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第4話 リディア

 風が吹いた。肌を撫でる生温い、あまり心地の良い風ではなかった。

 ここ数日の冷え込みが少し緩み、久しぶりに暖かい陽射しを浴びる。曲剣を左の腰に下げた男ロイは、山間を抜ける道から外れ、近くを流れる川まで降りた。喉の渇きを潤すためだ。長い間水を補給していない水筒は、空になっていた。夏の間は毎日のように水を足すが、それを過ぎるとあまり喉が渇かない。だからつい、水を足すのを忘れてしまっていた。

 先ほどまで渓流だった川は、ここでは穏やかな流れを見せた。ロイはマントを開けながら水際にしゃがみ込み、両手を水に差し入れた。空気と違って、手がしびれるほど冷たい。

 彼は水をすくい、口に何度も運んだ。喉の渇きがおさまると、今度は革製の水筒を出し、栓を開けて川の流れに浸けた。中の空気を追い出しながら、水を半分くらいまで入れると引き上げた。今の季節の旅は、それほど水を必要としない。必要以上に重くなるのをさけるためである。

 叫びに似た悲鳴を聞いて、ロイは顔を上げた。声は斜面の上の方から聞こえた。彼は水筒の蓋を閉め、左手に持って街道まで上がった。慌てていないのは、襲撃が自分に向けられたものではないと分かったからだ。

 そこには惨劇が待っていた。男が、武器を持った男2人に斬られたのだ。1人はショートソード、もう1人は短剣を持ち、男に止めを刺そうとしている。斬られた男は、近くに落ちていた荷物から、行商人のようだ。どうやら強盗にあったようだ。

 現場を目撃してしまったロイだが、特に何かしようとはしなかった。関われば面倒なことになることは、目に見えていたからだ。しかし、強盗犯は彼を見つけると、

「こいつは、とんだところを見られてしまったようだ。どうする? 相棒」

 短剣の男が、わざとロイに聞こえるような声で相方に聞き、

「見られたからには、こいつも消してしまおう」

と、ショートソードの男も顔をニヤニヤさせながら答える。そうすることで、ロイが逃げることを期待しているのか、それとも金を出して見逃してくれと懇願するのを待っているようだ。しかし、ロイは動かず、じっと2人を見ている。彼が剣を持っているのを見た2人の顔から余裕が消えた。

「お前、この剣が見えないのか?」

 ショートソードの男が聞いても、ロイは目深にかぶった帽子をわずかに上げただけ。ロイが何もしてこないため、しびれを切らした短剣の男が、彼に向って走り出した。

 ロイは逆手で剣を抜くと同時に、それを短剣目掛けて振りあげた。抜剣と攻撃が同時に行われたことに、男は全く反応できなかった。短剣は宙を舞い、男の後ろに落ちた。次の瞬間には、ロイは剣を順手に持ち替え振り下ろし、男は縦に斬られていた。

 それを見たショートソードの男が、代わりに彼に向かってくる。彼は右足を引き、剣先を右後ろに水平に向けた脇構えをとる。

 男ががむしゃらに突撃してくるので、ロイは、前に出した左足を軸に剣を振り上げてショートソードを弾き、すぐに左の脇構えに移って、今度は男の脇腹に目掛けて水平に剣を走らせた。男はショートソードを杖代わりにして体を支えようとしたが、すぐに力なく倒れた。

 倒れた2人はしばらく呻いていたが、そのうち静かになった。

ロイは剣についた血糊を、倒れた男の服でふき取り、鞘に納めた。そして、そのまま立ち去ろうとする。

「もし……旅の人」

 弱々しい声が聞こえた。襲われた男はまだ息があった。なるべく関わりたくなかったロイも、相手がまだ生きているなら放置はできない。彼は男に近づいた。男は明らかに虫の息だったが、ロイの顔を見て、

「あいつらは?」

と聞いた。ロイは抑揚なく、

「死んだようだ」

と答えた。それを聞いた男は、

「そうか……その腕っ節を見込んで、頼みがある」

「悪いが、他を当たってくれ」

「そう言うなよ。俺はもう助からない。回復薬は手遅れだ。しかし、彼女に届けたいものがある。俺の代わりに、届けてほしい」

 男は言いながら、懐から赤い小箱と革製の袋を出した。

「これを、アンワルという村の、『青の竪琴』という名の宿の女主人に渡してくれ。名前は、リディア。この財布の金を、手数料代わりに使ってくれても良い。どうせ、死んだら不要になる」

 届け先の名前を聞いたロイは思い直したのか、倒れている男に近づいた。

「青の竪琴という宿だな。アンワルへは、どう行けば良い?」

「引き受けて……くれるのか?」

「用事が一つできた。そのついでだ。引き受けよう」

「ありがたい。アンワルは、この先のベガの街から出ている駅馬車に乗って、2日のところにある村だ。それから……彼女に『ハナズオウ』と伝えてくれ」

「わかった。『ハナズオウ』だな。それで、お前の名前は?」

 ロイは聞いた。男はもう口を開くことはなかった。ロイは帽子を脱いで胸に当て、跪いた。祈りの言葉を知らないので、ただ黙とうするのみだった。


 同じ頃。ロイに置いて行かれたウォリディは、まだアルカルロプスの村にいた。人のサイズになった彼女は、宿の外に積まれていた薪の束に腰掛け、両手で頬杖をついて、時々ため息をついた。

「お姉ちゃん。まだ落ち込んでる」

 薪割り用の斧を持ったリィーナが、半ばあきれながら声を掛けた。襲撃事件で死にかけた彼女は、ウォリディの治癒魔法のおかげで一命を取り留めた。ウォリディは、彼女に傷が残らないようにしただけでなく、不自由だった右脚を、ぎこちないながらも動くようになるまで治癒させた。彼女は、大恩人となったウォリディをほかの村人から守りつつ、無料で村に滞在できるよう取り計らった。彼女の両親も、娘の命の恩人を無碍にはしない。

 幸い、治癒魔法を使っていたのはピクシー姿のウォリディであり、ほかの村人からは顔をはっきり見られないようにしていたため、人のウォリディと同一人物であることに気付いた者はいなかった。

 問題は、その大恩人がロイに置いて行かれてしまい、相当落ち込んでいることだ。ロイが村の惨状を伝え、領主を連れてきたという噂はあった。そして、数日前には窓の外に金貨が置かれていたことから、彼が来たことはなんとなく分かっていた。つまり、ウォリディは2回も置いて行かれたことになる。

