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第3話 怒りは風を呼ぶ

 コル・カロリの街を出て、4日。

 昨日、ブーテス子爵邸のある大きな街アークトゥルスに着いた剣士は、今は牢屋の中にいた。剣士の名はロイ。しかし、今の彼は剣やマント、帽子や荷物も取り上げられ、農民と変わらない姿をしている。牢屋は、子爵家の護衛を務める騎士の詰め所の中にあり、ここには大抵、領内で犯罪を犯した者かその容疑者が入っている。

 ロイがここに入ることになったのは、街の手前でのことだった。前にもあったが、追っ手として現れたベネディクトと、止むを得ず剣を交えたことだった。街の中や町の周辺では、武器を使った私闘は厳禁である。その現場を街の護衛騎士に押さえられ、留置に至ったのだ。もう一方の当事者であるベネディクトは、彼の隣の牢屋に入っていた。隣の牢屋とは石積みの壁一枚隔てられているものの、通路に面している部分は鉄格子のため、音はよく聞こえる。

「まさか、お前1人で追いかけてくるとは思わなかった」

 ロイは、部屋の奥のベッドで仰向けになりながら言う。

「そうだな。私も、ここでお前に出会えるとは思っていなかった。分かっていたら、頭数をそろえていたのに」

 対するベネディクトは、通路を向いて左側の部屋にいるロイに、壁越しに話す。

「1人じゃ俺に勝てないからな」

「馬鹿にするな。私だって、日ごろから鍛錬を積んでいる。邪魔が入らなければ、私が勝っていた」

「好きに言えばいい。だが、お前とはできれば剣を交えたくない」

「怖気づいたか?」

「違う。姉さんのためだ」

「姉さん? リディアのことか。彼女のことはむしろ、お前のせいじゃないか!」

 ベネディクトが急に気色ばむ。しかし、別の部屋にいるロイに効果はない。彼は続けて、

「お前がリチャードを殺したせいで、彼女は居場所を失った。お前はその償いもせずに逃げ、彼女は消えてしまった」

とロイを責め立てる。リチャードは、2人にとって剣術の先生であった。リディアは、リチャードの一人娘だ。しかし、ロイがリチャードを斬ったことで、彼女は村から姿を消した。

「姉さんへの償いはする。しかし、お前の手に掛かるのはごめんだ。お前はリディアのためでなく、ファーリのために動いているだけだ。全てはあいつのせいだ。あいつのせいで俺たちが生まれ、俺がリチャードを斬る羽目になり、リディアは俺を恨んでどこかへ消えた。その上、今度は俺の命を狙ってお前を差し向けてきた。あの領主は、どこまでも傲慢な奴だ」

 ロイは珍しく感情的になり、悪態をついた。彼の、ペーガソス領主の伯爵ファーリに対する憎悪は相当なもののようだ。だが、根は真面目な騎士でもあるベネディクトは主君を貶められたことで激高し、

「わが主を侮辱するのか!」

と怒鳴り返すが、ロイは構わず、

「お前にとっては良い領主かもしれんが、俺にとっては最低最悪な奴だ」

「私にとっても良い領主というわけではない。しかし、騎士たるもの、主君の命は絶対だ」

 その時、通路の奥にいる看守の騎士から、

「うるさいぞ! お前たち」

と怒鳴る声が聞こえた。

「お前は生真面目だ。それが、お前の命を縮めることになるだろう。俺も昔はそうだった」

 ロイは少し冷静さを取り戻した。ベネディクトも、言うことを言って落ち着いたのか、

「確かに、お前のその境遇は聞いた。それには同情する。しかし、それでも私は、お前を追い続ける」

「それで俺を殺す、か。それにしても、たった1人のためにずいぶんと大がかりだな。ファーリは、俺に殺されたくなくて追手を差し向けているのか? それとも、俺が生きていると困るようなことがあるのか?」

「追われているのは、お前ひとりだけじゃない。お前の仲間もだ。だが、どうしてお前たちを追う必要があるのかは、知らない。私たちは主の命令に従うのみだ。お前も剣士なら、雇い主の言うことは絶対だろう?」

