謎の襲撃
「さようならー」
遠ざかっていく太陽神様にミユがいつまでも手を振っている。キョウジとしてもなんとなく名残惜しいような気がしていた。何故だろうか。あまり一つの場所に愛着を持っても辛いだけなのは分かっているのだが。
まあ、なんにせよ当ての無い旅はまだ続く訳である。
気候は少しずつ温かくなってきた。冬もそろそろ終わりそうだ。雪が降らなかったのが幸いだった。
「ねえ! どこか行く当てはあるの!」
ライトバンの窓からカレンが顔を出して行ってくる。それもいつもの事である。
「道路に沿っていればどこかには着くだろう」
「もう! また無計画なの?」
「じゃあカレンには何か良い当てはあるのか?」
「そう言われれば……特に無いけど……」
センリでの一件で金銭と物資はふんだんに補給する事が出来た。つまり、しばらくはあくせく働く必要が無くなったという事である。気ままな旅を続けることが出来る。確かにミユの記憶を探るという目的はあるが、そんなに切迫した問題でもない。ミユ自身もあまり気にはしていないようだ。とすればお気楽にドライブを続けるのが吉である。
オオサカは戦前は栄えていた地域だったらしく。荒れ地ではあったがそこかしこにビルが建っていている。どこまで行ってもなにも見えないということはない。という事は適当に走っていてもどこかには着くはずである。
キョウジ達は〈ザ・ラウンドテーブル〉が制圧したセッツの地を抜けて、さらに東に向かっている。向こうには山が見えていて、そこには生い茂る緑が残っていた。少しのどかな気持ちになる。気ままな旅を応援してもらえているようだ。いや、それは都合の良い考えか。
しかしやはりここでも川が行く手を遮る。橋を探して川沿いを探索するが、渡れるような橋は見つからない。そうこうしている内にまた日が暮れてきた。
「まぁた、野営なの?」
「仕方ないだろう」
カレンは嫌がっているようだが、キョウジは野営は殊の外好きである。何と言うか、旅をしている実感が得られる。確かに危険もあるかもしれないが、それも含めてである。
それはミユも同じ様で、彼女は楽し気に鼻歌を鳴らしながらテントの設営を手伝ってくれる。それから火を起こして、そんな事をしている内にすっかり夜になってしまう。すこし奮発するつもりだった――夕飯はセンリで仕入れたローストチキンとコンソメスープのセット。瓶ビールもある。ミユ用にはオレンジジュースもある。さらに豪華な事には夕食後のお菓子、チョコレートまであった。ここまで豪勢な食事が出来るのは、この旅路中々無い事である。それをカレンは分かっているのだろうか。いや、彼女も分かっているだろう。この世界で一人旅する気楽さと辛さともに、ここまで生き延びて来たのだから知っているはずだ。
「はぁ。たまにはあったかいお風呂に入りたいものだわね」
「あんまり贅沢言うな。風呂なんて……」
「女は綺麗じゃないといけないの! ね、ミユちゃん。ミユちゃんもそう思うでしょお?」
「あたしはどっちでもいいよ」
思ったほど少女に味方されなくて、カレンはしょんぼりした。とは言えキョウジも出来れば女達を入浴させてあげたいし、自分もそう思っている。冬だからそんなに汗臭くならないとはいえ、かと言って寒いので川に入って水洗いという事も出来ない。この季節の難しい所である。
「次の街ではなんとか風呂を探せるようにしよう」
もっともそれがいつになるかは分からないが。
そんな事を言い合いながら焚火を囲んでいた。今夜は晴れであり、雨または雪の心配はなさそうだった。しかし夜になって来ると流石に冷え込んでくる。キョウジは「冷えたらいけない」と言ってミユを早めにテントに押し込んだ。彼女はまだ起きていたかったようだが。
「私もそろそろ寝ようかしら」
ふわぁ、と欠伸してカレンが言った。外の警戒は主にキョウジに任せるといった態度だった。キョウジもそれは把握している。前時代的に思われるかもしれないが、キョウジは女は男が守るべきだという考えの持ちだった。だから文句は無い。尤も、今回はそこまで警戒しなくてもいいかもしれない。
だから彼は女達をテントの中に寝かせてから、焚火の燃料が枯れるまで自分もボンヤリしていた。