「そりゃそうよ。置いてけぼりをくったのは、これで3度目よ。しかも、今回は手がかりが全くなし」

「でも、おじさんがどこに行きそうか、なんとなくでも分からないの?」

 ウォリディに訪ねながら、リィーナは薪割りを始めた。杖で身体を支える必要がなくなってから、薪割りの苦労は大分減った。

「分からないわよ。だって、出会って1ヶ月もたっていないのだから。そもそも、一緒にいたのって、5……6……7日くらい?」

 ウォリディは指折り数えながら言う。

「じゃあ、ほとんど知らないのと一緒だ。なのに、追いかけたいの?」

「そうよ。私に森の外の世界を見せてくれた人だし、何だか、ほっとけない気がして」

「おじさんの事が好きなんだ」

「いや、そんなことは……ないと思うけど」

「きっとそうだよ。それって恋なんじゃない?」

「あなた、おませさんね。どこでそういうことを覚えるの?」

「お客さんからだよ」

「いいわね。森には、そういうことを教えてくれる人はいなかった」

 ウォリディは、またため息をついた。つられてリィーナもため息をつき、

「お姉ちゃんは重傷だね。ここは思い切って、気分転換をした方が良いと思う」

「気分転換?」

 ウォリディは、無気力に聞き返した。

「そう。たとえば、温泉とか」

「この村って、温泉があるの?」

 ウォリディは、少しだけ心を動かされたようだ。

「ここじゃなくて、ずっと西に行ったところにある山の中に、アンワルという村があって、そこだと温泉に入れるんだって。これ、去年泊まった吟遊詩人さんの情報」

「温泉か。何だか懐かしい気持ちになるわ。行ったことないけど」

「何それ。行ったことないのに懐かしいの?」

「そう。変でしょう? だけど、私にはそういう気持ちがある」

「じゃあ、もう決定だね。温泉にいくしかないよ、これは」

「強引ね」

「だって、そんな暗い顔のお姉ちゃん、見たくないもの。温泉に行けば、心も体も癒やせて、生き返るような思いだって言ってたよ」

「そう。じゃあ、行ってみるかな」

「その方が良いよ」

「ありがとう。何となく、行ってみたい気持ちになったわ」

 ウォリディは重い腰を上げた。その顔は、まだ愁いを帯びていた。


 強盗事件があったのは、ハーキュレス伯爵領のゲヌビ村の近くだった。男の弔いを村の人間に任せることにしたロイは、更に東へ向かい、次の街ライラ公爵領のベガを目指した。そこからは、駅馬車を使って移動すると良いらしい。駅馬車は、現代でいうところの鉄道あるいはバスで、よく整地された街道を多頭立て馬車に客を乗せて走る、当時の画期的な移動手段だ。ただし、馬車のタイプによって値段が変わり、屋根なしでも金貨数枚が必要となる。屋根付きであれば十数枚必要と言われている。今回は、男の財布から駅馬車代をいただくことにした。

 ベガの街についたのは夕方で、駅馬車は翌日の出発だった。夜通し歩けば次の街まで先に進めそうだが、そこで休息を取ると、馬車に追いつかれ、大差なくなる。そのため、ロイはこの街に滞在することを選んだ。普段は急がない旅を続けている彼が、珍しく乗り物を使おうとしているのは、リディアという女性を確かめるためだ。リディアは彼の剣の師であるリチャードの娘であり、彼の行いのせいで行方知れずになっている。会えることなら会いたい、という気持ちが優先された。しかし、会ってどうなるとも思えないのも事実で、彼は迷いを振り切れていない。

 台地の上に存在するベガの街は大きく、港町や隣国と王都をつなぐ街道の中継地点として大きな役割を果たしていた。王都を中心とした街道で、駅馬車が走っているのは5つ。この街を通る駅馬車は、それなりに多い運行頻度だ。

 この街には、大規模都市らしい施設がある。闘技場だ。現代であれば競技場として各種スポーツが開催されるのだろうが、当時は剣闘士による戦いが主であった。遙か昔から続く儀式であり娯楽であったが、昔は本物の剣を使ったり、モンスターと戦わせたりしていた。剣闘士は奴隷が多かったようだ。

 剣闘士による戦いは、宗教上の理由から徐々に縮小している。完全に無くならなかったのは、治癒魔法等の効果により死亡率が減ったことが大きい。そして、現在では剣は模擬剣、魔法もありの内容の興業として続けられている。また、剣闘士も奴隷が減り、人造人間であるホムンクルスが多くなった。だが、国王による禁止措置令が出され、数年後には完全に禁止となる。今ここで行われているのは、この王国随一の剣闘士を集めた大会のようだ。おそらく、今回が最後の大会となるだろう。

 興業主は、ホムンクルスを造る錬金術師や闘技場を借りる資金、剣闘士を多数抱える必要があることから、爵位持ちが多い。アルコルの森からロイを追い続けているベネディクト。彼が仕えているペーガソス伯爵のファーリも、その興行主の1人である。この街の領主ではないので、今回の興行権はないだろうが、今回は全国大会という位置づけのため、誰かを出場させているかもしれない。

 ロイはその闘技場の前に差し掛かったところで見知った顔を見つけ、柱の陰に身を隠した。3人の男で、1人はベネディクト、2人目はロイと同年代で似た背格好をしている。モーリスという剣士で、闘技の剣闘士でもある。3人目は初老の魔道士のようだが、初顔だ。しかし、その堂々とした地で立ちから、もしかすると、名前はどこかで聞いたことがあるかもしれない。彼は、3人の会話に耳を立てた。

「その話に信ぴょう性があるとは思えない。第一、その女がいなくとも、俺がいれば十分だ」

 モーリスがいう。女とは、誰のことだ?

「お前はコピーのコピー。言うなれば、出来損ないだ」

 初老の魔道士が言う。

「なんだと!」

 モーリスが突っかかろうとするのを、ベネディクトが肩をつかんで止める。魔道士は構わず、続ける。

「如何にお前が強いといっても、今、我らが求めているのは神の血筋だ。リチャード・フォークナーの死んだ今、一番の血筋はリディア。その次は、あの忌々しい奴だ」

 リディアの名前を聞いて、ロイの顔がわずかに困惑の表情を浮かべる。

「なぜあいつが優先度2番目なんだ? 女はフォークナーの直系だから、理由は分かるが」

「お前たちの中では、一番純度が高かったのだよ。貴様の場合は、その半分程度だ」

「フェルディナンド殿。今はすぐにでもアンワルの村へ行き、リディアの情報を確認し、本人なら身柄を保護する。それが優先では?」

 ベネディクトが初老の男に向けて、言う。フェルディナンドは、ファーリお抱えの錬金術師であり、魔道士の名前だ。

「保護か。物は言いようだ。用があるのは、あの娘の血だけだというのに」

「そのような言い方はやめてもらおう。彼女は師匠の唯一人の娘であり、あの男の被害者だ」

「そして、片思いの相手だろう?」

「フェルディナンド殿!」

 ベネディクトは本気で怒ったのか、顔を赤くした。

「安心せよ。女の命は取らぬ。ルロイは別だが」

「だが、あいつだって殺してしまっては、ファーリのところにつれて帰れないぞ」

 モーリスが疑問を呈する。フェルディナンドは一笑し、

「だから、わしがいるのだろう。わしなら、大抵の怪我は治せる。それに、死んでも、代わりの命を入れるだけだ」

「なるほど。むしろ、生け捕りにするより簡単だ」

 モーリスも納得したようだ。が、ベネディクトは首を横に振り、

「そうはいっても、肝心のあの男が見つからないのでは、仕方が無い」

「だからこそ、まずはその女のことを調べるのだろう? 女が見つかれば、まずはそれで事足りる。女の顔を知っているのは、お前しかいない」

 フェルディナンドは、ベネディクトを指さした。ベネディクトは息巻きながら、

「もちろん、そのつもりだ。それを、この男が先ほどから……」

と、モーリスに不満をぶつける。

「分かった、分かった。そっちは任せる。だが、俺はまず、この剣闘士大会を勝ち抜く。それが終わったら、ルロイを追うからな。リディアなんて名前の女、あちこちにいるだろうに」

 モーリスは、最後はぼやくように言い、2人と分かれて雑踏に消えた。

「我らは、アンワルへ向かう算段をしよう」

 ベネディクトとフェルディナンドも、街の広場に進んだ。

 競技場の柱から姿を現したロイは、剣に手を掛ける。リディアに害をなそうとするベネディクトを追うか、それとも1人になったモーリスを追うか。

 しかし、その左肩に手を掛けられ、ロイは思わず体を捻りつつ前へ飛んだ。向きを変えた先には、肩を叩いた人物がいた。しかし、その顔を見たロイは剣のグリップを握っていた右手を下ろした。

