DISC 2 TRACK,12
夏フェス当日。
数日前に退院したばかりの駿は、まだ声を存分に出す事は出来ないものの 病院から脱出できた事自体にテンションが上がり、朝からすこぶる元気だ。出番間際にも関わらず野外ステージから少し離れた簡易の控室で楽しげにギターを鳴らしている。
「駿、体は元気なんだから本番ギターちゃんと弾けよ?」
憲司はそう言って自分は未だ歌詞を復唱している。
その姿に不安を覚えながら、敦は機材を触っている悠斗にペットボトルを差し出した。
「ケンジ大丈夫かなー。目の前に譜面台でも立ててやろうか。」
「うわ、カッコ悪〜。そんなケンちゃん見たら今まで確保して来た女の子、みんな逃げちゃうよ。」
悠斗はペットボトルを額に押し当て笑う。敦もペットボトルを首に当て、笑った。
「それは願ったり叶ったりだ。あ、今日来てんの? 愛梨ちゃん。」
「来てないよ。なんか仕事で地方にいるんだってさ。」
そうか、と敦は視線を落とした。
「…ゆーと、お前さ、」
「ATSUSHIさーん! ちょっと良いですか?」
敦は何か言いかけたが、イベントスタッフに呼ばれ楽屋から出て行った。
「…?」
悠斗は敦が何を言おうとしたのか気になったが、後でまた訊こうと機材のチェックに戻った。
「真夏の野外フェスって、私には向いてない。」
玲奈はシロップ無しのかき氷を頬に当て、木陰から出ようとしない。
そんな玲奈を景子は引きずり出そうと必死だった。
「安達さんっ、折角来たんだから次の会場行きましょうよっ! 人がわざわざチケット取ってあげたのにっ。」
「…あなたが「主任に昇進したお祝いです」って勝手に連れて来たんじゃない。だいたい、コッチは嬉しか無いわよ、あんな男ばっかの部署なんて。」
玲奈は先日の人事異動で不本意な部署に移動になった上、責任ある立場を与えられた事を不満に思っていた。
しかも景子に無理矢理この炎天下、よりによって『トレジャー ボックス』が出演するイベントに付き合わされ憂鬱さは更に増した。
「…向こうはステージの上だから鉢合わすコトは無いだろーけどさ。」
最後に悠斗から与えられた傷が今もまだ癒えない。互いが同化して混じり合う感覚に陥った事実も消えない。
「安達主任っ! 置いて行きますよ⁈ 」
結局 玲奈は、キンキン叫ぶ景子に引き摺られて『トレジャー ボックス』のステージを観る羽目になった。
駿が歌えないのは 既にマスコミを通して発表されているため、観に来ているファンに大した動揺はない様子だ。
駿は憲司の背中を叩いた。
「たのむよ〜? ケン。お前にかかってるからな! 」
「駿、余計なプレッシャーを与えんでくれ…。」
口ではそう言いながら、憲司はヤル気に満ちて武者震いしている。
敦と憲司は拳を合わせ、それに駿と悠斗も拳を重ねた。
安心したように笑って駿は悠斗に肩を組み、落ち着いた声で言った。
「…悠斗、頼んだぞ。 大丈夫、アレはお前の曲なんだから。」
「そうだね、ぼくたちの曲だ。反響はどうであれ、やるだけやってみるよ。」
イベントのMCに合わせて『トレジャー ボックス』はステージに向かった。
玲奈がステージ前に着くと、演奏が始まるや否や観客の熱気は凄かった。
ステージ上で駿は向かって右側で「×」の付いたマスクをしてギターを弾いていて、センターで憲司がベースとボーカルを兼任している。
「安達さん、KENすごいカッコ良いですねっ!歌も上手い〜。」
「そうね。」
確かに景子の言う通りセンターに立つ憲司はいつにも増してカッコ良い。
しかし、玲奈の目は自然に悠斗に向けられる。
「…あれ? 悠斗君、今日は女の子じゃ無いんだ? 」
いつも音楽誌に載る時やテレビで演奏している時などは必ず女装だった悠斗は、今日は妖しいぐらいに男前だ。
4曲目が終わって、この日初めて目の前にあるスタンドマイクを駿は掴んだ。
