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銀狼と餓狼(2)





 キョウジの中で、勝利の女神と死の女神が交錯していた。そして全てがゆっくりと感じられる――いや、止まってすら見える。こちらを捉えようとするデイヴィスの碧い瞳もまじまじと見て取れる程である。そしてそれを、自分を後ろから見ているような感覚があった。〈加速時間〉の自動発動はこれまでにもあった事だが、この時は殊に明敏な感覚として、むしろ自分に襲い掛かるような風にやって来た。


「死ねェッ!」


 デイヴィスが振り下ろした斧先は、しかしキョウジを仕留められず、がん、と地面を叩いた。その時のキョウジの動きは誰にも把握出来なかっただろう。カレンや〈ザ・ラウンドテーブル〉の隊員は当然、デイヴィスも、そしてミユすらも。何故なら当人たるキョウジ自身も、自分の動きを明確な思考で動かしている訳では無かったからだ。自動的に作動しているような感じだ。自分を他人のように見ている――その感覚は初めて能力を発現した時もあったが、その時よりもはるかに鋭いものだった。


 すべてを把握していながら、何も見ていない。そんな奇妙な時間の中で、キョウジの心は異様な程フラットで、ただ戦闘への、勝利への意志だけがあり、凍ったような空間の中で、彼はあっという間にデイヴィスの背後を取っていた。


 だがデイヴィスも完全に無抵抗ではなかった。キョウジは短剣を立て、背中から胸に突き刺すイメージで刺突したのだが、デイヴィスは必死に身体を捻らせ、躱そうとする。短剣は脇腹に刺さり、キョウジが刃を抜くと鮮血が舞った。


「なァ、何だ、てめェッ!」


 死神の鎌はどちらを刈り取ろうか、まだ決めかねている。


 デイヴィスの憤怒と驚愕が入り混じった必死の形相が見て取れる。対する自分はどうだったのだろう? この平静さからすればきっと無表情になっていると思う。戦場には不釣り合いな、激しさも何も無い――キョウジの意識の中ではそんな暢気な思考が存在していた。だが実際に彼を衝き動かしていたのは、生命の危機に誰しもが発動させる事の出来る、つまり、無意識の領域だった。


 自分でもぞっとする感じがある。


 デイヴィスは致命傷を避けたが、体勢的にキョウジが圧倒的優位に立っているのは間違い無い。スピードの面でもそうだ。一瞬だけ対面になったが、キョウジはすかさず鮮烈な回し蹴りを放ち、デイヴィスを地に伏せさせる。そしてそのまま覆い被さってその急所を――


「デイヴィス殿を援護しろッ!」


 手は出さないように、と命令されていた〈ザ・ラウンドテーブル〉の隊員たちが、副長の指揮によって射撃を開始した。咄嗟にその判断(指揮官の命令を背き、独自に)が出来る程、彼らは洗練された精鋭だった。それに妨害され、キョウジは一旦飛び退く。


「このッ! 兄ちゃん一人に卑怯だぞッ!」


 それに反応して、ミユを動き出した。


 そこから1対1だった戦闘は、一転して乱戦になる。デイヴィスは一旦下がり、脇腹の傷痕を止血するように抑える。キョウジの〈加速時間〉も限界に来ていた。その代わりにミユが飛び出したのである。デイヴィスはおののきながらも拳銃を構え、射撃する。


〈ザ・ラウンドテーブル〉の隊員たちは散開しながら、キョウジ達を包囲するように機動し始めた。中々の練度――だがそれではキョウジを捉える事は出来ない。冷たく冴えたあの感覚がまた蘇ってくる。ここにいる隊員は20名程。それに向かって、キョウジは時計回りに襲い掛かる。そしてそれに呼応するようにして、ミユは反時計回りに疾駆し、敵を捉え続ける。


 そこにいたのは二人の自動殺戮機械(キリングマシーン)だった。隊員たちも懸命に銃撃を続けるのだが、二人を掠める事すら叶わず、次々と屠られていく、為す術も無く斃れていく隊員達、それでも恐慌せず戦闘は続けていたのだが、その訓練された士気が逆に仇となり、彼らは潰滅しかかっていた。


「舐めるな、クソがァッ!」


 そこに呼吸を整えたデイヴィスが入り込んでくる。キョウジがそうであったように、彼もまた生命の危機に瀕して動きがより鋭くなっている。普通の人間とは思えないほどの長大な跳躍を見せ。そのまま一刀両断という風にキョウジへとポールアクスを振り下ろす。


