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第6話 魔人

 時折、強い風が吹く。本格的な冬が近づいている。雲が多く、あまり日が差さないこともあり、寒い日が続いた。

 鏡の魔物の件から4日たっていた。ロイとウォリディがアルタイスの街に着いたのは、日が西に沈みかけていた頃だった。安いが信頼の置ける宿を取ったロイは、宿の食堂で食事をとった。ウォリディはピクシーの姿となり、彼のテーブルの上でパンののった皿に腰掛けていた。

「ロイ。これからどこへ行くの?」

 ウォリディは、ロイのパンをもぎ取りながら聞いた。ピクシーのサイズなので、もぎ取ったパンの欠片は小石サイズだ。

「当てはない」

「それなら、私の希望を言っても良いかしら?」

「もちろん良いが、遠いのか?」

「場所は聞いてみないと分からないけど、会ってみたい人がいるの。魔道士で有名なジル・クリスティという人なのだけれど」

 ジルの名を聞いたロイは、口元に運び掛けた水入りコップを止めた。

「会って、どうする?」

「会えたら、魔法を教えて貰うの」

「魔法ならもう使えるだろう。習うことがあるのか?」

「もちろん、あるわよ。私の魔法が、この前の魔物に通じなかったでしょう? これからのことを考えると、もっと実力を上げないと」

「戦うのは俺の仕事だ。君の仕事じゃない」

「今まではあなた1人で戦ってきたのでしょうけど、これからは私とパーティーを組むのでしょう? それなら、私もできることを増やさないといけないと思うの」

「気持ちだけ受け取っておくよ」

 ロイは、ウォリディの声を真剣に受け止めようとしない。ウォリディはふくれっ面をした。

 宿の食堂は酒場としても営業している。すでにだいぶ酒の進んでいる人もいる。その中で、ロイのテーブルに近づいてくる人影があった。前に駅馬車で一緒になった、魔道士の母娘だ。

「奇遇ですね。用事は無事に終わったのですか?」

「ええ。そちらは、お師匠さんは元気でしたか?」

「元気も元気。いつもより濃い内容の授業でしたわ。あの引きこもりがちな師匠にしては、ですけど」

 母親が答えた。そのとき、娘はテーブルの上のウォリディに気づいて、

「お母さん。このピクシー、不思議よ。背後に人の大きさくらいの影が見えるの」

と言い出した。母親は慌てて娘の口を塞ぎ、

「ちょっと、失礼なことを言わないの」

「あら。私に何か特別なものが見えるの?」

 ウォリディは娘に聞いた。娘は頷き、

「お姉さんの後ろに、どこか別の国の、お姫様のような姿が見えるの」

「あら。お姫様に見えるのなら、光栄なことだわ」

「ウォリディ。そういう話じゃないと思うが」

 ロイは、ウォリディの冗談にうまく返すことができない。彼は娘を見て、

「娘さんは、背後霊とか守護霊とか、そういうものが見えるのかい?」

「霊体じゃなくて、その人の魂そのものが見えている感じです。言わば人を鑑定する、みたいな」

「娘が今使ったのは、いわゆるその人の能力とかを知る魔法ですが、本来は鑑定の依頼を受けたときだけで、同意もなく勝手に見てはいけないものなのです。申し訳ありません」

 母親は、娘の代わりに頭を下げた。

「良いのよ。私、自分の昔の記憶が曖昧で、それを知る旅をしているところなの。その手がかりになるのなら、いくらでも鑑定してちょうだい」

「お許しいただき、ありがとうございます。娘も私も、鑑定の魔法はまだ習ったばかりで、つい」

「じゃあ、この人のことは分かる?」

 ウォリディは娘に、ロイの鑑定を促す。

「よせよ」

 ロイは一応抵抗するものの、娘の鑑定魔法を無理には止めない。

「おじさんは……お姉さんと同じような国の人で、大人の男の人。今持っている剣と同じような剣を持っている。名前は、ムロイさん?」

「惜しいわね。彼の名前はロイ」

 ウォリディは優しく訂正する。娘は少し落ち込んだようだ。

「良い線いっている。ところで、その魔法を習ったのは、お師匠さんのところですか?」

 ロイは母親に聞いた。

「そうです」

「お師匠さんは、しばらく家にいるでしょうか?」

「出かけるような話は聞いていませんでしたから、しばらく家にいると思います」

「お師匠さんって、誰?」

 ウォリディは聞いた。

「ジル・クリスティです」

 母親が答えると、ウォリディの目が急に輝きだした。

「そうなんですか! 私、ジル・クリスティに憧れているのです。出来れば会ってみたい。いえ、魔法を教えて貰いたいの。どこに行けば会えますか?」

「アゲミンの村です。村といっても大きくて、近くに都市遺跡があるところです」

 そして、母親は思い出したように、

「そういえば、師匠にあなたの話をしましたら、是非お会いしたいと言っていましたわ。曲剣の剣士で有名だそうですね」

「人と変わった武器を使っているだけの、しがない旅の傭兵ですよ」

 ロイは興味なさそうに答えた。前のめりになったのは、ウォリディだ。

「ねぇ、ロイ。そのアゲミンという村に行ってみましょうよ。だって、そのお師匠さんが会いたがっているのでしょう?」

「会いたがっているのは、君の方じゃないか」

「そうだけど。ジルさんはロイに会いたがっているし、私はジルさんに会いたい。ちょうど良くない?」

 ウォリディは屈託のない笑顔でロイに言った。ロイは根負けした。それを見ていた母娘は笑っていた。しかし、母親はすぐに顔をこわばらせ、

「そういえば、気をつけてください。ここへ来る途中、奇妙な事件がありましたから」

「奇妙な事件?」

「といっても不思議な出来事、という感じです。行き倒れの母子がいたのです。母親はかろうじて命を取り留めたのですが、幼い息子さんは亡くなってしまったのです。ところがですね、通りかかった人が近くの村に助けを求めて、荷車とかを用意して村人達と一緒に戻ってくると、その息子さんの遺体が消えていたそうです」

「誰かが遺体を持ち去ったのですか?」

「らしいですよ。私たちは、その人たちが騒いでいるところに通りかかっただけなので、それ以上のことは分かりませんでしたが、気味の悪い話じゃないですか」

「確かに、子供の死体を持ち去るなんて、悪趣味ね」

 ウォリディが腕を組みながら言う。

「不思議な話ですが、一応気をつけておきましょう。俺たちは行き倒れる予定はないが」

「誰だって、行き倒れる予定を持っていませんよ」

 母親は、最後は笑ってロイの右肩を軽く叩いた。


 翌日、ロイとウォリディはアルタイスの街を出発した。街を出て北東へ進むが、道中は曇天が続き、寒さも手伝って歩みは進まない。ロイは、後ろを飛ぶウォリディに速さを合わせていた。

 街道を進むと、街道から遠く離れた広野に、5つの黒い人影が見えた。1人は槍のようなものを肩に乗せていること、乗り物や馬が見えないことから、冒険者のパーティーのようだ。これから向かうアゲミンの村は、セフェウス伯爵領の西端にある。村の周辺一体には、何百年も前の都市の遺跡や未だ手つかずの遺跡、洞窟が多く、また魔物が多く出没する。そのため、その地は王国内でも指折りの危険地帯とされる。それは同時に、血沸き肉躍る冒険を求めてやまない者たちをひきつけ、あるいは遺跡に残っているかも知れない宝物を追うトレジャーハンター、太古の文化遺産を研究しようとする者たちが集まってくる。村では、そういう目的で集まった者たちの拠点となっていたり、あるいは一時的なパーティーを組むための人材募集をする場となっていたりして、小さな街よりも賑やかなくらいだ。

