ミユvsオウガ(2)
睨み合いはかなり長く続いた。目線による牽制をお互いにしていたせいである。そして同時にお互いの力を量りかねているからだった。ミユはすぐさま倒すべきだと持っていたが、慎重でもあった。これまで単体で自分に敵う相手はいなかった――いるとすればキョウジ位である。つまりミユは「強敵」というものを知らなかった。〈オウガ〉がその最初かもしれない。自分を凌駕する存在かもしれない。だから迂闊には踏み込めなかったのだ。
幸いな事に、と言うべきなのか、先に離れたのは〈オウガ〉の方だった。彼が飛び退く直前、ミユは剣を振ったがそれは空を切った。間合いが広がる。全てが良いとはいえない。
〈オウガ〉は飛び込むにも遠ざかるにも微妙にして絶妙な距離を取っている。もう少し近い距離が欲しい。自分の刀の範囲が一番利く距離が。
――といった所でミユは自分自身の違和感に気付いた。あたしはどうしてこんなにも冷静に戦闘判断をしているのだろう? 剣を振った経験は、あまり認めたくは無いが何度もある。だがそれはほとんど戦闘と呼べるものではなく、一方的な惨殺だった。戦うに当たって深く考えたことは一度もない。戦術なんてものは無縁だった。ただ本能が反応していただけだった。それが。
それも強敵に相対して目覚めた本能なのか、それとも……
「惑っているな、黒き死神。お前程の力を持つ者が、何故惑う?」
「そんなの、あたしにも分かんないよ」
彼女にとっては初めての経験だったのだ――理性を持って戦いに望む事が。
「そうか」
「そうだよ」
「ならば、私はますます知りたくなった……君が何者なのかを!」
〈オウガ〉は一気に接近する。詰められ、刀を閃かせる間合いを失った。彼はそのままミユの脇腹に拳をめり込ませようとする。だがミユは身体を捻ってそれを躱し、絶対に刀だけは手放さないという意志の元、右手に持って、左の手の平を思いっきり広げて〈オウガ〉の顔に押し付け、距離を取ろうとする。自分が仕留められる距離を作りたい。日本刀は接近戦では小回りが利かないのが弱点だった。自分の間合いは思ったより狭い。
そして彼はそれを十分に分かっていた。ミユが絶妙に踏み込める距離にはまず入ってこない。速さも劣っていない。だが一方では明確な殺意というのも感じられない。敵を斃す、という暴虐な熱意を持っていなかった所で、ミユと〈オウガ〉は一致していた。戦わなければならない、殺さなければならない、とは思っても、戦いたい、殺したいという積極的な気持ちはどちらにも無かったのである。
「貴方はやっぱり優しいひとなんだね」
「私がか? 人を喰わねば乾いてしまう、この私が……」
その話はすでにした。だからこれ以上は何も言わない。ここにあるべきは、ただ誇り高き戦いだった。生き残る為の戦いだった。けっして何かを略奪するようなものではなく。
状況は5分、だったと言っていいだろう。ミユの攻撃は絶妙な所で躱される。だが〈オウガ〉の手も簡単には少女の小さな身体を捉えられない。次第に戦闘は根比べの様相を呈してきた。戦闘のような音はほとんど聴こえない。ミユの足音だけが響く。〈オウガ〉はまったく足音を鳴らさない。音が無いような気がした。彼は恐ろしいほどに静かだった。だがその動きは鋭い。
「貴方は、あたしが見えてるの?」
落ちていく日。どんどん「学校」の中は暗くなっていく。〈オウガ〉の黒い影はそれに溶け込むようだった。ミユの「眼」はそれを捉え続けている。しかし向こうはどうなのだろう? 彼が同じ「眼」を持っているとは考え辛い。夜目は利く方なのかもしれないが、むしろ音を含めた全体の気配を探って、こちらを捉えている様な気がする。
「君は、私が見えているのか」
どうやって勝てば良いのだろう――その道筋が見当たらない。そして避けたいと思っていた長期戦に引き摺りこまれている。一閃すれば勝てる。その筈なのに、その隙を与えてくれない。ここでミユの戦闘経験の浅さが露呈する。彼女は攻めることしか知らなかったのだ。そして長時間連続戦闘による疲労も、また。
少しずつ集中力が奪われていることには気付いていた。単調な攻撃だけでは捉えられないのも分かっていた。だがどうすればいい?