「今日はみんな来てくれて有難う。こんな静かにしか喋れなくてゴメンナサイ。僕を暖かい言葉で励ましてくれたファンの皆様と、自己管理が出来ていないのを責めずにフォローしてくれたメンバーに感謝してます。」
観客は駿の声を聴けると思っていなかった事もあり、口々に声援を送る。
玲奈も思った以上に綺麗な駿の声に安心した。
「…有難う。じゃあ、次がラストです。え〜、実はまだ何処にも出してない出来たてホヤホヤの新曲です。それでは行きましょー『BackStage Lovers』。」
駿のギターと同時に会場にピアノの激しい音色が響く。
イントロが終わり、センターの憲司と駿は入れ替わる。まさか駿が歌うのかと思いきや、驚くことに歌い出したのは悠斗だった。
その意外性に会場は一気に盛り上がりを見せる。
「きゃあっ! ユウやっぱ超かっこいー‼ 」
景子は奇声を発して飛び跳ねた。
悠斗の初めて聴く歌声に玲奈は息をするのを忘れる。伸びやかで流暢な英語の歌詞と、あの日 悠斗が自分の目の前で弾いていたのと同じピアノの音色とが心の傷を癒していく。しかし、この癒しの後はまた更に傷付けられるのではないかと玲奈は怖くなった。
それでも悠斗から目を反らす事が出来ずにいると、人垣の間で彼と目が合った気がした。
…気のせい? まさかこの人混みで自分が見えている筈が無い。
玲奈はそう思ったが、悠斗はずっとこちらを見ている。メンバーの方すら1度も見ずに、明らかにこちらを見ているのだ。
「…私が、見えてるの…?」
途端 胸が苦しくなり、早鐘のような心音が全身に響き渡る。
まるで自分に向かって歌っているかのような悠斗に心は乱され、あまりの動揺に玲奈の頭は考える事を放棄した。
曲のクライマックスに来て突如ステージ装置のキャノン砲から炸裂音と共に金と銀の紙テープが噴き出した。
その音で玲奈は目が覚めたように視界が広がる。
舞い落ちるテープを観客が取り合う中、玲奈の肩にもそれが落ちて来た。
見るとテープには何か文字が書いてある。
「…え? これ直筆⁉ 」
周りを見ると、テープの中には 等間隔で『トレジャー ボックス』、『thx』、そして駿のサインが油性マジックで書いてあるものが混じっている。
観客もそれが分かると地面に落ちたテープさえ奪い合って拾った。
玲奈はそんなリアルな光景に、さっきまでの感覚が夢の中の出来事だったように思えた。
演奏が終わると、メンバーはステージに並んで手を繋ぎ、腕を挙げた。
拍手と歓声の中、ステージの袖に向かう悠斗を目で追っていた玲奈は再び彼と目が合って硬直する。
やはり気のせいなんかじゃ無い。
そう確信した瞬間、間違いなく悠斗は玲奈に向かって今だ嘗て見せた事の無い無邪気な笑顔を見せた。
その笑顔に玲奈は息が詰まる。
「…悠斗くん、もう許して。これ以上好きになりたくないよ。」
玲奈は景子を連れて、逃げるようにその場を立ち去った。
ステージを降りた悠斗は突然走り出し、観客の前に出る非常扉に手を掛けた。
それを見た林は慌てて悠斗の手を押さえ込む。
「ユウさん、今出たらダメです‼ 観客で圧死しますよ⁈ 」
その声で悠斗はゆっくりと自分を取り戻していき、林を見た。
「あ…ああ、解ってる。…戻るよ。」
ふらりと林の手から離れ悠斗は歩き出した。
最後の曲を歌い出して直ぐ観客に目をやって、悠斗のその瞳は あの人数の中まるで精巧なカメラのように玲奈の姿を抜いた。
いつものように自分を真っ直ぐ見つめてくる彼女から目が離せないまま曲が終わり、自分の中に絶対的な玲奈の存在が有る事を認めざるを得なかった。
「…今直ぐ忘れようなんて、無理な事するからダメなんだ。そうだよ、別に会わなくても、触れ合え無くても、想うだけなら良いじゃないか。」
思いを口にしがらフラフラと歩いていた悠斗は、以前駿に向かって自分が吐いた台詞を思いだす。
「駿、それは自制じゃなくて ただ無闇に自分を緊縛してるだけだ。」
