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覚醒の日





 血が冷たくなっていくような気がする。いや、身体から血が無くなっていくような感覚があった。それは生の終わりのようだった。だが自分は死んでいなかった。ただ気分の悪さだけは続いている。自分が自分ではない、新たなる何者かになった実感。


 キョウジはゆらりと立ち上がった。


「ぼく……」


 まだ現実感を喪失していた。自分が何をやっているかも分かっていなかった。一つの事だけは気になった。彼女は逃げ出せただろうか? 街の門を見るとそこにはすでに人影は無い。という事は上手く行ったか、それはどうか。


 それから怒りがやって来た。これまでに無い程の憤怒であった。一方で自分の中にそんな感情がある事も不思議に思っていた。周りからは穏やかな少年だと言われていたし、自分でもそう思っていたのだ。なのに。許せないという気持ちがふつふつと湧き上がってくる。それが苛烈な闘争心に変化するまでにはそう時間が掛からなかった。


 それは一人のいたいけな少年が、一人の悪魔(デモン)になる、その始まりであった。


「……殺す。全部殺す」


 キョウジはそれが出来るかどうかはどうでも良かった。ただ抑えきれない衝動だけがあった。握り続けている短剣の感触も、それを冷ますまでにはいたらない。ただ熱い、熱い。怒りを伴った興奮。自分を制御できない。こんな事は初めてだった。


 見るもの全てを襲いそうになる程の狂熱。もう少し冷静になるべきだ、という思いもどこかにはあった。だがそれは無視された。自分の中に湧き上がる熱をどこかに放たないと蒸発しそうな気持ちがあった。


「残党狩りって言ったって、こんなの所に何も残っちゃいねえよな、なあ」

「全部仕留められた訳じゃないようだな。でもボスは奪えるものはあらかた奪い尽くしたって言ってたぜ」

「で、俺達は空しい残業って訳か。特別手当を貰わなきゃやってられねぇな」


 完全に油断している賊の残りが二人現れる。キョウジの事には気付いていないようだった。キョウジはその滾り始めた心にも拘わらず、すぐに襲い掛かる事はしなかった。何故だろう。良く分からなかった。しかし怒りがあればこそ、その向ける相手を良く見ていたかったのかも知れない。或いはただ、まだ現実感が無かっただけかもしれない。いずれにせよ動いたのはキョウジではなく賊たちの方であった。


「おい、あんな所にガキがいるぞ。ナイフ持ってやがる」

「そういやキスケの奴はどこ行ったんだ? さっきこの辺りを見てくるって言ってたが」

「まさかとは思うが、あのガキにやられたんじゃないだろうな?」


 彼らに少し警戒心のようなものが生まれる。一人はマチェット、もう一人は短機関銃を携えていた。怒りに震えている筈。今にも飛び掛かりたいほど。だがキョウジの本能と言えるものが彼らを観察させていた。どう()るか。そんな事を考えていた。


「まぁいいや。こいつもやっちまおうぜ」

「ホントは女の方がいいんだけどな。色々楽しめるし」


 短機関銃の男が銃口を向けて構えた。しかしすぐに銃撃はしない。飛び掛かったのはマチェットの方だった。近接担当が攻撃を仕掛け、後ろから火力で支援する。彼らはそれなりに連携の取れた野盗だった。街を一個壊滅させるだけの事はあって、戦闘力は中々のものだったのである。しかしキョウジにとってはどうでも良い事だった。


 彼の身体は浮遊する様に揺れていた。自分がどんな顔をしているかは分からない。憤怒が表に出ていないことは確かだった。敵にとってはデモンというより悪霊(ゴースト)に見えていたかもしれない。


「死ねッ!」


 マチェットの間合いに入った賊がそれを振り下ろす。それを見てついにキョウジのスイッチが入った。男の動きがひどく緩慢に見える。こんな感覚は初めてだった。とてもゆっくり――最初は怒りで心の中にある興奮が感覚を明敏にしているのだと思った。だがそれにしては過剰過ぎる。そして奇妙な程に熱さが消えて行って。寒気がするほどの冷酷さが代わりに生まれる。敵を冷静に、沈着に仕留める。確実に。一撃で。