 やがて、2人の行く道の先に中規模の村が見えてきた。人口は3000人ほどのアゲミン村だ。村といっても危険な土地柄のせいか、村の周囲は木と石を組み合わせた壁で囲まれていた。村の入り口には大きな開き戸の門があり、その両側には見張り台もある。

 この村では、遺跡探索を目的とする人々が集まるだけでなく、そこで回収された、現在の技術をもってしても作ることができないような、強力なマジックアイテムが市場で売り出されることもあるため、それを目当てに人々が集まっていた。また、この村には、魔道士達の間でも話題となっていた。

それは、魔道士ジル・クリスティの存在である。彼女は魔法の研究を主な仕事としているが、様々なマジックアイテムを開発してその権利を売ったりもしている。また、強力な魔法が使えることから、冒険者の仲間として雇おうとする人たちも多いらしい。ただ、あまり外には出てこないとのことで、人嫌いとのうわさもあって、本人に会える確率は低いという。

 ウォリディも、ジルに憧れる1人である。彼女は道中、その理由をロイに話した。

「魔導士としてだけじゃなくて、魔法やマジックアイテムの開発もしている、世界でも指折りの天才魔道士なのよ。どれくらい凄いかって? そうね、魔法大会で100人の魔道士をいっぺんに倒したとか。あと、今ある魔法の1割は、彼女が編み出したか、手を加えたって聞いたわ。そういえば、あなたの持っているホログラム・ペンダントも、彼女の発明した物じゃなかったかしら」

 ウォリディは、ロイが先ほどから何度も見つめているペンダントを指さした。それは、子供の男女数人の姿がホログラムで浮かび上がる、彼にとって何か思い入れがありそうなものだ。普段は荷物の中に入っているのに、今は細い鎖で首から提げている。

 その後もウォリディは、魔道士ジルについて熱と力のこもった話を続けた。彼女にとって、ジル・クリスティはそれだけ憧れる存在なのだ。ロイはその間、特に反応もせず聞き流していた。村が見えても、黙々と歩き続けている。ウォリディとの温度差は激しいが、それでもロイは、ジルが住んでいる村を目指している。彼は素知らぬ顔をしつつ、彼女の希望を優先してくれているのだ。

「まあ、それはありがたいのだけれど」

 ウォリディはぼそっと呟いた。

 アゲミン村の門を潜ったのは、夕方だった。ジルの家を訪ねるには時間が遅いため、明日の訪問とするなら、まずは宿を捜さなければならない。ところが、ロイはいくつかの宿の前を素通りした。情報収集でもするのかと思いきや、どの店も寄らず、通行人にも声を掛けず、冒険者の斡旋所も通過し、村の居住区域に進んでいく。ロイが何の説明もなく、ペンダントと辺りを何度も見ながら、黙って進んでいくことに、ウォリディは、戸惑いと苛立ちを感じ始めていた。

 やがてロイは、一軒家の前で足を止めた。ウォリディも足を止めた。そこは、少し大きめの平屋建ての家だ。しかし、周りと同じような家ではあるが、どういうわけか、彼が足を止めなければ、家の存在に気付かなかっただろう。彼女1人だったら、気付かずに通り過ぎていたかも知れない。そんな不思議な存在感をもつ家だ。そして、家の玄関の扉にはイチイの枝が付けられていた。ウォリディがまさかと思っていた時には、ロイは扉を開けていた。彼は躊躇せずに中に入っていく。彼女は完全に置いて行かれた。

「どなた? あら、ロイ!」

 家の中から女の声がした。どうやら、ここがロイの知り合いの家であり、目的地のようだ。今夜の宿を借りるつもりかもしれないが、そもそもの目的を考えると…。

「まさか?」

 ウォリディは、ロイの後を追って家に入った。彼女の目に真っ先に入ったのは、薄暗い部屋の正面にある壁一面の本棚だった。その前には、その全身を包むほど大きい揺り椅子にすわる、紺色のロングヘアー、細い目、高い鼻、笑みを浮かべているが、真一文字に固く閉ざされた口、そして、目立たないが顎に白い刺青のような物がある、どれをとっても不思議な雰囲気をまとっている女がいた。

 ロイは帽子を脱ぎ、普段は怖いくらいに無表情な顔にわずかに笑みを浮かべていた。

「ジル。元気そうで何よりだ」

「ええ、お陰様で。久しぶりね。3年くらいになるかしら。2日前にもマリオンが来たわ」

「マリオンが?」

「そうよ。私の様子を定期的に見に来てくれているのよ。といっても、年に1回くらいだけど」

 ジルと呼ばれた女は、手元の本を閉じながら言った。そして、状況が飲み込めずに入り口付近で空中に止まっているウォリディに気付き、

「それで、その子は?」

「ウォリディだ。以前、毒にやられたところを助けて貰って、今は一緒に旅をしている。君に憧れているそうだ」

「は、初めまして。私はピクシーのウォリディ。駆け出しの魔法使いです。先生の噂はアルコルの森でも伝わっていまして、こうしてお会いできるのは、光栄の至りです」

 ウォリディは、ややうわずった声になりながら言った。ジルは椅子から立ち上がり、空中に止まるウォリディに歩み寄った。

「先生だなんてとんでもない。私は、人が言うほどのことなんて無いのですよ」

「いいえ。私たちの森では、みんながジル様を先生とお呼びしているくらいです。立派な方ですわ」

 最初はしどろもどろだったウォリディだが、すぐに落ち着きを取り戻したようだ。ロイの右肩に立ち、小声で、

「ジル様とお知り合いだったなんて、初耳よ!」

 敬称を付け出したことに、ロイは苦笑した。

「隠したつもりはなかった。悪気はない」

「悪気はないですって? 前もって言ってくれたら、こんなに緊張しなくて済んだのに。ロイの馬鹿」

 小言をロイにぶつけるロイ。それから逃げようとしてか、ロイは1歩ジルに近づいた。

「ジル。何も変わったことはなかったか?」

「何もないわ。私も有名になったおかげで、彼らも手を出してこないわ。ただ、時々監視されているわね。今日はいないようだけれど」

「宮廷魔道士になったという噂を聞いたよ」

「正確には、相談役ね。だから、普段はここにいられるし、ファーリも手を出せない」

「ジル。ウォリディには、俺たちの詳細は教えていないんだ」

 ロイは、ウォリディをチラリと見て、ジルに目配せした。ジルはウォリディをじっと見て、

「そうなの。じゃあ、彼女は純粋に、私のファン?」

「そうだ。もちろん、危険人物じゃない」

「失礼ね。こんなかわいい小娘が、危険人物?」

 ウォリディはロイの右頬を小突く。

「俺の頬を小突いても、か?」

 ロイが返す。ジルは軽く笑い、

「確かに、彼女は大丈夫そうね」

「それで、ものは相談だ。彼女は君に魔法を習いたいと言っているのだけど、引き受けてもらえないか?」

「私が魔法を教えるの? それは構わないけれど、何日くらいの予定で?」

「彼女が望む限りさ」

 ロイが答えると、ジルは彼の意図を悟ったようにふと笑い、

「なるほど。そういうつもりね。一時的に預かるのは良いけど、いつまでも、というわけにはいかないわ」

「1週間で良い」

「詳しい話は、場所を変えてしましょう。玄関と窓の戸締まりを確認して。私は他の部屋を見てくるわ」

 ジルはそう言って立ち上がった。ロイとウォリディは、玄関の扉に(かんぬき)を掛け、窓も同様に閉じた。

「戸締まりはしてくれた? じゃあ、着いてきて」

魔法の光の玉を手にしたジルが戻ってきて、言った。2人はジルの後に続いて、部屋の奥に移動した。建物の奥に続く短い廊下を進み、右奥の扉の部屋に入った。その部屋は狭く、窓もなく、何ら装飾も調度品もない。3人が入っただけで窮屈に感じる、およそ2畳の部屋だ。しかし、ジルが何かを小声で唱えると、部屋が数秒ほど光った。部屋の光が消えると、ジルの手にある光の玉を頼りに部屋を見渡す。先ほどと部屋の様子が少し違って見えた。ジルが入ってきた部屋の扉を開けると、そこは真っ暗だが、別の大きな部屋があった。通ってきたはずの廊下はどこにもない。