そうだ、だから禁断症状の度に玲奈と会う事で余計に気持ちがリバウンドする。
悠斗は止むを得ずではあるが、自分の中で何か1つでも許さない事には もう前に進むことすら出来なかった。
玲奈を求め続ける心と身体を慰める術はそれしか方法が無かったのだ。
2日後、悠斗は久しぶりのオフだったが、地方から帰って来た愛梨に誘われて食事に行く事になった。
悠斗にとって彼女と付き合う理由は、もはや義務と謝罪の意味しか持たなかったが、それはどうしようも無い。
しかし悠斗には気にかかっている事がある。愛梨は側に居るだけで良いと言ったが、当然 本心では無いだろう。では、彼女を思うなら逆にこの関係は続けるべきでは無いのではないか。
そんな事を考えながら、悠斗は玄関のドアに手をかけた。
「…それはテイのいい言い訳か。」
悠斗は呟いて鍵を閉めた。
「付き合ってから、まだ3〜4回しか会ってないね。」
愛梨は不服そうに口を尖らせる。
「それは仕方ない。お互い忙しいからね〜。」
「ユウさんメールのレスも素っ気ないしさ〜。」
「…メール、苦手なんだ。」
悠斗は軽く躱したが、自分が愛梨と会う時間を作る努力をした記憶が無い事に気が付いて一瞬食事の手が止まる。
それでも平静を装い、愛梨に微笑むと彼女は頬杖をついて悠斗を見た。
「ねぇ、今日 ユウさん家に行っても良い?」
悠斗は視線を1度落としてから、愛梨を見る。
「…イイけど、ぼく実家だよ? 」
「えぇっ⁈ そーなの? 知らなかった。何で1人暮らししないの?」
「家族を、大事にするタイプだからねぇ。」
こうして嘘八百並べてみるのは、つまらない駆け引きよりもずっと滑稽だ。
悠斗はいい加減 自分に嫌気がさして吐きそうになる。
そこへ悠斗がさらに嘘を重ねるのを引き止めるように携帯が鳴った。
ディスプレイを見て電話を取り、悠斗は「掛け直す」と言ってすぐに切る。
「ごめん、マネージャーから電話だ。ちょっと折り返し してくるね。」
「うん、待ってる。」
悠斗は愛梨を個室に残し、通路に出て人目に付かない場所を探す。
丁度 通路を曲がった先に外の非常階段へ出る扉が開いるのが見えて、悠斗は外に出て電話をかけた。
林に折り返し電話をしながらふと階下の踊り場に何か白い物が落ちているのが見えたが、別段気には留めず電話を終えて悠斗は通路に戻った。
途中、通路を曲がる手前で人の話し声が聞こえて立ち止まる。
通路で女性と男性が何か話している。
「トイレには居なかったです、どこ行ったんでしょー?」
「安達さん携帯持ってるかな?」
「いえ、多分持って無いと思います。だって玲奈さんハンカチだけ手に持ってってましたし。」
素顔の悠斗は出るに出られず立ち聞きする形になったが、会話の内容に神経が集中する。
安達、玲奈?
それってやっぱり、あの?
そう理解した途端、先ほど非常階段で見た白いモノがミュールだったように思えた。
…嫌な予感がする。
悠斗は非常階段へ引き返して下の階に降りた。
踊り場に目をやると、そこには女性がうつ伏せに倒れている。
「ウソだろ…」
階段から落ちたのかと慌てて駆け寄り顔を見たが、玲奈は倒れているのでは無く どうやら眠っているようだ。
「…脅かすなよ〜…」
何処からも出血が無いことを確認して力が抜けた悠斗は、その場で膝を付いた。が、同時に腹が立って来る。
「…おい、そこの酔っ払い! こんなトコで寝てんなよっ。」
その声に玲奈は薄っすらと眼を開ける。ゆっくりと上体を起こし、悠斗を見た。
「寝てませんし、酔ってもいませんので、ご安心下さい。」
やたら滑舌良く言って、玲奈はまた横になろうとする。
「おいおいおいっ!寝るな‼ 」
悠斗は玲奈の肩を掴んで、倒れて行く身体を起こした。
背中を支えながら目を閉じている玲奈の頬をピタピタと叩いて声をかける。
「ほら、みんな心配してキミを探してるんだから!今直ぐ戻りなさい! 」
