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第5話 婚約相手はウォリディ

 当時は洋の東西を問わず、争いの絶えない世界だった。ある東方の国でも、群雄割拠の世だった。小国同士の争いが続き、その小国内でも下剋上という、下の者が上に立つ者を倒して成り上がる事態が散見された。

 三州と呼ばれる小国の中でもさらに奥の地。奥三州と呼ばれる地域で今、再び下剋上の争いが起きていた。その夜、草木も眠る丑三つ時という時刻。当主の館は包囲され、陥落も時間の問題だった。ほぼ寝間着姿の当主、木村忠宗は喧噪に目を覚まし枕元の刀を持って庭に出る。外の夕闇が無数の松明で燃えるような赤で照らされ、事態が彼にとって最悪の状況であることが分かる。

「ええぃ。佐藤は何をしておる! 完全に囲まれておるではないか」

 木村は慌ただしく辺りを見回しながら小姓に悪態をつき、庭を右往左往する。逃げるには遅すぎた。庭の木戸が破られ、槍を持った兵士が何人も駆け込んできた。木村はあっという間に囲まれた。刀を抜いたが、複数の相手が槍では分が悪い。小姓は脇差しをこさえていたものの、それを用いる間もなく取り押さえられてしまった。

「佐藤。貴様か!」

 槍を持つ兵士の顔を見て、木村が憎々しげに言う。正面に立つ佐藤は相手にせず、

「貴殿が10年前に我が主君を卑怯討ちした恨み、ようやく晴らせるときが来た。覚悟せよ」

「同じく、貴様に残酷な方法で殺された叔父、室井輝政の無念、ここで晴らしてみせようぞ」

 佐藤の右隣にて槍を構える若者が言う。

「輝政の縁者か!」

「佐藤小次郎。我が主君、御船貞正公に代わって、木村忠宗に一番槍!」

 佐藤は叫び、木村は一突きにされた。彼はこう見えても、武術の達人だった。しかし、多勢に無勢で為す術がなかった。恨み言の一言を発する間もなく次々と槍が突き立てられ、すぐに意識が遠のいた。

 木村が次に気がついたのは、身体のない存在になった時だ。足のない存在、いわゆる幽霊となったことに愕然とした。この世に未練を残した者が幽霊となる。そう言われているが、彼にはそういう現象は起きないようであった。彼にはまだ怨念の度合いは弱いということか。怨念と言えば、彼が十年前に謀反で倒した御船貞正の方が、よほど強かったはずだ。あるいはその家来の誰かだ。彼らが化けて出てこないということは、死後の世界は存在しないのか?

 ふと右を見ると、自分と同じように身体のない存在がいることに気付いた。足はない事以外は、人の姿をしている。よく見れば、それは共に謀反を起こし、側近として使えていた鳥居久助だ。

「鳥居、お前か?」

「木村様。この姿は一体……我らは死んでしまったのでしょうか?」

「どうやらそのようだ。他の者たちは?」

「朝倉ともども、奴らに斬られました」

「そうか。木藤様の恩顧により、ようやく我らが領地を得たというのに、わずか10年でその夢が潰えようとは」

「無念でございます。この恨み、如何様にもできないものでしょうか」

 身体を持たぬ鳥居だが、歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど唇を噛みしめていた。

 木村忠宗は謀反を起こし、三州の一部を奪った。その際に、そしてその後も悪逆の限りを尽くした彼は、領民ならず部下にも恨まれていた。そのことは自覚していたが、それは領地を治めるため、この世の習いと思っていた。そして今、自らも討たれる側となった。天下人を目指す途中で夢が潰えたことを無念と思ったが、まだ自分の念が足りないというのか? そう思っていたとき、

「ちょうど良いのがおる。言葉に不自由するが、こいつらのどれかにしよう」

という声が聞こえたかと思うと、横方向に強く引っ張られた。それはまるで、何者かにつままれて動かされている、という感覚だった。何かから逃げようとする木村たちだが、彼には為す術はなかった。


 同じ頃。ロイはウォリディを背負って、コカブの街に向け歩いていた。先日に駅馬車を降りた街であり、アンワルの村から半日ほど歩いたところにある。日が沈んで1時間ほど経過した暗い夜道だが、ウォリディの明かりの魔法により、道を外れることなく歩くことができた。

「ところでウォリディ。どうしてピクシーに戻らない?」

 ロイは思い出したように、背中のウォリディに聞いた。ウォリディから返事はなかった。その頭は完全にロイの首の後ろに乗っていて、一定のリズムで呼吸も聞こえてきた。眠っているのか、それとも…。

「狸寝入りか」

 ロイがつぶやくと、

「こんなにかわいい狸、どう思う?」

と、急にウォリディの顔がロイの左後ろに現れた。

「面倒だと思う」

 ロイの答えに、ウォリディは背中でふくれっ面をしたようだ。とても、先ほどまで大泣きしていたようには見えない。

「それに、治癒魔法で足は治っているのだろう?」

「気付かれちゃったか」

「まあ良い。近くの街まで行く約束だ」

「律儀なのね」

「傭兵は、受けた仕事はやり遂げないと信用されないからさ」

 ロイは答えた。だが実際は、人を背負って歩くのは難儀する。幸い、ウォリディが軽いのと、街まではほぼ下り道だったので移動は順調だったが、街への到着は深夜になりそうだ。


城門のある大きな街は大抵、明るい時間しか出入りできない。そのため、このまま進んでも、城門が開くまで外で待つことになる。ただし、街によっては城門が開くのを待つための簡易宿泊所や酒場など、城門の前に夜露をしのぐ場所があることも多い。ロイとウォリディがコカブの街の手前に着いたのは、日付が変わったあとのことだ。コカブの南城門の100メートルほど手前には数軒の建物があった。しかし、ロイはその建物の前を素通りしようとしていた。

「ロイ。酒場に入らないの?」

 ウォリディは不思議そうに聞く。酒場の店内からは明かりが漏れ、店の中からは話し声や、リュートという楽器の音も聞こえてきた。そこを通り過ぎて先へ進んでも、城門は開いていないし、この街を通り越すとも思えなかったからだ。

「酒場じゃ金が掛かる」

 ロイは答えた。そして、そのまま城門に向かう。

「お金の節約ってこと?」

 ウォリディは聞いた。

「そうだ。10リーブラ貰い損ねたからな」

 ロイは答えた。大金を貰い損ねた割に、悔しいという感じではなかった。

石造りの壁で覆われたコカブの街は、他の城塞都市と同じく、いくつかの城門だけが外界との接点になっている。城郭の周りには堀などなく、比較的平和な時期に建設された街のようだ。それでも、城壁や城門自体は頑丈にできているようで、通常の開き戸の他に、落とし格子を備えていて、いざという時のことは考えているようだ。

「ウォリディ。そろそろ降りてくれないか?」

 ロイは、背中のウォリディに言った。彼女は意地悪いほほえみを浮かべた。

「そうしたいけど、この高さで降りろっていうの?」

「それもそうだ」

 ロイはしゃがみ、ウォリディは地に降り立った。

「ありがとう」

ウォリディは言った。ロイは立ち上がり、城門の前に進む。城門の前には人が腰掛けられる高さの石垣が道の両側にあり、すでに何人かがそこに腰掛け、開門の時間を待っていた。

その中に、明らかに様子のおかしい2人がいた。両手で顔を抱えて泣いている灰色のコボルトの商人と、それをなんとかなだめようとする従者らしい人間の男だ。商人の服はボロボロになっており、赤黒い血で所々染まっている。その泣き方が尋常ではないため近寄りがたく、周囲の人々は彼らから距離を取っていた。

「どうかしたのですか?」

 ウォリディは商人たちに声をかけた。よくわからない相手に近づくのは危険だと、ロイは忠告しようとしたが、間に合わなかった。泣き続ける商人の代わりに、人間の従者が、

「それが、手持ちの金がすべて無くなったので、途方に暮れているところでございます」

と答えた。

「どうして一文無しになったの?」

「一昨日の昼のことです。私たちは東の街から来たのですが、ここへ来る途中の森の中で魔物に襲われ、旦那様が瀕死の重傷を負ったのです。そこを、通りすがりの魔法使いの方に助けていただき、旦那様は一命をとりとめることができたのです。ですが、その魔道士には、代金として所持金全部を請求されたのです」

