ニガワ決起
誰もがぽかんとしていた。キョウジも流石にぽかんとしていた。カレンもだ。
「阪神競馬場……?」
誰かが呟いたが、指摘するのはそこではないだろうとキョウジは思った。しかしこんな茫然とする光景の前では、そんな所に思わず目が行ってしまうのかもしれない。
ミユは魔法を使ったのだろうか。少女は魔法使いなのだろうか。しかしその魔法を行使したミユ自身も、にわかには信じられないといったような表情が窺える。
「ホントに開くんだ……和美さん、そう言ってたけど」
「おい、ミユ。どういうことだ。説明しろ」
あまりの非現実的光景に、キョウジの声もやや荒い。ミユはちょっとだけビクッとしたが、すぐに普通の顔に戻った。それから自慢気な顔を見せた。
「えへへ。凄いでしょ」
「いや、凄いのは分かったが……俺が訊きたいのはそういう事じゃなくてだな」
「須山書房はそれを求める者にすべからく扉を開くべし。兄ちゃんも和美さんに聞いたことあるでしょ」
「いや、まて……待て。それは聞いたが、こういう意味だとは思ってなかったぞ」
「これが現実だ」
ミユは鼻息をふんすか唸らせて、キョウジの言う様な事を物真似する。キョウジが呆れた顔を見せると、少女はますます得意気な顔になる。これがミユでなければ、生意気な子供だと思ったかもしれないが、しかし彼女はミユなので怒る気にもなれない。
「ほら、行こうよ。お姉ちゃんも、ほら」
「ええ、なに……何?」
一番困惑していたのがカレンだったかもしれない。彼女はさっきまでの凛として、決然とした演説をしていた女とは思えないほど。頼り無さげな顔をしている。その落差を楽しむ事も出来なくは無かったが、キョウジはそこまで楽天的な男でもなかった。
「ど、どういう事なの、ミユちゃん?」
「魔法のお店だよ」
「俺もいまいち理解していないが、そういう事らしい。ここは素直にミユに従った方がいいだろう」
「素直に、って……」
まごまごしている大人たちをよそに、ミユは元気よく須山書房の玄関を開ける。ミユがそうなら、自分達は従うしかあるまい。
須山書房の中はいつもと変わらない。書棚が並んでいて、通路は狭い。こんな所で二人だけで営業していたら万引きを取り締まる事も出来ないだろうが、だが万引きする客など元より入れないのがここでもある。
「いらっしゃい、ミユちゃん。よく呼んでくれたね」
「こんにちは、佳仁さん!」
有馬佳仁は野暮ったい顔の中にも、相変わらず心の底を読ませない顔をしている。神秘的だとすら言える。こんな魔法を見せられたすぐでは尚更だ。
「なんか入り用か? 俺らを呼び寄せたって事は、そういう事なんやろ」
「あのね、あのね、武器が……」
ここまでは調子の良かったミユが、まごまごしていた。仕方無いな、と思ってキョウジはミユの肩をつかみ、引っ込めた。そして状況を――彼自身、全てを把握していた訳ではなかったが――を説明する。
佳仁は人が悪そうにくつくつと肩を揺らせる。しかしそこにそこまであくどい感じをさせないのは人徳故なのだろう、だがつかみ所のない人であるのも確かだ。
「ふぅん……蜂起の為の武器ねぇ……そういう物騒なんは、俺らの好みとちゃうけどねぇ」
「でも貴方達はミユの呼び声に応えて扉を開いたんだろう」
「それは、まあ、そうなんやけどねぇ。うちらは基本的には平和主義って言うか、なんて言うか」
「ええやん。ウチはそういう戦い、応援したるで」
後ろからそう言いながら有馬和美が出て来た。彼女は自分自身が戦いたがっているようにさえ、目をぎらつかせている。ちなみに丸眼鏡を掛けている。彼女は眼鏡を掛けている時もあるし、そうではない時もある。その基準はキョウジには分からない。
「いつもキョウジ君達に武器を提供しとぉうんやから、今更やろ。ヨシ君はヘンな所で引っ込み思案なんやから」
