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夜の闖入者





 須山書房を出たのがやや遅かったので、次の目的地に着くまでに日が暮れてしまった。こうなるとキャンプせざるを得ない。なるべくなら避けたい状況だった。だがそれに備えての装備もちゃんと用意してある。宿を取れる事自体が幸運なのだから、旅をするにはこういう事も想定しなければならない。


「流石に夜になると冷えるね」


 昼頃は快晴で、冬にしては温かい気候だった。しかし陽が西に傾いていくに連れて分厚い雲が空を覆ってきた。まだまだ厳冬という程ではないが、野営がつらい時季であることに間違いはない。寒いのは好き、と強がっていたミユも今はダッフルコートを羽織っている。


「バイクよりも車の方が良いのかな」


 キョウジは呟いた。そこまで荷物を搭載する事が出来ないので、二人分が入れるほどのテントは持っていない。必然的に寝袋を使うようになる。


 ミユは健気に薪ストーブの火起こしをしている。その間キョウジは常に周りを警戒していた。このご時世、どこに賊が湧くかも分からない。それにデモン化した野生動物が襲って来る可能性もある。用心するに越したことは無い。


 ストーブに火が点き、温かさが伝わってくる。キョウジとミユはそれを囲んだ。米はまだたっぷり残っているので飯盒で炊いていた。それと鯖の水煮缶詰を開けておかずにする。しかし保存食を手に入れるのも苦労する時代である。これでも贅沢なのだ。


「雨が降らなきゃいいがな」


 そこまで寒い訳でもないから雪という事は無いだろうが、それでも心配である。少し強行軍であっても次の街にまで到着すべきだったかもしれない。それだけ雲行きが怪しい。月は完全に隠れている。


「早く春が来てもらいたいもんだが」

「まだ冬になったばかりだよ」


 我慢しなきゃ、とミユは言う。すこし先に行けば廃ビルがあるからそこで雨宿りしてもいいだろう。何故今そうしないかと言うと、食事の為に火を使いたかったのと視界を遮られるのを嫌った為である。気付かない内に賊に接近されるのを避けたかったのだ。


 まあ、こういう時は早く眠るに限る。ミユはキョウジ以上にその事を理解している。すでにコートを脱いで寝袋に包まっている。彼女の場合は寝るのが好きなだけかもしれないが。


 彼女を安心して寝かさなければならないから、警戒するのはキョウジの役目である。あまり深い眠りに入ってはいけない。幸い今日はそんなに疲れていないのでそういう事にはならないだおる。何かあればすぐに起きられる術は身に着けている。神経を尖らせながら、眠っているような起きているような状態を保ち、異変があれば即座に飛び出す。意図的に訓練して身に着けた術ではない――生きていく内に自然と身に着いたものだ。同時にすぐ眠れる技術も必要である。


 そういった技術はミユも持っているはずだろう。だが今はすやすやと眠っている。安心しきっているようだ。それだけ俺の事を信頼してくれているのかな、とキョウジは思った。それならそれで良い事である。だがそれ故にもっと気を引き締めなければならない。


 しかしこの夜はその警戒睡眠――とでも呼ぶべきもの――をする必要はなかった。睡眠に入る前に異変が向こうからやって来たのである。


 気配を感じてキョウジはすぐに寝袋から抜け出した。即座に短剣を持つ。抜き身にする。こんな状況で近付いてくる存在は十中八九敵だろう。


 そう思っていたのだが。


 人影は一つだけだった。なんだかよろめいて歩いている。疲労困憊という感じだ。そして背丈もそんなに大きくない。スマートでもある。夜目の利くキョウジはそれをはっきりと捉え、そして訝しんだ。


 女である。しかもひとり。


「あぁ……あぁ、こんな所に人がいるなんて、助かった……」


 女の声にしては低いものだが、今はそれが弱々しい。しかしまだキョウジは警戒を解いていない。100パーセント敵意の無い相手だと確信出来るまで気は抜かないのが生き残る為の鉄則である。女ひとりだといってもデモンなら気は抜けない。どんな力を持っているか分からないからだ。