「マリオン。久しぶりだ」

「ロイもな」

 マリオンは、ロイよりやや背が低い、細身の男だ。金髪の長い髪を縛ってポニーテールにしている。目立つ武器は腰に差す短めの剣グラディウスだが、彼の得意な武器は右の太股に添えているダガーという短剣だ。ロイと同郷で、同じく剣を使うが、魔法も使える。俊敏さが売りなので防具も最小限だが、防具を全く持たないロイよりはマシだ。そして、防寒も兼ねた黒いマントを羽織っている。

「どうして俺を止めた?」

「どっちかを殺ろうとしていたのだろうが、街の中はまずい。それに、しばらく泳がせておきたい」

「それは、ジルの考えか?」

 ロイは、仲間である女の名前を出した。マリオンは頷いた。

「その通り。お嬢の考えだ」

「わかった。その代わり、ジルの考えを聞こう」

「俺にそれが分かると思うのか? お嬢に直接聞け」

 ロイに聞かれたマリオンは、開き直ったように、そしておどけて答えた。

「お前に聞いた俺が馬鹿だった」

「失礼な。おおよそのことは聞いているが、細かいところは秘密だと言われている」

「そうか。ところで、これからお前はどうする? 何もないのなら、たまには一緒に飯でも食べるか?」

「良いね。お前の奢りか?」

「それは難しいな」

2人は話しながら、ベネディクトたちの消えた方角とは反対へ足を進めた。足を進めながら、ロイは考えた。

彼らもリディアを探している。彼らの話していた女は、ロイがこれから小箱を渡そうとしている相手と同じようだ。彼女がリチャードの娘リディアであれば、ロイは会いたいと思っている。しかし、このまま行けばベネディクト達とも遭遇してしまうだろう。彼女がそのリディアでなければそれまでだが、知っているリディアなら、どうやらファーリのところに連れていかれるようだ。そうなる前に、彼女と会いたい。だが、会ってどうなる? 連れ去られる前に助けたいというが、彼女はロイに助けて欲しいと、本当にそう思うのか?

 ロイは自問自答したが、決心はつかなかった。本当に彼女のことを思うなら、ロイは会うべきではない。父親を殺した男を、彼女がすんなりと許し受け入れてくれるはずもない。それでも、一目会いたいという気持ちを捨てきれずにいた。

「それはそうと、お前、今まで何をしていた?」

 マリオンは聞いた。ロイは抑揚なく、

「傭兵でその日暮しをしていた」

「その辺は、俺と大差ないな。だが、『曲剣のロイ』で有名になりすぎたようだな」

「そう。それは失敗したと思っている」

「それでお前は、これからどうするつもりだった?」

「途中で男に頼まれた。赤い箱を女に届けてくれ、と。そいつは死んでしまったが」

「そうか。俺は王都に向かうつもりだ。お前も一緒に来て欲しいが、先に行っている。そっちの用件が片付いてからで良いから、来てくれよ」

「わかった」

 前向きな気持ちではなかったが、ロイは答えた。王都は、ロイが普段活動している地域より東にあった。王都に行くということは、ファーリ領に近づくということを意味していたからだ。


 翌朝。マリオンと別れたロイは、駅馬車に乗った。幌屋根付きの4輪で、荷車のような車体に縦方向に長椅子を付けたような、御者1人と乗客8人、その他に郵便物などが乗った四輪馬車だ。馬車は馬3頭に引かれ、北西へ向かう。乗り合わせた乗客の職業は様々なようだが、ロイのような傭兵は他にはいない。魔道士の母と娘の2人の他は全員が行商人のようだ。

 行商人たちは御者の近くの席に陣取り、世間話に興じていた。魔道士の親子は真ん中よりうしろの席で、ロイと向かい合わせに座っていた。親子は、身体より大きそうな、高いとんがり帽子をかぶり、おそろいの襟付きマントを羽織っている。母親と12歳くらいの娘は、本を開きながら、何やら講義のようなことを始めた。

「今日は、ここからね。『人を操る呪術』。これは呪いの延長といったところね。相手の意識を失わせるか、無視して身体を乗っ取り、自由に操るのだけど、操り人形みたいに動きを操るものから、感情だけを支配して、行動は体に任せる、というものに大きく分けることができる。ちなみに、死体を操るアンデッドもあるけれど、それは死霊術になるから、また今度ね」

 なかなか物騒な授業が始められたようだが、ロイは聞き耳を立てるわけでもなく、自然に入ってくる言葉に身を任せた。

「操られた人を元に戻す方法はあるの?」

「呪術が弱ければ解呪魔法でできるけど、術が強いと難しいわね。聖魔法の浄化で状態異常の回復、という手もあるわ。あと、術を掛けられた人に術を上回るショック、或いはその人の精神の強さに期待して呼びかけを行う、というのもあるそうよ。ただし、死んだ人には意味がなく、浄化魔法で死体に戻るだけ」

 娘の問いに、母親は答えた。

「そういえば、オフィークス辺境伯領で今、騒ぎになっているようですが」

 今度は行商人たちの声が入ってきた。

「伯爵邸から宝石が盗まれたとの、もっぱらの噂ですよ」

 小柄な行商人が言う。

「懸賞金が出たらしいですね」

 太った行商人が聞き返す。

「ええ。宝石を取り戻した者か、取り戻すのに有益な情報をもたらした者に報奨金として10リーブラ出すそうです」

 小柄な行商人が答えた。10リーブラは、おおよそ100万円にあたる。白金貨10枚であり、金貨では100枚となる。

「盗まれたのはいつの話ですか?」

 他の行商人も会話に入ってきた。

「分かりませんが、報奨金が出たのなら、時間はたっているのでしょう」

「犯人は何者でしょう?」

「盗賊との噂はたっていますが、名前までは分かりませんね」

「辺境伯の屋敷と言えば、警備は厳重だったのでしょう?」

「いや、そうでもなかったですよ」

 小柄な行商人は言った。

「しかし、宝石が屋敷から盗まれたとあっては、辺境伯の周りも大騒ぎでしょうな」

「そうでしょう。名誉にかかわることでしょうし」

 宝石の盗難に関する話題は、詳しい情報は無いようだ。

「これから会うジル・クリスティって、お母さんのお師匠さんでしょ?」

 ロイは、耳に届く会話に不意に聞き覚えのある名前が出てきたので、意識が再び親子に向かった。といっても、目は半開きで、周りに関心を示さない態度に変わりは無い。

「そうよ。私にとっては一番新しいお師匠さん。この本を書いたのも師匠なの」

「お師匠さんって、凄いおばあさんなの?」

「凄い人だけど、おばあさんじゃなくて、見た目は私よりも若い人なのよ。私も数年前に弟子入りしたばかりだから、実際の年齢は分からないけど」

 どうやら、ロイの知っているジルのようだった。年齢不詳となっていることに、ロイは帽子を下げて顔を隠しながら失笑した。

 駅馬車は小さな街エルタニンに入り、1度目の休憩を取った。時間は1時間ほどだ。休憩後、乗客たちはほぼ同じ座席に座っていた。

 次の休憩地点までの中間点まで来たとき、事件は起きた。御者が何か叫んだと同時に馬車が激しく揺れて、止まった。馬が嘶き、落ち着かなくなっている。道は上り坂になっていて、両側は森林となっていた。

「山賊だ。伏せろ」

 誰かが叫んだ。乗客たちは小さく悲鳴を上げながら身を屈めた。馬車は側板が高く、身を隠す余裕は十分あった。ロイも姿勢を低くし、主に耳を頼ってあたりの様子をうかがう。御者は震えながらも、どうやら山賊たちと睨み合っているようだ。幌には矢が1本刺さっていた。これが襲撃の合図となったようだ。その時、小声で、

