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第6話 激戦、浅草湊(あさくさみなと)

 清三郎らが帰宅したのは子の刻(午前0時頃)であった。

 清三郎の帰りを心待ちにしていた四月と出雲姫が抱き着いてきた。その後ろにせつが笑顔で立っていた。


「清三郎殿には奥方が沢山おられるのと同じですね。さあ早くお上がりなさい。冷めておりますが御膳について下さいな。汁物は直ぐに温めなおしますね」


 参勤交代で忙しい清十郎は既に床に入っていた。女中も既に寝ているのでせつが汁物だけ温めなおす。

 三月と五月も姿を現し、出羽神も上り框に立った。


 三月がせつに礼を言う。

「母上様、こんな遅くに帰宅しましたのに、そのようなお心遣いまでしていただいて。本当にありがとうございます」


 五月は「同じく」と頭を下げる。

「ふふふ。母親にとって娘が増えたと思えばこれほど嬉しい事はないのです。皆さんも子を授かればそのうち私の気持ちが分かりましょう」


 せつの言葉に乙女組が清三郎に揃って顔を向ける。皆の瞳が熱い。

「う。な、なんですかその視線は……それより腹が減って仕方ありません。


母上、冷飯大盛りでお願いします。明日は夜明け前から動くことになるかも知れませんからね。沢山食べておかないと。三月と五月も早く食べなされ」


 出羽神は既に干し肉をもらって食べていた。

「腹ごしらえしたら明日の作戦会議です。悠長に食べている暇はありませんぞ」


 清三郎の言葉に四月と出雲姫は肩を落とした。「南町奉行所、恋の嵐」の話を清三郎に聞かせたくて仕方ないのだが、どうも今夜も見送りの様相を呈していた。


 清三郎は早食いすると風呂へ走った。せつが「温めましょうか」と問うたが「水風呂で結構です。出羽神をよろしく」と言って風呂に消えた。


 余程急いでいるようだ。ゆっくりと膳を摂っている三月と五月にせつが尋ねた。

「清三郎殿は何を急いでいるのでしょう」


「清三郎様は、私達が追っていた子供の誘拐事件を明日には片付けたいと思っておられるのです。そのため作戦の指示を私たちに行う時間と多少なりとも寝る時間を確保されたいのだと思います」


 三月の話にせつが驚いた。

「子供の誘拐事件! 物騒な話ですね……。清三郎殿は修行から戻ったと思ったらもう事件ですか。


以前服部様が清三郎殿は事件を呼ぶ男と言われておられましたが、真にそのとおりになっております……。本当に困った事です……。母としては心中穏やかではありません……」


 三月がせつを安心させるように話す。

「母上様、ご安心なさいませ。清三郎様にこの世で勝てる者などおりません。今日、はっきりそれが分かりました。修行の期間は短かったですが、相当困難な荒行をされたのだと思います」


 すると五月が「清三郎、強過ぎ。凄い戦いを見せられた」と付け加えた。

 せつが「清三郎殿が戦った? 今日ですか! どなたと戦われたのですか! なんとまあ……よくご無事で……。あら出羽神ちゃん、こちらへいらっしゃい。綺麗きれいしましょうねえ」


 干し肉を食べ終えた出羽神がちょこちょこ歩いてせつの傍に来ると仰向けになった。せつが腹から拭いてやる。


 それを見た五月が一言「まるで犬」

 せつもそうだが清十郎も乙女組と一緒に暮らすようになってから、戦いという言葉に抵抗感が薄れていた。


 というのも乙女組は三人が常に戦闘用の衣を纏っており、食事の席で話す話題と言えば、あの時の戦いはこうだったとか、ああだったとかといった話が主だったからである。


 元々三月らの世界でセオスハロスは悪の輩を退治するために創造された神使であったことから戦闘の話になるのが当然と言えば当然であった。


 四月と出雲姫が清三郎の戦いを聞きたがった。

 食事を終えた三月がせつに気を使った。


「母上様、清三郎様の話をしてよろしいでしょうか」

 せつは出羽神の羽を手拭いで拭きながら「どうぞお話しくださいな。私も傍で聞いております」


 そこへ風呂から上がった清三郎がやってきた。

「母上、出羽神は綺麗になりましたか。ああ、後は片方の羽だけですか。


では出羽神、そのまま聞きなさい。出羽神には先日の夜、粕壁宿で助けた宿屋の少女が無事かどうか確かめてきて欲しいのです。


もう深夜なので寝ているとは思いますが、おそらく宿屋一階の何処かの部屋で、家族揃って寝ているはず。こっそり入って少女の無事を確認して欲しいのです。お願いできますか」


 仰向けで右翼をせつに拭いてもらっていた出羽神は、清三郎の命令を聞くと直ぐに立ち上がり、両翼を大きく広げて「了解」の合図をすると直ぐに縁側から飛び立っていった。


 せつが「本当に出羽神はお利口で可愛いですねえ」と心から褒めた。

 出羽神が飛び立ったのを確認した清三郎は皆に声を掛けた。


「こちらの座敷に皆集まって下さい。直ぐに明日の作戦会議をしますから。母上、大きめの和紙と筆を用意してもらえますか」


 せつが「はいはい。お任せください。何ともお忙しいことですこと」と皮肉った。

 四月と出雲姫が清三郎の顔色を窺うように見ている。


「ん。四月、出雲姫、どうかしましたか」

 四月が思い切って聞いてみた。


「じ、実は三月様に、これから清三郎様が今日、戦われた話を聞くところだったのですが……どうでしょうか」


「そのような話は何時でもよろしいでしょう。それよりも早く明日の作戦会議をして、少しでも睡眠を取ることが第一です。いいですね。


何が起こっても対処できるように充分な作戦を立てて、全員がしっかりと作戦を理解するのです」

 四月と出雲姫はしょんぼりだ。


「ん? 門に誰か来ましたね。ちょっと見てきます」

 そう言うと清三郎は玄関の方へ向かった。


 すると門の方から「このような深夜に申し訳ありません。御免下さいませ」という声が聞こえた。座敷にいた者全員が清三郎の能力にあらためて感服した。


 今の清三郎は作戦会議に集中していた。いかに意識が研ぎ澄まされているのかが分かる。

 清三郎が潜り戸の閂を抜き、表に出た。


 そこには背の低い老夫が立っていた。声を掛けたのと同時に閂が抜かれたので驚いた顔をしている。

 清三郎がこのような夜分に何用かと尋ねると、懐から一通のふみを差し出した。


「私は決して怪しい者ではありません。ここから町中へ入った長屋に住む九兵衛きゅうべいという者です。


年を取ると厠が近くなりまして、床から外へ出ますと真っ黒な衣を頭から纏った怪しい者から声を掛けられました。声の感じから中年男と思います。


最初は私も驚きましたがその文を私に渡し、これを今から上杉中屋敷の橘家に持っていけというのです。恐ろしくて断ろうと思いましたらこれを出されて……」


 九兵衛と名乗った老夫は大判一枚を清三郎に見せた。

 清三郎は「あい分かった」と言って文を受け取った。


 先日の禿鷹の丈太の件もある。慎重に老夫の霊気を確かめた。

「九兵衛と申されたか。ご苦労でありましたな。この事は他言無用がよろしかろう。その一両は大事に使うとよい。さあお帰りなされ」


 九兵衛は清三郎に深々と頭を下げると町中方向へ歩いて行った。闇に消えたのを確かめると清三郎は家に入り、蝋燭の明かりで文を確かめた。


 せつや乙女組も何事かと頭を文に寄せる。

 文にはこう書いてあった。下手な字であったが何とか読めた。


   橘清三郎

   明朝 巳の刻(午前10時頃)

   浅草湊の待乳山まつちやまに来られたし

   貴殿が持つ変化の鍵を所望する

   対価はある

   人質 麻木市之丞梓なる者と交換する

   来なければ麻木は殺す

            禿鷹の丈太


との内容であった。

 清三郎は直ぐに三月に渡した。三月が目を通す。


「麻木殿が人質とは……。このような物、只でくれてやりますのに。あ、母上、これは大変失礼なことを……」


 清三郎は本音を語った。これにせつが、「いいえ清三郎殿の言うとおりです。人の命には代えられません。ところで禿鷹の丈太とは何者なのですか」と不安気に尋ねた。


「これからの作戦会議で登場する名前でした。乙女達には話しておりますが、拙者、修行から帰宅した前日の夜、粕壁宿に泊まったのです。


たまたま別の宿屋の少女が誘拐されるという事件が起きました。少女は直ぐに助けたのですが、ここで大きな失敗を致したのです。


下手人らは少女を江戸川から小舟で運ぶ段取りだったようですが、小舟の男が禿鷹の丈太と名乗った者でした。


恥ずかしい話になりますが、出羽神が禿鷹の丈太を宙に吊り上げ、正直に話さなければそこから落として死ぬことになると脅して誘拐について白状させました。


自分は漁師で報酬の一両に目がくらみ、名を知らぬ侍に頼まれたと。拙者はその言葉を信用し、そのまま解放してやりました。


そして端的に話しますが、後に禿鷹の丈太の話は大嘘と分かり、本人自身が下手人の一味だったと分かったのです。


この失敗は修行によって新たな力を得たことよる拙者の慢心が招いた失敗です。そのため一度は助けた粕壁宿の少女が再度攫われるのではないかと心配で先ほど出羽神を粕壁宿に向かわせたのです。


ただし、禿鷹の丈太から収穫もありました。それは小舟の行く先が品川湊と騙ったことでした。


慎重抜かりない禿鷹の丈太でしたが、思いがけぬ突然の追及に、つい本当の監禁場所であった浅草湊とは別の湊であった品川湊と嘘をついたのです。


江戸川の下流は江戸湾です。明石殿に確認すると江戸湾にある大きな港は南の品川湊と北の浅草湊とのことでした。


この事で拙者はおおよそ少女らの監禁場所は、禿鷹の丈太が騙った品川湊ではなく、浅草湊だろうと目星が付けられたのです。これが禿鷹の丈太に関する情報です。本当に恥ずかしい話です……」


