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第8話 東方より友人来る

 黒い帽子、紺色のマント、腰にカットラスという曲剣を携えた剣士ロイは、あるドワーフの刀鍛冶から、ツィーの港に、遠くの地から来た一団がいると聞いた。しかも、彼らの特徴は、ロイの知識と一致していた。彼らと会うことで何かが得られるわけでは無いが、確かめたいことがあった。

 ピクシーの姿をしたウォリディは、ロイの帽子の上に座り、辺りを見回していた。警戒している、と言うことらしい。ウォリディなりに役に立とうとしているのだろう。ただ、比較的安全な街道では、その行動は大げさすぎる。

「ウォリディ。警戒しすぎじゃないか?」

 ロイは何度かそう伝えたが、

「警戒しすぎることはないわ。あなたも、毒を盛られたでしょう?」

と返してくるばかりだ。

「危険な村はとうの昔に過ぎている。もうすぐツィーの港だ」

「その港で、何をするの?」

「特に目的はない。ないが、ツィーには遙か東の国から来た一団が来ているらしい。彼らに会ってみたい」

「珍しいのね。他人に興味を示さないあなたが、異国の地の人を見に行くなんて」

「俺も不思議に思っている」

 ロイは答えた。

「あっ。大きな湖!」

 もう少しで丘の頂上に着くところで、ロイの視線より上にいるウォリディが声を上げた。歩き続けるロイにも、丘を下った先に広がる水面を見た。水面は波たち、次から次へと岸に当たっては消えた。彼女は海を初めて見るようだ。

「海だ」

「あれが海? あれが全部塩水って本当?」

 ウォリディは興奮しているようだ。

「ああ」

 ロイは答えた。

 目指すツィーの街は、大河の河口がある小さな入り江にある。街の北側は海に、東側は川に面している。街の北西1キロほどのところにある小さな岬が外洋からの荒波を和らげているため、街が面する北の入り江には、大小様々な船が風待ちのために待機することがある。今日は風も穏やかで、日の光も差していることから、沖合で停泊する船はいない。

 帽子が軽くなった。目の前に、トンボのような4枚の羽根で飛ぶウォリディが現れた。街までは、森林帯を貫く広い道が続いていた。

「早く行きましょう」

 ウォリディに急かされ、ロイは歩みを早めた。その彼女が空中で止まった。彼も足を止めた。

「左から何か来る」

 ウォリディは左手の森の茂みを指さした。確かに、何かが茂みをかき分けて動く音が聞こえた。それだけではない。奇妙な声や聞き慣れない人の声がいくつも聞こえた。ロイの右手が、カットラスのグリップに掛かった。

 森から出てきたのは、人の形をした緑色の小さな生き物が3体だ。身長はおよそ50センチ。身体に対して頭がやや大きく、鼻や耳が大きく、尖っていた。いわゆるゴブリンだ。追われていたのだろうが、飛び出したところにロイが居たので、彼らは立ち止まり、それぞれが持つナイフや混紡を構え、敵愾心をむき出しにしていた。ロイはカットラスを抜いた。

 ゴブリンは小さく、動きは素早かった。独特の言語を話し、連携を取って戦おうとしてきた。ロイは剣を正面下に構えた。

「フレイム・ボム!」

 頭上のウォリディが、ゴブリンの足下めがけて炎の玉を落とした。炎の玉は彼らの足下で音を立てて小さく爆ぜた。爆竹のような効果だ。習ったばかりの魔法らしく、威力は弱いが、今までより短い時間で放たれていたし、ゴブリンたちを怯ませるには十分だった。

ナイフを持ったゴブリンが、ロイの右側から飛びかかった。少し遅れて左と正面から、混紡を振りかざした別のゴブリン2体が飛びかかってくる。連携のとれていないゴブリンの攻撃は、ロイにとってさほど脅威では無い。ロイは剣を右に振り上げ、すぐに水平に左、右へ振った。ゴブリンたちはあっけなく倒れた。

「助かったよ」

「どういたしまして」

 ロイとウォリディは、互いの無事を確認した。

 その時、5人の男が森から飛び出してきた。ゴブリンを追ってきたのだろう。だが、その男たちの出で立ちは、このあたりでは見かけないものだった。袖が大きく、衣を何重にも重ねたような着物を腹部の帯で縛っていて、(ぼたん)のようなものは一切ない。その帯には大小2本の刀を差していて、5人とも長い方の刀を抜いていた。4人は若く、1人は中年だ。この男がリーダーだろう。

彼らの顔立ちは鼻が低く、髪や目が黒い。彼らはほぼ全員が月代といって、額から頭頂部に掛けて髪を剃っていた。また、後ろ髪を伸ばしているが、棒状に結い上げたり折り曲げたりで個人差が大きい。ロイにカットラスを譲ってくれたドワーフが言っていたのは、彼らに違いなかった。

彼らの持っていた武器は、片刃で反っていた。長さは1メートル弱のものと、60センチほどの2本。打刀だ。ドワーフは、その造形に惚れ、再現しようとして失敗したと言っていた。それで出来上がったのが、ロイが今使っているカットラスだ。

 ロイは剣を鞘に収めた。森から出てきた彼らに敵意がないことを示すためだ。5人も、倒れているゴブリンを確認して、刀を鞘に収めた。

『これは……この武人に迷惑を掛けたようだ』

『いかが致す?』

『拙者が話してみよう。宣教師には遠くおよばないが、片言でも通じるかもしれん』

 そう言うと、若い1人がロイの前に出て、

「申し訳ない。その……退治をしていたのだ。子鬼を。だが、すこし取り逃がしてしまった。数が多くて」

『俺たちは大丈夫だ。言葉は通じるか?』

 ロイが突然、彼らと同じ言葉を使った。これには異邦人の5人はもちろん、ウォリディも呆然としていた。ウォリディはロイの顔のそばに寄って、

「ロイ。その言葉、喋れたの?」

「試してみたら、喋れた」

「試して喋れるものじゃないでしょう?」

「君だって、彼らの言葉は話せなくても、理解できているみたいじゃないか」

「あれ? そういえば、私もそうだ」

 ロイは、ウォリディとは自国の言葉で会話した。中年の異邦人は、

『言葉は分かる。まさか、かような地で我らの言葉を話せる者がいようとは』

『たまたまだ。それにしても、あなた方の国は遙か遠い筈だが、どうしてこのようなところに?』

『それは、話せば長くなる。拙者は泉州坂出家が家臣、里見(さとみ)重蔵(じゅうぞう)と申す。ここにいる者は皆、拙者と同じく坂出家の家臣だ』

 里見に促される形で、明石、片山、武田、名越という4人がお辞儀した。

『俺はロイ。この小さい妖精はウォリディという』

『これはまた、ずいぶんと小さい娘ですな』

 里見と名乗った男は、ウォリディを奇異の目で見た。彼の国にはピクシーは居ないからだろう。

『それより、ゴブリン退治の途中だったようだが、いいのか?』

『そうであった。貴殿らには迷惑をかけた。そのお詫びがしたい。しばし待たれよ』

 里見はそう言うと、仲間の4人に指示を出した。4人は森の中に入っていった。

『この3匹も持っていってくれ』

 ロイは、彼が倒したゴブリンを指さした。

『よいのか?』

『ああ』

 里見は、ロイが退治したゴブリンの右耳を回収した。ゴブリン退治の証拠とするためだ。その他の部分は、道のそばに埋められた。やがて、森の中から4人が出てきた。1人の男が持っていた、20センチ四方ほどの革袋が少し膨らんでいた。

『お待たせした。ロイ殿、ウォリディ殿。お詫びに茶を馳走する。我らが滞在する町へ案内いたそう』

 里見は言った。


 里見の一行が滞在しているのは、港町ツィーの中心に建つ、メシア教の教会だった。メシア教はいわゆる一神教であり、このアーカディア王国に限らず大陸の半分以上の国で国教となり、日々の生活、文化だけでなく、政治的にも重要な部分を占めている。その教祖である教皇ともなれば、各国の王だけでなる、王の中の王たる皇帝をも凌ぐ権力を持っている。

 教会に入ったのは、里見とロイたちだけで、他の4人はゴブリン退治の報酬を受け取るため、仕事斡旋所に行っている。

 さて、里見はロイたちに茶を馳走すると言っていた。茶はアーカディア国でも飲まれているが、この国では紅茶が多い。だが、彼らは自国の茶葉を持参していた。それだけでなく、茶碗から茶釜、あげくには湯を沸かすための風炉まで持ち込んでいた。いわゆる茶道具である。さすがに茶室はなかったが、里見は、自分たちの宿泊している部屋に2人を案内すると、履いていた草履を脱いで、布団のない、板だけの状態のベッドの上に枕を座布団代わりに敷いて座った。風炉で湯を沸かし、湯呑みに抹茶を入れ、湯を注ぎ、茶を立て始めた。茶は濃い緑色をしていた。

帽子とマントを部屋の入り口の帽子掛けに掛けたロイは、ベッド脇の椅子に座り、同じくベッド脇のテーブルの上で座るピクシー姿のウォリディとともに、事の成り行きを見守った。テーブルは、里見とは片腕分の距離だ。里見は茶碗にお湯を注ぎ、茶筅で混ぜると、ロイにとって懐かしく感じる匂いがたった。里見は茶筅を置き、茶碗をロイの前のテーブルに置いた。ウォリディには、ロイが自分の茶碗から小さな木のスプーンですくって渡した。彼女はそれを両手で受け取ったが、小さなスプーンでも彼女には重いようで、ロイが柄を右手で持って支えた。