「ここはどこだ?」

「ここは獣人の国ゴート王国の、ナシラという小さな街にある私の家よ」

 部屋の壁や、テーブルの上にある燭台のロウソクに魔法の小さな火を飛ばしながら、ジルはロイの問いに答えた。ゴート王国は、ジルの言うとおりコボルトやオーク、リザードマンなど様々な獣人が多く住み、むしろ人間は少ない国だ。アーカディア王国の南に隣接している。

「テレポート魔法?」

 ウォリディが聞くと、ジルは頷いた。

「そう。私だけが使えるように設定した魔方陣が部屋に隠してあるのよ。さっきの家は仕事場で、ここは寝るところよ。ご飯、食べていくでしょう?」

「それで思い出した。今夜、泊めて貰おうと思っていたんだ」

 ロイはそう言いながら、街で購入した食材の入った袋をマントの下から出した。


 3人は食卓を囲み、質素な食事をした。パンと干し肉、野菜を煮込んだスープだ。ロイとジルは、互いの近況を簡単に話し合った。もちろん、たわいのない話だ。深い話は、ウォリディの前ではできない。ピクシー姿の彼女は、どうにかして2人の会話に参加しようか考えていたが、きっかけが掴めないでいる。ジルはそれを察して、

「それにしても、我が家にピクシーの生徒さんが来るのは初めてよ」

「そうなのですか?」

「ええ。大抵は、アイテムや薬を買いに来るお客さんよ。他には、薬草の取引相手ね。ご出身は?」

「アルサマヨル領のアルコルの森です」

 ウォリディは疑問に思いながら答えた。ロイが近況を話したときに、森での出会いを話していたからだ。

「そうね。でも、あなたは変わった魂の持ち主ね。そう、どちらかというと人間みたいな」

「前にも誰かにそう言われたのですけど、実は私、昔の記憶が曖昧なところがあって、よく分からないのです。確かに、私は他のピクシーと違って人の姿にも変われるので、普通じゃないことは分かっています」

「そのことは、いずれ分かるでしょう。必要であれば、その疑問を解決するお手伝いもするわ。それで、どういう目的で魔法を習いたいの?」

「私は、攻撃力のある魔法を習いたいです。今までは目くらましや防御、治療のための魔法を学んできたのですけど、これから旅を続けるなら、ただ防御するだけじゃ自分の身を守れないし、彼を助けることもできないので」

「なるほど。まず明日、あなたの実力と適性を見てから、習う魔法を決めていきましょう」

 ジルは言い、食事を終えた食器を片付けはじめた。ウォリディはテーブルから飛び上がり、下に何もない場所で、

「私も手伝います。今、人の姿になりますから」

と言って宙返りして、人の姿で床に立った。ジルもさすがに驚いた顔をした。

「なるほど。本当に人の姿になれるのね」

「何かの役に立つかと聞かれると、何もないのですけど」

 ウォリディは、テーブルの上の食器を持ち上げた。

「そんなことはないわ。現に今、私のお手伝いをしてくれている」

「ありがとうございます。今まで、仲間のピクシーからは奇異な目で見られるだけで、そう言って貰ったことはなかった」

「俺は、何回か感謝したことはあったと思うが」

「それは、治癒魔法を掛けた時の話でしょう。今言っているのは、人の姿に変身することに何の意味があるかであって……なんか、雰囲気台無し」

「悪かった」

 食器洗いと片付けが終わると、ウォリディは急に欠伸をした。

「おなかがいっぱいになって、眠くなっちゃった」

「じゃあ、寝室に案内するわ」

 ジルはウォリディの背中を押して、おそらくは寝室へ向かった。しばらくして、ジルだけが戻ってきた。左手には赤ワインのビン、右手にはワイングラスを持っていた。

「スリープ魔法を使ったのか?」

「ええ。よく気付いたわね。信用はできると思うけど、まだ信頼はできないし。ウォリディさんには、私たちの話をするにはまだ早すぎると思ったから」

「それもそうだ。そのワインは?」

「せっかくお客さんが来たのだから、飲んでも構わないでしょう?」

「俺は酒を飲まないよ」

「ええ。だからグラスは1人分」

 ジルは意地の悪い笑顔で答えた。再び椅子に腰掛けたジルとロイ。ロイはワインボトルの栓を抜き、ジルのグラスに注いだ。白ワインだった。

「やっぱり白がいいわね。赤は血を連想させる」

 ジルは呟く。荒事は苦手な彼女らしい。しかし、彼女は自分達の逆境に対して人一倍強い意志で立ち向かう心強さを持っていた。

「あなたは、ファーリと対峙する覚悟はできている?」

「今は追っ手を振り払うので精一杯だが、1対1ならもちろん、やるさ」

「そのことは、マリオンにお願いしているわ。追っ手を出す余裕をなくすことはできると思う。あとは、彼の周りの人数を減らす事も考えている」

「何をしたんだ?」

「伯爵と対峙するのは難しいけれど、社会の情勢を味方に付ければ、チャンスはある。それ以上は、今後のお楽しみよ。上手くいったら、マリオンから話が行くと思うわ」

「俺は、何もしなくて良いのか?」

「今まで通りで良いわ。でも、そろそろ、王都に来て欲しいのだけど」

 ジルはワインを少しずつ飲みながら、話題を変える。

「それで、彼女のことをどうするつもり? この後もずっと一緒に行動するつもりなら、私たちのことを話さなければならないわ」

「俺は、森の長老から一時的に預かったつもりでいる。俺たちの復讐には巻き込みたくない。できれば君に預けて、ここから先は俺1人で行きたい」

「彼女は納得しないでしょうね」

「君ならどうする? 彼女に全てを打ち明け、俺たちの手伝いをさせるのか?」

「いいえ。話すのは駄目よ。彼女にその気はなくても、話が漏れ広がる可能性はある。あなたが連れてきたのだから、あなたが責任を取らないと」

「分かっている。だが、何度か振り切ろうとしても、追いつかれてしまうんだ」

「それはそうかもしれないわ。彼女は前世で、あなたと関わりがあるみたいだから」

「本当か?」

 ロイは驚いた顔を見せた。ジルはうなずいて、

「彼女も私たちと同じ、輪廻から外れてしまった存在よ。ただ、私たちと違って、ファーリたちは関わってはいないようだけど」

「前にも別の人にそう言われたが、君がそう言うのなら、間違いないだろうな」

「彼女は何者なの?」

「分からない。思い当たる人物はいるが。君は、彼女の魂を鑑定できるだろう?」

「それには、本人の許可がないと。それに、あなたは自分のことを語らないのに、彼女の話は一方的に聞くつもり?」

「いや。そんなつもりはない。1杯くれ」

 ロイは言うが早いか、ジルがわずかしか口にしていない白ワインのグラスを奪い取り、一気に喉に流し込んだ。何年ぶりかのアルコールだ。独特の苦みを忘れていたほどに。

「明日は、口入れ屋に行ってみる。旅の資金を稼がないと」

 ロイは明らかに話をはぐらかした。ジルは、ロイからグラスを取り返し、黙ってワインをつぎ直して、1口飲んだ。

「ここの逗留代もよろしく」

 ジルは一言付け加えた。


 翌朝。ナシラという街は朝の冷え込みが強かったが、内陸部にしては暖かいところだった。冬は天気の良い日が多く、朝は冷え込むが、日中は気温が高くなって過ごしやすい。前日までいたアゲミンの村は、北に少し離れた海からの風が入りやすく、冬は厳しい寒さにさらされやすかった。