「お金を全部?」

「そうです。パーフェクトヒールと言っていましたが、死んで間もない状態なら蘇生させ、完全に治癒してしまうそうです。実際、私も危なかったそうで」

 ようやく、コボルトの商人が、繰り返しこみ上げる悲しみを押さえながら答えた。

「死にかけたのを助けてもらったのなら、良かったじゃない」

「それはそうですが……なにも、有り金全部取っていくことはないじゃないですか」

「でも、命には代えられないのでしょう?」

「ええ、分かっていますよ。有り金全部で命が助かったのなら、安いものだということくらい。ですが、いざ助かってみると、本当にその必要があったのかどうか、分からないのです。生き残っても、旅の路銀を失えば、いずれ野垂れ死ぬのですから」

 商人は苦悩していた。ロイは口を開いた。

「その魔物というのは、どういう奴だったのですか?」

「旦那様を襲った化け物ですが、なにぶん突然のことだったので。黒い、オオカミみたいな生き物だった、としか」

 従者が答えた。商人も首を縦に振って同意する。コボルトがオオカミに襲われる姿は、想像しづらい。

「あなたを治した魔法使いは、初老の魔導士ですか?」

「そうです。グレーの服を着た初老の魔導士です。若い騎士と一緒でした」

 商人が答えると、ロイは顔を曇らせた。思い当たる男はいた。その相方であろう若い騎士は、先ほど倒した男だ。魔道士達は、アンワルの村に向かう途中でこの商人を助けたのだろう。

「お家に帰れば、お金はあるのでしょう?」

 ウォリディが聞くと、商人は頷きつつも、

「もちろんありますよ。しかし、ここから何日も歩かなければならない街にあるので、一文無しの身ではたどり着けません。馬車ならば、一日余りでたどり着けるのですが。あるいは、誰かに、私の店に金を持ってくるよう伝言を頼むしかない」

「しかし、ここに居続けても飢え死にするだけでしょう? 商人なら、何か売って金を作れば良いじゃない? それか、何か手持ちの物を質屋に入れるとか」

「おっしゃるとおりです。しかし、街の中に入るには通行税を払わなければいけない。手持ちの物と言えば……」

 商人は、従者に持たせていた荷物の中を探し始めた。そして、何やら手のひらに収まる大きさの薄い物を取り出した。

「古いですが、手鏡があります。柄が付いていて、持ち歩きに便利ですよ。鏡には石英を使っているので、ガラスほどではありませんがよく映ります。お嬢さん、鏡はお持ちですか?」

 商人はウォリディに、鏡を手渡した。ウォリディは鏡をいろんな角度から眺めた。本体は掌サイズで、鏡の部分は円盤状の透明な石でできていて、金属製の保護枠にはめ込まれている。鏡の裏側には、魔術の文様が彫り込まれている。柄の部分は、鏡の外側につけられた枠と同じ材質で、後からつけられたようだ。

「この鏡、変な魔力を感じるわよ。普段使いにするものじゃないと思うけど?」

「柄はおそらく、後からつけた物だと思います。さる貴族から買い取った物ですので、骨董品ですが、品質は確かです。鏡の部分は水晶なので、落としても割れにくいですよ」

「それをいくらで売るつもりなの?」

「そうですね。3リーブラでいかがでしょうか? 女性の身だしなみには必需品かと」

「3リーブラって……300デニエ!」

 ウォリディは普段扱わない高額に驚いた。デニエは銀貨1枚で、およそ1000円と考えれば良い。ただ、リーブラは大金貨だが、その下にソールという金貨がある。

「30ソールだ。銀貨じゃ枚数が多すぎる。どちらにしても、俺たちにそんな大金を払う余裕はない」

 ロイは補足ついでに、商人に買う意思がないことを伝えた。

「そうね。かわいそうだけど、そんな大金は持っていないし、高価な物はいらないもの」

 ウォリディも同意する。商人は再びうなだれ、

「かといって、この鏡は、そこらにあるものとは違う高価な物。これでも安いのですが、これ以上は下げられません」

「他の金持ちを探すか、街の質屋に入れるしかない」

 ロイが言うと、商人は顔を赤くして、

「だから、通行税を払えないので困っているのではないですか」

と訴える。

「じゃあ、街に入れれば良いのね。ロイ、どうする?」

 ウォリディはロイの顔を見た。ロイは帽子を深く被り、

「俺の知ったことじゃない」

「そう言わないで。かわいそうじゃない。お金を貸すことくらいはできないの?」

「なんとかなるが、俺たちも、明日を知れない世界を生きる身。人に施しをする余裕はない」

「情けは人のためならず。人に良いことをすれば、めぐり巡って自分に良いことが返ってくるのよ」

「昔、誰かにもそう言われたな。分かった。ただし、1人分だ」

「良いわよ。もう1人分は私が出すから」

「君はとんだお人好しだ。いつかだまされないように、気をつけろよ」

「大丈夫。あなたが守ってくれるのでしょう?」

 ウォリディは笑顔でロイに行った。彼はため息をついた。


 コボルトの商人はゲーリック。従者はジャックと名乗った。

 コカブの街に入ったロイたちと商人2人は、それぞれの目的の店へ行くために分かれた。商人たちは、金を都合するところへ行ったのだろう。ロイとウォリディは、依頼斡旋所に向かった。正確には、斡旋所に向かうロイに、ウォリディがついて行っているのだが。

「近い街まで送るという約束だっただろう。どうして付いてくる?」

「ええ。送って下さってありがとう。そしてここからは、当初の予定通り、貴方についていくの」

 ウォリディとロイは、これまで繰り返されてきた不毛なやりとりを続けていた。

 依頼斡旋所とは、いわゆる仕事斡旋する場所である。大きな街には必ずあると言って良いもので、仕事を依頼する者と請け負う者の仲介をしている。就労支援や一時雇いの仕事を斡旋する、公共性のある仕事で、王家や領主が設置しているのがほとんどである。仕事を受けたい人間は斡旋所に登録することで、身分証代わりにすることもできる。そのメリットは、社会に対する信用や、受けられる仕事の選択範囲が広がることに加え、特定の街では通行税の割引を受けられることだ。当然、傭兵稼業のロイも、王国発行の登録証を持っている。

 斡旋所に入った2人は、すぐに掲示板の前に向かった。掲示板は、現在斡旋中の仕事の内容を書いた紙を掲示している。掲示板の周辺は情報交換の場にもなっており、周辺の状況を知る事もできる。仕事を受けたい場合は、仕事の紙に書かれた番号を受付に告げる。

 ロイはそこで、仕事を探すつもりでいた。旅を続けるには路銀を稼ぐ必要がある。ウォリディがついてくるとなれば、今まで以上の金が必要だ。

「曲剣の剣士。あなたがロイ殿か?」

 ロイは突然、声を掛けられた。依頼斡旋所の中で戦いになることはまずないので、ロイは身構えるようなことはしなかった。だが、無言で声の主を見た。声の主は若いが、ロイより背の低い、ドワーフの男だ。目つきが鋭く、武器を持っているわけではないが、油断ならないという雰囲気を振りまいている。

「そうだとしたら?」

 ロイが答えると、ドワーフは少しだけ顔の険しさが緩み、

「いや、急に声を掛けて悪かった。どうか警戒を解いてほしい。私はマティアス。フェルカドの山からきた。エフライム殿の名前を出せば、話を聞いてもらえると伺っている」

といった。エフライムの名を聞いたロイは苦笑いし、

「エフライム殿か。俺を便利屋と勘違いしているらしい。いかにも、俺がロイだ」

「出会えて良かった。実は、捜し主はフェルカドの森の長老様でエルフなのですが、何やら問題が発生したと言うことで長老の知り合いに尋ねたところ、アルコルの森の長老様があなたの名前を出された。しかし、どちらにおられるか分からないので、周辺の仲間に声を掛けて、あなたを捜していたのです」

