急転直下
「お前、こんな事をして……」
〈ブラッドスター〉のボスの声は、耳には入っているが心には入って来ない。今はミユの事だけが大事だった。この後どうなるかも考えていない。成り行き任せでどうにでもなると思っている。カレンは思慮深い性格では無かったのである。
「ミユちゃん! 目覚めて!」
やはりこの刀がカギなのだと確信し、意識がはっきりしつつあるミユにそれを抱かせる。少女は導かれる様にして手元に刀を持つ。いつでも「春日守桔梗美奈」を抱えているいつもの姿が戻って来た。いつもの姿――ボンヤリしているのもいつもの事だったが、それに近付きつつあった。自分の意思が復活しようとしていた。
「あ……お姉、ちゃん……?」
目覚めというか、それはまだ寝惚けているような感じではあった。だがミユが、普段通りのミユが戻って来たのは間違い無い。
「あの、ここ、どこ? あたし、ライブを見てて……」
「あの頃から記憶が途絶えているのね」
カレンはミユをとても可哀想だと思った。様々な運命に翻弄される薄幸の少女といった風情であり、この時もそうだった。
「そうだ、兄ちゃんは? 兄ちゃんはどこにいるの?」
最初に思い出すのがキョウジな所に健気さを感じる。それだけ懐いている訳だ。だがその事を話している余裕は無い。
「話は後! まずはここから逃げるわよ!」
「う、うん」
ミユは何が何だか分からない、と言った顔をしているが、緊急事態なのは把握している様だった。流されやすい性格が、ここではカレンに味方している。とにかく時間が無い。
「お前、こんな事をして、ただで済むと思ってるんだろうなァ!」
「それはこっちの台詞よ! いたいけな少女を利用して……反吐が出るわ!」
しかしボスに構っている暇は無い。こいつひとりならともかく、ここには組織の構成員がぞろぞろといるだろう。それをかわして――今は何より、逃げる事だけを考えねばならない。
ただ、キョウジの事も心配ではあった。丁度彼が闘技場で戦闘をさせられているようだったから、カレンはそちらに向かって叫んだ。
「キョウジ君! ミユちゃんは確保したわ! 貴方も逃げる事を考えて!」
騒然とする闘技場の中で彼の声は聴こえなかったが、頷いているのだけは見えた。彼はこれだけで切り抜けるだろう。彼の心配はここまでであり、今度は自分達の心配だ。カレンは銃を抜いた。だがこれは牽制である。タカヒロも銃を抜いたが、その隙を狙って彼女は身を震わせてタックルしたのである。タカヒロは情けなく尻餅を付いた。
「さあ、行こう!」
「う、うん」
ミユはまだ事情を飲み込めていない。それを教えれば、彼女はきっと罪悪感に充ちる事になるだろう。今そうなられては困る。問答無用で手を引っ張り、逃走を開始した。
「く、くそっ! みらん、みらん! お前は何をやってやがる!」
彼女の姿はいつの間にか消えていた。どこに行ったのか気になったし、言っていた事も気になったが、それは今重要ではない。
「走って!」
異変を察知した組織の雑魚がわらわらと湧いて来る。だが幸いにもその数は多くない。今は全力疾走、そしてキョウジと合流するのを考える。彼さえいればなんとかなる。そういった信頼をしていた。
「お姉ちゃん、こいつ等、敵なの?」
「ええ、そうよ」
いつの間にかミユの目が異様に据わっているのに気付いた。そしてカレンの手を放して日本刀をすらりと、寒気がするような金属音とともに抜かれる。
「ミユちゃん、ここで戦うのは……」
カレンはまたミユのメンタルが崩れる事を怖れた。だが少女はこう言ってのけた。
「生き残る為なら……あたしは戦える!」
〈ブラッドスター〉の大誤算――それは少女ミユがキョウジすらも凌駕する戦闘能力を備えている事を知らなかったという一言に尽きる。
◇
間抜けな話だが、キョウジはここに至るまですっかりカレンの存在を忘れていた。だからテラスで行われていた騒乱を茫然として眺めていた。
「あいつ……」
