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第7話 折れた剣を抱いてゆけ

 ロイがはじめて会った時のウォリディは、無邪気に笑う娘だった。その彼女が、魔人によって大けがを負ったのが2週間ほど前。身体は回復したが、業火に包まれた恐怖が思い出されるのか、笑顔の数は減っていた。

 ウォリディは、薄暗い部屋の長椅子に仰向けに寝ていた。その傍らには、紙とペンを持ったジルが肘掛椅子に座っていた。

「あなたは今、1つの部屋の中に入りました。その部屋の様子を教えてください」

 ジルは、穏やかでゆっくりとした口調でウォリディに語り掛けていた。ウォリディは現在、心の中で森の神殿に入った事になっている。

「白い部屋です。大きな窓があって、明るいです。部屋の真ん中に、ローチェストがあります」

 ウォリディは、目を閉じたまま答えた。ジルは紙にメモを取りながら、質問を続けた。

「ローチェストの中には、何がありますか?」

 回答があってから質問をするまで、ジルは状況に応じて間をおいていた。

「…鍵があります。どこかの部屋の鍵のようです」

「その鍵をどこで使うか、分かりますか?」

「多分、わかります。隣の部屋に続く扉があります。そこで使うのだと思います」

 ジルが静かに問いかけると、ウォリディは目をつむったまま、何かを見ようとしているようだった。ロイは、2人から少し離れた椅子に腰掛けて、不思議なものを見る目で見守っていた。

「では、その扉の前に行ってみましょう。そして、その扉をよく観察してください。どんな扉ですか」

「木の扉。薄い木の板でできている扉です。

「扉を開けたいと思ったら、開けてみてください」

「はい」

「扉の向こうには、誰かが待っているはずです。誰がいますか?」

「えっと、女の子がいます。黒髪で、淡い桜色の着物を着た子です」

「その子の名前は何ですか? 訪ねてみて下さい」

「…ミフネ オリイといっています」

 ロイは、ジルの顔を見た。ジルは黙って頷き、

「その子は部屋に篭もり、鍵を掛けていました。何故、その子は閉じこもっていたのですか? 聞いてみてください」

「怖かった、と言っています。恐ろしい男に襲われて、隠れていた、と」

「恐ろしい男は、近くにいますか? 見えなくても、感じたままで結構です」

「…いないと思います」

「その子は、過去のあなたです。その子は、あなたに何か伝えようとしています。なんと言っていると思いますか?」

「大丈夫。今のあなたには、見守ってくれている存在がすぐ近くにいる、と言っています」

「見守ってくれている存在は、その部屋にいますか?」

「いません。でも、近くにいる気がします」

「その人の名前は、分かりますか」

「はい。テル……と言っていると思います」

 ロイはもう一度、ジルの顔を見た。ジルは羽ペンで、紙にメモを取っていた。

「さて、その子はどうしたいと言っていますか?」

「もう少し、ここにいたいと言っています」

「わかりました。では最後に、その子を抱きしめてあげて下さい。どのような言葉を掛けてあげたいですか?」

「…いつか一緒に暮らしていけると、良いね」

「では、その子と別れを告げて、部屋を出ましょう。そしてあなたは、来た道を戻っていきます」

 ジルは静かに、ゆっくりとした口調でウォリディに語り続けていた。この後は、神殿から森を抜けて、目の覚めた状態に戻る誘導が行われた。

 ウォリディは涙を流していた。端から見ていたロイには、彼女の心の中で何があったのかを推し量ることはできなかった。ジルは彼女に、そのまま眠っても良いと言った。彼女はすぐに寝息を立て始めた。

「まるで夢を操る魔法だな」

 ロイは、第一印象を述べた。

「一応、心の学問なのだけど。心の傷を癒す方法の1つよ。古代文明から続く治療法だから、効果はそれなりにあると思う」

「具体的な情景が浮かぶものなのか?」

「それは個人差があるわ。私が練習で師匠の施術を受けたときは、イメージを必死に膨らませたけれど。人によっては、感覚で捉えている人もいるし、本当に見ていたかのように答える人もいたわ。寝ているときに夢を見ることがあるでしょう? それを、半分意識があるような状態で見る感じ」

「俺には使わないでくれ。いやなことを思い出しそうだ」

「使わないわ。あなた、必要ないでしょう? まあ、必要になったら来てちょうだい。お客さんとして」

 ジルは、最後は笑みを浮かべて言った。

「ウォリディは、良くなりそうか?」

「勘違いしないでほしいけど、この治療をしても、嫌な思い出を無かったことにすることはできないわ。できることは、苦しかった経験を前向きに乗り越えられるように、意識を変えることだけ。そういう意味では、徐々に良くはなっている。後は、彼女の気持ち次第」

「そうか」

 ロイは短くそう答えると、決意したように立ち上がった。

「どこへ行くの?」

「ここに長居しすぎた。悪いが、村の外まで送ってくれ」

 手早く荷物をまとめはじめたロイにそう言われたジルは、あからさまにため息をついた。

「本当に、男という生き物は勝手ね」

「すまない。彼女のことをよろしく頼む」

「村の外には送ってあげる。でも、彼女のことは、彼女の意思を尊重するから。彼女があなたについていくと決めたら、私はその手伝いをする。忘れないで」

「ああ。それでいい」

「これから、どこへ向かうの?」

「ツィーの港へ向かうつもりだ」

「ツィーへ行くなら、十分用心して。最近、あの辺りの治安が急に悪くなっているわ。盗賊だけでなく、悪質な宿とかも増えたそうよ。出来れば遠回りした方が良いわ」

「一体、どうした?」

 剣を腰に差し、マントを装着したロイは戸惑っていた。ジルが彼の行く先を聞いただけでなく、親身に、過剰に心配してきたからだ。

「ここ数年、アルデラミンからツィーへ続く街道で旅人が襲われ、金を巻き上げられたり、積み荷を盗られたりする。宿では眠り薬を飲まされて、身ぐるみ剥がされたと聞くわ。けれど、領主の兵が盗賊の取り締まりをしても、治安は一向に良くならない」

「危険には慣れている」

「ええ、そうでしょうね。でも、普通の状況ではないから、忠告しているのよ」

「分かっている。肝に銘じておくよ」

 ロイは帽子を被った。

 

 セフェウス領アゲミンの村から北東に向かって2日歩いた先に、セフェウス伯爵の屋敷があるアルデラミンの街。そこからまた数日歩いた先に、カシオペイア領ツィーの港がある。ツィーは、アーカディア王国の海の玄関口であり、重要な貿易港でもある。ただ、ロイがそこを目指すことに大きな意味はない。あえて意味を見いだすなら、傭兵の仕事だろうか。人や物資の流れの多いところでは、その護衛や街周辺の治安に関する仕事も多い。

 2日後の早朝。ロイは、街への通行税を節約するために、アルデラミンの街を素通りした。ジルの話では、ここからツィーの街へ続く街道の治安が悪化しているという。その街道はツィーへの最短ルートであり、本来なら栄えていてしかるべきであり、実際、小さな村が幾つもある。だが、ならず者たちが現れたということで往来の人は減り、街道は寂れていった。

 アルデラミンの隣村クルハに差し掛かった時、ショートソードあるいは、フレイルという長短の棒を短い鎖でつないだ武器を持った若者が2人、収穫の終わった麦畑の中に積まれたわら山に寝そべっていた。彼らは地元の人間のようだが、傭兵には見えなかった。むしろ、盗賊に近い。しかし、盗賊が明るい内から人目のつく街道沿いにいるはずもない。

 そこにロイが通りかかった。くたびれた服を着た彼は、とても金を持っているようには見えないが、若者たちには関係ない。通りすがった獲物からは、たとえわずかでも金品を獲りたいようだ。2人はわら山から起き上がり、ロイの行く手を遮るかのように道の両脇に立った。ロイから見て右側にフレイルの男、左にショートソードの男が立つ。ロイは足を止めた。

「おっさん。ここを通るには、通行税が必要だぜ」

 ショートソードの男が言った。ロイは顔を上げた。目深にかぶった帽子の下から、表情のない顔が現れた。2人は、表情の窺えないロイに些かの恐れを見いだした。2人は互いに顔を見合わせ、フレイルの男が改めて、

「耳が聞こえないのか? 金を出せと言っているんだ」

という。ロイは表情を見せず、

「その金があれば、街に立ち寄っている」

と答えた。2人は舌打ちし、ロイに襲い掛かった。

 ロイは、マントを跳ね上げながらカットラスを抜いた。突きを仕掛けてきたショートソードの男に対して、ロイは剣を右下から左上に振り上げて相手の剣を払いのけ、すぐさま剣を頭上で構えなおして、右上から左下に振り下ろした。その男は地面に倒れ、動かなくなった。

