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雨宿り





 これまでずっと西へ西へと進んできたが、ミユの記憶に関する手掛かりは一向に見付からない。むしろ遠ざかっているような気がする。少し旅の方針を変えるべきなのかもしれない。気分を切り替えるという意味でも頃合いではある。


 カレンが仲間に加わって、これからは彼女のライトバンと並走する形になった。それは良いのだが、クルマが増えたという事は、それだけガソリンを適宜補給しなければならないという事でもあった。これからは3人で稼いで行かないとならない。


「……男の甲斐性ってやつを見せなきゃならんのかな」


 しかしそれはキョウジにとっては難しい事だった。少なくとも彼自身はそう思っていた。ひとり気ままな旅が性に合っていたのに、どうしてこんなことになったのだろう。いや、それは自分自身の選択であり、責任である。もし本当に独りが良かったのなら、あの時ミユの事は打ち捨てれば良かったし、こうしてカレンの事も誘う必要は無かった。しかし放っておけないのも彼の性分なのだった。


 こんどは切り返して東に進んでいる。コウベ地方から、オオサカ地方に進んでいるのだ。旅路は全て事も無し――野良の賊に会う事も無かった。


「おーい、ミユちゃん、元気にしてるかい?」


 カレンは窓から顔を出して、ハンドルを握りながら声を掛ける。エンジン音でうるさいが、それ以上の大声で叫んでいた。


 彼女は彼女なりにミユと打ち解けようとしていたのだ。だがミユはぶすっとしたまま、聴こえないフリをして無視している。


「おい、危ないぞ! 話ならもっと落ち着いたところでしよう!」


 代わりに叫んでいたのはキョウジだった。


 しかし、銃器の扱いもそうだが、クルマの運転技術などを彼女はどこで学んできたのだろう? 勿論それ位身に着けなければ生きていけない世界だとは分かっている。でもキョウジにしてみれば、5歳児のカレンと今のカレンがまだハッキリと結び付いてはいなかったのだ。空白の17年間。言葉にしてみれば簡単だが、そこには得も知れぬ重みがある。


 一人、また一人と仲間を失い、そして庇護者であったタイセイ叔父さんまでも喪った後の彼女。凄惨な人生を送って来たに違いない。その事を詳しく訊くのは――今ではない気がする。いや、ずっと秘密のままでいいのかもしれない。キョウジにとってみれば、そこに幼馴染みが生きているだけでも僥倖なのだ。何と言うか、自分の中にあった罪悪感が一つ洗われたような。ひとりだけ生き残ってしまったという罪悪感は常にあった。カレンがそこにいるのは、そこを修正するものである。


 そんな事を考えながら走っていた。しかしオオサカ方面に向かうとは決めたものの、具体的な目的地までは決まっていない。漫然と車輪を進めているようなものだ。地図もないから大まかなカンで走るしかない。アスファルトが剥げた、道路と言っていいものやら分からない道だけが頼りだった。道路標識の跡もなんだか頼り無い。


 本当にちゃんと東に進めているかも分からず、補給ポイントになるような集落を見つける事も運次第。だからこそ物資の備蓄はちゃんとしておかねばならない。ジリ貧になって右往左往した経験のあるキョウジはそう思っていた。多分だが、カレンも同じ経験をしたことがあるだろう。


 メリケンの町長が言っていた話では、戦前はコウベとオオサカはクルマで行けば1時間も掛からないほど近いところだったらしい。しかし今は道路が寸断され、高架の高速道路も所々崩落していて進めない。何より問題は、本来架かっていた筈の橋も幾つか壊れていて、川を渡る道を逐一探さねばならないことだった。当然時間が掛かる。大回りしなければならない。その、一時間の距離にあった近隣都市が今ではとても遠いのだ。大破壊は人の生きる世界をずっと昔の、長いものだった頃に戻したのかもしれない。


「橋ってのは偉大な発明だったんだなぁ」

「水陸両用戦車とか持ってればいいのにね」

「それは贅沢にも程がある望みだ」


 結局道のりは険しく、そこまで進めずに日が暮れてきた。まずいことには黒い雲が空を覆い出して、雨が降るのは確実な状況になった。雨だけならまだいいかもしれない。しかしその雲は雷雲の様に見えた。雷雨になったらたまったものではない。開けた荒野で雷に打たれて死ぬ――なんていう最期は絶対に御免だった。


