過去の遺産がもたらすもの
俺たちは食堂につき席に着く。ダリアスとの戦いの余韻がまだ胸に残っている。彼は確かに負けたが、どうも腑に落ちない。あれほど余裕を持った態度……本気を出していなかったのか?それとも、何か別の意図があったのか?
「フィリアス、どうしたの?」
オリビアの柔らかな声が、俺の思考を引き戻した。
「ああ、なんでもない。ちょっと考えごとをしていただけだ」
そう答えながら、俺は表情を整える。今は食事の時間だ。考えすぎても仕方ない。
食堂に入ると、ちょうど夕食時ということもあり、多くの生徒たちで賑わっていた。俺たちは空いている席を見つけ、食事を受け取る。
「いただきます!」
レオンは豪快に肉を口に放り込み、無遠慮に食べ始めた。
「ちょっとレオン、もう少し落ち着いて食べなさいよ。マナーってものがあるでしょ?」
オリビアが呆れたようにため息をつくが、レオンは気にする様子もなく
「うまいもんはうまいんだよ!」
と笑いながら食べ続ける。
そんな二人のやりとりを聞きながら、俺はふと違和感を覚えた。誰かの視線を感じる。
食堂のざわめきの中、その感覚だけが妙に際立っていた。俺はさりげなく視線を巡らせる。
——だが、誰もこちらを見ているようには思えない。
「……気のせいか?」
そう思い、再び食事に意識を戻そうとした時だった。
「……フィリアス?」
オリビアが小声で俺の顔を覗き込む。
「何かあったの?」
「いや……ちょっと視線を感じた気がしてな」
「視線?」
オリビアが食堂を見渡すが、特に気になる様子はないらしい。
「気のせいかもしれない。気にしないでくれ」
そう言って話を終わらせるが、胸の奥にはわずかな違和感が残っていた。
食事を終え、俺たちは寮へ戻る。
部屋に戻った俺は、静かに椅子へ腰を下ろす。戦いの余韻がまだ体の奥に残っていた。
「俺の戦い方……本当にこれでいいのか?」
ゆっくりと目を閉じ、今日の試合を振り返る。冷静に戦い、最適なタイミングで攻撃を仕掛ける。前世でも変わらないやり方だ。それ自体は間違っていない。だが、ダリアスとの戦いでは何かが引っかかった。
「彼は何か隠していた……いや、むしろ、俺の攻撃を“受け入れて”いたような……」
モヤモヤとした感覚が胸の奥に残る。思考を巡らせるが、はっきりとした答えは見つからない。
ふと、机の中を見るとあの紙が目に入る。
取り出してみると、そこには短い文章が記されていた。
『3-2クラウザー研究室』
その瞬間、背筋が凍る。
「まさか……さっきの視線の正体は——」
決勝戦の後、俺に接触してきた、あの謎の教授。
「俺の力について知っている……いや、少なくとも“概念”に干渉したことを見抜いていた」
紙を握りしめ、俺はしばし迷う。しかし、答えは一つだった。
「……そろそろ行くしかないか」
静かに立ち上がり、俺は研究室へと向かった。
研究室の扉の前に立ったとき、俺は少し深呼吸をした。渡された紙には、ただひとつ、研究室の番号とともに「ガブリエル・クラウザー研究室」と記されていた。扉の前に立つと、その冷たい金属の表面が、少しだけ心を落ち着けさせる。
俺は手を伸ばし、扉に触れようとしたその瞬間——
「遅かったな」
突然、背後から低い声が響いた。俺は驚いて振り返ると、そこには黒いローブをまとったガブリエル・クラウザー教授が立っていた。彼の鋭い目が、俺をじっと見据えていた。
「もしかして、怖がっていたのか?」と、教授はニヤリと笑う。
「いや、ただ——」
「まあいい、時間を無駄にするのは好きではない。中に入れ」
教授は手で中へと誘う。
クラウザー教授が一歩進んで、机の上に積み上げられた本の一冊を手に取ると、静かな声で言った。
「君のような風を操る力を持つ者は、珍しくはない。しかし、君の力の使い方には、他の者とは明らかに違う何かがある。」
俺は少し戸惑いを隠せなかった。教授の言葉が、心に重くのしかかる。
「君が使っていた風は、ただの風ではない。それは物理的な風ではなく、概念としての『風』だ。君が生み出した風が、どうしてあんなに変化に富んでいたのか、最初は能力の使い方が上手だと思っていたが違った。決勝戦で君は一瞬だが熱の温度を変えただろ?それは、君が『熱』という概念に干渉したからだ」
言われてみれば、確かにその通りだ。風を操ると言われても、俺の使っていた力は、ただの風を動かしているわけではなかった。時にはその流れを操るような感覚があった。だが、それが何を意味しているのかは、俺にはまだわからない。
教授はゆっくりと、机の本を戻しながら続けた。
