鳥羽の婚約宣言
鳥羽と駅で別れ、家に帰りついたときにはかなり遅くなっていた。
『一体なんだったんだ……今日の一日は……』
さくらはぼんやりとした思考の中でふとそんなことを思った。
普段なら絶対に同席など許されない、雲の上のイケメンとのデート。
純粋で真っすぐな俺様なあいつと過ごす時間というのも悪いものではなかったなと、さくらは思い出したように微笑した。
鳥羽を好きかと問われれば、全力で否定する自信はあるのだが、では鳥羽を嫌いかと問われれば、その人となりを知ってしまった今では、鳥羽を嫌いにはなりきれないだろうなと思った。
多少強引ではあるが、鳥羽と一緒に過ごす時間は楽しかったし、全然嫌じゃなかった。
恋人ではなく、しかし友達というものでもない。
鳥羽に適当に言ってしまった『友達以上、恋人未満』という言葉が妙にしっくりとくる。
『いいとこ取り』と言われれば、そうかもしれないと少し自分が卑怯な気もしないでもない。だけどなんだかほわほわと温かくて不思議な感じがする。
「友達以上、恋人未満か……」
そう呟いてさくらはベッドに身を横たえた。
その時、メールの着信音が鳴った。
鳥羽からだった。
「今日は楽しかった。
お前の変顔、俺の携帯の待ち受け画面に決定!」
そのメッセージとともに添付されてあった写真は、例のアトラクションの最中に取られた、あの変顔だった。
「あほかー!」
さくらは声を荒げて、思わずお気に入りのリラくまのクッションにヤツ当たりをしてしまったのだった。
◇ ◇ ◇
「あっ、望月さん~」
翌朝、さくらが会社に到着すると、待ってましたとばかりに同僚の内村が手招きした。
内村は学生時代にバスケット部に所属していた、いわゆるスポーツマンで、均整の取れたボディーと端正で精悍な顔立ちから、社の女子社員には結構人気がある。
「なに? 内村君」
さくらは内村のもとに歩み寄った。
「来週の週末、望月さん予定、空いてる?」
「え? う……うん、まあ、多分」
さくらは少し歯切れの悪い返事をした。
脳裏に一瞬鳥羽の面影が過ったからだ。
鳥羽が勝手に強引に取り付けた約束があるにはあるが、来週ということだけで、まだ具体的な日程を指定されたわけではなかったから、なんとかなるかとさくらは考えた。
「じゃあさ、総務の若手みんなで飲み会やるんだけど、望月さんも勿論参加でいいよね?」
少しはしゃいだような内村が、ひどく子供っぽくて、さくらは思わず微笑を誘われた。
刹那、さくらの視界が一瞬暗くなったかと思うと不機嫌な低い声色が聞こえた。
「お断りします」
「は?」
さくらは一瞬我が耳を疑い、顔を上げた。
いつの間にか、スーツに身を包んだ鳥羽が真横に立っていた。
ベルサーチのブラックをセンス良く着こなし、胸に深紅の薔薇の花束を抱えている。
一見気障なようにも思えるが、鳥羽がすると絵になっているので、ちょっぴり腹が立つさくらであった。
少し色素の薄い髪は昨日のそれではなくて、今はきちんとセットされている。
相変わらず、小憎たらしいほどのイケメンぶりであった。
しかし鳥羽の不思議なダークグレイの瞳は、一応笑っているけど、決して笑っていないことがさくらにはわかった。
鳥羽は胸に抱えた深紅の薔薇の花束をさくらに手渡し、内村ににっこりと笑いかけた。
「俺たちもうすぐ結婚しますので、彼女は間もなくこの会社を退社することになるでしょう。ですからそういった懇親会への参加はもう彼女にとっては不要なのです」
「ちょ……ちょっと鳥羽さん、一体何を勝手な事を言って……」
鳥羽は呆気にとられているさくらの手を取り、愛しそうにその甲に口付けた。
「俺はこれから会長に会わなくてはならないが、今夜の夕食は一緒に取ろう」
「は……は……はぁ?」
さくらはあまりのことに怒気を抜かれて、ただ茫然と会長室に向かう鳥羽を見送った。
漸くのことで自身の机に戻ってくれば、ちょうど先輩がフロアの皆にお茶を淹れてまわっていた。
「あっ、ごめんなさい。私がします」
さくらは慌てて立ち上がった。
「あら、いいのよ。望月さんは座っていて」
先輩は愛想よく、さくらに微笑んだ。
「なんたって、望月さんは天下の鳥羽建設の社長夫人におなりになるのですもの。社長夫人にお茶汲みなんてさせられないわ」
そしてその日、さくらに仕事が回ってくる事はなかった。
フロアに退社時間を告げる放送が流れると、さくらは逃げるように退社した。
「あんの、ボケ男がぁぁぁ」
さくらは自身の胸に燃えたぎる怒りの押さえ方がわからなかった。
とりあえず文句の一つでもいってやろうと、携帯を取り出した。
「よぉ、お前から俺に電話してくるなんてめずらしいな」
電話越しにちょっぴり嬉しそうな鳥羽の声がする。
さくらは怒りの為に逆上してしまいそうになる自分を抑えるために、その場で深呼吸をした。
「鳥羽さん、折り入ってお話があります」
さくらは努めて冷静に鳥羽にそう切り出した。
「そうか、だったらちょうどいい。俺ん家に来いよ」
さくらの気も知らず、鳥羽は上機嫌でさくらを誘った。
天下の鳥羽建設に多少気押されぬではないが、さくらは腹を括った。
◇ ◇ ◇
「やめときゃ、よかった」
目の前に広がる荘厳過ぎる屋敷の構えに、さくらはがっくりと項垂れた。
白い御影の石塀が延々と続き、その先には、『ここは城か?』と問いたくなるような巨大な門が、さくらを威圧するかのように佇んでいる。
心臓がバクバクと跳ね、呼び鈴を押す手が情けないほどに震えていた。