せつが心配そうに清三郎を見た。

「そのようことが帰宅の前日に……。ほんに清三郎殿はお忙しいお方。心が休まる暇もございますまい。母は心配です……」


「母上、拙者への心配は無用です。失敗もありましたがが、今は心身ともに充実しております。しかも私には乙女組という、この世で誰も得ること叶わぬ心強い味方が着いておるのです。


母上こそ、もうこのような時分。心配なさらずにお休み下さいませ」

せつは清三郎の力強い瞳に圧倒された。そして自分がここにいても邪魔になるだけとも悟っていた。


「分かりました……。母は休みます……。皆さん清三郎殿のこと、頼みますね」

 せつが乙女組に頭を下げると乙女組は大きく頷いた。


「母上、このような時分までお付き合い頂きありがとうございました。ゆっくりお休み下され」

 せつは清三郎の言葉に頭を下げて奥に向かった。


 せつの背中が視界から消えると直ぐに清三郎は熱を注いだ。

「よし、では次に、この文で要求されている変化の鍵について検討します。『変化の鍵』。


これは拙者が幼少の頃より母上から頂いていたお守りの事であり、拙者が『景虎』に変化する鍵でもあります。


三月の話によりますとオランダの闇魔導士大神官らが手に入れたがっているとのことです。ということは禿鷹の丈太はオランダの闇組織に雇われた浪人ということになりましょう。


ただし禿鷹の丈太という名が本名かどうかは定かではありません。三月、オランダの闇組織がこのお守りを欲しているという理由を全員に話してもらえますか」


「分かりました。昨年起きました佐貫の合戦での話になります。私が敵軍正面に位置していた鉄砲隊の弾を弾き返していた時です。


後ろで清三郎様が景虎様に変化された瞬間を上級闇魔導士ベルナール・ド・シャリエールが見逃さなかったのです。


ベルナールは後ろの闇へ何かしら喋りました。すると闇から一羽の黒鳥がベルナールの肩に現れ、ベルナールは黒鳥に何やら囁き、巻物を足に握らせました。


するとその黒鳥は闇の中へ消え去ったのです。その様子を見た私は、ベルナールは清三郎様が変化された瞬間に『何かを使った』と悟り、それを闇の黒鳥を使って自身が仕える主人に報告したのだと思ったのです。


この文にも変化の鍵と書かれております。これで私の直感も間違いなかったことだと確信しました」

 清三郎が三月の説明に納得した。


「皆さん、麻木殿が人質になったという事件が一つ増えましたが、これから説明する作戦に変更は全くありません。母上が用意してくれた和紙に今日下見した浅草湊の図を描きますね」


 清三郎は説明しながら和紙に筆を使って浅草湊の図を描いた。

「これが浅草湊の概ねの図になります。こちらが江戸湾、つまり海です」


 乙女たちが食い入るように図に視線を落とした。

「そして今日、浅草湊で少女らが監禁されている位置を特定しました。それが概ねこの位置になります。


拙者が確認したのがこの位置です。三月と五月は分かりますね」

「清三郎様が集中されていた時でございますね。奥平殿が何度か声を掛けられた時です。


あの時に少女らの監禁場所を特定されていたのですか! さすが清三郎様です!」

 三月は清三郎の能力に感動した。


 五月が図を見ながら「清三郎が集中した場所がここ、ここを起点として監禁されたこの辺りを探せば良いという事?」と尋ねた。


「五月の言うとおりです。これから直ぐに向かってもらい調査して頂きたい。三月、四月、五月の三人に向かってもらいます。


良いですか。調査の一つは少女の監禁場所である蔵屋敷を特定し、さらにどこの藩がその蔵屋敷を管理しているのかを特定することです」


 清三郎が三人を見る。三人とも理解したようだ。瞳が輝いている。

「そして調査がもう一つ。蔵屋敷には管理役らが住む建物が敷地内にあります。


そこを調べると年貢米や特産品などの小手形や証書といった文書が整理され保管されているはずです。その中から少女らの名前が書いてある文書を探し出し、さらにそれを発見したら文書の一番左に名前が書いてあります。


つまりその文書を証明する人物の名前が書いてあるということです。この禿鷹の丈太の文と似たような感じですね。分かりますか」


 三人は何度も頷いた。

「その人物が誰であるのかを特定してもらいたいのです。その文書を持ち帰る必要はありませんよ。確認したらその場に置いてあったように元に戻してください。いずれにせよ明日、手に入れるのですからね」


 清三郎が三人に再度確かめるように確認する。

「もう一度言います。調査の一つは少女が監禁されている蔵屋敷とどこの藩が管理しているのかを特定すること。


調査の二つ目は管理役らが休む建物に侵入し、少女らの名前が書いてある文書を探し出し、一番左に書いてある人物が誰であるのかを特定することです。分かりましたか」


 三人は瞳を輝かせ、大きく頷いた。

「では直ぐに向かって下さい。調査が済み次第、直ぐに戻って下さいね。


少女を助け出したいとか、麻木殿はどこかとか、待乳山はどこかなどと決して考えないように。明日、全て解決するのですからね。


まずは拙者が頼んだ二つに集中して調査してください。三人ならば直ぐに終わるでしょう。期待して待っております。


この結果次第で明日、拙者らがどう動けば最善なのかを考えます。さあ早速向かってください。あ、待った! 今説明した話で何か質問がありますか」


 すると四月が「待乳山の場所は本当に確認しなくてよろしいのですか」と聞いて来た。


「その必要はありません。明日、浅草湊に赴けば、禿鷹の丈太や三席上級闇魔とん士の居場所も拙者は直ぐに分かります。そこが待乳山ということです。他にありませんか」


 三月が手を挙げた。清三郎が頷く。

「禿鷹の丈太はどうして麻木殿を人質に取ったのでしょう。清三郎殿のお守りとの交換条件としては人質としての価値が多少弱いような気がいたしますが……」


 清三郎は暫く考えると答えを出した。

「麻木殿が人質に取られた理由は拙者にもはっきりは分かりません。ただ先ほど三月が語った闇の黒鳥が江戸であった事件を全て大神官に報告していると考えれば……。


そう考えると黒鳥は、南町奉行所の戦では拙者が麻木殿を救い、佐貫の合戦では麻木殿に拙者が救われた事を報告しているはず。


拙者にとって麻木殿は大切な人物と思ったのかも知れません。そこは全くの推測です。まあ、闇の黒鳥は今も時々拙者の周囲を嗅ぎまわっているようですがね」


 三月は清三郎の説明に納得したようだ。

「清三郎様の推測どおりかも知れません。いずれにしろ明日は奥平殿が奮闘されることでしょう」


「どうして奥平殿が奮闘されるのです?」

 清三郎が三月に尋ねた。


 すると乙女組の面々がにやにやし始めた。

 五月が答えた。「奥平、梓にメロメロ」


 清三郎がこれに驚いた。

「五月、その話は誠ですか」


「本当の話。南町奉行所、恋の嵐」

「何ですかその恋の嵐とは」


 四月が胸を張って説明した。

「八岐大蛇の大占いでの話です。清三郎様に聞いてもらいたくて仕方なかった話です。しかし誘拐事件でそれどころではなくなったのです。とにかく奥平殿は麻木殿を好いておられるのです」


「なんと大占いでの話ですか。それは面白そうな話です。……しかし、ここは誘拐事件が優先。奥平殿が明日奮闘されるという話は心得ました。他に質問がありますか。無ければ直ぐに向かってください」


 質問が無くなった三人は姿を消した。特に姿を消す直前の四月は顔が寂しさを物語っていた。出雲姫が小声で尋ねる。


「あのう、私は何を致しましょうか」

「今は拙者と待機です。明日は出雲姫が戦う場はないかも知れませんが重要な補助をお願いしようと考えています」


「はい。分かりました……」出雲姫の寂しい声が座敷に響いた。

 清三郎は考える。どこかの藩がオランダ闇組織と繋がっているのは間違いない。浅草湊の下見で確認した少女らの監禁場所は、間違いなく蔵屋敷であったからだ。


 ただし繋がってはいるが、洗脳されて利用されている公算が高い。佐貫の合戦がそうだったからだ。


 いずれにしても出島から最初に見失った三席上級闇魔導士が少女の誘拐と梓の拉致に絡んでいることは確実と思われた。


 明日の最終決戦の相手は三席上級闇魔導士か。それとも大型船でやってくる最強の敵、闇魔導士大神官か。


 大型船が江戸湾沖に到着するのは明日の深夜だ。白昼堂々と江戸湾に現れれば、幕府はオランダとの貿易を即刻禁止にするはである。明日の決戦相手は三席上級闇魔導士と考えて良いだろう。


「よし、この空いた時間を利用して、明日、もしかすると出雲姫にお願いするかも知れない重要な補助の訓練をしましょうか。出雲姫、よろしいですか」


「はい! 喜んで!」沈んでいた出雲姫の心がぱっと開花した。

「それでは出雲姫、どの頭でも良いので拙者のここへ」


 清三郎が自分の懐を示した。

「はい、どうぞ」


 清三郎は出雲姫の頭に手を置き、周囲から集めた霊力をゆっくりと送り込む。

「出雲姫、拙者が出雲姫の頭へと送っている力、拙者は霊力と呼んでいますがこの力を感じ取る事ができますか」


「はい。はっきりと分かります。これは驚きました。こ、これは自然界の生命の源……この世界に生きる全ての生命の源……それらが集まった力……これが霊力……せ、清三郎様はこの霊力を操っておられるのですか!」


「そういう事になります。今回の修行で得た力です。そうですか。感じ取れますか。さすが神を名乗る出雲姫。拙者の目に狂いはありませんでした。


ではこの霊力を出雲姫の能力で、そうですね。増やすという言い方が合っているのか、高めるという言い方が合っているのか、それらしい事が出来ますか」


「要は清三郎様が私に送られている霊力を、私の力でより強化することが可能かという事でしょうか。もしそうなら答えは出来ます。これを見て下さい」


 出雲姫は清三郎が送った霊力を己の力によってより強い霊力とし、その集合体を出雲姫の背中に浮かせた。


 清三郎の眼には出雲姫が作り出した集合体が青白い球体として見えていた。自分の霊力を送れば送る程、その球体はより強力な力を持った球体として巨大化していく。


「これは素晴らしい。出雲姫、素晴らし過ぎる! お見事です!」

 清三郎は心から出雲姫を褒め称えた。出雲姫も大喜びだ。


「よいですか出雲姫。この力はこの世ではあまりにも強大です。ですから拙者は戦いの道具として使うつもりはありません。


ただし、明日、対決するかも知れない闇組織との戦いで、拙者の能力だけでは防ぎきれない何らかの攻撃があった場合には、その防御壁としてこの力を使おうと考えています。わたしが言っている意味がわかりますか」


