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Unexpected(2)





「よくそんな物用意していたな!」

「こんな事もあろうかとね!」


 こんな事がそうそうあっても困るのだが、ともかくそれで一旦救われたのは確かだった。まあ、カレンは人間だから敵を打倒するためより、まずは生存率を高める装備をするのは当然なのかもしれない。その為のフラッシュグレネードである。


「うう、まだ目がちかちかする」


 とはいえ一方的に敵の中に放り込んだのではなく、包囲の中で投擲するという、戦法の常道からはかけ離れた使い方だったから、少なくともキョウジ達にもダメージは入っていた。特に目のいいミユにはその光はいささかきついものであったようだ。キョウジ自身は、目はすでに普通に戻っているが、耳鳴り音がまだ残っている。


「泣き言を言うな。とにかく走るぞ」


 クルマを停めている場所にまではまだ距離がかなりある。長い下山になるだろう。そして少しずつ敵がダメージから回復して追ってきているのが分かる。そして敵は後ろだけではない。各所に警備の兵が立っていたのだ。


「いいか、戦闘は最小限だ!」


 勿論、人道的なものを考えているのではない。今の目的は逃走であり、敵の撃滅ではないからだ。生き残るのであれば、敵を叩き潰すのも選択肢には入るかもしれないが、今回のケースでは不可能である。数が多すぎる。3人で対抗できる戦力ではない。それに敵の幹部――〈フォー・ライダース〉の力量も不明だ。


 よって今はわき目も触れずに離脱する事が最優先になる。


「止まれ! 止まれ!」


 寺院にいなかった警備兵は、まだ今何が起こっているか把握していない。制止の声が聴こえるが、その声には惑いがあるし、数を用意した厳重な警備でもない。


「どけェッ!」


 この中では一番勝ち気な性格のカレンがいち早く短機関銃から弾丸をぶっ放す。弾をケチっている状況ではないのは彼女にも分かっている。全力だ。それに続いてキョウジも敵の一人を襲撃する、動きをさせる暇も与えない。一気に踏み込んで腹に短剣を突き刺し、そうやって電光石火の攻撃で振り払い、まだ人数は残っているが動揺している内にさっさと逃げ出す。


 それはミユも分かっているようで、彼女は戦闘に参加もせず、ひたすら走っている。キョウジよりも目的をよく分かってる感じだ。とてもいい事である。仲間内で意思統一がされているのは今の状況ではなによりも重要である。


 しかし問題もあった。キョウジとミユの足にカレンが付いて来れなくなりつつあったのである。彼女は人間だから、デモンの身体能力とはどうしても差が出て来る。だからといって見捨てる訳には当然行かない。


 それでキョウジが何をしたかというと、答えは一つである。


「え……きゃっ」


 カレンが珍しく可愛らしい声を上げて、困惑しつつキョウジにお姫様抱っこされた。


「だ、大丈夫よ、こんな事されなくても……私だって走れる」

「これが一番早い。文句を言うな」

「せ、せめて負んぶとかでも……」


 恥ずかしがっている状況でもあるまいに、カレンは顔を赤くしている。キョウジは全然気にしない。そのまま速度を上げて先行しているミユに近付いた。少女はどことなく不機嫌そうな顔をしていたが、それを口にはしない。


「問題はあのメフィストフェレスだな」


 すでに彼は瞬間空間転移出来る事は分かっている。とすれば今ここで急に現れてもおかしくないはずなのだが、今の所そういった兆候はない。


 理由は色々推測出来る。彼はこちらへの追撃にあまり乗り気ではないのかもしれない(〈アポカリプス・ナウ〉の面々が一枚岩ではないのはすでに確認済みだ)。あるいはこちらの正確な位置が捉えられないからしないのかもしれない。あるいはそこまで長距離移動が出来ない可能性も考えられる。一人だけ追い付いても意味が無いから、というのも有り得る。


 ともあれそれでキョウジ達は助かっている訳だ。


「つ、疲れないの?」


 カレン自身の体重はたいした重さではないが、銃火器で武装しているためそれなりの重量にはなる。しかしキョウジはまるで気にもしなかった。彼の膂力であればどうという事もないし、いまは集中しているから問題にならない。ここぞといった時のキョウジの集中力は大したもので、その延長線上にあの異能、〈加速時間〉があるのだ。


 そういう訳で、キョウジはカレンを抱きながらも速力はまったく衰えていない。


「もうすぐだよ!」


 長い山道だったが、そろそろ麓に近付いている。クルマとバイクに戻ってそこから走れば、かれらはもう捉える事が出来ないだろう。そこまで徹底的にこちらを潰す意志も感じられないし、逃亡は上手く行くはずだ。


 だがその目前で、こちらに追い付いた男が一人だけいた。背中にぞっとするような感覚が襲った。振り向くと、〈フォー・ライダース〉の一人、長身の筋肉ダルマがそこにいて、キョウジにラリアットをかまそうとしていた。


「ぬぅんッ!」


 キョウジは舌打ちした。カレンを抱えた状態でそれを回避出来たのは僥倖という他ないが、次はどうあっても不可能である。ここに来てキョウジはカレンを放した。彼女は素直に後ろに引っ込む。