 ロイとウォリディ、ジルの3人は1階の部屋に集まり、朝食を取っていた。

「ロイは今日、どうするの?」

 人のサイズでパンをかじるウォリディが聞いた。どういうわけか、ピクシーの時は小石サイズのパンをいくつもかじって済ませていたのに、人の姿の今は、普通のパンを人間の一口サイズにちぎって食べている。彼女の食べる量は、どちらが正しいのだろうか。

「路銀を稼ぎに、口入れ屋に行ってくるよ」

「じゃあ、私も」

「君は、ジルから魔法を習うのだろう?」

「そうだった。ごめんなさい」

「まあ、行っても、すぐに仕事にありつけるとは思っていない。それより、アゲミンの村へ戻るには、君の力を借りないといけないのだろう? 送ってもらえるかい?」

 ロイはジルに聞いた。ジルは当然のように頷いて、

「もちろんよ」

と答える。

「この街では、仕事を探さないの?」

 ウォリディは不思議そうに聞いた。ゴート王国でも、アーカディア王国と同じように斡旋所のような仕事を紹介してくれる場所があると、彼女は聞いていたからだ。ロイは首を横に振った。

「ゴート王国では、俺の登録証は通じない」

「登録証がなくても仕事は受けられるけど、実力に見合った仕事はもらえないわ。この国での実績が証明できないから」

 ジルが補足説明をした。ロイは席を立ち、

「早めに斡旋所に行きたい。送ってくれるか?」

「分かった。ウォリディさん。ちょっと出かけてくるから、ここのお片付けをお願い」

 ジルとロイは、昨日の小部屋に入った。ジルの無言の詠唱で一瞬部屋全体が光ったかと思うと、部屋の風景が、洞窟のような風景に一変した。昨日のジルの家ではないことは確かだ。

「ここは?」

「村の外れにあるイチイの大木よ。何百年も前から生えているみたいね。あなたが家から出入りすると、連中に見つかったときに厄介でしょう?」

 ロイの質問に、ジルは答えた。大木の中が空洞になっている、いわゆる樹洞だ。

「鉢合わせする可能性があるのか?」

「あるわ。定期的に見張りが付いているようよ。もし連中と遭遇することがあっても、偶然このあたりに来たように振る舞って。少なくとも、私の家には近づかないように。私が、あなたたちとつながっていることを知られたくないの」

「じゃあ、戻りたいときにはどうすれば良い?」

 ロイが聞くと、ジルは呆れたようにため息をつき、

「何を言っているの。そのペンダント、通話機能をつけたでしょう? 念じれば、魔法の使えないあなたでも私と連絡を取れるわ」

と言いながら、ロイの胸元のペンダントを指さした。彼は、このペンダントに付いているルビーが点滅する反応を見て、ジルの家を見つけた訳だが、緊急の時に連絡がつけるように通話機能がある。ただ、一度も使ったことがないので、彼はそのことを忘れていた。

「そういえば、そういう話もあった。じゃあ、行ってくる」

 ロイは樹洞を出た。彼の背後で、洞穴が一瞬光った。


 アゲミンの村の仕事斡旋所は、主に周辺の遺跡に関係するものを扱っていた。遺跡の調査や宝物探索などの他、探索に必要な薬草および薬品の原料採取が多い。それに加えて、どういうわけかこの周辺は、よその土地に比べて魔物の生息数が多いらしく、その討伐依頼もよく出されている。遺跡のどこかに魔界の入り口があり、そこから魔物が出入りしているのでは、と言う噂がある。

 仕事斡旋所は、誰でも仕事を受けることができることになっている。実際は、危険な仕事もあることから、受けられる仕事にはそれなりの技量を求められる。斡旋所ごとに登録している労働者なら履歴ですぐに実力が分かるが、ロイのように通りすがりの剣士の場合は、王国内の公的な斡旋所が発行した登録商を見せることでその代わりとしている。ただし、偽造していることもありうるのだが、その場合は他人に危害が及ぶ場合以外では、偽造した本人に災いが降りかかるものとして、あまり積極的な対策はなされていない。

 村の斡旋所は冒険の際の拠点になることもあり、村の中心部の食堂兼宿泊所となっていた。村で一番大きな施設でもある。ここで仕事を貰うには、大まかに3つの方法がある。最も簡単なのはこの斡旋所の登録者になる方法で、入会料と年会費を払って登録すれば、優先的に仕事の紹介を受けられる他、その宿屋に割安で泊まることが出来る。2つ目は、ロイのように登録していない者が仕事を得ようとするときで、その都度斡旋料を払って仕事を貰うことになる。3つ目は、仕事の依頼主と個人的に交渉する方法であるが、これは斡旋所内では禁止行為であり、斡旋所に依頼を出される前に引き受けなければならないので難易度は高い。また時々、パーティーにスカウトされることもあるが、これは滅多にない。正体の分からない人に命をかける者は、なかなかいないだろう。

 ロイは斡旋所に入ったところで背中に悪寒が走り、一瞬足を止めた。辺りを見回すが、斡旋所内は人でごった返している。しかし、悪寒が走った理由は分からない。何か悪意か殺気を帯びた視線が向けられたのかと思ったが、そういう人物は見当たらない。ロイは仕方なく足を進めた。

 斡旋所内の入り口から入って右側は、夜は酒場となる食堂。左側は斡旋所の受付場で、左奥の壁に仕事内容の掲示板がある。しかし、ロイはまず食堂のカウンターに向かった。初めての斡旋所ということもあり、まずは様子を見ることにしたのだ。彼はカウンターテーブルの前に立ち、

「水を1杯」

と、銅貨を出しながら注文をした。水の注がれた木のコップが出てきた。彼はそれに口を付けた。

「酒場に来て、水か?」

 そう言う声が聞こえ、ロイは声のする方を見た。テーブルの少し離れた所に、紺色のローブを着た魔道士の男と、茶色のレザーアーマーを着て、短剣を腰の右に下げた盗賊崩れの男がニヤニヤしながら立っている。しかし、ロイはそれを無視した。

「酒場に来たら、酒を飲むもんだぜ」

 盗賊崩れの男が言う。ロイは顔を動かさず、

「喉を潤すのに、酒は要らない」

「そうかい」

 そう言った魔道士は、右手を小さく動かした。その掌から、小さな炎がロイに向かって飛ぶ。ロイは身動きしなかった。魔法攻撃はほとんど効かないからだ。そうでなくても、人目のある屋内で攻撃魔法を使えば、いかなる理由があろうと出入り禁止なる。案の定、火の玉はロイの目の前で消えた。魔道士が火の玉を打ち消したようだ。

「反応が鈍いな。こんな子供だましじゃ、驚く暇も無いか」

 賞金稼ぎの男が言う。この2人はいつも、この手を使っているようだ。ただ、その目的は分からない。

「そんなやり方じゃ、誰もパーティーを組もうって気にならないだろう。普通に話しかけたらどうだ?」

 また違うところから声がした。3人が目を向けた先には、丸テーブル席に1人で座る、全身緑色のうろこに覆われたリザードマンが座っていた。その男が飲んでいるのは、アルコール度数の高い酒だ。盗賊崩れの男が少し腰を浮かせた。

「何?」

「東の紺碧のベイツ、西の曲剣のロイ、南の俊足アーロン、北の雷撃のヴォルテス。傭兵稼業が長ければ、聞いたことがある名前だろう。それに、顎の赤い刺青と腰のカットラスを見れば、その男が誰だか想像がつく」

 リザードマンに言われた2人は、改めてロイを見る。

「こんなところで本気で火の玉を投げたら出入り禁止になる。だから本気じゃないと読まれていたんだ。その時点でお前たちは相手にされていない。分かったら、下手な真似をするな。もう少し火の玉の消えるのが遅かったら、お前ら、今頃は首を持ってかれていたぜ」

