表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/150

ミユvsオウガ(1)





 ミユが須山書房から退店すると、そこは入店した時とは別の場所だった。須山書房はすでに扉を閉めていて、戻ることは出来ない。有馬兄妹はこんな事も出来るんだ、と思った。


 と言ってもまったく出鱈目の別世界に飛ばされた訳では無かった。雰囲気から察するにここも「学校」のどこかには違いなかった。西に向いた廊下の窓からは今にも沈まんとするかすかな夕日の光が差し込んでいる。窓は所々割れていたが、あまり風は無い。異様なほどの静寂があって、少し歩くと自分の足音が大きく反響音を鳴らす。音はそれだけである。怖いというよりは淋しいという感じだった。


「兄ちゃん、大丈夫かな……」


 まったく、笑ってしまいそうな程の静寂であり、平穏だった。実際に笑わなかったのは、そういったキョウジへの心配があったからである。しかしあれだけわらわら出現していた〈オウガ〉の群れはどこにも存在しない。もしかしたらキョウジが退治してくれたのかも? と期待しなくも無かった。


「でも一度だけお話したかったな」


 昂った気持ちはすでに落ち着いている。今回は反動の怖さも無かった。自分でも吃驚するほどの平静さを保っている。ここまで落ち着いた気持ちになるのも久し振りだった。いつもは独りになったら、よく分からないものに怯えていたはずなのに。この「学校」の雰囲気がそうさせるのだろうか。キョウジは不気味だとか言っていたが、ミユはこの空気感が殊の外心地良いと感じていたのである。


 と言ってもぶらぶら散歩している訳にも行かない。ミユがキョウジを心配しているのだから、きっとキョウジもミユの事を心配しているに違いないのだ。心配の度合は向こうの方が強いだろう。ミユはキョウジの父性のような愛情を疑ってはいなかった。世界の全てが自分を見捨てても、彼だけは自分の味方をしてくれると信じていた。それは幼い信心だったのかもしれないけれど。


 つまり早く合流しなきゃ、という事である。どうせなら佳仁さんはキョウジの近くまで送ってくれれば良かったのに、と思うがそれは贅沢な注文のだろう。


 もしかしたらミユがここに放り出されたのは、何か別の意味があるのかもしれない。須山書房は訪れるものの無意識にある願望を叶える場所だ、と佳仁さんも和美さんもよく言うのだ。


「どういう事なんだろ」


「春日守桔梗美奈」だけは絶対に手放さない。両手で抱いて、少し寒い中で震えながら進んでいく、明確な当てがある訳では無い。自分が「学校」のどこにいるかも分からない。彼女はこの時鈍感だったのかもしれない――もし窓から外を覗いてみれば、横壁に大きく穴の開いた体育館が見られ、そこでキョウジが戦闘を行っているのに気付いたかもしれなかったのだ。だが彼女はそうしなかった。奇妙なまでの落ち着きで、というよりは無情動で、ふらふらと歩き続けていたのである。


 だが何かが起こりそうな予感だけはあった。


 そしてそれはやって来た。細い廊下から円形のやや大きい空間に出る。見上げると上には鐘が吊るされてあった。きっとここが時計台なんだって思った。つまり最上階、「学校」の一番高い所である。


 そして「彼」はそこを戦場に選んだのだった。


「……いるのね?」


 暗がりの中でもミユの「眼」は正確に相手を捉えることが出来る。そこには先程まで延々と戦って来て、見飽きたとさえ言える大男の影があった。〈オウガ〉である。だが今までの有象無象とはまるで雰囲気が違っている。須山書房で佳仁に受けたレクチャーを思い出す。レギオン・タイプは本体を叩かない限り無限に増殖する、と。


「貴方が本体なの?」


〈オウガ〉はぬっと影から出て来た。やはりミユの目には、彼は物憂げな顔をしているように思える。人を喰らう悪鬼には到底見えない。でもそれが事実だ。


「……私は君と二人きりで相対したかった。君なら私の渇きを癒せるかもしれない」

「それはあたしを食べるってこと? でも多分あたし、美味しくないよ」


 もっと緊張感があるべきなのかも、と思ってもミユはどうしてもそれが出来なかった。目の前にいる敵は実は敵ではなく、悪い奴ではないかもしれない、という思いが拭い去れないのである。実際にネヤガワの住民は彼に惨殺されているのだし、自分達が襲い掛かられたのも事実だ。にも拘らず、である。


