座敷牢にて
場内はまだ騒然としている。そんな中、タカヒロが椅子から立ち上がってぱちぱちと拍手してきた。キョウジはそちらを見上げる。生気の無いミユが未だに痛々しい。彼はあからさまに敵意の目線を送り、それを隠そうともしなかった。横ではみらんが微笑を浮かべている。
このままで済むと思うなよ、という決意を込めてキョウジはぐっと拳を握り、テラスへと向けた。事情を知らない観客には、単に勝鬨を上げただけに見えたかもしれないが。いずれにしても〈ブラッドスター〉のボスは全く動じない。勝者の余裕を見せている。見た目はさほど悪い男には見えないのが更に腹が立つ。こういう奴ほど内に邪悪を溜め込んでいるものだ――それは偏見だろうが。
とにかく生き残った事は幸いである。
案内人、と言うよりは監視役の男が数人やって来る。全員短機関銃を構えて武装していた。それ位で怯むキョウジでは無いが、勿論ここで暴れる気はない。彼らに誘導されてキョウジは闘技場を退場する。ミユの姿を見れなくなるのがやや不安になった。少女がいつまで安全を保証されているか分かったものでは無いからだ。尤も、奴も手を出したらこちらの枷が外れるのを分かってはいるだろう。それでも心配になってしまうのだ。
もしかしたら、ミユがキョウジに依存しているように、自分にとってもミユは心の支えになっているのかもしれないと思った。いや、それは既に感じていた事だ。だが自分が思っていた以上に、という意味である。
しかし今は臥薪嘗胆。有効な手立てが見つからない以上は大人しく従っているより他は無い。だが今カレンはどうしているのだろう? 彼女の事も心配ではあった。だが彼女が打開の道を導いてくれるかもしれない希望も持ってはいた。
「無力だな」
自分の不甲斐無さをここまで感じたのは初めてだった。いっぱしの男にはなっていたつもりだった。だが結局はこんな情けない男だったのだ。やり場の無い怒りが溜まり続けて、いつまで我慢できるか分かったものではなかった。
「ほら、きびきび歩け」
武装した監視役達は嗜虐的な顔をしていた。とても下品である。強力なデモンをいいようにしている優越感に浸っているのだ。皆殺し、という物騒な言葉がキョウジの頭の中によぎった。慈悲は既に失われていた。一度逆転すれば、完全に粉砕してやろうと改めて心に決めていた。
案内されたのは控室とはまた違う所だった。簡素な木造の宿舎である。状況が変わらない限り、もしくはあのボスが飽きない限りはここで飼われるという訳だ。
中は昨今では珍しい和室で、四畳半の部屋だった。家具はほとんど無く、小さい卓袱台と薄い布団があるだけである。どことなく臭う。便所からだった。外から鍵が掛けられるようになっていて、正に座敷牢といった風情である。
「ここが終の棲家にならないといいな」
そう言って監視役の一人はにやにやと笑う。馬鹿なのかな、とキョウジは呆れた。余計なヘイトを買って、後からどうなるかも考えられない無能らしい。まあ今ここが気持ち良ければいいだけの輩はこのご時世、こいつだけに限った話ではない。つまり刹那的で殺伐としている。今更そんなことに憤慨しても何も始まらないが……
「飯は用意してくれるんだろうな」
「鼠でも喰ってな……と言いたい所だが食事は必ず3食用意する。客を愉しませる闘士が栄養失調でふらふらだと話にならないからな」
それが初めての会話であり、そしてそれ以上のものは無かった。
監視役の男が去った後、鍵が閉められキョウジは閉じ込められた。あからさまな牢獄ではないし、鎖に繋がれている訳でもないが、確かに彼は囚われの身になっていた。こんな鍵くらいは簡単に破壊出来るだろうが、勿論そんな事はしない。
今の所は良い手も浮かばないので、ミユに対する心配は残っているものの、あまり深刻にならないようにしようと思った。そういうわけでごろんと寝転がる。楽天的になれる状況ではないが、必要以上に悲観的になってもいけない。それは死への一本道である。心を楽にする事が、こういう状況であればこそ大事なのだった。その点、キョウジは上手くマインドセット出来る術を心得ている。それもこの荒涼たる大地を生きてきた知恵の一つである。
「まあ、のんびり機会が回って来るのを待つしかないな」