『我が国の茶の作法はこちらとは違うが、気にせず召されよ』

『ありがたく頂戴する』

 ロイは左手で茶碗を持ち、熱さを警戒しながら茶を口に含んだ。独特の苦みが口の中に広がった。

「ロイ。味はどう?」

 ウォリディは、緑色のお茶と、表情を変えなかったロイの顔を交互に見ながらに聞いた。

「苦みと甘みがある」

 ロイは答えた。ウォリディは恐る恐るスプーンの緑茶を口にした。彼女は顔をしかめた。

「飲めるけど、苦い」

「これを飲めるのなら、大人だ」

「私はもう大人ですぅ」

 ウォリディは頬を膨らませた。2人のやり取りを見ていた里見は、

『いや、何というか、うらやましい主従関係ですな』

といったが、ウォリディは目をぱちくりさせ、

「主従関係? 違うわよ。ねぇ、ロイ」

『俺と彼女は主従関係じゃ無い。俺は、彼女の乗り物だ』

「それもまた違うと思う」

『茶を馳走になったが、俺たちをここに招いた理由は、そのためではないだろう?』

 ロイは、里見の顔をちらっと見た。里見は、小さく鼻から息を短く吐いた後、

『その通りだ。もうすぐ皆がここに戻ってくる。それから、話をしよう』

と言いながら、姿勢を正した。

 程なくして、里見の言った通り3人がぞろぞろと部屋に入ってきた。まとまった金が手に入ったのだろう。誰もが意気揚々としている。しかし、出かけているのは4人のはずだ。1人戻っていなかった。

『明石殿はどうした?』

『分かりませぬ。どこか寄るところがあると言っておられましたが』

 里見の問いに、片山という男が答えた。

『そうか。まあ、良い。今、ロイ殿に、我らの事情を話そうとしていたところだ』

『良いのですか? この男は我らと同じ言葉が話せるとはいえ、何者か分からないのですよ』

『我らはすでにここで2か月も足止めされている。あの宣教師に任せたままでは、先へは進めぬ。他に妙案があるなら、聞くが』

『いえ。拙者どもに妙案はございません』

『それならば、良かろう』

 そう言って、里見は再びロイを見た。

『さて、ロイ殿。我らは飛鳥という国から来たのだが、今、我が国は長き戦乱がようやく終わり、関白木藤様により天下統一が成されたところだ。関白というのは、この国でいえば国王の次に偉い人物、と思ってもらえればよい。それで、天下統一を果たされた木藤様は、政権を盤石なものとするために、次に財政の立て直しに着手された。元々我が国では、大陸や南蛮との貿易をしていたのだが、木藤様はそこに目をつけられ、もっと多くの国と貿易を始めたいと考えられた。そんなときにメシア教の宣教師から、南蛮以外にも貿易の相手となる国があるとの話を聞いたので、我が坂井家に、新たな国と貿易を始めるための交渉をするよう命じられたのだ』

『この国と貿易をはじめるための交渉に来たのか?』

 ロイは、自分の認識を確認するかのように聞いた。

『そうだ。そして、メシア教の宣教師には、我が国での布教活動の許可と引き換えに、船旅や通訳の手配、国王との謁見などの調整を引き受けて貰っている』

里見は答えた。少なくとも、メシア教会がこの異邦人に宿を提供した理由は分かった。純粋な慈善事業ではなく、異国の地での自分たちの布教活動のためだ。貿易を行うには、相手国を隷属させる奴隷貿易から、対等な関係の貿易まである。今回は対等な関係のようだが、そういう国でメシア教を広めるには、相手国の権力者に許可を得る必要があり、見返りを求められることもある。

『それで、貿易を始めるために、あなた方は何をするつもりだ?』

『貿易の交渉をはじめるに当たり、我が当主や関白様からの親書をこちらの国の王に渡し、交渉に入る予定でいた。王様に会うために、メシア教の教皇にも会って紹介状を書いて貰ったのだが、アーカディア王国では、王との謁見の約束が取り付けられず、この港町でその機会を伺っているのだ。他の国ではすぐに謁見できたのに』

『なるほど。国王との謁見を望んでいるのか。だが、残念だが俺たちに相談しても何も変わらない。王様と謁見できるのは貴族くらいだろう。俺たちのような身分の人間に、王様との約束を取り付けられるわけがない』

『そうか。いや、申し訳ない。身分によって差があるのは我が国でも同じだが、この異国の地で言葉の通じる人間と出会えたから、なんとかなるのではないかと考えてしまったのだ』

『長く留め置かれているのか?』

『先ほども言ったが、2ヶ月以上だ』

『案内人の宣教師は? その男が王都まで案内をするはずなのだろう』

『その辺りの事情は、我らにもよく分からぬ。飛鳥からここまで同行した宣教師はペトロというのだが、彼の話では、王都に入るにはもっと位の高い宣教師の案内が必要だそうだ。しかし、その宣教師が見つからないらしい』

『王都に入るのに、位の高い宣教師が必要だなんて、聞いたことが無い。俺のような身分の人間でも、通行税を払えば入れる。王に謁見を望むのなら、王都アルタイルに向かうべきだ』

『そうしたいのはやまやまだが、我らにはここの土地勘はないし、言葉の問題がある』

『王都を目指すなら、そこの大河を遡った先だ。長くこの街にいるのなら、片言でも言葉は分かるだろう。なんとかたどり着けるのでは?』

『片言であれば、この名越という者が話せる。この者は、元は商人の次男坊で、数字に強かったことから財務担当の名越家の養子となり、武士となったのだ』

 里見は、右端に立つ若い男を顎で指した。

『それなら、今からでも遅くはない。あなたたちだけでも王都に向かえば良い』

『できれば、言葉が通じて、この国のことに詳しいロイ殿に王都まで着いてきて貰いたい。報酬はあまり多くは用意できないが、なんとかする』

『俺を雇うと?』

「私たち、でしょう?」

 ウォリディは訂正を入れた。ロイは改めて、

『だが、俺たちを雇う金もないのだろう? 金がないから、ゴブリン退治をしていた』

『そう。あまりにも長く滞在しすぎたため、資金が底をつきそうなのだ。幸い、この街の仕事斡旋所で仕事を引き受ければ、当座の金は工面できる』

『謁見を諦めるという選択肢は?』

『我らに諦めるという選択肢はない。御下命は絶対だ』

 里見の言葉に、ロイは目を閉じた。彼の国の人間は、主君の命令は絶対なのだ。それは理解しているが、ロイは彼らの行く末に一抹の不安を感じた。そして、それは自分も同じであることに気付いて苦笑する。

『どうされた?』

『いや、人のことを笑えない自分に呆れかえっただけだ』

 ロイは答えた。里見たちやウォリディには、彼が苦笑した理由は分からない。

『どちらにしても、王都へ向かう意思があるのなら、自分たちで勝手に向かえば良い』

『では、案内を引き受けては下さらぬのか?』

『俺の知ったことじゃない』

 ロイは答えた。若い武士の1人が、自分の腰の刀に手を掛けようとしていた。すると里見は突然、ベッドから降りた。そして、草履も履かず床に四つん這いになり、両手と額を床につけた。いわゆる土下座だ。最大級の謝罪の意か、一生の願い事をするときにするものだと聞いている。

『土下座はこの国では通じない。普通に交渉すれば良いだろうに』

『では、引き受けていただけるのか?』

 里見は顔を上げた。その表情は明るかった。ロイが依頼を引き受けたと勘違いしたのだろう。

「でも今回は、報酬は期待できないのよね」

 ウォリディも、彼が依頼を引き受けることを前提に話をしている。

「依頼を受けるつもりはない。俺は、王都には行きたくないのさ」

「でも、この人達を助けたいと思っているのでしょう? そうでなければ、そもそもこの人達と会ってみたいと思わない筈だもの」

ウォリディは、この街を目指した理由を持ち出した。ロイはため息をついた。

『里見様。このお姫様は、我らの意を汲んでロイ殿を説得していただいているようです』

 名越は、ウォリディとロイの会話を聞き、状況を里見に報告した。ロイは仕方なく、

『折り合いがつけば、だ。侍と違って、俺たちは契約で仕事をする。そこはきちんとして貰う』

『承知した。詳細を決める前に、確認しておきたいことがある。ロイ殿は、どこで我らの言葉を覚えられた?』

 里見に聞かれたロイだが、すぐには返答しなかった。迷った末に、彼は答えた。

『昔、飛鳥国にいたことがある。言葉はその時に覚えた』

 そう答えたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえ、1人の男が入ってきた。若い宣教師だ。話の流れから、彼がペトロなのだろう。彼は、明らかにロイを疑念の籠もった目で見てきた。対して里見は視線を落とし、明らかにペトロから顔を反らせた。