「その長老殿の頼み事とは、おそらく面倒なことなのでしょうね」

「あいにく、頼み事の内容は森の長老しかご存じないのです。私はあなたを、長老様のところへお連れするように言われております。幸い、フェルカドの森はこの街の近くです。どうか、話だけでも聞いていただけないでしょうか」

 マティアスの話を聞いたロイは、果たしてどうすべきか考えていた。アルコルの森の長老エフライムが口利きしたのなら、無碍にすることはできない。しかし、先を急ぐ身ではないとはいえ、厄介事に巻き込まれたくはない。

「ロイ。話を聞きに行きましょう」

 ロイが結論を出す前に、ウォリディが言った。それはマティアスには、承諾の返事だと取られただろう。ロイは答えに窮した。

「大丈夫。私が責任を持って、彼を長老様のところに連れて行きます」

 ウォリディは、ロイの心とは関係なく答えた。


 フェルカドの森は、コカブの街から10キロほど南西に進んだところにある。広大な森で、西側には鉱山のある山も控える。妖精たちが数多く、概ね種族ごとに分かれて暮らしている。

 ロイとマティアスは、2頭の馬に分乗して森に到着した。ウォリディは、ピクシーの姿になって並んで飛んでいた。森に到着した3人は、森のエルフに案内され、彼らの一族が棲む、森の中心部にある大木の前に移動した。エルフ族の長老の家は、大木のすぐそばに立っている木造平屋の建物だ。質素な作りで、周囲にある他の家と変わらない。玄関に付けられた、花や枝、銀細工で装飾されたリースが、長老の家の目印になっているようだ。

 長老の家の前には、男のピクシーが飛んでいた。彼はウォリディの顔を見ると、すぐに彼らの前に飛んできた。ウォリディには、それが誰かすぐに分かった。

「ピーターじゃないの。久しぶり」

「やあ、ウォリディ。会いたかったよ」

 2人は飛びながら、軽く抱擁の挨拶を交わした。挨拶を終えたウォリディは、

「どうしてここにいるの?」

「長老様の使いでここに来たのさ。ウォリディは?」

「私は、ロイと一緒に来たの。フェルカドの長老様が、彼を探しているそうだから」

「ずいぶん長く旅に出ているけど、いつ帰ってくるの?」

「えっ? 私、帰るなんて言ってないと思うけど」

「冗談だろう? 君は僕の……」

 2人の会話が続きそうなのを見て、ロイは、マティアスや案内役のエルフに、2人を置いて先に進むように顔で合図を送った。その2人も同意し、長老の家に入った。

「ちょっと待って。私も」

 少し後から、ウォリディも続いた。ピーターはついてこなかった。


 家の中に案内されたロイたちは、すぐに長老と面会することになった。フェルカドのエルフ族の長老は、気品と威厳のある老女だった。伸ばした背筋は、人より遙かに重ねた年数を感じさせない。そんな彼女を悩ます問題があることが信じられないくらいだ。

「ロイさんと、ウォリディさんですね? はるばるお越しいただきありがとうございます。この森の長老を務めております、ライザと言います」

 長老は名乗った。ロイは帽子を取って胸に当て、頭を下げた。

「ロイです。エフライム殿が、俺のことを紹介したそうですが?」

「そう。この森で少々問題が起こりまして、彼に相談したら、あなたが適任だと伺ったので、呼んで貰いました」

 ライザは話を始めた。

「しかし、俺を呼ぶのに大勢のエルフやドワーフたちを使ったようですが、それほど大がかりな問題なら、俺1人の手に余ると思いますが」

「無理強いするつもりはありません。正直に申しますと、満足のいく報酬もお支払いできないでしょう。ですが、せめて話だけでも聞いていただけますか?」

「もちろん、話はお聞きしますが。解決できない可能性が高い以上、引き受けるとは断言いたしません」

「それで構いません。あちらで座って話をしましょう」

 ライザたちは、部屋の右の窓際にあるテーブルとソファーに移動した。

「ロイさんにお願いをしたいことですが、あるものを探し出してほしいのです」

「捜し物ですか? それなら、すでに大勢で探したことでしょう。その上で俺が加わっても、何ら変わりはないと思いますが」

 ロイはすぐに疑問を口にした。

「ええ。しかし、放っておくのは危険な物なのです。見た目は大変古い手鏡なのですが、魔法具で、恐ろしい力を持っています」

「どう危険だというのです?」

 ロイが聞くと、ライザは一呼吸置いて、

「その鏡は、持ち主の潜在意識を読み取り、魔物を生み出すのです。それも、その時に応じた姿の物を、です。厄介なことに、その魔物は実体を持ち、襲ってくることもあるのです。しかし、魔物を生み出す仕組みや、そもそも、どうしてその鏡が作られたのかは全く分かっておりません」

「作られた場所は分かりませんが、鏡本体は我々ドワーフの先祖、そして魔法具として完成させたのは魔術師と言われています」

 ライザに続けて、マティアスが鏡の情報を追加する。

「危険そうな鏡だというのは分かりましたが、その鏡を見つけてどうするのですか? そもそも、ライザさん達がその鏡を探さなければならない理由とは、何ですか?」

「鏡は、何十年も前からこの村の宝物庫にありました。元は何かの儀式用だったと思いますが、何分古く、ずっと使われていなかったので詳細は分かりません」

「それが、誰かによって盗まれたと?」

「紛失に気がついたのは半年前です。正確には、封印していた筈の物が、長年の間に他の物と一緒となり、何かの拍子に外へ持ち出されたようです。管理が甘かったと言われれば、その通りですが」

 ライザは申し訳なさそうに言う。

「鏡は、本当に外へ持ち出されたのですか? 倉庫の中で、他の物の中に紛れている可能性は?」

「鏡が森の外に出たのは間違いありません。というのは、半年くらい前からこの森の外で、不思議な殺傷事件が連続して発生しました。事件が発生しましたのは、アルサマイナ男爵の領内、つまりこの森も含めた領内です。先月、男爵から事件の相談を受けた時にはじめて、鏡の紛失に気付いたのです」

「事件が鏡のせいだと、よく分かりましたね」

「かつて、この森でも同じ事が起きたからです。それで、誰の持ち物にもないように封印していた。そのつもりになっていました」

「その鏡を見つけたら、どうするのですか?」

 ウォリディが聞いた。

「取り戻してほしいのですが、破壊していただいても構いません。存在しない方が良いのは確かですから」

「鏡の特徴は?」

 ロイは聞いた。ライザの顔が少しだけ明るくなった。

「引き受けていただけるのですか?」

「ここまで聞いて、今更嫌とは言えないでしょう。それに、アルコルの森の長老の顔も立てなければ。その代わり、1ヶ月です。そこから先は自由にさせて貰います」

「ありがとうございます。1ヶ月でも探していただけるのなら、本望です。鏡の特徴ですが、鏡自体は円形の薄い透明なクリスタルになっていまして、金属製の板にはめ込まれています。板の裏側には古代の文字と魔術の図形が刻まれています。それから、手に持ちやすいようにと、後の時代の人が付けたのでしょう。金属製の持ち手がついています」

「それって……」

 ウォリディとロイは同時に顔を見合わせた。思い当たるものが2人にはあった。

「あの商人さんが持っていた鏡の特徴とぴったり」

 ウォリディは言い、ロイはうなずく。

「どうしたのですか?」

 2人の様子を見たライザが不思議そうに聞く。

「実は、この森に来る前にいた街で、特徴の似た鏡を見たのです」

「そう。魔物に襲われた商人さんが、治療代代わりに有り金を全部持って行かれて。それで、お金を都合するために鏡を売りたいって。それが、確かに特徴がぴったりでした」

 ロイとウォリディが交互に答えた。

「本当ですか? もしそれが問題の鏡なら、早く回収しなければなりません」

「まだ、そうとは決まっていません。それに、その商人は俺たちに3リーブラで売りつけようとしていました。買い戻すとなれば、金の工面が必要になります」

「なるほど。それは問題ですね。まずは、その鏡を確認しましょう。お金の問題はそれからです。それに、その商人がまだ街にいてくれるとも分かりません」

「俺が行きましょう。商人の顔を知っているのは俺たちだけですから」

「そうしていただけると助かります。もちろん、馬はお貸しします。それと……」

 ライザは、懐から封筒に入った手紙を取り出し、ロイの前に置いた。

「周辺の領主には、私の名前を出せば協力をいただけるでしょう。これは、私の代理であることをしたためた物です」

「なるべく大事にはならないことを祈りますが、お預かりします」

 ロイは手紙を受け取り、立ち上がった。ライザも立ち上がり、思い出したように、

「それから、あの鏡を取り戻した後は、なるべく遠ざけるか、無心でいるようにしてください。少なくとも、負の感情を抱かないように。あの鏡は、負の感情に反応するようです」

