双剣、違える時
それは遠い昔のようで――じつはさほどでもない。
シロウは名も無い村に生まれながら、類稀なる身体能力を得て(あまりに強力だったのでデモン化を疑われたほどである)、早くから戦士としての使命、そして夢を抱いていた。15歳ごろですでに今の恵まれた体格も得て、村を守る為の戦闘訓練を我流で続けた。得物はその頃から大剣であり、今に至るまでそれは変わっていない。
やがて彼の守る対象は故郷の村だけでは収まらなくなり、人類全体にまで及ぶようになっていた――つまり、〈ザ・ラウンドテーブル〉に参加する事を考え始めたのである。しかし故郷に愛着が無い訳ではなかった。
「あなたは、この村には収まりきらない人だわ」
その葛藤を最終的に断ち切ったのは当時の恋人であり、それは幼馴染みの素朴に可愛い女の子、マリだった。ついでに言えばそれはシロウの初恋だったのでもあり、それ以降は他の女性を好きになった経験はない。
「私の事なんかどうでもいい。その力を世の中の為に役立てて」
「でも、ぼくは……」
「ここで躊躇するなら、私、シロウ君を嫌いになっちゃうから」
ひとりの男を想いながら、しかしここまで言える女性もそんなに多くはない。マリはとても健気な人だった。そんな人に後押しされて、なお躊躇うのならそれは男ではない。シロウは彼女の覚悟を受け入れ、また自身の覚悟をも決めたのだった。
そしてその夜、二人は初めて男と女になった。そしてそれが最後だった。
そして彼はキョウトに向かう。それにもそれなりの苦難はあったはずなのだが、奇妙にもそれはあまり覚えていない。恐らくは〈ザ・ラウンドテーブル〉に入隊してからの記憶に塗りつぶされたのだろう。それほど過酷で――刺激的な体験だった。
シロウおよそ20歳の時である。
そこで嫌と言うほど自分がただの田舎者である事、自分が齧り、磨いてきたと思っていた技がいかに取るに足らないものであるかを思い知った。訓練の日々は血反吐を吐くようなものだった。ただの人間が怪物たるデモンに立ち向かう為には、色々なものを捨て、無慈悲とも思える程の戦士にならねばならなかった。覚悟はしていたはずなのだが、心が折れそうになった時も何度かある。だがシロウはその度に立ち上がる強さを持っていた。腕力よりも戦闘技能よりも、精神の強靭さこそが戦いには、生き残る為には重要なのだと神経の髄にまで刻み込まれた。
しかし誰もかれもが、そんな極限状態にまで追い込まれるような訓練を仕込まれる訳ではない。シロウはとりわけ特別なメニューで訓練された。それは最初から、彼が〈ラウンドテーブル・コマンダーズ〉の一員になるのを期待されていた証である。それだけの才能を見出されていたのだ。
そしてシロウはそれに応えた。しかしその過酷な訓練も、彼本来の柔和さを取り除く事はなかった。そういう点でも、彼は芯の強い男だったのである。戦いの為には何でも犠牲にする――とは思いつつも自分を売り渡すのは違うものだったのだ。
かくして優しき偉丈夫、穏やかな心を持ちながら苛烈に体験を振り回す偉大なる戦士、〈ザ・ソーズマン〉シロウはここに完成した。いや、まだなお成長途中なのかもしれなかったが。
そのほぼ同時期に入隊したのがトシヤである。
「よろしく、シロウ君。君とはいいライバルになれそうだ」
「こちらこそ。でもライバルだなんて――これから手を取り合って戦う仲間じゃないか」
「そういう間柄だからこそ、競争意識は持つべきだと私は考える」
そうなのかな、と最初は思った。だがいずれシロウの方が先に強烈なライバル意識を持つようになった。簡単に言えば、嫉妬した――その稀有な才能に。
二人は早くから〈ザ・ラウンドテーブル〉内でもよく目立つ存在になっていた。年の頃もほぼ同じ、身長も高くほぼ同じ、堂々たる体躯のシロウに比べてトシヤはスマートな印象を与えたが、頼りなく見える程細くはなかった。
そして甘いマスクも。優しい格好良さを持つシロウに対してトシヤは怜悧な美とでもいうべき顔だった。そういう訳で二人は女性隊員にも絶大な人気を誇っていたのだが、それを気にする事はなかった。気付いていなかったのかもしれない。朴念仁なところまで二人は似ていたのである。
