ミユの懊悩
どうしていつもこうなのかな、とミユは思っていた。
一緒に騒ぎたい気持ちが無い訳でもないのに、いざそういう場面になると尻込みしてしまう。他人の目が気になる。知らない人に会うと怯えてしまう。本当はキョウジと一緒に居たいのに、今日もこうして逃げ帰ってしまった。
「あたし、本当に臆病者だ……」
世界を怖いと思ってしまっている。拒絶してしまっている
そんなミユにとってキョウジは数少ない寄る辺だった。もしあの時彼と出会っていなかったらどうなっていたのか、考えるに恐ろしくなる。あの時自分は限界だった。限界を越えようとして、破滅、あるいは自滅への道を辿っていた。その寸前で救ってくれたのが彼だった。
しかしミユはキョウジと打ち解けるのにも時間が掛かった。キョウジは自分の事を単に人見知りと片付ける。それは間違っていない。でもミユにとっては、その人見知りが病的な、もっと自分の根源に原因があると思えてならない。
あたしはそれを知りたいのか? それとも知りたくないのか?
旅の目的がそこにあるのは分かっている。だが彼女はその答えに近付くことを怖がってもいた。自分が自分でなくなる――そんな予感がするのだ。ならばこのまま真実からは遠ざかって、キョウジと旅を続け、それに終わりが来なければいい。そんなことを考えてしまう。
仮宿に戻ったミユは、ベッドに足を入れながら窓の外で繰り広げられている宴会をボンヤリと眺めている。結局の所、自分は必死ではないのかもしれない。彼らがこの快挙に浮かれ、騒げるのはまさしく日々を必死に、一生懸命生きているからだ。だからこそ生の歓びがある。だが自分の隣にあるのは死であるように思えてならない。
「……ダメダメ」
ミユはその思考を振り払おうと首を動かすが、一度陰鬱のスイッチが入ってしまうとどうにもならない。それは今日野盗のアジトであった出来事と無関係ではなかった。いつもそうなのだ。
自分の中にいる「鬼」。彼女はその事を十分に自覚していた。そして忌み嫌っていた。だがその力が無くては生きていけないのも事実である。死神が憑りついているような自分。本当は戦いたくない筈なのに、だれも殺したくない筈なのに。それでも死地に置かれたら自分を止めることが出来ない。残酷とも言える彼女が発現してしまう。そしてその後に残るのは――決まって惨劇。
どうにかして折り合いを付けなくちゃ、と思っている。自分の鬼を飼い慣らさなくちゃ、と思っている。しかしその答えも結局先送りにしてしまっている。
どんどん陰鬱の沼に嵌まっていく。終いには、ミユは自分になんて何の価値もないと思ってしまう。嗚呼、どうしてあたしは生まれてきてしまったんだろう。生まれてきてごめんなさい。このまま消え入りたい気持ちで一杯だ。
「ただいま。元気にしてたか?」
そんな陰鬱の淵から救ってくれるのも、いつもキョウジだったのだ。
「兄ちゃん」
ミユはホッとした気持ちになる。
「うん、あたしは大丈夫」
「あんまりそうは見えないがな」
ミユの強がりは彼にあっさり見抜かれていた。しかし彼がいると安心するのも確かである。本当は甘えてばかりもいられないのだが。
キョウジはオレンジジュースの瓶を持っていた。栓は開けられておらず、一杯になっている。これも貴重品なのだろうが、彼は遠慮なくミユに渡した。酒の飲めないミユにとっては有難い飲み物だった。栓を開けて飲むと甘い味がした。炭酸ジュースだった。果汁たっぷりのオレンジジュースではなく、そういうフレーバーの飲み物なのだろう。ともあれその甘さと炭酸の刺激は暗い気持ちに少しだけ光を差したような気がする。
「でも、こんなの貰っていいの」
「俺達はこの街の英雄だからな。貰える物は何でも貰っておく」
こんな世の中だ、そういった心持ちでないと生きていけない――キョウジはそう続けた。しかし本当は彼がミユの事を気にして、無理に貰ってきたに間違いないのだ。申し訳ない気持ちは変わらないままである。