 好きなように言われ、賞金稼ぎはムッときて、

「黙れ! お前、俺達に雇われているのを忘れたのか?」

と言った。しかし、リザードマンは怯むことなく、むしろ両足をテーブルの上に投げ出して、

「俺はただ、ギルドの紹介で仕事を受けたまでだ。そっちがその気なら、降りても良いんだぜ」

「…分かったよ。今、あんたに降りられたら、儲けがパァになる」

 魔導士は肩をすくめて言った。そしてロイを見て、

「ところで、あんた。ここへは何をしに?」

 ロイは答えなかった。

「仕事を探してるんだろう? 仕事は欲しいが、しかし、ここの斡旋所には登録していない。そうじゃないか?」

 リザードマンがロイの心を見透かしたように言う。ロイは否定せず、

「そうだ。よそでの実績はあるが、ここではない」

「それなら、俺と一緒にこいつらに雇われないか? パーティーメンバーはあの2人と、この俺の3人。あんたを入れれば4人だ」

 リザードマンが言い出した。魔道士の男が立ち上がり、

「何を勝手にスカウトしている。誰を雇うかは俺たちが決めることだ」

「どうせ、あと1人雇うつもりだったのなら、ちょうど良いだろう。それに、怪しい仕事を引き受けるのなら、腕の立つ奴が一緒の方が良い」

「余計なことを言うな。怪しい仕事なのは承知の上だが、報酬が良いから、そこは我慢しろ」

「怪しい仕事?」

 ロイは聞き返した。賞金稼ぎが、仕方がないという風に気怠く、

「遺跡の東の洞窟の奥に、死者を復活させる力があると言う腕輪があるそうだ。それを取ってくる。報酬は1人3リーブラ。1リーブラは前金で渡す」

「ただ腕輪を取ってくるのに3リーブラ? それに、死者を復活させる腕輪が本物なら、相当な価値がある。そんなものが未だに遺跡に残っているとは思えないし、本物なら相当な額で売れるだろう。そうだとしたら報酬が安い」

 ロイの問いに、相手は返す言葉がないのか口も篭もらせた。

「言ってやれよ。子供が依頼主だってな」

 再び、2人の代わりにリザードマンが答えた。それを聞いたロイはさすがに驚いたようだ。

「子供が、用心棒を雇えるほどの大金を持っているというのか? どこの貴族だ」

「とても貴族には見えないが、とにかく金は持っている。おまけに手付金を貰っているんだ」

 話を聞いたロイは、首を傾げたくなった。大金を持っている子供と言う時点で十分怪しい話だというのに、死者を復活させる腕輪の捜索という依頼が、まともな依頼とは考えられない。

「その子供は何故、腕輪を欲しがる?」

 ロイは素直に質問をぶつけてみた。2人は大げさに肩をすくめ、盗賊崩れが、

「死んだ親父を生き返らせたいのだとさ。泣かせる話だろう?」

「で、どうする? 怪しい話だが、まあ一攫千金の可能性があるなら、俺と一緒にこの話に乗らないか? 少なくとも、ここで1リーブラは手に入るぜ」

 リザードマンが、銅貨を右手に持って言う。その銅貨はどう見ても、普通の銅貨だ。

「そいつは?」

「リーブラ金貨を見たことがないのか?」

 ロイが真面目な顔で聞いてきたことに、リザードマンは呆れかえっているようだ。しかし、彼の手に握られているのは、どう見ても銅貨だ。大金貨より千倍も価値が劣る。しかし、他の2人も、周辺の人間からも、それに対して何ら疑問を持っていないようだ。普通なら失笑が起きるか、誰かが間違いを指摘するところだろう。考えられるのは、認識阻害の何かが働いて、銅貨をリーブラ金貨と認識させられている、と言うことだ。これをやってのける相手は、相当の魔法使いだろう。

「考えておくよ」

「この金貨をやるよ。それで俺に雇われてくれ。俺はクライトン。依頼主の2人は、ガスとマクルードだ。頼むぜ、ロイさんよ」

 クライトンと名乗ったリザードマンは、銅貨をロイに投げてよこした。ロイは、つい反応してそれを受け取った。

「だから、いつからお前が雇い主になった?」

 魔法使いのマクルードがクライトンを睨み付けるが、彼は相手にしない。

「分かった。俺の分の前金は、クライトンに渡してくれ」

「良いのか?」

「借り貸しは嫌いなんだ」

 ロイはクライトンに答え、食堂を離れた。

「詳細は聞かないのか?」

「別に」

「とにかく明日の朝、ここの前に来てくれ。時間は午前7時だ」

 盗賊崩れのガスの言葉を背に受けたロイは、右手を挙げて了解の合図を返した。


 普通ではない形で仕事を手にしたロイは、周囲を警戒しつつジルの家に向かった。途中でジルとの約束を思い出したが、彼女の家の周辺に異変がないか確認するのも悪くないと考えて、遠巻きに家を見守ることにした。それが思わぬ場面に出くわすことになるとは、直前まで想像もしなかった。

 ジルの家の前に初老の魔道士が現れた。フェルディナンドだ、他には誰もいない。1人でやってきたのだろう。ジルは王家とつながりがあるので、彼女を害することはないとは思うが、用心することに越したことはない。ロイは木の陰に隠れてペンダントを右手で握り、ジルをイメージしながら念話を試みた。

「ジル。聞こえるか? 家の前にフェルディナンドがいる」

「……ロイ。家の近くにいるのね? 声は聞こえるようにしておくけど、私が良いと言うまで何も話さないで」

「何?」

 ロイはペンダントに聞き返したが、ジルからの返事はない。家を見ると、ジルが扉を開け、あたりを警戒しながらフェルディナンドを中に入れた。どういうつもりだ? ロイはジルの家に近づくことは出来ない。ペンダントに耳を澄ますだけだ。

「そう邪険にしなくても良いだろう。私はお前たちの生みの親だぞ」

 不意にフェルディナンドの声がした。ジルとの関係は良好ではないようだ。

「生んだなどと、ずいぶんと恩着せがましい。私たちは、あなたたちの良いおもちゃにされただけ。このままそっとしておいてくれれば、私たちは何もしませんのに、こうもしつこくやってこられるのなら、間違いが起きるかも知れませんわ」

 ジルは決して、フェルディナンドに対して恐れを抱かず、むしろ対等に渡り合っている。慣れているようだ。

「創造主の元から逃げ出しておいて、随分と偉くなったものだ。安心しろ。他の奴はともかく、お前にはもう手を出さないように、話はついている。少なくとも、我らを裏切らなければ、その身は安泰だ」

「裏切るも何も、私はあなたの味方になったわけじゃない。ただ、中立でいたいだけよ。それに、あなたたちは、本当は王家の相談役となった私を恐れているだけ。それで、本日は何のようですか? お客さん」

 ジルは口調を変えた。商売人の口調だ。

「客としての扱いか。良かろう。今日は翻訳魔法が欲しくてやってきた」

「翻訳魔法? それくらいなら、あなたが持っている本のどれかに載っているでしょう」

「屋敷に帰れば、そうする。しかし今は旅先で、緊急事態なのだ。途中で男を拾ったのだが、此奴の言葉が異国のもので、さっぱり分からぬ」

「では、領地へお戻りください」

「言葉の通じぬ奴と一緒に? とんでもない。こちらの気が狂いそうだ」

「その人は、ここには居ないのですか?」

「ああ。ベガの街で待たせている」

「では、あまり持続性のないものしか用意できませんわ。翻訳魔法を付与したペンダントでも良いですか?」

「構わぬ。屋敷に帰って本を捜せば、おそらくなんとかなる」

「では、ちょっとお待ちを。今すぐお出しできるのは、このアミュレットです。お代は2リーブラです」

「吹っ掛けてきよるな。仕方がない。それで、使い方は?」

「翻訳をしたい相手に持たせて下さい。出来れば喉元の近くに。その人の思念をアミュレットが読み取り、私たちの言葉に変換して声に出してくれるでしょう」

「分かった。だが、効果がなかったら、只では済まさないぞ」

「効果はあるわ。私が作ったのだから」

 2人の対話は終わったような。しばらくして、フェルディナンドが家から出てきた。フェルディナンドが南に向けて去って行った後、ジルは戸締まりをし始めた。ロイは、今朝の樹洞に戻ることにした。

