの入口へ向かった。ポカンとしている翠と対象的に玲奈は嬉しそうに言った。

「あの人、先輩の知り合いだったんですね?真っ直ぐコッチに道路渡って歩いてきて、急にそこに貼りついたんでビックリしちゃった。もしかして、新しい彼氏さんだったりして?」

「いや、彼氏サンだったら あんな事しないでしょ…」

手を振りながら店内に颯爽(さっそう)と入ってきた悠斗は、当たり前のように翠の隣の椅子に座りサングラスを外した。相変わらずの超イケメンぶりだが、目の下にすごいクマができている。

「遠目にもしかして?って思ってさ~。見に来たらほんとにアキラさんだったから驚いたよ。」

「悠斗くん…驚いたのはコッチです。こんなとこで何してるの?目の下すごいけど。」

「あ、この向かいがうちの事務所のビルだから。昨日から泊まりで作業してた。昨日メールでこの辺に来るって言ってたから会えるかな、とは思ってたんだけど。まさかココとはね。」

あの打ち明けの日の翌日、翠は二日酔いでフラフラの頭でカバンの中に悠斗の連絡先を見つけて、連絡するべきか悩んだが 礼儀として一応自分の連絡先をメールしてみた。するとその日のうちにレスが来て、それ以来何度かメールのやり取りをするようになったのだ。昨日も他愛ないやりとりの中 偶然今日の予定の話題が出たので、前の職場の最寄駅周辺で後輩と会うと確かに翠は言った。言われてみると『クラップエンタテイメント』という社名に聞き覚えがあったのは、15年間毎日通勤時このビルの前を通っていたからだ。

「アキラさん、彼女が後輩?きれーな人だねぇ。ぼく曽我部 悠斗、よろしく〜。」

「いえ、私なんて。そんな事は…。初めまして、安達 玲奈といいます。」

流石に言われ慣れた褒め言葉も、超イケメンに言われて玲奈も照れている。

「それより悠斗くん、仕事なんじゃないの?こんなとこでお茶してる場合じゃ…」

店内の数人は確実に彼が『トレジャーボックス」のUだと気づいていることを察知して、翠はさりげなく戻るよう促したが 悠斗はすがる様な目で言った。

「そうなんだけど、お願いちょっとだけ(かくま)って!今さ、曲作ってんだけどプロモーションとかのスケジュールもパンパンで。昨日から事務所に缶詰めで寝てないし、休憩すらないんだよお〜!」

翠以上にビジュアル系などの音楽に無関心の玲奈も、会話を聞いていて何と無く彼が一般人ではない事に気づいた。

「あ、前のビルって確か芸能関係の会社でしたっけ?悠斗さんてもしかしてアーティストの方ですか?すみません、私 (うと)くて…失礼しました。」

「全然!有名じゃないから。気にしないで、逆にそういう特別視される方が苦手だからさ。」

笑顔でそう言ってくれた悠斗に玲奈はまた赤くなっている。

「出た悠斗スマイル、すごいね。悠斗くん、敵居ないでしょ。」

意地悪く翠は言ったが、彼の言葉は本心だと分かっていた。彼が本当に天狗になっていない事はよく知っている。そうでなければ自分みたいな一般人と友達になろうなんて考えないはず。

悠斗は自分の前に運ばれてきたスムージーを飲みながら言った。

「あ、アキラさん今日はアロマの仕事も休みなの?」

「え?先輩、アロマ関係の仕事なんですか?」

驚いた様子で玲奈も会話に入る。

「うん。ほら、辞める前 会社でアロマフレグランス部門を手掛けたじゃない?あの時に これだ! って思ってね。すぐにスクール申し込んで講師のディプロマ取ったから、今は週に2〜3回カルチャースクールで教えてるの。」

玲奈は興味心身でどんどん前に身体を寄せて来た。

「じゃあ、悠斗さんはそこの生徒さん、とか?」

玲奈は意味深な顔で悠斗を見る。

「違う〜。ぼくはアキラさんがバイトしてるライブハウスに出演させてもらった時に。」

「ライブハウス??」

色々と噛み合わない会話に玲奈はついていけてないが、話が長くなるので翠は細かく説明するのを止めた。

「だからね、昼間はアロマ講師なんだけど毎日じゃないし、軌道に乗るまでは収入も安定しないでしょ。空いてる日に都合良く入れるバイトがライブハウスのドリンクサービスしか無かったの。」

