Siren`s Song(2)
正直に言って何が起こっているのか分からないが、ミユが正気ではないのだけは確かである。だがそれが、あのメタル・フェスと関係があるのかも今の所は不明だ。もし、自分の想像通り――荒唐無稽、あるいは夢想じみた考えだが――あの歌声が人を狂わせるものなのだとしたら、なぜ自分達は平気でいられるのか、それが分からない。
「ちょっとちょっと! どうするのよ! ミユちゃん、行っちゃったよ!」
「そんな事は見れば分かる」
自分でも声が苛立っているのが分かった。キョウジはそれを恥じたが、抑える事も出来ない。いずれにせよ、こんな事態は初めてだった。ミユが自分の手を跳ね除けるような……
「もし操られているのだとしたら、どうすればいい?」
キョウジは自分に問い掛けるように言った。それが真であるならば強引に連れ戻しても意味が無いのかもしれない。
そうこうしている内にミユを含んだ群衆は亡霊軍団のようにどんどん進み、離れていく、周りの者達も不気味がって近寄ろうとはしない。あるいはこれがいつもの光景なのかもしれない。メタル・フェスで興奮した人の群れが。
キョウジにしても、好きでフェスに来て、好きに狂ってしまう奴等の事など普通は気にしない。だが今はそこにミユが含まれている。
カレンはミユから預かっていた日本刀を持っている。そう言えばそれを手放すミユもあまり無かった筈だ。とすれば、彼女の混乱はライブハウスに入った時から、あの音楽が流されていた時から始まっていたのか?
「芸術は時に人を狂わせるって言うけど……」
「そんな暢気な事を言っている場合か」
群衆を蹴散らして――というのは殺しも含まれるが――ミユを強引に連れ戻すなどという蛮行に走る事も出来ない。手の打ちようが無い、というのが現状だった。だがいずれにしてもミユの影を見失う事だけは避けねばならなかった。
原因を突き止める。ミユを確保する。両方をしなければならない。だがどうすればいいのだろうか。状況がつかめないからこそ迂闊に動けない。
「カレン、どう思う? やっぱりあの歌が原因だと思うか?」
「それ以前に異変が無かったんだから、そう考えるのが自然でしょ」
「とすると、あの女を問い詰めなきゃいけないな」
「でもミユちゃんを放っておく訳にも行かないし……となれば、方法は一つね」
カレンはキョウジほどには焦っていないようだった。
「二手に分かれましょう。あのバンドを問い詰めるのと、ミユちゃんを追い掛けるのと」
それが最善手かどうかは分からない。あまり良い手ではない様な気がする。この街でカレンと分かれるのはいかにもまずい。ミイラ取りがミイラになる可能性もある、というかその可能性の方が強い。だが他に有効的な手段が無いのも事実である。
「お前はそれでいいのか?」
「あら。私はずっと貴方に守られないと生きられない女じゃないわ。ウメダだって何度も来たことがあるし」
カレンが強がっている訳では無いのは分かった。心配し過ぎるのも自分の過信なのかもしれない。彼女は自分が思っているよりも強いのだろう。それでも心配であるのには変わらない。
「それしかないでしょ。ただ、問題は……どっちがどっちを担当するかだけど」
「どちらがより危険か、だな」
「危険が大きい方に行く気?」
「それは当然だろう」
それにもう一つの問題もある。分かれた後、どうやって連絡を取り合えば良いのか。
「取り敢えず落ち合う場所だけは決めておかないとならないな」
「それはここで良いでしょ」
それから相談して、カレンがミユを追い掛ける、キョウジがライブハウスに再突入する事に決まった。
「いいか、絶対に無理はするな」
「ふぅん。キョウジ君は私なんかよりミユちゃんの方が大事だって思ってたんだけど」
「軽口を叩くな。簡単に順位なんか決められる訳ないだろう」
「一人に絞れない男はモテないわよ」
キョウジはすっかり呆れてしまい、それ以上何も言わなかった。まあこれ位図太い方がいいのかもしれないし、事実それでカレンはこの厳しい世の中を渡ってきたのだろう。
その強さに期待するしかない。
◇
ライブハウスの入口は鍵で閉じられていたが。キョウジはそれを無理矢理こじ開けた。中は先程までの狂騒が嘘のように静まり返っていて、場内には誰もいない。だが照明は落ちていなかった。自分が乱入して来たのはバレている筈だから、すぐにでも誰かがやって来るだろう。そういう訳でキョウジは早くも短剣を抜き身にしていつでも戦闘態勢に入れるようにした。だが寒気がする程の静けさは変わらず、一体どうなっているのかと訝しむ。