 だが幸いな事に本格的に雨が降り出す前に(少しすでにぽつぽつと雨粒が落ちていた)雨宿り出来る建物が見つかった。どうやら戦前は電車の駅だったらしく、入口には汚れて見えづらかったが「西宮北口駅」と書かれていた。それも戦前の文明の遺物である。


「この所は天気が不安定だな。冬は晴れの日が多いのに、珍しい」

「ちょっと暖かいせいもあるのかしら」

「かもな」


 駅の中に入ると、そこは無人の様だった。こんな補給ポイントも無い所で住む物好きなどいないということだ。それは有難い事である。


 そして懸念通り雨は雷雨へと変化した。この雨が一夜で終わってくれればいいがな、とキョウジは期待するしかない。とは言ってもお天道様の機嫌を地に這う生き物がどうこう出来るものではない。ただ祈るだけだ。しかし、はて、神が見放したこの世界で、祈る対象とは何なのだろう?


 電気はもちろん繋がっていない。頼りになるのは灯油ランプだけである。しかしその燃料も残り少ない。この数日間の内に必ず物資を補給できる街か何かを探さなければならないだろう。


 駅構内に深入りする事はしないようにした。そうしたところで得る物はないだろうからだ。ここはあくまで雨風をしのぐ所である。


 かなり近い場所に落雷があったらしく、爆音の様な音が鳴り響いた。まるで世界の終わりのようだ――すでに世界は終わっているが。


「ひゃあぅっ」


 雷音が唸る毎にミユが肩を竦めて怯えていた。ふるふると震えている。怖がりなのである。彼女自身はその小心を恥じている。その事は知っているが、キョウジは責めたりなじったりすることはない。そっと肩を抱いてやるだけだ。


「ああ、怖いよぅ」

「もう少しの辛抱だ。明けない夜は無いし、降り止まない雨も無い。雷様も飽きればどこかに行ってしまうだろう」

「そうだといいけどぉ……怖いのは怖いよ」

「俺が傍にいてやるから安心しなさい」

「……うん」


 メリケンで買ったあんこのお菓子を食べるとミユは少しだけ落ち着いたようである。それから本格的な夕食にして、後は肩を寄せ合って身体を温め合うだけである。そんな様子をカレンはおかしがるように見ている。


「貴方たち、とても仲が良いのね」


 雷のピークは過ぎ去ったようだが、まだゴロゴロ言っているのに変わりはない。ミユがビクビクするのも変わりない。


「カレンは怖くないのか?」

「この程度、なんでもないわ」

「昔は怖がってたけどな」

「あら、今は私も大人よ。昔のままだと思わないでくれる? でないと私も貴方の気弱だった少年時代を蒸し返してやるわよ」

「それは勘弁してくれ」


 カレンはニヤニヤと笑っている。そんな彼女をミユはまだ警戒しているようだった。なんだか座った目で彼女を見ている。先が思いやられるな、とキョウジは思った。とはいえ、ミユは敵意を持っている訳ではない。まだ心を許していないだけだ。本当なら仲良くしたいと思っているに違いない。まあ時間が解決してくれるだろう。キョウジはそう楽観していた。どんな時でも悲観的にならないのが自分の良い所だと思っている。そうでなくては生きていけないという所もあるが……


「さあ、こういう時はさっさと寝るに限る。明日は明日の風が吹くさ」

「そうね」


 そうして3人は持ち込んできた寝袋に入った。ランプの灯りを消すと駅内は本当に真っ暗闇である。キョウジはこの方が落ち着いて眠れるが、二人はどうだろう? なんにせよ、明日になればもっと明るい日が待っているものだと信じて、キョウジは眠りに付く。疲れていたのか、微睡みはすぐにやって来た。ミユもカレンも大人しく寝袋に包まっている。安心は出来ないが、不安でもない。


 キョウジは珍しく無防備だった。だからこの後に女の時間があった事にまるで気付かずに一晩泥のように眠ったのである。

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