少女ミユ
特に大したことをした訳ではない。いつも通りだ。それでもナダの住民にとっては快哉を上げるものだったらしい。戦闘を終えて、特に疲れもせず戻ったところ、キョウジは大歓声で迎えられた。それは怒号とすら言えるものだった。英雄扱いは趣味じゃないんだがな、と思いつつも悪い気持ちではなかった
「スゲェ! 本当にやっちまった!」
「万歳! 万歳! 万歳!」
「素敵! 抱いて!」
抱くことはしないだろう、と彼は思った。そこまで好みの女性ではなかったからだ。若くはあったが。
出迎えには適当に手を振って、彼は街中を歩き続ける。賞賛の歓声は止まることを知らない。それだけ〈スパルタカス団〉の(そんな陳腐な組織名を名乗っていた覚えがある)略奪に憤激と鬱屈を溜めていたのだろう。弱き者の鬱屈を、幼い頃から力を得たキョウジには本当の所では理解出来ないと思っている。寄り添うことは出来ても、それだけだ。だが、だからこそ守るべき存在なのだとも思う。
「……まあ、弱者だから必ずしも善人って訳でもないがな」
とは言え、ナダの住民は押しなべて温厚であり、流れ者のキョウジの事も鷹揚に受け入れている。それが尊敬の眼差しに変わった訳だ。それは悪くないことである。感謝されているのであれば、彼らにしてもなけなしの資源であろう報酬を受け取ることにも後ろめたさは無くなる。元々そんなことを深刻に考えるキョウジでもないが。
彼はまず長老の家に向かった。
「そういえば貴方の名前を訊いてなかったな」
「おお、これは失礼なことをした」
長老はコウスケという名前を名乗った。彼にも苗字はあるはずだが、この時代フルネームを教え合う常識は廃れている。キョウジも同じだった。それに興味はなかった。
「なんとお礼を言ったらいいのやら……キョウジ・ザ・シルバー。その腕は本物のようだ。いや、期待以上だった」
「俺はその場凌ぎに敵を倒したに過ぎない。何もやっていないに等しい」
「それでも我々は有難い」
「だが俺が去ってからこの街はどうやって守る? 組織を壊滅させた訳じゃないからな。態勢を整え直したら奴らはまた襲撃に来るぞ」
冷厳な事実を伝えると、コウスケは陰鬱な顔を見せた。全くその通りだったからだ。
「しかし、旅の方にいつまでも頼る訳にはいかん。我々も団結して守りを……」
「デモンはデモンの力でしか打ち倒せない。貴方たちにそんな武器を調達することが出来るのか?」
デモンの力――それはデモンそのものに限らない。飛来した隕石は地球上には存在しなかった金属だった。それを精製した武器なら人間でも戦うことが出来る。だがそれを調達することは極めて難しい。生活基盤が整っているナダではあるが、特段裕福でもないし、そういったルートを取り付けることも出来ないだろう。それに近接戦闘武器なら何とか手に入るかもしれないが、それでただの人間がデモンに立ち向かえる訳ではない。となれば銃火器なのだが、貴重な対デモン弾を、継続的な街の防御の為に補給し続けるのは絶望だと言っていい。
「……確かに私たちには戦う力はない。だがどうすれば良いというのだ?」
「そこで商売の続きの話をしたいって事だ」
コウスケは最初、キョウジが何を言っているのか分からなかった。そんな顔をしていた。キョウジは全く顔色を変えなかった。特段無愛想という訳ではないのだが、かといって愛嬌の全く無い男でもなかったのである。
「どういう事かね?」
「俺が奴らの本拠地を潰す。そうすればしばらくは平和になるだろう。そして少し待てばここも〈ザ・ラウンドテーブル〉の庇護下に入れる筈だ」
「そ、それは……しかし貴方にそこまで頼る訳には」
「だから商売の話と言っている。つまりは仕事の続きだ。その分報酬は上乗せだ」
本当はこのまま放って置いたら寝覚めが悪いという理由なのだ。しかし彼らの名誉を守るためにキョウジは敢えて報酬の話を持ち出したのだった。