「難しいことを言いますね。気をつけます」


 ロイとウォリディ、マティアスはライザの家を出た。外ではピクシーのピーターが待っていた。

「ロイ殿。私は馬を用意してきます」

 マティアスはそう言い、離れていった。ピーターはウォリディに、

「話は終わった?」

と聞いた。

「ええ」

 ウォリディは頷きながら答えた。

「じゃあ、森に帰ろう」

「えっ? 私、帰らないわよ。これからコカブの街に戻らなくちゃいけないから」

「どうして君が行かなくちゃいけないの? フェルカドの長老様の要件は、この男の役目だろう?」

 2人は互いに、相手の言葉に軽く驚いていた。

「これは、私たちに依頼された仕事なの。それに、私は彼についていくことにしたの。長老様から聞いていない?」

「聞いてはいたけど、君は僕の婚約者だ。一緒に帰るのは当然じゃないか」

 ピーターの言葉にロイは驚いたが、ウォリディの驚きは彼の比ではない。彼女は顔を赤くしながら言う。

「私が? 貴方の婚約者? それって、子供の頃の戯れじゃない。というか、私たち、まだそういうことを真剣に話し合える年齢じゃないでしょう」

 ピクシーは、人間よりも寿命が長いと言われている。それにウォリディは、アルコルの森でエフライムに保護されてから8年。ピクシーとしては8歳と言うことになる。ピクシーの文化は分からないが、彼女の言うとおり早すぎる話のようだ。

「僕は真剣だ。君はいつもそうやってはぐらかすけど、約束は大事だろう。それに、その男は危険だ。剣士だろう? いつ巻き添えを食らうか」

「大切な話だって言うなら、どうして人前でするのよ!」

 2人が話している間にマティアスが、来るときとは違う馬を1頭連れてきた。栗毛でやや小ぶりのオスだ。

「ロイ殿。申し訳ないが、私はここまでの案内役。この先はお2人で行っていただくことになるが、馬をお貸しするのでご容赦願いたい」

「馬の返却はどのように?」

「こいつは賢いやつで、街の前で放していただければ、1日以内にこの森に帰ってきます」

「では、お借りします」

 ロイは馬の首あたりを軽くなでた後、その背中に乗った。

 かくして、ロイは再びコカブの街に戻ることになった。帰りも、行きと同じ道を進むので、迷うことはない。馬を疲れさせないように、少し早いくらいの速度で歩ませた。

 ウォリディは、行きと同様にピクシーの姿で、ロイの右側を併走しながら宙を飛んでいた。

「森には帰らないのか?」

「どうして?」

「ああして、婚約者が迎えに来ているだろう」

 ロイは、2人の後から飛んでついてくるピーターを顎で指した。ウォリディは顔を赤くし、

「だから、あれは違うの。子供の頃の約束で、しかも、きちんと約束した訳じゃないし」

「確か、エフライム殿に拾われたのが8年くらい前と言っていただろう。一体、いくつの時に約束したんだ?」

「確か6年前ね。でも、私は他の子と違って、生まれたときから、すでに何年分かの生きてきた経験がある……はずなのよね。記憶ははっきりしないけど」

「ピーターはれっきとしたピクシーだろう。彼はいくつなんだ?」

「私と6違いだから、14歳のはず」

「じゃあ、そろそろ大人だ」

「けれど、婚約の話は彼が8歳で、私は2歳よ。むしろ、年端も行かないかない娘に何を約束させていたのって話よ」

 2人の会話を聞いていたピーターは、黙っていられなくなってロイの左側に移動し、

「まるで、僕がだましたみたいな言い方じゃないか。それに、君はその約束を拒否していない」

「ついさっきまで忘れていたのよ。それによく考えれば、2歳児とそんな約束をして、未だに真に受けているなんて。おかしいわよ」

「だから、それ自体は子供のころの話。だけど君が拒否していないのなら、約束は有効じゃないのか?」

「じゃあ今、明確に拒否してあげる。婚約なんて話、私にはまだ早すぎるわ。貴方もそう。自立していない貴方と一緒になりたいなんて思う女性は、いないからね」

「厳しいな……」

 2人に挟まれながら会話を聞いていたロイは、思わずつぶやいた。


 夕方にコカブ街に着いたロイは、街の前で馬を解き放ち、城門を潜った。当日中に街を出た者に対しては、出たときに貰った出場証明書を提示すれば、通行税を払わずに街に入れる。ちなみに、ピクシーには通行税は掛からないようだ。おそらく小さいからであろう。基本的に税を取るのは人間から。あるいは人の姿をした種族のようだ。ちなみに、今朝街に入ったときは、ウォリディは人の姿をしていたので、しっかり税は取られている。

「あの人たち、どこに行ったと思う?」

 街に入った後で人の姿になったウォリディは、ロイの前に立って言う。

「どこかな? 質屋か、商業会議所か。それとも、自分たちの街に帰った後か」

 ロイは、街の商業地区に向かいながら答える。

「この街にいなかったら、どうするのさ?」

 2人の後を飛んで続くピーターが聞く。彼は人の姿にはなれない。

「探すさ。少なくとも1ヶ月は」

 ロイは躊躇なく答えた。

 3人が初めに向かったのは、商業地区の広場だった。人通りは多いが、まだ明るい時間帯に宿に篭もっていることはないとの判断だ。そこで見当たらなければ、次は露店の並ぶ地区、常設店舗の並ぶ商店街と移動する。手持ちの物を売っているか、あるいは買い付けている可能性を考えてのことだ。しかし、そこでも見当たらないため、商業地区をとりまとめる商業会議所へ向かった。そこでも商人には出会えなかったが、どうやら商人は、男爵の住むキノスラの街から来ていて、まだこの街にいるだろう、という情報を得た。

 商業会議所を出たロイたちは、仕方なく広場へ戻り、次に依頼斡旋所へ向かった。彼らがキノスラに戻るために、何らかの依頼を出している可能性に期待してのことだ。斡旋所へ向かう途中に小さな広場があった。街の中心部から少し外れたところにあるその広場には、ロイが昨日乗ってきた駅馬車の待合所がある。

 待合所の前を通りかかろうとしたとき、男の大きなわめき声が聞こえた。ロイは足を止め、建物の陰に身を隠した。彼の後ろを飛んでいたウォリディとピーターも、ロイに習って身を隠す。男の声はフェルディナンドのものだ。その供をする人間も近くにいるだろう。

「明日では遅いのだ。今日中に隣町まで行く便はないのか?」

 どうやら、急いでどこかへ行くつもりのようだ。ベネディクトが死んだ今、ロイを追う態勢を作り直さなければならないのだろう。フェルディナンドは待合所の中で受付の男と揉めているようだ。ロイは、建物から距離を取りつつも、その中が見える位置に移動した。

「ロイ。あの人が追手?」

 ウォリディは聞いた。ロイは頷き、

「そうだ。見つかるとまずい」

「認識阻害魔法を使えば、この距離なら気付かれないと思うけど」

「そうしてくれ」

 ロイはウォリディに頼んだ。彼女は何やら呪文を唱えるが、掛けられた本人には特に自覚はない。

「ですから、最終便はさっき出てしまいました。次の便は明日の朝です」

 建物の中で、受付の男は答えた。至極まっとうな回答だ。走るべき駅馬車は全て予定通りに出発し、後は到着する駅馬車を迎える。それ以外に駅馬車を走らせる必要があるときは、事前に馬や御者の手配、停車場となる街の関係者との調整が必要となる。担当者1人の一存で決められる話ではない。