 その時、通路の奥でドアの開く音がしたかと思うと、石敷きの床を歩く複数の足音がした。

「どうかな? 俺は、できの良い猟犬じゃないからな」

「しかし、どちらにしても、今はお前の命は取らない。フェルディナンド殿が来るまではお前を生かしておけ、というお達しだからな」

「何?」

「時間切れのようだ。おそらく、俺は釈放だ」

 ベネディクトが言ったように、数人の男たちが現れ、彼の牢屋の前に来た。彼らは騎士のようだ。

「ファーリ様に確認が取れただろう?」

 彼が男たちに聞くと、男たちは牢屋のカギを開けながら、

「ああ。確認が取れた。ここを出て良い」

と、苦々しく答えた。ベネディクトは牢屋を出て、隣の牢屋のロイを見た。ロイは相変わらずベッドに横になっていた。

「ついでだが、あの男の身柄をこちらに引き渡してほしい」

 ベネディクトは男たちに言ったが、今度は、彼らは首を横に降り、

「あの男はまだ取り調べの最中だ。引き渡すことはできない」

「私は、ファーリ様の命であの男を追っていたのだ」

「我々も、子爵様の命で動いている。それに、ここは子爵領。決定権は子爵様にある」

「ベネディクト。ここは子爵様のいう通りにしたほうが良いぞ」

 ベッドに横になって聞いていたロイが、ベネディクトに言う。ちなみに子爵は、五つある爵位としては上から四番目で、伯爵の一つ下の位だ。しかし、領地内での問題であれば、当然子爵に権限があり、子爵側によほど問題がない限り、伯爵家の人間が口出ししたり、ましてや司法権を行使するなどもってのほかである。

 ベネディクトは舌打ちしながら、男たちとともに牢屋から出て行った。1人だけ残った屈強そうな騎士が、ロイの入っている牢屋の前に立ち、言った。

「お前には別の用事がある。牢から出ろ」


 ロイは牢屋から出された。しかし、自由の身になったわけではなかった。背負い鞄の荷物は返されたが、武器や財布は取り上げられたままだ。そして、先ほどの騎士に連れられて街の中を歩いた。騎士は、簡素ではあるが金属の鎧を装着していたので、ロイはその気になれば走って逃げられそうだったが、剣を取り戻す必要もあって、素直に従った。

 着いた先は、いわゆる人材斡旋所だった。仕事の依頼を集め、それぞれの能力に応じてそれを斡旋する場所で、仕事の仲介業者だ。大きな町であれば専門の場所があるが、小さな町や村では、教会や酒場がその役目を果たすこともある。中に入った2人だが、騎士は入り口付近で止まり、

「右の受付で『アルカルロプス』と言え。そして、出された依頼を受けろ」

「なるほど。子爵からは直接は依頼できないから、斡旋所を通すのか」

 ロイは、この手間を掛けたやり方の真意を推し量った。

「いいから、早く行け」

 騎士に追い立てられるように、ロイは指定された受付に向かった。キーワードを言うと、受付の男は、他とは分けられた箱から依頼書を出した。依頼内容は単純で、ここから北東にあるという、アルカルロプスの村の様子を見てくることだという。この内容が本当であれば、内容に見合わないほど高額の報酬が提示されているが、鵜呑みにはできない。しかし、騎士に監視され、断ることもできない状況だ。

 依頼を受ける手続きをすることになったロイは、前金として報酬額の半分を受け取ることになった。受付カウンターの前は、依頼の張り出される掲示板、希望の依頼を書く記入台、依頼相談のためのスペースのため、広い部屋となっている。待合スペースの長椅子には3人の犬顔をした人であるコボルトが、周囲の目を気にせず大声でしゃべっていた。

