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憂いの歌姫





 みらん(春日部(かすかべ)みらん)は幼い頃から歌が好きだった。歌っているだけで心が幸せになり、世界と一体化して、自分が世界の中心にいるような気持ちになれたのである。歌のジャンルはどんなものでも良かったし、どんな歌でも歌えるようになりたいと思っていた。


 自分が歌う事によって周りの皆も喜んでくれて、幸せを共有しているのが良く分かった。自分の声色が綺麗なものだと気付いたのは10歳の頃、皆にそうやって褒め称えられたからだ。


 彼女はこの世の中では貴重とも言える、名も無い村に住んでいた。そこで村のささやかな歌姫として振る舞い、もちろん農作業などもして、いずれは結婚して、子供を作り、ささやかではあるがこの崩壊世界では貴重とも言える幸せを享受し、一生を終える。できれば歌声は衰えなく、老婆になっても歌い続け、歌とともに死ぬ――彼女の願いはそれだけだった。つまり、歌さえあれば幸福に生きていられたのである。


 みらんは声だけでなく顔も美しかったので、村の男は誰もが付き合いたいと思っていたようだった。しかし彼女は控え目な性格に育ち、それで驕る様な事はなかった。彼女は誰からも愛されていた。


 その筈だった。


 それが全て崩壊したのは18歳の頃だった。彼女の身体に異変が起こった。端的に言えば、デモン・ウィルスに感染したのである。だがそれだけなら彼女の人生を変えるまでには至らなかっただろう。本当に変わったのはその声――歌声だった。


 いつもの様に村の皆の前で歌っていたら、やがて男衆が異様な動きを見せるようになった。催眠に掛ったような虚ろな目をしていき、既婚者でさえも虜になり、欲望を露わにさせられ、彼女に襲い掛かったのである。


 無理矢理輪姦されたにも拘わらず、村の者たちの反応は冷たかった。いや、冷たいなどという生易しいものでは無かった。そこにあったのは恐怖と嫌悪の目線だった。それは程なくして迫害へと変わる。みらんは人を狂わせる妖女(セイレーン)として忌避されたのだ。彼女は村に居られなくなった。


 だが村を追い出されるだけが彼女を絶望させたのではなかった。その歌、歌声、愛して止まなかった歌が呪いのものとして変貌した事にこそ、彼女の絶望があったのである。自分の人生を全て否定された様なものだった。歌こそが自分の全てだったのに、それによって居場所を失ってしまったのだ。


 自死まで考えた事もあったが、結局そこまでには至らなかった。幾ら希望が無くなったとしても死ぬのは怖かったのである。しかしどうやって生きようか、という問題もある。


 彼女はしばしの放浪を続けた後、ウメダに辿り着いた。この混沌の街なら、誰にも構われる事無くひっそりと生きていけるだろう。


 だがここに、彼女の歌を必要とする――利用しようとする者がいたのである。



         ◇



「キョウジ・ザ・シルバーを捕まえてどうするって言うんですか? ボス」

「彼には良い見世物になって貰う」


 キョウジは別室に捕えている。ライブハウスからは移動して、マフィア組織「ブラッドスター」の本拠にみらんはいた。そしてボス、雇い主とも言えるが、その男がいた。名前はタカヒロ(向島孝弘(むこうじまたかひろ))。40になり、この街でのし上がったマフィアのボスである。その出世は全てみらんを手に入れた時から始まったと言って良いだろう。彼はみらんを上手く扱い、愛人にもしていた。デモンではなく人間である。その容姿は優男風だが、右頬に刻まれた切り傷の痕が厳つさを増している。


 彼はみらんの歌声を聴いても狂わない男だった。みらんが人前で歌う事は出来ず、しかし歌を忘れる事も出来ず独りでひっそりと歌っている所を見初められたのだ。


「でも、彼は私の歌では洗脳できない強靭な精神力を持っています。どうやって従わせるつもりなんですか?」

「それについては別途手を打ってある。心配する事はない」


 その手については何となく想像は付くが、あまり良い気分ではないのは確かである。しかしボスの言う事には従わなければならなかった。脅されているからではなく、彼女は彼なしではこの街では生きていけないからである。ただし、愛人の立場に収まっているが彼を愛している訳では無い。


「取り敢えず奴の様子を見て来い」

「私である必要は無いんじゃないですか?」

「奴が暴れて止められる奴はお前以外にはいないからな」


 つまりキョウジ・ザ・シルバーが拘束を解こうとしたらまたあの音波攻撃をしなければならない。それは憂鬱だったが、仕方無い。


 そういう訳で別室に捕えているキョウジの事を見に行く。部屋に入るといやに静かだった。静かなのはあまり好きではない。みらんは歌と同時に「音」そのものが好きなのである。いや、静寂も一種の音だと考えるべきなのか?