「シールド」

と唱える声が聞こえた。よく見ると馬車の周囲が薄いピンク色の何かで覆われていた。魔道士の母親が、防御の魔法を唱えたようだ。

「この防御魔法は、人は通り抜けられますか?」

 ロイが聞くと、

「いえ。でも、下の方を潜って、外に出られるようすることはできます」

と、娘を抱きかかえた母親は答えた。

「おい。この中に、剣士が1人いるそうだな。ゆっくりと出てこい」

 外から誰かが大声で言った。ロイは、椅子に座る際に外していた剣を抱え、

「ご婦人。俺がここから出たら、外へ出られるだけの隙間を作ってください」

と言いながら立ち上がった。魔道士の母親は黙って頷いた。

 ロイは敵の位置を確認した。馬車の前に2人、後ろにも2人。この4人はショートソードを持っていた。そして、前方のどこかに弓を持った誰か。合計は5人。人数を推定できたところで、彼は荷台から飛び出した。

 魔道士の魔法の調整で、シールドが地面から50センチくらい開いている。ロイは、その隙間を左前転でくぐり抜けると、上半身を起こすと同時に抱えていた剣を抜いた。

 馬車の後ろにいた左側の男の胴をなぎ払い、右側の男に対しては、その背中側に回り込んで縦に剣を振り下ろした。

 馬車の前を見ると、剣を構えた2人の男の他に、左の森の木の上に弓を構えた男がいた。矢の先端はロイに向けられていた。

 ロイはすぐに左の森に飛び込んだ。そして、森の中を走って移動し、1本の木の下にたどり着く。その上に弓を持った男がいるが、ロイはたどり着くなり、その木を何度も蹴った。木の幹はそれほど太くはない。木は上の方ほど大きく揺れ、男が弓を持ったまま落ちてきた。ロイはその男に剣を突き立て、抜いた。残るは2人。

「どっちが親分だ?」

 ロイは聞いた。

「俺だ」

 左手の男が答えた。

「どうして剣士が俺1人だと知っていた?」

「さあ、どうしてだろうな」

「まあいい。答えが分からなくても特に困らないが、このまま逃がすつもりもない」

「アホぬかせ。それはこっちのセリフだ」

 左手の男が答えた。彼が話し終えるより先に、ロイは動いた。右手の男に向かい、男の剣をカットラスで巻き取るように時計回りに下から上へ跳ね上げて退けると、すぐに振り下ろし、男を斬った。

 リーダー格だった残った男は、剣を構えてはいるものの、先ほどのふてぶてしい態度はどこに行ったのか、戦意は喪失していた。

「あとはお前1人のようだ。どうする?」

 ロイは聞いた。男は悲鳴ともつかぬ声を上げ、足をもつれさせながら逃げていった。ロイは剣を鞘に収めた。馬車を降りた御者がロイにゆっくり近づき、

「ありがとうございます。これで被害は免れました」

「このあたりには、山賊は多いのか?」

「いえ。ゼロでは無いですが、駅馬車の通る街道は警備隊の巡回も多いので、めったにありません。ああいう輩は珍しい」

「彼らを斬ってしまったが、後処理を手伝ってもらえるかい? せめて、通行の邪魔にならないようにしたい」

「もちろんですとも。道の端に寄せておくだけで十分です。次の街で警備隊に告げれば、あとは彼らがやってくれます」

 ロイと御者、馬車に残っていた行商人たちは協力して、山賊たちの遺体を道の脇に移動させた。

「それにしても、惜しいことをしましたな。生きて警備隊に引き渡せば、懸賞金が満額で貰えたでしょうに。せめて、先ほどの男でも捕まえては?」

「もう逃げましたし、こんなにあっさりと斬られるようでは、たいした懸賞金では無いのでは」

「いや。あなた様が強いからでしょう。懸賞金については、次の街で手続きをしていただければ、手数料は取られますが、すぐに支払われますよ」

「それはありがたいが、何故?」

「駅馬車は、王国の重要な物流網ですからね。我々御者が証言すれば、警備隊の調査もスムーズに事が運びます。本来なら遺体の一部を持って行って証明しなければならないし、状況の説明を警備隊にしなければならないところを、省略できます」

「こちらとしては、身に掛かった火の粉を振り払っただけ。それで金がもらえるならありがたい」

「では、そのようにいたします。さあ、先を急ぎましょう。皆さん、お乗りください」

 御者が乗客に言うと、全員が最初と同じような位置の席に座った。御者は全員の乗車を確認して、馬車を出発させた。ロイは再び親子と向かいになった。

「先ほどはシールド魔法をありがとうございました」

 ロイは、魔道士の母親に礼を言った。

「いえいえ。むしろお礼を言うのはこちらです。山賊を退けて貰ったのですから」

「そうだよ。おじさん、強いんだね」

 母親と娘がそれぞれ言う。ロイは恥ずかしそうに帽子を深く被り直し、

「俺は自分のためにやっただけです。それに、彼らは戦いにおいては素人でした」

「でも、武器を持った人がたくさんいたのに、迷わず立ち向かっていったでしょう? そんな勇気のある人はなかなかいません」

「俺には、それしかできないので。ところで、魔道士の師匠の話をしていましたね」

 ロイは、ジルの情報を聞き出すことにした。

「ジル・クリスティのことをご存じなのですか?」

 母親は怪訝そうな顔をする。

「名前を知っている程度ですが、いつかは会ってみたいと思っていまして」

 ロイの答えを聞いて、母親は納得がいったのか笑顔を浮かべながら、

「そういうことですか。でも、師匠とパーティーを組むのは難しいと思いますよ。師匠は出不精なので。面倒なことは嫌いなのですよ。魔法の研究が絡まないと、街の外に出ないくらいです」

「今、どこの街に住んでいますか?」

「街ではなく、村ですね。周囲は遺跡だらけで、遺跡探検家やその護衛の人たちで賑わっているタドモルという村です。私たちの目的地もそこです」

「タドモルは、明日通るアルタイスの街から北東に行ったところにある村だよ。そこからは歩きで一日だ」

 魔道士の話が聞こえたのか、御者が言った。

「剣士様はどちらへ行かれるのですか?」

 魔導士は聞いた。

「アンワルという村です。頼まれごとを引き受けたので」

「アンワルと言えば、ずいぶんと山奥にある村のことですよね。道も険しいと聞きます」

「そうですか。行ったことがないので、知りませんでした」

「アンワルは、嘘か本当かは知らないが昔、山賊が作ったっていう村だよ。今は温泉でそこそこ有名だ。アルタイスのさらに先のコカブから、歩きで半日くらいかな」

 再び御者が言った。


 駅馬車は本日2つ目の休憩地点である、少し大きめの村ラスタバンに到着した。ここでは、昼食を取る時間も考慮した停車時間となっているようだ。御者はそのままだが、馬たちは3頭とも交代して次の旅路の準備をしている。

 ロイは軽い食事を済ませ、村の広場にて時間を潰すことにした。駅馬車の出発までまだ30分ほどあった。ここでは、ほかの乗客は見かけない。いや、小柄な行商人が同じように暇を持て余しているようだ。彼はロイに気付いて、近づいてきた。

「旦那は腕っ節の強い方だ。しかし、その剣は変わっていますね。何という剣です?」

「カットラスです」

 行商人の問いに、ロイは簡潔に答えた。一口にカットラスといっても、実際には形が完全には決まっておらず、片手剣で刃の部分が湾曲したものの総称のようになっている。海賊が使っているイメージが強く、実際に船乗りが多用しているが、ロイの剣は比較的シンプルで、カットラスとしては刀身が長い。加えて、柄に当たるグリップも長い。