「それでは困るのだ。急いでモーリスと合流し、ファーリ様に報告せねばならぬと言うのに」

 ロイは、待合所の狭い入り口から、喋っているフェルディナンドの姿を見た。

「なら、馬でも買われたらいかがですか? 夜通し走れば、隣町どころか、もっと先まで行けますよ」

「それは無理だ。私は馬に乗れない。この男だって、馬に乗れるかどうか分からないからな」

「iya,uma nara noreru zo」

 フェルディナンドの後ろに立っていた男が、周りと全く違うことばで喋った。しかし、その声にロイははっとする。少し左に動いて、その男を確認する。その男は間違いなく、昨日ロイが倒したはずのベネディクトだった。黒いマントで隠してはいるが、マント下から覗くズボンが、赤黒く染まっている。ロイはあの時、ベネディクトが死んだことを確認していた。その彼が生きているということは、フェルディナンドによるパーフェクトヒールの仕業に違いない。

 ロイの顔の隣から、同じようにベネディクトを見たウォリディは、小声で、

「あの若い人……私にバングルを渡してきた人だ。でも、なんだか雰囲気が違う。それに、何でか分からないけれど、怖い」

といった。そのおびえ方は尋常ではなかった。確かに、今のベネディクトは遠めに見ても尋常ではない。明らかに異質の存在だった。

「あいつは死んだはずだ。俺が昨日、倒した。なのに、生きている」

「幽霊か、何かか?」

 ロイの頭上のピーターが口を挟んできた。ロイは首を振り、

「いや。パーフェクトヒールで治療したのだろう」

「もしかしてあの魔道士。あの商人さんを助けた人?」

 ウォリディが聞く。ロイは頷き、

「だと思う。しかし、ベネディクトの場合は、パーフェクトヒールにしては、以前と様子が違う」

「あいつ、なんて言っているんだろう。聞いたことのない言葉だ」

 ピーターが再び聞く。

「自分は馬に乗れるって。何なら乗り方を教えようか、ですって」

 ウォリディは、ベネディクトの言葉を聞き、掻い摘まんでピーターに伝えた。

「よく分かるね。僕にはさっぱりだ」

「何でかは知らないけど、分かるの」

「どうやら、馬車を借りて移動するようだ。連中に見つかる前にここを離れよう」

 ロイは人の流れに紛れるように移動し、ウォリディとピーターも後に続いた。


 3人は、商業地区の端に近いところにある斡旋所に着いた。掲示場の近くで、ロイとウォリディは、今朝出会った商人の従者ジャックと再会することができた。

「剣士さま。良いところでお会いすることができました」

 ジャックはロイの顔を見るなり、そう言って近寄ってきた。

「俺たちも、あなたたちを探していました」

「そうでしたか。旦那様は今、宿で休んでおられます。私は、旦那様の命令で皆さんを探していたのですが、どこへ行けば分からなかったので、昼頃からここでお待ちしていたのです」

「再会したばかりで申し訳ないが、今朝、あなた方が見せてくれた鏡。まだ持っていますか?」

 ロイは聞いた。ジャックは何かに怯えた表情を見せた。あの鏡について、何か情報を持っているようだ。

「あれですか? あれは売れてしまいましたので、手元にはございません」

「誰が買ったんですか?」

「フォン様です。アルサマイナ男爵のご長男の」

「男爵のご子息が?」

「不思議なものですね。あの鏡は旦那様がアルサマイナ男爵から処分を依頼されたものなのですよ。それを、ご子息がわざわざ追いかけてきてお買い上げになるのですから、何か特別な魅力でもあるのですかね?」

 ジャックは、鏡を手放したことを思い出したのか、急に安堵した表情になった。

 その時、ピーターが鏡の本当の持ち主について話そうとしたので、ロイはそれを右手で制止した。その代わりに、

「商人さんが襲われたと言っていましたが、その鏡と関係なかったのですか?」

「へ? そ、それは……」

「俺たちは、あの鏡の本当の所有者に会って、回収を依頼されたのですよ」

「そう。あの鏡は、人の心に反応して魔物を生み出し、襲ってくるのですって」

 ロイとウォリディは説明した。

「今朝会ったとき、あの鏡はあなたが持っていましたよね。商人さんが襲われたときもそうだった筈。その時に魔物が生まれ、商人さんを襲ってきた」

「私は……何も知らない」

 ジャックは動揺していた。目が泳ぎ、俯いた。

「魔物の正体は、誰にも分からないでしょう。実体はすでにこの世界から消えている筈。しかし、あの鏡を放置していたら、別の魔物を生み出す」

「だから私たちは、あの鏡を回収する依頼を受けたの」

「あなたが主を襲った訳じゃないし、鏡の効果も実際に見たわけじゃない。俺たちも、あなたが鏡を持っていた時に魔物が出てきたと言うつもりもない。しかし、鏡が本当に危険な物なら、回収して、然るべきところへ持って行きたい」

「でも、さっき言いましたように、鏡はフォン様に」

「では、そのフォン様には、どこへ行けば会える?」

「それは、分かりません。まだこの街にいるかもしれませんし、早々に屋敷に戻られたのかも」

「では、お屋敷に向かうしかありませんね。そういえば、俺たちを探していたと言っていましたが」

 ロイが言うと、ジャックは鏡の話題から反れたことに安堵してか、

「そうでした。旦那様がお会いになりたいそうです。近くの宿でお待ちになっていますが、来ていただけますか?」

「いいでしょう」

「それと……私と鏡の関係は、どうかご内密に。はたから見れば、まるで私が旦那様を襲うよう仕向けたと勘違いされます。丁度その時、私は些細なことで旦那様と言い争いをしていました。もちろん、今は違いますが、こんな話を聞かれたら、絶対にそういう目で見られます」

「俺があなたの主人に告げることは、何もありませんよ」

 ロイは答えた。ジャックは、とりあえず安心したようだ。


 商人が待っていた宿は、決して高級とはいえないが、コカブの街では高い部類に入る。今朝の一文無しと言っていた言葉からは信じられないほどだが、本来は、それほどの宿を利用する生活をしているのだろう。それに、鏡はそれなりの値段で売れたらしい。

 宿の3階の部屋で待っていた商人ゲーリックは、今朝とはまるで別人のような、晴れやかな顔をしていた。部屋には二つのベッドの他、応接用の長椅子が2つ、背の低いテーブルを挟んで置かれていた。ロイとウォリディは、ゲーリックと向かい合って座った。

「ロイ様。再会できてうれしゅうございます。あなたから借りた通行税のおかげで例の鏡を売ることができ、こうして宿に泊まることもできました。まずは、借りた通行税をお返しいたします」

 ゲーリックは、2人分の通行税の代金をロイに渡した。

「俺に用事があるとのことでしたが?」

「ロイ様は、曲剣の剣士とも呼ばれている有名な方とお聞きしました。そこで、キノスラの街までの護衛として、その腕をお貸しいただきたいのです」

 ゲーリックの話は、おおよそ事前に見当のついた話だった。

「斡旋所を通さずに依頼して良いんですか?」

「今朝のご恩がありますし、指名で依頼をするのですから、同じ事でございましょう。むしろ、仲介手数料が省けて、お互いにとって得になる話です」

「この界隈は特に治安が良いと聞いています。俺を雇うほどのことはないのでは?」

「私も昨日まではそう思っていましたが、魔物に襲われたのですよ。まだ、この近くにいるかも知れない。せめて家に帰るまでは用心しないと」

 ゲーリックの心配も尤もだ。問題の鏡の事を知らなければ。鏡が近くになければ、件の魔物は現れない。盗賊や狼等に遭遇する確率は、このあたりでは低く、傭兵を雇う必要はそれほど高くは無い。馬車に乗れば、キノスラまで問題なくたどり着けるだろう。それに、今はこの男に付き添うよりも、フォンを追うのが優先だ。ただ、彼がどこに行ったのかは見当がつかない。

「指名をいただくのはありがたいが、俺たちは今、別の案件を抱えている。その案件を解決するには、アルサマイナ男爵の長男フォン殿に会う必要があるらしいので」

 ロイは、やんわり断るつもりで答えた。ただ、フォンの行方を追う手掛かりは欲しいし、そのために有益な提案があれば、それに乗るつもりはある。

「フォン様に、ですか? それならばキノスラにあるアルサマイナ男爵のお屋敷で会えるかも知れませんよ。そのついでに護衛していただく。ちょうど良いのではありませんか? もちろん、報酬は相場と同じ額をお支払いいたします」