「はい! もちろん分かります。清三郎様が強力な攻撃を受けた時、清三郎様の霊力だけでは防ぎきれない時は私が清三郎様の背後に位置取り、その霊力を吸収して強力な防御壁を作れと言われているのでしょう。よく分かりますとも! えっへん」


「素晴らしいです出雲姫。お、ちょうど良いところへ出羽神が帰ってきました。私一人の防御壁だけでなく、いざという時、味方全員を守る防御壁を作るために、出羽神にも一役買ってもらいたいと思っておるのです。皆が帰ってくるまでに練習いたしましょう」


「さすが清三郎様! 素晴らしい考えです。やります。是非やらせて下さい」

 出雲姫の言葉に清三郎は笑顔で答えた。


 出羽神が縁側から戻ってきた。直ぐに清三郎が確認する。

「出羽神、どうでした、少女は無事でしたか」


 出羽神は大きく両翼を広げた。

「そうですか。無事でしたか。安堵しました。しかし本当に出羽神はお利口ですなあ」


 清三郎は言いながら出羽神を撫でまくる。

「出羽神、これから乙女の三人が戻ってくるまでの間、出雲姫と秘密の特訓を行いますが、付き合ってくれますか。


既にこの力を持っている出羽神ならば、拙者が想像しているとおりの結果になると思うのです」

 出羽神は再度両翼を大きく広げて見せた。


「良い子です。それでは説明するので出羽神は私の言う通りに動いて下さいね……」

 上杉中屋敷の座敷の中で、清三郎、出雲姫、出羽神による訓練が始まった。一体どのような技を訓練しているのか。清三郎の思考は計り知れない。そして無限に広がっていくのだった。


 半時(約1時間)経つと、乙女たちが帰ってきた。

 縁側から入りながら姿を現した。清三郎が直ぐに質問する。


「さすが乙女組! 早かったですね。それで調査は無事終わりましたか。結果を教えてください」

 清三郎の前に三人が横に並んで片膝を付いた。頭を下げたままだ。


 誰も結果を報告しようとしない。それどころか三人の顔色は蒼白であった。

「三人とも、どうされました。調査が終わったから戻ったのでしょう。結果を教えてくれますか」


 頭を下げた三人の内、四月と五月が三月に頭を向けた。その眼は三月に報告して欲しいと哀願していた。


 三月が頭を下げたまま報告を始めた。

「清三郎様、心してお聞きください。調査は無事終了いたしました。清三郎様が乙女組に申し付けられたとおり調査を行い、その結果を得ております。


そ、その結果……その結果、調査の一つ目、監禁された蔵屋敷を突き止める事、少女が六十九名監禁されておりました。場所も特定しております」


「なんと六十九名も……。これは驚きました。恐ろしく大規模な誘拐事件に発展しましたね。そしてその場所の管理はどこだったのですか。何藩の蔵屋敷だったのですか」


「そ、それが大変申し上げにくいのですが……思い切って報告します。……米沢藩の蔵屋敷でございました……」


 清三郎は自分の耳を疑った。何と少女が監禁されていた場所は自分の藩である米沢藩だったのだ。

 ただ冷静になり落ち着いて考えると、それも有り得る話と納得した。


 誘拐を陰で操っているのは三席上級闇魔導士。ならば昨年苦汁を飲まされた清三郎の藩である米沢藩を陥れる陰謀を図っても不思議ではない。


 事実、昨年オランダ闇組織が図った陰謀は服部半蔵を陥れるものであったのだ。

 そのため将軍綱吉は半蔵に切腹を命じた。しかしこれも上級闇魔導士が綱吉らを操っての事だった。


 服部半蔵を陥れた陰謀……。それは次席上級闇魔導士ベルナール・ド・シャリエールが画策した陰謀だった。


 半蔵は当時不審な動きを見せていた綱吉側用人柳沢吉保に謀反の恐れ有りとして極秘裏に調査を行っていた。


 出島から献上品と予想された異国の少女を連れたベルナールを追跡していた服部軍団は、柳沢吉保邸にベルナールが献上品と共に入ったのを確認。


 その接触現場を取り押さえようと半蔵が柳沢邸表座敷の襖を開けると、そこには将軍綱吉と柳沢吉保の二人だけが存在しており、ベルナールと献上品の姿は何処にも見当たらなかったのである。


 既に将軍綱吉と柳沢吉保はベルナールに洗脳されていたのだが、当時はそれを知る由もない。半蔵はその場で綱吉から切腹を命じられるが、柳沢吉保が合戦形式の処刑を進言したことから佐貫の合戦が執り行われるようになった。


 その合戦とは柳沢吉保を総大将とした軍勢三百五十名、対する服部軍は半蔵を含めた三十名余りという、半蔵に対する事実上の処刑であったのだ。


 しかし乙女組の奮闘と清三郎が変化した「景虎」の活躍により、ベルナールが冥界から召喚した須佐之男命と八岐大蛇を打ち破り、半蔵がベルナールの首を刎ねたことによって綱吉及び柳沢吉保も正気を取り戻し、事件は解決した。


 後に八岐大蛇は景虎から出雲姫と名を授かって清三郎に仕えるようになった事件であった。

 そのような大掛かりな陰謀を企む闇組織である。


 清三郎に対する憎しみのあまり、米沢藩を標的とした陰謀を画策しても決して不思議ではない。清三郎はそれを熟知していたのだ。


「米沢藩の蔵屋敷でござったか。分かりました。三月、報告を続けて下さい」

「少女六十九名は米沢藩管理の蔵屋敷の一角に、わざわざ大部屋が設置され、そこで監禁されておりました。


ただし、水食糧はきちんと与えられていた様子で健康被害はないようです。一人ずつそれぞれに布団も用意されており、見た目は大切に監禁されておりました」


清三郎が三月の報告に明るく答えた。

「少女らに健康被害はない。これは朗報ですね。三月が心配していた禿二人も無事という事でございましょう」


 三月は清三郎の態度に驚いた。少女の監禁場所が米沢藩の蔵屋敷だったと報告してもまるで動じていない。


 それどころか逆に少女の無事を知って安堵しており、三月のことまで配慮していたからだ。

「では三月、次の調査結果をお願いします。監禁場所が米沢藩蔵屋敷だったのです。どのような報告でも驚きはしませんよ」


 三月から見て清三郎は本当に落ち着いていた。ならば自分の主人を信用するしかない。

「ならば報告いたします。清三郎様がご指示なさったとおり、管理役の建物がございました。物資を管理する文書の位置も直ぐに分かりました。


これらの文書を確認いたしますと、攫われた少女の名前が書かれた文書を発見しました。おそらく攫われた日付ごとに文書が作成されたのでしょう。


少女の名前が一名のものがあれば、五名のものもありました。したがって、清三郎様が調査して確認せよと指示された文書は数十枚存在しておりました。


そして全ての文書の左側に、同じ人物の署名と印が成されておりました。その署名は橘清十郎と書かれてありました……」


「何と! 誠ですか! なるほど……。少女の証明文書全てに父上の名前と押印があったと……。そうですか父上の名前が……。


これは明日の少女救出作戦には父上にも参戦してもらう必要がございますね。参勤交代で忙しい父上ですが、米沢藩の命運が掛かっております。


寝惚けていても連れだすしかないでしょう。事情を話せば一大事であることは納得されるはず」

 三月は誘拐の主犯が清十郎だったと報告しても全く動じない清三郎に驚いた。


 清十郎を疑うどころか既に何らかの解決策を模索している様子だ。この事実を現場で知り、清三郎にどのように報告しようか迷いに迷い、心を痛めていたことが馬鹿らしく思える程だった。


 四月も五月もこの報告を清三郎が聞いたらどうなるだろうと冷や冷やしたが、いらぬ心配だったと反省した。我らが主の度量は計り知れないと痛感した。


 出雲姫は清三郎がどんな報告を受けても動じないことは承知していた。それは全てオランダの上級闇魔導士が企んだ陰謀だからだ。出雲姫は佐貫の合戦でその事を痛いほど痛感している当事者であった。


 清三郎はその場に正座し、じっくりと思案した。どう段取りを付ければ全てが上手く解決するか。それを考えていた。


 まず重要とすべきは禿鷹の丈太が取引の刻限として指定した時刻だ。それを中心に作戦を考えた。

 禿鷹の丈太が指定した刻限は「巳の刻(午前10時頃)」だ。この刻限はこちらにとって有利になると考えた。


「よし決めました。皆さん、明日の……あ、失礼……既に今日でしたか。本日の出立は予定どおり夜明け前とします。


出羽神はこの文を足に巻き付けるので、これから奥平殿の自宅に行って渡してきてくだされ。まずは誘拐された少女らの救出。


そして禿鷹の丈太らとの対決になる段取りです。父上は寝惚けておられるでしょうが無理やり連れていきます。


もう寝る間があまりないですが、それでも一刻と半時は寝て下さい。今日は忙しくなりますよ」

 清三郎は自分の布団に行くとすぐに横になった。


 出羽神は可哀そうだが奥平への連絡のため仕方ない。乙女組も皆横になった。

 乙女らが寝息をたてだしたので清三郎は床から出ると縁側で胡坐をかいた。


 すると直ぐに出羽神が戻ってきた。清三郎が小さな声で出羽神を褒める。

「本当に最後までよく働いてくれました。今日の切り札もおそらく出羽神になりますぞ。さあ一緒に寝ましょうか」


 清三郎が出羽神を抱きかかえて床に入ると出羽神も直ぐに伏せた。

 乙女らは寝息をたてたふりをしていたが、思ったとおり清三郎は出羽神が戻るのを待っていた。


 清三郎が真っ先に床に入ったのは、そうしないと乙女らが床に入らないと悟っていたからだ。

 それを知り尽くしている乙女らは、我が主を心の底から誇りに感じた。

 