「変わった剣をお持ちだ。ところで、先ほどの戦いで剣が汚れてしまったでしょう。どうです。この村の武器屋でメンテナンスしては? 良い店を知っていますよ」

 行商人の申し出に、ロイは少し考えた。

「そうですね。案内してもらいましょうか」

 ロイは、小柄な行商人に案内され、村の外れに移動した。建物は点在するが、おおよそ集落の外側に出そうなところだ。白い壁、赤い板の屋根の家の前で、行商人は足を止めた。ただ、戸惑っている様子だった。目的の家を見失ってしまったようだ。

「確かこの辺だったと思うのですが。ここに入ってみましょう」

 行商人は家の扉を4回ノックして開け、中に入った。ロイは、マントの下で左手を剣の鞘に添えながら、後に続いた。家に入ってすぐの部屋は、中央に木の柱が立っている広さで、左奥に暖炉やテーブル等がある、言わば居間だった。右奥には別の部屋に続くドアがある。しかし、とても武器屋や鍛冶屋には見えない。

「それで、盗賊が俺に何のようだ?」

 ロイは行商人に聞いた。行商人は冷笑し、

「おやおや。あっしが行商人じゃないってことをご存じでしたか?」

「武器のメンテナンスは、馬車待ちの時間にするものじゃない。それに、誰が言っていたか忘れたが、行商人の誰かが辺境伯の屋敷の警備が手薄だなんて、見てきたように言っていた。おまけに山賊が、剣士が俺1人だと知っていた。さっきの街での休憩の時に、そいつが乗客の情報を事前に伝えていたとしか思えない。いつ接触してくるかと、待っていたところだ」

「じゃあ、あっしの用件が何か、察しがついているようで」

「それが、さっぱり見当がつかん」

 ロイが真顔で答えると、行商人はあっけにとられた様子で、

「まさか、自分が何を受け取ったかご存じねぇんで?」

「受け取った? 赤い箱のことか?」

「そうですよ。死んだ男から受け取った、あの赤い箱ですよ」

「ということは、お前はあの現場にいたのか?」

「まあ、そういうことになりますかねぇ。俺は、あいつらの監視役でしたが」

「じゃあ、赤い箱の中身を知っているわけだ。悪いが、俺はある女性に届けるよう頼まれた。お前に渡すつもりはない」

「いや、あっしも無理にいただこうとは思っていないわけでさ。昨日今日武器を握ったばかりの輩じゃ、あんたには適わない。だから、その赤い箱を売ってもらいたい」

「赤い箱の中身は、辺境伯の屋敷から盗まれたという宝石か?」

「そこまで察していなさるのなら、話は早い。これでどうです?」

 行商人は、右手を広げた。5リーブラを提示しているようだ。

「それなら、こいつは辺境伯のところへ持って行った方がよさそうだ」

「残りの5リーブラは、命の保証と考えて貰えるとありがてぇのですが」

 行商人は言いながら両手を叩いた。奥の部屋から1人、銃を持った男が現れた。両手で持つ、全長が1メートル弱の銃だ。この当時はまだ、拳銃のような片手で持てる銃は存在していなかった。また、銃弾も、弾と火薬は別になっているものだ。

 出てきた男は銃口を上に向け、狙いを定める姿勢ではなかった。銃口を下に向けると、弾が勝手に出てくる恐れがあるからだ。そして、まだ部屋の奥にいて、距離がある。

「そんなものを使えば、音で周りに気付かれるぜ」

「騒ぎになる前に、貰うものをもらって逃げますよ。しかし、金で解決できれば、お互いにとって良いと思いますがね」

「俺は、頼まれた仕事はやり遂げるつもりだ」

 ロイはそう言うと、身を翻して玄関のドアを引いて開け、家の外に出た。そして、後ろ手に扉を閉める。

「追え!」

 行商人が叫び、銃の男が走って玄関のドアを開けた。外へ出て、ロイの姿を探しながら銃口を水平に向ける。しかし、ロイの姿がない。次の瞬間、男は背中を斬られていた。ロイは外には出たが、玄関口のすぐそばに隠れていたのだ。男が前に倒れそうになると、男の襟首をつかんで家の中に引き戻した。死体を外に残さないためだ。そして、彼自身も家の中に戻った。

 男は部屋の中央で倒れ、動かなくなった。縄に火が付いたままの銃も床に転がった。中には、短剣を構えた行商人がいた。先ほどまでの尊大な態度とは違い、明らかにおびえ、震えていた。

「10リーブラならどうだ?」

 かろうじて、行商人は言った。しかし、ロイの剣が短剣をたたき落とし、左から右へ振られた。行商人は倒れた。

「金のことは、俺の知ったことじゃない」

 ロイは、もう話をすることもない行商人に言って聞かせた。


 ロイは、駅馬車に乗り込んだ。数人の行商人がすでに乗っていて、ロイのあとから、魔道士の親子や残りの行商人がやってきた。馬の調子やつなぎ具合、馬車の点検を終えた御者が馬車の中を見て、

「まだ1人、戻っていないようですね」

という。駅馬車は、基本的に運賃は前払い制で、目的地まで乗せていくシステムになっている。乗り遅れた場合は運賃の払い戻しはなく、もう1度金を払わなければならない。

 ロイは、その1人が戻ってこない理由を知っていたが、あえて言わなかった。相手が盗賊の仲間とはいえ、人を斬ったことについて取り調べを受けることになるし、盗賊であることを証明するのが面倒だったからだ。加えて、赤い箱の中身を明かすことになる。これが宝石なら、それでさらに取り調べを受けることになる。辺境伯に恩義もない彼は、宝石を返す気もなかった。頼まれたことをするが、そこから先のことは知らない。

 駅馬車は予定より30分くらい遅れて出発した。当然のことだが、乗り遅れの1人が現れることはなかった。

 馬車は、その後はほぼ予定通りに進み、アルタイスの街で魔道士の親子と別れた。ロイはその先まで乗車した。次の日の夕方、コカブの街に着く。ロイが駅馬車の利用するのはここまでで、ここから先は歩きで東のアンワルの村を目指すことになる。

 その日はコカブに滞在し、翌日にアンワルの村へ向け出発した。夜道を避けてのことだった。アンワルの村までは山道で、狼などがいるとのことだったので、危険を避けたのだ。

 翌朝。道を歩きながら、ロイはある疑念を胸に抱えていた。

 死んだ男から預かった赤い箱の中身は、辺境伯から盗まれた宝石。その届け先のリディアは、盗賊の関係者なのだろうか。宝石を預かったロイを追って山賊が襲ってきたことに、彼女が関係しているのか? そもそも、彼女はロイの知っているリディアだろうか。

 しかし、黙っていれば届けられるのに、襲ってまで宝石を奪おうとするだろうか。そう考えると、リディアは無関係で、恋人が、何らかの事情で手に入れた宝石を届けようとしていたところを、盗賊が襲ったということか。


 ロイがアンワルの村の入り口に着いたのは、昼過ぎのことだった。アンワルの村はアーカディア王国北西部の、古い火山の中腹にある。温泉といっても、源泉の温度は30度前後と、そのまま入るには温いが、長く入っても湯冷めはしない利点がある。温泉の効能は、肌荒れ等の改善といわれている。

 ロイは村の入り口で、入るのをためらうように足を止めた。そして、村の様子を伺うように辺りを見回した。ベネディクトたちが、すでに村に入っていると予想されるためだ。彼らは、ロイがこの村に来ることを知らないはずだ。しかし、ここで鉢合わせするのは避けたい。彼らの目的がリディアで、それがリチャードの娘であれば、何らかの接触をしているだろう。すでに連れ去られているかも知れない。しかし、リチャードの娘でなければ、おそらく何事もなく過ごしているだろう。まずは、彼女の確認が先となるが、ベネディクトたちに見つからないよう行動する必要があった。

 また、もう一つの懸念材料は、盗賊のことだ。リディアの周辺にはどうやら、きな臭い連中がいるようだ。宝石を渡してしまえば問題ないだろうが、それまでは、こちらにも気を配る必要がある。

