堕ちた聖地
惑いが完全に払拭された訳ではない。それはミユもそうなのだろうが、キョウジ自身もだった。カレンだってすこし不安そうな顔をしている。だが何かを動かそうとすればそうならざるを得ないのだ。不安は常に付き纏う。しかしそれは今までもそうだったし、これからもそうである。
ミユはサイドカーに座りながら、いつもの様に刀をぎゅっと抱き締めている。「春日守桔梗美奈」。その銘について特に気にしてもいなかったが、ここに来て何か意味を持つようになって来た。春日美夜という名前、そしてメフィストフェレスが言った事。この符号がなにを示しているのか、何となく不穏な空気が漂っている気もするが、今考えても仕方あるまい。
キョウトの地は激しい破壊には襲われず、ビルなどの建物も数多くそのままで残っている。その合間をぬってキョウジ達は北上していた。地図もない状況で走り続けている。だから目的地に一直線とは行かない。
木々もそれなりに残っていて、春先である事を示すように所々花を咲かせている木もある。地面を見下ろしても、この枯れ果てた世界の中でも懸命に生きようとする花草も見られる。気温も大分上がってきた。昨日は雨で少し寒かったが、一夜明けたら今日は快晴で、雲一つ見当たらず、空気も澄んでいる。
休みつつ進んでいた。あえてキョウトの都心部からは離れた道を進む。目的がはっきりしているのだから、それ以外のゴタゴタには巻き込まれたくなかったからだった。特に今は〈ザ・ラウンドテーブル〉とは接触したくない。彼等の本拠地がキョウト中央部(昔は洛中、という表現もあったらしい――キョウジはその言葉の意味は分からなかったが)にあるのは知っている。
「ミユ、大丈夫か?」
キョウジは停まる毎にミユに対して声を掛けていた。
「うん。だいじょぶ」
そしてミユはいつでも気丈にそう返す。
「気が変わればいつでも言っていいんだぞ。無理をする必要はどこにもない」
「でも、兄ちゃんがあたしの記憶を探してくれたから」
少し汗ばむほどの気候だった。太陽が異様な程ぎらついている。なのでこまめに水分補給しながら停まると走るを繰り返していたのである。
「寒いのから、急に暖まるとそれはそれでな」
「もぅ。兄ちゃんはお天気に文句言い過ぎだよ」
そうは言ってもな……と言い返そうとして、キョウジは止めた。これ以上天気で言い争っていると、今はまだ黙っているカレンが参戦してきそうな気がしたからだ。そうなると収拾が着かなくなるし、何より女二人との言い争いで勝てる訳がない。
そんな訳で、キョウジはお天道様には我慢する事にした。
そうやって走っている内に少しずつ山道になってくる。道中の集落で聞いた話によれば、ヒエイザンとは物凄く遠い昔に偉い僧侶が開いた山寺らしい。宗教の力が――法とともに――失われたこの世界では、さして意味の無い話の様に思えた。しかし、あのメフィストフェレスの唱えた所による〈最終的救済〉とは何かつながりがあるのだろうか。何か嫌な予感がする。というよりそれしかしない。
キョウジはミユを拾ってこの方、彼女の記憶を取り戻すべく動いてきた。ミユ自身がそこまで乗り気でなかったにしてもだ。しかし今、その彼が危険を冒してでもそうする必要は無いと思い、しかしミユは震えながらも自分自身に立ち向かおうとしている。ここに来て立場が逆転していた。
ヒエイザンの麓では〈アポカリプス・ナウ〉の衛兵が立っていた。
「ここからは車は入れない。歩いてもらう」
全く気に食わなかったが、ここで揉め事を起こしても仕方無い。しかしこんな山奥がテロ組織の本拠地とは――いや、らしいと言えばらしいのかもしれないが、それにしては神聖な空気が漂っている気がする。果たして自分が、そして奴らが居ていい場所なのかどうか。山岳信仰など全く無いキョウジは、それでもそう思った。
意外にも、その本拠地の寺まで歩く道程では監視役は付かなかった。それがむしろぞっとするような感じである。まさか、山登りをしている内にこちらの心が洗われる、などという事を望んでいるのではあるまいが……
しかしその道は太古から自動車を遠ざけていたのではなく、所々アスファルトで舗装された道路の跡があった。保全する者達がいなくなってから錆びれていってしまうのは仕方ないだろう。だがキョウジのバイクが走れない程荒れている訳ではない。とすれば、この対応は単純にこちらに対する警戒だと思うのが良いだろう。
そんな感じで、キョウジはなおも(奴等と同じ様に)警戒を緩めずにいたのだが、当のミユが山道の緑、それから川のせせらぎに癒されてしまっている。気分がころころ変わるのは少女らしいと言えばらしい。キョウジとしても、彼女が不機嫌あるいは陰鬱であるよりかは上機嫌である方がいいのだが、なんだか気を張っている自分が間抜けに思えてもくる。