 ロイは、フレイルの男と対峙した。フレイルは、長い柄の先に棍棒を金属の輪や鎖でつないだ武器だ。元は麦などの脱穀に使った農機具で、柄を大きく振り回すと、棍棒はさらに早く強い打撃を相手に与えることができる。場合によっては、金属の鎧でさえ無意味になるくらいだ。ただ、棍棒の不規則な動きは、時として振るった本人に返ってくる場合もある。それだけに扱いは難しい。

 ロイは、振り下ろされるフレイルの棍棒を剣の切っ先で跳ね返した。その時、鈍い音がした。しかし、フレイルが左から振り回されたため、ロイは後ろに下がりながら、棍棒を剣先ではじき返した。気を付けなければいけないのは、跳ね返した棍棒が、柄との接続部を軸にして回転し、予想外のところから襲ってくることだ。そのため、1回弾いた棍棒を、返す剣ですぐに受け返さなければならない。ただ、対応しにくい武器ではあったが、それを振るっているのは素人だ。

 ロイは、相手のフレイルの棍棒を地面に当てさせた。そして、棍棒を右足で踏み付けてから、男との距離を詰めた。男はフレイルを手放さなかった。しかし、フレイルで防御しようとする前に、ロイの剣がその腹を突いていた。男は刺されてから防御しようと、身体に剣が刺さったままフレイルを動かそうと、体を右に捻らせた。どうにかしようとあがいた結果だろう。その時、鋭い音と共にロイの剣が軽くなった。ロイはあっという顔をしたが、手遅れだ。剣の先端が4分の1ほどのところで折れたのだ。しかし、男が抵抗する素振りを見せたので、折れた剣を振り下ろして斬った。

 倒れた男はロイを見上げ、息も絶え絶えに言った。

「畜生。俺たちを斬って、ただで済むと思うなよ。この界隈は、テオドールさんの縄張りなんだ。あの人がその気になれば、この界隈の人間が全員動いて、お前なんか、あっという間に囲まれて殺される。お前はどのみち、お終いなんだよ」

 ロイは折れた剣を、何事もなかったかのように鞘に納めた。そして表情を変えず、落ちているフレイルを拾い上げると、鎖の部分を男の体に残っている剣の欠片に巻き付け、一気に引き抜いた。男の顔が歪み、身体が一瞬浮いたが、すぐに静かになった。ロイは引き抜いた剣の欠片に付着した血を、男の服で拭った。そして背負っていた荷物袋の中の木箱に納めた。

 ロイは顔色を変えずにその場を去った。しかし、その内心はかなり焦っていた。唯一の武器が使えなくなった今、彼は非常に弱い立場に立たされた。今、追っ手に掛かれば、間違いなく命はない。早急に武器を手に入れなければならないが、このあたりに土地勘のない彼には、この先を進むか、来た道を戻るかの二択しかない。アルデラミンの街に戻れば武器屋はあるが、ツィーの港に向かうために再びここを通ることになるだろう。それよりは、目立たないようにしながら先へ進んだ方が良い。彼はそう判断した。幸い、カットラスは鞘に収まっている限り、折れているようには見えない。ロイは、ただでさえ人の往来の少ない街道の、さらに裏道を通ることにした。

 

 アゲミンの村のジルの家。ウォリディは、朝食を並べたテーブルを前に、物憂げな顔でジルと対面していた。

「今朝の調子はどうかしら?」

 ジルは、ウォリディの心の中をのぞき込むように、彼女の目を見ながら聞いた。彼女は視線を机の上に落としながら、

「大丈夫です。ジル先生のおかげで、気分は大分落ち着きました」

「それは良かった。ところで、私はこの2週間、あなたを指導してきた。元々魔法が使えるあなただから、魔道士として問題なくやっていけると思う。今のあなたを妨げているものは、経験不足。それを、ここで学ぶことはできないわ」

「はい」

「ウォリディさんは、これからどうしたいのかしら? 彼を追いかけたい? それとも、森へ帰りたい?」

 ジルはウォリディの意思を確かめるように、彼女の目を見ながら聞いた。彼女は視線を机の上に落としたが、意を決したように顔を上げ、

「私は、ロイを追いかけたいと思います」

 ウォリディの決意を聞いたジルは、複雑なため息をついた。ウォリディが立ち直ったのはうれしいが、ロイについていくことは、再び危険に飛び込むことだ。そしてそれ以上に、自分たちの事情に彼女を巻き込むことになる。それでも反対しないのは、それが彼女とロイの運命に違いないと考えているからだ。

「…分かった。私はあなたの決断を尊重するわ。とはいえ、今から彼を追いかけるのは難しいから、こういうものを作ったわ」

 ジルはそう言うと、服の左ポケットから丸い小物を取り出し、ウォリディに差し出した。それは、丸いケースに入った方位磁針のようなものだ。北の位置には小さな黒曜石、南の位置には小さなルビーがはめ込まれている。しかし、見た目は方位磁針でも、針は南北を指さず、先端の赤い針は北東を指していた。ウォリディはそれを受け取り、

「これは?」

「方位磁針に見えるけど、実は、ロイのいる方角を教えてくれるアイテムよ。正確には、彼の持っているペンダントの位置ね。特に魔力を込めなくても使えるわ。ただ…」

「ただ?」

「仮の話だけど、針がどちらかにぐるぐる回り続けていたら、その時は最悪の事態を覚悟して」

「最悪の事態とは、なんですか?」

「ロイが死んだ場合よ。あのペンダントは、彼だけが使えるようにしてあるから、持ち主が死ぬと、ペンダントの機能も止まってしまうの。そうなると、この針は居場所を探そうとして、魔力が残っている限りいつまでも回り続ける」

「じゃあ、今は生きている、と言うことですね」

「そうね。とりあえず、生きていると判断はできる」

 ジルの説明を聞いたウォリディは、方位磁針を胸に抱き、

「じゃあ、彼を追いかけます」

「その前に、朝食。忘れないで」

 ジルは、パンを手にしながら言った。


 ロイは、遅めの朝食を取ろうと、道沿いの宿に入った。宿には大抵1階に食堂があり、宿泊者でなくても食事ができるようになっている。とはいっても、食べられるものはほとんどの宿で、堅いパンと野菜類、水、干し肉だ。この時代の食品は長期保存が難しく、鮮度の良いものは高価なので貴族などのところへ行ってしまい、庶民にはほとんど手の届かないものが多い。

 宿の食堂は数人が食事していたが、商人らしき人間はいなかった。ロイと同じような傭兵か、行く当てのない旅人のようだ。4人がけのテーブルが3つあり、他にカウンター席が3つ。各テーブル席にはすでにそれぞれ1人座っていたので、ロイは先客のいないカウンター席を選んだ。

 カウンターには、身体の大きな男がいた。屈強な肉体もさることながら、額の上に2本の大きな角が生えている。典型的なオーガだ。彼が店主のようだ。

「今日は芋とマメとチーズしか用意できないが、それでも良いか?」

「それで良い」

 ロイは店主と短く会話する。店主はカウンター奥の若者に食事の用意を指示した。

「ご主人。このあたりに武器屋か、鍛治屋はあるか?」

 ロイは、カウンターで店内ににらみをきかす店主に聞いた。

「この村にはないな。アルデラミンの街になら、ある」

「ツィーの港の方では?」

「ないな。そういえば、街道から少し外れたところにドワーフが住み着いて、彼が鍛治屋をやっていると聞いた。3つ先の村だ。武器の具合でも悪いのか?」

「商売道具を手入れしたい」

「なるほど。しかし、それなら面倒でも街へ戻ったほうが良い。この先の治安は、お世辞にも良いとはいえない」

「と、いうと?」

「この先は盗賊まがいの連中が多くて…」

 その時、厨房から若い男が料理を運んできた。蒸かした芋とチーズの塊、マメのスープだ。若い男はやや背が低い。彼はロイの前に食事を置いた後、すぐに厨房の奥に消えた。愛想がないのはともかく、運び方、置き方全てがやや乱暴だった。

「彼は息子さんですか?」

「いや。今月から住み込みで働いている。さっきの話だが、盗賊まがいの連中が多くて、領主たちも手を焼いているそうだ」

「そこまで困っているのなら、領主なら、軍隊でも出せば良いのでは?」

 ロイは、芋の皮をむいて食べながら、聞いた。

「ところが、うまくいかなかったのさ。奴らは賢いのか、末端の小者は捕まっても、リーダーは捕まえるどころか、その顔さえ見た者がいないそうだ。こんな状態が、すでに40年も続いている」

「それほどに大きな組織なのか?」

「それが、実体はそうじゃないらしい。元々は小さな村ごとに縄張りを持つ、ならず者の集まりだったが、互いの衝突を避けるために、そういった連中をまとめ上げる組織を作ったようだ。だから、実態がつかみにくいらしい」