『里見殿。彼が、この街まで案内してきた宣教師か?』

 ロイは言った。普通に里見と同じ言葉が口から出てきたことに、宣教師は驚いたようだ。

「あなたは、彼らと直接話せるのですか?」

「一応、出来る。あなたは?」

「私はペトロ。メシア教の宣教師ですが、今はこの方たちの通訳兼案内役もしています」

「俺は剣士のロイ。ピクシーの彼女はウォリディ。今、王都へ向かう算段をしていたところだ」

「その話は、里見様を王都にお連れする、と言うようなお話ですか?」

「そうだ」

「では、あなた方がその依頼を引き受ける必要はありません」

「何故?」

「実は、王都へ向かう船が用意できたのですよ。つまり、あなたを雇う必要はなくなったのです」

 ペトロは、アーカディア語でロイたちに話した後、次に里見達にも分かるように飛鳥の言葉で、

『里見様。私との約束を違えないで下さい。さて皆様、お待たせしました。ようやく王都へ向かう船を用意できました。明日には出発できるでしょう』

『王都へ行けるのか?』

 里見はペトロに聞いた。ペトロは仰々しく頷き、

『そのとおりです。この街から船に乗れば、迷うことなく王都に着くことができます』

『王都に行けなかったのは、上位の宣教師が見つからなかったからだと聞いたが、手配はできたのか?』

 ロイはペトロに聞いた。ペトロは首を横に振り、

『部外者であるあなたが心配することではありません。彼らはメシア教の責任において、無事に王都へ送り届けます』

『ロイ殿、申し訳ない。どうやら私が稚拙に動いてしまったようだ。出来れば貴殿の力を借りたかったのだが』

 里見は最初に頭を下げてきた。ロイは顔色を変えず、

『頭を下げるのは勝手だが、口約束でも、あなたはついさっき俺を雇った。その依頼を取り消すのなら、違約金を払って貰うことになるが、良いか?』

『違約金?』

 里見は聞き返した。

『その違約金とは、いくらだ?』

 片山が恐る恐る聞いた。

『5リーブラだ』

『5リーブラだと、5両か? とてもそんな金、我らには払えません』

 名越が大声を上げた。日々の金策でさえ苦労している彼らに、50万円相当の金はすぐに用意できない。

『しかし、依頼前の違約金だけでその金額だ。正式に依頼していたら、もっと取られるのではないか?』

 武田という、少し引いた視点でものを言う男がいた。彼の言うのはもっともだ。すると、ペトロが一歩前に出てきた。

「ロイ様。あまり彼らを怖がらせないで下さい。今回の騒動の責任は私にあります。ですから、どうでしょう。違約金は、私がお支払いしましょう」

 ペトロは穏やかに、あまり上手ではない笑顔で語りかけてくる。

「それは教会の上層部の考えですか? それともあなたの考えですか?」

「私の考えです。そもそも、私は大司教の指示で遙か遠い国の布教活動を行う際に、その場での判断を行う権限をいただいています」

「なのに、ここで何ヶ月も足止めされているのは?」

「国内では、一介の宣教師でしかないからです。大司教様の許可を得るのに時間が掛かって…」

「俺は傭兵だ。雇い主が不要だというのなら手を引くが、俺がいると、何か不都合なことでも?」

 ロイが聞くと、ペトロは大げさな身振りで、

「そんな。なにも不都合はありません。ただ、これは私の修行でもあります。私1人で彼らを国王陛下のところへお連れし、目的を果たして、無事に連れ帰る。これが私に課せられた試練と考えております」

と答えた。ペトロの目は真っ直ぐロイを見つめてきた。

「なるほど。違約金を貰えるのなら、俺は手を引きましょう」

「ロイ。本気なの?」

 ロイの言葉に、ウォリディは思わず身体をのけぞらせる。彼女は、彼が絶対に依頼を引き受けると思っていたからだ。ロイは彼女に対して首を縦に振り、ペトロに対して、

「それで、金は今すぐに受け取れるのだろうな?」

「すぐにとは言えませんが、明日の夕方には用意できるでしょう」

「分かった。まずは借用書を書いて貰おう」

「疑り深い方ですね。私は神に仕える者ですよ」

「俺は、神様とだって契約書を交わす」

 ロイは答えた。ペトロは仕方なく、窓際の机に近寄って、卓上の紙にペンで5リーブラを支払う約束を書面にしたためた。そして、それをロイに渡した。

「明日の夕方に、ここへ取りに来る。受け取れなかった場合は、教会に払って貰う。今の事を彼らに伝えておいてくれ」

 ロイはそう言うと、帽子掛けのところへ移動し、帽子とマントを取った。そして部屋の一同に軽く礼をして、戸惑うウォリディを連れて部屋を出た。

『ペトロ殿。彼はどうしたのだ? 一体、彼とどんな話を?』

 ロイの突然の行動に里見は唖然としながら、ペトロに聞いた。

『彼とは、私から違約金を払うことで合意しました。結局、彼は金が目的だったようです』

『そんな馬鹿な。ロイ殿と話したが、金のために動くような男ではない。何かの間違いであろう』

『彼を信じたいあなたの気持ちも分かりますが、現に彼は、金の話をしたらあっさり身を引きました。まあ、これも神が我らに与えた試練でしょう。彼のように、甘言で私たちに近寄ってくる者たちの誘惑に負けてはなりません』

『それで、我らはこれからどうするのだ? あの男の道案内を断っておいて、まだこの街に足止めされては意味がない』

 明石が言う。ペトロは満面の笑顔を彼らに向けて言った。

『ご安心を。先ほど言いましたとおり、船は用意できました。明朝には出発できるでしょう』


 ロイとウォリディは部屋の外に出たが、扉を閉めた後もその場に留まった。そのため、彼らのその後の会話も聞いていた。ペトロが船を用意したところまで聞いたロイは、静かにその場を離れた。

「ひどい話だわ。私たちの事を、金が目的だなんて」

「まあ、否定はしないさ」

「でも、あの人達にもメリットのある話だと思ったのだけど、あの宣教師は私たちを遠ざけたかったようね。神から与えられた試練、だなんて。本当に信仰心があるのかしら?」

「俺にも、彼はまだ俗物のように見えた。大司教に認められようと必死なのかも知れないが」

 ロイたちは、教会内の聖堂の中に入った。そこで年長の司祭を見つけ、帽子を脱ぎながら近寄った。

「司祭様にお尋ねしたいことがあります」

「何でしょうか?」

 口の周りの白い髭を伸ばした司祭が応じた。

「俺は、この教会に逗留している異国の一団と縁のあるものです。あの一団に付き添っている宣教師ペトロさんですが、彼らを導くには若いようです。彼はどういった人物ですか?」

「ペトロですか? 彼は、この教会に入って5、6年になりますかな。それも国外への布教活動に専念していますから、ここにはほとんどいませんでした。あなたが不安に思っているのは、彼からそういう所を感じ取られたのでしょう」

「そうでしたか。しかし、大金は持っているようで」

「そうでしょう。ペトロ宣教師のご実家は、この街では有名なスターク商会の御三男ですから」

「大きな商家の息子さんが、宣教師ですか?」

「三男では、家業を継げないからでしょう。それに、信仰心があれば、我々は拒みません」

「そうですか。お教えいただきありがとうございます」

 ロイは仰々しく頭を下げた。

ロイとウォリディは教会を出た。教会は、街の中心に位置する広場に面した北西の一角にある。いわゆる一等地だ。それだけでも、この街での教会の地位が分かるというものだ。広場の中心には、この街を建設した領主の像が建っている。道はこの広場から東西南北にのび、ロイたちが入ってきた城門は西に、港は東に進んだところにある。

ロイは軽く空を見上げる。日はまだ高い。宿を探すにはまだ早いようだ。

「あの人達を、救う手立ては、何かないかしら。そういえば、ジル先生は宮廷魔道士なんでしょう? 先生に聞いてみたら?」

「そうだな。後で聞いてみる」

「今、聞いてみたら?」

「…分かったよ」

 ウォリディに促され、ロイはペンダントを胸元から取り出した。

「ジル。聞こえるか?」

 ロイはペンダントに向かって呼びかけた。返事はすぐに帰ってきた。

「ロイ。回復したのね? というより、元気になったのならそうと、早く知らせてほしかったわ。ウォリディさんにはきちんと感謝をしたのでしょうね?」

「ああ。俺だって、そこまでひどい男じゃない。君にも迷惑をかけた」

「そう言いながら、また何か面倒なことを私にお願いしようとしているのでしょう?」

「まあ、そのとおりだ。実は、このツィーの港町に異国の地から来た一団がいて、国王に親書を渡すため謁見したいと言っているが、なかなか返事がないらしい。ペトロという名の、メシア教の宣教師が案内役をしているが、教会からきちんと話が伝わっているか疑問だ」

「まだ話を聞くとも言っていないのに、勝手に話をしてくるのね」

「君しかいないからさ。国王に話を直接聞ける知り合いは」

「私だって、いつでも会えるわけじゃないわ。国王陛下に呼ばれたときだけよ。それに、私は相談役だから、いつも宮殿にいるわけじゃない。陛下の予定を確認するなら、宰相に聞くのが一番でしょうね」

