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約束





 その時、体育館内にいた無数の〈オウガ〉が突如として黒い霧となって消え去った。霧散したあとは、まるで最初から何も無かったかのように奇妙な静寂が訪れた。ここで戦闘が行われていた跡を示すのはキョウジが握った短剣、シロウが構えていた大剣、そしてカナコがやたらめったらにばら撒いた薬莢だけである。


「……どういう事だ?」


 呟いたのはシロウだった。キョウジも口にする事はなかったが、同じ気持ちだった。急な戦闘の終結に戸惑っていた。昂った気持ちの行き所が無くなってしまった。


「ふふん、私らの強さに尻尾を巻いて逃げ帰ったに違いない! 違いない!」


 カナコはその細腕にどうしてそんな力があるのか分からない程、簡単に片手で小銃を振り回す。だが彼女はその先端に銃剣を着けていることを忘れていた。


「やめろ、危ないから!」

「おっと、ごめん」

「いや、危ないのは君自身だ」


 彼女はふん、と鼻を鳴らして銃の先端を床に杖の様に突いた。しかしシロウの窘めが効いていたのか、ちゃんとセーフティロックを掛けている。


「――で、どう思うのかい、キョウジ君」


 考えられる可能性は二つ。一つはカナコが言った通り体勢不利と判断して逃げたか。そしてもう一つは――


「本体が倒されたか、だ」


 可能性としてはそちらの方が高いと思われた。だがそれはあまり認めたくない事でもあった。


「本体が? 誰がやったって言うの?」


 一時の興奮を沈めて、カナコの声は冷静になっていた。すでに外は夜になっていて、十六夜の月微かに光りをもたらすだけである。それを感じて、カナコはオイルランタンを取り出して灯りを点けた。


「ここにいない者が一人だけいる――そういうことかい?」


 キョウジはその現実を渋々認め、頷いた。


「そうだ。きっと〈オウガ〉の本体はミユがやった」


 それが一番素直な結末の予想である。だがキョウジが認めたくなかったのは彼女に助けられた事ではなく――彼女を戦わせてしまった事だった。彼女は今頃怯えているに違いない。まったく、これは完全に自分の失態である。


「〈オウガ〉は最初からあの子を狙っていた」


 しかしそうなると一つ不思議な事がある。幾らでも分身、(デコイ)とも言えるものを生み出せる〈オウガ〉はどうしてミユに本体を晒したのだろう?


「考えるのは後にしましょうよ。取り敢えず彼女と合流しないと」

「……そうだな」


 カナコはすでに戦闘が終わったものと考えているのか、すっかりお気楽な顔に戻っている。銃をぶん回して苛烈な笑顔を見せる彼女はもうどこにもない。だがキョウジはまだ警戒を解いていなかった。ここまで言った事は全て推測に過ぎない。もしかしたらこれが〈オウガ〉の罠である可能性はゼロではない。


 とは言っても、確かに戦闘の匂いはしない。おどろくほど静かであり、月は見事な程に美しい。そして敵がいなくなったからには、ここでまごまごし続けている理由はどこにもない。


「しかしミユはどこにいるんだ?」

「手分けして探そう」

「〈オウガ〉の消失は確定した訳じゃない。分かれるのはまずいんじゃないのか」

「多分、大丈夫だよ」


 キョウジはシロウが彼を気遣っている事に気付かなかった。



         ◇



 今夜が月夜であるのは感謝すべき事だった。しかし寒いのはどうにも良くない。まして戦闘によって高揚した身体が寒風に晒されて冷まされるのはただ寒いだけでなく不快だった。こんな状況でミユを探さなければならなかった。だが彼女が淋しくしているのであれば文句は言っていられない。


 警戒はすでに止めている。ここまで独りになっても襲ってこないという事は、つまりはそういう事である。ミユが〈オウガ〉を倒した。それはほぼ間違い無い。


 しかし彼女がどこにいるかも分からない。危惧していたのは相討ちになってしまったのではないかという事だった。全く安心していられない。キョウジはなお自分の失態をひどく恥じ、また不安にもなっていた。こんな形でミユを失いたくはない――ここでキョウジは自分の中で思った以上に少女が大きな存在になっているのを気付いた。


「頼む、無事であってくれ」


 何に頼んでいるかも分からない――神に見放されたこの世界で――まま、それでも彼は祈る気持ちでミユを探していた。校舎のほとんどは回ってみた。だが見付からない。どこかで戦闘があったような痕跡も見当たらない。いや、痕跡ならあった。但しそれは自分自身のものである。カレンの短機関銃が落ちていたのだ。