我ながら簡潔に分かりやすく説明出来た、と満足している翠をよそに 玲奈が窓の外を見て固まる。

「え?なに?どうしたの…」

翠と悠斗は後ろの窓ガラスを振り返ってみる。

「ぎゃっ!」

2人は同時に声を上げた。

そこには有り得ないぐらいボサボサの頭に黒縁メガネ、パジャマのような上下スエットの上から羽織っているのは何故か革ジャンという、とんでもない姿の駿が仁王立ちでこちらをガン見していた。

固まっている翠たちを気にも止めず、駿はまるでスプリンターのような走りで 風のように店内に入って来て悠斗のパーカーの首根っこを掴んだ。

「やっと見つけたっ!てめぇ 悠斗、逃げてんじゃねーぞ!さっさと作業進めんかいっ!」

「ごめんって、戻るから!離せってほら、アキラさんビックリしてんじゃん〜!」

「なにがアキラさんだっ!…あれ?」

今初めて翠も居る事に気付いた様子の駿は思わず悠斗を離した。

「うわ、え?あの、どうして…」

固まっていた翠も我に返る。

「ああ。えっと……、偶然?」

そんなやりとりする間に店内のあらゆる箇所から携帯カメラのシャッター音が響く。彼等の所属事務所が向かいにあるカフェに、当然ファンが居ない筈はない。駿も悠斗も全く気にしていない様子だが、翠は1人焦って悠斗を立たせ 2人の背中を押した。

「早く、仕事戻って!ほらほら!」

「ちょ、翠さん、押さなくても行きますって!なんで俺が来た途端、そんな追い出すみたいに…」

納得いかないような言い方をする駿の首元を引っ張り、自分に近付けて小声で言った。

「あんたら携帯でパシャパシャ撮られてんの気付かないのっ⁈」

「いや、勿論 気付いてるけど別に…」

呑気な事を…。翠はハッキリと言っといてやろうと駿の頬を両手で抑え真っ直ぐ向き合った。

「あのね!普段の格好ならまだしも!2人共部屋着みたいな だらしないカッコして。頭もボサボサだし!そんな姿撮られて別に良いワケが無いでしょっ!自覚しなさいっ!事務所の人、そのまま外出るなって言わなかったの⁈」

「言われた…。」

面喰らった仔犬のような駿の目を見て、翠は先日酔ってからんだ記憶が蘇り またやってしまった と、手を離した。恥ずかしくて頬が熱くなる。

「あの…ごめんなさい。」

駿は首を横に軽く振った。

「俺の方こそ、その…」

その顔は徐々に耳まで赤くなり、翠の比では無くなっていく。それを見て悠斗は急かす様に駿の肩を押してテーブルの伝票を持ち、「ぼく、払うから~」とレジへ向かった。


彼等が会計を済ませて店を出ても、他の女性客が口々に なに?あのオンナ⁈とささやき始め、そんな店内の雰囲気に居心地が悪くなり翠や玲奈も出る事を余儀無くされた。逃げるように彼等後を追って店の外に出ると 申し訳なさそうな駿と悠斗が待っていた。