「俺たちは長旅をしている。その為の物資は手に入れられるだけ手に入れておきたい。そういう事だ」
「それは願ってもない話だが……しかし」
長老の顔色は曇ったままだった。
「しかし、幾ら強い貴方だといっても、独りで奴ら全員と戦えるものなのかね?」
「戦いなんざ始めてみないと分からないものだ。だが俺がそこで野垂れ死んだとしても、街にとってはただ流れ者が無謀に潰れただけのことだ。悲しむ必要もないだろう」
勿論死ぬ気はないがな、とキョウジは続けた。
「どうだ? 貴方たちに選択の余地はない筈だ。一隊を壊滅させた事でむしろ危険は増した。これからより苛烈な報復があるかもしれない」
「それは……」
コウスケはしばし首を捻り、悩んでいるようだった。しかしその時間は短かった。彼はキョウジを真っ直ぐ見据えると、決意を持った瞳で訴えた。決断力はある方らしい。
「……分かった。お願いしよう」
「よし。じゃあ俺は明日にでも向かう」
それだけでは終わらなかった。
「しかし心苦しい事には変わりない。もし我々に出来ることがあれば何でも言ってくれ」
別に何もないが――と思いかけて、少し考え直してキョウジは言った。
「弁当を用意してくれ。腹が減っては戦は出来ぬ、だからな。それから祝い酒の準備も。ここは飯も酒も旨い」
そういう事ならぜひ協力させて貰う、とコウスケは請け負った。
◇
それから宿に戻った。宿と言っても滅多に旅人が訪れる街でもないので、空き家を間借りさせて貰っているだけである。手入れもされずぼろぼろで埃も深かったが、雨風を凌げるだけでも有難い事である。
そしてその埃はいつの間にか払われていた。掃除をしている者がいたのだ。その者――黒髪の小さな少女はキョウジの帰還を知るとすぐに駆け寄り、抱き着いた。
「おかえり、兄ちゃん」
「ただいま、ミユ」
彼女はいつもはロングストレートの長髪を流しているが、今は纏めているその上三角巾まで被り、エプロンをしている。
この少女がキョウジの旅の連れ、ミユ(春日美悠)である。
「しかしお前、自分で掃除してたのか? ゆっくりしていればよかったのに」
「汚れてるのは嫌い。それに兄ちゃんが帰ってくるまで暇だったんだもん」
ミユは穢れなき、眩しい笑顔を見せた。彼女はキョウジの事を「兄ちゃん」と呼ぶが、別に兄妹ではない。とある時にキョウジが彼女を拾い、その身の上話を聞いてそれからは彼女の目的の為に旅をしている。
「おうちを借りさせて貰ってるんだからそれ位はしないと」
「お前が真面目なのは知っているがなぁ……」
普段は冷静沈着な顔を崩さないキョウジも、ミユの前では少しだけ頬を緩ませる。
ベッドは二つあった。キョウジは雑魚寝しなくてもいい事を喜んだものだ。そしてキョウジのベッドには旅の荷物が置かれていて、ミユのベッドにも同じく荷物がある。その中にはひと際目立つ物があった。反りの付いた黒い鞘。日本刀である。
「春日守桔梗美奈」。それが刀の銘だった。
それはキョウジの得物ではなくミユの持ち物である。彼女の一番大事なものだった。
「しかしミユ。もう少し心配していたような顔を見せて貰ってもいいもんだと思うがな」
「兄ちゃんが負ける訳ないもん。そんな顔はしないよ」
「そうか」
俺は無敵でも不死身でもないんだがな――と言おうとして止めた。ミユの信頼をそのまま受け止めようと思ったのだ。
「この街はいい所だね。みんな優しいし、ご飯もお水も美味しいし。でももうすぐ旅立たなきゃいけないんだね」
「もう少し滞在出来ることになったぞ」
キョウジはミユに長老との話をした。彼女はにっこり微笑んだ。
「兄ちゃんならそう言うと思ったよ」
「俺は正義の味方じゃないがな」
「でも無理はしないでね」
「当たり前だ。俺がお前を残して逝くと思うか?」
「信じてるよ」
そして翌日がやって来る。