「そういう訳ちゃう。商売の話しとんや。何で俺が商売の交渉してんのか分からへんねん」
「交渉する必要自体ないって事! ここはパーッと気前良く放出したらな」
佳仁は頭を掻いた。どうにも不思議な感じのする兄妹である。そのヘンな訛りも含めて。しかしこのやり取りを見る限り、かれらの精神的主導権は常に妹が持っている事に違いはあるまい。
「お願い、佳仁さん、和美さん……みんなを助けてあげて」
「俺らが手助け出来るのは物を渡すだけやで。その後は君らの責任……ミユちゃん、その事分かってるんやろな」
「分かってるよ。それでも……それでも、戦う必要はある」
「この臆病者のミユがここまで言ってるんだ。協力してくれよ」
キョウジが口を挟むと、そこで佳仁はにやりと笑った。
「俺らが出来るのは協力ちゃう。商売や。キョウジ君はそれだけの金ぇ、払う、そういう覚悟はできとんねやろなぁ?」
「金か。金なら有り金全部払ってもいい。俺はそこまで大金持ちでもないが……」
どれだけ請求されるのか、その事は考えなかった。金なら後で稼げばいい。赤貧などは心配する事ではなかった。金は使うべき時にこそあるものだという信条がキョウジにはあった。そして今はその時である。
心の奥底を刺すような佳仁の瞳が、さらにぎらりと閃いた。それでもなお、彼には悪い感情は抱かない。彼が見据えているのは人の悪意ではなく、善意だったからだ。
「よっしゃ。その心意気、買ったる。お代はツケにしといたるわ。でも、ええな? いつかはちゃんと払うんやで?」
佳仁はまるで子供にお小遣いを与える親の様に言った。
「そんなに脅したんな。ミユちゃん、怯えとぉで」
「怯えてないよ!」
「無理せんでええんやで。こいつが女の繊細な心も分からんもっさり唐変木なんは確かなんやからね」
「お前、兄貴にそこまで言うか?」
そんな事を言い合う兄妹にミユの緊張も解けていたようだった。
◇
とは言っても、ニガワの住民1000人全ての武装を整えられる訳では、勿論無かった。銃火器はほんの少し。近接武器も含めて、対デモンの武装を出来たのは100人程度である。それでも有馬佳仁は大盤振る舞いをしたと言ってもいい。
「ここから歴史が変わるかもしれない……」
人間のデモンへの反抗、カレンはそれを期待していたのだ。だがそれは楽観的に過ぎるとキョウジは思っていた。
「そんな大層なものを期待するんじゃない」
「いいじゃないの。そんな夢くらい見たってさ」
いずれにせよ、ここまで焚きつけたからにはもう後には戻れない。元より戦うつもりではあったが、最早自分達だけの戦いだけでは無くなってしまった。
武器を受け取った中には、興奮している者もいれば怯えている者もいる。だが士気は上がっている。
「いいか、貴方達が前面に戦う必要はない。敵を叩き潰すのは俺達の役目だ。後ろからサポートしてくれればそれでいい」
キョウジはそう言った。しかし彼の事はあまり注目されていない。ニガワの住民――立ち上がった民達が見ていたのはミユとカレンだった。かれらにとっては、彼女達は自由の女神に見えていたのかもしれない。それはそうだろう、とキョウジは思う。人はなんだかんだ言って単純な所がある。美女と美少女に煽られればその気になってしまう。女達ですらそうなのだから、男はなおさらである。完全に火が点いてしまった。それは喜ばしいことなのだろうか? 戦いを求める事が、果たして良い事なのかどうなのか……
覚悟を決めるしかない。こんな戦いは初めてだった。
「貴方達の勇気に感謝します。それでは一歩前へ!」
カレンは叫んだ。群衆が雄叫びを上げた。
ニガワ決起――それがこの終末世界になにをもたらすのか、それを知る者はまだどこにもいなかった。