 ゲーリックの提案を受けたロイは、その時点で依頼を受けることが決まったようなものだった。屋敷まで案内してもらえるだろうし、道中でフォンの情報を聞き出せるかも知れないからだ。

「確かにあなたの言われるとおりだ。護衛を引き受けましょう」

「ありがとうございます」

 ゲーリックは、ロイと握手を交わした。

「ところで、ロイ様。フォン様にどのようなご用事で?」

 ゲーリックは、ロイに聞いた。ロイはゲーリックを睨みながら、

「依頼主の許可無く話をすることはできない」

「これは失礼をしました。確かにそれは、あなた様の信用に関わる問題ですからね。気が利かず申し訳ありません」

「いえ。私たちも、フォンという方がどういう人が全く知らないの。ただ、手掛かりとしてお話を聞きたいだけです。ゲーリックさんはご存じですか?」

 ウォリディは少しだけ真実を交えて、ゲーリックに聞いた。

「フォン様は、アルサマイナ男爵のご長男です。年は若く、まだ成人したばかりです」

「フォン様には、特別な女性がいましたか? それとも、身だしなみにすごく気を遣う人ですか?」

「婚約者とかの事ですか? さあ、噂は聞きませんが、どうしてそうお思いに?」

 ゲーリックは、右手で犬のひげを伸ばしながら考え、ロイたちに聞いた。

「今朝見せて貰った鏡。あれを買い戻したと聞きました」

 ロイが言うと、ゲーリックは従者のジャックを睨み、

「ジャック。他人様の話を言いふらしてはいけないと、あれほど言っているでしょう」

「ジャックさんが悪いわけじゃないの。私が聞いたのだから、許してあげて」

 ウォリディは、ゲーリックをなだめるように言った。

「そうですか。しかし、鏡の件は残念ですね。あれはジャックが申したように、フォン様がお買い戻しになられました」

「いいのよ。どちらにしても、私たちには買えなかったから。でも、あの鏡は古代の魔法具みたいだったけど、フォン様は骨董収集の趣味があるの?」

「いえ。骨董収集は、お父上のリカルド様の趣味です」

「そうなんだ。でも、あの鏡は男爵様から買い取ったと聞いたわよ。どうしてフォン様は買い戻したのかしら?」

「そんなことまで話していたのですか? 全く…。確かに、あの鏡はリカルド様から買い取ったものです。というより、処分を依頼されたのですよ。何でも、あれを家に置いておくと良くない、と言われて」

「良くないって?」

「さあ、それは私にも分かりません。古い道具にはよく迷信めいた話はありますから、その類でしょう」

 ゲーリックは横に首を振りながら答えた後、思い出したように、

「そういえば、リカルド様が男爵になるときも、不思議なことが起きていましたね。本家の方々に次々と不幸が続いたことがありまして。そのことを言っていたのでしょうか?」

「具体的に、何があったの?」

 ウォリディは、どんどん話を聞いていく。それが彼女の良いところでもあるが。

「リカルド様は先代の三男で、元々は分家としてフェルカドの森や山の代理統治をしていました。現在の男爵領の端っこです。ところが、先代の後を継いだご兄弟や親族が、数年の間に次々とお亡くなりになるなどして、リカルド様が男爵を継ぐことになったのです」

「まあ……まるで、男爵家の一族が呪われているみたい」

「そういう噂もありました。その原因が、鏡にあると思われたのかも知れません」

「そんな鏡を、どうしてフォン様は買い戻したのかしら?」

「それは分かりません」

「ゲーリックさんから見て、フォン殿はどういう人ですか? 誰からも好かれる人ですか?」

 しばらく黙っていたロイが、再び口を開いた。ゲーリックは少し話しづらそうに、

「そうですね。正直に言いますと、フォン様は気難しいお方です。悪いご友人と一緒におられることが多いようで、リカルド様も心を痛めておられました。最近は、何日もお屋敷に戻られない事もあるとか。もちろん、フォン様にもいろいろ事情がおありなのでしょう。ここだけの話ですが……」

 ゲーリックは急に小声になり、人目をはばかるようにウォリディに顔を近づけて、

「フォン様はハーフエルフなのではないかと、世間に噂されています」

「それって、もしかして?」

 ウォリディも、小さな声で反応する。

「もちろん、噂に過ぎませんよ。リカルド様が以前、フェルカドの森を領地にしていたからでしょう」

「今の話からすると、キノスラに行ってもフォン様に会えないのでは?」

 ロイが聞くと、ゲーリックは犬のひげを伸ばしながら、

「確かにそうかも知れません。しかし、今日、鏡を買ったのですから、お金はかなり減ったはず。お金を取りに屋敷に戻る可能性の方が高いと思いますが」

「なるほど。では、俺たちは明日の準備をしようと思いますが、待ち合わせはどうしますか?」

「朝一番の駅馬車を使う予定ですので、その時間の前に、待合所に来てください」

 その後、ロイは護衛の依頼料について打ち合わせを行った。打ち合わせを終えたロイたちは、ゲーリックたちの宿を出た。そして、明日まで街に留まるため、近くで安宿を借りた。


 次の日。ロイと、人の姿のウォリディ、そしてピクシーのピーターは、ゲーリックたちとの待ち合わせ場所である駅馬車の待合所にやってきた。しかし、そこでは問題が発生していた。少なくない人数が待合所の中で何やら騒いでおり、案内人は状況説明しながら、人々に冷静になるよう呼びかけている。どうやら、駅馬車が発車できないという。

 ロイはゲーリックを見つけ、声を掛けた。

「ゲーリックさん。何があったのですか?」

「ロイさん。大変なことになりました。キノスラへ向かう街道の途中で、見たことのない怪物が現れたそうです。もしかすると、私を襲った魔物かも知れない」

 ゲーリックは恐怖で震えながら答えた。

「怪物ですか?」

「そうです。噂ですが、襲われたのは馬車で、王都から地方へ運んでいた金貨を積んでいたそうです。そのせいで、キノスラへの駅馬車は運行できないそうです。門自体は開いているそうなので、歩いて行くことはできますが。危険なので、もうしばらくここで待つことになりそうです」

「あなたがそう言うのなら、それに従うが。しかし、この時のために俺を雇ったのでは?」

「その通りですが、今回はいつもとは違うでしょう。未知の怪物ですからね」

「分かりました。俺たちは待機していましょう」

 ロイたちはその場を離れようとした。その時、前方から走ってくるドワーフのマティアスが視界に入った。彼もロイを見つけると、息を切らしながら駆け寄ってきた。

「すぐに見つかって良かった。斡旋所に向かう手間が省けた」

「どうしたのですか?」

 ロイは聞いた。マティアスは呼吸を整えつつ、

「例の魔物です。鏡の魔物が昨夜、森を襲ってきたのです」

「魔物が森を?」

「そうです。仲間が総出で追い払いましたが、その先には長老たちの家がありました。それでライザ様が、あなたに来ていただきたいと」

 話を聞いたロイは、間髪入れずゲーリックに、

「ゲーリックさん。どうやら俺を雇わなくても良くなったようですよ」

「それはどういう意味ですか? 護衛は?」

「森へ行けば、あなたの恐れている魔物を退治できるかも知れない。そうすれば、護衛なしで街に帰れるでしょう」

「そういうことですか。しかし……分かりました。どうやらそれが、先に受けた依頼のようですね。そちらへ行ってください。どのみち、私どもはこの先に進めませんから。お気をつけて」

「じゃあ、俺たちはこれで」

 ロイはそう言うと、マティアスの後に続いて森に向かうことにした。


 森に着いたロイたちは、昨夜の襲撃現場に向かった。そこは、長老の集落へ続く道から西へ大きく外れ、木が密集していた。大きな魔物が暴れたかのように太い幹の折れた木が十数本。魔物に対して放たれたと思われる矢や、火の魔法による小さな焼け焦げがいくつもあった。魔物だけでなく、複数の人物の足跡が残っている。