「烏合の衆なら、そのリーダーが代わったときに、揉めたりもするでしょう」

「ところが、その時のリーダーが、今も君臨しているそうだ。生きているなら、すでに7、80だろうに」

「なるほど。この先、相当危険なようですね。そのリーダーの名前は?」

「ここに来る奴らの手先は、テオドールと呼んでいる」

 オーガの店主は、唇を噛みしめながら答えた。どうやら、定期的に金を巻き上げられているようだ。いかに体格に恵まれている彼でも、多勢に無勢では、おとなしくみかじめ料を払わざるを得ないのだろう。しがらみのないロイには分からない苦労だ。

 ロイは食事を終え、金を払って宿を出た。

 異変は、しばらくしてから起きた。身体が急に重く感じ始めたのだ。足首にも微かに痛みがあった。これは、明らかに普通ではない。口にしたものに原因があるのは確かだ。そして、食あたりの症状とはどうも違うようだ。そしてたどり着いた結論を、別の形で知ることになった。

「どうやら毒が効いてきたようだな」

 背後から、足音とともに声がした。ロイは足を止め、振り返った。宿の厨房にいた若い男だ。右手に、銀色に輝くショートソードが握られていた。

「毒?」

「そうだ。水に毒を入れておいたのさ。3日後に死ぬ毒だ。お前は助からない」

「どうして、毒を?」

「お前を殺して名を売るためさ。お前は強そうだからな。普通じゃ絶対に勝てないだろう。だが、俺は下っ端の器じゃない。大物になるんだ。だから、お前のような強い奴を倒して、実績を作らなきゃいけない」

「お前もならず者の一味か。じゃあ、あの宿の主人も?」

「あいつは、ただ身体がでかいだけの臆病者だ。家族が大切だからと、簡単に用心棒代を払ってくれるぜ。お前もどうせ死ぬなら、俺のために死んでくれ!」

 若者が剣を振り上げ、駆けてきた。ロイは剣を抜きかけたが、折れていることに気づいて手を下ろした。毒のせいで身体が思うように動かないところはあるが、この若者への対処はできた。身体を左に寄せ、右手でマントを翻した。振り下ろされる剣を右へ流し、若者の背後へ回り込む。何も考えずに剣を振り下ろした若者は、勢い余って転んだ。その間にロイは剣を鞘に入れたまま持ち、鞘の剣帯を手に巻いて、剣が抜けないようにした。そして、体勢を立て直した若者が再び向かってこようとする前に、その右腕を剣で上から叩いた。若者はショートソードを落とした。ロイは間髪入れず、若者の左側頭部に剣を振るった。若者は悶絶し、地面に突っ伏して藻掻いた。

 ロイは、左手でショートソードを拾い上げた。思いのほか軽く、切れ味の良さそうな剣だ。片手で持つ剣としては、かなり良いものだ。そして、若者の腕には不釣り合いな業物だ。

「解毒剤は持っているか?」

「そんなの、持っているわけが無いだろう」

 若者の返答に、ロイは鞘のままのカットラスを叩き付けた。叩かれてもなお、薬は無いという。薬を隠し持っているかもしれないと考えたが、本当に持っていないようだ。

「腰の鞘を外して、こっちに出せ」

 ロイは、ショートソードを若者に突きつけ、静かに命じた。若者は黙って鞘を外し、ロイに差し出した。実力差が分かったのだろう。頭から血を流している若者は、素直だった。もちろん、若者がまだ仕掛けてくるつもりなら、ロイは容赦しないつもりだ。

 ロイは自分の剣を腰に戻し、奪い取ったショートソードを、若者が差し出した鞘に入れた。そして、それを左手に持って歩き出した。若者は、頭に受けた打撃がまだ効いているらしく、地面にうずくまったままだ。

 ロイは先を急いだ。若者の視界から消えたあたりで道を左に外れ、身を隠せそうな場所を探した。幸い、近くに森が見えた。森の中に入り、外から見えないあたりまで進んだところで、適当に身体を預けられる木を見つけ、滑り落ちるように腰を下ろした。背中から下ろした荷物袋から毒消しの飲み物を探し、一気に飲み込んだ。あとは身体を休め、毒が抜けるのを待つしかない。

 だが、若者の言葉が気になった。3日後に死ぬという毒など、聞いたことがない。ただの脅し文句なのか、未知の毒なのか。また、手持ちの毒消しが効かないかも知れない。どちらにしても、彼にできることはなく、ただ耐えるしかなかった。


 ウォリディは、人の姿でアルデラミンの街に立った。ロイが2日かけて来た道を走ったり、飛んだりしたわけではない。ジルの転移魔方陣が、この街にも用意されていたので、彼女に送って貰ったのだ。ここからは、方位磁針を使ってロイの行方を追うことになる。

 ジルからは、この街の外の治安について話を聞いていたので、認識阻害魔法を使用した。お陰で、街の出入りはほぼ自由だ。磁針の指す方に向かって歩みを進める。道中、麦畑に集う兵士や村人をよそに、街道を北東に進む。ところが、小さな集落を抜けたあたりで、針が急に道から左へ外れだした。その先には小さな森があった。

 ジルの作った方位磁針に間違いはないだろう。ロイがペンダントを手放していない限り、彼はそこにいる。しかし、何故? ウォリディは針の指す方向、森へ足を向けた。時間はすでに夕刻。森の中は、さらに暗かった。森の住人は少ないのか、獣道も見当たらないほど地面は荒れていた。そして、どこかから微かな声が聞こえた。声は、呻き声だ。彼女には悪い予感がした。呻き声の聞こえる方と、磁針の指す方向が同じだからだ。そして、彼女の悪い予感は現実のものとなった。

 大きめの木に寄りかかって座っていたロイは、目を閉じ、浅い呼吸を繰り返していた。大量の汗をかいている。眠っているようだが、何かで苦しんでいるのは間違いない。近くに金属製の瓶が一本落ちていることから、薬は飲んだようだ。

「光よ。暗闇を照らせ」

 ウォリディは両手を上に上げ、光球を作り出した。光球は彼女の手から少し上昇し、2人の周りを照らした。彼女は、スカートが汚れるのもいとわずロイの右横に膝をつき、声をかけた。

「ロイ。大丈夫? 何があったの?」

 ウォリディの声に反応して、ロイが薄目を開けた。

「姫……(それがし)もようやく、あなた様のところへ」

「何を言っているの? 私よ。ウォリディ。何があったの?」

「ウォリディ? どうしてここにいる?」

「あなたを追いかけてきたのよ。一体、どうしちゃったの?」

「毒を盛られた。3日後に死ぬというやつらしい。毒消しを飲んだが、あまり効いてない」

「分かった。すぐに解毒するわ」

 ウォリディは解毒の魔法を使った。彼女がロイと初めて会ったときに使った魔法だ。

「癒やしの精霊よ。かの者の身体を蝕む毒を取り除き給え」

 彼女が魔法をかけると、ロイの身体から紫色のもやが立ち上がった。ただ、もやの立ち上がりが弱く、量も少なかった。まるで、彼の身体の中の何かが、毒のもやが出ていくのを邪魔しているようだ。

「どうなっているの? 毒が抜けない」

「飲んだ毒消しも効かないくらいだ。仕方がない」

「ちょっと待って。調べてみるから」

 ウォリディは、ジルから習ったばかりの鑑定の魔法を使った。相手の魂を読み取るだけでなく、体調なども見ることができる。見ると言っても、実際は感じる、と言うのが正しい。

「何これ。薬の効きを悪くする呪いですって?」

「どうにかできそうか?」

「分からない。今、毒抜きはやったけど、呪いの解除なんてできないわ。ジルさんに相談してみましょう。ペンダントは?」

「袋の中だ」

 見れば、ロイの左側に大きく口の開いた荷物袋がある。蓋の開いた木箱も落ちていて、毒消しや回復薬などが入っていた。ペンダントはなかったので、ウォリディは袋の中をあさり、別の木箱を取り出した。その中からペンダントを見つけたが、同時に布に包まれた奇妙なものも見つけた。指先で鋭利なものを感じ取り、丁寧に布を外すと、刃物の先端が現れた。

「何よこれ。まさか、剣の先っぽ?」

「ああ、そうだ。剣が折れた」

 ロイは息も絶え絶えに答えた。

「毒を盛られた上に、剣も折れたの? どうしてこんなことに…」

 ウォリディはひどく狼狽しながら、ロイの右手にペンダントを握らせた。

「さあ、ジルさんに呼びかけて」

 ロイは迷ったようだが、ペンダントを通話できる状態にした。

「ジル。聞こえるか?」

 しばらくして、ジルから応答があった。

「ロイ。どうしたの?」

「ああ、ちょっと問題が発生した」

 ロイは、自分の状況をはっきり言おうとしなかった。ウォリディはもどかしくなって、

「ウォリディです。彼、毒を盛られました。それに、剣が折れて、武器が使えません」

「どういうこと? 剣が折れて、毒を盛られた? まあ、すぐにどうにかしなければいけないのは毒の方ね。解毒はした?」

「解毒剤は飲んでいます。私も解毒魔法を使いました。だけど、効果がないんです」

「毒の種類は分かる?」

「分かりません。ロイによると、飲むと3日後に死ぬ毒だそうです」

「3日後? 毒を盛られたのは何時?」

「今朝だ。午前中。宿で出された水に入られていたんだ」

「午前中? 今まで何をしていたの? もうすぐ夜よ。即効性の毒だったら死んでいるところじゃない。3日後という言葉だって当てにならないわ。ウォリディさん。彼をアルデラミンまで連れてこられそう?」

