コロッセオ
マフィア組織〈ブラッドスター〉のアジトから、案内人(という名の看守)に連れられて護送車に乗せられる。キョウジはずっと無言を貫いていた。全く忸怩たる事だが、今の所は大人しく従っているしかない。喋らないのはせめてもの抵抗だった。元々お喋りでもないが、今は本当に何も話したくない気分だったのである。何かを質問されても無視を決め込んだ。
しかし手錠を嵌められ、檻の様な窓のクルマに乗せられていると、まるで罪人の様である。それもまた気に食わない。冷たい椅子もそうだ。奴等は俺の怒りを増幅させて何をしたいんだ、と思った。逆らえる筈が無いと思っているのか。もしここから逆転があるなら、キョウジは幾らでも無慈悲になれるのを分かっているのだろうか。
「窮屈だろうが、そんなに時間は掛からない。我慢するんだぞ」
案内人(名前を知る気も無かった)は意外と物腰柔らかな男であり、粗野なところは見られない。だがそれが逆に〈ブラッドスター〉の冷酷な面を象徴している様に思えた。乱暴に力を誇示するような輩よりも、こういった感じの方が厄介なのは経験で分かっていた。それはあのボス、タカヒロもそうだった。強靭な組織を作っていると見える。
「そら、着いたぞ。降りろ」
奴等の言う「コロッセオ」はさほど豪華なものではなかった。剣闘士の控室がある建物と、主催者と賓客が顔を出すであろう建物が建っているだけで、それも大規模なものではない。闘技場はあまり高くもないフェンスで囲まれ、それなりのイベントを開けそうな広さはあるが、地面は土である。その周りに階段のような簡素な観客席がある。闘技場は屋外である。入場口には、これもまた簡素なプレハブが建てられ、そこには実際にあるローマのコロッセオの写真が貼られていたが、貼られて随分時間が経っているのか、色褪せてぼろぼろである。
ここに殺戮劇を見たい嗜虐的な観客が集まる訳だ。
「ここでは殺しもアリだ。まあ、お前が死ねばあの少女も解放されるからその方がいいのかもしれんね」
そんな事にはならない、と言いたい所を堪えてキョウジは無言を続ける。
控室は一人一人に与えられるようだった。その中の一室に案内され、そこでようやく手錠を外された。控室には壁に色々な武器が並んである。両刃の片手剣、日本刀、あの〈ザ・ラウンドテーブル〉のシロウが使っていたような両手大剣、斧、矛槍、変わったところでは鋸などもある。
「得物は自由に選んでいいぞ。使いやすい物を使え。勿論全てデモン隕鉄製だ」
人間が仕切って、デモンを戦わせる――それは確かに倒錯的な娯楽なのだろう。ここで闘うデモンたちは飼われた猛獣の様なものか。
「まあじっくり考えると良い。出番が来ればまた呼びに来るからな」
残念ながら短剣は無かった。キョウジはリーチの長い武器は好みではない。普通ならそちらの方が有利なのだろが、スピードで圧倒し、懐に入り込む戦闘を得意としているキョウジにとっては短い方が良いのだ。
「ふぅ……何とか落ち着いてきたな」
独りになった所でようやくキョウジは言葉を発した。それまでは怒りを抑えるので精一杯だったのである。それがようやく冷静になれたのだった。
しなければならない事は山ほどあるが、とにかく今は生き残る為に必死にならなければならない。負けるつもりはないが、油断もしない。その気持ちが重要である。つまりいつも戦闘に向かう時と同じ心持ちだ。そして希望は絶対に捨てない。生きている限りは、どこかに勝ちへの筋道はある。それがこの厳しい世界を渡り歩いて唯一つ学んだ心得だった。
「取り敢えずこれが良いか」
キョウジが選んだのはショートソードだった。これが一番小回りの利きそうな得物だったからである。とはいえずっと我流で戦ってきたキョウジにとってはちゃんとした剣技など備わっていない。そこがやや不安ではある。
後で呼びに来ると言っていた。それまでは静かにしていようと思った。瞑想という程でもないが精神統一は欠かさない。呼吸はゆっくりと意識して、この屈辱と憤怒を力に昇華する必要がある。怒りに振り回されるとろくな事にならないことを彼は知っていた。故郷から強制的に放り出され、流浪の旅を始めた最初の頃はそれで随分と苦労した。あの頃はまだまだ青かった、と振り返る余裕が出来たのもつい最近の事である。それでもここまで生き残れたのは――まあ、運が良かったのだろう。悪運の強さだけには自信がある。自慢するようなものでもないが。
さて、その悪運は今回も味方してくれるだろうか?