「じゃあ、頼むよ」

「まだ引き受けたとは言っていない」

「まだ、ということは、引き受けてくれるんだね?」

「全く……この貸しは後で倍以上にして返して貰うわよ」

「分かっている。ありがとう」

「それで、どこの国の人たちなの?」

「飛鳥という国だ。あるいはジパングと呼ばれているらしい」

「分かった。聞いてみるわ」

 通信を終えたロイは、右隣に浮いているウォリディに向かって、

「調べてくれるそうだ」

「ジル先生も大変ね」

 二人のやり取りを聞いていたウォリディは、短く同情的な息を吐いた。ロイの被った帽子が急に重くなった。ウォリディは再びロイの帽子の上に乗っていた。

「今日はこの街で泊まるのよね?」

「そうだ。だが、安い宿だ」

「あの人達みたいに、教会に泊めて貰う?」

「それはやめた方が良い。当然だが、教会は信者以外には冷たい。妖精のことも、メシア教では排除の対象になっているらしい」

 それを聞いたウォリディは、身の危険を感じて身体を少し震わせたらしく、帽子が少し揺れた。

「私は余り近づかない方が良さそうね。じゃあ、宿探しね。でも、その前に何か食べましょう。港町なら、おいしい魚が食べられるはずよね。港に行ってみましょう」

 ウォリディは東の方角を指した。帽子の下のロイに彼女の指先は見えるはずも無いが、その先には、背の低い街並みの向こうに帆船のマストが見えた。港があるのは間違いないだろう。ただ、ここは貿易港だ。漁港では無い。保存の利く香辛料や茶葉、豆や綿、金銀なら扱っているだろうが、新鮮な魚が水揚げされる場所では無い。他の都市よりは漁村に近いが、出される魚料理に大きな期待は出来ないだろう。しかし、ウォリディの希望を壊さないように、その推測は言わないことにした。

 ツィーの港は、街の城壁の外側にあった。港自体が城壁に囲まれ、軍艦で攻めてくる敵を防ぐようになっている。普段は、門は大きく開けられており、港との出入りは盗人に対する用心のための最小限の規制だ。港を介しての街の出入りの管理は、船が到着した際に行われているようだ。特に、輸出入に関する税は、積み荷が桟橋に置かれた段階で税務官が確認し、計算している。税務官の護衛や、密航者対策を兼ねた街の兵士が近くに控え、不審者に目を光らせている。

港には、城壁に沿って倉庫や商家の事務所が何軒か建ち、道は敷石で固められていた。岸壁は直接船が着けられるようになっていた。加えて、城門の正面には大きな木の桟橋が3本、沖に向かって延びていて、底の深い大型船も停泊できるようになっていた。実際、外航船が2隻、別々の桟橋に横付けされ、屈強な男たちが何度も荷物を船から桟橋に卸し、あるいは荷車に乗せて港の倉庫に運んでいた。現在、港にはこの大型船2隻の他、川での運行専用の船が何隻も停泊していた。内陸部から川で運搬されてきた荷物が、ここで外洋航路用の船に積み直されるのだろう。

「大きな船!」

 ウォリディは外航船を指さした。興奮しているのが、帽子の揺れとして伝わってきた。船は風を受ける帆を張る3本マストを持つガレオン船という形の船で、船首と船尾が嵩上げされ、特に船尾のものは、豪華に装飾された船室となっている。ロイは、船首の船の名前を見た。

「船の名前はペガサス号に、ヴィーナス号か」

「あの船で海に出たら、さぞ楽しいのでしょうね」

「ウォリディは乗り物に強いか?」

「強いって?」

「あれだけ大きな船でも、海に出たらすごく揺れるぞ。多分、気持ち悪くなる」

「気持ち悪くなるのなら、遠慮しておくわ」

ウォリディは残念そうに言った。

さて、港への出入りに厳しい規制はないといったが、桟橋や岸壁へ近づくことは簡単ではなかった。それは積み卸し作業の邪魔にならないようにすることもあるが、密航者や積み荷を狙った盗人を警戒してのことで、自由に立ち入れるのは船舶か港湾の関係者に限られる。ロイたちは港に入ったが、身のおき場所は少なかった。

「折角に来たけれど、面白いところはないわね」

「そうだな。面白いものはおそらく、街の店に並んでいるだろう」

「そういえば、あの奥に泊まっている船は、この船に比べて小さいわね」

 ウォリディは、港の左手、川の上流側に停泊している複数の船を指さした。マストを持たないか、あるいは小さな1本マストを持ち、甲板は平らな船だ。全長は20メートルほど。横幅は3メートルくらいある。

「あの船は、川で使う船だ。王都へ行くなら、あれくらいの大きさの船だ」

「海と川で、あんなに大きさが違うの?」

「ああ。海へ行く船は大きく、川を行き交う船は小さい。川は狭くて水深の浅いところがあるし、橋を潜らなければいけないからな」

「ロイは、大きい方の船に乗ったことはあるの?」

「昔、傭兵として乗っていたことがある。外国に行ったことは一度しかないが。それでも、すぐ隣の国だ」

「あの里見とかいう人たちの一行が来た国は、もっと遠いのかしら?」

「ああ。遙か遠いところの筈だ」

「うわっ。あの人、痛そう」

 ウォリディは突然、指を差しながら息をのんだ。ロイはその原因を探ろうと辺りを見回すと、積み荷を降ろしていた人夫が1人、何かの拍子に倒れたようだ。しかし、彼女が息を飲んだのは、その男に対して、人夫の監督者が乗馬に使うような鞭を振るった事だ。倒れた人夫は痛がってはいるものの、表情が普通の人間と違って乏しく、今の状態を当たり前のように受け入れているようだ。よく見れば、左手の甲に赤い紋様がある。

「あれは奴隷だろう。手の甲に入れ墨が入っている」

「奴隷? じゃあ、あの人達は……」

「異国の人間が、元犯罪者か。あるいはホムンクルスか。しかし、ただの労働者じゃないかもしれない。もしかすると、俺と同じような傭兵だったのかも」

 ロイは答えた。港湾労働者のように様々な荷物の積卸しをする人間にしては、動きが何かを振るっているような、大きな動作に見えたからだ。

「そういえば、身体が大きくて、腕も足も太いわね。すごい筋肉質。ところで、ホムンクルスって何だっけ。人造人間?」

「そうだ。錬金術で生み出された人間の事を、そう呼んでいるそうだ」

「人間とホムンクルスの違いって、何かしら? あの人達は、何だか表情に乏しいけれど、奴隷だから?」

「ジルによると、ホムンクルスの知能は、作った錬金術師の能力によるそうだ。それに、奴隷に感情はいらないと考えられているのだろう。使用者から見れば、下手に知恵を付けられて逆らわれたら、たまらないからな」

「自分たちに逆らえないように考える力を奪うなんて、ひどい話だわ。メシア教の神様は、何とも思っていないのかしら?」

「メシア教自体は、ホムンクルスの製造には反対だ。人間を作るのは絶対神だけで、人が人を造ることはメシア教の教義に反する。だが、奴隷の所有者はほぼ間違いなくメシア教徒だ」

「それって、都合のいい話じゃない? 人を作るのは許さないけど、作られた人を奴隷にするのは許す、だなんて」

「そういうことは、神様に言ってくれ」

 ロイとウォリディは岸壁を離れ、倉庫街に移動した。ウォリディは周りを見渡し、

「港ならおいしいものが食べられると思ったのに、何もないわね」

「そうだな」

「あそこの人に聞いてみようかしら」

 ウォリディは、港湾労働の奴隷らしき男を見かけ、帽子の上から飛び出した。ロイは止めようとしたが、遅かった。彼女が声を掛けようとしているのは、先ほど見かけたのとは別の奴隷だ。彼もまた屈強な身体の持ち主だが、やはりうつろな目をしている。

「ちょっと教えてほしいことがあるのだけれど。このあたりでおいしい魚料理を出してくれるお店はあるかしら?」

 彼女は屈強な労働者に声を掛けた。男は静かに目を動かし彼女を見た。わずかに戸惑ったような表情を浮かべ、

「俺、分からない」

と答えた。

「じゃあ、みなさんはいつも、どこでお昼ご飯を食べているの?」

「俺は、昼は食べない。食べさせて貰えない」

 男は、あまり話したがらなかった。他人と話すことになれていないようにも見えるが、奴隷という扱いを長年受けてきたからだろう。余計なことを話さないように躾けられているのだ。

「ところで、本職は戦うことのようだが、得意な武器は?」

 男に近づいたロイが聞いた。男は、今度は少しうれしそうな表情を浮かべ、

「バトルアックス」

と答えた。

「元は剣闘士か?」

 ロイの問いに、男は黙って頷く。ロイは帽子の端に指を掛け、

「仕事の邪魔をした」

と言って、ウォリディを伴ってその場を離れた。しかし、2人の目の前に、鞭を持った男が現れた。

「お前は傭兵のようだが、このあたりで仕事を探しているのか?」

男は、右手に持った鞭を左手に軽く当てながら、尋問するかのように聞いてきた。

「そうだな。良い仕事があればと、いつも願っているよ」

 ロイは微妙にずれた回答をする。男は、貫禄のある彼のたたずまいを見て、威圧が効いていないことに調子を狂わされたようだ。男はロイの顔色を伺いながら、

「そうか。だが、あいつに聞いても、仕事は貰えないぞ」

「あの男は、元は戦闘奴隷か? それとも剣闘士か?」

 ロイが聞くと、男は少しだけ驚いた表情を見せた。

「分かるのか? 確かにあれは元剣闘士だ。この街で闘技会が禁止されて、行き場の亡くなった奴らを、商会で引き取ったのだ」

「ここにいる船は、全部お宅の船か?」

「俺はここの人足頭だ。そこに泊まっている2隻の船は、どちらも俺の雇い主の、スターク商会の船だ。お前はよそ者のようだから、特別に教えてやる。このあたりはスターク商会か、その関連会社の所有だ」

