・第6節 花達の歌声
「――う、ん」
相変わらずの夢だった。この惑星に来てから、この手の夢ばかり見る。一体何の象徴なのだろう。あたしは寝返りをうって時計を見た。時刻は夜中の二時を少し回った頃だ。窓の外からは何の虫かはわからないが微かにその声が聞こえて来る。あたしは良く眠っているユキを起こさない様に静かに、ゆっくりとベッドから這い出すと窓のカーテンを少し開けて、外の様子を眺めて見た。
満月の光は氷の輝き――
その冷たい月明かりが、うっすらと景色を映し出す。そこには遥か彼方と言う訳では無いが、かすかに校舎が見て取れる。その、一階の窓、職員室のあたりだろうか、明かりが点いている。
はぁ、教師と言うのは大変な職業だなぁと、ちょっと感心した。こんな時間まで仕事とは。確かに三年生は進学問題等で大変なのだろうとは思うが、夜中の二時まで仕事をしなければイケないほど忙しい職業なのだろうか。
あたしは、ちょっと反省した。教師達が頑張って居るのに生徒のあたしは、悪の限りを尽くそうなどと言う計画を立てて居る。ちょっと自分が恥ずかしくなった。
いやいや、しかし、ここは心を鬼にせねばなるまい。早くこの田舎の星から脱出しないとイケない。都会派を売りにするあたしの鋭い感性が失われてしまわないとも限らない。悪の限り計画に変更は許されないのだ。
あたしはカーテンを閉めて再びベッドに潜り込む。そして、いつの間にか深い眠りについて居た。
★
朝食の時間、朝の忙しいひと時、あたしと、ユキは連れ立って食堂に向かった。今日は教頭の訓示みたいな授業が有る。内容は毎回ほぼ同じで、この学園の生い立ちや教育理念、それに禁止事項の再確認や場合によっては持ち物検査も有るらしい。だから、今日だけは絶対に余計な物を教室に持ち込んではいけないのだそうだ。
「実は私…」
ユキは周囲を注意深く探ってから、上着の懐をごそごそ探って、再び周りを注意深く再確認した後、ちらりと携帯端末をあたしに見せてくれた。
「内緒よ携帯持ってるのは。こればれたら、ホントに酷い目に会うんだから…」
ユキの表情はマジだった。彼女の表情から考えるにどうやら携帯端末を学園内に持ち込む所業は、悪の限り計画としてはかなり上級の計画の様だった。彼女の弁によれば、携帯端末の持ち込みは99%排除され、教師達は残りの1%を炙り出すのに躍起になって居るのだそうだ。別に、そんな事どうでも良いではないかと思う。携帯端末の利便性と学校の伝統を天秤にかけたら、あたしは携帯の利便性を取るけどなぁ…
ユキはエキゾチックでキュートな笑みを浮かべると懐の奥深く携帯端末を仕舞い込み「共犯だからね」と答えてにっこりと笑って見せた。
あたし達は寮と食堂の間の渡り廊下に差し掛かった。そして、再びの違和感。あたしの視界に飛び込んで来た花壇の風景、そこには花が朝の風に揺られていた。
『赤い色の花』だった。
「ねぇ、ユキ――」
「ん、なぁに」
ユキは春の日溜まりの様な微笑みであたしを見ながらそう返事をした。
「赤い…わよね、あれ」
あたしは花壇を指差してから、ユキの瞳に視線を移した。ユキもちょっと怪訝そうなひょ上で「――うん、赤い」と一言言ってその場に立ち止まる。
あたし達は二人並んで花壇の花をじっと見詰め、その後ふたりで見詰め合う。
「そう言う、品種なのかな?」
あたしは花には詳しく無いから、感想はそんな物だ。しかし、たかだか一日で色が変わってしまう品種など聞いた事は無い。紫陽花は比較的早く花の色を変えるのだそうだが、これ程早い訳では無い。
「ニーナ、気になるの…」
ユキがあたしの顔を見てそう言うと、あたりをまたしても見渡してから誰も居ない事を確認し携帯を取り出すと花壇の写真を撮影した。
「ニーナの携帯に送っておくね。持ってるんでしょう?」
はい、持ってますとも。
あたしはユキに自分の携帯番号を教えて、写真を転送して貰った。画像はネットワーク上の何処かのサイトで照合出来る筈だ。そうすれば、この花の正体が分る筈だ。
もしかしたら「新種」かもしれない。もしそうだとしたら、花の名前に自分の名前をTける事が出来ると聞いた事が有る。
もしかしたら、ひと山当てられるかも
と、言う邪な考えが頭をよぎる。世の中お金と名声だ。これで両親の鼻をあかせるかも知れないと思うと、背筋が妙にぞくぞくした。
★
