過去への扉
思えば髪の色を見た時点で気付くべきだったのかもしれない。珍しい天然の栗色の髪。彼女は――カレンはそれをよく恥ずかしがっていた。でも密かに自慢に思っていたこともキョウジは知っていたのである。
「カレン、お前生きていたのか」
忘れていた訳ではない。だがこの厳しい世界で生存の望みは薄いと思っていたのだ。彼女の事は、いや、孤児院にいた人達のことはなるべく考えるべきではないと思っていたのだ。自分は天涯孤独の身。そう思い込もうとしていたのだ。
しかしカレンは今ここにいる。よく見れば、幼い頃の面影もその顔からは感じられる。旅を始めてから最大の驚きかもしれない。だがカレンの方は平静であり、からかうような笑みも見せていた。
「貴方が生きているんだもの。私も生きているわ」
「そりゃそうかも知れんが……」
「何よ。嬉しくないの?」
「いや嬉しいけど、驚きの方が強いんだよ」
旧交を温める、というにはまだ困惑は続いていた。有り体に言えば、キョウジはこの思わぬ再会にどうしていいか分からなかったのである。いかんね、と彼は思った。彼女が生きているならもっと嬉しがるべきだ。それにもっと男として泰然としているべきだ。しかしそれが出来ない。修行が足りないな、とキョウジは心の中で呟いた。その点、彼もまだまだ若い。
「キョウジ君に助けられた命だもの。そう簡単に散らせないよ」
「俺が助けた訳じゃ……そうだ、タイセイ叔父さんは無事なのか?」
キョウジがそう訊くと、カレンはここで初めて暗い顔を見せた。
「叔父さんは10年前に亡くなったわ」
「殺されたのか?」
カレンは首を横に振った。
「いいえ、病気で」
大破壊後の世界では暴漢の脅威も問題だが、医療の崩壊による死亡も多くなっている。清潔さも確保できない状況では、軽い感染症でも簡単に命の危険に晒される。人間は50歳生きられればいい方だと一般に思われていた。
「それからずっと独りだったのか?」
「ええ」
「どこかに落ち着こうとか思わなかったのか。女一人で旅をするのは辛いだろう」
カレンは元々勝ち気な少女だった。3歳年上のキョウジにも対等に振舞おうとしていたものだ。誰かに依存するようなタイプではない。男を見つけてそこに落ち着く、と言ったような生き方は、確かに出来ない性質ではあるのだろう。だからと言って賞金稼ぎなどという修羅の道を選ばなくとも良いのに。
「こんな世界だもの、安全な所なんてない。なら怯えて過ごすよりは自分の力で生きる道を選んだの。悪い?」
「悪いとは言わんが――無茶だ」
「でもここまで生き残ってきたわ」
カレンは自慢するでもなく言った。決然とした、そして何かを悟ったような目をしていた。それだけの経験をして来たのだろう。
「使える手は何でも使ったよ。胸を張っては言えない様な事もね」
キョウジはその言葉を誤解しなかった。つまりはそういう事だ。そこまでの覚悟で生きているのなら最早何も言うまいと彼は諦めた。自分は別に彼女の何でもない。今更生き方を矯正することも出来ないし、また権利もない。彼女の選んだ道は尊重しなければならなかった。ただ心配ではある。
「デモンになった訳でもないんだろう」
「そうよ。私は人間、デモンになんか……あ、ゴメン」
「気にするな。なったものは仕方がない」
「でもそうするしか生き延びる道は無かったんでしょう」
「俺が忌み嫌われる存在なのは分かっている。同情はいらない」
「そんな事ないよ。人の価値を決めるのは属性じゃなくて心映えだわ」
やはり対等に振舞おうとする彼女である。変わってないんだなとキョウジは感心した。一方の自分はどうなのだろう。自分は大分変わってしまった様な気がする。
「お姉さんと兄ちゃんは知り合いなんだね」