 追い付かれた、という事はこの男はこちらより足が早い訳だ。そしてここまで詰められたら逃げるのは不可能である。つまり戦わねばならない。


 ――尤も、隙を作ればいいだけで、必ずしも打倒や殺害を望む訳ではないが。


 だがその意味では、立地状況はあまりいいとは言えない。狭い道路で対峙していて、両側は森で覆われている。つまり限定された状況での戦闘になる。そして時間を掛ける訳には行かない。膠着すれば後続が追い付くだろうからだ。


「兄ちゃん!」

「キョウジ君!」

「お前たちは走れ。俺もすぐに追い付く」


 だがキョウジの心は静かである。女達の命を預かっている。その事実が静かな勇気を与えてくれる。


「俺達をやってお前達になんの益がある?」

「ボスの意向は知らんが、俺はやりたい事をやるだけだ」


 大男はその体躯からはいささか意外な程甘い男の声で言った。碧い目からすれば、彼の血は海外から流れて来たのだろう。


「俺の名はリシャール。〈クリムゾン・ライダー〉と呼ばれている。キョウジ・ザ・シルバー。お前とは一度やり合ってみたいと思っていたのだ」

「戦闘狂かよ」


 この状況では(いや、この状況でなくてもだが)一番厄介な性質の敵だ。戦いたいだけなのだから説得には応じないだろうし、執拗でもあるだろう。


「言葉はいらんだろう。行くぞ、〈シルバー〉」


〈クリムゾン・ライダー〉が突進してくる。ここまで追い付いてきただけあって、その速度は恐るべきものがある。彼は無手だった。肉体だけで戦うタイプのデモン。それだけ自分の()に自信があるのだろう。


 安易に〈加速時間〉は使わず、動きを見据える。だが速い、速すぎる。リシャールは上体を屈めて、そのまま猛牛の様にキョウジの腹へと頭突きを放った。こういう時はどうすればいいか、無理に踏み止まるよりも素直に吹っ飛ばされる方が良い。そうやって距離を取るべきだ。


「ちぃィッ!」


 だが〈クリムゾン・ライダー〉の追撃はさらに速い。キョウジが起き上がる隙を与えず、そのまま圧し掛かって制圧する。だが完全なマウントポジションにはならず、ガードポジションになっている。しかしその重量と手の長さでは確実に守れる訳ではない。ピンチである事には変わりなかった。こうなると〈加速時間〉もあまり意味が無い。


「落ちろッ!」

「そう簡単に、させるかよッ!」


 集中しろ、限界まで――全てを忘れて。


 鉄槌の如く振り下ろされるリシャールの拳を、キョウジは何とか紙一重でいなしていた。組み伏せられた状態からどうやって抜け出すか、思考はどんどん加速していく。


 いや、思考ではなく本能的反応だったかもしれない。キョウジは目を見開き、賢明にも手放さないままだった短剣を彼の上腕二頭筋に突き刺したのである。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ相手が怯む。そこに膝蹴りを叩き込んで、ガードポジションから抜け出した。そして距離を取る。


「ぬぅ、うううんッ!」


 時間は掛けられない。だが仕留めるのも難しい。ではどうすれば。


 ここで隙が生まれるのが最高の展開だったのだが、リシャールは起き上がるのも速い。


「中々やるじゃないか。相手にとって不足無し!」


 キョウジは答えなかった。やるべき事をやるだけだった。ここで向かって来るリシャールを見据え、心を研ぎ澄まし、これまでで一番の〈加速時間〉を発動させる。短剣は仕舞った。


「おおおおおおおおおッ!」


 キョウジは動かない。柔よく剛を制すの精神を鋭くさせていって――リシャールが手刀を放ってきた所を潜り込み、右肘を前に立てて鳩尾に肘撃ちを放った。ただの肘撃ちではない。体重と体幹を一点に乗せた、いわゆる寸勁に近いものである。それに付随して〈加速時間〉の速力も乗っている。ここぞという時にしか使わないキョウジの切り札、裏技と言えるものだった。


 何故滅多に使わないと言えば、かなり疲れる割にはデモン相手には致命傷を与えられる技ではないからだった。だがこの戦闘ではこれが最適解である。


「の、おぉぉっ!?」


 リシャールはうずくまった。復活は早いもの、と見なければならない――ゆえにこの隙に逃げ出す。だから〈加速時間〉を発動させたまま、キョウジはそのまま後ろに駆け出した。


「じゃあな。もう二度と会いたくないがな」

「ま、待てッ! 逃げる気か、この玉無し野郎ッ!」

「何とでも言ってろ」


 そうしていよいよキョウジは駐車場に辿り着いた。カレンはドア窓を開けてこちらを見ていて、ミユはすでにヘルメットを被ってサイドカーにちょこんとしている。キョウジは迷う事無くそのまま愛車に跨った。


「兄ちゃん、だいじょぶ?」

「俺はいつだって大丈夫だ。さあ、すぐに行くぞ」


 全く、紙一重の所だった――キョウジはそう思った。だがなんにしても逃走は成功し、ようやく安堵の心を手に入れられたのだった。

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