「俺が仕事を探していると、どうしてそう思った?」

「このあたりをうろつく奴は、何かしら仕事にありつこうという奴ばかりだからだ。特に、お前のような傭兵の奴だ。確かにスターク商会は手広く商売をやっているから、荒事に対応できる人材も求めてはいるようだが、大事な荷物を扱っているのだ。信用のない奴は雇わない」

「船はすぐには出ないのか?」

「いや。早ければ明日には新大陸に向けて出航する予定だ。何せ、嵐のせいで2ヶ月も到着が遅れたのだ。遅れを取り戻すために、すぐに荷物を積み卸ししなければならないし、忙しくてたまらない。野良猫のように湧いてくるお前らを追い払う暇も惜しいくらいだ」

 屈強な男は、言葉では穏やかに、しかし威圧的な態度を維持してロイに言った。新大陸とは、この王国のある大陸より西にある、発見されたばかりの大陸のことだ。ロイは、

「そうか。このあたりではうまいものにありつけないようだし、街に戻ることにしよう」

と、相手の言葉に対して感情の起伏を見せず、背中を向けた。

「待て。お前は水兵か?」

 男は、ロイがカットラスを持っていることに気付いたようだ。カットラスを持っているのは船乗りが多いので、彼がロイを船乗りの傭兵と見たのかも知れない。ロイは立ち止まり、

「いや。船に乗っていたことはあるが、違う」

「腕が立つのなら、1つ仕事がある。異国の奴隷を捕まえて船に乗せる仕事だが、相手は武器を持っている。そいつらを殺さずに捕らえることが出来るなら、仕事を紹介してもいい」

「異国の奴隷? 船から逃げたのか?」

「違う。詳しくは知らないが、4人とも小柄で、髪は黒く、変わった髪型をしているそうだ。服装も見たことのないもので、見ればすぐに分かるらしい」

 話を背中で聞いたロイは、顔だけ男の方を見たが、身体の向きを変えるには至らない。

「人を捕まえる仕事は、受けたことはない。盗賊相手なら、あるが」

「相手は奴隷だ。人じゃない」

 男は鼻で笑いながら言う。

「その奴隷も、人の格好をしているぜ」

 ロイは背中で言い返し、港の城門を目指して歩みを進めた。

「恐そうな人だったね」

 帽子の上から、ウォリディが話しかけていた。先ほどの男は、ピクシーの彼女には気付かなかったようだ。隠れていたのだろうか。

「強面でなければ、奴隷や他の労働者に舐められるからだろう。それにしても、スターク商会か。随分と手広く商売をしているものだ」

「知っているの?」

「ああ。昔、船に乗っていたと言っただろう? その時に聞いた名だ。その時は小さな船しか持っていなかったはずだが、あの大型船を見ると、相当遠くまで進出しているのだろう」

 ロイは答えた。

2人は街へ戻る門の前で、飛鳥国の武士と出くわした。長い刀を差したその男は、間違いなく里見達の仲間だ。相手もロイに気付いた。

『ロイ殿、だったか? おそらく里見様から、王都への道案内を頼まれたと思うが』

『ああ。そういう依頼を受けた。結局は、宣教師に断られたが。あなたの名前は何だったかな?』

『明石だ。明石源三郎。坂出家家老、明石源馬の三男だ』

『親が偉いのは分かった。それで、道案内の話を持ち出すということは、何か気がかりなことがあるのか?』

『そうだ。某は早く王都へ行き、お役目を果たしたい。だが、すでにここで2ヶ月も足止めされている。それも、王都へ行く船はたくさん出ているのに、案内人がいないという理由で。それで納得できると思うか? そもそも、この度の人選が間違っていたのだ。そなたは知らないだろうが、里見は咎人(とがにん)だ。本来なら、我らの指揮を執ることなど許されない身分なのだ』

 明石の突然の言葉に、ロイは少々驚いた。

『咎人? 里見殿はどういう罪を犯したというのだ?』

『あの男の父はかつて、主君を裏切って敵方に内通していたのだ。1度は牢屋に入っていたものの、何故か今回の団長に任命されたのだ。坂井様の勅命だから、今は従っているが』

『そちらの国では当たり前のことかもしれないが、父親の罪を子供が背負うなど、おかしな話だ。それに主が選んだのなら、それに従うのが家臣だろう。それに逆らうのなら、貴殿の方が咎人ではないか』

『しかし、(それがし)は家老の息子だ』

『俺の知ったことじゃない。親の肩書きがなければ何もできない奴に、用はない』

『確かに……某には、これといった実績はない。戦国の世も、関白殿の天下でほぼ終わった。この使節団の成功が、この先唯一の功績となるやも知れぬ』

『そのことだが、宣教師が言うには、船が用意できたから、明日に王都に向かうそうだ』

 ロイが答えると、明石は驚き、その表情は明るくなった。

『本当なのか? では、ようやく謁見が叶うのか』

『謁見が適うかは分からない。王都へ行ける、というだけだ。だが、長い事出発できなかったのは、上位の宣教師が必要だと言っていたのに、明日の出発は船が用意できたから、だと言う。実際のところはどうだったのだろうか。ところで、あなたはどうして港に?』

『某は……この港で、望郷の念にかられておったのだ。これでも妻子のある身。本心では、一刻も早く国元に帰りたい。しかし、実際は前にも後ろにも進めず、喰い詰め浪人のように日銭を稼いでその場をしのぐ日々。港の船に乗れば、誰かが某を国元に連れ帰ってくれるのではないかと、ありもしない事を考えていたのだ。こんな姿を、他の者には見られたくはない』

 明石は顔を背けた。

「かわいそうな話。なんとかしてあげられないのかな?」

 ウォリディが帽子の上から降りて、ロイの顔の前に浮いていた。

「俺にできることは、特にない」

「王都へ向かう船はたくさん出ているのでしょう? それに乗せてもらえばいいのに」

「そうだな。他にも気になることがある」

 ロイはウォリディと話した後、明石に向かって、

『いろいろ思うところはあるだろう。だが、役目を果たすことを優先したほうが良い。ところで、国王への親書は誰が持っている?』

『里見殿だ』

『じゃあ、いざとなれば、里見殿だけ王都に向かえば、役目は果たせるわけだ』

『それは……里見殿もそう言っていたときはあった。だが、某にも役目を果たす責任はある。行くのなら、全員だ』

『分かった。俺は、確実に王都へ向かえるよう算段する。また明日、会おう』

 ロイとウォリディは明石と別れ、街への門を潜った。

「ねえ。どうするつもりなの? 何か思うところがあるのでしょう?」

「ジルからの連絡を待つ。それから考える」

「それしかないのね」

 きちんと答えてくれないロイに、ウォリディは肩をすくめた。

 ジルからの連絡は、その後に来た。ペンダントを取り出したロイは、それに向かって返事した。

「ロイだ。聞こえているよ」

「宰相の秘書から連絡があったわ。結論から言うと、飛鳥あるいはジパングからの客人の話は、聞いていないそうよ」

 ジルの回答を聞いて、ロイは一瞬考えた。

「教会からは、どうだ?」

「大司教様のところには手紙が届いたようだけど、陛下への面会については、何も聞かされていないみたい。そもそも、その宣教師が帰国していることも知らなかったようね」

「こちらの一向に同行している宣教師は、大司教から権限を与えられているそうだが?」

「それは、メシア教にとって未開拓の土地へ向かうのだから、自分たちで考えて動けるようにするためだそうよ。一々、大司教様にお伺いを立てていられないでしょう?」

「それもそうだ。しかし、王様に何の連絡も行っていないとは。どうしたものかな」

「まずは王都に来て、大司教様のところに行って、そこで陛下への謁見を仲介して貰うのが良いじゃないかしら。ツィーの街にいても、先に進まないのは確かよ」

「飛鳥の人たちは王都に行きたがっているし、俺に道案内を頼んできたが、その宣教師が断りを入れてきた」

「やる気の感じられない宣教師ね。その人が駄目なら、他の人が動くしかないでしょうね。それよりも、あなたはどうしたいのかしら?」

「俺は、彼らの願いを聞き入れたい」

「それなら、あなたが行動するしかないわね。でも、直接依頼を受けられないのなら、第三者があなたに依頼をするとか」

「君が、彼らを連れてくるように、俺に依頼するか?」

「そんなことをしなくても、誰かそこにいる人に依頼書を書いてもらえばいいのよ。内容はでっち上げでもいいから。丁度、いいお嬢さんがいるじゃないの」

「ありがとう。次の行動が見えてきた気がするよ」

「お役に立てて何よりだわ」

 ジルとの交信を終えたロイは、ペンダントを胸元にしまった。ロイはいつものように無表情だった。

「彼らを王都に連れて行くとして、あの宣教師を説得するのは難しそうよ。どうするの?」

「斡旋所で仕事を受ける。仕事の依頼主は君だ」

「はぁっ?」

 ウォリディの疑問に、ロイは答えなかった。


 翌朝。港は荷物の積み込みで、昨日に比べて一層慌ただしくなっていた。灯火類の乏しく、航海術も風や波任せのこの時代、暗くなってからの船の出航は困難を極める。そのため、水夫や荷役作業員は明るい内に出航するために大忙しだ。