そうやって再び打ち解ける話をしている間、ミユが居心地悪そうな感じになっていた。不満そうでもあるし、怯えているようでもある。マズったな、とキョウジは思った。カレンの懐かしさに浸って、ミユの事をすっかり忘れていたのだ。ただでさえ人見知りのミユが、そんな女を前にして困らない筈がないのだ。もっと気遣ってあげるべきだった。だがもう遅かった。
「あたし、外で遊んでるね」
「一人で出ていくのは――」
「ここは安全そうな街だから、だいじょぶ」
有無を言わせぬ感じでミユはそのまま席を立ち、そのままたったと駆けていった。こりゃ完全に臍を曲げてしまったなとキョウジは悔いた。
「私の事が嫌いなのかしら」
「そうじゃない。ミユは引っ込み思案なだけだ」
カレンはくすくすと笑う。
「でもあのキョウジ君がロリコンだったなんてねぇ。正直幻滅したわ」
「いや、ミユはそんなんじゃあ……」
「相変わらずそういう所は不器用なのね。勿論冗談よ」
そんなカレンを見ていると過去をどうしても思い出してしまう――良い思い出も悪い思い出も、全てひっくるめて。
◇
誰しもがそうなのだろうが、キョウジは生まれてすぐのことは覚えていない。自分がこうやって産まれて来たのだから、親は間違い無くいるはずである。だが親の事は知らない。忘れてしまった訳ではない。最初から記憶に存在しないのだ。
つまりキョウジは孤児だった。この世界ではさして珍しい事ではない。珍しいとすれば、運良く生き残れた一人だということか。
彼の記憶は4歳から始まる。
その孤児院には赤ん坊の頃に拾われたらしい。さくらんぼ孤児院というのが正式な名前である。そこから記憶が始まっているのだから、キョウジにとってはそこが故郷だった。ともあれ、こんな殺伐とした世界でもそんな慈善事業を行っている人もいるのだ。孤児院と称して、その実拾った子供を人売りに出している輩もいるが(実際、キョウジは後にそんな孤児院を知った。もちろん潰滅させた)、さくらんぼ孤児院の院長、タイセイはそんな人ではなかった。
温かい場所だった、とキョウジは覚えている。はっきりと覚えている。あの頃自分は弱虫泣き虫で、タイセイ始め大人の世話役を困らせていたものだった。
この院の外には厳しい荒野が広がっている、なんて彼には信じられなかった。キョウジの世界は優しいもので包まれていた。
しかしいつまでもここに留まっていられないのも確かだった。あくまでここは身寄りの無い子供を保護する場所である。15、6歳位になれば大人として独り立ちしなければならなかった。勿論その後の生活の目途も世話してはくれる。しかしそこからは自分だけの旅が始まるのだ。
キョウジは大人になった自分を想像出来なかった。ただ、このまま弱虫ではいけないと思い、身体を鍛えたりして変わろうとしていた。
次第に一目置かれるようになった。彼は穏やかな性格だったが、喧嘩は強かったのである。喧嘩はしたくなかったけれども。周囲に信頼されるようになって、それから心の自信も付いて来た。
そんな彼にいちいち突っ掛かっていたのがカレンである。3歳年下の少女というよりは幼女。しかしその頃から負けん気が強かった。兄姉とも対等に渡り合おうとして、そんなところも可愛がられていた。キョウジも可愛いと思っていた。
「キョウジは将来の事は考えているかい?」
タイセイ叔父さんは良く気遣ってキョウジに話し掛けた。今思えば、かなり目を掛けられていたようだ。頼り無いと思われていたのかもしれない。
「うーん。どこか平和な所で、畑を耕して生きていきたいな」
「それがいい。お前は優しいからそういった世界で生きるのがいいだろう」
強く望まなくても、そういった未来が待ち受けていると信じて疑わなかった。自分はその程度の存在である。野心とか大それた夢とかは無い。平穏無事に生きられればそれで何より。
だが――彼はこの世界が暴虐の世界であり、それが理不尽にどこにでも襲い掛かることを知らなかった。
時に、キョウジ8歳の頃である。