 夜明け前。清三郎が清十郎を叩き起こした。多忙の疲れで寝惚けている清十郎を出雲姫の背に乗せていざ出発しようとその時、せつが笹の葉で包んだ握り飯を人数分用意してくれていた。


「行きがけに食べてくださいね。力が出ませんよ」

 せつのありがたい言葉と心遣いに皆が感激する。


 せつは深夜の話しぶりから皆が夜明け前には出立すると見越して早起きし、握り飯を作ってくれたのだ。


 全員でせつに頭を下げると乙女組は空へ飛んだ。清三郎は疾駆した。走りながら握り飯を頬張る。寝惚けていた清十郎も空を飛んでいる風に驚いて目が覚めたようだ。


 隣を飛んでいる三月が事の成り行きを清十郎に説明した。

 清十郎は「何! そのような事が起きていたとは。ならば儂が出向いて管理役らの出鼻をくじいてやらねばのう!」と言いながら握り飯を口に運ぶ。


 三月が出雲姫に「出雲姫、あなたの握り飯を預かっておりますが、どの頭で食べますか。私が食べさせてあげましょう」と気を遣った。


 握り飯は一人に二つだったので、今の大きさの出雲姫ではとても満腹になりそうにない。

 出雲姫は「浅草湊に到着しましたら、もう少し体を小さくして頂きますわ」と三月に囁いた。


 その答えに空を飛んでいる三人が笑った。

 出羽神は足に干し肉を掴んで飛んでいた。せつは本当に良妻賢母だ。


 三月は走る清三郎に目を落とした。自分達は相当な速さで飛んでいるのだが、清三郎は遅れていない。 

 出発当初、出雲姫の背に乗る事を勧めたが、自己鍛錬と言って聞かなかった。


 清三郎いわく「朝はまず走って体をほぐすのが丁度良い」とのことだった。ほとんど寝ていない状態であの元気はどこから来るのか。


 三月には分かっていた。清三郎は無理をしているのだ。三月が花魁桜太夫から引き受けた禿誘拐事件。

 

 その解決を清三郎に頼んでから、清三郎は事件を解決することよりも一刻も早く三月の心痛を取り除いてやろうと躍動しているのだ。三月は肌でそれを実感していた。


 清三郎の根本は自由である。その自由を脅かす存在は確実に排除する。その自由という枠の中には清三郎の両親、景虎乙女組、出羽神、半蔵、南町奉行所で出会った仲間などの幸せが含まれる。


 それ故に清三郎は自ら無駄な力を欲しない。しかし家族や仲間を守るためなら努力を惜しまず修行し、力を手にし、得た力はそのためだけに使うのだ。


 清三郎の家族や仲間が不安を抱えるということは、それは清三郎にとって自分の自由を脅かされることと同義だった。


 三月にはそのことが痛いほど分かっていた。清三郎にとって誘拐事件はどうでもよい。三月の心痛を取り除いてやることが全てなのだ。


 それが結果的に誘拐事件の解決とオランダ闇組織との対決に繋がっているだけのことだった。

 はるか下の通りを疾駆している清三郎の背中を見つめ、三月は頬を涙で濡らした。



 夜が明け朝日が昇り始めた。清三郎の視界に浅草湊が入って来た。周囲を霊力で散策する。未だ不穏な動きをする影は見当たらない。


 奥平は既に到着していた。清三郎が思ったとおりだ。奥平も走ってきた清三郎に気付いた。

「おはようございます清三郎殿。まさかご自宅から走って来られたのですか」


「おはようございます。奥平殿こそ定刻どおり。さすがでございます。まずは人影を避けて蔵屋敷の通路に入りましょう」


 二人は所狭しに建ち並ぶ蔵屋敷の通路に移動した。そこへ上空から景虎乙女組が降りてくる。さすがに清十郎を背中に乗せた出雲姫を奥平に見せる訳にはいかないので、清十郎は乙女三人が抱えて降りてきた。


 出雲姫は姿を消しているが傍に控えている。出羽神が清三郎の肩に止まった。

 これに奥平は驚愕した。空から異国の美女三人と、清三郎の父、橘清十郎が降り立ったのだ。


 清三郎が「どうされました奥平殿。拙者の父上とは面識がありましょう。他の三人も佐貫の合戦で一緒に戦った景虎乙女組でございますよ」と補足してやった。


 それでも奥平は予想もしていなかった事に頭が混乱しているようだ。

 清十郎が声を掛けた。「奥平殿、久しゅうござる。清三郎が病の折には度重なる見舞い、大変ありがたきこと。本日も我が息子に応援頂き誠かたじけない」と頭を下げた。


 奥平に頭を下げた相手は米沢藩の江戸家老だ。奥平にしてみれば、いくら清三郎の父とはいえ、別格の格上だ。かなり恐縮した。


「いえ、こちらこそ清三郎殿の補助が出来ることに無上の喜びを感じております。期待に応えられるとよろしいのですが……」


 清三郎が横やりを入れた。

「挨拶はそれくらいで。これから忙しくなりますぞ。奥平殿、この景虎乙女組は服部様の手配で景虎から応援として本日手を貸してもらったもの。


みなさん私に近寄って下さい。これからの段取りを説明します。まずは米沢藩蔵屋敷に監禁されている少女らを確認します。


その後こうして、ああして……父上が登場して……こうなる段取りです。皆さん分かりましたか。これを半時(約1時間)で片付けますぞ。この作戦は速さが命綱です。


手間取ればこの後に待っている戦いに影響を与えます。よろしいですか」

 奥平が質問した。「清三郎殿、この後に待っている戦いとは何のことでございますか」


「奥平殿。今は無心で目の前の仕事に取り掛かりましょう。それが重要です。今拙者が申したとおり、速さが命綱です。失敗は許されませんぞ」と清三郎が奥平に気合を入れた。


 奥平は清三郎の気迫に思わず納得した。

「よし、では手筈通り参ります。まずは三月殿、少女の監禁場所に案内して下さい」


 清三郎が三月殿と敬称したのは奥平に対する手前であった。

 三月は頷くと米沢藩蔵屋敷へと向かった。後に四月、五月と続き、清三郎らが後を追った。


 しばらく蔵屋敷群の通路を進むとやがて「米沢藩」とそれを示す「家紋」の標がある蔵屋敷に到着した。


 まだ日が昇り始めたばかりで周囲は薄暗い。入り口には蔵屋敷を囲んだ分厚い塀と門があったが四月が既に内側から門を開けて待機していた。


 さらに蔵屋敷入り口の大きな南京錠も解除ずみであった。

 清三郎が無言で頷き四月を褒める。頭を下げる四月を横目に三月が蔵屋敷の入り口を開けた。


 年貢米を主として保管する蔵だけあって、外から見るよりも中は非常に広く感じた。感心する間もなく三月が蔵の奥へと皆を導く。


 すると蔵の最深部となる壁際に、見ただけで俄か作りと分かる倉庫があった。その入り口で三月が片膝を付いた。


 清三郎が清十郎を促す。

「父上、まずは父上がご確認を」


 頷いた清十郎が、五月によって解錠されていた入り口の引き戸をそっと引いた。その倉庫内には布団が敷き詰められ、おそらく六十九人の少女が横になっていた。


 皆が健康そうな寝息を立てており、報告どおり健康被害はなさそうだった。

「清三郎、これは驚いた。叩き起こされ出雲姫の背に乗って三月から説明は受けたが、まさかこのような……。本当の事だったとはのう。


これが明るみになれば米沢藩の一大事であった。しかも寄りにもよって景勝様が上京なさっている今とは。将軍への謁見前であるぞ。考えただけでも身震いいたすわ」


 清三郎は無言で頷いた。

 すると奥平が、「お急ぎのところ水を差すようでござるが、出雲姫とは誰の事でしょうか」と聞いて来た。さすが服部の隠密だ。疑問点は確実に質問して理解しようと心掛ける。


「奥平殿、奥平殿にはこれから重要な役が待っております。今はその事だけに集中して頂きたい」

 清三郎が奥平を質した。本当は質すところではないので奥平には心で謝った。


 奥平は「そ、そうですね。よし。集中いたします……」と呟いて自身を納得させた。

 清三郎が「出羽神はここの入り口をしっかり見張っておくように」と指示すると出羽神が両翼を広げた。


 さらに出雲姫もあらかじめこの場所の見張り役を指示されていた。ネズミ一匹たりとも出入りさせるなと清三郎から厳命を受けていた。出羽神の傍で入り口を頑強に塞いだ。


「それでは三月殿、蔵役人の建物へ」

 三月は頷くと移動を開始する。蔵屋敷を出ると塀で囲まれた敷地内に建物があった。


 清三郎が奥平を見る。奥平が大きく頷いた。

 奥平が建物の引き戸を開けて中に入ると大声で叫んだ。


「南町奉行所同心、奥平堀兵衛である! 米沢藩の蔵屋敷に怪しき疑い有って探索に参った! 責任者は即刻この場に参られよ!」


 寝ていた名代や蔵元、代表者であった蔵役人も奥平の大声に飛び起きた。

「寝間着のままでよい。責任者の蔵役人は直ぐにここへ!」奥平が続けて叫んだ。


 すると若い者が「直ぐに蔵役人殿をお連れします」と奥の部屋に入っていき、寝間着姿の蔵役人を連れて来た。


「これは奉行所の同心がこのよう早朝から何用か? 探索? 何の事でござるかのう……。うーん。見当もつかん。お主、話次第では切腹を心得てのことか?」


 清十郎が清三郎に耳打ちした「知らぬ蔵役人じゃ」今度はその言葉を清三郎が奥平に耳打ちする。

 身分で言えば蔵役人が同心よりもかなり格上だ。しかし奥平は臆することなく自信満々で尋ねた。



「そなたがここの責任者か? まずは名前から聞こうか?」

 蔵役人は早朝から叩き起こされた上、格下の同心から命令されたことでかなり腹を立てた。


 しかも同心の他には着物姿の若者と、二本差しを帯刀した中年男がいるだけだ。奉行所特有の黒紋付羽織を着ているのは同心だけだ。奉行や与力衆がいないとなると俄然調子付いた。