「誰だ、お前は」


 焚火に照らされるその女は中々の美人だった――だがかなりやつれている。幽鬼のような形相をしていて、まるで死神に魅入られたようだ。


「待って! 私に敵意はないわ!」

「それを証明して貰わないと話は出来ないな」


 キョウジはなお短剣を構え、いつでも戦闘態勢に入れるように腰を落としている。女は短機関銃(サブマシンガン)を携帯していた。


「ほら、これでいいでしょう……」


 随分と疲れた声で言い、地面にマシンガンを置く。それだけで、これまでずっと気を張っていたのか、女はゆらりとよろめいて膝から崩れ落ちた。敵意は無い、というのは間違いないようである。そしてかなり弱っている。だが何故? 街から離れた所で女がひとりだけで歩いて来たのは異常と言う他ない。


「水を……水をくれないかしら……」


 取り敢えずキョウジは短剣を引っ込め、水がはいったボトルを手渡した。キョウジは警戒を解いていた。だがかなり嫌な予感がする。


「ありがとう……干からびて死にそうだったの」

「旅をしてる、って訳じゃなさそうだな。どうしてこんな所にいる?」


 色々な事が想定出来るが、その中でも最悪のケースを考えなければならない。


「シュクガワの街から来たのか」

「そう、私だけ生き残って……逃げてきたの。もう二日前よ」

「それで、ここまで飲まず食わずって訳か。いいだろう。これを食べろ」


 キョウジは非常用の乾パンと供に缶詰も渡した。女は何も疑うことなくそれにかぶり付き、荒々しい、と言える程にがっつりと食べ始めた。食べ終わるとすこし顔色も良くなったようである。しかし陰鬱な所は変わらない。


「野盗に襲撃されたのか」

「そう。私だけ……私だけ卑怯にも逃げ出して」


 遂には女は泣き出してしまった。泣けるだけの力が戻ってきたと言うべきなのかも知れない。女の涙は苦手である。しかしこういう時どうすれば良いかも分かっていた。下手な慰めはいらない。ただ泣き終わるのを待つだけである。


 やがて涙も涸れてしまったようである。それでも彼女はまだ少ししゃっくりをしている。


「有難う。優しいのね」

「俺はキョウジだ。こっちで暢気に寝ているのがミユ。きみは?」

「私はスズランって言うの」

「珍しい名前だな」

「そうでしょう? でも私、この名前気に入ってるの」


 女――スズランは初めて微笑のようなものを見せた。だが弱々しい事に変わりはない。


「ああ、キョウジって! あのキョウジ・ザ・シルバーね!」

「きみみたいな女にまで知れ渡っているのか。あまり良くない傾向だな」

「私って運が良いわ!」


 こんな目に遭って運が良いはずもないのだが、スズランは目を輝かせた。


「お願い、どうか私達を助けて!」

「私()? 生き残ったのはきみひとりじゃないのか?」

「街は女狩りに遭ったのよ! 男たちは皆殺しにされた……私の恋人だって……それで女はみんな連れ去られたわ」

「それで俺に敵討ちと女たちの救出を頼むんだな」


 だが、とキョウジは言った。


「お前に報酬は出せるのか?」


 スズランは少し曇った顔を見せ、それから打って変わって決意を秘めた瞳をキッと見せた。


「報酬なら私の身体で払うわ」

「女は売るものがあるから便利だな。だが俺にその賊の同類になれって言うのか?」


 少し意地悪だったな、と思ってキョウジは続けた。


「身体は大事にしろ。良いだろう、ここはタダ働きしてやる」


 結局の所、俺は女には甘いのかな――男なら誰しもそうかもしれないが、彼はそう思った。

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