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ロング・デイ(4)





 およそあらゆる戦闘の種類の中で、撤退戦ほど難しいものはない。まして〈ザ・ラウンドテーブル〉はそんな状況を強いられた経験はこれまで無かった。困難極まる任務――しかしながら遂行しなければならない。今ここで自分達が潰滅して、それでこの地を誰が守れようというのだ。


 リュウイチは堪え難きを堪え、鋼鉄の意志を以てその命令を下した。意志は問題無い。問題はその実際的指揮である。


「〈ザ・ソーズマン〉、君は北部の援護に回れ。そして〈ジ・アーセナル〉達にその命令を伝えろ。防衛は放棄し、南門から脱出するのだ」


 了解しました、と言葉を短く切ってシロウはそのまま駆け出した。彼にもまた迷いは無い。だからこそ彼も喪う訳には行かない。他の〈コマンダー〉も、隊員達も。無傷という訳にはいかないだろう。故に腹を括らねばならなかった。


「きみ、名前は何と言う」


 駆け付けた若い伝令にリュウイチは訊いた。若い男はしばらくぽかんとして、それから答える。


「あ、はあ……シンジと言います。深川慎二(ふかがわしんじ)です」

「シンジくんか。歳は?」

「20歳です」

「そうか。ではこの撤退命令を全軍に伝える任務を君に与える。それを完遂すれば君を〈ラウンドテーブル・コマンダーズ〉のひとりに任命しよう。だから必ず遂行し、そして生き残れ」


 彼にとっては青天の霹靂に違いなかっただろう。しかしリュウイチは冗談で言っているのではなかった。〈ザ・ヘリオン〉デイヴィスが斃れた後、その後釜を探していたのだ。その点、シンジ君には見どころがあるように思えたのだった。ただ餌を与える為にそう言ったのではなかった。尤も、そもそも〈コマンダーズ〉に任命されるのはより危険な任務に就くという事なので実利はない。名誉はあるかもしれないが。


「分かったな。では急げ!」

「りょ、了解しましたッ!」


 混乱はまだ続いているようだった。リュウイチも急がねばならなかった。緊急に自分が直率する部隊を編成せねばならない――最も危険な任務を担う、殿軍の編成である。


 彼は撤退の最後までここで指揮するつもりだった。司令官としての矜持を見せなければならなかったし、彼自身の強い責任感によるものでもあった。



         ◇



 そんなに戦闘をした訳ではないのに、シロウの肩にはひどく疲労感が圧し掛かっていた。それは主に心理的負担によるものだった。特にかつての戦友、トシヤが敵となって現れ、剣を交えた事実がショックになっていた。


「どうしてだ……くそっ」


 だが任務は全てに優先する。私情はこの場合必死に抑えなければならない。特にこのような困難な時にあっては。


 もう誰も喪いたくない。


 このような組織に所属している以上、それは叶わぬ願いなのかもしれない。トシヤは特にそうではあったが、他の隊員が死んでいく様を彼はこれまで何度も見てきて、それで心を痛めて、それでも戦いを止めなかった。さらなる悲劇を食い止める為に。


 今もそんな状況だった。そしてこれまでにない、一番難しい状況だった。負け戦――それは気が滅入るものである。勝ってさえいれば、疲労は忘れられる。意気も上がる。しかし。


「……ぼくが一番しっかりしなきゃあ」


 全ての迷いを振り払ってシロウは駆け続ける。そして交錯する隊員たちに撤退の旨を伝え続けた。動揺する者もいれば、憤慨する者もいた。だが最終的には命令に従う。その辺り、〈ザ・ラウンドテーブル〉の規律はしっかりしている。後はこの撤退戦で士気を維持できるか、それが問題だった。