「無理です。私に転移魔法が使えたら良かったのですが。今いるところは、街から半日くらいのところです」

「では、彼から血を採ってちょうだい。布か何かに染みこませれば良いわ。それを持って、アルデラミンまで来て。そこで落ち合いましょう。彼は……結界か何かで誰にも見つからないようにして。ロイ。あなたは絶対安静にしていること。回復薬を持っているなら、それを飲んでおいて。滋養強壮になるから」

 ジルは指示を出してきた。

「分かりました」

 ウォリディはジルとの交信を終えた。ペンダントを箱に戻し、代わりに裁縫道具と雑布を取り出した。

「ちょっと痛いかも知れないけれど、すぐに治癒魔法をかけるから、我慢してね」

 ウォリディは裁縫道具の針を使って、ロイの親指の先から小さな血を出させた。それを雑布に吸わせ、すぐに親指に治癒魔法をかけた。ロイは回復魔法は効きにくいが、元々体の持つ仕組みにより血はすぐに止まった。裁縫道具を箱に戻し、別の箱から回復薬の入った瓶を取り出して蓋を取り、ロイの口元に持って行く。ロイはそれを左手で受け取り、回復薬を飲んだ。

 ウォリディは瓶に蓋をして箱に戻した。そして立ち上がり、周囲から木の枝を6本拾うと、ロイを大きく囲うように枝を地面に刺した。上から見ると六角形になっている。彼女はその中に入り、両腕を前に突き出し、

「大地の精霊よ。森の精霊よ。私と彼を害する悪意を遠ざけ、また、あらゆるものの目を閉じさせ、耳を遠ざけ、この地を守りたまえ」

と唱えた。六角形の陣地に魔方陣が浮かび、一瞬光った。これで、この空間は、3日間は周囲からも認識されないだろう。ウォリディは再びロイの横に膝をつけ、彼の頭と肩を抱え、ゆっくりと右に倒した。

「さあ、ロイ。今はゆっくりと身体を休めて。私はジル先生のところに行って、解毒剤を見つけてくるわ」

 木の根をロイの枕とし、彼のマントをブランケットの代わりに身体に掛けると、ウォリディは宙返りした。一瞬のうちにピクシーの姿になったウォリディは、上に向かってまっすぐ飛び上がり、木々の上をアルデラミンの街を目掛けて真っ直ぐに飛んだ。そこから街までは、直線でおおよそ1時間の飛行だ。歩くよりははるかに早いが、一刻も争う状況ではもどかしい。こういうときこそテレポート魔法がほしいと思うが、その魔法はかなり高度な技術が必要で、一朝一夕には習得できない。おまけに上空は風が強い。街の明かりが見えるのは西の方角、右前から強めの風が行く手を阻む。加えてその風は恐ろしく冷たく、頬がすぐに硬くなった。

「風よ。私を包み、私を前に押せ」

 ウォリディは風の魔法を自分の身体にかけ、前から吹き付ける風を打ち消した。加えて今まで向かい風だったのが、追い風に変わった。これで先ほどより早く飛ぶことができる。

 思っていたより早く街の上空にたどり着いたウォリディは、認識阻害の魔法を自分に掛けながら、街の中心にある噴水の広場の西側にある3階建ての建物に近づき、開いている2階の窓から室内に入った。そこは、魔道士協会の建物だ。ジルは宮廷魔道士として登録されており、時折この街の魔導士協会でも相談役をしている。ウォリディの飛び込んだその部屋は物置で、ジルの転移用魔方陣が隠されていた。実際、そこにはジルが魔法の光球を右手に持って待っていた。ウォリディは人のサイズに戻った。風を纏っていたとはいえ、かつて無いほどの早さで飛行したウォリディは肩で息をしていた。

「ジル先生。ロイが…」

「血は採ってきてくれた?」

「これです」

 ウォリディは血の付いた雑布をジルに差し出した。ジルはそれを左手で受け取り、右手をかざした。

「これは、毒に加えて、呪いが掛けられているわね。とにかく、詳細を調べるために、家に戻りましょう」

 ウォリディとジルは、転移魔方陣を使ってジルの家に移動した。


 夜更けの森。結界で守られているとはいえ、ロイは、ショートソードを抱えて眠っていた。眠っていたというより、ほとんど気を失って倒れていた。おぼろげな記憶では、ウォリディがいて、薬を飲んで……後は何があっただろうか。結界だ。彼女が結界を張ったから、気を失っていても大丈夫だったのだ。結界が無かったら、今朝のならず者や、宿の若者の仲間が仕返しに来ることだろう。彼らだって仲間をやられて、そのままにしておくはずがない。ロイを追って、あたりをくまなく探し回っていることだろう。

 ガサガサと足音がした。いつもの彼なら逃げるところだが、今は寝返りを打つことさえ億劫なほど、身体が言うことを聞かない。松明の明かりらしいものが時々顔を照らしたようで、目を閉じていても、明かりが動くのが感じられた。しかし、足音は絶えず動き回り、ロイの存在に全く気付いていないようだ。これが、ウォリディの張った結界の効果のようだ。

「これだけ探しても見つからないのなら、もう遠くへ逃げてしまったのでは?」

「ああ。だが、街道だけでなく、この近くを徹底的に探せ、という命令だからな」

「しかし、本当にこちらへ逃げてきたのだろうか? アルデラミンに向かった可能性はないのか?」

 男2人の声は移動し続け、離れたり近づいたりしながら続いていた。ロイは、静かにゆっくりと、木にもたれながら立ち上がった。その右手はショートソードのグリップを握っていた。

「そうだな。俺も、逃げた男をここまで探す必要があるのか疑問だ。やられた2人は下っ端の、見張りしかできない奴らだ。だが、今回の命令は大ボスのテオドールさんからだという。ヘルマンさんが直訴したらしい。そりゃあ、手下がやられたんじゃ、ヘルマンさんも示しが付かないからな」

「そのテオドールさんだが、どういう人なんだ?」

「俺も知らない。会ったことがあるのは、ヘルマンさんみたいな各村のボスだけらしい。顔を見た奴もほとんどいないそうだ」

「だが、半端なく強いのだろう? なんと言っても、この周辺の20の村を牛耳っているのだから」

「だが、相当の年齢の筈だ。40年も前から大ボスに君臨しているそうが、それが本当なら、もう70くらいにはなっているだろう。だが、大ボスが誰かと交代したという話は聞かない」

「嘘だろう。70にもなって、まだ現役だと? どれだけ強いんだ」

「とにかく、このあたりの抗争を収めて大ボスに君臨している人だ。それに逆らうようなまねはできない。だが、このまま闇雲に探し回ることに意味はあるのかは、疑問だ」

「ヤコブだったか? あの若造が、毒を飲ませたから遠くには行っていない、と言うから、こんな森の中まで探しているというのに」

「あいつ、脳しんとうを起こして倒れていたな。頭が混乱していたのじゃないか? そもそも、あいつは入って1年足らずの新参者だ。ヘルマンさんに取り入ろうとして、適当なことを言っていたのかも知れない」

「そういう奴の言い分を、まともに聞いても仕方がない。この森の捜索なんかやめて、他を当たろうぜ」

 そう言った男の足下で、パキッと言う音がした。森の中なので、枝を踏んでもおかしくは無い。ただ、彼が踏んだのは、ウォリディが張った結界用に立てられた小枝だ。

「誰だ!」

 男が息をのみながら言った。目の前に突然ロイが現れたからだ。ロイにしても、結界の効果が急に無くなってびっくりしたところだが、毒のせいか、ほとんど表情には現れない。男2人が近くにいたことは分かっていたので、彼の次の動きは早かった。すぐにショートソードを抜き、右側の男の胸に突き立てていた。

「お前が、毒を飲まされた奴か?」

 残った男がショートソードを抜いたが、ロイは答えることなく、剣を右から左へ水平に走らせた。男はうずくまりながら前に倒れた。ロイは、男の服でショートソードの血を拭い、鞘に戻した。

追っ手は倒したが、結界が破られた以上、ここに止まることは出来ない。ロイは、薬の入っていたビンを箱に戻すなどして荷物をまとめた。カットラスは剣帯を結び直して背負い、荷物を背負い、ショートソードを腰に付け、マントを羽織り、帽子をかぶった。

2人の男の話は、宿の主人の言っていたこととほぼ同じだった。この2人をまとめているのはヘルマン。そして、周辺の村でも同じように、それぞれに似たような集団がいて、それらをまとめる大ボスがテオドールというらしい。しかも年配だというのに、まだかなりの実力を持っているようだ。ツィーの港までは、まだいくつもの村を抜けなければならない。だが、武器は使い慣れないショートソードだ。