 村の奥に進む道は、はじめは一本道だった。ロイは人の気配に気を配りながら、村の奥に足を進めた。アンワルの村といっても、実際は山麓に温泉宿が点在し、温泉宿に関わる者たちで構成されていた。目的の宿『青の竪琴』は、村の奥の源泉に近いところに立っていた。左手の谷を挟んだ向かい側にその宿が見え、ロイは一度足を止めた。見通しが良く、身を隠せる場所は少ない。宿までの道の途中、盗賊から襲撃を受ける心配は低いようだ。だが、こちらの姿も宿から丸見えとなる。

 再び足を進めようとしたところ、ロイは正面に立ち塞がる人影に気づいて身構えた。右手が剣に伸びかけたが、相手がウォリディだと分かって手を止めた。

「やっと見つけた!」

 人のサイズのウォリディは、驚喜と鬱憤の入り交じった険しい顔をしていた。ロイは黙って立っていた。彼女とここで再会したこともそうだが、彼女がここまで追ってきた、執念のようなものに驚いていた。そして、彼自身も、彼女が無事でいることを確認できて安堵していることに戸惑っていた。

「久し振りだね」

 ロイはなんと言って良いか分からず、間の抜けた言葉を返した。

「何が『久し振り』よ。あなたが置いていったんじゃない。リィーナちゃんにお金を置いていったときに、そのまま連れて行ってほしかった」

「あのあと、何度も危険な目に遭った。これからもそうだ。だから、会わない方が良いと思った」

「長老様は私のことを、あなたに託したのよ。それを忘れないで」

「君の人生だろう? エフライムがどうとかじゃなくて、君はどうしたい?」

「それは、私にも分からない。分からないけど、みんながあれこれ違うことを言うと、私はどうしたら良いか分からないのよ」

 ウォリディは半ば泣きそうになりながら、首を横に振った。その気持ちはロイにも痛いほどわかった。

 エフライムによれば、彼女は何かの理由で魂だけの存在となり、さまよっていた。エフライムが彼女のために、精霊樹の実を元に身体を作って与えたのが、今の姿だ。魂だけの存在だったということは、どこかで死んだということだろう。そして、死ぬ前の記憶はない。いわば、この世に突然放り込まれた状態だ。何をどうしたらいいかわからず、混乱するのも無理はない。ロイは彼女に歩み寄って、

「人生の目的は、これからでも見つけられるさ」

と、彼女の頭をやさしくなでながら言った。そして、谷の反対側の宿を指さし、

「俺は、あそこの宿の主人に用がある。ついてくるかい?」

「もちろん、ついて行くわ」

 ウォリディは答えた。


 目的の宿の建物はいくつかあり、本館と思われる古い建物が一番手前にあるが、その奥には比較的新しい建物が3軒見える。源泉を持っていることから、この村で古くから存在することは間違いない。ロイとウォリディは宿の玄関をくぐった。中は、他所で見かける宿と違いはなく、食堂や酒場を兼ねた広間となっていた。若い女がカウンターの奥にいた。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客さんですか?」

 女が聞いてきた。ロイは帽子を取りながら、

「いや。この宿の主人宛の荷物を届けに来た。リディアという人だが、ここで間違いないか?」

「おかみさんのことですね。今、呼んできます」

 女はカウンターの外に出て、店の奥に消えた。しばらくして、年上の女が現れた。30代前半だろう。

「リディアです。この宿の経営をしています。私に御用があるそうですが?」

 女は言った。整った顔をしていたが、見知らぬ男が訪ねてきたからか表情は硬く、ロイとウォリディに警戒の目を向けていた。

 ロイは表情を変えなかった。彼女は、ロイの探しているリディアではなかった。残念ではあったが、同時に安堵もしていた。彼は軽く頭を下げ、

「ロイと言います。旅の途中で、ある男にあなた宛ての荷物を託されたので、それを届けに来ました」

「もしかして、セオドールですか?」

 リディアの顔が急に曇った。

「残念ながら、名前は聞けませんでした」

「セオドールは私の夫です。彼はどうしたのですか?」

 ロイは答えるのをためらった。代わりに、赤い箱と財布を出し、

「これが、あなたに渡すよう頼まれたものです。それから、許可を貰ったので、その財布から、ここへ来るのに必要な経費をいただきました」

と、彼女の問いには答えずに言った。

「彼に何かあったのですか?」

 リディアは、強い口調で再び聞いた。ロイは意を決するように短く息を吐き、

「この赤い箱を託した男は、盗賊に襲われて息を引き取りました。ゲヌビという村です。その村の教会に埋葬を依頼しました」

と、抑揚なく言った。その途端、リディアはふっと意識を失ってよろけた。ロイとウォリディは崩れ落ちそうになったリディアを支え、近くの椅子に座らせた。

「大丈夫ですか?」

 ウォリディが聞くと、リディアは小さくうなずいた。

「死んだのは間違いないのですか?」

「その男がセオドールさんかは知りませんが、亡くなりました」

「ちょっと失礼します」

 リディアは赤い箱と財布を受け取り、駆け足で宿の奥に消えた。かなり取り乱していた。セオドールは、彼女にとって大切な人だったのだろう。しばらくして、彼女は老人の男とともに戻ってきた。泣いていたのだろう。彼女の目は赤く潤んでいた。

「倅の最期を看取っていただいたそうで、ありがとうございます」

 彼女の代わりに男が口を開いた。リディアの舅のようだ。

「たまたま通りがかっただけです」

「見ず知らずの息子を弔っていただいた上、最後の願いも聞いてもらった。そのお礼と言っては何ですが、今夜はここでお泊り下さい」

「いや。俺は…」

「このあたりの夜道は危険です。遠慮はいりません。さあ、どうぞ」

「良かったじゃない。私、ここに泊まってみたかったんだ」

 ウォリディが嬉しそうに言った。


「あの男で間違いないのだな?」

 遡ることほんの少し前のこと、ベネディクトが、傍らの男に聞いた。

 宿『竪琴』の別棟には、本館の入り口を見渡せる部屋がある。そこに、ベネディクトとフェルディナンドが招かれた。招いたのは、この宿の従業員という肩書きを持つ男だが、実際は盗賊で、ロイの乗った駅馬車を襲撃した際に逃げた男でもある。名をラルフという。彼は頷いた。

「計画は大幅に狂ってしまったが、仕方がない。もはやあの男をどうにかしても手遅れだが、このまま生かしておいては、仲間が浮かばれない」

「こっちにとっても、狙っていた魚だ。あいつのことは任せて貰おう」

 ベネディクトは答えた。

「あの娘、何者かは知らんが使えそうだぞ」

 フェルディナンドは、ウォリディに目をつけた。

「どうするつもりだ?」

 ベネディクトは、嫌な予感を覚えながら聞く。

「なに、簡単な事よ。あの娘にルロイを討たせるのだ。あの男も、まさか連れの女に殺されるとは思うまい」

「無関係の人間を巻き込むなど以ての外。そのような邪道、以下に伯爵の命令といえど、許さんぞ」

 ベネディクトが凄んでみせるが、フェルディナンドは意に介することなく、

「別に娘を殺すわけではない。ちょっとした呪具で、一時的に操るだけだ。呪具を外せば元に戻る」

「あいつは私1人で倒せる。余計な策を弄するな」

「申し訳ないが先生方、仲違いは後にしてくれ。依頼料を払っているのだから」

 ラルフが間に割って入った。2人は一切が万事このような感じに対立するので、うんざりしているようだ。

「分かっている。私は、安全確実に実行する方法を提案したのだ。騎士道精神も良いが、確実に命令を実行するのが先だ。変なプライドを優先させて、また失敗するわけにもいかないだろう」

