千本の刃
「わたし」は、どれほどの、幾百の、幾千の、幾万の戦いを繰り返してきたのか。
そしてその末にいる「あたし」は――
◇
少女ミユはまた夢を見ている。いつでも見る夢。しかしこれまではずっと薄ぼんやりした夢だった。悪夢でもなく、楽しい夢でもなく、ただ夢。しかしそれは自分の現実につながっている実感は常にあった。この事は誰にも話してはいない。話してしまえば、何かが終わるような悪寒があったからだ。「夢」を「現実」にしてはいけない。だからこれは自分の中でずっと仕舞っておくべきものなのだ。
だが、ある時からその「夢」の解像度は少しずつ上がっていった。彼女が、丘の上に立っている場面、そして華の様に突き立てられた幾千本の刀――その刀達はどれも同じような姿を見せながら、ひとつとして同一ではない。ミユはそんな刀に囲まれている。閃く銀が、夕日というよりかは落日の橙色と紺色の光を反射し、いつでもミユの瞼を鋭く刺激する。
それが自分が記憶を失った――思い出せるまでの記憶の前にある手掛かりなのは分かっている。ミユがいつでも抱いている、いつでも手放そうとはしない、心の寄る辺、「春日守桔梗美奈」と連続しているのは間違いない。よすがであり、そして、自分も守ってきた力。そして、幾多もの命を奪ってきた力――
ミユはしばしば慄然とする。あたしが、そんな力を持つ鬼である事に。
ああ、兄ちゃんが求める様に、あたしが無力な少女であればどれだけよかったのだろうか。
夢の解像度が上がったのは、あの〈オウガ〉と出会って、交戦して、彼を斃した時から始まっている。あれは初めて自らの明確な意志で敵を殺した経験であり――そして彼は、そんな自分を指して、「同じ存在」だと言った。その意味はその時は分からなかったし、今でも分からない。〈オウガ〉は、自分に対して大きな謎を残し、そして自分の腕の中で散っていった。
彼は何故あれほどまでに満足気だったのだろうか? 分からない。
だがあれから徐々に、戦いに対して忌避感が無くなってきたのも事実だった。しかしそれも怖くはある。ミユは怯える事で、ある意味自分の安全、とくに心の安全を確保していた面を気付いてはいた。思い出してはいけないもの、から遠ざかろうとしていた。
「あたしは……一体誰?」
その問い掛けに答える者はいない。夢なのだから都合の良い、心を愛撫する様な――そして何の意味も無い――答えが返って来てもよさそうなものだが。
何故夕焼けなのか。ミユはいつでもそれを考える。朝でもなく昼でもなく夜でもなく。憂鬱と愛惜を同時に誘う、この光景なのか。夕陽を反射する刀の面はいつでもそれを問い掛けているような気がする。
程無くして、ミユはこの夢で自由に動けるのを悟った。それからどうすればいいのか迷った。夢ならさっさと醒めて欲しいと思う。夢に耽溺するのは自分の趣味ではないし、第一これはさして良い夢でもないのだ。どれだけ苦しくても、どれだけ厳しくても、ミユは現実を愛する。だが今夜の夢は何かを成さないと終わらない、そんな感じもしていた。
そして彼女は、初めて丘を降りる。
この刀達が――自分が大切にしているものと同質で、しかし決定的に違う様なこれらが――何を意味するのか、それを知りたくなった。
ミユはひとつずつその柄に触れていく。そうすると、刀はそれぞれ霧の様に消えてゆき、それが自分の中に入り込んでいくようだった。霧はデモンが消失する時に見せる黒いものと同じに見えた。
「貴方達は……一体誰?」
その問い掛けは自分に跳ね返ってくるものでもあった。
かれらは、自分であり、自分は、かれらであり、かれらは、自分ではなく、自分は、かれらではない。
永遠のいたちごっこ。
その先に自分の記憶があるのは間違いなかった。そう思いながら、ミユは夕焼けの丘をしっかりした足取りで下りながら刀に触れていく。何かが入ってくるような感触は確かにあったが、それが明確に何かは分からない。温かいようでもあり、冷たいようでもあり、実際ミユの胸は温められたり冷やされたりした。でもそれら全てが、自分にとって大事なもののように感じる。
どれだけ触って、消して、自分の中に入れても刀は無くなる事はなかった。答えがあるようで、見えない。それがもどかしい。
「貴方達は……あたしは……」
そう呟いた時、ミユは背筋にぞくっとするものを感じた。触れてはいけないもの、しかし触れなければいけないものに触れた様な気がした。
「あたし達は――」
だが、彼女の旅は、ただ夢では完結しない。
◇
はっと目が覚めればある意味気持ち良いのかもしれなかったが、あいにくその目覚めはいつものようにボンヤリしたものだった。
目覚めは朝早くだった。硝子の窓越しから、ちらちらと朝焼けが見える。全く、気分が悪くなる程に気分が良い晴れやかな朝だった。ミユは覚醒時がいつもそうであるように、やはり気だるげであり、頭には靄が掛かっている様で、記憶には夢の残滓がまだ残っている。もっときっぱりと目覚める事が出来たらな、といつでも思うのだが、中々上手く行かない。自分はそういうものとして諦めるしかないのだろうか。
そして起きてすぐささやかな違和感に気付いた。ずっとキョウジのハーレーのサイドカーに乗っているものだと思っていたのだが、いつの間にかカレンのライトバンの後部座席に寝ていた。それからすぐに思い出す。キョウジが一気に峠を抜けてキョウトに到着すると言って、眠くなったミユはこちらに移動させられたのだった。
「んぁ……」
ぼうっとした頭が次第にスッキリしてくる。何だか自分が情けない存在の様な気がして来た。のんきに寝て、夢を見ている間も兄ちゃんとお姉ちゃんは完徹してクルマを走らせていたのだ。
「起きたの、ミユちゃん」
ハンドルを持っているカレンが振り返らずに言った。
「ああ、ゴメンナサイ」
「別に謝らなくても……っていうかなんで謝るの?」
「だって、あたしだけ楽して」
間抜けなミユを笑うようにカレンはくすくすとした。勿論嘲笑うようなものではなく、そこには愛情が感じられる。だかそれ故にこそミユはより申し訳無くなるのだった。
「人にはそれぞれ役割があるわ。何でも出来る訳じゃない。ミユちゃんはミユちゃんの出来る事をやるだけでいいのよ」
そう言って、カレンは聴いた事もないメロディの口笛を吹く。口笛はミユも好きなので、それに和音を付けるようにして後追いした。歌い終わると、二人は同じ様にして笑った。
夢を見たのは言わなかった。それは自分の中だけで留めて置くつもりだった。自分の中だけで考えるつもりだった。記憶に関しては手伝って貰う必要もあるのだろう。しかし、しかし――その失われた記憶、その奥にあるもの、名状しがたい何かについては、きっと自分自身で決着させなければいけないという確信があった。それが今夜見た、今までよりはハッキリとした夢にあるとミユは思っていた。
傍らには「春日守桔梗美奈」がある。いつも通りだ。これが自分と記憶――言い換えれば現世と繋ぐ微かな縁だった。それだけは間違いは無い。そしてそれが、あの夢の中、いつも見る千本の刃に繋がっている事も。
答えは見えない。この先に見えるものがあるのだろうか? 春日美夜とは――
「さあ、キョウトよ」
現実に引き戻すように、そうカレンは快活に言った。




