地下迷宮へ
ウメダの地下街は別名「ウメダ地下迷宮」と呼ばれる程に複雑怪奇な構造をしている。住んでいる者ですら時折迷うというのだから本格的である。余所者は入っていけない、と注意される位に危険な所である。それは大破壊前から同じだったらしい。一体何を思ってそんな導線が混乱した地下街を作ったのか、キョウジにはさっぱり理解出来なかった。
しかもそれは、人々が雨風をしのぐ為に雑多に住み始めたのも相まって更に増している。かつて人々を導くために掲げられたであろう案内板も今では全く役に立たない。キョウジはますますミユと強く手を握った。こんな所ではぐれたらもう一生再会出来ないのではないか、と大袈裟ではなく思っていたのである。
だがミユの方はお気楽である。
「凄い所だねー」
「こんなに人がいて、気分の方は大丈夫なのか?」
人見知りのミユを気遣ってキョウジは言った。ミユはにっこりしながら首を横に振った。長い黒髪が揺れる。
「こんだけ人が一杯なら、見られてる気持ちにもならないよ。背景みたいな感じ」
「ミユちゃんは都会の方があっているのかもね」
えへへ、とミユは笑う。それはそうだとしても、危ない事に間違いは無い。
ミユは背景みたい、と言うが実際にはキョウジ達はそれなりに注目を集めていた。特に男達にである。不愛想っぽい男が、可憐な少女と綺麗な女を連れ歩いていればどうしてもそうなってしまう。しかも女は短機関銃をベルトに抱えていて、少女は黒光りする鞘に収まった日本刀を抱えている。目立たない方がおかしいのだ。
「用事は早く済ませた方がいいな」
男どもは欲望にぎらついているし、女どもはその欲望を刈り取ろうとこちらもぎらついている。やはり下品な街だという印象は拭えない。あまり長居はしたくなかった。しかし平気にしているミユを見ているともしかしたら自分のほうが繊細、もっとはっきり言えば小胆なのかもしれなかった。
そういう街だから暴力沙汰も日常茶飯事の様に起こっている。十字路に至った時、右側の横道から喧騒が聴こえた。
「喧嘩してるわね。なにが理由かしら」
「男が争うとなったら大体二つに絞られる。金か女かだ」
多分女だろうな、と思いつつキョウジは見て見ぬ振りをしようとした。そこに口を挟んだのがミユである。
「止めないの?」
「なんで俺がそんな世話焼きをしなきゃいけないんだ。あんなのは無視に限る」
「何かお礼が貰えるかも」
「ほとんど期待できないな」
何故ミユがそこまで食い付くのか謎だったが、それから彼女はこうも言ったのである。
「ちぇっ。兄ちゃんのカッコよく活躍してる所が見れると思ったのに」
「お前、そういうのを俺に望んでいるのか?」
「いいでしょ。兄ちゃんはカッコいいもん」
ミユの信心がなんだか怖かった。それに最近は格好いい所を見せられていない。〈オウガ〉を倒したのもミユだった。だからこそなのかもしれないが。
何にせよ、その騒ぎは広まるにつれて野次馬も集まって来て、最早入り込む隙は無くなってしまった。
「こういう時は火の粉が飛んで来ない内にそそくさと去って行くのが一番よ。そそくさと」
「そういう事だな。ここはカレンが正しい。分かるなミユ」
「うん……」
妙に淋しそうにしているミユに罪悪感は無くも無かったが、仕方ない。
それ以外にも怪しい商売をしてそうな男が沢山いる。誘う様なきわどい格好で佇む女達も沢山いる。そこまでして稼ぎたいのかな、とキョウジは不思議だった。いや、かれらも生きるのに必死なのは分かるが……
やはりミユの教育上よろしくない場所だ。
「ああいうのは見ない振りをするのが正しいのよ」
「そうだね。見ない振り見ない振り」
しかし思ったよりもミユは冷静なのかもしれなかった。自分は過保護なのかな、と疑い出したのはこの頃からである。立派な大人にする為にはある程度こういった汚れた所も見せないといけないのか――
「ミユちゃんだって何も知らない子供じゃないのよ」
キョウジの心を読んだかのようにカレンが言う。それからこんな話も続けるのだった。
「貴方が思っているより、女はタフな生き物なのよ。現実主義とも言うけど」
「だからと言って、俺はミユには身体を売る女にはなって欲しくない」
「心配しなくてもならないって」
