コーヒーをどうぞ
「なに? 遊園地だと?」
携帯越しの声色が、少し低い。
その声色にさくらは場所選定を間違ったかと、一瞬後悔をした。
無理もない。
相手は美形とはいえ、三十路を目前にした大会社の役員なのである。
ひとくちに遊園地と言っても、某ネズミーランドのごとくメジャーな場所ならともかく、地方のうすら寂れた遊園地など、誰が好き好んで出掛けようか……。
「童心を懐かしんで……戦隊ヒーローショーとか……って、やっぱり行きませんよね。すいません」
忘れてくださいと、さくらが通話を切ろうとしたときだった。
「誰が行かんといった?」
意外にも、三十路男が食いついてきた。
「えっと、じゃあヒーローショーは午後三時からなので、二時半に現地集合ということでいかがでしょう?」
そのショーは、本当は朝の十時と、午後一時と、午後三時に行われるのだが、さくらとしてはできる限り、総一郎との接触時間を減らしたいという目論見があり、最終の時間を指定したのだが、しかしその目論見は一蹴された。
「馬鹿者! 遊園地に行くのなら、開園時間と同時に入るのが礼儀だろう」
携帯越しに、まるで部下をしかるかのごとき声色である。
(しかも開園と同時って、どんだけ張り切ってるんだよ、お前。
その辺のちびっこでも、最近はたかだか遊園地に対して、そんなに食いつきはしないっつうの! 嗚呼、頼むから午後二時以降にしてくれ!)
さくらは心の中で悲しき雄叫びを上げた。
(だって、日曜日のお昼は、『ゆっこにおまかせ』を見なければならないのですもの。
『ゆっこにおまかせ』のニュースコーナーの生ナレーションで、N井さんがどうでもいいニュースを読み上げる、その雄姿というか、声を聞かなくては一週間寝つきが悪いのですもの。
N井和哉が……
N井和哉がたりないんですけどぉーーーー!!!
一週間に一度の貴重な私の楽しみを奪わないでくれーーーー!!!)
さくらは魂がちぎれんばかりに(心の中で)絶叫した。
しかし、そんな心の絶叫が、相手に通じるはずもなく、待ち合わせ時間は開園の10分前に設定されたのであった。
◇ ◇ ◇
「頼んだわよ。ブルー零」
当日、さくらは泣く泣く某テレビ番組を予録に託すことにし、家を出た。
(『ゆっこ』の生ナレーションは仕方ないけど、だけど遊園地(あの場所)では某海賊アニメショーが行われているはず。聞くところによれば、なんでも役者は生身の人間だけれど、声はアニメそのままの声を使うらしい)
そう思い直して、さくらは気合を入れた。
待ち合わせ時間ジャストに到着してみれば、そこにはすでに某氏の姿があった。
すこし苛ついた様子でこちらを見ている。
「お……おはようございます」
さくらは少し、しどろもどろとした口調で頭をさげて挨拶した。
「おう」
そう短く応じた総一郎が、心なしか赤面している。
「し……私服姿もなかなか似会っているぞ」
ぽそりと呟いた総一郎の台詞に、さくらはなんとなく背筋に悪寒を覚えるのだった。
さくらは予想に反して、総一郎が案外遊園地を楽しんでいることにまず驚いた。
「ようし、次はあれに乗ることにしよう」
いくら美形とはいえ、三十路前のおっさんが遊園地で嬉々としてはしゃいでいる光景も、なんだか異様ではあったが、まあ、本人が楽しんでいるのだからそれでいいのだろうと、さくらは思う。
「待ってください。少し休憩しませんか? 私疲れてしまって」
ジェットコースターに、お化け屋敷、サーキットにコーヒーカップと連れまわされて、さくらは少し目がまわりそうだった。
「コーヒーを淹れてきたんです。よかったらお茶しませんか?」
そういってさくらは自前のポットを掲げて見せた。
「君はとても古風だな。デートにお茶を持参するなんて、いまどき天然記念物だぞ?」
総一郎は少し驚いたように目を瞬かせた。
「そうですか? 私これでもお茶を淹れるのは得意なんですよ? って、そういえば初めてお会いしたとき、私躓いてコーヒーをこぼしちゃったんですよね」
思い出し、さくらはあははと笑って頭を掻いた。
「お詫びの気持ちを込めて、淹れたんですから飲んでくださいよ」
そういってポットのコーヒーを紙コップに注いだ。
「すいません。本当はちゃんと陶器の器でお出ししたかったのですけど、今日は紙コップで我慢してください」
総一郎は差し出されたコーヒーを一口飲んで、目を細めた。
ブルマンの芳香が鼻孔を掠め、程よい苦みが口の中にひろがり、冷えた身体を温めた。
「うまいな」
紙コップを掌に包み込んで、総一郎が呟いた。
「本当ですか? 嬉しいです」
思わず微笑んださくらの笑顔を眩しいと総一郎は思った。
心からの笑顔というものは美しい。
一目惚れというものが本当にあるのだとすれば、自分はたぶん初対面のときから彼女に惹かれていたのだと思う。
彼女には特別に人目をひくような美しさはない、しかしその飾らないその素朴さのなかに、時折野に咲く花に覚えるような強かな感動を、確かに自分は覚えたのだった。
コーヒーは素朴で、温かな彼女の為人のような味だった。
それは一族間での権力争いにはじまり、過酷なビジネス戦争に勝ち残っていくために、いつの間にか凍らせてきた心の一部を、確かに温めて溶かしてくれたのだ。
人としての自分をちゃんと生きていると感じさせてくれる、ドロっとした時間。
総一郎は一瞬泣きそうになって顔を逸らせた。