「私の研究は、神に関するものだ。だが、一般には魔法理論として学んでいる。表向きは、概念を理解し、それを使う方法を探っている。だが本当は、神がどのようにして世界のあらゆる概念を定め、支配しているのかを探ることが私の目的だ」
俺はその言葉に驚きながらも、少しずつその意図が見えてきた。
「君が使った力は本来は神の力だ。だが君はは人間なのに『概念』に直接干渉する力を持っている。それこそが、君の能力の根源だ。普通、我々の力は、すでにある枠の中で行使される。しかし君はその枠を壊すことができる。それが、我々が神と呼ぶ存在が行う行為そのものだ」
教授の言葉は重く、俺の頭の中で何度も反響した。
「君にはまだ理解できていないことが多いだろう。だが、もしその力を使いこなすことができれば、君のような存在は今後大きな力を持つことになる」
その言葉にはどこか、警告のようなニュアンスも含まれている。
「だからこそ、君にはその力を正しく使うために、私から学んでもらいたい。もちろん、君が私の教えに従うかどうかは君次第だ。しかし、警告しておくが、力を持つ者が無知のままでいることほど危険なことはない」
教授の目が鋭く俺を見つめる。あの眼差しには、俺を試すような、そして少しだけ期待を込めた感情があった。
俺はしばらく黙って教授を見つめていた。言葉にできない違和感が胸をよぎる。しかし、同時に気づく。この人が本当に何か知っているのなら、俺はその答えを聞くべきだ。信頼できるかどうか、まだわからない。
「……けど、教授が言ってることが正しいかどうかは俺が答えないと分からない。だから、俺のことを知りたければ、まず俺の力を理解しなきゃいけないと思ったのですね」
その言葉を口にした時、教授は静かに頷き、そして不意に話し始めた。
「まだ私に警戒心があるようだな。私的にはこの気を逃す気は無い。君からの信頼を得るため私の秘密を明かそう。私は……エルフだ。そして、元神の使徒でもある」
その言葉に、俺は一瞬言葉を失った。エルフ――神の使徒――そのどちらも、普通の人間には縁遠い存在だ。だが、教授が言った通りなら、ただの教師のわけがない。
「元? 『元』ってどういうことだ?」
俺が思わず尋ねると、教授は少し目を細め、静かに答える。
「本来、神の使徒に一度選ばれると、死ぬまでその関係は切れない。それが、神と使徒との約束だからだ。だからこそ、私の『元』という部分が君にとっては疑問に思うのだろう」
その言葉に、確かに違和感を感じた。だが、教授はさらに続ける。
「私の神は死んだ。クロノアビスという名の神だ」
クロノアビス。聞き覚えのない名前だった。だが、それを聞いた時、胸の奥に不安が湧き上がる。その神がどうして死んだのか。神は不滅のはずだ。
「……君から、クロノアビスに似た匂いを感じるんだ」
その一言に、俺は心臓を強く打たれた。匂い、だと? でも、確かに何かが、俺の中で反応しているような気がした。
「君の力は、神の力とはまた違う形だが、似ている。君の中にある『力』が、クロノアビスと繋がりを持っている。それを感じる」
その言葉が胸に響く。教授が言う『匂い』というのが何を指しているのか、俺にはよくわからない。ただ、確かに感じる何かがあった。
突然、意識が引き裂かれるような感覚に襲われた。体が浮き上がり、視界が歪んでいく——そして気づけば、暗闇の中に立っていた。
目の前には、ひときわ巨大な影がそびえ立っている。影が動くたびに、その形がはっきりとしていく。魔王そのものだ。
魔王は少し頭を抱えた。その動作すらも、圧倒的な力を感じさせるものだった。彼の目が、まっすぐに俺に向けられた。
「あいつ、もう明かしたのか……いや、接触するなと説明しなかった俺も……」
その言葉に、俺は目を見開く。
「お前、どういうことだ……?」
思わず声を上げたが、魔王はため息をついて、ゆっくりと語り始めた。
「クロノアビス——それは、かつての俺だ」
その一言が、俺の胸を強く打った。魔王が言う「かつての自分」とは、どういうことなのか。ここで魔王が語ることには、どうしても聞かなければならない何かがある。
「どういう意味だ?」
俺が問いかけると、魔王は一瞬黙った後、重々しく答える。
「クロノアビスとは、俺がまだ神だったころの名だ。その時、私は……いや、私たちはまだ違う存在だった。しかし、今の俺とは完全に別物だ」
その言葉に、さらに深い混乱が押し寄せる。
「お前、信じられないだろうが、今の俺はもう『神』ではない。全てを捨てた、ただの存在だ。勝手に魔王を名乗っている」
その言葉の重みが、心にズシリと響く。