「あの、うちの会社の中にもスタッフ用のカフェがあるんだけど、俺たちが居たら入れるから…良かったら…使う?」

そう言った駿の顔が何故そんなに赤いのかが気になりながらも、翠は取り敢えず断わる事にした。

「そんな所に部外者がお邪魔できません。大丈夫、気にしないで。」

ところが、玲奈が会話に割って入った。

「え〜っ、先輩、お言葉に甘えてご一緒しましょうよ!だって時間的にどこのお店もイッパイだろうし、それに有名人にもっと会えちゃうかも?ですよ⁈」

浮かれたようにはしゃぐ玲奈に翠は違和感を感じた。何故なら彼女は、いつもは外見に似合わずミーハーな所は無く落ち着いている方だと思っていたからだ。


玲奈は駿に駆け寄り、女子力満点の笑顔を向けた。

「あの、ご挨拶まだでしたね、失礼しました。初めまして、私 坂上先輩の元部下で安達 玲奈って言います。」

「ああ、ご丁寧にどうも。田邊 駿です。」

つい(かしこ)まる駿の苗字がタナベなんだ、と 翠はぼんやりと聞いていた。

「じゃあ、ここでちょっと待ってて。」

そう悠斗が駿を連れ立って、受付にゲスト用のパスを取りに行った。すると急に翠のそばに寄って玲奈が口を開いた。

「先輩、私さっきまでは先輩と悠斗さんって良い感じだなって思ってたんです。でも、違ったんですね。」

何を言っているのか?という顔をして言われた意味を理解していない翠を見て、玲奈は呆れたように溜息をつく。そしてパスを持ってにこやかに走ってくる悠斗の後ろで、頭を掻きながらアクビをしている駿を見て呟いた。

「なるほど、じゃあ彼の方にウエイトが有るんだ…。」

「ん?玲奈なんか言った?」

よく聞き取れず、問いかけた翠に玲奈は何も言わず ニッ と笑って悠斗達の方に向かう。ワンテンポ遅れてしぶしぶ翠はついて行った。






『クラップエンタテインメント』の社屋(しゃおく)に入ると、1階のエントランスを抜けた先に中庭を含む一画(いっかく)がカフェになっていた。個室のようにガラス張りで区切られたスペースも幾つかあり、打ち合わせや商談に使用されている。翠たちはそのうちの空いていた1つに案内された。用途のせいかテーブルも10人は座れる大きなもので、やけにだだっ広い。悠斗はいち早く席について早速メニュー表を取り、眺めている。駿はエントランスに入ってからずっと誰かと携帯電話で話していて、少し遅れて入ってきた。

「…悠斗、何座ってんだ。戻るぞ。」

露骨に嫌な顔をする悠斗を無視してメニューを取り上げ、駿はカードのような物と一緒にそれを翠たちに渡した。

「カフェのスタッフには「俺たちが待たせてる」って言っといたから、ゆっくりしてって下さい。このプリペイドカードしか使えないから、これで好きなのカウンターで頼んで。帰る時は…悠斗の携帯に電話下さい。すぐ来るから」

悠斗は口を尖がらせてかぶせ気味に駿に言った。

「ぼく、今日携帯ない。」

駿はガックリと肩を落とした。

「どうりで何回かけても留守電になる筈だよ。てっきり出たくないから電源切ってんのかと思ってたけど…。あ、じゃあ翠さん、番号言うから今かけて。」

そう言われて翠は慌ててカバンから自分のスマートフォンを出し、駿が言う番号をタップした。駿の手の中でバイブが鳴る。

「俺の番号なので、帰る時はコレに。」

「わかりました…」

「うん。じゃあ、悠斗行こーぜ。」

駿はそのまま電話を切り、何かの操作をしながら出て行った。悠斗は続いて出て行こうとしてドアの前で立ち止まり、振り返ってニヤリと笑い デニムの後ろポケットから電源を切ったスマートフォンをチラリと出して翠たちに見せ、何食わぬ顔で駿の後を追って出て行った。


「悠斗くん携帯持ってないなんて嘘ついて。よっぽど出たく無かったのね。」

何気無く思った事を口にした翠に玲奈はつい大きい声を出した。

「えっ⁈マジですか?先輩ほんと鈍すぎます‼」

「ビックリした、急に大っきい声出さないでよ〜。」

「出しますよ!さっきから当事者のくせに何言ってるんですかっ。悠斗さんは先輩とあの駿さんって方を取り持とうとしてるんですよっ!だから番号交換させるように仕向けたんでしょ?」

…翠は次のセリフが直ぐに出なかった。そういえばずっと悠斗は駿が居る場所に自分を(いざな)っていたように思える。考えを巡らせるうち、翠は急にボンヤリしていたあらゆる感情や出来事の輪郭が見えてきて動揺した。

そんな翠を見て、玲奈は優しい口調で言った。

「…先輩、私には駿さんが先輩に好意持っているように見えます。先輩も彼が気になるんじゃないですか?」

翠は手に持ったままのスマートフォンを握り締める。

「正直、気にならない…と言うと、嘘になる。でもね、気になるからって何にもならない事だから。まして私に好意を持ってなんかないよ、優しい人なだけ。」

「どうして?何も始まってもないのに、もう諦めてるんですか?」

熱くなっている玲奈とは反対に、翠はどんどん冷静になっていく。

「…何も始まらないよ。彼はこれから有名になっていく人だし、それに私は彼よりだいぶ年上だし。もっと若くて可愛い()との出会いは必然じゃない?私はもう遊びの恋愛に注げる労力も時間もないの。」