 ロイはどうするか迷ったが、来た道を戻ることにした。


 ジルの家に戻った彼女とウォリディの仕事は、ロイに盛られた毒の種類を突き止めること、あるいは解毒の手段を見つけることだった。ジルがロイの血から感じ取ったのは、毒自体はありきたりな神経毒で、解毒剤で対処できる筈のものだった。それが効かないのは、ウォリディの言うとおり、呪いの効果のようだ。ただ、どういう呪いなのかは不明だ。呪いの種類を確かめ、解除する方法を探ることが最初の仕事のようだ。

 転移の部屋をでて、廊下を挟んだ右向かいの部屋に入る。そこは、壁に本がずらりと並んでおり、ジルが書斎として使っている部屋だ。

「まずは、呪いの正体ね。あなたはどう見たの?」

 ジルはウォリディに聞いた。

「私は、効きを悪くする呪いだと思いました」

 ウォリディは自分の中の答えを言った。

「私もそう感じたわ。それほど強い呪いではないとは思うけど、種類を調べないと。仮に解呪できたとしても、毒との関係も十分検討しないといけないわ」

「どうしますか?」

「私は呪術の種類を調べてみるから、あなたは、3日以内に死ぬという毒の記録を調べてもらえるかしら。本を片っ端から調べるしか無いけれど」

「分かりました」

 答えたウォリディだが、どの本から読めば良いか分からず、左の壁の、左上の本を1冊ずつ取り出してはページをめくる、という事を繰り返した。

「それにしても、どうして死ぬまで3日なのでしょう? 毒なら普通、即効性が大切だと思うのですが。3日も掛かっていたら、毒消しの処置をされますよね? 病気に見せかけるのなら、もっと長い時間を掛けるものですし」

「それは確かに、私も疑問に思っている事よ。毒を用いるのは、素早く確実に相手を殺すためのはずなのに、そうしなかったのは何故かしら? まるで、毒で殺したくはない、みたいな…」

「つまり、毒は、ロイを弱らせるために使ったと言うことですか?」

「そうね。彼を別の方法で殺したかった。多分、斬り合いで勝つためね」

「何故ですか?」

「それは、武人としても矜持か、あるいはギャング内部での序列を上げるためか。どちらにしても、弱肉強食の世界では、とにかく自分を強く見せたいわけよ」

「そんなことで、彼は毒を盛られたのですか?」

「そう。馬鹿げた話よ。まあ、毒を使った理由は推測できたけれど、毒の正体がまだね」

「さっきも言いましたけど、毒って、普通は即効性があるのですよね? わざわざ効きが遅くなるようにする意味って、何でしょう?」

「遅くなることに意味があるとすれば、発覚しないようにするためか。或いは、その人を苦しめることかしら。3日後に死ぬと言われたら、どう思う?」

「自分の命が残りわずかだと知ったら、私は恐怖のあまり発狂するかも知れません」

「そうね。そういうことを目的にする使い方ということは拷問、あるいは刑罰ね。そう……そうだわ。刑罰よ」

 ジルは珍しく声を上げた。

「刑罰ですか?」

「そう。何百年以上も昔に、そういう刑罰があったのよ。今は行われていないと思うけど。歴史の本に書いてあったと思うわ」

 ジルは、ウォリディの探している場所とは別の書棚を見て、幾つかの本を取り出した。それは、魔法に関する歴史の本のようだ。本を開いて目次を確認し、ページをめくると、目的の文書にたどり着いたようだ。

「あった。毒による処刑はもっと昔から行われていたけれど、呪いの付加は、毒の効果を意図的に遅らせて、死刑囚に死の恐怖を与えることを目的としていたそうよ」

「そういう処刑方法は、昔からあったのですか?」

「ええ。ただ、呪いの付加を使った毒殺刑は、古代の魔法の得意な種族が主に使っていたようね。人族の都市では、一般的ではなかったはずよ」

「その種族というのは?」

「エルフやドワーフといった、魔法が得意で寿命の長い一族ね」

「ジル先生は、いろんなことを知っていますね」

「私も長い人生経験があるのよ。とにかく、この呪いのかかった毒薬に対する治療法を見つけないと」

 ジルは、さらに書棚の本を漁った。


 ロイは、まだ暗い道を進んだ。所々で遠くに見える明かりを避け、夜明け直前のわずかな明かりを頼りに道を進む。毒の影響で早く歩けない彼には、この明るさで十分なのかも知れない。

 回復薬は、滋養強壮効果があるため、今はまだ体が動く。ウォリディの解毒魔法のおかげもある。問題は、折れたカットラスだ。

 おそらく、毒を飲ませたのはヤコブという若者なのだろう。彼から奪ったショートソードがあるが、ロイの戦い方では、扱いづらいのが正直なところだ。しかし、剣を直すにしろ、新調するにしろ、武器屋か鍛冶屋を捜さなければならない。土地勘の無いところでは、困難な話だ。

 ロイがたどり着いたのは、前日の午前中に立ち寄った宿屋だ。朝食の準備のためか、1階の一部の部屋は明かりが点っていた。ロイは宿に強引に入った。突然の訪問に、宿の主人であるオーガは驚き怯えていた。ロイを強盗か何かと思ったのだろ。だが、ロイには主人の誤解を解く時間は無い。

「ヤコブはいるか?」

「いや、ここにはいない。朝、急に飛び出していったきり。ヤコブが何か?」

「あの男が俺を殺そうとしたので、叩きのめした。今朝は見逃してやったが、あの男に聞きたいことがある」

 ロイは言った。宿の主人は、ロイが強盗では無いことは分かったものの、警戒心は解いていない。

「あなたは、今朝の…。あなたには申し訳ないが、あいつが何をしようと、私には関係無い」

「俺も、そのことを責めるつもりは無い。俺が聞きたいのは、この剣を作ったのが誰かということだ。これはヤコブが持っていたが、あの男には不釣り合いな業物だ」

 ロイは、腰のショートソードを抜いて逆手に持ち、刀身を床に向けながら聞いた。

「そう言われても、あの男は雇って間もない奴だし、あいつの剣を誰が作ったかなんて、知るはずも無い。武器が欲しいなら、街に行けば良い」

「それは難しい。ヘルマンという男の手下を斬ったせいで、奴らに追われている。ヤコブも奴の一味らしいが、ご主人もか?」

「ちょっと待った。街の入り口の奴らを斬ったのは、あなただったのか? それなら話は別だ。是非協力させて欲しい」

「どういうことだ?」

「おおよそ分かっているだろうが、この周辺ではごろつきどもに色々な理由で金を巻き上げられ、暴力を振るわれている。しかも、村毎にそういう集団がいる。この村を牛耳っているのはヘルマンというのだが、そいつに少しでも意趣返しが出来るのなら、これほどうれしいことは無い。鍛冶屋のところまで案内しよう」

「それはありがたいが、宿のことは?」

「大丈夫だ。家族に任せれば良い。私はギーゼルベルト」

 宿の主人は言った。体力の消耗や残りの時間を考えると、ロイはその提案に乗るしか無い。

「俺はロイだ」

 ロイは、剣を鞘に収めた。


 日の出の時間は過ぎ、外はすでに明るくなっていた。ロイは、主人が御者を務める1頭立ての荷馬車の荷台に乗ることになった。水を入れる樽や野菜の入った木箱に隠れるように座り、さらに覆いを被せて追っ手に見つからないようにした。

「ギーゼルベルト。この辺りでならず者がこれほど好き勝手やっているのに、領主は何をしているのだ?」

 ロイは覆いの下から、宿の主人に聞いた。

「それは、あいつらが村の若者だからだ。いくら素行不良だからって、自分の息子を役人に突き出せる人間はいない。だが、だからこそ、治安は一向に良くならないのだ」

「それで、ヘルマンというのは、この村のならず者のリーダーなのか?」

「そうだ。そして、ゴロつきどもは村単位で縄張りを決めていて、それぞれにリーダーがいる。そして、そのリーダー達をまとめているのがテオドールだ。今も生きていれば、80前の老人だ」

「死んだのか?」

「生きているということになっているが、本当のところはリーダー達以外には分からないだろう。最近は誰も見ていないらしい。年齢を考えれば、引退しているか、死んでいてもおかしくない」