 樹洞の入り口では、怖い顔をしたジルが立っていた。ロイが約束を違えて家に近づいたからだろう。怖い顔で言えば、ロイも同じだ。互いが相手に疑念を持った状態なので、仕方がないのかも知れない。しかし、信頼していた相手に裏切られたという想いが、2人の間に相当重い空気として漂った。

「フェルディナンドとの話はついたようだな」

「ええ、そうね。一応言っておくけれど、彼とはあくまでビジネスとしての付き合いよ」

「そう願うよ」

 ロイは一言そういい、穴の中に入った。ジルの言っていたことは、おそらくその通りなのだろう。ペンダントを通して聞いた内容も、それを示している。しかし、それでも彼女がフェルディナンドと会っていた事実は、自分たちの安全を脅かしかねない。

 ジルが遅れて洞穴に入ってきた。

「マリオンは知っているのか?」

「たぶん、知らない」

 2人は会話しながら、ナシラの家に戻ってきた。

「ウォリディは?」

「ここで待って貰っているわ」

 転移した部屋の扉をジルが開けると、広い部屋の片隅にあるソファーに座っているウォリディの姿があった。分厚い本を読んでいる。おそらく魔法の勉強をしているのだろう。

「お帰りなさい。どうだった?」

 帰ってきたロイを見て、ウォリディが声を掛けてきた。ロイは暗い顔をしながら、

「1つ、仕事を受けることになったよ」

と答えた。

「どうかしたの? なんだか問題があったの?」

「ああ。雇い主が子供なうえに、前金として渡されたのが、認識阻害の施された銅貨だ」

 ロイはそう言いながら、クライトンから渡された銅貨を右手で胸の高さに掲げた。

「これだよ。これが何に見える?」

「大金貨ね」

「銅貨よ」

 ウォリディとジルがそれぞれ答えた。

「ジルが正しい。が、普通の人はどうやらウォリディと同じように見えている」

 ジルはロイの持つ硬貨を取って、じっと見つめた。

「魔力が強いか、あなたのような魔法耐性の強い人間にしか見破れないのね。普通の子供では考えられないわ。どんな仕事なの?」

「遺跡の東にある洞窟に、死者を甦らせる力があるという腕輪を取りに行くんだ」

 それを聞いたウォリディは呆れたように、

「そんな腕輪を子供が? それに、そんなものがあるのなら、当の昔に誰かに持ち去られているわ」

「子供が腕輪を、何に使うのかしら?」

「死んだ父親を生き返らせたいそうだ。腕輪にそんな力があるのか疑問だが」

 ジルが聞いてきて、ロイが答えた。ジルは顎に右手をやって考え込み、

「遺跡の東の洞窟……昔行ったことがある気がするわ。村から半日の、意外と近い所よ。地元では大聖堂と呼ばれている場所で、中は古い宗教の祭壇と言われる広い場所がある。隠し部屋もあったと思うけど、確か目ぼしいものはなかった」

と答えた。遺跡はアゲミンの村の南から南西に広がる。村を含む一帯は起伏に富んでいるが、東は比較的平坦だ。その中に小さな山があり、東の洞窟はそこにある。山とは言うが、古代の墓だと主張する学者もいる。

「君は、何のために洞窟に?」

「魔法の本か、アイテムがないかと思ったのよ。本はあったけれど、すでに持っていた本だったし、カビで使い物にならなかったわ」

「じゃあ、無駄足になりそうだな。だが、認識阻害を使うような奴がわざわざ人を雇うのだから、狙っているものは別にあるのかもしれない」

 ロイは、普段より口数が多い。ウォリディは、彼を見つめていることを気付かれないように本で顔を半分隠しながら、じっと観察する。彼は天涯孤独で友人は皆無と思っていたが、そうじゃないことは昨日の時点で分かった。ジル・クリスティは有名な魔道士だが、彼女と並ならぬ関係でもある。恋人とかではなく、仕事仲間だろうか。それとも違うような気がする。兄弟姉妹のような仲かもしれない。2人が組めば、彼が今日受けてきた依頼も、認識阻害魔法を操る何者かに対してもきっと大丈夫だろう。だが、彼とウォリディだったら? 彼は、自分に背中を預けさせてくれるだろうか。自分は、彼の足を引っ張っているお邪魔虫なのか?

 ウォリディは本をもう少し高く上げ、今度は深くため息をついた。


 ロイは翌朝、まだ暗いうちにジルの家を出ることにした。昨日と同じく、村のはずれにある樹洞に瞬間移動した。昨日と違うのは、見送りにウォリディがついてきたことだ。2人に見送られて、ロイは村の斡旋所に向かう。悪い予感を胸に抱えたまま。

 その予感は、まずは目先のところで起きた。ロイは歩き出してしばらくして、自分とは別の足音に気付いて振り返った。10メートルほど後ろに、ウォリディの姿があった。いつもと変わらぬ、旅の時の出で立ちだ。

「ウォリディ。どうしてここに居る?

 ロイは聞いた。その答えは察しがつくにもかかわらず。

「私もついて行く。良いでしょう?」

「今回は逃げるわけじゃない。仕事だ」

「だからこそ、行くのよ。相棒だから」

「相棒?」

「そう。相棒っていうのは、どんな時も行動を共にするよ」

 彼女はそう言ってロイに近づき、

「先生の許可も取ってあるわ。それに、預かってきたものもあるの」

と言いながら、黒い石の指輪に細い鎖を通してペンダントにしたものを、ロイの前にぶら下げて見せる。

「これは?」

「認識阻害を使ってくる相手だから、対精神攻撃のお守りを付けるように、ですって」

 ロイはペンダントを受け取り、首に掛けた。

「分かった。好きにしな」

「ありがとう」

 ウォリディに礼を言われたが、ロイはため息をついた。彼女は見た目に似合わず頑固で、こういうときは一歩も引かないことを、彼は何度か見ている。ロイは重い足取りで先を急いだ。

 集合場所には、クライトンが待っていた。3メートルはある、矛先が三つ叉になっている槍、トライデントを肩に担いでいる。彼はリザードマン特有の硬い鱗の皮膚があるため、胸と肩など最小限の金属製防具を身につけていた。

「来たか。その娘は?」

「ウォリディだ。この男はクライトン。俺と同じく、この仕事に雇われた」

「ウォリディです。魔道士の端くれですけど、よろしく」

「クライトンだ。自分の身を自分で守れるなら、何も言わん」

 クライトンは無愛想だった。しかし、彼女に対して悪意を持っているわけではないようだ。

 しばらくして、ガスとマクルードが、六歳くらいの子供を連れてきた。2人の服装は昨日と変わらず、携帯食の荷物が少し増えただけだ。ジルの話していた洞窟が目的地なら、日帰りなのでそれで十分だ。気になるのは、子供の顔色が優れないように見えることだ。

「その子が依頼主か?」

「そうだ。近いから一緒に行くそうだ。ところで、その娘は何者だ?」

 ガスが聞いた。ロイは、クライトンに対してしたように、簡単に紹介した。

「魔道士? お前が?」

 ウォリディが同じ魔道士と言うことでライバル心を抱いたのか、いぶかしげに言うマクルード。彼女は確かに、人の姿ならどこにでもいる農家の娘に見えるだろう。しかし、彼女はその一言にムッとして、