窓も無い部屋だから今が昼か夜なのかも分からない。そのくせ隙間風が入って来て、そろそろ春が見えてきた頃だというのに寒い。一体誰が何の目的で作った家屋なのやら。鍵は改造したのだろうが。
明日も闘技場で闘わないといけないのだろうか。
「あの男は俺が負ける……死ぬまで闘わせる気なのかな」
色々な手段(キョウジ達が蒙った卑劣な手段も含めて)を使ってデモンを集め、闘わせ、より強い者を連れてきて、さらにあの観客どもを歓ばせて――全く悪趣味である。自分などは替えの利く駒程度にしか思っていないのだろう。いや、それ以下かもしれない。なんにせよ勝ち続けている間はミユの安全は確保できる筈ではある。
「……やっぱり色々考えてしまうな」
何もない殺風景な四畳半間というのが実によろしくない。考える事くらいしかやれないのである。
無理矢理にでも寝てやろうかとも思ったが生憎目は冴えている。薄い粗末な布団も安眠を約束して貰えそうもない。だが取り敢えずごろんと寝転んだ。唯一心休まるのは、この新鮮でもある畳の感触だった。和の文化は偉大である。
などとしていると、不意にドアがノックされた。こちらから開けられないので、キョウジは「どうぞ」とだけ言った。食事の時間なのだろうか……と思っていたら、確かに食事は用意されてきたのだが運んできた者が意外だった。
「みらんか。何できみが運んでくるんだ? そんな仕事なんかしなくても良いだろうに」
「無理を言ってやらせてもらってるのよ」
食事はお茶漬けとお新香、玉子焼きというシンプルなものだった。そんなに量は無い。だがこういう状況で飯を見せられると食欲を大きく刺激される。
みらんはその食事が盛られたお盆を卓袱台に置いた。食べたいのは山々だったが、それは必死に我慢して何故彼女が現れたのか訊き出そうとした――が、その前にみらん自身がそれを言った。
「貴方にもう一度会いたかったの。それからちゃんと謝らなくちゃって」
「きみが謝る必要は無いし、意味も無い。命令されてやっているだけなのだろうし、きみに謝られたところで状況が改善する訳じゃないからな」
「現実主義者なのね」
「そうでなきゃ生きていけない世の中だ」
みらんは、最初は気まずそうな顔をしていたが、やがて微笑んだ。
「一つ、訊きたい。いや二つか」
「何?」
「きみを殺せばミユの洗脳は解除されるのか?」
かなり踏み込んだ質問だったが、みらんは動揺を見せない。
「もしそうだとしたら、貴方は私を殺すのかしら?」
「俺は躊躇わない」
「それ程までにあの子が大事なのね。少し妬けちゃうな」
みらんは首を横に振った。
「質問の答えは『分からない』、よ。だって死んだ事が無いんですもの。それからどうなるかなんてさっぱり分からないわ」
「それもそうか」
「それで、もう一つの質問は?」
「洗脳はきみ自身の意志で解除出来るものなのか?」
次の質問には、みらんは返答に時間を置いた。だが答えなくは無かった。
「それは……出来るわ。でもごめんなさい。私はボスには逆らえないの」
「歌う場所が無くなるのがそんなに嫌か?」
「……そうね」
キョウジはしばし考え、それから一つの事を提示した。
「こんな所なんか辞めてしまって、俺と一緒に来ないか。完全に安全な旅を保証する、とは言わないが、きみが歌姫として今以上に活躍できる場所は必ず見つけ出してみせる」
危険な橋ではある。だがこれが通れば打開できるかもしれない。少なくとも、今までの感じだとみらんはキョウジに微かな好意を持っているようなのだ。
「どうしてそんな事を言ってくれるの?」
「きみが魅力的だからだ。あんな下衆に使われない、あるべき場所は必ずどこかにある」
だがみらんは返答を巧みに避け、代わりにこう言った。
「やっぱり、貴方はいい男ね」
それから四つん這いの格好になってキョウジににじり寄り、胸の谷間が見えたところで珍しく狼狽した彼を捉え、頬を取り――そのままキスをした。
「何でそんな事をする?」
「私、貴方に惚れちゃったみたいなの……」
大人の女だけが見せられる妖艶な笑みを浮かべて彼女が言った。
「ねえ、どうする? この続き……する?」
「それは……」
据え膳食わぬは男の恥――そんな言葉をキョウジは思い出した。据え膳は卓袱台に乗っているが、そういう事ではない。
という訳で彼は雄に戻る事にした。そこには何の打算も無かった。