 そしてある一人には別の命令を与えた。


 そうする為には、自分達が先んじて奮戦しなければならないだろう。戦闘では負けたとしても、心では負けていない事を示さねばならない。示し続けねばならない。


「なんだ、結局はいつもと同じじゃないか」


 そう思うとシロウも気が楽になった。ただ戦士としての誇りを失わなければ、どれだけ絶望的な状況でも立ち上がれる。自分のみならず部下達も。その点、彼はリュウイチと同じ意識を有していた。それは〈ラウンドテーブル・コマンダーズ〉に共通する意志力である。コマンダーに選ばれる者は戦闘能力よりも精神的な強靭さが優先されていたのである。


 次第に戦場の音が近付いてくる。丁度南風が吹いていて、硝煙が向かい風とともに流れてきた。すこし咳き込むが大したものではない。


 そして橋の真ん中で武蔵坊弁慶のごとく仁王立ちして奮戦しているカナコの姿を確認する。尤も、彼女の得物は長刀ではなく機関銃だったが。


「オラオラオラオラオラァッ! 散れッ、散れっ、散れェッ!」


 戦況不利であっても〈ジ・アーセナル〉の意気は相変わらずだった。逆境の方が燃えると公言し、またそれをちゃんと実践している彼女である。何とも頼もしい。だが、だからこそ彼女に撤退の意を告げるのは少し難しいところがあった。


「カナコ!」

「おやっ、シロウ君! 元気だったかい?」


 戦場のど真ん中に立っていても弾の方から避けていくというカナコの強運ぶりは相変わらずだった。理屈ではない、勝利(と火力)の女神の恩恵に自分も与りたいと思った。


 だが指示は明確かつ迅速に伝えなければならない。そして隊員達をしっかりと統率する。難しい。だがやらなければならない。大丈夫、自分なら出来る筈。


 トシヤの事は彼女には黙っておこう。


「〈ザ・ゲームマスター〉の命令だ。ここは放棄して全部隊撤退する」


 そう伝えてもカナコはさして動揺もしていないようだった。


「やっぱね」

「らしくないな。君にはもっと勝ち気でいて貰いたいもんだけど」

「私だって現実が見えない程馬鹿じゃないさあ」

「ならば話は早い」


 動揺しているのはコウタだった。


「なんて事……」

「そうしょげるな。誰が悪いってもんじゃないさ」


 カナコが勇気付ける言葉を掛けるが、そう簡単には立ち直れないようだった。若さゆえだろう。彼はまだ不利な状況というものに慣れていないのだ。


 そういう時にどうすればいいのかは意外と簡単である。


 分かり易い、そして負担の少ない仕事を与えてやればいいのだ。


「〈ザ・マジシャン〉、君は防壁上で応戦している部隊に撤退命令を伝達しろ」

「は、はいっ」


 普段は生意気なところもある少年だが、この場ではしおらしく素直だった。


「で、実際これからどうしよ?」

「撤退を潰走に陥らせない為に士気を維持することだ。整然と退かねばならない」

「そんな事位分かってら。私が訊いているのは実際的な方法!」

「実利主義らしいあなたのお言葉で」


 その点については手を打ってある、とシロウは請け負った。


「橋を爆破する。多少は時間を稼げるだろう」

「そりゃいいけど、どやって? ここには爆弾無いよ」

「爆薬についてはすでに持ってくるように命令してある。だから……」


 それまでに相手を侵入させないよう、二人でここを守る――そう言いかけたところでシロウの口が止まった。


 橋の先に、なにか恐るべき、不吉な存在を見つけたからだった。黒いコートを羽織り、日本刀を左手に持って、長い髪をなびかせる女。それは何か死神を思わせるような感じだった。似たような感じはついこの前覚えた事がある。あのキョウジ・ザ・シルバーの連れの少女、ミユにそんなものを感じた。ただ、少女のそれはこちらに敵意を向けたものではなかったし、どこか愛嬌もあった。


 今そこにいる女が放っている殺気はそんな生易しいものではなかった。世界中の悪意を集め、煮詰めたような狂気を感じる。


「……そう簡単には行かせてくれそうにないね」


 シロウは剣を抜いた。そして〈ペイル・ライダー〉――ミヤと相対する。


 

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