 それは手負いの餓狼であった。


 無論簡単にやられるキョウジではない。その天からの打撃をすっと躱し、まだ昂っていながら冷静である集中力で以てデイヴィスの着地を狙う。能力限界はまだ冷めきっておらず、発動していない。それでも感覚はそれに似た様なものがある。キョウジは全身が研ぎ澄まされた刃のようであった。


 ミユはこちらの方へは手を出さず、隊員達への応戦に向かっていた。彼女の枷は外れたのだろうか、その動きに迷いは無く、だが暴走した時の様な凍り付くような鋭利さも無い。キョウジはそれを横目で見ていた。デイヴィスと刃を交えながらである。自分が自分ではない様な、そんな不思議な感覚はなおも続いている。むしろ鋭くなっていっている。


 異様な程自分の身体が軽い。まるで足に羽が生えたようだ。それでいて浮かれる事も無い。興奮も怯懦も存在せず、ただ戦う操り人形と化して――そして操っているのも自分自身だった――相手に向かう。


 だがデイヴィスも大したもので、そんな尋常ならざる動きで懐に飛び込み続けるキョウジを何とかいなしていた。彼の動きも素早かった。それでもすこしずつ追い詰められているのは確かだった。


 しかし、切り札(ワイルドカード)を最後に残していたのは銀狼のほうだった。


 再びキョウジは時間が凍り付くのを感じていた。意志でそうしたのではない。そうしたのは本能と呼ぶべきものだった。彼の闘争本能が、様々な要因を絡めて増していく。それは激しくありながら、キョウジ自身の胸の中では無風だった。


 だれも捉えられない〈加速時間(オーヴァードライヴ)〉。


 それはそれまでの激闘が嘘のようにあっさりとしていた。止まった時間の中で、キョウジの短剣はデイヴィスの頸動脈を軽やかに掻き切ったのである。


 デイヴィスは死の運命を目前にして、驚愕と言うよりは唖然とした顔をしていた。何が起こったのか分からない、といった風だ。それから鮮血を撒き散らし、キョウジにその返り血を浴びせて、そのまま倒れ込む。


「これが……これが俺の最期、かッ……」


 ポールアクスも手放し、地に付す彼。


「まだ……殺したりねェッ……こんな最期で、あいつに会う訳にはッ……」


 キョウジはデイヴィスの捨て台詞はこれ以上聞きたくなかった。止めと言わんばかりに彼の背中に刃を突き刺す。やがて〈ラウンドテーブル・コマンダーズ〉の一人である彼の生命活動は完全に停止した。


 その頃には、ミユが〈ザ・ラウンドテーブル〉の隊員の残りを全て屠っていた。文字通りの塵殺である。しかし彼らはデモンではなく、人間である。肉体は肉片となっても残り続ける。焼却されるか、腐敗するまで。それでも骨だけは残るだろう。それは彼らが生命体だった事を示すものだ。では、何も残らないデモンとは何なのか?


 戦闘が終わり、落ち着いた思考が無意識を退けて戻って来る中、キョウジはそんな考えを弄んでいた。


「会いたい奴には会えないだろう。お前は地獄に行くんだからな」


 キョウジはそう吐き捨てた。


「だからそこで待っていろ。俺もいずれ行く所だから」


 死骸と、その肉体から噴き出た血でその場は塗れていた。キョウジ達は生き残り、彼らは死んだ。それだけの簡単な事実。だがキョウジは今更になって恐怖を覚えた――()()を殺したのは初めてだったからだ。


 だがそれをねじ伏せるだけの度胸もある。なにより自分一人の運命だけでなく、彼には他に背負うものがあった。


「兄ちゃん、だいじょぶ」

「ああ。お前は平気か?」

「あたしは、だいじょぶ……こういうの、最初じゃないから」


 それ以上の事は訊かない様にした。とりあえずミユが落ち着いてくれているのなら、それでいい。


「あの女の人、バンドのおうたのひとだったよね。一体どういう事なの?」

「話せば長くなる……事も無いが」

「兄ちゃんはあの人が好きだったの?」


 そう問われ、キョウジは目を伏せた。どう答えて良いか迷った。迷った末に曖昧に過ぎる答えを言った。


「分からん」


 一時の淡い恋があったのは確かだろう――だがそれは〈ザ・ラウンドテーブル〉を敵に回してでもする報復だったのか?

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