玲奈はさらに熱くなった。

「絶対シュンさんは先輩のこと気になってます!彼は遊びなんかじゃなくて、本気かもしれないじゃないですか⁈」

「それが事実なら尚更(なおさら)、恐いよ。」

言葉とは裏腹に、真剣に熱くなる玲奈を 羨ましい、と翠は思った。好きという気持ちだけで能動的に行動できた自分も過去には存在した筈なのに、いつからか失敗を恐れて踏み出せないようになっている。

「玲奈、とりあえず話は後で。先にコーヒー頼みに行こう。」

はた と玲奈も自分が必要以上にお節介な事を言っていると気づいた。

「あ、そ、そうですよね。じゃあ、私取って来ます。先輩、何にします?」

「喉乾いたからアイスコーヒーにする。私はお言葉に甘えてトイレ行ってくるね。後で駿さんにお金返すから値段を…」

最後まで言わすまいと玲奈が遮る。

「シュンさんは、(おご)ってくれたんですっ。お金なんか返したら彼、キズつきますよ!」


それがモテる女ゆえのセリフなのか、それとも彼女の言うとおり自分が男心を分かってなさすぎなのか…。翠はトイレへの道中、そんな事を考えていた。



翠がトイレから出ると、カバンの中で携帯が鳴った。取り出して見るとディスプレイにはついさっき登録したばかりの『SHUNさん』と出ている。

「はい、もしもし。どうしたんですか?」

「あ〜、すみません、そっちにウチのメンバー行ってませんか?こっちに居なくて。さっき電話で翠さん達とそこに居るって言ったから、もしかして入れ違いになったのかと…。」

電話とはいえ、今しがた玲奈に自分の気持ちを告白した後で 翠は妙に意識してしまい、柄にもなくしどろもどろになった。

「えと、さっきは居なかったけど、今わたしトイレに行ってて。カフェの中にトイレ無いのでゲスト用がカフェ出た通路に有るって言われたので、今は居るかどうか分からなくて、まだトイレの前で…」

プッ、と電話の向こうで駿は笑った。

「あんた何回トイレって言うんだよ。」

「うっ…」

翠は今すぐ穴を掘って入りたいぐらい恥ずかしくなり何も言えなくなった。

「じゃあ もしそっちにウチのが行ったらさ、俺ら戻ったって伝えて。」

「…はい。」

「それと…あのさ、翠さん」

「…なんでしょう。」

今すぐ電話を切って逃げたいぐらいの翠は、この上さらに何を言われるのかと身構える。

「その…この前は、相談に乗ってくれてありがとう。悠斗にだけなんだけど、悩んでた事 言えたんだ。背中押してくれて…ほんと、感謝してる。」

その優しい声に翠はやっと落ち着いて話せるようになった。

「私は…何も。余計な事を言って申し訳なかったな、って思ってた。でも駿さんがちゃんと言えたんなら良かった。」

駿からは本当に気持ちが軽くなったのが話し方や声だけでも伝わって来る。

「うん。悠斗は俺の話聞いて 理解してくれた。反対はされなかったよ。」

「そっか。…でも悠斗くんてビジュアル系、似合ってるけどネ。あ、私もファンの方と同じで駿さんのビジュアル系、カッコ良い!って思ってるよ。でも、そんなにやめたいなら仕方ないと思うし。後のお2人にも ちゃんと話できたら良いですね。」

