火の原風景
何でもない日のはずだった。
穏やかな春の風が吹き、気温はやや高く、そして快晴だった。その日も日課として、キョウジはカレンと共に花壇の手入れをしていた。カレンがさくらんぼ孤児院に匿われてから2年が経っていたが、いつの間にかキョウジが一番仲良しになっていた。別に性格が似通っていたという訳でもないのに不思議な事である。
「男の子の癖にお花の手入れが好きだなんて、ヘンなの」
「だって、タイセイ叔父さんがお花は貴重で守らなきゃいけないって言ってたから」
「キョウジくんは真面目だねえ。こういうのはキマジメって言うのかな」
にへへと笑うカレン。生意気ではあったが彼に懐いていたのは間違いなかった。
「でもそろそろお勉強の時間だよ」
こんな世界で教育など必要なのだろうか――と思われたがタイセイは真剣だった。いつか平和な世界が戻ってきた時に、次代を担うきみたちには色々と知っておくべき事がある。彼はいつも孤児たちに説いてきた。そういった小さい積み重ねが、いずれ人類の復活を促すと彼は信じて疑わなかった。
「カレンはお勉強が嫌いだものね」
「そんなことないよ。国語と歴史は好き。嫌いなのは算数だけ」
「強がり言っちゃって」
「強がりじゃないもん」
そうして宿舎の中にある教室に戻ろうとした――その時である。
さくらんぼ孤児院は戦前小さな幼稚園だったものを使い、若干の改築を経て今に至るものだった。養われているのは大体50人程。ナラという比較的大きな街の中にあった。街は珍しく緑が沢山残っていた。そして川の恵みを得て様々な作物の栽培を行い、養畜まで行われていた。要は裕福であり、だからこそ孤児院を運営できるほどの富のおこぼれに預かっていたのだ。しかし街の防衛に対してはいささか無頓着でもあった。
その襲撃は大規模なものだった。街の真ん中にある時計台が飛来してきた物に爆散された。不吉な予告――それはロケットランチャーの爆撃だった。
「え……?」
その異変をキョウジは茫然と見やっていた。何が何だか分からず――だがとても嫌な予感だけがした。
程なくして騒乱が始まった。戦いと呼べるような物は無かった。ただ一方的な蹂躙だった。
「賊の襲撃だ!」
すこし年長の少年が驚愕するように叫んだ。え、え、と8歳のキョウジは狼狽える事しか出来ない。ついさっきまで平和だったのに、そんな事があり得るのだろうか。気丈なカレンも動揺している。
「どうなるの、どうなるの」
「取り敢えずタイセイ叔父さんの所に行こう!」
お兄さんに引かれてキョウジ達は宿舎の中に入っていった。その頃にはあちこちで火の手が上がっていた。
「ここでじっとしていよう。見過ごされてやり過ごすしかない」
それがタイセイ叔父さんの判断だった。それ自体はそこまで間違っては無かった。これだけ多数の少年少女、幼児、赤ん坊を抱えて逃げる事は不可能だったからである。だがそれを賊の暴虐が上回った。奴らはさくらんぼ孤児院にまでも乗り込んできたのである。
「逃げるしかない! 年長の者は幼いものを守ってやれ」
そう言うタイセイ叔父さん自身は短機関銃を持っていた。ほかの職員さんも銃を装備して、戦うつもりだった。子供たちを逃がす為に。
「いいか、お前たちも決して無理はするな。逃げ出せるチャンスがあればすぐにでも逃げるんだよ」
タイセイ叔父さんは度胸のある人だった。迎撃するよりは中央突破を図ったほうがまだしも生存の確率はあるとして、実際そうしたのである。子供たちはそれに付いていくしか無かった。とても怖かったが、泣く余裕すらも無かった。
慣れ親しんだ街が焼かれるのを見て、キョウジは悲しみ――そして怒りを覚えた。
「ぼくも戦う!」
それはキョウジの中にある闘争心の芽生えだった。
「無理な事は言わないんだ! お前たちは逃げる事だけ考えろ!」
固まって逃げるよりは散開したほうが良いと考え、引率の職員に離れないようにと言われながら、孤児院の皆は散っていった。
それが永遠の別れになった。
その混乱の中で、キョウジは一体どうなったのか覚えていない。唯一つの事は覚えている、彼はずっとカレンの手を引いていた。そして気付いた時には二人きりになっていたのである。職員やタイセイ叔父さんとも離れ離れになっていた。