悠斗はそこに転がっていた白いミュールを履かせる。
「ふふっ…」
「何笑ってんだ、しっかりしろよ。」
突然目を見開いて玲奈は悠斗を見た。
「悠斗君って、やっぱり何考えてんのか分からないね。優しいの? 冷たいの? 本当はどっち?」
悠斗は怯んだが、明らかに酔って絡んでくる玲奈のパターンだと適当に相槌をうつ。
「そうだね〜、どっちだろーね? そんな事より早く立って…」
「ねえ、私の事 怒ってるって…許さないって言ったくせに、何で私をあんな風に見るの? 息が出来なくなって辛い。悠斗くんの目が、私を想ってくれてるみたいに錯覚してしまうのが辛いの。…それとも、実際に私のこと、好きなの? 」
いきなりの玲奈の発言に悠斗は固まった。あまりにもストレートに質問されて玲奈の顔を見ることが出来ない。
しかし次の瞬間 自分の手にかかる重みが増して、悠斗は気付いた。
「あっ! お前っ⁈ ただ酔って変な事 言ってるだけじゃん! 」
再び寝そべろうとしていた玲奈はニヤリと笑った。
「うふふ…今頃気付いたか。そうよ、変なの。なんかね、ふわふわしてる。多分、これは夢じゃないかな。だから悠斗君が出てきたの? ね、やっぱり私の事好きなんでしょう? とっくに知ってんだから白状しなさいって。」
玲奈は悠斗の腕を這い上がりベッタリとくっついた。
「ちょっとぉ! 頼むからしっかりしてくれよー!」
理性を保つ為にも引き剥がそうとすると、玲奈は悠斗の顔に手をかけた。
「…悠斗君が私のこと、本当はどー思ってんのか ちゃんと言って。 」
「ああっ、もう! 言ったら困るのはお前だろ⁉ 」
「…困らないよ。」
玲奈は悠斗の首に腕を回してキスをした。
肩を掴む手に力が入る。
これはヤバイ、と悠斗は頭で解っていても、手が勝手に玲奈の身体を引き寄せてしまう。
徐々に熱く口唇を求め合い、耳を擽る玲奈の吐息に悠斗は我を忘れた。
突如 ガン! と響いた金属音に悠斗はハッとして身体を起こした。音のした方を見てみると、どうやら自分のスマートフォンが胸ポケットから落ちたようだ。
悠斗はそこで初めて玲奈の手がシャツの中で自分の素肌に絡まり、自らの手も玲奈の身体を直に触れている事に動揺する。
「…危ねっ‼ 」」
こりゃイカンと悠斗は慌てて柵に凭れかかっている玲奈の たくし上げた服を直して、スマートフォンを拾った。玲奈はまだグラグラと揺れていて、瞬きの回数が増えている。きっと、今起こった出来事も理解していないに違いない。
「うっ…。これは、止むを得ないか…。」
悠斗は自分のはだけたシャツの胸元を留めると、後ろを向いて 玲奈の両手を肩にかけ腰を上げた。
おぶったのは良いが、ここからどうするべきかと悠斗は悩んだ結果 素直に返却しようと階段を昇った。
通路に出ると、前から女性2人が悠斗の背中の玲奈を見て駆け寄って来た。
「安達主任⁉ 大丈夫ですか⁈ 」
片方の女性は慌てて誰かを呼びに行き、もう1人の女性が玲奈の肩を叩く。
誰かを呼びに行った女性は男性を1人連れて来て、やって来た男性は悠斗に尋ねる。
「彼女、何処に⁉ 」
「…階段に落ちてたので、拾って来ました。」
そう答えた悠斗はこの男性を見たことがあるように思ったが、すぐに思い出せない。
「それは申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました。」
悠斗は玲奈を降ろして彼に渡した。
玲奈を支えて会釈をしたその姿に悠斗はこの男性が玲奈の彼氏だと思い出して、少し後ろめたい気持ちになる。
「いえ、放っておくのも気が引けたんで。じゃあぼくは、失礼します。」
様子を見に来た玲奈の会社の女性たちが自分に気付いてザワつきだしたのを見て 悠斗はその場を去ろうとしたが、前からはこちらの様子を伺いながら愛梨が歩いて来る。
「あ、ユウさん! 遅い〜! 」