問題の教頭の授業が始まった。現れたのはナーロン教頭と生徒会長のクリス。そして、その取り巻き二人で有る。
「みなさん、おはよう」
ナーロン教頭は、良きおばあちゃんと言う雰囲気で、優しく話を始めた。周りの生徒達は何回か、この授業を受けた事が有るらしく、にこやかでは有るが、あぁ又かと言う雰囲気が拭いきれない。しかし、あたしは初めて聞く話なので、教頭の言葉に注意深く耳を傾ける。
教頭の話によれば、この学園は、人類が惑星『パピル』に入植したと同時に設立された学校で、その歴史は500年に及ぶ伝統有る学校なのだそうだ。
「500年かぁ…」
建屋が古いのはそのせいなのか。いや、古いなんて言うのは桁が違う。文化遺産に登録されても不思議じゃぁ無い建物なのだ。
教頭の話は授業時間のほぼ半分で終了したがクラスメート達の表情は一様に硬い。あたしはその雰囲気で、これからが本番なのかと考えた。教頭は話を終えると教壇を生徒会長に譲った。
「聖カレナ学園の皆さん。皆さんは、これから社会を担って生きて行かなければならない人材です。その事は自覚されていると思います」
生徒会長は教壇に上って、一度クラスをぐるりと見回した後、笑顔をパワーアップさせ少し強い口調で更に話を続けた。
「一流の学力に一流の立ち振る舞い。皆さんの一生の中で、この学園で暮らした年月は必ずや糧となり社会の為に働く事が出来るでしょう」
あぁ、始まってしまった、自己陶酔の時間が…
「規律を守る習慣を培うのも社会生活において重要な行為である事は火を見るよりも明らかで、人格形成においても重要な要素である事を理解して下さい」
だから――何が言いたいんだとあたしは心の中で突っ込みを入れて見た。
「では、持ち物の検査をします。鞄を机の上に置いて皆さんは教室の後ろに移動してください」
生徒会長がそう言うと、数人の生徒が教室に入って来た。彼女達も生徒会の一員なのだろうか。そして、生徒会長と何事かを話してから、机の各列に別れて、置かれた鞄の中を確認して行く。
持ち物検査は地球の学校でも行われていたが、その主目的は『危険物』の持ち込み防止、そして、常識では考えられない物が押収されたりする事も有った。ナイフ程度は可愛い物で、中には拳銃やらプラスティック爆弾とか…法的に見ても違法な物が横行していた学校に通っていた訳だが、彼等の言い分は全員が護身用と答えたのだ。
一体、何から身を守るつもりだったのだろうか…
鞄と机の中のチェックが終わると、今度は身体チェック。服装と内ポケット等のチェックがされる。そして、それは見つかった。クラスメートの一人がそれを持っていた事が発覚したのだ。
携帯端末…
生徒会長の視線が持ち主に注がれる。その生徒は、激しく狼狽して自分を見失いかけているのでと言う位の取り乱し方だった。やってしまったと言う表情を浮かべ生徒会長に向かって哀願の養生を向ける。
「携帯端末の持ち込みは厳禁の筈でしたよね」
あたしはそこで生徒会長の態度が豹変して居る事に気が付いた。その目は蛇の目に近い。睨まれたら動けなくなる様な魔力を持った視線を放ちながら、ゆっくりと持ち主に向かって歩み寄る。
持ち主の子はその危険な視線から逃れようと後ずさる…
生徒会長は、彼女を壁迄追いつめた処で、少し狂喜が感じられる笑みを浮かべ放課後直ぐに『生徒会室』に来る様に命じたのだ。蛇に睨まれた蛙は、その愛らしい大きな瞳に涙をいっぱい溜めて居る。逃げる事も拒む事も出来ない様だった。
しかし、それは、おかしいだろう…呼び出されるべき場所は職員室では無いのか?そう不思議に思ったがナーロン教頭も、その発言を訂正しようとはしない。持ち物検査は生徒会の管轄なのだろうか?普通は教師が行うのではと言う素朴な疑問。それに反面チェックが笊だ。あたしは悪の限りの一環として、漫画やらお菓子やらを持ち込んで居るのにおとがめが無い。制服だってスカート丈を弄って着ているのだが、その事には全く触れようとしない。
何のパフォーマンスだ、これは――
奇妙奇天烈、持ち物検査で引っ掛かったのは携帯を持っていた子だけで他の者には何も注意も警告も無かった。ナゼこれほど携帯電話に特化するんだ?。これは持ち物検査とはとても言えない。
そして終業のベルが鳴り響く、礼拝堂の鐘の音が。なんだか釈然としない。あたしはその日一日、そのことばかり考えて、他の授業には全く実が入らなかった。