この微睡みの時間が一番気持ちいいのは何故なんだろうな、などという事を彼は考えていた。一日の中で一番平和な一時。河川敷にテントを設営しての一夜である。明日はどうなるだろう。橋は見つけられるだろうか。いや、明日の事は明日考えればいい。今はこの平穏をゆっくりと味わおう――
そう思っていたのだが。
何かが近付いてくる気配を感じて、キョウジはすぐに警戒に気持ちを切り替えた。この辺りの切り替えは得意である。と言うよりそうでないと生きていけない。
野犬の群れとか、そういうのでは無さそうだった。足音は完全に人間のものである。恐らくは一人。どういうことなんだろうな、と思いつつキョウジは短剣をいつでも抜けるように構えた。賊でもなく、野犬でもなく、しかし同じ様に旅人でもなさそうだ。人間ではない事は間違いないと思う――以前のスズランのような事もあるかもしれないが。
敵(と、取り敢えずしておく)の足取りは緩やかだった。ノンビリしていると言ってもいい。ミユならすでに相手を視認しているだろう。しかし彼女はすでにぐっすり寝ているし。起こしたくもない。出来れば過激な事にはしたくないと思いながら、キョウジは焚火の炎を消して立ち上がった。キョウジは夜目の利く方である。彼は相手を見据えた。かなり大きい男だった。2メートルはあるかもしれない。
「何者だ。俺達を襲っても得になるものなんか何も無いぞ」
より良く見据える。2メートルの大男で、横にも身体は大きい。得物は何も持っていないようで、しかしその腕はかなり長い。
デモンだろうか? だが、だとしてこんな所に一人でいる意味は?
だが考える必要は無かったのかもしれない。
男はなにも言わずに襲い掛かってきた。その大仰な身体に似合わず俊敏に飛び掛かってきて、一気にキョウジとの距離を詰める。そしてその長い腕を振り下ろして来た。かなり速い。キョウジはすぐに〈加速時間〉発動させることが出来なかった。心をひり付かせるような焦燥感が湧き上がった。
「なんだ、貴様」
男はなおも答えない。第一撃は躱したが、すぐさま男はキョウジの腹に拳を放ってくる。キョウジは大人しく、敢えてそれを喰らった。ここで立ち止まり、反撃を、そしてそれが止めの一撃になるように仕向けたのだ。自ずと〈加速時間〉が発動する。自分が追い込まれるとほぼ自動的にそれが発動する事をデイヴィスとの戦いで学んだのだ。それに頼り過ぎるのもあまりよくないのだろうが、この時のキョウジは短期決戦を望んでいたのである。
ボディーブローを喰らうと同時、キョウジは踏ん張って男の手首に短剣を刺突する。怯んだところでもう一撃喰らわせる。自分はほとんど動かない。仕留められるはずだ。その筈だった。
だが大男はなお速かった。手首を刺されたことなどまるで気にしてもいないように後ろに飛び下がる。まるで蜘蛛の様な跳躍だった。
「……違うな。お前じゃない。私の渇きを癒せるのは……」
「なんだ? 何を言っている」
相対している男がかなりの強敵である事はよく分かった。だが何故そのような野良デモンがこんな所を彷徨って、そして襲って来るのだろう? その答えが出ない。しかし必要以上に考える事は無いし、またその余裕も無い。
キョウジは次の交戦に向けて構えた。こんどはしくじらない。出し惜しみもしない。いつでも能力を開放出来るように構える。できればあまりうるさくはしたくなかった。テントでミユとカレンが寝ているからだ。もしかしたら目を覚ましているかもしれないが、彼女達が出て来る頃にはすべてを終わらせる。そのつもりだ。
だがそんな事を考える必要は無かった――大男は再び襲い掛かる事はせず、そのまま去っていったのだった。後に残ったのは謎だった。
「――何だったんだ?」
物資を強奪しようとするにはあっさり退き過ぎだし、いきなりこんな人里離れた荒野で独り彷徨っている理由も分からない。
そんなことを考えていると、やがてテントからミユが出て来た。
「んぁ……何か騒がしかったけど、兄ちゃん、なんかあったの?」
「俺にも分からん」
頭の中でクエスチョンマークが舞ったままだが、キョウジもいい加減疲れて来たので今夜の所は素直に眠る事にした。