「そうよ」

「冗談じゃない。こんなどこにでもいる田舎娘が魔法使いだなんて。第一、杖さえもっていないじゃないか」

 マクルードの言葉に対して、ウォリディは静かに右手を突き出した。

「炎よ。焦がせ」

 その言葉とともに、マクルードのマントが地面に近い先端で急に爆ぜたように燃えた。

「うわっ。何をする!」

 マクルードがパニックを起こしながら慌てて火を消す。クライトンは笑い、

「使えるお嬢さんじゃないか。お前より役に立ちそうだ」

「これで分かっていただけたかしら」

「チクショウ……」

 ガスはマクルードの左肩を押さえてなだめながら、ウォリディに向かって、

「こいつが馬鹿にしたのは悪かった。しかし、君を雇ったつもりはない。それとも、ただの見送りか?」

 ガスに聞かれ、ロイは答えようとするその横からウォリディが、

「私は彼の相棒よ。彼の行くところに付いていくのは、当然のことだわ」

「しかし俺たちは、君を雇っていない。金のことだってある」

「私の分はタダで良いわ。私は彼と一緒にいられれば、それで良いの」

「本当にそれで良いのか?」

「ええ」

「…分かった。君にも来て貰おう」

「ありがとう。きっと、役に立つわ」

 ウォリディは頭を下げた。


 一行は出発した。ガスとマクルードと子供が先頭で、次にウォリディ、後ろにロイとクライトンがついて行く。各の距離は数メートルほど。ロイとウォリディの間は1メートルほどだ。

「ロイ。あの子の顔色、何だか悪くない? 大丈夫かしら」

「顔だけじゃない。手もそうだ。病気を抱えているのじゃないか?」

「そういう子を連れ歩いて、あの人たちは何を考えているのかしら」

 ウォリディは、前をゆく3人には遠慮しつつ、非難めいた口調でいう。クライトンは首を傾げながら、

「そうか? 別に普通だと思うが」

と答える。ロイは顔色を変えず、

「これも認識阻害かも知れない。ウォリディ、あの子供には気をつけろ」

「分かった。でも、あんな小さな子供がどうして、認識阻害を操っているのかしら?」

「前提が間違っているのかも知れない。あれで大人だとしたら?」

「おいおい。さっきから何の話をしている?」

 2人の会話に入り込めないクライトンが聞いてきた。

「何でもない。油断しないように、と確認し合っているところだ」

 ロイは答えた。

 一行は、休憩を挟みながら3時間ほど歩いた。およそ10キロは進んだだろう。子供が一緒に居たにしては、かなり進んだ方だ。むしろ、ウォリディの体力の消耗が激しい。いつもなら疲れればピクシーに戻って飛ぶか、ロイの帽子に乗ってしまうところだが、他人がいるところでは、そうもいかない。

 目的の洞窟は、丘陵地帯の中にたった一つある山にあった。標高はせいぜい数十メートル。周囲はおそらく1キロもないだろう。上半分は木が生い茂っているが、下半分は岩肌や土が露出している。古代の支配者が眠っている古墳だったという説も、あながち間違いとも言えない。

 洞窟の入り口は、山の南西側にあった。縦に裂けたような入り口で、横幅は1メートル程度と人が通るには十分にある。地面は土で埋まり、誰かが均したようだ。裂け目は自然に出来たとしても、何者かによって拡張され利用されていた事は間違いない。マクルードが魔法で握りこぶし2つ分くらいの大きさの光球を作り、洞窟内を照らした。

「ここからは、俺が先頭だ」

 クライトンが前に出て、トライデントを前に構えた。マクルードが光球を彼の頭上に掲げる。その後ろにガスと子供、その後ろにウォリディが続こうとする。その後ろを続いてくるはずのロイは、すぐには洞窟に入ってこなかった。4人についていったウォリディは、ついてくるはずの足音が聞こえなくて足を止めた。光は先に洞窟の奥へ進んでしまう。ウォリディは、ロイが心配になって振り返った。彼は少し遅れて着いてきていた。その左手には、小さなランプが下がっていた。ランプの揺らいだ明かりが彼女の顔を照らした。彼は魔法が使えないから、ランプを用意したのだ。しかし、今はマクルードの光の魔法で洞窟内を照らしている。

「光の魔法があるのに、ランプを使うの?」

「予備さ。術者に何かあったら、光は消えてしまうのだろう? それに、はぐれたときのこともある」

「そういえば、置いて行かれちゃったわ」

「すぐに追いつける。先に進もう」

 ロイは、ウォリディの前方を照らすようにランプを掲げた。

 2人は広い空間に出た。ジルが大聖堂と言っていたところだろうか。100メートル四方はありそうな空間で、天井も10メートルはあるだろう。奥には祭壇のような石のテーブルがある。その奥には壁に凹みがある。石像や燭台が置けそうな大きさだ。何かを祀っていたのだろう。

 ガスとマクルード、クライトンが部屋の探索をしていた。部屋の右手には先へ進めそうな穴がある。その穴からは光が漏れている。

「お宝どころが、ガラクタ1つないぞ」

 不思議そうにガスが言う。ロイに言わせれば、村に近い小さな洞窟に、お宝がいつまでも残っているはずがない。だが、そういう判断ができなくなっていることも、認識阻害の効果なのかも知れない。

「まあ、長いこと使われてはいないだろう。ところで、依頼主は?」

 ロイは、ランプであたりを照らしながら言った。

「ない……ない!」

 右手の穴から声がした。大聖堂の部屋にいる人から考えれば、穴の声の主は依頼主の子供しか考えられない。

「どうした?」

 ガスが大声で穴の向こうに声を掛けた。子供が両手で頭を抱え込み、よろけながら穴から出てきた。顔を上げたその顔は、鬼を思わせる怒りに満ちていた。

「『心の書』がない! あれがなければ、新しい体に魂を定着させられない」

 それは子供らしからぬ声だった。しかし、心の書と聞いたロイには思い当たるものがあった。その本がどこにあるかは分からないが、その内容は知っている。そして、その書籍を狙っているこの子供には、明らかに子供ではない、誰か別の魂が入っているのだ。

「ウォリディ、下がれ!」

 ロイは叫び、腰のカットラスを抜いて、子供めがけて走り出した。

子供が叫んだ。子供らしからぬ、獣の咆哮のようだった。それを聞いたロイは足を止めた。彼は振り返ってウォリディの無事を確認したが、ガスとマクルードは耳を塞いでうずくまった。そして、クライトンは跪き、前に倒れた。

「ウォリディ?」

「私は大丈夫。でも、指輪が壊れたわ」

 ウォリディは、ジルから貰ったペンダントを指した。ロイは、自分が貰った指輪も同じように割れているのを見た。指輪が身代わりになったようだ。

「光よ、闇を照らせ!」

 ウォリディは天井に向けて、両手に抱えるくらいの大きさの光球を放った。大聖堂の中が全て見渡せるくらいに明るくなる。ロイは、ランプを地面に置いた。子供を見ると、背中から何やら白いもやが見えた。そしてそれはクライトンの体の上に移動した。同時に、子供はその場に倒れた。代わりに、白いもやがクライトンの身体に入り込むように消ええると、彼は立ち上がった。

「折角、丈夫な身体が手に入ったというのに、また捨てねばならぬのか」

 クライトンが、彼とは明らかに違う口調でしゃべった。

「どうなっている?」

 ガスが立ち上がり、戸惑いながら短剣を手に持った。が、クライトンがおもむろにトライデントを彼に向けて突き出した。ガスが目の前で倒れたのを見たマクルードは、顔を恐怖で引きつらせた。