 夕方よりも早い時間に、宣教師と里見達の一行が港に到着した。宣教師ペトロや船の手配をしたであろう、どこかの下男に急かされて船に向かう明石達には、戸惑いの顔色が見えた。

『さて、ここで武器を外していただきます』

 ペトロは里見達に言った。明石達はほぼ一様に驚いた顔をした。里見はペトロに、

『何故、刀を放す必要がある?』

『船に乗るからですよ。船の中では武器は必要ありません』

『しかし、これは我らの魂。手放すわけにはいかぬ。それに、ここまで船で来たときには、そのような話はなかった』

『これから王都に向かうのです。国王に会うのに、武器を持っていくわけには行きません』

『里見様。ここはペトロ殿の言うとおりにしたほうが…』

 名越が言った。その言葉を遮るように、別の強い言葉が掛かった。

『ここで武器を外す必要はない。ここはまだ王都じゃない』

 突然の声は、桟橋の手前に立ったロイから発せられた。里見は思わぬ再会に喜びの声を上げようとしたが、ペトロが2人の間に入ってきた。

「これは剣士殿。今度は一体何だというのです?」

『誰が手配したのかは知らないが、この船は別の大陸へ行く船だ。王都には行かない』

 ロイは、わざと飛鳥国の言葉で話した。

『何だと? どういうことだ?』

 一行は互いの顔を見合わせながら口々に言い、次いでペトロを疑いの目で見た。

『この船は海を渡るための船だ。ここまで乗ってきたことがあるのなら、分かるだろう。川では大きすぎて座礁するし、橋も潜れない。王都へ行くなら、向こうの船だ』

 ロイは答えながら、左手の100メートル先に停泊しているやや小さな船を指さす。ペトロはばつが悪そうに、

『確かに、あなたの言われるとおりかも知れない。この船を選んだ私のミスです。この船では川を遡ることはできない。それを教えていただいたことには感謝します。後は私にお任せ下さい』

『そうしたいところだが、俺も王都のほうから別口で、里見殿一行を連れて来るように依頼を受けた。仕事斡旋所立ち会いの正式な契約書もある。確認してもらっても良い』

 ロイは懐から1枚の紙を取り出し、ペトロ達に見せた。

 内容は、飛鳥国から来た一団を護衛して王都に連れてくるように依頼を受けた人物が、ロイにその仕事を委託する、というものだ。仕事斡旋所の仲介が明記され、印も押されている。捏造されたものではない。ペトロは、ロイが掲げている契約文書を読み、ため息をついた。

『王都から? だが、斡旋所の印もある。あなたが依頼を受けたことに間違いはないようだ』

『仕事を奪う形になったが、俺もこの仕事で食べているからな。それと…』

 ロイは契約書をしまってから、再び懐から紙を取り出し、ペトロに渡した。ロイはアーカディア語で続けた。

「支度金が足りなかったから、あなたから貰うはずの5リーブラの証文を担保に、斡旋所に金を立て替えて貰った。手数料は俺が負担したが、5リーブラは斡旋所に支払っておいてくれ」

「何ですって?」

 ペトロは顔色を青く変えたが、ロイは構わず、

「今日中に支払うのなら、金利は掛からないそうだ。手数料だけで1デニエも取られたから、早く支払うことをお勧めする」

と答える。1デニエは、1リーブラの100分の1の価値で、銀貨1枚だ。

「あなたはなんてひどい人だ」

 ペトロは悪態をついた。

「俺はもっとひどい目に遭ってきた。これをひどいと言っていたら、傭兵稼業は務まらない」

 ロイは淡々と答え、里見の前に立った。

『里見殿。今から俺が、あなたたちを王都へ連れて行く。黙って着いてきてほしい』

 ロイはそう言い、里見達を連れて港を出ようとした。

『連れて行って貰えるのはうれしいが、あちらの船のことは良いのか?』

里見達は戸惑っていたが、王都からの依頼者がいるとなれば、断る理由はない。着いていきながら、ロイに訪ねた。

『あの船は使わない。ここからは馬車で向かう』

 ロイは答えた。船を使えば早く王都に着けるが、当時の船賃はかなり高額だった。駅馬車さえ安く思えるほどだ。

『ペトロ殿はどうする?』

『宣教師のことは、依頼の中には入っていない』

 普通に考えれば、飛鳥国から彼らを率いてきた宣教師ペトロの事情が優先されるのだろうが、王都からの書類がある以上、ペトロは口出しできなかった。

 しかし、その書類には問題があった。内容は第三者からロイに依頼するものだが、その第三者とは、ウォリディのことである。内容も単に、ウォリディがロイに依頼する事を、斡旋所が立ち会って見届けたことを証明しているだけだった。しかも斡旋所の依頼人が、帽子の上に乗っているピクシーと同一人物とは、誰も気付かないだろう。

「それにしても、よくこんなインチキな書類で押し通せたものね」

 街の中に戻ってから、ウォリディは言った。

「そうだな。だが、今は余り余計なことは言わない方が良い」

 ロイは小声で答えた。

「どうして? 私たちの言葉は、彼らには理解できないのでしょう?」

「いや。少なくとも1人は理解できるはずだ。理解できるからこそ、斡旋所で仕事を引き受けられるのさ」

「用心することに越したことはない、と言うことね」

「そうだ」

 ロイとウォリディ、里見達5人は、駅馬車の待合所に着いた。4頭の馬が引く、4輪の屋根付きのワゴンが待合所の前で乗客を待っていた。乗降口は後ろにだけ、引き戸が付いている。窓は片側に7つあるが、ガラスはない。窓を閉めるときは、跳ね上げてある木の板を下ろす事になるが、これは遮光の役割も果たす。乗客は最大20人くらいか。前に乗った馬車は荷馬車に幌が付いたようなものだった。それに比べれば快適な乗り物だろう。

 馬車はすぐに出発した。城門を潜って街の外へ出てから、向かい側に座る里見がロイに聞いた。

『此度の一件、何から何まで世話になった。しかし、どうして我らにそこまでしてくれるのか? この馬車だって、金が掛かるのではないか?』

『そう。何故だろう。俺にも分からん』

 ロイはとぼけて答えた。里見は姿勢を正し、ロイを正面から見つめた。

『それだけではない。貴殿は我らの言葉を普通に話せる。だからはっきりさせたいのだが、貴殿は何者だ? 我が国の、どこで言葉を習った?』

 問い詰める、と言う目。ロイはため息をついた。

『俺は、三州にいたことがある。言葉はその時のものだ』

『三州? 移封前の松坂様の領地だったところだな。いつ頃のことか?』

 里見の右隣に座っていた明石が聞いてきた。ウォリディは、ロイの右肩に降りてきた。

『およそ10年前。松坂家とは縁もゆかりもない。三州の中でも、奥三州と呼ばれるところにいた』

 里見は腕を組み、

『10年前か。三州を治めていた松坂家忠様が、武州へ移封された頃だ。ロイ殿はそこで誰かに仕えていたのか? それとも、宣教師か何かをしていたのか?』

 今度は、里見の左隣に座っていた片山が聞いてきた。

『奥三州の……御船家に世話になっていたことがある』

『奥三州といえば、木村という男が謀反を起こし、その御船家の当主を討って領地を乗っ取ったと聞いた』

『そのようだな。しかし、後のことは、俺は知らない』

 ロイは視線を下にそらし、もう一度顔を上げて、里見に尋ねることにした。

『それで、奥三州はどうなった?』

『騒乱は治まったようだが、領民からの不満は収まらないらしい。そもそもその下剋上は、木藤様が、松坂様の力を削ぐために裏から手を回したという噂だ』

「ねえ、ロイ。その御船家の人達は、どうなったの?」

 話を聞いていたウォリディは飛び上がり、ロイの顔の前に浮いて、不安そうに聞いてきた。謀反ともなれば、その結末は悲劇的なものに違いない。彼女も興味本位で聞いてきたわけではないだろう。しかし、ロイはためらった。

『その後、御船家の一族は……いや、やめておこう』

「ロイ。私には聞く権利があると思う。ジル先生の治療の時に、その名前が出てきたのよ。偶然とは思えない」

「だが、謀反なら、後の禍根となるようなことはしない。それの意味するところは分かるはずだ。それに…」

 ロイはそう言い、馬車の天井を見上げて、

「ジルの治療で見たものが真実だという保証も、ない」

と答えた。それ以上聞こうとしない彼に、ウォリディは納得していない。

「私だって子供じゃない。権力者が変わるとき、それまでいた人たちがみんな殺されてしまったことくらい、知っているわ。どこの世界でも例外なく同じことが起きているもの。でも、それが本当の私なのだとしたら、避けては通れないもの」