 キョウジ・ザ・シルバーは簡単には抜けられない様に椅子に強靭な鉄鎖で雁字搦めにして縛っていた。今の所は大人しくしているようだ――というか、寝ていた。よくもまあこんな状況で眠れるものだ、とみらんは呆れてしまった。感心すらしてしまう。そしてその寝顔は妙に可愛く見えた。


「結構、いい男ね……」


 噂に聞く〈シルバー〉からすれば、もっと厳めしい面をしているものだろうと思っていたが(にも拘らず彼女が彼をキョウジと分かったのはその瞳ゆえである)、優しそうな顔をしている。悪そうな男には見えなかった。実際悪い男ではないのだろうが。しかし彼は少女を連れ歩いているロリコンでもある。油断は出来ない。


 こちらの気配に感付いたのか、銀狼は目を覚ました。だが暴れる気配は無い。いたって大人しくしている。


「おはよう、キョウジ・ザ・シルバー」

「ああ、おはよう。だがその二つ名で呼ぶのは止めて欲しい」

「あんまり気に入っていないの?」

「そうでもないが、きみの様な戦いに向きそうもない美人に言われると、ちょっと、困ってしまう」


 キョウジは至って落ち着いた顔をしていたが、かといって諦めを感じさせるものではなく、瞳には強い意志が感じられる。それでいてどこか物憂げでもあり、なんというか、男の色気を感じさせる。まだ若い筈――聞いた所によれば同い年の筈なのだが。


「随分大人しくしているのね。逃げ出そうとかは思わないの?」

「無理な事をしようとしても無駄なのは知っている。こういう時は流れに身を任せるしかない。そういうものだ」

「でも貴方は密かに逆転を狙っているんでしょう」

「それはそうだ」


 大人しくしてはいるが、従順ではない――やはり強い心を感じずにはいられなかった。自分の呪われた歌に惑わされなかったのも、実の所みらんは好印象を持っていた。


「それで、俺をどうするつもりだ? こうやって殺さずに捕まえているのなら、何かの役に立てるつもりなんだろう。でも下僕になるのは御免だ」


 みらんは歌が、声が自分の生きる道だったと考えているが故に他人の声色にも敏感だった。そしてキョウジの声は美しく響いていた。高過ぎもせず低過ぎもせず、その悠然とした態度と同様に、冷静で落ち着き払った声だ。変な事を考えてしまう――みらんはこの男に惹かれつつあるのを自覚していた。


「残念ながら、私はボスからは何も聞かされていないわ」

「そうか。なら次の質問だ……ミユはどこにいる?」


「ミユ」と口にした時だけ、彼の表情は少し険しくなった。


「それも知らないわ。正直に言うわね。私はボスに使われてるだけの女なのよ」

「勿体無いな。きみの美貌と能力があればもっと良い立場を得られそうなものだが」

「……口説いてるつもり?」

「それできみが俺を解放してくれるなら、そうする。でもそうじゃないんだろう」


 キョウジは微笑んだ。よくもまあこの状況でそんな顔をしていられる、と思ったがそれも彼の強さ故なのだろう。


 そして何故か――妙な事を閃いてしまった。


「貴方に私の歌を聴かせてあげる」

「あの聴こえない歌なら、なんでもいいが。しかしどうして?」

「何だかそうしたくなっちゃたの」


 それからみらんは歌い出した。声帯を繊細に震わせ、頭から通して響くように。それは村に伝わっていた童謡だった。故郷にいた時は、誰もがこぞって聴きに来た。あの頃は何もかもが純粋だった。心を無にして歌う事が出来た。


 でも、今は人々を洗脳する為にしか歌わせて貰えない。自分の声が呪われているのは知っている。それを嫌悪している事も。だが彼女は歌い続ける。そこにしか歌う場所がないのなら、それでも彼女は歌を手放しは出来なかったのである。

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