カレンの試練
カレンはこっそりとタカヒロとキョウジの会話を盗み聞ぎしていた。ミユの事もである。ミユを人質にしてキョウジを剣奴として扱う――悪辣な男が考えそうな話だ。だがこの状況ではカレンにも打つ手はない。それどころか自分自身が危険に晒されている。これほどのピンチは味わった事が無い
さて、ここで一つの決断を迫られる。
キョウジとミユ、どちらを追跡するべきか? しばし考えたが、やはりここは少女の方を優先すべきだという結論に至った。キョウジは滅多な事ではやられはしないだろうし、もしそうなってもカレンにはどうする事も出来ないからだ。そして彼がそういった窮地に追い込まれているのはミユが虜になっているからなのである。とすれば、ここから逆転する為にはミユを助け出すしかない。
カレンは一通りの状況を把握したところで一旦〈ブラッドスター〉のアジトを脱出する。これ以上潜伏しているのは危険だったし、また無意味だったからである。それぞれがそれぞれの危険に晒されている。だが今自由に動けるのは自分しかいない。私に全てが掛かっている。正直な所、プレッシャーに圧し潰されそうだった。幾多の危機、危地を乗り越えて来たけれども、こういった重圧には弱い彼女なのだった。普段勝ち気に振舞っているのは、自分の本当の性格、臆病な自分を隠す為だった。周りに対しても、そして自分自身に対しても。
だがこうやって一人になるとその恐ろしさが振りかかって来て、耐えるのが難しい。
「でも、やらなきゃ……」
彼女は一旦宿に戻り、短機関銃を置いていくことにした。やや不安ではあるが目立つよりは良い。今回は戦闘は避けねばならないからあっても意味が無い。とはいえ最低限の護身としてオートマチック拳銃だけは装備する。
あと、それから――ミユの愛刀も一応持っていく事にした。何か意味があるか、と問われれば難しい所である。ただ何となくこれが必要な気がしたのだ。ただのカンである。だがカンというものはそうそう侮れないのを彼女は知っている。それで危険を潜り抜けてきたことも何度かあった。
「私は運が良い方だと思うのよね」
その運が今回も味方してくれるか、それを祈るしかなかった。
◇
きっとあの男はミユを手元に置いておくだろう。とすればコロッセオのVIPルームに潜入するしかない。だが流石にそこは警備が厳重である。どこかに抜け道があるかも探したが、それは全て塞がれている。勿論乱闘騒ぎを起こすのは論外である。
「どうしたらいいのかしら」
どうにかしてVIP席のチケットを手に入れなければならない、という結論に達した。だがどうやって? 色仕掛けでも何でも使ってなりふり構わず食い込むべきなのか。しかしこんな所に招待されるセレブ(こんな下品な街でセレブも何もあったものではないが)の男は漏れなくすでに女を確保している。入り込む余地はない。
では奴が出て来る所を狙うべきか?