「それでは、長老様のところへ向かいましょう」

 マティアスは言ったが、ロイは辺りを見回しながら、

「いや。それより、次の襲撃に備えた方が良いでしょう。フォン様が集落を襲うとしたら、次はどこから狙いますか?」

「フォン様? アルサマイナ領主の息子ですよね。何故ですか?」

 マティアスが怪訝な顔で聞き返した。ウォリディとピーターもあっけにとられているが、

「今、鏡を持っているのは彼だからですよ。現金を積んだ馬車を襲ったのも彼なら、屋敷に帰る必要はない。せいぜい、装備を調達するくらいで、すぐに戻ってくるでしょう」

「しかし、どうしてこの森を襲うのですか?」

「分かりませんが、あの鏡のような魔法具があるのなら、他にもすごい魔法具があると思ったのでは?」

「それならば、ここの反対側か、あるいは鉱山側か。そういえば、装備の調達と言われましたが、鉱山の手前には我々の村がありますが、そこには武器屋もあります」

「では、鉱山側にいきましょう」

 ロイたちとマティアスは、長老の集落を避ける形で鉱山側に向かった。森の中では、先の襲撃地点も、鉱山側のあたりも代わり映えしない風景だった。マティアスがいなければ、迷子になるところだろう。しかし、彼にも大事な仕事があったはずだ。フォンの待ち伏せに付き合わせる必要はない。

「マティアスさん。ここは俺たちで見張るので、ライザさんに連絡を」

「分かりました。お気をつけて」

 マティアスがライザの元に去ると、ロイは、適当な木の下に座った。そして、右隣にしわだらけのハンカチを敷いた。ウォリディは、そのハンカチの上に座り、

「彼、来るかしら?」

「保証はできないな。他の場所へ行ったかも知れないし、違うところから来るかも知れない」

 ピーターは、ウォリディの左肩に立ち、

「お前、適当なことを言っていないか? もし、奴が現れなかったら、僕たちはいつまでもここにいることになるじゃないか」

「しかし、他に当てがあるわけでもないだろう。ピーターなら、どこで待ち伏せる?」

「僕は、そんなことはしないさ。僕の引き受けた仕事じゃないからね」

「あなたねぇ、よくそんな無責任なことがいえるわね。長老様のメッセンジャーとしてこの事件に関わったのなら、少しくらい知恵を出しても良いじゃない」

 ウォリディが呆れながら言う。

「だけど、小さな僕に何ができる? それに、こいつは僕のライバルだ。なのに、そいつの手伝いをするなんておかしいだろう?」

 ピーターの言葉に、ロイは厳しい目を向けた。

「ピーター。婚約者がどうとか言う話は忘れろ。子供の頃の話で、彼女を縛るな。それに、今はフォンをどうにかするのが先だ」

「そうやって、僕から彼女を奪い取るつもりだな?」

「そもそも、お前さんがしっかりしていれば、彼女が俺についてくることもなかっただろう」

「何だって?」

 ピーターは突っかかってきたが、ロイはそれを無視して立ち上がった。それにつられてウォリディも立ち上がる。ピーターは彼女の肩から落ちそうになり、慌てて飛び上がった。

 ロイは、何者かの足音を聞きつけていた。近くの大木に身を隠し、森の外側から聞こえる足音の主を探す。少しして、金髪の小柄な男が木々の間に見え隠れした。白い上下の服のおかげで発見しやすい。武器として、レイピアを所持していた。そのほかに、大きく膨らんだ革袋を左肩に背負っている。

「鏡は、あの革袋の中だろう。ドワーフの店で、何かのマジックアイテムも購入しているだろうから、用心した方が良い」

「とにかく、鏡の回収が先ね」

「ああ。袋を下ろしたときに、俺が行って注意を引く。その間に頼む」

 ロイは左に、ウォリディは右に静かにゆっくり移動した。向かってくる男は、2人に気づいていない。ロイは、男と距離をとって同じ方向に歩いた。わずかな音さえも相手に聞かれないようにするためだ。ウォリディも見よう見まねで、ロイと同じように距離をとって歩いている。ただ、彼女の場合は男の様子を見過ぎている。幸い、男に感づかれることはなかった。

 男は、やがて立ち止まった。一応周囲を警戒するそぶりは見せるものの、ロイたちに気付いている様子はない。革袋を降ろして、その口を開けようとしていたので、ロイはゆっくりと、しかしわざと足音を立てながら男に近づいた。さすがに男もロイに気付き、袋を手放して立ち上がった。

「誰だ?」

 男はロイを睨みながら聞いた。ロイは歩きながら顔を上げ、

「俺はロイ。少し聞きたいことがある」

「何だ? 聞きたいこととは」

「オフィークス辺境伯のところまで行きたいが、道を知らないか?」

「それでは、全く見当違いなところを歩いているな。辺境伯のところへ、何をしに行くつもりだ?」

「辺境伯が、盗まれた宝石を取り戻すのに10リーブラの懸賞金を掛けたそうだ。その件で話を持っていくか、迷っているところだ」

 ロイが話すと、男は急に愛想のよい顔に変わった。しかし、態度は尊大だ。

「その話は、聞いたことがある。良い話なら、ぜひ辺境伯に届けるといいだろう。私は、フォン・クレーマン。アルサマイナ男爵の息子だ」

「あなたは男爵のご子息ですか」

 ロイは、フォンと名乗った男に対して、多少敬意を払う態度を示した。

「そうだ。辺境伯に話をするのなら、私を通したほうが、事はうまく運ぶだろう。道案内のついでに、辺境伯のところへ連れて行ってやろう。どうだ?」

「そいつは遠慮いたします。後ろから刺されたらかなわない」

「なるほど。それなら、持っている宝石を2リーブラで私に譲らないか? お前は身の安全を図れるうえに、辺境伯のところまで行く手間が省ける」

「生憎と、宝石は持っていない。一昨日まではあったが」

 ロイが抑揚なく答えた。フォンは右手で懐から短い棒を取り出した。どうやら、誰でも回数限定で魔法を使えるという、マジックアイテムのステッキらしい。

「宝石を持っていないだと? 平民のくせに見え透いた嘘をつくなら、こうしてやる」

 フォンはステッキを上から振り、ロイに向けて前に突き出した。ステッキからは、耳をつく轟音とともに白い稲光が飛び出した。ロイは、その時には木の陰に隠れて稲光をかわしていた。そして、フォンから離れるように木の間を移動する。フォンはロイを追い、また杖を振るった。ロイは再び、木の陰を利用して雷攻撃をかわした。ロイはまた逃げ、フォンは追ってきた。

 十数メートルほどそのやり取りが行われたが、突然ロイは逃げるのをやめ、木々の間で仁王立ちになった。フォンはステッキを振るった。雷攻撃がロイ目掛けて飛んだ。しかし、電撃は今度こそロイに当たったというのに、彼は平然と立っていた。フォンは唖然とし、慌ててステッキを何度も前に突き出した。ステッキはほとんど電撃を飛ばさなくなった。そこで彼は、別のステッキを取り出し、同じようにロイに向け突き出した。今度は握り拳大の火の玉が飛んだ。しかし、それもロイの身体に当たったが、彼にはダメージを与えていない。

「何で? 防御魔法か? それとも、まさかお前、ホムンクルスなのか」

 顔が青ざめたフォンは、先ほどまでとは打って変わり声を震わせ、レイピアを抜いた。ホムンクルスは、言わば人工人間で、錬金術で造られたとされる生命体だ。時には、人にはない能力を備えていることもある。

「さあ、どうだかな」

 ロイはとぼけた答えを返し、剣を鞘ごと抜いた。ロイの返答に、フォンは舌打ちをした。ロイは剣の鞘についた紐をグリップに巻き付け、剣が抜けないようにする。相手が貴族の息子であるため、なるべく殺さないようにとの配慮だ。その時、

「あった!」

 フォンの後ろで声がした。ウォリディが、彼の革袋から鏡を見つけたのだ。ロイは頭を抱えた。黙って鏡を持って逃げてくれていたら、それで依頼は達成したも同然だったのに。

「お前、何をしている!」

 フォンが後ろを振り返り、叫んだ。フォンが走って向かってきたため、ウォリディは鏡を持って、走って逃げた。ロイもフォンを追った。ウォリディは軽い身のこなしで木々の間を走り、逃げた。しかし逃げ方が甘く、ショートカットをして距離を詰めてきたフォンに追いつかれそうになる。