「分かっている」

「呪具は用意してある。これをあの娘に渡し、身に着けさせろ。私は、魂縛術の準備をしなければならないからな」

 フェルディナンドは、銀色に輝くバングルをベネディクトに渡そうとする。ベネディクトは触るのを躊躇い、

「待て。触っただけで操られるのか?」

と聞くと、フェルディナンドは笑いながら、

「安心しろ。私が呪文を唱えたら発動するようにしてある」

「どうやって女に渡す?」

「それこそ、自分で考えろ」

 フェルディナンドは再び笑いながら答えた。


 ロイは用意された部屋で、窓際に椅子を寄せて外を眺めていた。外は夕暮れで、思いのほか少ない山林の広がる風景だった。ウォリディは、温泉に浸かりに出て行った。どうして彼女がこの村にいたのか、聞くことはできなかった。

 ロイは次にどう動くか考えていた。リディアは探していた姉ではなかった。それは覚悟の上だった。しかし、この宿のリディアは盗賊とかかわりがある疑いが大きい。宝石を渡した今、ここに残るのは危険だろう。しかし、セオドールが死んだことで動揺していたところを見ると、予定外の事態になっているらしかった。

 部屋の扉をノックする音が聞こえ、ロイは返事をした。相手はリディアだった。

「どうぞ」

 ロイは彼女を部屋に入れた。

「セオドールのこと、ありがとうございました。夫は……最後は苦しそうでしたか?」

 彼女は落ち着きを取り戻していたが、憔悴しているのは明らかだった。

「彼を助けることができず、申し訳ありません。最後は、穏やかだったと思います」

「夫を殺したのは盗賊だったそうですが、捕まったのですか?」

「いえ。俺が斬りました」

「夫は、私に何か言っていませんでしたか?」

「特には。いや、伝言を頼まれました。『ハナズオウ』と伝えてくれと」

「ハナズオウ! 確かにそう言ったのですか」

 リディアは驚いた顔をして、聞き返した。

「ええ。確かにそう言いました。俺も聞きたいことがあります。一体、誰がこの盗賊団を率いているのですか?」

「それは、どういう意味ですか?」

 リディアはロイを睨み付けた。

「途中で襲われたときに、あの赤い箱の中身が宝石だということが分かりました。プレゼント用にしては、盗賊が執拗に狙ってくる。辺境伯から奪われた宝石だとしたら、狙われるのも当然だが、そうすると、箱を持っていたセオドールさんも、その届け先も盗賊という可能性が高い」

「知られてしまったのなら、仕方がありません。それで、私たちに何を要求するおつもりですか?」

「別に、何かを要求する気はありません。ただ、ここまで来る間に盗賊に襲われたので、敵をはっきりさせたい。あなたと対立する組織なのか、それともあなたの言うことを聞かない誰かなのか」

「私は、違います。いえ、盗賊団を率いていたのは私ですが、あなたを襲わせたのは私ではありません」

 リディアは答えた。ロイはその言葉に目を見開いた。

「盗賊のリーダーは、あなただったのですか?」

 ロイは聞き返した。リディアは言葉をためらった後、うつむき加減で、

「きっと、他の盗賊団に比べたら、頼りないリーダーでしょうね」

「そいつは、俺には分かりませんが、リーダーはセオドールさんじゃなかったのですね」

「そうです。ですが、私は、あなたを襲うように命じてはいません。もちろん、セオドールのことも、私じゃありません」

「ええ。あなたの差し金ではないことは分かっています。だから逆に、あなたも用心したほうが良い」

 ロイがそうリディアに告げた時、部屋の扉が静かに開いた。ロイとリディアは扉を見た。そこには、ウォリディがうなだれ、両手をだらりと下げながら立っていた。いつもなら入ってくるなり何か喋り出す彼女が、一言も発しない。不安を覚えたロイは、左手に、鞘に収まった剣を握っていた。

「Uaaaaaaaaaa!」

 ウォリディは突然、言葉にならない叫び声かうめき声のようなものを発しながら、部屋に飛び込んだ。その顔は眉間にしわが寄り、目が吊り上がり、口は獲物に襲い掛かる猛獣のように歯をむき出しにして、鬼気迫るものだった。右手には逆手に短剣が握られ、ロイに突き立てようと振り下ろされた。

 ロイは左に飛びのいて、攻撃をかわした。彼女の次の攻撃も左に飛びのいて避けたが、3度目はリディアに向けられた。ロイは2人の間に入って、鞘に入ったままの剣を突き出し、ウォリディの右腕を上に払いのけた。彼女の狙いが再び彼に向けられた。彼は部屋を飛び出し、彼女は短剣を振り回しながら後を追ってきた。

 ロイは、階段の手すりを滑り台代わりにして、2階から1階に降りた。降りたところは、食堂を兼ねた広間だ。ウォリディは、2階の階段の踊り場から手すりを飛び越え、直接一階に降り立った。いくら元がピクシーとはいえ、今は人のサイズだ。テーブルの上に飛び降りた彼女はバランスを崩して床に落ちた。一瞬は顔をしかめたものの、ウォリディはすぐにロイに向けて、短剣を突き出した。彼は剣を抜かなかった。鞘を使って、短剣を打ち返すこともしなかった。

 リディアが2階から階段を降りてきた。2人が争っていることに困惑しているようだ。

 ロイは剣を手放し、左手でウォリディの右手首をつかんだ。右手は彼女の左手首を持つ。そこではじめて、彼女が左腕にはめている銀のバングルに気付いた。初めて見る装飾品だ。彼女のものとは思えなかった。どこかで手に入れたのなら、その時のことを話しているはずだった。

 ロイはまず、彼女の右手を捻って短剣を手放させた。だが、彼女は、今度は両手を彼の首に突き出してきた。首絞めだ。彼は、彼女の両手を首から外そうとしたが、あまりの力強さに手を外せない。彼女の華奢な腕のどこから、こんな力が出てくるのか。身体強化の魔法を使っているのか。

 しかし、彼女の両目からは大粒の涙があふれていた。彼女は彼女で、自分を操る見えない力と戦っているのだ。

 ウォリディはロイの首を絞めてくる。しかし、ロイの手は、ウォリディの腕を放した。その代り、彼女の背中に両腕を回し、引き寄せるようにしてきつく抱きしめた。その拍子に彼の唇が、彼女の額に触れた。それは本当に偶然だった。しかし、首を絞めていた彼女の手は力を失った。

「痛い、痛い」

 ウォリディがいつもの声を発したので、ロイは抱きしめていた腕を緩めた。そして、彼女の左手首についていたバングルを外して、床に落とした。涙目で呆然としていたウォリディは、ロイと目を合わせた。彼女は手に先ほどの感覚が残っていたのか、次に自分の両手を見つめた。そして、自分がしていたことを理解した途端、その場の空気が張り裂けるほどの大声で泣きだした。

「私……わたし、なんてことを」

 ロイは黙ってその背中をさするとともに、部屋の片隅に彼女を誘導し、椅子に座らせた。そして、ロイはすぐに先ほどの場所に戻り、床に落ちていた自分の剣を拾い上げた。

 リディアは、事の成り行きに理解が追い付いていないのか、階段を下りたところで立ち止まったまま、一言も発せずにいた。ロイは、階段の2階部分を見上げた。そこには彼女の舅と、それぞれ武器を持った盗賊が5人。そして、その後ろにはベネディクトいた。それを見たロイの顔つきが渋くなった。