「それをここで確かめる術はない。三州と泉州では国が違うから、詳細は彼らにも分からないだろう」

 ロイはウォリディを諫めることに徹した。里見は、ロイたちの心中を察したのか、

『奥三州のことは、他家のことなので、我らにはそれ以上のことは分からぬ。申し訳ない』

『いや、構わない。それで、飛鳥国は木藤氏の天下となったのか?』

『そうだ。だが、不穏な動きはある。我が国の政治の話故、分からぬこともあるだろうが。木藤様はかなりのお歳で、最近は病に伏せっているとのことだ。そして、一時は木藤様と覇権を争い合った大老の松坂様が、この機に発言力を増している。もう一波乱あってもおかしくはないとの、もっぱらの噂だ』

『それは大変なことだな』

『そういうこのアーカディアは、どうなのだ?』

『俺の知る限り、王国は一応安定している。貴族同士の諍いはたまにあるが、メシア教の教えのおかげか、それなりに国はまとまっているよ』

『ロイ殿は、誰かに仕えているのか?』

『俺は傭兵だ。そちらの国で言うなら、浪人だ』

『そうか。そうであれば是非坂出家で、といいたいところだが、ここで主君に意向を確かめる事は出来ぬ。惜しいことだが』

「侍はうんざりだ」

 ロイはアーカディアの言葉で答えた。

『何と言われた?』

 里見が聞き返した。

『誰かに仕えるのは、俺の性に合わない』

 ロイは、飛鳥の言葉で答えた。


 駅馬車で移動して2日目。サイグヌス公爵領デネブという街を通過した。デネブもまた港町だが、ここは王都アルタイルとツィーの中間点に位置し、二つの大河が合流する交通の要衝でもある。大きい街だったが、駅馬車は他の街と同じく、1時間ほどの停車で馬の付け替えや御者の交代が行われた。乗客はロイたちだけとなった。

 ロイたちはそのまま馬車の旅を続けた。しかし、彼は、襲撃を受けることを予想していた。ただ、それが予想していた街中で起きなかったので、彼は自分の推測の修正を迫られた。王都アルタイルまで、あと2日ほどの予定だ。

「そんな難しい顔しないで。この際、笑わないのは仕方がないにしても、もう少し愛想良くしたほうが良いわ」

 右肩に腰掛けたウォリディが、見えないはずのロイの表情に対して言った。

「愛想良くする理由がない」

「じゃあ、何か気になることでも?」

「ああ。襲撃があるなら街中か、街を出てすぐだと思っていたが。もうすぐアルタイルだ」

「誰が襲撃してくるの?」

「この東国の友人に、王都へ行って貰いたくない連中だ」

「その人たちかは知らないけれど、誰か現れたみたいよ」

 ウォリディが言うと同時に、馬車は急に減速した。ロイは立ち上がった。

『全員床に身を伏せて、じっとしていろ。外には出るな』

 ロイは座る時に外していたカットラスを腰に戻しながら、その場にいた全員に言った。

『我らも助太刀を』

 里見が言うが、ロイは首を横に振り、

『相手は人間だ。魔物じゃない。相手が賊なら、これは俺の仕事だ』

「じゃあ、私は?」

 今度はウォリディが聞いた。

「君は、俺にもしものことがあった時に、彼らを連れて王都に行ってもらう。もし俺が倒れたら、馬車を走らせろ」

 彼はそう言い、馬車が完全に止まる前に、馬車の後ろの扉から外へ飛び出した。敵に取り囲まれるのを防ぐためだ。ウォリディは馬車の上に移動し、馬車の周りにシールドの魔法をかけた。

ロイが飛び出した先には、まだ誰もいなかった。向きを変えて馬車の前を見ると、上半身にレザーアーマーを着た大柄な男4人が、道を塞ぐように立っていた。中央に大きな盾を構えた男、右隣に両刃の斧であるバトルアックスを持った男、左にはロングソードを持った男、その後ろにはローブを着て大きな木の杖を持った魔道士の男だ。バトルアックスの男は、港でウォリディが声を掛けた男だ。さらにその後ろには、鞭を持ったスターク商会の人足支配人。その左には宣教師のペトロがいた。船で先回りしたのだろう。当時は、馬車より船の方が速い移動手段だった。

「馬車を止めた理由は、奴隷にする予定だった4人を取り戻すためか?」

 ロイはペトロに聞いた。ペトロは顔を左に背けながら、

「奴隷の件は、私のあずかり知らぬことです」

「じゃあ、そちらのスターク商会の人足支配人さんか?」

「そうだ。新大陸で使える奴隷を受け取る筈だったのを、お前が連れ出したのだ。返して貰おう」

「本人の了解もなく奴隷にするのか。メシア教は博愛主義じゃなかったのか?」

「もちろんです。メシア教徒であれば、神の前では皆平等です」

 ペトロが答えた。

「異教徒は別か」

「未開人は、人とは言えません」

「なら、遠慮なしにいくぜ」

 ロイは剣を抜いて立て、八相の構えでゆっくり前に出た。

「黙って奴隷を差し出せば、痛い目に遭わずに済んだものを」

 人足支配人が言う。それを合図に魔道士が呪文を詠唱し、火の玉の魔法を飛ばした。ロイは掛けだして、4人との距離を一気に詰めた。火の玉を何個か身体に受けたが、彼は気にせず走った。

「ファイヤーボールが効いていない?」

ロイの事情を知らない者は、誰もが驚いたことだろう。魔道士は、次にウォーターボールを放った。ロイは剣でそれらを払い除けたが、そのまま身体に当たって消えたものも多かった。どちらにしても、彼の走りを邪魔した程度だ。

ロイに対して、最初にバトルアックスが振り下ろされた。ロイは剣の柄を上げ、刃を右下に下げてバトルアックスを受け流した。重量と振り下ろす速度で、かなり重い一撃だった。ロイはその一撃で押され、よろけたが、受け流しきった後で手首を返すようにして剣を振り下ろした。その刃先は、男の右太股を斬っていた。足を斬られた彼はまだ戦えるだろうが、バトルアックスを振り上げるのは無理だろう。

 次にロングソードの男と対峙するロイ。その男は、魔道士の筋力強化の支援魔法を受けたのか、ロングソードを片手で軽々と振り回していた。ロイは剣の裏刃で、振り下ろされた一撃を受け止めた。足を引っかけられないように相手の左側に回り込もうとするが、相手も同じく左に回ってくる。

 ロイの背後に、盾を持った男が迫ってきた。その男は短い槍を持っていた。ロイは2人から距離を取った。盾の男は下がって、魔道士の護衛に戻った。

そのうち、バトルアックスの男が戦いに戻ってきた。さっきロイに斬られた部分の血は止まっていた。魔道士の回復魔法によるものだろう。

「ただの奴隷だと思うなよ。そいつらは元剣闘士だ」

 人足支配人が言う。ロイは戦いに集中していて、答えない。

 ロイは盾の男に向かった。男は右手に槍を持っている。槍の攻撃を避け、ロイは男の左側に回り込み、右手を狙って剣を振り下ろす。男は盾で右手を守ろうと、盾を右へずらす。ロイの右手への攻撃は、ただのフェイントだった。実際は剣をすぐに引いて、空いた相手の左側へ剣を突き出した。大きな盾でも、右手を守ろうとした状況では左脇腹を防御できず、男はその場に崩れた。

 ロイはすぐに、その後ろにいた魔道士に迫った。魔道士は何かの呪文を詠唱し始めたが、ロイの剣の裏刃で右肩から首の辺りを叩かれ、気を失った。仮に魔法を放っても、彼には通じなかっただろう。

 ロイは、今度はロングソードの男と対峙した。ロイは中段の構えで相手の出方を待ち、左斜めから振り下ろされたロングソードをはじき返し、続けて彼の左腕に斬りつけ、次いで両足の太股を横に斬りつけた。

 残ったのは、バトルアックスの男だ。斧なので攻撃の基本は振る動作だ。左上からの一撃を交わしたロイは、一歩踏み込んで男の右肩を剣で突いた。そして体勢を立て直させる間を与えず、左肩も突いた。男はたじろぎ、後ろに下がった。そこに、人足支配人の鞭が男の背中に振り下ろされた。男はバトルアックスを手放し、跪いた。人足支配人はそのバトルアックスを拾い上げた。

「役立たずめ! 1人相手に何という様だ」

「元剣闘士だろうと、闘技場だけの戦いじゃ、実践では生き残れないぜ。それに、お前は戦えるのか?」

「た……戦えるに決まっている」

 人足支配人がバトルアックスを右から左へ水平に振るった。彼は戦闘の素人だ。ロイは迷わず前に踏み込み、右上から左下へ剣を振り下ろした。人足支配人はあっさり倒れた。

「そういえばお前……魔法が効いていなかったな。さてはお前、ホムンクルスなのか?」

「どっちだろうな」

 ロイは止めの突きを下に繰り出した。あとは宣教師だ。しかし、ロイは剣の血を人足支配人の服で拭うと、剣を鞘に収めた。

「いや、助かりました。私もこの男に脅されて…」

 ペトロは言った。ロイは彼を睨み、

「雇っている男に脅される、何て言い訳が通じるわけがないだろう。お前はスターク商会の三男で、少なくともこいつを雇っている一族の人間だ。メシア教の宣教師では許されないが、商会の人間としてなら、どうだろうな」

「何を言っているのですか?」

「とぼけても良いが、お前のことはツィーの教会の司祭長から聞いているし、王都の司祭長が、東方からの来訪者の報告さえ受けていなかったことも、王都の知り合いに調べて貰って分かっている。2ヶ月も街で足止めされていたのは、新大陸へ行く船の到着が遅れたからだろう」