だが、なんにせよミユが解放されたのであれば、こんな所に拘束されている理由は全く無い。キョウジは駆け出した。一刻も早くカレン達と合流する為である。得物が慣れた短剣ではなく、貧相なショートソードなのが気に食わないが、仕方あるまい。事が終われば武器を回収するのも忘れてはいけないだろう。
VIP達が集まっていると思しき席が向こう側にある。一階はかぶり付きになっていた。そこを抜ければカレン達に会える筈だ。
どけ、と怒鳴るまでもなくかれらは散り散りに逃げて行った。誰もがパニックに陥っていた。それを眺めているキョウジ自身、そこまで冷静ではない。だが機械的に今為すべき事を分かっているだけだ。そういった割り切りは得意だった。
そのまま内部へと侵入する。〈ブラッドスター〉の構成員がやって来るが、へっぴり腰でまともに向かって来ようともしない。先程キョウジの圧倒的な強さをみたばかりだったからだ。
無用な流血はいるまい、と判断してキョウジはそれらをほぼ無視して駆け続ける。それでも健気に抵抗しようとして来た少数は蹴り倒して気絶させた。勿論こんな所では能力を使う必要も無い。
そうしてカレンとミユがいるであろう場所に向かうのだが、正直な所を言えば女達に会う事にキョウジは少し気後れしていた。なんとなれば、自分の不手際、不始末でこんな事態になっているのだ。謝る事に迷いは無いが、だからといって罪悪感は消え去ってくれないだろう。彼はただ情けない男の様を晒した事を恥じていたのだ。彼女達は許してくれるだろう、多分。
上から騒音が聴こえる。きっとカレンやミユも暴れ回っているのだろう。3人でこの屈辱を与えた〈ブラッドスター〉に復讐できればさぞかし痛快だろう。だが今の所それは現実的ではない、まずは自分達の安全を確保する。その後で、やる。慈悲は無い。特にあのタカヒロとかいう奴は自分で仕留めねば気が済まない。
だがここで、キョウジはすっかり忘れていた一つに出逢うことになった。階段を昇っていくと、踊り場にあの女――みらんが立っていたのだ。
「なんだ。邪魔をする気か?」
キョウジは彼女に一度やられている事を忘れてはいない。そして彼女の「声」に対抗する手段は今の所、無い。とすればここを切り抜ける為には、歌わせる前に仕留めなければならない。
だがみらんは微笑み、それから首を横に振った。
「貴方を止める気はないわ。私、もうここにいる気は無いの」
「そりゃまた急な心変わりだな」
「貴方のせいよ。貴方にあんな事を言われたら、私……」
そう言ってみらんは頬を紅く染める。しかし紅潮していながらも同時に泣きそうな表情でもあった。
「ねえ、キョウジさん。貴方の言った事、信じさせて。私をここから連れ去って」
これはもう本格的だな、とキョウジは困ってしまった。しかし吐いた唾は呑めぬ。男が一度言った約束は守らねばならない。それに、彼女が旅の一人に加わるのは悪くない。彼女はいい女だ。カレンと比較しても、ミユとも……いやまあ、少女は別だが、勝るとも劣らない。キョウジも男なので、男と連れ合うよりは女の方がいいに決まっている。しかしこれではまるでハーレムではないか。それを維持出来るだけの甲斐性が自分にあるだろうか?
覚悟を決めるべきだろう。
「分かった。じゃあ今からきみは俺達の仲間だ。だが忘れるな。一度仲間になったら決して裏切るんじゃないぞ」
「分かっているわ……今正に組織を裏切ろうとしてる私が言っても説得力ないでしょうけど」
「そんな事はない。きみはただ利用されていただけだからな」
兎に角そうなったからにはますますカレン達とは早く合流しなければならない。だがしかし、この事態をどう説明したらいいのだろう?
思考は唐突に打ち切られた。組織の構成員の一人が、血相を変えて乗り込んできたのだ。しかしキョウジを止めるにしてはどうにも様子がおかしい。
彼は悲壮に声を嗄らして叫んだ」
「た、大変だッ!〈ザ・ラウンドテーブル〉の奴等が攻め込んできやがったッ!」




