大ピンチの3人組
人生でこれ程不愉快になったのは初めてかもしれない。
だがこの状況では湧き上がる憤怒を必死で抑えるしか無かった。それには莫大な精神力を必要としたが、キョウジにはそれが出来た。
逆転の道を探さねばならない――しかし今のところ上手いものが思い付かない。こんな形で無力化されるのも初めてだったからだ。相手に対する怒りもさることながら、自分の無能さにも腹が立つ。
「お前がこちらの要求に従わなかったら、この可愛い少女がどうなるか分かるだろうね」
「分からんね。殺す気か?」
「そんな勿体無い事はしないよ――先に言ったが、俺達は奴隷商売もしているのでね。彼女にはしかるべきところで働いて貰う」
「お前はデモンじゃないな。人間か。だが人間でも人の心を失う事はあるんだな」
キョウジは毒づくが圧倒的優位に立つ相手、敵のボスは全く動じない。
「汚い手で優越感を得るのがそんなに嬉しいか?」
「嬉しいね。これ程嬉しい事は無い」
下衆である事を隠そうともしないこの男は、ある意味で大したものなのかもしれない。とキョウジは胸中で皮肉気に呟く。だがそれは助かるものでもある。こちらの罵倒にすぐ気を悪くする小物なら、ミユの命、或いは(もしかしたらこちらの方が重要かもしれない)貞操は守られないかもしれない。だがそれがいつまで続くかも分からないので、迂闊に罵倒し続けることは止めるようにした。
何にしても、ミユがただ捕まっているのではなく、虚ろに洗脳されているのがまずい。そうでなければ隙を突いて助けられるのだろうが、精神を握られている以上はどうにもならず、解除方法も分からない。それを知っているだろうみらんは俯いたまま何も言わない。彼女にも罪悪感はあるのだろう。だからと言ってどうなる訳でもないが。
そこでこの男がこれほど不愉快な理由が分かった。ただ邪悪なだけでなく、女を利用していい気になっているからだ。女を頼るのを悪いと言う気はないが、男なら恥くらいは持っていて貰いたい。だが顔傷のボスは平然としている。そこが気に入らない。全く気に入らない。その点キョウジは古風な価値観を持っている男なのかもしれなかった。
「自己紹介がまだだったな。俺は〈ブラッドスター〉の頭領、タカヒロだ」
「平凡な名前だ」
「覚えにくい名前よりは良いだろう? そしてこっちの歌姫が――」
「それはもう聞いた」
ボス、タカヒロはにやにやと嗤っている。
「いずれにしても、お前は俺達に従うしかないんだよ」
キョウジは出来るだけタカヒロと目を合わせない様にしていた。見ていたのは専らミユの方である。普段から活気があるとは言い難い彼女だが、ここまで生気を失った顔を見せる事も無い子なのである。それが痛々しく、そしてそれによって怒りは増していく。
堪えなければならない。だがこの憤怒を忘れてはいけないとも思った。気を付けなくとも忘れる事はないだろうが。
「みらん、彼の鎖を外してやれ」
「……はい」
みらんが近寄り、複雑に巻き上げられている鎖を外していく。拘束が外れたらすぐにでも飛び掛かりたい――その衝動を抑えるのに苦労する。
「ごめんなさいね……」
その最中、キョウジにだけ聴こえる様にみらんが囁いた。彼女に謝られても困るのだが。彼女の事は嫌いになれない。好みのタイプであるというのもあるが(その辺りはキョウジも愚かな男である)、悪い女には思えない。利用されているだけだ。だからといって罪が無いとは言わないが、哀れな女だとは思う。出来得るならば彼女も救いたい――が、やはり手段が無い。
だがキョウジはもう一つの可能性も考えている――ミユの洗脳を解くにはみらんを殺さなくてはいけないかもしれない。もしそうであれば、容赦はしない。その覚悟は持っていないといけなかった。
「だが念の為、手錠は着けさせてもらうよ」