何度目かになるかも分からない突撃。しかし〈オウガ〉の間合いの取り方は相変わらずに変わらない。剣戟は決して届かず、少しずつミユに焦りが生まれてくる。それと同時に意識がぼうっとしてくるような感じがあった。
彼はそれを待っていたのかもしれない。
一瞬だけ、隙のようなものが見えた――だがミユはそれが「釣り」であることに気付かなかった。餌に貪欲に突っ込んでしまった。攻撃の時にこそ、隙が出来る事をまだ彼女は知らなかった。
刀が空振りする。それは幾度もあったことである。変わっていたのはミユの反応力であり、〈オウガ〉の仕掛けである。彼は今度は回避して距離を取ることはせず、ぐっとミユの肩に手を入れ、つかみ、床に叩き落す。
「あうッ!」
全ては、一瞬だった――
危機を感じた時、生物は、デモンでさえも限界以上の力を発動させる。その事を自分で自覚することは出来ない。出来るとすればキョウジだけである。彼の〈加速時間〉はそれの応用、あるいは進化と言えるものだからだ。だがミユは自覚していない。全てがゆっくりと見えているだけで、自分の意識は研ぎ澄まされ、しかし思考は無い。あるのはただ反応だけであった。本能的な、獣的な反応。
彼女はその時、知性ある生き物であることを止め、闘争の化身となる。
だがそれは、それはただ一瞬の出来事だったのである。
〈オウガ〉が必殺の一撃を繰り出さんとばかりに上体を上げ、ミユに拳を振り下ろす――彼にはミユの動きは見えていなかったに違いあるまい。彼女は本能のままに、ただ敵を捉えるだけに集中していて、決して、どんな事があっても手放さないと誓っていた「春日守桔梗美奈」がその時も左手に握られたままで――
ミユの刀と〈オウガ〉の腕が交差し――
ミユは膝立ちになって紙一重に〈オウガ〉の攻撃を躱し、そして同時に、彼の喉元に刀を突き刺していた。
彼女はそれをまるで他人事のように眺めていた。自分がやった事に違いないのに、まるで自分ではない様だった。自分が自分でない感覚があった。限界を超えるとは、つまりそういう事だった。
「なんだ、いまの、速さ、はッ……!」
〈オウガ〉の眼は驚愕に見開いていた。ミユ自身が訳が分からないのだから、彼にはなおさら分かっていなかっただろう。それだけ刹那の攻防、刹那の交錯だったのである。
食人鬼の身体がぐらりと崩れ落ちる。それはミユに覆い被さるように、だったが、彼女はそれを避け、まだ鬼神の時間は残っていて、そのまま背中に刀を刺突した。
「そうか、これが……真なる鬼神の力か……」
〈オウガ〉が動きを止めたと見て、ミユの限界突破時間、とでも言うべきものは少しだけ落ち着いた。何が起こったのかは分かっている。だがどうやってそれをしたのかが分からなかった。異様に透き通った頭の中がむしろ恐ろしかった。
黒い霧が立ち込めていた。それはすぐに闇に溶けていく。〈オウガ〉の身体から噴き出していた霧だった。それは間違いなく死の香りがしていた。ここから彼が再生する事は、もう無い様に見える。
「〈オウガ〉さん……」
だが彼は最後の力を振り絞ったように立ち上がった。戦意は無かったようだ。その顔はすっきりしていて、死を覚悟する、死を受け入れる、死を歓迎するようなものに見えた。
「貴方は……本当は死にたかったの?」
「そんな事は無い……私とて生きたかった。だが生きる意味を見出していなかったのも確かだ」
「貴方も、人間だった頃があったんじゃないの? それで……」
ミユの言葉に、しかし〈オウガ〉は首を横に振った。
「違う。私は生まれた時からこういった存在だった」
「そんな事、あるの?」
「私にも分からない。だが、しかし……私には、君が同質の存在の様に思える」
〈オウガ〉の身体はほとんど崩れかかっていた。彼にはもう時間が無いようだった。だがミユの斬撃を受けてこれだけ喋られるのは彼の生命力の高さを示していた。
「あたしが、貴方と同じ……? どういう事……?」
彼が残す言葉は何もかもが、ミユには重たく響いていた。彼は何かを知っているのだろうか?
「教えて! あたしは、あたしは何者なの!?」
「私が知る由もない……だが一つの事だけは分かる。君も、私も、『在って在る鬼』だ」
「分かんない……分かんないよ!」
「君は自分を探しているのだな」
優しい、そして安らかな目を見て、これ以上彼を問い詰める事は止めにした。これから先は自分が考える事。ミユはそう思った。
「いずれ君も自分が何者か悟る時が来るだろう……そう、今の私の様に。死を望んでいる訳では無い……だが私の渇きは癒された。感謝する。ありがとう……」
その言葉を残して彼は完全に消滅した――
静寂が戻って来た。そこには淋しさも怖さも感じられない。そして外はもう夜になっている。ミユにはそれが、死の安楽を表しているように思えてならなかった。いや、彼の為にこそ、そうあって欲しかった。
「……さようなら」
惜別の念を込めてミユは呟き、そして戦いの終わりを示すように鞘を拾い、剣を仕舞うのだった。