「こんな所まで戻って来たのか」


 それは取り敢えず回収するが、焦りの方は収まらず、加速していく。キョウジは決して悲観主義ではないが、ここまで来ると自分は無能者なのではないかと疑いたくなってくる。自分を罵りたくなる。たった一瞬の判断ミスで、取り返しの付かない事になってしまった――戦う事しか能の無い無能者。


「くそっ」


 彼はいつのまにか3階にまで上がっていた。そこでふと窓の外を覗いたら――まったく気まぐれの行いだった――運動場の真ん中で佇んでいるミユの姿を発見したのである。その時の安堵は筆舌に尽くしがたい。しかし後悔が拭いされ切った訳では無かった。いずれにしても彼女の元に駆け付けなければならない。でも彼女はどうしてそんな所にいるのだろうか?


 階段を降りるのではなく、そのまま窓から外に出て飛び降りた。それだけ彼が焦燥していた証でもある。


 ミユは跪き、月を仰ぐように顔を上げていて、刀はやはり抱いたままである。見た所そんなに怯えていない様である。だが哀しそうでもあった。彼女の所作は何かに祈っているようでもあった――だが誰に対して、何を?


「ミユ、大丈夫か」


 ミユは軽く放心していたようで、最初キョウジが声を掛けても反応しなかった。心ここにあらずといった感じだ。そこでキョウジはようやくミユが敵を倒したのだと確信した。しかし戦闘を終え、独り佇む彼女にこれ以上どんな言葉を掛ければ良いのだろうか。キョウジには見当が付かなかった。


 一方ですこし感心もしていた。ミユの顔はぼうっとしてはいるが落ち着いていて、ひとつ大人になったような感じがあったのだ。


〈オウガ〉との戦いでなにか悟る所があったのだろうか。それは分からない。なんにせよそれは訊かない事にした。彼女は彼女らしくあればいい。彼女らしく健やかに育ってくれればそれで、良いのだ。


 という訳でキョウジは向こうが気付くまでずっと待つ事にした。きっとミユはまだ自分の世界に浸っていたいのだ。そんな感じがあった。それを邪魔するのは無粋である。


 ミユはゆっくりと頭を下げる。そして辺りを見渡し、そしてそこで初めてキョウジの存在に気付いたようだった。だが駆け寄って来る様な事はない。こういう時はいの一番に抱き着いて来る彼女なのだが。そういった所も普段とは違う。月光に照らされたミユは神秘的ですらあった。女神のようにさえ見えた――だがそれは死の女神だが。


「兄ちゃん……」


 キョウジは恐る恐る、というように近付く。何が彼女を傷付けるか分からなかったからだ。余計な事は言わない方が良いだろう。それはいつも通りではある。そして彼も膝を突いて目線を合わせた。


「すまなかった、ミユ」

「ううん。いいの。これはきっと彼が望んだことだったから……」

「彼?」

「〈オウガ〉さん」


 しばし見つめ合う。それで安心したのか、ミユは穏やかな表情をして――それからぽろぽろと泣き始める。ぎゅっと顔を刀の柄に近付けて。


「あの人は、あたしと同じだった。独りぼっちの人だったの……」

「確かに、そうかもしれない」


 宥める、というよりはただその哀しみを受け止めるようにしてキョウジは彼女の肩を柔らかく抱き締めた――果たして自分にそんな資格があるのか、と疑いながらも。そうせざるを得なかった。いや、そうしたかった。


「だがお前は、もう独りじゃない。俺がいる」

「兄ちゃん」


 ミユは服の裾で涙を拭う。


「恥ずかしいね、こんな事で泣いちゃって」

「何も恥ずかしい事はない。泣きたければ泣けばいいんだ」


 すでに涙も涸れ果てた自分の代わりに――


「ね。兄ちゃん、約束してくれる?」

「何だ? 何でもするぞ」


 ミユは一拍置いて、言った。


「これからなにがあっても、兄ちゃんはあたしの傍にいて」

「そんな事か。当たり前だ。お前を置いて逝くなんて事は、決してない」

「約束だよ。絶対の、約束」

「ああ、約束する」


 彼らと〈オウガ〉の戦いは、そんなやり取りを締めにして幕を閉じたのだった。

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