鳥羽家家政婦長、八重登場!
さくらが呼び鈴を押すと、インターホン越しにずいぶんとしわがれた声が聞こえた。
「はい、どなたですか?」
さくらは、バクバクと高鳴る心臓を必死で宥めた。
「あっ……あの、私は鳥羽総一郎さんの知り合いで、望月さくらと申します」
一瞬、微妙な沈黙があった。
「ぼっ…ぼぼぼ坊ちゃんのお知り合いの方ですか! っていうか坊ちゃんが女子をこのお屋敷にお連れしたのですぢゃ、皆の者! 赤飯ぢゃ、赤飯を炊け! きえぇぇぇい!」
インターホン越しに何やらとんでもない奇声が聞こえ、さくらを更に不安にさせる。
「八重様、しっかりしてください。誰か!八重様の血圧のお薬をお持ちしてぇ!」
「八重様だめぇ、瞳孔開いてる」
(な……なに? インターホンの向こうで、一体何があったっていうのよ? あたし? ひょっとしてあたしの所為??? あたし来ちゃいけなかったの? あたしの所為で今ひとりの人があの世に旅立っちゃったっていうの?)
さくらの全身に冷や汗が吹き出した。
「あっ、すいません。今門を開けますので少しお待ちください」
年若い女性の声色が、漸くさくらの存在を思い出したかのように言った。
「いえ、お取り込み中にすいませんでした。出直します」
さくらが逃亡を決意したその時、
ぎぎぎぎぎ……。
鳥羽邸の巨大な門……の横にある勝手口が開いた。
ずず……ずずず……。
「ぎゃあああああああ!」
その光景にさくらは思わず悲鳴を上げた。
和服姿の老婆が物凄い形相で、歩腹前進をしてさくらのもとに、にじり寄ってくるのだ。
「死んでも逃がしまへん」
そういうと老婆の枯れ枝のような手が、さくらの足首を信じられない力で掴んだのだった。
ホラー映画さながらの場面に遭遇し、さくらは半泣きになってその場に尻もちをついた。
「八重様、いけません。お客様に失礼ですからっ」
慌てて八重と呼ばれる老女の後を追いかけてきた、若いメイド服の女性が三人がかりで八重を取り押さえた。
「おっ……おっ……おばあさん、あたし、逃げません。逃げませんから、て……手を放してください」
さくらは恐怖のせいで、すでに涙目になっている。
「ほんまのほんまに、逃げまへんなあ? お嬢はん」
八重は血走った眼で、さくらに問うた。
さくらはその迫力に負けて無言のままに、こくこくと必死に頷いた。
漸くのことで八重はさくらから手を離し、両脇をメイドに支えられながら立ちあがった。
「坊っちゃんが……女子をこの屋敷にお連れしたことなんざ、今まで一度も……ただの一度もありゃあせなんだ」
老婆はそう呟くと、感極まったかのように瞳に涙を浮かべた。
「お、おばあさん、泣かないでください」
さくらは慌てて、バックの中からハンカチを取り出し、老婆の涙を拭った。
「おや、いかんねぇ、年寄りになるとどうも涙もろくなっちまって……」
八重は恥じる様に顔を赤らめた。
「ありがとうよ、心の優しいお嬢さん」
そして親しみを込めてさくらをみつめて笑った。
笑うと目元に愛嬌が滲む。
つられてさくらもにっこりと笑った。
「あいたたた、あんまり驚いたんで、また持病の腰痛がでちまったらしい」
八重はそういって、辛そうに腰を押さえた。
「おばあさん大丈夫ですか?」
さくらが心底心配して、老婆を覗きこんだ。
「大丈夫、大丈夫、心配いらんさ。いつものことだ。少し休めばすぐに治る」
そういいながら、八重は小さな声で『あいたた』と何度も呟いた。
「あの……私心配なんで、痛みが治まるまで八重さんについていてもいいですか?」
さくらは八重を支えているメイド服の女性たちに恐る恐る尋ねてみた。
メイド服の女性たちは互いに顔を見合わせ、恐縮するようにいった。
「若様の大切なお客人にそのようなことをさせてしまっては、私たちがお叱りを受けてしまいます。八重様のお世話はわたくしたちがいたしますので、どうかお気になさりませんよう」
さくらはなおも心配そうに八重を見ていると、八重がむんずとさくらの手を握った。
「いや、な、わしももう年での。心細いんぢゃ。お嬢さんのような優しい方がほんのちょっとでも傍にいてくれると、とても心強い。お願いぢゃ、わしの部屋で手を握っていてくれんかの?」
「あの、私でよければ、喜んで」
そういって、さくらも老婆の手を取った。
「ありがとうよ、お嬢さん」
八重は泣き出さんばかりに感激している様子だ。
ただ、その横でメイド服の女性たちは少し複雑な表情をした。
八重の部屋……というか家は、もちろん鳥羽邸の敷地内にある。
本家から少しだけ離れて立っているのだが、家というよりはもはや屋敷の中に建っている、小さい屋敷である。
檜造りの豪奢な平屋建ての中庭には、小さな池が造られ、風情のある石灯篭が配されていて、小ぶりではあるがちゃんと四季折々の花や木が植えられた日本庭園となっている。
採光、建材、配置、どれをとっても垢ぬけているなとさくらは思った。
しかしつい迫力にたじろいでしまう鳥羽の屋敷の中で、この建物だけは少し雰囲気が違うとも思う。
使われている建材はどれも最高級のものばかりなのに、不思議とこの場所には安らぎがある。自身を受け入れ、包んでくれるそんな優しい空気が流れている。
「どうしなさった? お嬢さん」
そんなさくらに、八重が少し心配そうな顔をした。