 キョウジは振り下ろされた斬撃を身体を反らして躱し、同時に一気に相手の懐に飛び込んだ。下卑た顔がさらに醜く歪んでいく様もスローに見えた。


 そして彼は確実に賊の胸元に短剣を刺していた。ぐっと力を入れ、奥まで抉り取るように刺突する。敵の驚愕する顔を見上げる。もう一回、今度は脇腹に刺す。これで十分だと思った。どこまでやればいいかを本能的に理解していた。


 その時、闘争の化身、キョウジが生まれる。


「な、なんなんだ、てめぇ――」


 それが男の最期の言葉になった。


 自分が自分でない様な感覚があった。何かが変わっていく確信があった。自分の中にこんなものがあるなんて信じられなかった。だが今はそれが必要だった。生き残る為の、そして憎き敵を屠る為の。


 顔をもう一人に向けると、狼狽しながらも銃撃を始めようとしていた。〈加速時間〉――と後に自分自身が名付ける能力――が発現していた。賊がトリガーに指を掛ける動きすらはっきりと、そしてゆっくり見えた。


「殺す」


 キョウジが駆け出したのと短機関銃が火を吹いたのはほぼ同時。だがキョウジには銃弾の軌跡すらはっきりと視認していた。難なく回避して、急接近。そしてそのまま跳躍し、賊の腕を蹴り倒す。マシンガンが宙に舞った。その打撃のせいでそのまま体勢が崩れた。闘争機械になった様な気持ちのまま、キョウジはその上に馬乗りになり、止めを刺す前に怒りを清算するために殴りつけた、何度も、何度も。


 そして最後に喉元に短剣を突き刺す。賊はあっけなく霧散した。


「何だ、今の……」


 キョウジは自分の力に驚愕していた。そして吐き気のする気持ち悪さが襲った。思わず膝を突く。能力に対して、まだ身体が追い付いていなかったのだ。慣れていなかった。しかし本当に揺らいでいたのは心の方だった。初めての殺戮。そのことに自分で動揺していた。


 幸いなことに、周りには敵がいなかった。しかし異変を察知されればすぐに増援が駆けつけてくるかもしれない。でもこの力があれば――自分が強大な力を得たのを確信していたが、それに溺れる事は無かった。心と身体を整える。破壊衝動を何とか抑える。冷たい機械(マシン)の様になって敵を的確に滅ぼす。


 その時賊の一団は略奪を終えていて、本隊はすでに撤収していた。残っていたのは打ち漏らしを確認するための掃討部隊で、それは散り散りになって捜索していた。その点でキョウジ少年は幸運だったかもしれない。いかに力を得たとは言っても、まだそれを完全に使いこなす術は身に着けていない。賊が完全に残っていたら、結局はやられていたかもしれないのだ。


 キョウジはナラの街を駆け回り、残党狩りを行っていた賊たちを各個撃破していった。過剰に力を使うと身体が崩れそうになる感覚があったから、慎重でもあった。彼は戦いを覚え始めていた。


 そして気付いた時には――キョウジは街でただ一人佇んでいた。逃げ出した者以外は、生き残りはいなかった。敵も含めてである。どうしようもない寂寥感が彼を襲う。怒りが収まると、虚しさだけが残った。そして躊躇なく敵を殺していった自分を嫌悪した。


 だが彼は確かに生き残ったのである。


「これから……どうしよう……」


 それでもこうやって生き残ったのなら、生き延びてやる――そんな覚悟だけはあった。



         ◇



 これがキョウジがデモン・ウィルスに感染し、人ならざる物に変異した顛末である。この時の記憶はなお鮮烈に残っていて、今でも生きる為の指針にもなっている。自分が生き延びる事、そして助けられるものは助ける――

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