 自分は甘いのかな、と思った。


「話があるなら、聞いたげるよ」

「私は飢えている――仕方なく人を喰らっているのだ、と自己弁護する気はない。君達と私が相容れないのは分かっている。私は血を求めているのだから」

「でも悪気があって人を襲ってるようには思えないんだ、あたしには」


 一応、いつ襲って来るか分からない様に、と警戒はしている。すぐにでも刀は抜けるように両手で抱く形から右手だけで持つようにしている(ミユは左利きである)。しかし状況は死闘が行われるような気配は全く無い。至っておだやかである。彼女は〈オウガ〉の本質にある穏やかさを感じ取っていたのだった。かといって平和主義でもないのだろうが……


「悪気などとか、そういう問題ではない。捕食者と被捕食者の本能的に相容れない関係のことなのだ」

「でも本当は食べたくて食べてる訳じゃないんでしょ。生きる為なんだ」

「だからと言って、きみは人間を喜んで私に差し出すのか?」


 そう言われると言葉に詰まる。〈オウガ〉は悪い存在ではない。だが人間にとっては敵である。彼が言う様に、これは善悪の問題ではなく敵味方の問題なのだ。言い換えれば最も原始的な生存の為の闘争である。


「よって我々は戦わなければならない。君は私と同じデモンなのだろうが、人間の味方の筈だ」


 戦わなければならない――それはその通りである。だがミユはそこにこそ〈オウガ〉の哀しみがあるのではないかと思えてならなかった。


 隣にキョウジがいないのは不安でもあったが、同時にそっちのほうがよかったのかも、と思った。彼なら〈オウガ〉と話す事はしないだろう。キョウジは優しいひとだが、一方で敵と認めた者にはいたって冷徹で容赦がない。こうやって〈オウガ〉の内心を訊き出すことも出来なかっただろう。


 と言ったところで、ミユは何故〈オウガ〉に奇妙な親しみを覚えてしまうのか気付いた。彼はその一部の所でキョウジと似通ったところがあるのだ。尤もそれをキョウジ本人に言えば絶対に否定するだろうが。だからこの思いは完全に自分の内に秘めておく事にした。


 そして自分自身にも。


「今からあたしたちは戦うんだよね? でもその前にあたしの本音を一つだけ言っておくね――あたしは、出来れば貴方とは戦いたくない」


〈オウガ〉はそれを聞いて「なるほど」と呟いた。


「私が何故君を求めたのか、その答えが分かったような気がする」


 そしてそれが会話の最後と言わんばかりに彼は戦闘態勢を取る。だがすぐには飛び込んで来ない。まるでこちらの準備を待つかのように。正々堂々とした戦いを、純然たる1対1の戦いを望んでいる様だった。それを証明するように彼はその最も特徴的な能力、分裂する事をしない。


 ミユは刀を抜いた。一度抜けばもう自分は止まらない事を分かって。だがいつもとは違って彼女の狂気はある程度抑えられていた。貪欲に血を求める感じではなかった。至って冷静に相手の事を見ている。観察している。こんな事は初めてだった。「鬼」の狂気が表に出ている時、ミユは同時にその内なる所で苦しみ悶えている。それが無い。自分の中にある二人の自分が、今は融合しているように感じられた。気持ち良い事ではないが、気持ち悪くも無い。


 それはこれが運命的な戦いだから?


 それはとても哀しい事だけれども――


 ミユは刀の鞘を投げ捨てる。それが戦闘開始の合図となった。


「――もらうッ!」


 長期戦にはしたくなかった。


 ミユはキョウジがいれば驚嘆したであろう程の、これまでに無い速度で〈オウガ〉の懐に飛び込み、少女が持つには大きすぎる日本刀を迅速に、冷徹に、優雅でさえあるように横薙ぎし、一閃させる。だが捉えられない。ほとんど寸前に、〈オウガ〉はこちらもまた驚異的な身体能力で跳び上がり、回避したのである。


 彼はミユの後ろを取る。ミユもすぐに振り向き、敵の攻撃を迎え撃つ。〈オウガ〉の長い手が槍の様に伸びて手刀を繰り出した。それとミユが刀を閃かせたのはほぼ同時であり――彼の手刀とミユの刃がお互いの首筋を捉え、お互いに寸前で止まった。


 しばらく睨み合いが続いた。


「――澄んだ目をしている」

「褒めても手加減はしないよ」


 気付いたことが一つあった。今相対している〈オウガ〉はこれまでの彼(の分身)よりも遥かに動きが鋭く、速い。まるで別物を相手している様である。それは彼こそが本体だからなのだろうか? 多分そうだろう。


 ――なればこそ、迅速に仕留めなければならない。ミユの闘争本能がそう囁いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