「ふん。同心ごときに語る名など持ち合わせておらぬ。探索だと? 何を証拠に! 直ぐにお上に報告するからのう!」


「威勢が良いな。では蔵屋敷に監禁している少女六十九名はどう説明する。既に確認済みである!」

 蔵役人は一瞬驚いた顔をしたが直ぐに大笑いへと変わった。


「ふっはっはっはっは。お主は阿保か! これは可笑しい! 同心、血迷うたな。出世欲しさに子供監禁の罪をなすりつける……。


笑いが止まらんわ! よく聞くがよい阿保同心! この子供らは上杉家江戸家老、橘清十郎様からのお預かりものでござる。よくもまあ監禁などと……」


 奥平は怯まない。

「嘘を申すな! 上杉江戸家老様が子供を監禁する道理がないわ!」


「嘘と? 仕方ないのう。おい、例の証書をここへ。お主、切腹を覚悟しておけよ」

 蔵役人が傍で控えていた若い衆に命じると、物品の小手型や証書が整理された場所から数十枚の文書を抜き出し、蔵役人に手渡した。


「これを見よ。これは橘清十郎様が直々に書かれた証書。それを儂が少女らと共にご本人様から直接受け取った証書じゃ。


よくも上杉江戸家老橘清十郎様を監禁の罪人呼ばわり致しおって。無礼にも程があるわ! これでお主は切腹じゃのう阿保同心!」


「では、ここからは某がお相手いたそうか」

 そう語ったのは清十郎である。奥平を下がらせ、清十郎が蔵役人と相対した。


 清十郎が質問する。

「そなた、上杉江戸家老から直々に受け取ったと申したのう。ならば橘清十郎の顔を知っておるということで良いのか」


「お、お主、橘様を呼び捨てにするとは……何様か。お主も切腹したいのか。もちろん何度もご尊顔を拝見しておるわ!」


 清十郎の顔がにやついた。

「はて……、上杉家江戸家老、橘清十郎という者はこの世に二人おるのかのう。そなた某の顔に記憶はないか? いつからここの蔵役人に就いておる」


「は? 二人? 何を馬鹿な……。いつからここでじゃと? そのような事、お主に問われる筋合いはないわ! おい、直ぐに北町奉行所に走れ!」


 蔵役人が若い衆に命じた。

 清十郎が大声を張り上げた。「そのようなこと必要ないわあ!」


 清十郎の突然の大声に蔵役人は驚き、命じられた若い衆の動きが止まった。

 清十郎が静かに語る。


「名も語らぬから蔵役人と呼ぶしかないのう。某が上杉家江戸家老、橘清十郎である」

 蔵役人は目を見開いた。「何を馬鹿な……」


 清十郎は懐から一通の証書を取り出し、蔵役人の目の前に開いて見せた。

 それは橘清十郎を江戸家老に命じると示した、米沢藩主上杉景勝の命令書であった。


 途端に蔵役人の額から脂汗が流れ出た。清十郎が静かに尋ねる。

「そなたが所持しておる少女の名が連なれた証書。この橘清十郎、見た記憶も無ければ、書いた記憶も一切ないが、どういう事かのう。某が納得できるように説明せよ」


 蔵役人は口がぱくぱくしている。体が震えだした。

 そしてさっとその場に土下座した。


「あ、わ、私は……た、確かに江戸家老様、橘清十郎様から承ったのでございます……」

 清十郎が腰を屈めて問い質す。


「某以外の誰からあの子供らを監禁せよと命を受けたのか、直ぐに答えよ!」

 蔵役人は震えがさらにひどくなった。


「あ、わ、わ、そ、それは……その……」

 もはや言葉にならない。


「この監禁に係わる証書は全てこの橘清十郎が預かる。少女も直ぐに開放する。異存は無いな」

 蔵役人は震えながら何度も頷いた。


「監禁していた少女らは、これからどのようにするつもりだったのか!」

「こ、こ……今夜、オ、オランダの……大型船が沖に停泊し……そ、それに……乗せる段取り……」


 そこへその様子を後ろで眺めていた者が手を叩きながら清十郎に声を掛けた。

「橘殿、何とも見事な采配! 胸が透く思いでござった。どうやら誘拐事件は解決されたな。


これは米沢藩のみならず徳川幕府にとっても見逃すことの出来ない大事件でござった。橘殿、大手柄でありますぞ。綱吉公に代わり礼を申し上げる」


 清十郎が思わず振り返る。そこには清々しい笑顔の服部半蔵正成が立っていた。

 奥平は既に片膝を付いて控えていた。清三郎も冷静に頭を下げている。


「こ、これは服部様! どうしてここへ!」

「橘殿、我らはもはや戦友でござる。今後一切、敬語は辞めて頂きたい」


「せ、戦友と……。服部様、いや、服部殿、恐れ多いお言葉でありますが……」

 清十郎が手を揃えて頭を下げた。


「橘殿、我らが仲に敬語は不要でござる」

 そこまで喋ると後ろに控えた者らに叫んだ。


「北町奉行所の者は蔵役人ほか関係者を全て奉行所へ連行せよ」

 するとどこで待機していたのか、北町奉行所の与力や同心が多数屋内に入り、蔵役人らを捕縛していく。


 清三郎が半蔵に耳打ちする。

「服部様、これら蔵役人らはオランダ闇組織に洗脳されておる可能性がございます。北町奉行所の役人には拷問による調べはしばらく控えるようご指示願います」


「うむ。承知した。清三郎殿、奥平を通じてよう連絡してくれた。三月殿が心痛されて古着屋に参られたのも承知しておった。


しかし子供の誘拐は多くてのう。しばらくは動向を見定めることしか出来なかった。お許しあれ」

「何を申されます。恐れ多いお言葉。このように北町奉行所の方々をお導き頂けただけで本望にございます」


 清三郎は半蔵に再度深々と頭を下げた。

 半蔵がどうしてこの場に北町奉行所の面々を連れてやって来たのか。全て清三郎の作戦であった。


 清三郎が出羽神を使って奥平に託した文に、浅草湊への集合刻限の他、誘拐の片棒を担いだ米沢藩蔵役人らの捕縛と少女らの保護を半蔵に依頼するよう書き添えていたのだ。


 奥平は半蔵が清三郎のことを「戦友」と語った事実を佐貫の合戦で目の当たりにしていた。そのため出羽神から文を受け取ると、直ぐに半蔵に連絡を入れていたのだ。


「清十郎殿、少女らを保護するための小舟も既に十数隻用意しておる。これに乗せて、差し向き北町奉行所で保護する予定じゃ」


 半蔵が説明した。

 清十郎は驚いた。あまりの段取りの良さに感服したのだ。


「そ、そのような段取りまでお済とは……感嘆の声しか出ません……」

「清十郎殿、勘違いされては困る。全て橘殿の長男殿が段取りされ、拙者が動いただけのこと。これで徳川幕府も世界中から物笑いの種にならずに済んだのでござる。清十郎殿の大手柄でござるぞ」


 半蔵は満面の笑顔だ。

 表の運河に出ると、ずらりと小舟が用意されていた。既に数人の少女が同心らに補助されて船に乗り込んでいた。船頭は岡っ引きである。


 三月が清三郎にそっと耳打ちした。清三郎が頷いた。

「服部様、実は誘拐された少女の中に、吉原の花魁桜太夫の禿二人がおるはずです。


この事件を知った大元は、三月がこの二人の救出を桜太夫から頼まれた事によるものです。この二人だけは三月自ら桜太夫に直接手渡したいと申しております。どうかそのように」


「拙者はこれから北町奉行所に赴き奉行に事情を説明する。その禿二人は清三郎殿が北町奉行所に来られるまで保護させておこう」


 半蔵が笑顔で確約してくれた。

「それでは拙者は奉行所に赴く故、では」


 半蔵がそう囁くと気配がすっと消えた。

「清三郎……。これは夢か幻か……」清十郎が呟いた。


 清三郎が答える。

「父上、しっかりして下され。半蔵様が申されたとおり、父上は米沢藩のみならず徳川幕府の世界的地位を守った立役者にございますぞ」


 半蔵や清三郎が語った徳川幕府の世界的な地位。オランダは現在周辺の国々に戦争で劣勢であり、植民地化しつつあった。


 そのためオランダ闇組織は誘拐した少女らを、フランスやイギリスなどの上級貴族へ献上する予定であったのだ。


 この事件が発覚せずに恒常化され、ひとつの人身売買取引として成立していたならば、世界の国々は日本という国を、少女を売り物にする卑しき下衆な国と見下すこと間違いないのだった。


 半蔵や清三郎はそれを語っていたのだ。

「儂が立役者だと? 清三、服部殿は全て清三の段取りだと語っておられた。何が立役者なものか」


「父上、しかし半蔵様は父上の事を大手柄とおっしゃっていたではありませんか。私の見立てでは蔵役人の様子からして完全に洗脳されていたと踏んでおります。


その蔵役人がオランダ闇組織の洗脳から解放されれば北町奉行所の役人の調べに何と答えるでしょうか。おそらく米沢藩江戸家老橘清十郎の探索を受け、全てが露見してしまったと話すことでしょう。はははは」


 清十郎は清三郎の笑いに声も出ない。

「ところで父上、今日は夜明け前から叩き起こされてさぞお疲れでしょう。景勝様謁見の準備もおありかと。


しかしこの真っ昼間に出雲姫の背に乗って空を飛ぶこともできません。大変申し訳ないのですが、歩いて戻って頂けますか……」


 清三郎が申し訳なそうな顔をした。

「それはもちろん。だが清三らはこれからどうするのじゃ。一緒に帰らんのか」


 清十郎が怪訝な顔で問う。

「残念ながら、もう一仕事残っております。父上、どうぞ遠慮なくお帰り下さい。護衛として四月殿に付き添ってもらいましょう。姿は消しておられますが安心してご帰宅できましょう」