カレンはけたけたと笑った。まるでいらぬ心配をしているキョウジを揶揄するように。
「なんならミユちゃんは独りでも生きていけるわ」
「そうかもしれないが」
実際、キョウジと出会うまではミユは独りだったのだ。それ以前どうやって生きてきたのかは知らないし、ミユ自身もはっきりと覚えていないと言うが(それをはっきりさせる為に今情報屋を探しているのだが)、そういった時間があるのは確かだった。〈オウガ〉すらも屠れる力を持つ彼女ならだれかに殺される事もまずないだろう。世渡りもその可愛さがあれば何とかなる筈だ。
だがミユはこう言うのだ。
「そんな事ないよ。あたし、兄ちゃんがいなきゃ生きてけない……」
「あのね、ミユちゃん。こんなところで男を立てるような手管を覚える必要はないのよ」
「お世辞じゃないよ。ホントの気持ち。カレンさんがいればもっといいな」
「素直な子だろう?」
自慢するように、自分が自慢するようなものでもないのだが、キョウジは言った。カレンは「呆れた」と肩を竦めるのだが、その頬は緩んでいる。頼りになる対象に自分も含まれているのが嬉しいのが確実である。
「まったく。ミユちゃんはすっかり懐いちゃってるのね」
「えへへ」
「貴方が笑う所じゃないわ」
「そういう事だ。俺達はずっと一緒にいるんだ」
「まったく天然で愛される子ね、貴方は。愛されミユちゃんね」
「お前も昔はそうだったんだがなぁ」
「わ、私の事はどうでもいいじゃない」
「ふふ、お姉ちゃん、恥ずかしがってる」
「未熟だった頃の自分を掘り返されるのが恥ずかしいの! それだけよ」
それにしても広い地下街である。何度も十字路やT字路がやって来て。本当に迷宮探索をしている感じになる。なんだか奇妙に深みに嵌っていっているような気がする。このままだとこの魔境に引き摺りこまれ、帰って来られなくなるんじゃないか――そんな妄想まで抱くほどである。
「ねえねえ。こっちで本当に合ってるの? 兄ちゃん」
「それより、出口までの道、覚えてる? 上に出られそうな階段は一杯あったけど、全然違う所に出て迷子、とか嫌よ」
「まだ何とか覚えている」
「何とか、って……じゃあもう少ししたら忘れてしまうの?」
「だからその前に目的地に着かなければいけないって話だ」
正直な所、自信はない。
「何ならお前が覚えておけよ。俺を散々方向音痴とか罵って来たんだからな」
「責任者は貴方よ、キョウジ君。女を上手く導くのは男の役目なの。あっ、キョウジ君はそっちのほうは早かったっけ」
「流石に怒るぞ、俺も」
だが無事に、と言うべきか目的地には辿り着いた。
「キサラギ探偵事務所」。
「情報屋っていうか探偵なのか。しかし今時探偵なんて流行る仕事なのか?」
「こんな広い街で、この治安なら一杯あるんじゃないの?」
前はどんな店舗があったのか知らないが、そういったいかがわしい職業には相応しくない、明るい硝子の扉をしている。「自動」と書かれた箇所には乱雑に黒く塗りつぶされ、代わりに手書きで「手動!」と書かれている。どうやら自動ドア機能は壊れているらしい。
しかしここに来て当てが外れてしまった。そのドアの向こうにはシャッターが閉められ、そこには手掛けの看板が掲げられている――「現在不在中。御用の方は別の日にどうぞ」。
「何だそりゃ。ここまで歩かせておいて不躾な」
「確かにお前の言う通り、忙しそうではあるな」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ。これからどうするの」
確かにそれは問題だった。素直に何日か待つか、あるいは他の情報屋を探すか。どちらにしても予想以上に滞在期間が長くなりそうな予感がした。
「待っているだけじゃつまんないから、この街で遊ぼうよ。ほら、これなんか楽しそう」
ミユはいつの間にか何かのチラシを持っていた。床に落ちていたものなのか、踏まれた跡があちこちに見られてくしゃくしゃになっていた。
そのチラシの内容はこんなものである。
「腐れた世の中を音楽で明るく! 毎月恒例、ウメダ・メタルフェス 開催間近!」
何故そんなものにミユが興味をもったのか、キョウジにはまるで分からなかった。