そもそもこんな乱暴な侵入をして良いのか、そんな疑問もある。限りなく疑わしい、というだけでここにいるのが敵であると決まった訳では無いのだ。だから出て来い、などと見得を切る事もしない。なるたけ慎重に進める必要がある。だがその先に何が待ち受けているのか分からないのは不安である。それでもミユは救わねばならない。
建物の大きさからすれば、そんなに広いとは思えなかった。
目標を絞らないといけないな、と思った。その目標とはあのヴォーカルの女である。推測ではあるが、キョウジは彼女がデモンではないかと思っていた。デモンの中には何らかの異能を発現する者が――自分の「加速時間」と同様に――いる。あの声は魔的だとすら思えるものだった。声で人を操る能力。自分はその催眠に掛からなかったのは、熱狂していなかっただけで、心奪われた人がそれを聴けば、という推測である。
しかしそうやって人を操る目的は何なのか? 何となく想像は付くが、あまり考えたくない事柄でもあった。とりわけミユが虜になっている今では。
キョウジはステージに上がった。ライブで使われた楽器がまだ並べられている。スタンドマイクもだ。こんな所でショーをやり、注目と賞賛を集めていればもしかしたら良い気分になるのかもしれない。
そこから裏に回り、楽屋を探していく。冷たい感覚はむしろ強まった。
「お前、何をしている!」
見つかる事は想定内である。だが実際に戦闘をする気はなかった。ここに来たのはあくまで原因の捜索である。余計な騒ぎは起こしたくなかった。
「な、な、なにを……」
幸いな事に、最初にこちらを見付けた男は(バンドのメンバーでは無かった――恐らくは裏方だろう)がたがた震えて戦闘意欲は無い様だった。
「あの女に会わせろ。お前に危害を加えるつもりはない」
「なななな、何言ってるんだ! お前、みらんさんのファンなのか?」
「みらん、って言うのか。別にファンな訳では全く無いが」
お前が呼ばないなら自分で探す、と言ってキョウジはそのまま男を無視して先に進む。しかし、短剣をちらつかせるだけで戦意を失う、あるいは最初から無いのはどうなのかな、と思った。自分はそんな厳つい見た目をしているのだろうか、と疑ってしまうのである。まあそれで無用な血を流さずに済むのであればそれに越した事はないが。
他にも男が出て来たが、大体が同じ反応だった。武装もしていない。こんな街で襲撃、略奪の可能性を考えていないのはどうなのだろう。そんな余計な心配までしてしまう。
しかし、或いは――襲われても対抗できる手段があるのか?
その疑いはすぐに証明される。怯えた男共の中で、唯一人悠然とした感じで先程のヴォーカルの女――みらんが現れたのである。
「貴方達は下がっていなさい。こいつは私が引き受けるわ」
ステージの下で見ていた時にも増して、面で向かうと目が覚めるようなほどの美人だった。こういった状況でなければ、そして独りだった頃なら口説いていたかもしれない。玲瓏な美人というだけではなく、好みでもあったのだ。だが高い戦闘能力があるようにも見えない。
「キョウジ・ザ・シルバー。ステージの前に立っていたわね。すぐに後ろに下がっていったけど。私の歌声は気に入らなかったのかしら?」
「そんな事はない――歌声は綺麗だと思った。いや待て。俺の事を知っているのか?」
「そりゃもう。貴方は有名人ですもの」
その余裕はどこから出て来るのか。ここでキョウジは判断を誤った。有無を言わせず、すぐに拘束すべきだったのだ。
「でもいいわ。今から私の素敵な歌声を味わわせてあげる」
「いや、俺が別にそんなものを求めていないが」
「仕方ないのよね。貴方を捕まえるのがボスの指令だから」
そして彼女は大きく口を開けて、歌を始めた。いや、始めたように見えた。
だがその音は聴こえなかった。確かに声を出している感じはあるのに、なにも聴こえず――しかし、それは間違いなくキョウジの鼓膜に響き、脳を揺さぶった。
「なッ――!」
それは人には聴こえない音域で放たれた音波攻撃であり、それをまともに受けてしまい、キョウジはそのまま気絶したのである。