それを見た悠斗は急いで愛梨の元へダッシュして肩を抱き、方向転換させて自分達の個室に向かった。
後ろは当然 週刊誌の記事は事実なんだと 余計ざわついたが、愛梨に玲奈を見られるよりはマシだ。
個室に戻ると愛梨はむくれてテーブルにつく。
「何してたの? 電話そんなに時間かからないでしょ〜⁈ 」
「ゴメンね〜。」
「人がイッパイ居たけど、何だったの?」
「うん、まあ…。あのグループの酔い潰れたメンバーを拾っちゃって。」
悠斗はグラスの水を飲んでテーブルに置き、自分が口を付けた所が薄く色付いたのを見て指で拭う。
何気無い素振りで自分の口元を手の甲で押さえた悠斗に愛梨はニッコリ笑った。
「で、それは口紅? いや、グロスかな? 」
「…さあ? 暗くて分かんなかったな。」
悠斗もニッコリと微笑み返す。
「別に良いけど〜? ね、誰とどんなキスしたの? 」
なかなか逞しい愛梨に悠斗は感心して、優しい声で言った。
「…酔っ払いに絡まれた、交通事故みたいなキスだよ。」
まあ、嘘は言ってない。
悠斗は食事の続きを始めた。
食事を終えて、悠斗は事務所に呼び出されたと言って愛梨をタクシーに乗せた。
「じゃあ、また近いうちに会おうね? 」
「…そうだね。」
ドアが閉まり、運転手に待つように言って愛梨は窓を開け手招きする。
「ねえ、ユウさん。」
「なに?」
悠斗が屈んで顔を近付けると 愛梨は真剣な目を悠斗に向けた。
「私、別れないからね。」
「え…?」
愛梨はニッコリ笑うと、手を振りながら窓を閉めた。
悠斗は何か違和感を感じながら遠ざかるタクシーを少し目で追って、携帯をかざし始めた黒山の人だかりを越える。
「…君は先手を打つ天才だな。」
悠斗は別のタクシーに乗り、林の待つ事務所へ向かった。
事務所の1階にあるカフェで悠斗は林と待ち合わせをしていた。
カフェに入ると、個室になっているブースのドアの窓の向こうで林が手を挙げる。
悠斗は小走りで向かって行って勢い良くドアを開けた。
「ヤバい ヤバい、ヤバイ! ぼくヤっちゃったよ‼ 」
入ると同時に悠斗は心の声を上げる。
「…なにを? 」
その声にギョッとした悠斗が見たのは林の向いに座ってキョトンとしている憲司だった。
「うわっ⁈ ケンちゃん、何で⁈ 」
「何でって…。降りて来たらここに林くんが居るの見えて、ちょっと話してた。」
「あっ、そうなんだ…」
バツが悪い顔のまま悠斗は憲司の隣に座る。
憲司はニヤニヤしながら悠斗に肩を組んだ。
「どーした? やけに焦ってんじゃん。鎖骨の下のキスマークと関係アリ?」
悠斗はタクシーの中 暑さでシャツのボタンを開けた事を思い出し、慌ててその辺りを手で隠すように擦った。
「…あれ、珍しい反応だな。マジで何か有ったのか? 」
真面目な顔をして憲司は悠斗を見る。
「いやあ、その〜…」
何と言うべきか悠斗が言葉を探していると、敦がひょっこりドアから顔を覗かせた。
「よっ! 皆さんお揃いで。」
「うわ、何てタイミングだよ…。」
悠斗はテーブルに突っ伏して頭を抱える。
それを見て敦は追い打ちをかけた。
「あれ? 何かマズイ? 駿も居るんだけど。」
駿は敦の肩越しに中を覗き、そんな悠斗の姿を見て溜息をついている。
林は悠斗の肩を叩いて諦めたような言い方をした。
「…ユウさん、いい機会ですし皆さんに言っといた方が良くないですか? やっぱり週刊誌の事とかも、ちゃんと説明するべきですよ。」
「…くそ、まさか君も敵だったとは。」
悠斗は怨みがましく林を見た。
林の提案に、自分はほぼ内容を知っていると駿は白状した。しかしまだ余り声を出してはいけないという事で、自ら話したがら無い悠斗に代わって林が是迄の大まかな経緯を敦と憲司に話した。
全て話を聞き終わると、憲司はしれっと悠斗を見る。
「え? 要するに好き合ってるワケだろ。 イイじゃん、付き合えば。」
悠斗はガックリと肩を落とす。