キョウジはベッドの縁に座って、上体だけ起こしているミユの髪を撫でた。くすぐったい気持ちがした。全然悪い気持ちではない。でも彼は何故ここまで自分に優しくしてくれるのだろう? ミユはキョウジの見返りを求めない奉仕が不思議でもあった。
そして彼女はそこに依存し切ってしまっているのである。
「ごめんね、兄ちゃん……」
「お前は謝るようなことは何もやっていないよ」
キョウジには笑顔はない。元々滅多に笑わない男である。しかしそこには冷たさも感じない。なにか大きな包容力があるようにミユは感じられてならなかった。
「何度も言ってるだろう? こういう時にはもっと相応しい言葉があるって」
ミユは彼の教えを思い出し、言った。
「うん、有難う、兄ちゃん」
「そうだ、それでいい」
自分だって分かっているのだ。しかしどうしてもネガティヴな言葉が先に来てしまう。そういった性根は簡単に変えられるものではない。しかし。
「あたし、どうやったら変われるかな?」
「無理に変わる必要はない。お前はお前のままでいいんだ」
「でもそれじゃあたしが納得できないよ」
「なら俺はそうなるまでずっと待つよ」
ジュースを飲み干すとキョウジがその空き瓶を回収して小さなテーブルに置いた。彼は少し気持ち良さそうである。へべれけに酔っ払うことはないが、酒は好きな彼なのだった。少し顔を赤くしている。それはともすれば不愛想に見られがちなキョウジのことを可愛らしく見せていた。
キョウジの優しさを知ってる人はあまりいないのではないかと思う。
ミユはベッドから抜け、キョウジの横に座った。キョウジは言葉少なだったし、ミユも言葉少なだった。だからいつもこういった無言の時間が続くのである。お喋りしているよりも余程良い、とミユは思う。隣にキョウジの存在を感じられるだけで十分だった。
宴会の騒ぎは未だ収まっていない。それどころか更に騒がしくなっている様な気がする。このまま夜通し祭りを続けるつもりなのだろうか。それだけ住民の鬱憤が溜まっていた証明なのだが、そろそろ寝たいなと思っていたミユにとっては少々うるさいものである。
「少し酔いが回って来たかな」
眠りたくなったのはキョウジも同じだったらしい。いつもより少し緩んだ頬。閉じそうな瞼。気怠そうな彼はあまり見た事がないものである。物静かで冷静沈着なキョウジ。彼が隙を見せる事はほとんど無かった。
「ん、なんだ?」
「ええと、緩んでる兄ちゃんを見るのは珍しいから」
「俺だってたまには息抜きがしたい。そんなに変か?」
「いや……ちょっと可愛いなって思った」
キョウジは顔をしかめた。可愛いと言われるのはそんなに嬉しい事ではないらしい。しかしミユとしては彼の愛嬌をもっと引き出したい。色々と方々で誤解されがちな彼。もっと本当の彼を世界に知って欲しいと思うのだ。だが一方で無防備な姿を晒すのは自分と二人きりの時くらいなことに優越感も持っている。誤解される理由には、自分という少女を連れ歩いているからでもある事実からは目を瞑った。
「そろそろ寝るか」
「こんな騒がしいのに寝られるの」
「どんな時にでも眠れるスキルは身に着けている。それに酒も入っているしな」
そう言ってキョウジはもう一つのベッドに潜り込み、横になった。すぐボンヤリした顔を見せ始める。微睡みに入っているらしい。あたしも寝なきゃ、と思うのだがまだ神経が昂っていた。
「あの、兄ちゃん」
「なんだ」
「添い寝……してくれる?」
まるで子供のようなお願いだったが、そうせずにはいられなかった。キョウジは少し苦笑てから、どうぞと言うように手招きした。ミユは彼の厚意に甘え、隣に寝転んだ。
「子守歌も必要か?」
「そこまで子供じゃない……」
二人並んで寝そべる。キョウジは彼女の髪を撫で続けた。
「まだ、怖いんだな?」
「……うん」
「一晩寝れば気分も変わる。睡眠は大事にしろよ」
「うん」
本当にそうなればいいな、と願いながらミユは目を閉じた。