「1対1なら、負ける気はしないがな」
それだけの自信はある。それは過信ではない筈だ。少なくとも負ける恐怖を抱いて戦うのはあまり良い事ではない。油断する訳では無い。勝利への執念を忘れないのが大事なのだ。こういった局面ではなおさらそれが大事になってくる。
取り敢えず剣に慣れる為に立ち上がって振ってみる。やはり中途半端にリーチがあるのが彼にとっては使い辛く感じる。立ち回りに工夫を要するだろう。相手がどんな奴なのかは分からないが、慎重にはならなくてはならないだろう。
「剣闘士、ねぇ……」
時代錯誤な様に思えて、この時代、このご時世ではむしろ相応しい娯楽なのかもしれない。まさか自分が戦わされる立場になるとは思っていなかったが。自分の滑稽さに腹が立つ。だが仕方無い。どれだけ不満があろうとも、現状を打破するには目の前の問題を一つずつ潰していくしかない。
付け焼刃ではあるが、リーチの間合いを確認し続け、イメージトレーニングを行う。基本的な戦闘スタイルは変えるつもりは無い。気分は決して良いものではないが、力は漲っている。興奮している訳では無い――あるのは怒りだ。それを昇華する作業は今の所上手く行っている。怒りと冷静さを共存させる。感情を殺すのではない。感情を上手く導くのだ。
トレーニングもそこそこに、心を休める時間も作る。そうしている内に出番がやって来た。
「キョウジ・ザ・シルバー。出ろ」
「分かった」
緊張はしていない。だが気が緩んでいる訳でもない。集中はよく保たれていた。伊達にここまで生き残っていない彼である。
暗い通路を通り、そして闘技場に出る。連れて来られた時は観客はいなかったが、今は満員御礼になっていて、とても騒がしい。すでに盛り上がっているようである。すでに数試合行われた様である。
「お前と〈コング〉の試合がメインイベントだ」
〈コング〉とやらが自分の相手らしい。その名前からは力任せで戦うごりごりの体格の男が想像出来る。そういう相手ならやり易いかもしれないが、安易に考えるのも良くない。
「最新オッズは4対2。お前が4、〈コング〉が2だ。観客はお前が負ける所を見たい奴の方が多いという事だな」
キョウジはここでも無言を貫いている。〈ブラッドスター〉の組織員と馴れ合うつもりは全く無かった。ミユさえ取り返せば、絶対に潰してやると決意している相手だからだ。だからこそ今は我慢しなければならない。賭けの対象になっているのも気に食わなかったが、それも飲み込む。
そうして舞台に立つ。キョウジが先に出されたようだ。騒ぎが大きくなる。盛り上がっているというよりは動揺している感じがある。「あの〈シルバー〉がどうしてこんな所で……?」なんて声も聴かれた。
「俺がそこまで有名人とはな」
しかしこの注目のされ方はあまり良い気分ではない。彼には珍しい事だが、軽い羞恥も感じている。こんな所に身を堕としている自分がだ。それはミユが囚われたからなのだが、それも自分の責任であるからだ。
「こんな事はさっさと終わらせないとな」
そしてキョウジは闘技場のテラス側に背を向けて立ち、相手の登場を待つ。
そして対戦相手の大男が現れた。