「いや、それには及ばん。忙しいのは最もだが、久しぶりに江戸の風景をゆるりと見物しながら帰るといたそう。ところでもう一仕事とは……清三に首輪は付けられんのう。皆、清三を守ってやってくれ」


 清十郎が乙女組の面々に頭を下げた。慌てて三月を始めとした乙女組も頭を下げた。

 奥平も声を大にして答えた。


「微力ながら拙者もお守りいたします」

 清十郎が笑顔で奥平の肩に手を置いた。


「奥平殿ほどの達人が微力とは……。清三の周りには謙虚な者ばかりでござるな。うむ。結構、結構。わっはっはっは。それではのう」


 清十郎は大声で笑いながらその場を後にした。

 清三郎を始め、皆が頭を下げてその後姿を見送った。清三郎はその後姿を眺めながら、心から誇らしいと感じていた。


「して、もう一仕事とは何でござろうか」

 奥平が興味津々といった表情で尋ねてきた。


 今は辰の刻(午前8時頃)だ。禿鷹の丈太との刻限まで後一刻(約2時間)ある。

「ちょうど人がいなくなった蔵屋敷があるのです。まずはそこで休憩と参りましょう」


 清三郎が提案すると米沢藩の蔵屋敷に入った。既に少女ら全員が小舟で搬送されたようで、蔵の中は静まり返っていた。皆が適当な場所に座る。


 すると奥平が興味津々という表情で聞いてきた。

「もう一仕事とは何の事でございますか」


「奥平殿、この浅草湊で待乳山という場所をご存じですか」

 清三郎は奥平の質問には答えず、逆に尋ねた。


「待乳山ですか。それは浅草湊で一番有名な場所です。あそこに見える小山が待乳山です。商業船が湊に入る目標にもなっておる浅草湊の標ですね」


 奥平が自慢げに答えて清三郎を見ると、質問した清三郎は胡坐を組んで何やら考え込んでいた。質問しておきながらそれはないだろうと奥平は不満顔だ。


 清三郎が頭を上げた。

「奥平殿、失礼しました。ちゃんと話は聞いておりましたよ。あの小山が待乳山ですね。なるほど直ぐに分かりますね。


浅草湊の標にも納得です。五月殿、あの待乳山の北側に、特に大きな蔵があります。そこは誰が管理しているのか直ぐに調べてください」


 五月は頷くと姿をすっと消した。

 奥平が思い出したように「清三郎殿、一体出雲姫とは何なのです。先ほどは『出雲姫の背に乗って』とも御父上に話しておられた。教えて下され」と尋ねて来た。


 そこに五月が戻って来た。五月は「越後屋の蔵」と報告した。

 奥平は五月の仕事があまりにも早かったことに驚いて、出雲姫の事は頭から飛んだ。


「なるほど。江戸の大店ですか。どうやら敵は越後屋の蔵を拠点としていたようです」

 乙女組らは頷いた。越後屋は江戸でも特に大きな呉服問屋だ。清三郎が語った意味が分かっていないのは奥平だけだった。


「清三郎殿! 何なのです! 敵? 越後屋の蔵が拠点? 何の話なのです!」

 苛立った奥平が清三郎にくい付いた。


 これに対し清三郎は真剣そのものといった面持ちで奥平を見やった。たじろぐ奥平。

「奥平殿、心して聞かれよ。少女の次に、今度はどうやら麻木殿が誘拐された模様です。これを見て下され」


 清三郎は懐から禿鷹の丈太の文を取り出し奥平に差し出した。

「こ、これは……。どうして麻木が人質などと……。信じられませぬ。あの麻木が後れを取る相手などこの世でも数える程しかおりますまい!」


「奥平殿、このような時こそ平常心です。麻木殿はおそらく寝込みを襲われたのでしょう。敵は上級闇魔とん士。闇から突然現れます。


麻木殿は成す術も無く拉致されたに違いありません。奥平殿、昨年の南町奉行所の戦や佐貫の合戦を思い出されよ。あれだけの力を持った敵が、これから戦う敵でございますぞ」


 奥平は文を握り潰した。清三郎には平常心と言われたが、その心は怒りで燃え上がっていた。



 同じ頃、越後屋の蔵の一室。三席上級闇魔導士アーリャン・トヴェナールが水晶球を使って通信していた。


 その相手は大型船で移動中の闇魔導士大神官ヘクセンメスター・アールドリックであった。

 水晶球に闇魔導士大神官が映し出されている。その肩には赤い目をした黒鳥が止まっていた。


「アーリャン・トヴェナール、変化の鍵だけ手に入れれば良いものを。日本の少女を誘拐して売り物にするとは……。欲をかくと良い事はないぞ。失敗せぬとよいが」


 三席上級闇魔導士アーリャンは冷や汗をかきながら頭を下げている。

「はは。大神官様のお言葉、最もと心得ております。しかし、物は序でとも申します。世界でも非常に価値の高い日本の少女で大儲けするチャンスです。


さらにこれを新たな売買ルートとして構築できれば大神官様の懐は温まり、さらに大神官様の列国へ与える影響も増す事間違い無しでございます。


全ては偉大なる闇魔導士大神官ヘクセンメスター・アールドリック様のためにございます」


「橘清三郎の動きは全て黒鳥を通して見ておる。遊び人を気取っているが、次席上級闇魔導士ベルナール・ド・シャリエールの失敗もある。


少女の件は好きにせよ。ただし、変化の鍵だけは確実に手に入れ、その効果を必ず試すのだ。黒鳥を通して見ておるぞ」


 頭を下げているアーリャンは冷や汗でびっしょりだ。

「はは。今日中に必ずや変化の鍵は手に入れます。


さらにその効果を試して橘清三郎と周囲の輩を抹殺いたします。おまかせを。大神官様はその場で高みの見物と洒落こんで下さいませ」


「よし。期待しておるアーリャン・トヴェナール」

「ははっ」


 水晶球での通信が途絶えた。

「ふう……大神官様の威圧感……。水晶越しでも強烈であるわ……」


 アーリャン・トヴェナールは額の汗をハンカチで拭った。

 これから朝食だ。越後屋の主は洗脳し、身の回りの世話を全て行うよう申し付けてある。腕利きの料理人を用意させていた。


 用意させた部屋は大元が蔵であるため、殺風景な作りではあったが、身を隠すには丁度良い環境であった。


 食卓へ向かうと用心棒として雇った二人の浪人は既に食事を終えたようだ。テーブルに三つ用意された朝食の内、二つが下げられていた。


「日本人はゆっくりと食事を楽しむ事を知らんのか」

 緊張が一気にほぐれたアーリャンが愚痴をこぼした。食事しながら召使として用意された下男を呼んだ。


「ロウニンノ フタリヲ ココヘ」

 下男は頷くと部屋を出た。


 直ぐに二人がアーリャンの部屋に入った。

 一人は清三郎に禿鷹の丈太と騙った「本田忠左衛門」、そしてもう一人が「吉田祐善」であった。


 本田忠左衛門は大槍の使い手として名を轟かせている強者(つわもの)だ。

 吉田祐善は清三郎を倒すために上京した一刀流の達人。かつて一刀流の名門「小山道場」において次期免許皆伝と噂され、目録師範代を務めた男であった。


 アーリャンが二人に告げた。

「ダンドリハ ワカッテ イルカ シッパイハ ユルサンゾ」


 本田忠左衛門は自信満々の笑みで応えた。

 吉田祐善がトヴェナールと本田に忠告する。


「橘清三郎……。恐ろしい使い手に成長していた……。本田よ、お主では勝負になるまい……」

「ふふふ、昨日手合わせしたと申したな。いくら相手が強くても心配無用。そうであろうアーリャン」


「フフフ。レイノクスリ コツブノ クスリヨリ スウジュウバイノ コウカガアル。 アレヲ ノメバ タチバナモ マワリノ オナゴラモ テキデハナイ。 シンパイ スルナ」


「らしいぞ吉田。奴らを血祭りに上げてあの女は儂がもらう」

 あの女とは梓の事だ。


「上手く事が運べばよいが……」

「橘とやらに負けて急に臆病風か? 一刀流の達人が何を言うか。我らにはアーリャンの薬がある。あれは素晴らしい! 天下をも取れる薬!」


「た、確かに。あれを呑めばあるいは……しかし……」

「おいおい。今更逃げようと思っているのではあるまいな。あれだけ少女を攫っておいて罪は免れんぞ。


今日の勝負に勝てば我らは大金持ちじゃ。何を迷う。お主の剣は本物じゃ。槍を除いて剣だけで言えば天下無双。それにアーリャンの薬。安心いたせ」


 忠左衛門が祐善を奮い立たせる。これに祐善も頷いた。

「コノゴニ オヨンデ ナニヲ グジッテ イル。ダンドリ ドオリ コトガススメバ コチラノ カチヨ。ジシンヲ モテ。フフフ」


「アーリャンが言うと力が漲るようじゃ。体をほぐしておこうかのう」

「ワタシノ ショクジガ オワレバ シュッパツ スル。ヨイナ」

 二人が頷いた。



 清三郎らは刻限どおり、待乳山の山頂にやってきた。平らな広場に小さな寺が立てられていた。だが既に闇の結界が張られていることに清三郎は気付いていた。


「皆さん、この先に一歩踏み込めば闇が待っております。しかし単なる闇。敵の土俵で戦うだけのこと。驚く必要はありません。明かりは篝火が周囲に用意されているようです。では参りますぞ。奥平殿、平常心をお忘れなく」