どれもあまりいい手の様には思えない。ここに来て手詰まりである。でも何かある筈、何か――と考え始め、ひとつ思い付いたのはVIP席チケットの偽造である。この街にならそんな事をやってくれる怪しい店もあるかもしれない。
それを探し始め――全然見つからず途方に暮れていた所に、怪しいというか胡散臭さの塊のような店が人通りの無い通りの奥に突然顕れた。
「須山書房・西梅田支店」。
須山書房とは、あのニガワの時に突如ミユが祈って出現させた書店、というよりは異空間である。デモンが様々な能力を持っていると言っても、これは出鱈目すぎる。でも現実としてそこにあるのなら信じるしかないし、今正にカレンはその助けを必要としているのだ。
「須山書房は真にそれを望む者に扉を開かん――迷える子羊よ、ようこそ我が店へ」
「アホとちゃう」
有馬佳仁が無駄に重厚な声を作って言い、そこにすぐさま妹、和美のツッコミが入った。
「ふと思ったんですけど」
「なに?」
「『須山』書房なのに貴方達はどうして『有馬』さんなんですか?」
「ああ、それなぁ。よぉ訊かれるわ」
佳仁は楽し気に肩を揺らせてくつくつと笑った。
「須山ってんは創業者の苗字やよ。その後を有馬っちゅう男が受け継いで……」
「貴方達が、その有馬さんの子孫なんですね」
「子孫っちゅうか……厳密にはちょっとちがうねんけど」
「同じもんやん」
「ま、そこは企業秘密という事で、ひとつ」
ちょっと気になったから訊いてみただけで、そこまで深く知りたいとも思っていなかった。それよりも急を要する事がある。
「あの、それで……」
「きみが欲しいんはこれやろ? ほい」
それは間違いなくコロッセオVIPルームに入る為のチケットだった。まるで魔法の様だ、とカレンは感嘆するより呆れてしまった。こんな都合良く事が進んでいいものなのだろうか。いや、こんな摩訶不思議な店があるのでは、この世の理そのものが崩壊してしまわないだろうか。
佳仁はこちらの心を読んだ様ににやりと笑い、言った。
「うち等は気に入った人にしか手助けせえへんよ。それに出来るんは手助けだけやしな」
「ほら、ヨシくん、カレンさんがあんたの好みなんは分かるけど、ちゃんと商売しぃや」
「無論、代金は頂くで」
提示された金額は思ったよりも高くは無かった。「こんなんは大した仕事とちゃうしな」と事も無げに佳仁は言った。
「この先の苦労まで、うち等は関与できんよ、ってこっちゃ。まあ気張りいや」
「はい! ありがとうございます!」
この兄妹を前にすると奇妙に素直な気持ちになれる。どうしてだろうかと思ったが考えても分からなかった。分かるのは、それが決して悪い気持ちではない事だった。
◇
そして再びコロッセオに向かう。不安な事は様々あって、考える毎に気分が落ち込んでくる。例えば、装備は没収されるだろう。丸腰になるのは非常に恐ろしい。この世の中では特にそうだ。それに偽造チケットがバレたらどうするのだろう? 殺されるか、殺されるよりもっと酷い事になるか――だが何よりカレンが心配していたのは、あのキョウジが為す術無く囚われていた理由だった。彼を倒せる者など簡単には考えられない。洗脳はされていない様だったが、きっとあの歌姫の能力のひとつに違いあるまい。それと対峙して、自分ごときが何を出来るというのだ――?
色々と思案した末、カレンは無謀とも言える作戦を取った。
まずは何食わぬ顔をして入場口に向かう。
「あんたみたいなのがVIPルームに入れるとはねぇ」
「私みたいな美人は色々と得することがあるのよ」
「確かに美人だ。どうだい、姉さん。この興行が終わったら俺と一晩付き合わないかい?」
「遠慮しとくわ」
「まあ、俺も言ってみただけだ」
それからボディチェックの為の場所に案内される。こんな作戦で本当に大丈夫なのか、と緊張してくる。だが彼女のカンは絶対にミユの日本刀を手放さないようにと囁いているのである。
優男風の職員がやって来て、人の好さそうな顔を見せてチェックに入ろうとした。
「ヘンな所、触らないでよ」
「勿論そんなことは致しませんよ。ただまあ……触るまでもなくその刀は預からせて頂きますが」
悪い男の様には見えなかった(〈ブラッドスター〉の構成員である事は置いておくとしても)。だからカレンは胸中で「ゴメンね」と呟いた。
そして近寄ってきたところに、美脚を一閃させ、彼の股間を豪快に蹴り上げたのだった。
「ぎゃあッ!」
男の苦しみは女には分からないが、女には女の苦しみがあるんだからおあいこよ、とカレンは言った。そして異変を察知されるまでに一気に駆け出す。
「待ってて、ミユちゃん……キョウジ君!」
彼女はいつものように臆病な心を噛み潰し、目的に向かって走り出した。