「どうしよう……キョウジくん……怖いよぉ」
「取り敢えず見つからないように物陰に隠れながら、街の外を目指そう」
街を出て、それからどうするかは考えていなかった。今ここを離れるだけで精一杯だと思われたのである。
その途中で、戦いの混乱で落ちたのだろう、短剣が転がっていた。使っていた者はもう死んだのかもしれない。そう考えるとぞっとしないが、身を守る術にはなるかもしれない。キョウジはそれを拾った。8歳の少年には大きすぎる代物であった。それがデモン隕鉄製であるかどうかはわからない。だが彼は命に代えてでもカレンだけは守るつもりでいた。
初めて持つ武器に身を震わせた。それはただ恐怖だった。しかしこの状況を切り抜ける為には、カレンを守る為にはそれを乗り越えねばならない。不思議な事に、自分自身はどうでもいいと感じていた。自分はただの道具だという感覚があった。
しかし見つからなく逃げるのは最優先だった。陰にしている建物の向こうから、銃撃、悲鳴、罵声、それから色々分類しがたい音が鳴っているのが恐怖でならなかった。あれがいつここに襲って来るか分からないのだ。
「キョウジくん」
「しっ。静かに、静かに……」
物陰に隠れてやり過ごす、というのも考えられた。子供のちゃちな頭でも、それ位のことは思い浮かぶ。とにかく生き残るのに必死で、それしか考えられなかった。その為のことに意識を集中させていた。そろ、そろと動き出す。子供なんて襲わないだろう、という読み違いがあった――賊は暴力に飢えていて、一番簡単にその欲求を満たせる相手が子供であることに気が付いていなかった。
やがて出口まで繋がる物陰も無くなっていく。動かない方がいいのかもしれない。でも見付かったら? 一か八かで飛び出した方がいいのでは? 動かなかった方が良かったのかもしれない。それは今でもキョウジの中に残る後悔のひとつである。あの時、もう少し大人だったならばもう少し賢明な判断が出来たはずだ。騒乱は少しずつ収まっていた。やり過ごす事は出来たはずだ――だが8歳の未熟な頭ではその判断が出来なかった。
「行こう、カレン」
過ちを犯した。彼はカレンを引っ張って表に出た。賊はいないように見えた。少なくともキョウジの視界には入っていなかった。その筈だった。
街の門ではタイセイ叔父さんがほんの少し残った子供たちを集めて逃げる準備をしていた。
希望がある!
そう思った。だがその時、賊の一人がマシンガンをぶっ放し、駆けようとしていたキョウジ達の足元を縛った。救いはもう少しの所で断たれた。
「ふん、ガキかよ。でもそれでもいいや。ガキの方が具合がいいかもしれんしな」
男はそう言った。奴の目は明らかにカレンの方に向かっていた。いかに幼いキョウジでも、本能故なのか、男は同性よりも異性を狙うことを分かっていた。
そこには叔父さんがいる。二人揃っては生き残れないかもしれない。ならば――
「行け、カレン!」
「ああっ、キョウジくん!」
キョウジはカレンの手を放し、駆け出すように促した。そして迫り来る男に飛び掛かった。子供がそんな奇襲をしてくるとは思っていなかったのだろう。キョウジの幼い身体でも一瞬彼を押し倒すことに成功した。
後ろは振り向かないようにした――それがカレンを見た最後の記憶である。
「この野郎!」
「この野郎!」
少年の甲高い声と賊の野太い声が唱和した。マシンガンから火が吹いた。それはキョウジの身体を蜂の巣にした。だが同時にキョウジは相手の脇腹を短剣で貫いていた。
死ぬんだ。
そう思った。でもカレンを逃がせた事、賊に一矢報いただけでも良かったな、と思った。意識が遠のく。不思議と怖さは無かった。元々始めから生きているのが幸運だっただけ、という思いがあったのかもしれない。
だが、その斃したデモンの黒い霧を浴び、肺に吸った時、さらなる異変が起こる。キョウジはそのまま倒れ込み、死ぬつもりでいた。だが致命傷だったはずの身体がみるみる内に塞がっていき、黒い霧は染み込むように彼の中に入っていった。力が漲っているようだった――この場をどうにかする力を得ながら、キョウジはひどく気持ち悪いと思った。
それが、キョウジのデモンとしての覚醒であった。