 清三郎が説明した闇の結界――

 オランダの闇組織を構成する闇魔導士は闇の中でこそ己の真価を発揮する。逆に言えば太陽が昇る日中では、その魔力は使えない。


 これは一般闇魔導士から上級闇魔導士まで例外は無い。さらに日中の明かりを苦手としているので漆黒の衣を頭から纏っているのであった。


 それ故に、闇魔導士らが戦闘を行う時は、夜であれば問題ないが、日中の戦闘となった時には闇の結界を張ることが戦闘を行う上での必須事項であったのだ


 奥平は無言で頷いた。

 乙女組の面々も清三郎の後に続いた。


 歩みを進めると日中の明るさから急に夜の闇となった。清三郎が語ったとおり周囲に篝火が炊いてある。


 清三郎らの面々は、清三郎の右肩に出羽神、隣に奥平、後ろに乙女組の三月と四月、出雲姫は姿を消して控えている。さらに五月も姿を消していた。


 目が暗闇に慣れてくると、十六間(約30m)離れた対面に大男が二人、その後ろに漆黒の衣を纏った者が一人、そして白い浴衣を着たおなごが一人。


 おなごは猿轡され、後ろ手に縛られた状態で横たわっていた。

 小寺の屋根には黒鳥が止まり、赤い目を光らせていた。


 片方の大男は大槍を右手に持っていた。禿鷹の丈太だ。

 そしてもう一人は吉田祐善であった。祐善らの後ろで漆黒の衣を纏っているのが三席上級闇魔導士のようだ。


 清三郎は苦虫を嚙み潰した思いだった。祐善がこの場にいようとは思いもしなかったのだ。二度と戦いたくない相手だった。「ここまで落ちておられたか……」清三郎は悔しくて仕方なかった。


 大槍の本田忠左衛門が口火を切った。

「臆する事なくよう参った。変化の鍵は持参しておろうな。ん! お、お主はあの時の……そうか……その肩の大鷲……。お主が橘清三郎であったか!」


 忠左衛門は運命のいたずらに驚きを隠せなかった。

 清三郎がこれに応じる。


「おお! これは拙者が助けてやった禿鷹の丈太殿ではありませんか。拙者も甘かったが、あの逃げ足の速さもさすがでありましたな。


このような場所で再会出来るとは夢にも思いませんでしたぞ! 変化の鍵はこのとおり持参しております。直ぐに麻木殿と交換してもらいましょう」


 清三郎は首のお守りを外すと忠左衛門に投げた。忠左衛門が拾うと後方のアーリャンに手渡した。アーリャンは頷いて受け取り、目の前にかざして見る。満足そうに笑みを浮かべると直ぐに懐に納めた。


 忠左衛門が尋ねた。

「本物であろうな」


「使って見ればわかる。禿鷹の丈太」

 清三郎が答えた。


「ふふふ。その名で呼ぶのは勘弁してくれ。拙者は本田忠左衛門じゃ。大槍の使い手として名を馳せておる。腕に覚えがある者であれば大抵は知っておるはず。ふふふ」


 すると忠左衛門の傍に縛られて座っていた梓が宙に浮いた。そのままスーと清三郎らの方へ移動した。梓自身、自分の身に何が起きているのか分からない。


 実は清三郎の指示で姿を消した五月が梓を抱きかかえて移動していたのだ。

 これに忠左衛門と祐善が驚いた。


「こ、これは一体……」

「う、浮いておるぞ……」


 梓が清三郎側へ連れ戻された。五月が姿を現す。直ぐに奥平が駆け寄り黒紋付羽織を梓の肩に掛けると猿轡と縛られた腕の縄を解いた。


「麻木! 無事であったか!」

「奥平殿……寝込みを襲われ不覚をとりました……。このような醜態を晒すようになるとは……柳生新陰流の名に傷を……不覚の極み……」


「何も申されるな。無事で何より……」

 奥平は立ち上がると本田忠左衛門らを睨みつけた。


 ここで清三郎が大声を張り上げた。

「後ろに隠れておるのが三席上級闇魔とん士か。お主の企み、全て無駄にしてやったぞ!」


 清三郎の叫びに忠左衛門と祐善がアーリャンに振り返る。

 アーリャンが忠左衛門に何やら伝えた。忠左衛門が頷く。


「はて。企みとは何のことか? こちらはそのおなごを攫った以外に企みの心当たりはないぞ!」

 清三郎が鷹揚に叫ぶ。


「そうか。そちらに関係無き事であったか。それは重畳至極(ちょうじょうしごく)。実は今朝がた夜明けを待って米沢藩の蔵屋敷を探索致した。


何とそこには六十九人もの少女が監禁されていたではないか。北町奉行所の役人によって米沢藩の蔵役人らは捕縛、少女らは無事保護となり申した。


拙者はてっきり全てそこの三席上級闇魔とん士殿の所業と睨んでおったが……。これは申し訳なかった」

 再度、忠左衛門と祐善が振り返る。アーリャンは両手を握りしめ、打ち震えていた。


 清三郎はさらに続ける。

「北町奉行所が蔵役人らを調べれば、そこの浪人二人と少女誘拐の繋がりが暴かれるは必定。


そしてここに南町奉行所の同心二人が浪人二人を操る三席上級闇魔とん士を目の当たりにしておる。もう逃げ道はないと思え魔とん士!」


 アーリャンが忠左衛門に指示をだす。

「ふふふ。逃げ道がないなら切り開くまで! ふっはっはっはっ!」


 忠左衛門が懐から包みを出し、中から赤黒い玉を取り出した。迷わず口に放り込んだ。

すると「ぬおおおう……」と忠左衛門がうめきだした。喉をかきむしる。体中が痙攣していた。


 腕や足の筋肉が膨らみ血管が痛々しいほど浮き出てきた。

 目が充血し始め、どんどん赤く染まってゆく。


 清三郎が過去の戦いで何度も目にした身体強化の前兆だ。しかし今回忠左衛門が使った赤黒い玉は初めて見る大きさだった。これまでは粒を数量使っていたはずだ。


 薬の発作が収まった忠左衛門がこちらに目を向けた。筋力が増し、眼は赤く染まっている。

 忠左衛門が右手に持った大槍を清三郎に向けた。


「全員、生きては返さん。束になってかかって来い」

 忠左衛門は自信満々だ。不敵な笑みを浮かべている。


 清三郎は冷静に忠左衛門の強さを見定めている。そこへ奥平が声を掛けた。

「橘殿! あの者と戦わせて下され! 麻木の……麻木のために戦いたいのです!」


 清三郎が答える前に梓が叫んだ。

「何を申される奥平殿! 敵は例の薬で尋常ではない強さになっております! 死に急ぐようなものです!」


「麻木、そなたの言う事は分かる。だがここで戦わなければ拙者は男ではない。おなごは黙ってそこで見ておれ!」


 清三郎が奥平の覚悟を悟った。両手を奥平の肩に当てる。

「奥平殿、平常心を保たれよ。何も考えず相手が何者であろうと心を無心に。然れば自然と勝機が見いだせましょう」


 奥平は清三郎が手を当てた両肩から不思議な力が伝わっていることを感じた。自然と心が落ち着いた。清三郎が語った意味が分かる。無心……。奥平が頷いた。


「橘殿、辞めさせてください。奥平殿が!」

 梓が泣き叫ぶ。


「麻木殿、奥平殿の決意。見届ける必要がありましょう」

 清三郎が優しく語った。すると乙女組の三人が梓の体に手を置いた。三人の瞳が清三郎を信用しろと語っていた。


「か、必ず生きて戻ってください……奥平殿……」

 奥平は梓の声を聴いたか否か定かではないが、無言で中央に歩み出た。


「ほお。この俺に一人で挑むとは大した度胸。それは褒めてやろう。だがそれだけよ……」

 忠左衛門が一丈(約3m)の大槍を奥平に向けて構えた。凄まじい殺気が奥平を襲っている。


 既に両者の戦いは始まっていた。

 奥平が無心となって集中すると、体が青白い靄に包まれた。刀の柄を右手で握って身構える。


 奥平は体に纏った霞で忠左衛門が発した殺気を受け流す。

「ふん!」忠左衛門が渾身の一撃を奥平に放った。


 凄まじい風圧と共に大槍が奥平を強襲した。しかし奥平はすっと右に避ける。奥平の左頬に赤い筋が入った。


 一撃で仕留められると思い込んでいた忠左衛門は怒りで顔が鬼の形相となった。大槍を連続して突き出した。


 奥平は右手で柄を握ったまま、忠左衛門の連撃を右に左に交わしていく。袖や首筋、両足にも僅かな傷を負いながら徐々に距離を詰めて行く。


 が忠左衛門も負けてはいない。距離を詰める奥平に対し、槍を横に振って牽制した。大槍の柄が奥平の左横腹を痛撃した。奥平はこれを耐えると必死にその柄を左手で掴んだ。


 相対する二人の視線が激突した。そのまましばらく動かない。対決している二人には分かっていた。奥平が槍の柄から手を離し、距離を取った瞬間が勝負の時であると。


 奥平は精神を集中し、一切の雑念を捨てて無心となった。そして槍の柄から手を放し、後ろに飛び下がった。


 忠左衛門が「これを待っていた!」と最後の一撃に渾身の力を込める。奥平の頭を大槍の鉾先が強襲した。


 奥平は瞬時に屈んで一撃を(かわ)す。鉾先が背中を撫でて血しぶきが散った。奥平は初めて刀を一閃した。大槍の中心部を見事に切り捨てた。


 大槍の鉾先を失った忠左衛門が一瞬動揺した。奥平はその隙を逃さなかった。直ぐ様忠左衛門の懐に飛び込み、大槍を切り上げた刀をそのまま首元めがけて袈裟斬りで振り下す。


 奥平は直ぐに後ろへ飛んで残身を示す。

 忠左衛門の右首元から左腰にかけて鮮血が宙に噴霧した。右手に所持していた槍を落とした。


「この俺が……この俺が……」

 忠左衛門は信じられない表情でしばらくその場に立っていた。が、間もなく頭から地面に倒れた。


 奥平は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐いた。

 その様子を見ていたアーリャンは「ふん」と倒れた忠左衛門を睨んだ。


「ヨシダ オヌシノ バンダゾ タタカイタク ナケレバ ソレデモ ヨイ ドウセ ゼンイン オレガタオス ドウスル」


 祐善は体が動かなかった。身体強化した忠左衛門があの同心に負けたのだ。とても信じられる事ではなかった。


 確かに清三郎と戦った折、あの同心が相当な手練れであることは分かった。だが身体強化した忠左衛門とは圧倒的な差があったはずなのだ。


 一方の奥平は、清三郎らの元に戻った。

「奥平殿。見事な戦いでございました。素晴らしい立ち合いでした。背中の傷は大丈夫ですか」


「掠り傷です。それに……、勝ったのは私自身の力ではありません。何と言いますか、自分が自分で無いような……。


自然と体が相手の動きに反応したのです。気付けば相手が倒れておりました……清三郎殿が何か拙者に……」


 清三郎が奥平の言葉を遮った。

「それ以上何も申されるな。今の戦い。無心での体の動き。全て忘れず体に刻み込まれよ。それを目標として今後も精進なされると良いでしょう」


 清三郎が言い終わると同時に梓が奥平に抱き着いた。

「お、奥平殿、よくぞ生きて……。よくぞ生きて戻られました……。神業としか思えぬ剣でした……私の体が打ち震えました……」と泣きながらその胸に囁いた。


 この様子を眺めていた乙女組らは大喜びだ。五月が「残るは花魁のみ」と呟いた。

 清三郎は再度敵陣営に目を向ける。祐善は戦意を無くしていた。


 すると清三郎の後ろで「ちんちろりん……」と音がした。振り向くと三月ら三人が茶碗にサイコロを振っていた。


 清三郎が何をしているのか尋ねると誰がもう一人の浪人と戦うかサイコロで決めていると言う。清三郎は呆れて「誰と決まっても、もう無駄ですよ。吉田殿に戦意はござらん。残念でしたな……」と慰めてやった。