彼女は足を止めて、ぼうっと川向こうを見ていた。なにをボンヤリしているのかと思ったら、その先には小鳥が木の小枝に止まっていて、それを眺めていたのである。
「鳥さんはいいよね」
「なにが良いんだ?」
「こんな世界でも、翼を羽ばたかせて自由に生きてる」
「……そうだな」
そうこうしている内に、〈アポカリプス・ナウ〉がこちらのクルマを止めた理由が分かった。彼等は武装した車輛を装備している。それこそ〈ザ・ラウンドテーブル〉にも劣らない位だ。だからこそ、ここに車輛を入れている、走れる事を隠蔽しなければならなかったのだろう。尤も、それはこちらが通報しなければの話だが。
「何でこいつらはここに本拠地を置いたんだ?」
「そこ、そんなに不思議がるところ?」
カレンの問いにキョウジは首を振って応えた。
「こんな、〈ザ・ラウンドテーブル〉の近くに本拠を置く意味がどこにある?」
応えた上で、すぐにキョウジは自分の問いに答えを出した。彼等は最初から〈ザ・ラウンドテーブル〉を敵として捉えている。潰そうと思っている。それが、近隣の山奥に陣地を構えた理由だろう。その上で隠れて勢力を伸ばそうとしている。ラウンドテーブルの情報部から必死に隠れて……
この、ふたつの勢力がぶつかり合って、それで何が起こるのだろう?
知ったことでは無い、と、簡単に切って捨てられない程に、自分達が深入りしている自覚はキョウジにもあった。不本意ではあるが。この状況で、自分たちはどう上手く立ち振舞えばいいのだろうか。
「考えても仕方が無いよ。あたしたちは……うん、なるようになるしかない」
ミユはキョウジを説き伏せるようで、実際には自分自身に言い聞かせるように言った。だが、だからこそキョウジには深くそれが響いた。他ならぬミユがそういう覚悟であるのなら――もしかしたら、それは虚勢なのかもしれないけれども――自分が迷う必要はどこにも無い。
そして山中の寺に着いた。聖地の深遠さはいよいよ奥に迫ってくるような感じだ。そんなかつての宗教的聖地が、今はテロ組織の本拠地になっているのはこの世界の非情さをこの上なく分かり易く示しているような気もする。山奥だから空気も冷えていて、そして澄んでいて――それ故に不気味である。
その本堂の門に、急に霧が襲うような風が吹いた。そしてすぐそこにあの少年、メフィストフェレスが現れた。まるで案内人とでも言う風に。いや、確かに案内人なのだろう。
「やあ、よく来てくれた」
「別にお前達のためじゃないけどな」
メフィストフェレスは何か話そうとした。だがその前に異変が起こった。
それを異変と呼べるのなら。
本堂の前に黒衣の女が立っていた。チューブトップの上着、革パンツ、コート、すべてが黒ずくめだった。なんの事前情報もなければ、彼女は恐ろしいほどの美女であり、魅力的だと思えた。だが、その黒衣はぞっとするほどの殺意を投げ掛け、とりわけミユの方を見ていて、そしてその左手にはミユが持っている「春日守桔梗美奈」と瓜二つの刀を構えていた。
「えっ」
短く息を吐いたのはミユだった。痺れた様に硬直している。その様子を見て、黒衣の女は全ての物を凍らせるような、凄絶な笑みを見せた――だがその紅い瞳は全く歪んでおらず、どこまでも冷たく、こちらを射抜く。
そして彼女は最初は静かに、それから興奮を乗せて言った。
「こんにちは、初めまして――お姉ちゃん!」
そう言うなり、女は漆黒のコートをはためかせ、跳び上がった。人外的な跳躍力で、しかも素早く、キョウジとメフィストフェレスを大きく飛び越し、一直線にミユに向かって刀を閃かせる。ミユは「はっ」と息を吐き、戸惑いながらも鞘から自分の刀を抜いてそれに応戦する。
「貴方は」
「自己紹介は必要ないわ。ずっと会いたかったのよ、私のお姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
斬り合いが始まる。それは恐ろしいほど不気味で、神秘的で、どことなく滑稽でもある鍔迫り合いだった。黒衣の女はぞっとする笑みを絶やさないまま、そしてミユは可愛い顔を不思議に歪めがながら、ふたりは運命的に見つめ合い、そして剣を交わす。
「待て、〈ペイル・ライダー〉! 組織の目的を忘れるな!」
メフィストフェレスは、初めてキョウジ達の前に焦ったような顔を見せた。だが焦っているのはキョウジも同じだった。一体何が起こっているのか。
〈ペイル・ライダー〉とは、春日美夜とは。
この黒衣の女は何者なのだ?




