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復讐は時間をおいてから

作者: 浅井

 この世は壁によって成り立っている。それは壊せるものもあれば、破壊するのは言うまでもなく小さなヒビさえ入れることができない絶対的なものある。例えば人種の壁、あるいは人は、それを黄色人種が白色人種と交配を幾世代も繰り返していけばその子孫は限りなく白人に近づくではないか、と思うかもしれない、確かにそうだ。だが、そんな数百年先の結果など、己こそが全ての世界である人間にとって、一体なんの意味があろうか。

 また当然のことながら壁には強度というもの存在する。社会的階級あるいは年収の壁を例にしてみよう。上層と中層の壁、中層と下層の壁。過去、世界中で起こっている内乱を見ても基本的には上層と中層が何度も入れ替わっているだけだ。単純な肉体労働に従事する下層の人々は常に虐げられ、蔑まれ、ときには笑いながら殺されもした。だが、私の知識の範囲では下層の人々が中層の人々を蹴落として上がってきた例を知らない。中層と下層の間の壁はとてつもなく強固なものなのだ。


 さて、もうお気づきかもしれないが、今まで話してきた壁はすべて概念としての壁である。実際的な壁は敢えてここでは例に出さないことにする。なぜなら私にはそのような壁に対して書くべきことがほとんどないし、退屈だからだ。「某マンションの壁は…が80パーセントと…が何パーセントと…がごく微量にしようされており、非常に洗練された、同時に非常に未完な将来性のあるものである。」とでも書けばよいのだろうか。ここで、そんなのを書くのは熱帯魚に海水を与えるくらい悪趣味なことだ。吐き気さえ起きる。

 長々と書き連ねたが、私はある小さな出版社に勤めるTというものだ。しかしここでは私の名前などどうでもよいだろう。この文書にはある程度の匿名性が必要なのだ。「2010年のおける一般男性」というほどではないが、せめて「2010年における小さな出版社に勤める男の壁についての捉え方」くらいの匿名性。なぜなら、匿名性が減少すればするほど、この文書はより小さな文化遺産としての区画に収められてしまうからだ。私は壁が大嫌いなのだ。下らん、世界はもっとシンプルでなければならない。

では、どうして大嫌いな、この時代風に言えば、鬼嫌いな壁について(この表現はよい資料になろう)書き始めたか教えよう。我々は大好きなものに対して大抵、心のどこかで嫌いになったらどうしようかと懸念を抱いており、そしてその懸念は、少しづつ心を蝕み、心の負担を重くしていく。そしていつしか、負担と感じていることをしぶしぶ認め、それを嫌うようになるからだ。その点、鬼嫌いなものは(この表現はよい資料だ)そのような心配はない。それどころか憎みあった敵は、いつしか最上の友になるように、それは自身にとってかけがえのないものとなるのだ。きっと、現在大嫌いな壁も私が亡くなるまでには快いものと捉えることができるだろう。

 では話に戻ろう。そもそも壁としての概念とは、紀元前3000年以上も前から、人々の……



 ここで文書は焼けて、判読不能となっていた。しかし僕としてもこれ以上、読むのが嫌になっていた。こういう「私の考えでは…」とか「匿名性がどうこう」のような文書を読むのは飽き飽きしていたのだ。まだ「私は最近流行のマスターベーションを実行し…」という方が百倍もましだ。仕事だから仕方なくよんでるだけなのだ。僕はこの文書に「2010年 出版社に勤める反社会的思想を持った男の壁に対する鬼偏った捉え方」とタグをつけ、重要度『低』のファイルに挟んで、チャイムが鳴ったので席を立った。


僕は休憩所にいき、男のような者からコーヒー風味飲料を受け取り、虚ろ目をして何重にもなった窓から外を眺めていた。外はいつもどおり、海は荒れ狂い、雷が轟音を立て、大雨が降っていた。隣にいた女のような者が僕に言った。「なんでやつらの後始末を私達が背負わないとならないのかしら。おかげで私たちはこの有様。名前すらない。ほんと泣きたくなるわよ。」僕は何も反応せず、じっと窓の外を眺め続けた。そして思っていた。「昔はやつらが憎かった、しかし今は昔ほど憎いと思えなくなってしまった。勿論彼らに復讐はできた。やつらの子孫を通して間接的に。僕は出版社の男が書いていたような心持ちになってしまったのだろうか。」僕は溜息をつき、そして微かな微笑を浮かべ、席に戻っていった。



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