「お前もついに、盗賊の手先に成り下がったか」

 ロイは、ベネディクトに悪態をついた。目は、湧き上がる怒りの色を放っていた。

「今回は、盗賊と我らの利害が一致しただけだ。お前を殺すという目的で」

「盗賊の内紛に利用されているだけだ。そうだろう? リディアを裏切って、この盗賊団の頭になろうって言うやつは誰だ? 自分がリーダーだというなら、すぐに出てこい」

 ロイが言うと、舅が前に出てきた。

「わしが次のリーダーだ。ほんとうなら、私の息子がなるはずだったが、仕方がない」

「なぜ、リディアじゃ駄目なんだ?」

「もともとは、リディアの親父がリーダーで、わしがサブリーダーだったが、数年前にそのリーダーが死んで、リディアが引き継いだ。しかし、何の力もないリーダーじゃやっていけないのだよ」

「セオドールなら力があったというのか? だとしたら、あんたもとんだ大馬鹿者だ」

「なんだと!」

 舅は顔を赤くして怒りをあらわにしたが、ロイは構わず、

「聞いていなかったのか? セオドールは盗賊に襲われて死んだと。殺した奴は、そこにいるのかもしれない」

「そんな、馬鹿な」

「道中で俺を狙ってきたやつもいるな。決着をつけようじゃないか」

 ロイは、ラルフに剣先を向けて言いながら、階段下のリディアのそばに寄った。そして、

「リディアさん。その子を見ていてください」

といった。リディアは、ロイに代わってウォリディのそばに寄った。

「誰だ? セオドールを殺した奴は!」

 舅が叫んだが、近くにいた男に突然切り付けられ、倒れた。ラルフだった。

「爺はもう黙ってろよ」

 ラルフが吐き捨てるように言った。それと同時にロイが動き出し、2階は騒然となった。

 ロイは、階段を途中まで下りてきた男に剣を突き立てた。ライルはその隙に2階の踊り場から食堂のテーブルに飛び降り、リディアめがけて突進した。彼女を殺せば、盗賊団はすぐに自分のものになると考えたようだ。しかし、階段を下りたロイが間に割って入った。ラルフは剣を上段から振り下ろしたが、ロイは左手から水平に構えた剣で一撃を受け止め、跳ね返し、逆に上段から斬った。

 盗賊の3人とベネディクトが階段を下りてきた。1人目の盗賊は、ロイの目の前のテーブルに飛び乗って、上から短剣を突き立てようとした。ロイはそのテーブルを蹴って男をテーブルから落とし、逆に剣を突き立てた。

 2人目とロイは正面から対峙したが、ロイは剣を横に振って男を倒した。

 3人目は、破れかぶれに剣を振ってきたが、ロイは冷静にその剣を下に反らしつつ、自分の剣を前に突き出して刺した。

 残るはベネディクトだ。

ロイは一旦、剣を下ろした。ベネディクトも剣を下ろし、ロイと向き合った。

「俺を狙うのは良い。だが、無関係の彼女を巻き込むのは許さん」

 ロイは、テーブルにうつ伏せで泣いているウォリディを目で指しながら言った。

「巻き込んだのは悪かった。これはフェルディナンドの策だった。しかし、娘を連れ歩いている方も悪い」

「彼女のほうがついてくるからだ。だが、巻き込んで良い理由にはならない。どうしてもというのなら、お前をここで斬る」

 ロイは左足前に立ち、剣を顔の右側で縦に構えた。八相の構えだ。

「それも仕方が無い。だが、斬られるのはお前の方だ」

 ベネディクトは、ロングソードを右から振った。ロイはカットラスでそれを跳ね返し、すぐに斬り返した。ベネディクトもロイの剣を受け流し、大振りして反撃する。だが、ロングソードは屋内では柱などが邪魔して、思うように扱えなかった。対するロイは、カットラスが狭い船上を想定した武器なだけあって、室内での取り回しはさほど苦労しなかった。ベネディクトは建物の外に飛び出した。ロイは罠の可能性を考え、慎重に外に出た。外にはベネディクトがいるのみだった。

 外であれば、ベネディクトは思うように剣が振れる。ロイのカットラスは、ロングソードに比べてリーチが短いため、うかつに近づけない。

 互いに左右から剣を振り出して、ぶつかり合った。ロイは少し踏み込んでカットラスを前に出しても、ベネディクトの身体は捉えられない。ロイは一度間合いを取り、左足を半歩前に出し、中段の構えから剣を右に引きつつ、剣先を水平に相手に向けて構えた。ベネディクトは、ロイからみて正面右上から剣を振り下ろす。ロイは剣を振り上げて弾く。ベネディクトはすぐに剣を返して、次に左側上から振り下ろした。ロイは前に出つつ剣を両手で持って左に動かし、次に刃を上に向けて攻撃を受けた。ただし、受けたのはロングソードではなく、ベネディクトの両手首だ。そして、受け止めたと同時に剣を左に引いた。

ベネディクトは革手袋をしていたが、それをも切り裂いていた。ベネディクトが痛みで剣を手放したところへ、ロイは左下から右上へ剣を振り上げた。

「うっ」

 ベネディクトは、短くうめいて前に倒れた。

剣を下ろし、しゃがみ込んでベネディクトの死を確かめたロイは、黙祷を捧げた。そして、他に襲ってくる敵がいないことを確認したロイは、剣の血を拭い、鞘に収めた。そして宿に入った。

 ウォリディは、まだ嗚咽を漏らしながら泣いていた。リディアは彼女を慰めるように、ずっと背中をさすっていた。ロイは黙って階段を上がって泊まっていた部屋に入り、身支度を調え、ついでにウォリディの荷物を持って1階に戻った。

「リディアさん。ハナズオウとは、どういう意味があったのですか?」

「ハナズオウは、暗号で『裏切り者』の意味です」

「セオドールさんはあなたに、こういう事態になることを伝えたかったのですね」

「わたしは、本当は盗賊になりたくなかった。だけど、父が盗賊団のリーダーだからって、その後を継がされて。世の中には、止むにやまれず盗賊になる人もいるのは分かっています。でも、私はなりたくなかった」

「お察しします。俺はこれで失礼します」

 ロイは帽子を胸に当てて言った。そして、テーブルの上にウォリディの荷物を載せると、

「俺についてくると、こういう目に遭う。だから、森に帰った方が良い」

と言い、帽子を被りながら宿を出た。

「ま、待って!」

 ウォリディは涙でぐちゃぐちゃな顔を上げて、ロイの背中に言うが、彼はすでに外へ出ていた。リディアへのお礼を言う間もなく、彼女は自分の荷物を持って外へ出る。先ほど2階から飛び降りたせいで左足を痛めたらしく、左足を引きずり、何度も躓き、それでもできる限り早く足を進めるが、ロイの姿はそこにはなかった。ウォリディは道の真ん中にへたり込んだ。

「ロイ。置いていかないで。ロイ!」

 外は、ほぼ夕闇に覆われていた。急に孤独感に襲われた彼女は、東へ向かう道の先に向かって、もう1度叫んだ。

「もう、1人にしないで! お願い。私を置いていかないで!」

 ウォリディは大声で泣いた。しゃっくりが止まらない。両手で目を覆っていたが、いつしか手を下ろし、あふれる涙を止めることもしなくなった。

 すると、背後から足音がした。ウォリディが振り返ると、マントが目の前に降りてきた。ロイがしゃがんで、背中を差し出したのだ。傭兵である彼の生き方なら、誰であれ背中を見せることは命取りになるところだが、ウォリディは別のようだ。

「エフライムとの約束がある。ここから1番近い街まで送ろう」

「ロイ……ありがとう」

 ウォリディは泣き止み、ロイの背中に乗った。ロイはゆっくり立ち上がり、西に向かって、昼間に通って来た道を戻り始めた。


 ちなみに、辺境伯が宝石に掛けた報奨金は、とある女性に支払われたという記録が残っているそうだ。


                                      第四話 終わり

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