「風よ。木の葉と舞って壁になれ」

 ウォリディは、後ろに向け魔法を放った。彼女の背後で塵旋風が起こり、落ちていた葉っぱを巻き上げてフォンの動きを妨げた。その間に、ロイがフォンの前に回り込んだ。ところが、ウォリディはまた逃げるために横へ動き、ロイは彼女の盾の役割を果たせなくなった。

「ピーター!」

 追い詰められたウォリディは、鏡を放り投げた。投げた先には宙に浮くピーターがいたが、彼の大きさでは、全身を投げ打っても受け止められない。

「ちょっと待てよ。うわっ」

 予想通り空中で鏡を受け取った、というよりはぶつかったピーターは、鏡とともに地面に落ちた。鏡面部分はクリスタルでできているせいか、地面に落ちただけでは割れなかった。ピーターはすぐに起き上がって鏡を動かそうとしたが、鏡は彼と同じくらいの大きさだ。その場で立てるのが精一杯だ。そこへ、フォンが迫った。ピーターは鏡を盾にして身を守るのが精一杯だった。フォンはレイピアを抜き、突き出した。レイピアの突きは、ロイの鞘付き剣が下から上へ弾いた。そしてロイは間髪を入れず、フォンに剣を振り下ろした。フォンは後退し、しかしピーターの鏡を奪う機会を狙っている。

 突然、ロイの右の足下へ何かが通り抜けた。ロイが視線を下げた次の瞬間、フォンが絶叫をあげた。彼が顔を上げると、フォンの腹部に刀が突き刺さっていた。刀の持ち主は、黒髪の少女だ。歳は10歳前後か。東洋の服、着物を着ている。フォンから刀を抜いた少女は、ロイに正面を向けた。

「ウソでしょう? あなた……人間なの?」

 ウォリディの顔から血の気が引いていた。

「orii-hime……」

 ロイもまた驚いた表情を見せたが、すぐに表情を消した。

「鏡の魔物は、相手によって姿を変えるのか。しかし、その姿で俺の動揺を誘うつもりだったのなら、偽物には容赦しないぞ。織衣姫は、刀など持たない」

 ロイは、鞘付き剣を前に突き出した。姫の姿をした魔物はそれを察したのか、ロイの油断を待たずに刀を振るってきた。ロイは鞘で刀をはじき返すが、剣は抜かなかった。相手が魔物とはいえ、女の子の姿をしていたからかもしれない。

「光の矢よ。敵を蹴散らせ!」

 ウォリディが、魔物に向けて魔法の矢を10本ほど放った。といっても、狙ったのは足下のようだ。魔物は後退したが、1本は足に当たった。しかし、魔物は怯みもしない。ロイは追撃として、鞘で打撃を与えたが、手応えはあっても、どうやら効いている感じはない。もしかすると、鏡の魔物には痛覚がないのか。ウォリディは、ロイが魔物と距離を取ったところに合わせて、いろんな魔法を撃つようになった。火球、水の槍、風の刃。どれも足止めにはなっても、ダメージを与えるには至っていない。ロイの鞘による打撃も同じだ。この分だと、剣を使っても同じかも知れない。

「まるで刃が立たない。これじゃあ、いつまでも終わらないぞ」

「でも、魔法も効かないわ。剣は?」

「殴られても平気な奴だ。剣で切っても同じだろう」

「残る手は…」

 ロイは辺りを見回した。ロイはピーターのそばに移動すると、鞘を振り上げた。それに気付いたピーターは、ただ手足を縮めて防御態勢を取るだけで、逃げるのを忘れている。

「動くな!」

 ロイは怒鳴り、鞘を振り下ろした。ピーターはいよいよ身体を硬直させる。鞘は、彼のすぐ隣に落ちていた鏡に振り下ろされた。鏡はクリスタルのためか、簡単には割れなかった。

「頑丈だな、こいつ」

 ロイはすぐに鏡を拾い、襲ってくる魔物を追い払いながら、その間に鏡を二度、三度と近くの石にたたき付け、ようやく鏡にひびが入った。同時に魔物が雄叫びを上げた。悶絶だったのか、それとも解放された喜びだったのかは、はっきりしない。ただ、突如黒い雲のようなものになって、森の外へ流れ去ったのだ。

 ロイはほっと溜息をついたものの、倒れたままのフォンを思い出した。フォンのそばに静かに近寄るが、彼が死んでいることは疑いなかった。ウォリディが同じように確かめようとしたが、ロイは彼女を左腕で制して、首を横に振りながら止めた。ピーターはというと、まだ地面で身体をこわばらせていた。

 しばらくして、集落のほうからライザがやってきた。付き人はいないようだ。

「その方は……フォン様!」

 ライザは、フォンの遺体に駆け寄った。ロイたちは、ライザの弔意の邪魔にならないように少し離れた。ライザはしばらくして顔を上げ、

「フォン様は一体、どうされたのですか?」

「鏡の魔物にやられました」

「鏡は、どうなりました?」

「魔物が出てきたので、やむを得ず壊しました」

 恐る恐る聞いてきたライザに、ロイは割れた鏡を見せながら、抑揚なく答えた。ライザは安堵した表情を浮かべた。しかし、ロイが、

「この鏡を森から持ちだしたのは、ライザさんですね?」

というと、ライザは急に顔をこわばらせた。

「何故、そうお思いに?」

「こんな厄介な鏡を、他のものと一緒に置いておくとは思えない。それなりの立場の人間しか触れないようにしておくものでしょう。それに、この鏡は男爵が持っていたそうです。どういう経緯で男爵がこの鏡を手に入れたかは分かりませんが、男爵は当時、このあたりの領主代理をしていたそうですね」

 ロイの言葉を、ライザは黙って聞いていた。

「そういえば、噂ではフォン様はハーフエルフだとか」

 ロイが言うと、ライザは顔を赤くして、

「それだけはあり得ません。フォン様は間違いなく、男爵夫妻のお子様です」

と反論した。

「世間はそう思っていない。火のないところに煙は立たない、というでしょう。もちろん、長老様と男爵の関係がどうだろうと、俺には関係ないことです」

 ロイは、手に持っていた剣を腰に戻した。

「フォン様のことは? 男爵にはなんと説明したら?」

「彼は、あなたがまだ持っているかもしれない魔法具を狙って、鏡の魔物を使い、逆にその魔物に殺されたのです。鏡の使い方は、男爵のやり方を見て覚えたのでしょう。しかし、鏡の恐ろしさは伝わらなかったようだ」

「それでは…」

「リカルドさまが男爵になるためにあなたを利用したのか、それともあなたが協力したのかは、俺には分かりません。しかし、振るった暴力は、最後は自分に返ってきたようですね」

 ロイは言いながら、割れた鏡をライザに手渡し、

「俺はもう一つ依頼を受けているので、これで失礼します」

と一礼して歩き出した。

 2人の会話をただ聞いていたウォリディは、急いで立ち去ろうとするロイに困惑しながら、ライザに会釈だけして歩き出す。

「ウォリディ。君も行ってしまうのかい?」

 ピーターはようやく飛び上がり、彼女に呼びかける。彼女は一度立ち止まって、

「ええ。長老様によろしく伝えて」

と言い残し、再びロイを負った。

「ちょっと待てよ」

 ピーターの声は、ウォリディには届かなかった。彼女はロイに追いつくと、

「さっきの魔物、いったい何だったのかしら? あの変わった服の女の子、見覚えがあるのだけど。あなたは知っている感じだったよね?」

と聞いた。ロイは顔色一つ変えず、

「そうだな。まあ、古い思い出の人にそっくりだっただけだ。あの鏡は、人の心の傷をも利用する奴だったらしい。恐ろしい鏡だ」

「リィーナちゃんと同い年くらいだったけど。あの子でもなかった。誰だったのかしら?」

「ああ、違う。まあ、君もそのうち、思い出すだろう」

 ロイは視線を遠くにやりながら答えた。


                                        第5話 終わり 


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