 清三郎は再び姿勢を正し、アーリャンに叫ぶ

「既に雇った浪人は戦意を消失された様子。諦めてお縄になるがよい!」


 アーリャンの肩が震えた。怯えているのでは無い。笑っているのだ。

「フッハッハッハッハ……。マモナク ジセキデアッタガ ソレハヨイ。


ワガナハ サンセキ ジョウキュウ ヤミマドウシ アーリャン・トヴェナール デアル。キサマ ゴトキニ ヤブレル オレデハナイワ。


ミブンノ チガイヲシレ! キサマノ オクノテモ ワガシュチュウ。テモアシモ デマイ。ロウニンハ ショウジョヲ アツメル コマデシカナイ。


ドウデモ ヨイワ。ソレヨリモ キサマラ ゼンイン コノバデ コロシテ クレルワ! コノ ヘンゲノ カギデナア!」


 そう叫んだアーリャンは清三郎のお守りを懐から取り出すと、高く掲げた。

「ヤミマドウシ ダイシンカン ヘクセンメスター・アールドリック サマ、ワタシノ タタカイヲトクト ゴラン クダサイマセ!」


 叫んだアーリャンは変化の鍵を顎に嵌めた。

 瞬刻、赤黒い闇の嵐がアーリャンを包み込んだ。闇の嵐が柱となって天高く伸びていく。


 やがて嵐が収まると、そこに現れたのは黒地に赤色の十字が刻まれた面をしたアーリャン・トヴェナールであった。赤色の十字は血で染められたように感じられた。


「ナンダ! ナンダ! コノ アフレデル チカラ……。スバラシイ! スバラシイ チカラダ……。ウオオオ……」


 その姿を見た清三郎は周囲の霊気に身を投じた。深く集中する。

「出羽神、拙者の頭を跨いで両肩に足を。出雲姫は訓練通りに。皆は全員拙者の後ろへ」


 出羽神と出雲姫は清三郎の指示どおりに配置した。出雲姫は清三郎の背に頭を着け、霊力を吸い取ってその力を増大させる役目だ。残った者は全員清三郎の後ろへ固まって腰を屈めた。


 清三郎が青白い霞で覆われた。左の腰に鶴姫一文字と謙信景光が現れた。

「フハハハハ……。コレデ キサマラ オワリダ クラエ!」


 叫んだアーリャンが清三郎に両手をかざした。その指先から数十本もの赤黒い稲妻が(ほとばし)る。


 清三郎が鶴姫一文字を抜き、正眼に構えて稲妻を受け止めた。しかし鶴姫一文字が受け止める稲妻の量は凄まじく、今にも清三郎が焼け付きそうだ。


 清三郎が叫ぶ。

「出羽神、出雲姫、訓練どおり拙者と呼吸を合わせるのです!」


 鶴姫一文字の防御を破り、稲妻が清三郎らを焼き殺そうとしたその時だ。

 瞬時に鶴姫一文字から出羽神を通じて青白い霞が防御壁を形成した。


 そして出羽神が両翼を広げた。するとどうだ。青白い防御壁がその両翼を伝って更に広がった。その防御壁は、天から舞い降りた鳳凰(ほうおう)と見間違うかのような輝きを発した。


 アーリャンが放った凄まじい稲妻が鳳凰の防御壁によって左右に流される。慌てたアーリャンが放っている稲妻にさらに力を注いだ。


稲妻の威力が増大した。しかしそれでも鳳凰の防御壁は強力な稲妻を受け流す。

 清三郎が出羽神と出雲姫に告げる。


「もう少しの辛抱です。ここが踏ん張りどころですぞ」

 出羽神がひと際大きく「クワー」と鳴いた。そして自分の両翼をアーリャンに向けて羽ばたかせた。強力な稲妻が鳳凰の羽で跳ね返される。


 アーリャンが思わず稲妻を止め、両手で顔を防いだ。アーリャンは何とか自分の稲妻から逃れたようだ。


 清三郎を見ると、鳳凰の防御壁が解けている。青白い光は無くなっていた。

「フハハハハ! ワタシノ カチダ! コレデ シネ」


 アーリャンが叫ぶと再び両手を清三郎らにかざした。一瞬手元で赤黒い稲妻がバチバチっと光ったが、その後は何事も起こらない。


 アーリャンは何度も同じ動作を繰り返したが稲妻は出ないままだ。

 アーリャンは思わず両手を見る。


「ドウシタ ドウシタト イウノダ チカラガ ワイテコナイ……」

 気付くと神鎌デスサイズを握った三月が目の前に立っていた。


「変化の鍵……それを付ければ力は増すが、己の体力を削っている事に気付かなかったのか。お前のような下衆な奴。


清三郎様自ら裁けば清き剣が穢れる。よって清三郎様に変り、景虎乙女組主席、三月が成敗いたす!」

 三月が叫ぶと神鎌デスサイズが目にも留まらぬ速さで回転した。


 アーリャンの腹から真横に赤い線が浮き上がった。

 三月がすっと後ろに飛び去り、デスサイズを数回回転させて柄を地面に力強く叩きつけた。


 地面の揺れで切られた上半身が地面に落ちた。腹から血柱が上がり、宙を朱に染めた。

「出羽神!」


 清三郎が叫んだ。

 小寺の屋根に止まっていた黒鳥が闇に消えようとした瞬間、黒鳥に近づいていた出羽神が黒鳥を両足でぐっと掴んだ。爪を突き立てる。


「キュー」黒鳥が悲鳴を上げた。出羽神はそのまま中央まで飛ぶと黒鳥を宙に放った。

 黒鳥は思うように翼が広げられない。


 そこに鋭い速度で戻ってきた出羽神が黒鳥に突っ込む。クチバシから頭にかけて青白い霞が覆った。黒鳥を突き差した。ぱっと黒い羽根が周囲に散った。まるで花開いた黒い花火のようだった。


 周囲が途端に明るくなった。アーリャンが張った闇結界の効果がなくなったようだ。

 出羽神が清三郎の上で優雅に羽ばたくと、肩に止まった。


「出羽神は本当にお利口ですなあ。黒鳥だけではありません。あの防御壁……出羽神がおらねば成せなかった技ですぞ」


 清三郎は心から褒め称え出羽神を両手で擦る。

 奥平が清三郎に再び尋ねた。


「清三郎殿、稲妻の折にも出雲姫と叫ばれていたようですが……、一体出雲姫とは何でござるか」

 清三郎の表情が険しくなった。


「はて、そのよう事、申しましたかな……はて……記憶にございませんなあ」

 そして笑顔に戻り逆に奥平を質した。


「それは置いて、お二人とも、いつまで抱き合っておられるのです。既に周囲は真っ昼間でございますよ」


 奥平に抱き着いていた梓が慌てて離れた。頬は真っ赤だ。

 最後に清三郎が脱力している祐善に告げた。


「アーリャンが死んだことで、米沢藩蔵役人らの洗脳が解けるでしょう。そうなれば吉田殿は少女誘拐の罪に問われます。拙者はあえてどうしろとは申しません。それを最後に伝えたかっただけでございます。では、御免」


 立ち去ろうとする清三郎に三月が声を掛けた。清三郎が振り向くと三月の手に「お守り」が握られていた。


 三月が「お忘れ物ですよ」と言って両手で差し出した。

「三月殿、拙者の首に付けてもらえますか」


 清三郎は三月がお守りを拾っていたことを知っていたようだ。三月の言葉にそう答えた。しかし清三郎の一言が波紋を呼んだ。


 四月と五月が「私が付ける」「いや私」と、清三郎のお守りを誰が付けるか争奪戦が始まったのだ。

 待乳山を立ち去る清三郎らはこれまで起こった戦いがまるで無かったかのように談笑しながら去って行った。


 争奪戦が終わると二人の禿の話題となった。花魁桜太夫の元へ清三郎本人が連れて行くのか、それとも三月が清三郎に変化して連れて行くのか。乙女組にはとても重要な話題で揉めたのであった。


 その様子を後ろから眺めていた奥平は全てを理解した。清三郎は景虎乙女組について半蔵の仲介を得て景虎から応援として授かったと奥平に告げていたが、それは清三郎が繕ったものであり、清三郎が景虎乙女組の主なのだ。


 清三郎が景虎なのだと理解した。それでなければ目の前で起こった全ての事に説明がつかない。本田忠左衛門との戦い。鳳凰の防御壁。奥平は心の中で清三郎の背中に両手を合わせた。

 


 闇魔導士大神官ヘクセンメスター・アールドリックが眺めていた水晶球の映像が途絶えた。黒鳥が死んだことを物語っていた。


 しかし大神官にとっては既にどうでも良い事になっていた。


「素晴らしい力だ。あの力を手に入れれば欧州を牛耳るフランスの皇帝ナポレオンなど瞬殺であろう。橘清三郎……。その体、必ずこの手に入れてみせる……」


 闇魔導士大神官ヘクセンメスター・アールドリックは新たな獲物の登場に不敵な笑みを浮かべていた。

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