「…ケンちゃん、他人事だと思って軽いなぁ。」
腕を組んで目を閉じて聞いていた敦が口を開く。
「しかし林くんの言うとおり、もし玲奈ちゃんとの写真が載ったりしたらシュンやアキラさんに何らかの悪影響は有ったかもな。」
駿は難しい顔で前髪を掻き上げた。
それを見て悠斗は溜息をつく。
「…自分がした事は後悔してないよ。ただ、愛梨ちゃんを利用した事は色んな意味で後悔してる。」
憲司は改めて悠斗を見て、言葉の意味を追求した。
「それは、罪悪感? 」
「勿論。それが1番だよ。ただ…2番、3番と後付けで増えていくとは思ってなかった。」
「え、何だソレ。」
悠斗は愛梨が付き合う前から現在にかけて言った事を掻い摘んで話した。
憲司は話の中盤からずっと半笑いだ。
「…たくましいね〜。よっぽど悠斗が良いんだな。」
「良いか悪いかはさて置き、ホント根性は座ってるよ。さっきもデート中に抜け出して 別の人とキスして帰って来たって分かっても「別れない」って言われてさ…。なんか、罪悪感に苛まれる必要が無いんじゃないかとさえ思えてきちゃって。」
悠斗の話に「ん?」と敦は表情を変える。
「待て、ゆーと。別の人って?」
「…ぼくの本命。」
「は⁉ そんなトコに玲奈ちゃん居たのかよ? えっ? 偶然⁈ 」
「うん、偶然…。会社の人たちと来てたっぽい。…あれ? そういえば「安達主任」って呼ばれてたな。」
テーブルに肘をついて、それまでずっと黙っていた駿が口を開いた。
「…彼女、主任に昇進したんだって。翠さんが言ってた。その お祝いだったんじゃない?」
「ああ…、それで調子に乗って飲み過ぎたのか。有り得ないぐらいベロベロだったもん。」
「それでお前はそのベロベロの彼女とナニして来たんだ。」
「っと…」
駿の追尋に悠斗はつい鎖骨の辺りを手で覆った。
「もう見えた。」
「っ! …でもっ、今回は向こうが悪いと思うよ⁈ コッチがさ、どんな気持ちで日々耐えて来たと思ってんだよ⁈ それなのに酔ってるからか何か知らないけど、遠慮無くしがみついて来てさ! あんなペッタリくっ付かれてみろ、理性なんか あっちゅー間に崩壊するって! その上キスまでされて…そんな状況で我慢できる男いるか⁈ 」
ウンウン、と憲司は頷く。
「いないな。少なくともオレは無理。相手がベロベロだろうがシラフだろうが関係無い。」
駿は冷ややかな目で憲司を見るが、敦は慣れているせいか無関心で、表情を変える事無く悠斗に質問する。
「2人の意見の一致は置いといて、実際のところは どうするつもりなんだ?ゆーと。」
敦の言葉に悠斗は被せ気味で即座に答えた。
「どうもしない。 酷い奴と罵られようが、今はまだ愛梨ちゃんに隠れ蓑でいてもらわないと困る。…彼女とは会わなけりゃ良いんだし。」
そう言って俯いた悠斗に敦は平然と言い放つ。
「それは無理だな。」
「えっ? なんでだよ。ぼくが意志薄弱だって言いたいの? 確かに思い当たる節はあるけども…」
「…お前、もしかして林くんからまだ聞いてないの?」
「…?」
憲司は呆れたように溜息をついた。
「悠斗、お前休みなのに呼び出されたんだろ? 林くんが急ぎ伝えたい事があるからに決まってんじゃん。」
確かに、先程折り返した際に「電話で言え」と言った悠斗に林は「どうしても直接」と言った。
「え…なに?」
林はタブレットを出して悠斗に見せた。どこかの企業HPが画面に映っている。
悠斗はその社名に記憶が有った。
「…次のCMが決まりました。新しいメンズコスメのイメージキャラクターを是非 皆さんに、とのお話です。」
何故 社名に記憶が有るのかが分かった途端、悠斗は落胆したように笑った。
「…はは、それは随分 素敵なお話を頂いたもんだねぇ。」
その企業は『ジャーナルコスメティック インターナショナル』という外資系化粧品会社で、かつては翠が勤め、現在は玲奈が務めている化粧品会社だった。
続く