「どこに証拠が?」

「証拠はないが、必要もない。王都では別の司祭が出迎えてくれることになっている。俺たちは王都へ向かえば良いだけだ」

 ロイが答えると、ペトロは懐から短剣を取り出した。ロイは素早く逆手で剣を抜き、振りかざられた短剣を弾いた。しかし、ロイはすぐに剣を鞘に戻した。

「私を殺さないのか?」

「メシア教の宣教師を殺したら、後が面倒だからな。邪魔をしないのなら、見逃してやる」

 悪態をついたペトロの問いに、ロイは答えた。ペトロはロイの後ろに何かを見いだし、顔を上げながら興奮した表情で、

『里見様。お助け下さい!』

 ロイはさっと振り返った。馬車から里見が、ゆっくり歩いてきた。刀を鞘ごと抜いて右手に持っていた。ロイは里見に近づいた。剣は抜かなかった。

『前にそこの男が言っていた。4人の奴隷を連れてこいと。まさか、仲間を売ったのか?』

 ロイが倒れた人足支配人を指さしながら聞くと、里見は突然正座し、着物をはだいて上半身裸になった。

『全ては某の不徳の致すところ。お役目を果たそうと焦るばかりに、ペトロ殿に、某1人でも王都に行きたいと願ったところ、他の4人を売り渡すことを条件とされたのだ。もっと早く貴殿と出会っていたら、こんなことにはならなかったのだろう。親書は明石に託した。後のことはよろしく頼みましたぞ』

 里見は言い終わるなり、目の前で刀を左手に持ち替えた。自害するつもりだ。ロイは剣を鞘ごと抜き、里見の刀を叩き落とした。

『その程度のことで切腹するのは勝手だが、この国をその血で汚すな。宣教師に騙されたのは不幸な出来事だが、全員無事だ。なら、役目を果たすのが先じゃないのか。それに俺は、全員を王都に連れて行く契約をしたんだ。勝手に契約を無効にされては困る』

『しかし、それでは某の責任は』

『それは俺にではなく、彼らに対して果たすことだ』

『ロイ殿…』

『さあ、早く馬車へ。アルタイルまでもう少しだ』

 ロイは剣を腰に戻し、里見を立たせ、服を整えさせた。

 全てが失敗に終わり、絶望のあまりその場に崩れ落ちたペトロを置いて、ロイたちは馬車に乗り込んだ。馬車は再び走り始めた。

 馬車は川沿いの街道を上流に向かって進んだ。この後はサドル、アルビレオといった街を経由して王都に着く。馬車が走り出してしばらくして、乗客の誰もが居眠りを始めた。馬車の中では何もすることはないし、外の風景も単調ですぐに飽きてしまう。馬車の乗り心地は必ずしもいいものではないが、駅馬車の通る街道はきれいに整地されて、大きく弾むようなことはない。ロイも目をつぶっていたが、傭兵という仕事柄、眠らないようにしていた。そんな彼の右横に、明石が静かに座った。

『ロイ殿。我らは結局、あの宣教師に騙されていたのだろうか?』

 明石は小声で聞いてきた。

『そのようだ。途中まではどうだったかは知らないが』

『それから……先ほど、里見殿は切腹しようとしていたように見えたが、何かあったのか?』

 明石は、さらに聞いてきた。本当に聞きたかったのは、こちらなのだろう。

『何があったかは知らない。宣教師が急に現れたから、混乱したのだろう』

 ロイは興味なさそうに答えた。

『そうであろうか? 某には、そうは見えなかったが』

『逆に聞くが、里見殿が切腹するとしたら、理由は何だ?』

『それは……分からぬ』

『王都を目の前にして、再び足止めされたのだ。絶望の余り、誤った判断をしたのだろう』

『しかし、ロイ殿が彼らを倒した後だ。何も絶望することはない』

『俺を買いかぶられても困る。だが、確かに突然自害されても困る。何かあったら自害して責任を取ることが侍の本分だろうが、ここは飛鳥ではない。死ぬことよりも、生きてお役目を果たすことだけを考えれば良い』

『それはそうだが…』

 明石はまだ食いつこうとする。

『王都は近いが、また足止めされるかも知れない。俺としては、休める内に休みたいのだが』

『それは、申し訳ないことをした。この話はここまでにいたそう』

 そう言って、明石は静かに離れていった。ロイは帽子を顔にかぶせた。


 次の日の夕方、馬車は王都アルタイルの城門を潜った。里見たちを王都に連れて行くという契約は、成し遂げられた。ロイは、ここで油断してしまったのだろう。

 駅馬車は、街の繁華街に到着した。ロイは、周囲を確認することなく駅馬車を降りた。そして、久しぶりにしわがれた声を聞いた。

「貴様、ルロイ!」

 声を聞いたロイはハッと顔を上げ、身構えた。声の主は、広場に面する大通りの反対側にいた。初老の魔道士フェルディナンドだ。その右隣には、無表情のベネディクトもいた。ロイは身を隠そうとして、止めた。里見たちの護衛があったし、人通りが多いため、戦うわけにはいかなかった。いざとなれば、人混みに紛れ込む事も出来る。

「フェルディナンド。悪いが仕事中だ。要件は後にしろ」

「そうはいくものか。死体となったお前でも連れ帰らなければ、わしが叱られる」

『何事だ?』

 声を聞きつけたのか、里見が馬車から降りてきた。そこで思いも寄らぬ事が起きた。突然、ベネディクトが駆け寄ってきたのだ。馬車からは里見の他4人も降りてきた。そして、走ってくるベネディクトに誰もが身構える。ロイが間に入り、ベネディクトの肩をつかんで止めた。

「待て、ベネディクト」

『お前たちは、飛鳥から来たのか? どこの家の者だ?』

 ベネディクトの口から突然、里見たちと同じ飛鳥の言葉が出た。その場にいた誰もが驚いたが、おそらくベネディクト当人が一番驚き、混乱していることだろう。彼はロイの手を振り払い、里見に掴みかかった。里見は動揺した。他の4人もそうだ。

『ま、待て。お主は一体誰だ? 何故、我らと同じ言葉が話せる?』

『わしは、お前たちと同じ飛鳥国の人間だ。どういうわけか、今はこんな姿になってしまったが、信じてくれ』

「ベネディクト。止めろ。その人たちは東の国から親書を持ってきた、外国の客人だ」

「誰か、警備兵を呼んで! この人、外国からの使節団に襲いかかっているわ!」

 ウォリディが馬車の上に飛び上がり、大声で周りに訴えた。周囲がざわめき、遠くから金属製鎧のこすれる音が近づいている。

「早く離れろ!」

 ロイはベネディクトを後ろから羽交い締めにして、里見から引き離した。

『お前たちは国へ帰るのか? それなら、わしも連れて行ってくれ』

 その頃には王都の治安を守る警備兵がやってきて、ベネディクトを後ろ手に縛り上げていた。ベネディクトが捕らえられたところで、ロイは辺りを見回した。フェルディナンドは消えていた。騒ぎに巻き込まれないよう、逃げたようだ。

『離せ、離せ』

 喚くベネディクトは、なすすべもなく警備兵に連れ去られた。里見はロイに向かって、

『あの男はお知り合いか?』

『そのはずだった。今は、俺のことが分からないらしい』

『いや。王都とは随分騒がしいところですな』

『賑やかなのは確かだが、こういうことは滅多にないはずだ』

『とにかく、貴殿のおかげで王都にたどり着くことが出来た。どんなに感謝をしても足りないほどだ』

『大袈裟だな。俺は傭兵としての仕事をしただけだ』

『さて、報酬だが、恥ずかしながらとても持ち合わせがない。そこで、これを受け取って欲しい』

 里見は懐から、木の棒を取り出した。それは、白木のままの鞘に入った短刀だ。刃渡り30センチあるかどうかのもので、わずかに反っている。このあたりでのナイフに相当するが、打刀の技術で作られている。

『ここでか? それに、短刀とはいえ大事なものだろう』

『教会に着いたら、ゆっくり話す時間もないだろう。この刀は大事なものだが、国元に戻ればいくらでも手に入る。しかしここでは難しいだろう。貰ってはくれまいか』

『分かった。ありがたく頂戴しよう』

 ロイは短刀を受け取った。そして、騒動の顛末を警備兵に説明した後、5人を教会へ案内した。

「お金じゃなくて、短刀になっちゃったわね」

 ロイの右肩に乗ったウォリディが、話しかけてきた。

「儲けようとは思っていない」

「それにしてもさっきの、ベネディクトという人? どうしちゃったのかしら? 前に会った時は、もう少しまともに見えたけど」

「人が変わったのだろう。それしか分からない」

「あなたと同じように、あの人たちの言葉を話していたわ。私も言葉は理解できる。私たちは、過去に何かつながりがあったのかしら?」

「どうだろう。仮にあったとしても、思い出せないのなら、それほど重要じゃないのだろう」

「私は……なんだか怖いわ」

「大丈夫だ。俺が付いている」

「あら。じゃあ、ずっと一緒にいて良いのね?」

「いや、それは……また考える」

 ロイは帽子を深くかぶりなおした。


                                       第8話 終わり 

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