その時、翠の耳から携帯が離れた。明らかに他人の手が自分の手と重なるのを感じて背筋が緊張する。

「駿、いまの話 なんだ?」

自分の手の甲ごと耳に携帯をあてる憲司と、その後ろで煙草を口に咥える敦の姿を見て翠は背筋だけでなく全身が硬直した。

憲司に駿が何と言ったのか翠には分からなかったが、敦が憲司を介して指示する。

「とにかく、集合しよう。その部屋 禁煙だから降りて来てくれ。」

通話を終了し、憲司は翠の手ごと掴んでいた事に気付いてパッと離した。

「あーっ!痛かったでしょ?ゴメンなさい。」

無かった事にするかの様に 赤くなった翠の手の甲をさすっている憲司を、翠はただ呆然と見ていた。

不覚だ。駿が自らの口で伝えるべきことだったにも関わらず、自分の不用意な発言から事実が発覚したとなれば無関係を装うことは出来ない。

そんな翠の心情を悟ったのか、敦は咥えていた火のついていない煙草を胸ポケットに入れて、翠に話し掛けた。

「この前打ち上げでお会いしましたね、アキラさん。悠斗からよく貴女のことは聞いてますよ。今の件は内輪の事ですから、どうか気にしないで下さいね。」

そんな事を言われても「ハイそーですか」と去るわけにもいかず、翠はどうしたら良いのか分からなかった。

そこへ猛ダッシュで駿がやってきて憲司の肩を掴み、開口一番に言った。

「悪かった!でもこの人は関係ねぇからっ‼ 翠さん、ごめん。戻って良いから!」

翠はその勢いに圧倒されて頷く事しか出来ずにその場を離れた。後から来た悠斗と目が合ったが、声をかける事も無く足早にすれ違うだけだった。


悠斗はその場で翠の背中を見送った後、気怠(けだる)そうに3人に向かって来て幼馴染みの駿ですら見た事のない冷たい表情を見せた。

「…彼女はぼくの友達だ、って お前らに言わなかった?何であんな顔させんだよ。」

いつも穏やかでのんびりと話す悠斗とは思えない、はっきり不愉快だと理解できる口調。そんな悠斗を初めて見た3人は戸惑ったが、駿が口火を切る。

「その事は謝る、俺のせいだ。翠さんには後でちゃんと説明する。」

憲司も駿を庇うかのように続けた。

「元はオレが彼女と駿の電話を立ち聞きしたのが悪いんだ。いや、ほんと悪気は無かったんだけど聞こえちまって…。会話の内容 理解した途端、なんか自分でも気付いたらアキラさんのスマホ取っちゃってて…」

黙っていた敦がそんな2人を見て、ゆっくりと口を開く。

「…決定打はおれだよ。内輪の事だからカンケー無いみたいに言ってしまった。フォローのつもりだったが、彼女の立場で考えたら軽率だった。すまん。」

3人がそれぞれに申し開きをし終わると悠斗は今までの表情を一転し、いつもの見慣れた穏やかな表情(かお)になって いつもの口調で言った。

「そっか、みんな分かってんじゃん。それなら大丈夫だね〜。じゃ、行こっか。」

「え?どこに?」

3人は揃って悠斗を見る。悠斗は一瞬だけ不思議そうな顔をしてから、得意の悠斗スマイルを見せた。

「カフェでしょ?大体こんな通路で話せる内容じゃ無いじゃ〜ん。アキラさんとレナちゃんが居る個室広いから借りようよ。他人が居た方が冷静に話せるでしょ。」

そう言って悠斗は1人 スタスタとカフェに入って行った。敦は駿に「あいつ、怒るとこえぇな。」と笑い、悠斗の後に続いた。憲司と駿は少し ばつが悪い顔で互いを見て、歩きだした。

「…駿、オレさ、まだ詳しく聞いて無いからわかんないけど お前の意思を無下に否定したりはしねーよ。」

「俺も憲司がそんなヤツとは思ってねえよ。」

突然、憲司は駿の前に回り本心を吐き出した。

「オレは、お前が悩んでたなんて知らなかった!なんで言わなかったんだ⁈それがなんか腹立つんだよっ‼」

駿は言葉を絞り出そうとしたが、謝罪の言葉しか出てこない。憲司は辛そうに呟いた。

「仕事仲間以前に、友達だろ…」

目を伏せて駿は一度深呼吸をし、憲司に自分の気持ちを伝える。

「そうだ。友達だから、仲間だからこそ言い出せなかった。今まで俺たちで創り上げたものを裏切るような気がして…すまない。」


最後の言葉と共に頭を下げた駿の肩を軽くパンチして憲司は駿を引っ張るようにしてカフェへと入った。




つづく












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