「テオドールの跡継ぎはいないのか?」

「いないだろう。いるとすれば、各村のリーダーの誰かだが、突出して強い奴はいないからな。いなくなれば、後継ぎ争いでこの辺りはさらに混沌となるだろう」

「一応聞いておくが、あなたの息子は、連中の中にはいないよな?」

 ロイは恐る恐る聞いた。ギーゼルベルトは笑い、

「安心してくれ。あの中にはいない。むしろ金を取られている側だ」

「それなら安心だ。遠慮なしに剣を振れる」

「ロイさんにお願いがある。ヘルマンでも、違う奴でも良い。リーダー格の奴を倒してくれ」

「テオドールはどうする?」

「生きているかどうか分からない奴だが、ついでに頼めるか?」

「ついでか……順序が逆だと思うが」

 しばらくして、ギーゼルベルトが小声で話しかけてきた。緊張した声だ。

「まずい。アルバハット村の連中だ。刀鍛冶の家はもう少しだというのに」

「何人だ?」

「2人だ」

「ギーゼル。俺は勝手に馬車に忍び込んで隠れている。ギーゼルは何も知らないふりで良い」

 そして、馬車は止まった。

「お前は確か、クルハ村の宿の主人だな。どこに行く?」

 おそらく馬車を止めた男の声だ。もう1人いるらしい。

「水を汲みに行く。いつも通っているだろう?」

 ギーゼルベルトが答える。

「こんなに朝早くにか?」

「急に足りなくなったんだ。何かあったのか?」

「ヘルマンのところの若い奴が、通りすがりの剣士に殺されたと大騒ぎだ。よその奴がやられようと知ったことじゃないが、テオドールさんの指示じゃ、俺たちも動かざるを得ない」

「だから、積み荷を改めさせて貰うぜ」

 もう1人の男の声がした。荷馬車に被せられていた覆いがめくられようとしている。

「待て。お前たちにそんな権限があるのか?」

「あるさ。ここらでは俺たちが法…」

 馬車の左側にいた男の言葉は、突然大きくめくれて被さってきた荷馬車の覆いに塞がれた。その上から男の胸板に、ショートソードが突き立てられていた。

「静かにしろ。眠れないだろう」

 ロイは、剣を突き刺した男に言った。そして御者を務めるギーゼルベルトに向かって、

「勝手に乗り込んで悪かった。そいつらは俺を探しているらしいから、ここで降りる。好きなところへ行ってくれ。その前に…」

 ロイは剣を男から抜いて、後ろから荷馬車を降りた。馬車の右横にいたもう1人の男は、ギーゼルベルトから離れ、剣の柄に手を掛ける。

「法がどうとか言っていたが、人から金を巻き上げるのがお前たちの法なら、剣で自分の身を守るのが俺の法だ。お前はどうする?」

「どうするって…」

 男は剣を抜かない。手が震えている。ロイが剣を振り上げると、大声を出しながら前の方へ逃げていった。ロイは剣を鞘に収めた。

「ここからは俺1人で行く。あいつらが俺のことを聞いてきたら、自分も逃げてきたとか、適当に答えれば良い。刀鍛冶の家はどこだ?」

「ああ。左手に流れている川の上流の、森の中にある一軒家だ。すぐに分かると思う。鍛冶師の名前はゴメル。しかし、すごい汗だが、大丈夫か?」

 ギーゼルベルトに言われて、ロイは右手を額に当てた。確かに、気持ち悪いくらい汗をかいていた。

「シートの下は暑かったからな」

 ロイは嘘をついた。


 朝になった。ジルとウォリディは、アルデラミンの魔道士協会に戻ってきた。ジルは、ロイの治療方法についてある程度の目星をつけたようだが、ウォリディにはまだ説明はない。どうやら、必要なものを準備することに意識が向いていて、それどころではないらしい。彼女がウォリディに詳細を話したのは、いよいよウォリディが出発しようという段階に入ってからだ。

「ウォリディさん。彼の解毒の方法だけど、解呪と解毒を同時に進める必要があるわ。解呪を先にすると、一気に毒が回ってしまうから。だから、解毒剤を飲ませてから、あなたの解毒魔法を掛けて。解呪はその後。それから、解呪にはこのアイテムを使うのよ。使い方は、解毒剤を飲ませてから、彼に持たせるの。それだけで発動するようにしてあるわ。3種類の解呪魔法が入っているから、おそらくどれかが効くはずよ」

 ジルは、掌に余るほどの大きさのメダルをウォリディに渡した。メダルの表面には何やら古い言語が刻まれていた。ジルはさらに、ウォリディの立っている位置の近くある机の上に、回復薬と解毒剤の瓶を2つずつ。そして紙を置いた。

「メダルの使い方を書いておいたわ。それと、回復薬と解毒剤。良い? 最初にメダルを渡しては駄目。まず最初に解毒剤を飲ませて。それからなら、メダルを持たせても良いわ」

「先にメダルを持たせると、どうして駄目なのですか?」

 ウォリディは、渡されたものを全て、肩掛け鞄の中に入れた。この鞄は別次元の空間に収納されるようにできているが、その大きさは彼女によれば畳1畳分なのだという。

「先に解呪すると、今まで呪いで抑えられていた毒が一気に身体を蝕んでしまうかも知れない。それを防ぐためよ」

「分かりました」

 ウォリディは、確認をしておいて良かったと、顔をこわばらせていた。しかし、時間に猶予があるわけではない。彼女はバク転してピクシーの姿になり、

「行ってきます」

の声とともに、開いている窓から外へ飛び出した。

 行きとは違って、帰りは追い風となった。冷たい風は肌に悪いが、徹夜して見つけた治療法をロイに届けたかった。それ故に、追い風に加えて風魔法により速度を上げて飛んだ。

 森に着いて、木の根元にあるはずのロイの姿がなかったとき、彼女はさすがに血の気が失せ、危うく地面に落ちるところだった。近くには2人の男が血まみれで倒れており、ロイの持ち物が全て消えていることから、彼が戦い、移動したのは想像が付く。その原因は、結界が破られたことだ。地面に刺していた枝の一本が折れ、結界が不安定になり消滅したのだ。

 ウォリディは人の姿になって地面に降り立ち、方位磁針を取り出して針を見た。針は北東の方角を指している。彼はまだ生きている。それだけが彼女の唯一の希望だった。


 ロイは、1軒の家を見つけた。ギーゼルベルトの言っていたとおり、森の中の一軒家だ。大きな家で、家の外には、普通の家庭の数倍もの量の薪が置かれていた。家の煙突も2つあり、少なくとも暖炉用だけではない。そして、中から金槌で金属を叩く音がした。

 ロイは、迷わず家の扉をノックした。何度かノックして、扉が億劫そうに開いた。

「誰だ?」

 ロイより背はやや低い男が顔を出した。ドワーフだ。年老いているようだが、身体は鍛え抜かれているのか腕が太い。上半身は下着1枚であり、全身は汗まみれ。革手袋をつけていることから、今まで何かを打っていたのだろう。

「ゴメルさんか? ギーゼルベルトという宿の主人の紹介で来た。剣の修理を頼みたい」

「ゴメルは俺だが、今すぐか?」

「今すぐだ。明日の俺から、お金が貰える保証はないだろう?」

「なるほど。明日をも知れない身か。直す剣はどれだ?」

「これだ。折れた部分も持っている」

 ロイは背中のカットラスを外し、ゴメルに差し出した。ゴメルはカットラスを受け取り、抜いた。4分の1ほど先は無くなったままだ。

「立ち話じゃやりにくい。中に入れ」

 ゴメルは、ロイを家の中に招き入れた。そこはすでに鍛治屋の工房となっていた。工房の中は、真夏でもあり得ないほどの暑さだった。ゴメルが薄着なのも頷ける。

 彼は、折れたカットラスを眺め、

「これは、もう限界だろう。仮に繋げられたとしても、前のようには使えない。一度溶かして作り直すなら良いが」

「新品を買った方が良い、と言うことか?」

「そうだ。これは素材として売った方が良い」

 頼みの綱としたゴメルの言葉に、ロイは落胆した。しかし、ある意味では吹っ切れた気持ちもある。今まで頼みとしていた剣だが、本来ならもっと前に買い換えるべきものでもあった。そうしなかったのは、この国の武器は両刃の直剣が多く、彼が学んできた剣術との相性が悪かった。カットラスの使い勝手が過去の自分の武器に似ていたからだ。しかし、カットラスは内陸部では手に入れにくい。カットラスは主に船乗りが使用している。ツィーの港町なら手に入る可能性もあるが、そこまでたどり着くことが問題だ。

「ところで、そのショートソードには見覚えがある。どこで手に入れた?」

 ゴメルは、ロイの腰に携えていた剣を指さした。

「これか? 実は、ここへ来る前にゴロつきに襲われたが、返り討ちにした。その戦利品だ」

「そいつを……殺したのか?」

 ゴメルの声がわずかに震えた。ロイは首を横に振り、ショートソードを外して目の前の机に置いた。

「いや。叩きのめしただけだ。この剣はあなたが打ったのだろう? そのつもりでここに来た」

「そう。確かに俺の作ったものだ」

 ロイは、工房の中を見渡した。そして、壁際の作業台に、カットラスに似た剣を見つけた。というよりそれは、遙か昔に使っていた武器に近かった。ロイは思わずその剣に近づいた。