そのタカヒロの言葉通り、キョウジは両手を前にして頑丈そうな銀色の手錠を嵌められた。その気になれば破壊出来なくも無いだろうが、今の所は大人しくしているしかない。
手に馴染んだ短剣が奪われているのが何とも不安だった。短剣さえあれば何でも出来るという訳でもないが、心理的な問題ではある。自分にもこんな感覚があるのだ、と思った。これではいつも日本刀を手放そうとしないミユの事を笑えない。
そうだ。そこに違和感があるのだ。刀を持っていないミユが奇妙に見える。今はカレンが刀を預かっている筈だった。そこでキョウジは彼女の事も思い出した。彼女にミユの追跡を頼んだが、今ここにミユがいるという事は、見失ったのか、それともやられてしまったのか――後者はあまり考えたくなかった。
「さ、案内役がそろそろやって来る。付いて行って貰おうか」
考え続けなければいけない。そして僅かでもある勝ち筋が見える時を逃さない。
その為には絶対に諦めないことだ。
◇
時間は前後する。
潜入捜査というのは前にもやった事はあるが、まるで生きた心地がしなかった。いつ見つかるか、その不安、恐怖が常に付き纏う。銃器の扱いはそれなりに慣れているが、特段強い訳でもない自分である。見つかったら終わり、というのはじつに心臓に悪い。
この時もそうだった。周り全てが敵だと思わなければならない。殺されるだけならまだいいだろう、だが女の自分は――
幸いにもと言うべきか、建物の中にはあまり人の気配は感じられなかった。ひっそりと、足音を立てない様にゆっくりと進んでいく。銃が動く音も鳴らさない為にベルトをきつく巻いていた。いざという時射撃するのが難しくなるが、仕方が無い。
取り敢えず人のいなさそうな場所から探していく。間違い無くこの場所のどこかにミユは捕らえられているだろう。しかしもしかしたらそこは警備が厳重かもしれない。
そもそも何故ミユを特別扱いして、一人だけこちらに連れられてきたのかが分からない。つい独り言が出そうになるが――人の声が無い時間が、彼女はどうにも苦手なのだ――我慢する、必死に、ひたすらに静寂を保つ。その疑問については後で考えれば良い。
そして首尾よくミユを見付けたとして、解放する手段も今の所は分からない。
狭い廊下を進む。襲撃を見越して敢えて狭くしているような廊下だ。そういった建物を新築したとは思えないから(実際かなり古びた感じに思える)、ここが適当だと思って接収したのだろう。問題は人影を発見すると身を隠すところが少ないという事である。
その人影をこちらが先に見つけた。丁度T字路になっている所である。カレンは心拍数が急激に上がるのを自覚した。息も荒くなる。それすらも聴かれているのではないかと恐怖してしまう。
彼女は見つかる前にすぐあった扉を開けて、部屋に入った。人気の無いのは分かっていた。だがここに入ってしまうとそこから身動き出来なくなる可能性もある。しかし手段は選んでいられない。
「はぁ……」
全く心が休まらない。これならキョウジと逆の役回りをしたかったな、と思った。
しかしそうでは無かった事がすぐに分かる。
カレンは様子を音だけでも探る為に扉に貼り付いて座っていたのだが、すぐに騒がしい音が聴こえてきた。幸いこちらには気付かれなかったが、どうも様子がおかしいと思った。その音が遠ざかるのを見計らってカレンは扉を開けた。
そこで見たのは――
大男に担がれて気を失っているキョウジと、あのメタル歌姫の姿だった。
何て事。カレンは静かにする意図ではなく、言葉を失った。全く想定していなかった事態である。キョウジまで囚われたとなるといよいよ打つ手が思い付かなくなる。だがそれでも、こうなったら自分がなんとかするしかない。気付かれないように、ひっそりと尾けて、どうにかして、微かな隙を見付けて――
無理難題の様にも思えたが、カレンはまだ諦めていなかった。