「な、何するんだ!」

 彼は言うが早いか、火球の魔法をクライトンに向けて連発する。クライトンはそれを左手で払いのけた。

「リザードマンの体は、丈夫にできているな」

 クライトンは、自分の左手にほとんど傷がないことを確認してにやりと笑う。

「無理だ。こんな奴と戦うなんて」

 マクルードは、今度は出口に向かって走り出した。

「逃げる前に、我が火炎を見ていけ」

 クライトンは左手を逃げるマクルードに向け、小声で何かを唱えた。強力な火炎が左の手のひらから放射された。逃げるマクルードとクライトンの間には、ウォリディがいた。彼女は逃げるマクルードに意識を取られ、クライトンの火炎放射に気づくのが遅れた。

「ウォリディ!」

 ロイは叫んだが、遅かった。ウォリディは短い悲鳴を上げて炎に包まれた。火炎はすぐに止まったが、彼女に移った火は消えない。ロイはマントを外して彼女にかぶせ、火を消そうとした。

 マクルードは逃げおおせたのか、姿はなかった。

「あとはお前だけか」

 クライトンが、今度は左手をロイに向けた。ロイはとっさに体を右へ飛び退かせた。火炎は彼の頭上を走った。ロイは立ち上がり、剣を構え直す。だが、倒れたままのウォリディが気になって、戦いに集中できない。

 幸い、ウォリディの炎は消えていた。だが、彼女を助けようにも、ロイは治癒の魔法は使えないし、有効な薬の持ち合わせもない。回復薬を渡そうにも、彼女は受け取れる状態ではなく、そもそも今、自力で飲める状況ではないだろう。

「リカバリーヒール!」

 背後から声がした。ロイが振り返ると、大聖堂の入り口にジルが立っていた。彼女がウォリディに回復の魔法を掛けたのだ。ウォリディは青白い光に包まれた。回復の魔法と、おそらく防御の光だろう。

「ロイ。彼女のことは任せて、その男を倒すことに集中して!」

「しかし、この男は何かに操られている」

「無駄よ。その男の身体には、別の魂が入っているわ。彼はもう死んでいるの」

 ジルがそう言った。確かに今のクライトンは、元の彼ではないようだ。倒すことを躊躇していては、ロイたちの命はない。ロイは走って間合いを詰めた。クライトンが再び火炎の魔法を放つ。ロイは、今度はそれを正面から受けた。火炎の魔法は、ロイには通用しなかった。せいぜい、服を少し焼くくらいだ。

 魔法が効かないことにクライトンは驚いていた。慌ててトライデントを構え直し、突き出してきた。ロイは、トライデントを正面で受けた。両手を突き出し、トライデントの三叉の間に剣を当てていた。トライデントの三叉の部分は、ロイの腕よりも短いのが幸いした。ロイはすぐに、剣の柄で三叉部分を跳ね上げた。トライデントの三叉に挟まれたままでは、トライデントを回転するだけで剣を奪われてしまうからだ。

 クライトンは一旦トライデントを引き、もう一度突き出す。ロイは、今度は身体を左へ反らしてその突きをかわし、逆に剣の裏刃をトライデントの棒にたたきつけた。トライデントは地面に突き刺さった。ロイは、クライトンとの間合いを詰めた。クライトンは、トライデントを手首で横に回して、棒でロイの剣の一撃を留め、さらに振るって、刃と反対の石突でロイの顔に打撲をあたえんとする。ロイは一旦下がった。しかし、本来のクライトンは槍の名手なのだろうが、今の彼は違う。動きはぎこちない。

 クライトンは槍を上段から振り下ろした。ロイは右へかわし、左腕で槍を巻き取り、一気にクライトンとの間合いを詰めると、剣を右下から左上に振り上げた。切っ先はクライトンの胸を捉えた。致命傷には至らない。それでも、トライデントは手放させた。クライトンは予備の武器として短剣を抜いた。

「縛!」

 ジルが叫んだ。クライトンが一瞬光った。クライトンは驚いた顔でジルを見て、

「お前、魂縛術が使えるのか?」

「ロイ。今よ」

 ジルはクライトンの問いには答えず、ロイに言う。ロイはやるべきことを知っていた。クライトンは短剣でロイの剣をかわすが、3度目の右からの胴薙ぎは防ぎきれなかった。ロイが渾身の力を入れていたので、いくらリザードマンの皮膚が硬くても、致命傷になるくらいだ。しかし、ロイはさらに上段から剣を振り下ろして、もう一撃を加えた。クライトンは再び跪き、前に倒れた。

「結局、お前は誰なんだ?」

 ロイは、クライトンに聞いた。正確には、クライトンの身体に入った何者かに、だ。

「我が名はゲオルギウス。かつてこの地を支配していた者。永遠の命を得るため……魂だけの存在となり、新たな身体を求めていた……が、時間を掛けすぎたようだ」

「らしいな。いつの時代の人間かは知らないが、転生しても幸せとは限らないぜ」

「忌々しい。心の書さえあれば…」

 恨み言の末、ゲオルギウスと名乗ったクライトンは動かなくなった。

 ロイは剣を鞘に納め、ウォリディに駆け寄った。ジルの魔法は、治癒と言うより再生魔法のようだ。業火に焼かれたはずのウォリディは、この洞窟に入る前の姿に戻っていた。今は眠っているようだ。

「もう大丈夫よ。今は眠っているだけ。ただ、数日は目を覚まさないと思うわ」

「ありがとう。来てくれて。君がいなければ、彼女は死んでいた」

「そうね。私が村の外に出るなんて、余程のことよ。お礼は弾んでね」

「帰ろう。彼女をゆっくり休ませたい」

 ロイは、ウォリディを背負うことにした。彼女の服は黒く焼けていたため、ジルに頼んで、背負った上からマントを被せることにした。


 洞窟の外は、日が高く昇っていた。ウォリディは、ロイの背中で寝息を立てている。ジルのおかげで、彼女は助かった。

 ロイは、ウォリディが焼かれたときにはひどく狼狽した。そして今は、すごく穏やかだ。人の生死にこれほど心が動かされたのは初めてか。いや、遙か昔にそんな記憶もある。

「魂縛術。君も使えたのか?」

「そりゃあ、たくさん勉強したもの」

「奴の魂を鑑定したのか?」

「ええ。彼は自分で言っていたとおり、かつてこのあたりを支配していた王様のようね。でも、千年も昔の話よ。あの洞窟は、彼の墓でもあり、永遠の命を得る儀式の場でもあった。正確には、年老いた自分の体を捨て、若い体に魂を移す儀式ね」

「奴が言っていた『心の書』は、誰が持ちさったのだろう? あの本を頼りにここへ戻ってきたのだろうが。千年もたっていたら、さすがに盗掘されているだろうな」

「案外、フェルディナンドかも。若い頃、このあたりで探索者をやっていたらしいわ」

「あいつか。でも、あり得る話だ」

 2人の会話は、一度途絶えた。しばらくして、ジルは再び口を開いた。

「それで、これからはどうするの? この子は、何としてもあなたについて行くでしょう」

「どうだろう。今回は死ぬところだった。これに懲りて、傭兵につきまとうのを止めるだろう。この先、連れて行くのは無理だ」

 ロイは答えた。ジルは首を横に振り。

「この子は、違うと思うわ。むしろ、今回のことで、もっと強くなろうと思うのじゃないかしら」

「だから、彼女を君に預けたい」

「ロイ。この子を思う気持ちが本当なら、この子が前世から引きずっている想いを解放してあげることが、本当の優しさよ。それが出来るのは、今はあなたしかいない」

「俺を買いかぶりすぎだ」

「よく考えて、ロイ。私たちの復讐が終わったとしても、あなたにはやるべき事が出来た。これは幸せな事よ」

「みんな、身勝手だな。全部俺に押しつけて。そして、いなくなっていく」

「私たちはいつも一緒よ。少なくとも、心はずっと」

 ロイとジルは、横に並んで足を進めた。村は、風も穏やかで、久々のお日様が顔を出して、大地を明るく照らしていた。


                                        第6話 おわり 

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