「その剣は試作品だ。今まで使っていた剣と似ているだろうが、全く違う」

「こいつは、はるか遠い国の刀にそっくりだ。どうしてそれが、ここに?」

「実はな、ツィーの港町に、遙か東の国からきた一団がいて、彼らの武器を見せて貰ったのだ。片刃の反った刀で、刃に美しい波模様が浮かんでいた。打刀と言ったかな。とにかく、それにインスピレーションを得て作ったものだが、材質も違うし、作り方も違うらしい。製法を学んで再現を試みたが、うまくいかなかった。その剣はいくらかマシだが、結局はカットラスに作り替えてしまった」

「これが失敗作だと?」

「剣としては、今お前の持っている剣より良いものだ。材料もアダマンタイトを使用している」

 アダマンタイトとは、元は硬い金属を示す言葉だ。それで作られた武器は鉄よりも硬く、軽いと言われている。高級素材だが、もちろん、金銀ほどではない。

「普通に売っても良さそうな仕上がりに見えるが?」

「そうだな。しかし、売るつもりは無い」

「手に取ってみても?」

「駄目だ」

 ロイは、打刀に近いその剣に触れたかったが、ゴメルは許さなかった。その剣は、長さは今までロイが使っていたカットラスより5センチほど長い、刃渡り70センチあるようだ。カットラスとしては長く、どちらかというと短いサーベルに近い。ただ、サーベルは片刃の曲刀とされるが、真っ直ぐなものもあり、当時はまだはっきりと形が決まっていなかった。同じことはカットラスにも言えたが、カットラスは反った刃を持っていることはほぼ決まっている。また、その剣は都合の良いことに、ロイの剣と同じようにグリップが両手で握れるほど長い。まさしく打刀だ。

「ところで、打ち刀を持っていたというその一団とは、何者だったのだ?」

「何だったかな? なんとか使節団とは言っていたが。国王に謁見するために、ジパングという国から来たそうだ」

「ジパング?」

 ロイは、聞いたことも無い国の名前に首を傾げた。

「変わった部族だよ。全員が頭頂部を剃って、後ろ髪を伸ばして、剃った頭の上に載せているのだ。同じ顔をしていたよ。それにしてもお前、すごい汗だぞ」

「ああ。少し休ませて貰おう」

 ロイは重い腰を近くの椅子に預けた。背負っていた荷物を下ろし、中から回復薬を取りだして、飲み干した。飲みながら、ツィーの街にいるその一団に会ってみたくなった。その一団は、ロイのよく知る国から来たのは間違いない。だが、そのためには、追っ手を退けるための武器が要る。

「それで、剣は用意できるか?」

「さっきも言ったが、その剣は修理不可能だ。しかし、カットラスはここには無い」

「ここにある」

 ロイは、失敗作とされる剣を指さした。

「それは駄目だ。売り物にならないものを出すわけにはいかん」

 ゴメルは相当な頑固者のようだ。どうやら、ロイは剣を手に入れられそうに無い。

「今、他の仕事をしている。その後で、くっつけるだけなら、やってやろう。それで、近くの武器屋には行けるだろう」

 ゴメルは言った。ロイは、荷物の中から折れた剣の先を取り出し、ゴメルに渡した。ゴメルは、ロイの剣を持って作業台の上に置いた。

 彼は今まで行っていた作業を始めた。どうやら、失敗作と言っていた剣の鞘を作っているようだ。鞘の本体は、木に何かの皮を黒く染めて巻いている。先ほどまで音がしていたのは、鞘の先端に使う(こじり)を打ち出していたのだ。数時間の後、黒光りした鞘は完成した。ゴメルはそれを失敗作の剣のところに持ってきた。やはり、その剣を納める鞘を作っていたのだ。失敗作だと言っていたが、本当はお気に入りなのではないだろうか。

「失敗作じゃ無かったのか?」

「剣としては申し分ないが、あの時見た刀にはまだ遠くおよばない。アレを超えたときが、本当の完成だ。それまでは、取っておく」

「そうか。奥が深いな」

「待たせたな。次はお前の剣だ」

「ありがたい。これでツィーまで行けそうだ」

 ロイがそう答えたとき、外から扉を激しく叩く者がいた。

「このあたりに逃げ込んだ奴を探している。ここを開けろ!」

 それを聞いたゴメルは、ロイの顔を見て事情を察したようだ。

「なるほど。それで武器が必要だったのか。誰に追われている?」

「ヘルマンという男の手下だ。実際は、テオドールという男の指示らしいが」

「それはあり得ないな。ヘルマンという奴の独断だ」

「何故分かる?」

 ロイは聞いたが、ゴメルは答えず、扉の前に行った。

「誰だ? 今、来客中だ。静かにしろ」

「それなら、その客の顔を見せろ」

 ゴメルは、ロイの顔を見た。ロイは黙って頷いた。ゴメルは扉を開けた。

 顔を見せたのは、馬車の時に逃げ出した男だ。ロイの顔を見て、工房の中に入ってきた。

「いたぞ!」

 男は、中に入るなり剣を抜いた。しかし、ゴメルが襟首をつかんで持ち上げた。男の身体が浮くくらいの力だ。

「お前は、ヘルマンのところの奴か?」

「なんだよ、お前。俺の邪魔をすると、ヴィクトルさんが黙っていないぞ」

「若い奴は、俺のことは知らないか。ヴィクトルはここに来ているのか?」

「ヴィクトルさん! この男が邪魔をしてくる」

「何をしている! 老いぼれ1人に何をやって…」

 ヴィクトルらしい男が扉の前まで来たが、ゴメルの顔を見てぽかんと口を開けた。

「あなたは、テオドールさん!」

「お前は覚えていたか。俺の名前を騙って、好き勝手やっているようだな」

 ゴメルはそう言って、捕まえている男をヴィクトルに押し投げた。ヴィクトルたちは、ばつが悪そうにそそくさと立ち去った。驚いていたのは、ロイも同じだった。

「テオドールは、あなただったのか?」

「まあな。あの頃は確かにやんちゃだった。若気の至りだ。だが、今は完全に足を洗った」

 ゴメルは、照れ隠ししながら答えた。

「しかし、あいつらは、あなたの指示で動いていると」

「それは違う。俺は17年も前にやめた。残った奴の誰かが、俺の名を騙っているのだろう」

「足を洗ったと言ったが、何があった?」

「見ての通り、俺はドワーフだ。元は別の国の刀鍛冶だったが、その当時は俺も血気盛んだった。ただひたすら鉄を叩く毎日に飽きて、村を飛び出した。俺はもっとできる、もっといい仕事がしたい。そう思っていたのだが、途中で修業から逃げた奴には、世間は冷たい。結局、俺は荒れて、あちこちで暴れまくった。そうして40年前、このあたりに流れ着いた。当時、この辺りは俺に負けず劣らずの無法者が集まるところだった。元々、諸侯同士の争いでどこも荒れ果て、誰もが毎日を生きるのに必死だった。俺は腕力には自信があったからな。それで、そうこうするうちに、俺はこのあたりの大ボスになった」

 ゴメルはそこで一息つき、ロイと向かい合うように椅子に座った。

「その時から、俺はテオドールと名乗った。荒くれ者どもには、本名を知られないほうが良いと思ったからだ。村のグループ同士の抗争を治めるために大ボスに選ばれたが、俺自身はそんなつもりは無かった。まあ、その時の俺は確かに荒くれ者だったが、それでも性根まで腐ったつもりは無い。村民からは嫌われてはいたが、それぞれの村の諍いを収めたり、流れの盗賊を追い払ったりと、自分なりに筋は通してきたつもりだ」

「それが、何故?」

「お前には経験があるか? たった1人との出会いが、全てを変えてしまったことが」

「いや。どうだろう」

 ロイはとぼけてそう答えたが、思い当たる顔が浮かんで視線を下げた。

「まあ、お前はまだ若いから、この先あるかも知れん。その女性との出会いが、俺を元の世界に引き戻してくれた。それが17年くらい前だ。彼女は戦争で住むところを失い、幼い子供を連れてこの辺りにやってきた。なのに、その振る舞いは気高く、優雅で美しかった。俺はとてつもなく恥じ入った。そんな彼女へ、俺の手下だった奴らは非道な振る舞いをした。その日暮らしの彼女から、金品を巻き上げたんだ。俺はそれを止められなかった。自分の不甲斐なさに嫌気がさしたよ。だから俺は、テオドールとしての生き方を捨てて、鍛治屋のゴメルに戻った」

「その女性は、どうした?」

「死んでしまったよ。病死だ。忘れ形見を残してな」

 ゴメルは言った。ゴメルはしばし感傷に浸っていたが、扉をノックする音が彼を現実に引き戻した。

「誰だ?」

「俺だよ。ヤコブだ」

 扉が開くと同時に、若い男が入ってきた。ロイに毒を飲ませた、あの宿の若者だ。頭に、血のにじみ出た布を巻いている。ロイが鞘で思い切り叩いた傷跡だ。ヤコブは、ロイがいても驚く様子は無かった。むしろ、それを知っていて、やって来たようだ。