「でもま、イケメン二人が並んでたら、女はなんとなく入り込みにくい雰囲気になっちまいますね」
これはカナコの評である。
著しく違った所があったとすれば、それは性格だった。穏やかな心の中に熱いものを秘め滾るシロウとは違って、トシヤはどこまでも徹底的な合理主義者であり、冷徹な心を失わないでいた。だが冷酷さは感じさせなかったのは人徳と言うべきだろうか。それが〈ザ・マシーン〉のコードネームを拝領する理由になる。
彼等は〈ザ・ラウンドテーブル〉の双剣と謳われた。
意外にもコンビを組んで任務に向かった経験はそんなに多くない。傑出した戦闘能力と、隊員を鼓舞する強烈な意志力を持っているからこそ、別々に運用した方が良いという訳だ。そう考えたのは〈ザ・ゲームマスター〉リュウイチである。
逆に言えば、二人揃って投入される任務は、それだけ危険だと判断されたという事にもなる。いずれにしても、二人は負けなかった。生き残り続けた。
はずだった。
トシヤが行方不明になる前、二人はいつものように組手をしていた。そしてあっさりとシロウは打ち倒された。僅かな差なのかもしれない――だがその僅かを埋めるのがどれほど難しいものか。組手でのシロウの勝率は1割にも満たなかった。腕力や技能でそこまで劣っている訳ではない。だがトシヤの卓越した状況分析能力が、いつでもシロウを圧倒したのである。これでライバルと言っても良いのだろうか、とシロウは恥ずかしささえ感じていた。でもだからこそ上を行きたいと野心を燃やしていたのも確かである。
「全く……トシヤは本当に強いな。この世界に敵う相手なんていないんじゃないか」
「私は驕らない。君とも紙一重の差だ。そしてデモンはいつでも油断できる相手ではない」
その日、奇妙な予感がしたのは――後付けではあるが間違ってはいなかったのかもしれない。訓練を重ねてシロウは疲労し、休憩室の椅子で水を飲みながら休む。トシヤはいつものように疲れなど全く表に出さず、窓の外を眺めていた。顔は後ろに向けていたが、いやに神妙な雰囲気をしていたのが今でも思い出される。
「我々の生業はとても不安定なものだ。一寸先は闇だと言って良い」
「そりゃあ……分かっているけどさ」
「シロウ。君は私を超えてくれ」
何故そんな事を言い出すのか、シロウには分からなかった。ひょっとしたら、彼にもそういった予感があったのだろうか?
そしてトシヤは続けた。
「そして私が万一道を踏み外した時――その時は君が私を止めてくれ」
「何を馬鹿な。そんな事、ある筈がないじゃないか……」
しかし今、それは無慈悲な現実として襲い掛かってきているのである。
◇
「彼はこうなる事を予見していたのか……?」
あまり気持ちのいい思い出とは言えないものを思い返しながらシロウは呟いた。トシヤは強烈な運命論者であり、予言者じみた所があった。まさか予知能力まで持っていた訳ではないだろうが……
ヤワタ駐屯地では戦力の再編が進んでいる。慌ただしく隊員が走っていくのがそこかしこで見られるが、ここでシロウがやる事はあまりない。彼は実務の点ではあまり期待されていないのだ。彼自身もそれで良いと思っている。
それで、あの日トシヤがそうしていた様に、シロウは窓の外を眺めていた。そうすれば戦友――いや、元戦友と言わなければならないのだろうか――の気持ちが分かるのではないかと思ったからだ。だがあまり効果は無かった。
そこに割り込んできたのがカナコだった。
「おんやあ。珍しくアンニュイだわね。もっとしゃきしゃきしなきゃダメよ」
「……悪い。今は君の冗談に付き合っていられる気分じゃないんだ」
おちゃらけてはいるが、空気の読めない女ではないカナコはすぐに申し訳なさそうな顔をした。
「……ゴメン。そりゃそうだよね」
「だが任務は遂行する。ぼく一人では敵わないかもしれないが、カナコがいれば……」
「うん。全力で支えるよ」
だが、その前に彼の心の裡は知っておきたい――それは叶うのだろうか?
いずれにせよ、考えるのはまず生き残る事。つまりはいつもと同じである。