「突然帰ってきて、何の用だ?」

「安心しろよ。今日は親父に用はない。用があるのは、そこの男さ」

 ヤコブに指を指されたロイは、少し顔を上げて見返した。

「お前の知り合いなのか?」

「知り合いじゃ無いが、こいつは毒を飲んで弱っている。今なら俺でも勝てるだろう。こいつをやれば、俺は1人前になれるんだ」

「毒を飲ませた、だと!」

 ヤコブは驚きの声を上げ、ロイを見た。ロイは右手で汗を拭いながら、肯定の頷きをする。

「ああ。3日で死ぬそうだ。今日は2日目になる」

 ロイはまるで他人事のように言う。だがもちろん、この若者に殺されるつもりはない。

「だから親父、邪魔をするなよ。お前、外へ出ろ」

 ヤコブは命じるように言った。ロイはゆっくり立ち上がった。

「ゴメル。このままでは俺は、あなたの息子を殺してしまう。あいつを止めないのか?」

「無理だ。あいつは俺の本当のガキじゃ無い。さっき言った、死んだ女の忘れ形見だ。本当の息子のように接してきたつもりだが、悪い部分だけ伝わってしまったようだ」

「良いのか?」

「良いわけがないだろう。だが、止めようもない」

「大ボスだったテオドールとしても、無理なのか?」

その時、さらに事態は複雑になった。外から大声がしたのだ。

「テオドール。いるのだろう? 話をしようじゃないか」

 ロイは、ゴメルの顔を見た。

「あれはおそらく、ヘルマンだ」

 それを聞いたロイは、ゴメルに止められる前に、失敗作とされたカットラスを手にした。

「こいつを借りる」

 そう言ってロイは、扉の前で待っていたヤコブを追い越して外に飛び出した。

 飛び出した先には、10人の男たちがいた。手下と目される5人が剣を持ち、2人はナイフ、1人はフレイルを持っていた。リーダーらしき2人は、どちらも剣を持っている。1人はさっき見かけたヴィクトルだ。もう1人がヘルマンだろう。

「お前か? 俺の手下を斬ったのは」

 ヘルマンが言う。ロイはまだ剣を構えない。

「先に向こうから仕掛けてきたんだ。手下の躾がなっていないぜ」

「まあ良い。テオドールを始末するついでだ。やっちまえ」

 ヘルマンが剣を振りかざして、手下に指示した。ヴィクトルも同じく、部下に命令を出す。ロイは剣を立て、八相の構えをとった。今のロイは、毒の影響で身体が思うように動かない。1人1人に時間を掛けられない。

 ロイは左に動き、右から水平に走る1人目の剣をはじき返し、すぐに縦に剣を振って斬った。剣の切れ味が、今までの剣と違った。それに軽い。体力の無い状態でも十分戦える。

 2人目は、相手を右にすれ違う際に剣を水平に振って斬った。

3人目はナイフを剣で叩き落としながら剣で突き、その男を、近くにいたフレイルの男に向けて押した。

 フレイルの男を4人目に選んだロイは、3人目がぶつかって体勢が崩れたところで、縦に斬った。

 5人目、6人目が同時に斬りかかってきた。ロイは6人目を背中に流し、5人目の右太ももを斬って動けなくし、跪いた背中をさらに切りつけた。そして振り返って、6人目の剣を上段の構えで跳ね返した上で袈裟斬りにした。

 7人目はナイフを投げてきたが、移動し続けるロイには当たらなかった。先ほど倒した6人目の剣が近くにあったので、ロイは自分の剣を左手で持ち、右手で男の剣を拾い上げ、7人目に投げつけた。7人目は仲間の剣を腹に受けて、倒れた。

 8人目は、ただ剣を前に突き出して闇雲に突進してくるのみだった。ロイは身体を捻らせ、男の突進を左にかわしながら、左から前へ剣を振るった。男は倒れた。

 今も立っているのは、ロイの他にはヘルマン、ヴィクトルだ。

「テオドールを殺すつもりらしいが、彼に取って代わるつもりか?」

「突然いなくなって、俺たちは苦労したんだ。今更戻ってくるなんて、勝手な話だ」

「いなくなった男の名前を騙って、好き勝手やってきたんだ。今更なのは、お前のほうだ」

 ロイは言うが早いが、ヘルマンとの距離を詰めた。ヘルマンは、何か喚きながら剣を大振りしてきた。ヘルマンは、クルハの村の中では1番の腕っ節なのだろうが、本業の剣士に(かな)うほどではない。剣が目の前で2回ほど交わったが、3回目は無かった。ロイの素早い剣捌きが、ヘルマンを正面から袈裟切りにしていた。残るヴィクトルがロイの背後に斬りかかるが、ロイは振り向きざまに剣を左から右上へ振り上げてヴィクトルの剣をはじき返し、すぐに右下から左上に剣を振り上げた。ヴィクトルは長くうめいた後、後ろに倒れた。

 ロイは剣を振り下ろして血払いしたが、警戒は緩めなかった。ヤコブが残っていたからだ。

「へぇ。ここでお前を殺せば、俺がリーダーじゃないか。俺はついてるぜ」

 ヤコブは、ロイが奪ったショートソードを取り戻し、握っていた。ロイはため息をついた。もう話す気力もない。

ロイは剣を振り上げた。上段の構えだ。この構えは、脇や下半身に大きな隙ができる。それでもこの構えを取ったのは、相手の攻撃を誘っているのと同時に、相手を見下している意味もある。おそらくその意味は、ヤコブには伝わらないだろう。

 ヤコブは動いた。ロイの左上から斬りかかってきた。ロイは右前に走り、身体を左に捻りつつ、剣を振り下ろした。上段からの渾身の一撃は、ヤコブの右腕に叩きつけられた。ヤコブの腕は切り落とされていた。彼は絶叫し、地面をのたうち回った。

 ロイは、近くで倒れていた男の服で剣の血拭いをした後、ゴメルの家に入った。ゴメルは椅子に座ったままだった。

「ゴメル。すまないが、ヤコブの右腕を二度と使えないようにした」

「…命を救ってくれたのか。ありがとう」

「それで、この剣だが…」

「貰ってくれ。愚息が迷惑をかけた、そのお詫びだ。そこの鞘も」

 ロイは、ゴメルが先ほど作っていた鞘を手に取った。剣は鞘にすんなりと収まった。

「ありがとう。良い剣だ。大切にする」

「大切にしていたら、斬るものも斬れないだろう」

「そうだな。世話になった」

 ロイは荷物をまとめ、ゴメルの家を出た。


 ロイは、ツィーの港を目指した。しかし、その足取りは確実に重くなっていた。いくつかの村を過ぎ、危険地帯とされたところは出たようだ。辺りはすでに暗くなっていた。ついには足がよろけだした。

 ロイは、再び街道から逸れた。小高い丘の上に立つ4本の(なら)の木が立っていた。彼はその木の根元に腰掛けた。3日後に死ぬという話だったが、どうやら3日間動けることを保証されているわけではなかった。そもそも、3日の命という保証もないだろう。回復薬は残っていなかった。仮にあっても、体力を回復するには至らないだろう。却って身体の負担が増すばかりだ。

「どうしてあなたは、いつも私から逃げてばかりなの?」

 懐かしい声が聞こえた。いや、昨日会ったばかりだ。ウォリディの声が聞こえるなど、いよいよ危なくなってきたらしい。いよいよ、死ぬ時が来たのか。

「もう、良いだろう。俺はやるだけのことはやった」

「何を言っているの? これから治療をはじめるから」

 声の主は、何やら呪文を唱えはじめた。幾分か気分が良くなった。吐き気が徐々に治まってきた。そして、両手で何かを握らされた。身体が急に熱くなった。全身に痛みが走ったが、のたうち回るほどの体力さえ残っておらず、歯を食いしばるしかなかった。やがて、痛みは消えた。重度の疲労感が残っているが、吐き気も悪寒も無くなった。

 ロイは目を開けた。目の前にはウォリディの顔が合った。目の下にクマができていた。

「俺は、どうなった?」

「呪いと毒は消し去ったわ。もう、大丈夫よ」

「ということは、また死に損ねたのか」

「もう。そういうこと言わないの! どれだけ苦労して治療法を調べたと思っているの? おまけに、森で待っている約束だったのに」

 ウォリディは言いながら、ロイの右隣に座った。彼女は鞄から毛布を取り出し、自分に掛けた。

 彼女の愚痴は続く。

「徹夜って、お肌の大敵なのよ。それにこの方位磁針、人のサイズじゃないと使えないのだから。何回も変身したわ。ここまで一睡もせずに来たのだから。感謝してほしいものね」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 ウォリディは、両手を大きく上に伸ばして欠伸をした。

「とりあえず、私たちに必要なものは、睡眠よ。とりあえず結界は張ったから。お休みなさい」

「そりゃあ、不安だな。お休み」

 ロイはそう答えた。2人は肩を寄せ合い、そのまま気を失ったように眠った。


                                       第7話 終わり

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