「こんな簡単な依頼はないな。ただ立っているだけの奴らを半殺しにするだけだろう?」

「あまり大声を出すな。仕事に響く」

「金は良いが、本当に受けて大丈夫なのか?」

「領主直々の依頼なら、間違いない。前金だってこんなに……」

 コボルトの1人はそう会話していたところで、騎士の前に戻ったロイと目が合った。コボルト立ちが何か言う前に、騎士が先に動いた。

「お前たち。こんなところで物騒な話をするな」

 騎士が凄んで言うと、コボルトたちは何も言わずに斡旋所を出て行った。

「犬どもはキャンキャンうるさくて困る」

 騎士は不快そうに言うと、ロイに外へ出るよう促した。外には、1頭立ての2輪馬車が止められていた。横向きのベンチのような座席がついた、屋根のない馬車だ。

「村にはこの馬車で行ってもらう。着くのは、明日の昼過ぎだろう」

「準備が良いな。一体、村に何がある?」

「それを見てこいというのだ。案内は御者がする。途中で休憩する宿も手配済みだ。全ては御者に従え」

 騎士に促され、ロイは馬車に乗り込んだ。馬車にはロイの武器が置かれていた。彼は武器を手に取りながら、

「俺がこのまま逃げるとは思わないのか?」

「金を受け取ったのだろう?」

「半分はね」

「残りの半分も欲しければ、目的を果たして戻ってこい」

 見送る騎士は、そういった。


 依頼を受ける代わりに放免されたロイだが、ここから北東にあるというアルカルロプスの村までは1日かかる距離のようだ。

 御者はトカゲの顔をした、茶色のリザードマンだ。無口だか取っ付きにくい人ではなく、話しかければ答えてくれる。

「あなたも子爵のところの人かい?」

 ロイは取り戻した剣の手入れをしながら、御者に聞いた。剣は、刃渡り60センチ少々の刃が反ったもので、カットラスという。船乗りがよく使う剣だ。

「いいや。俺はただの雇われだ。あんたを雇ったサルモンは、子爵の忠実な僕だが」

 御者は背中で答えた。

「あの騎士か。相当な使い手だろうな」

「ロングソードの使い手だ。名前はサルモン・フレミング」

「ここの子爵は、良い領主なのか?」

「何をもって良いとするかは知らねぇが、少なくとも俺の暮らしは楽じゃないな。税金が重くて仕方がない。先代の時に周辺の領主と戦争ばかりやって疲弊して、借金が溜まっているそうだ。その先代が死んで、今の領主がそのとばっちりを受けているらしい。まあ、俺はどちらの領主も会ったことがないから、実際の人となりは知らないがな」

「税金が高いのは、どこも同じだな」

「ただ、領内の犯罪撲滅にはかなり力を入れているそうだ。実際、ちょっと前には盗賊に襲われていた村に一番に駆けつけて、盗賊どもを退治したらしい」

「襲われているところに駆けつけたって?」

 ロイは、剣から目を離して聞き返した。治安部隊が事件現場に駆け付ける事など、普通はないからだ。

「そう聞いたぜ。領主自ら、騎士を率いて駆け付けたって」

「それが本当なら、すごい情報収集能力だ」

「そこまで分かっているなら、事件が起きる前に来てほしいぜ」

 リザードマンは、最後はため息をつきながら言った。どうやら、過去に何かあったようだが、ロイは聞こうとはしなかった。


 次の日。

 村の入り口とされる峠の頂上に着いたのは、昼を回っていた。村は坂道を降りた先にある。馬車を降りたロイは歩き出そうとして、リザードマンに呼び止められた。

「旦那。チップは?」

「残りの報酬を貰ったらな」

「チェッ。じゃあ、気を付けてな」

 リザードマンは舌打ちしながらも笑っていた。馬車は来た道を引き返し、ロイは坂道を下った。

 道の左手に小さな池があった。このあたりは平坦な土地が少ないようで、斜面は果樹園に、少しでも緩やかな土地は小さな畑とし、狭い耕作面積を数で補っている。大規模な農耕ができず、収穫量も少なく、村は貧しいようだった。だが、それでも何かしら農作業が行われても良さそうなのに、人影がなかった。まるで放棄されたかのようにも見えるが、作物の育ち具合から、手入れされているのは間違いない。村人たちはどこへ行ったのか?

 村の中心部、とは言っても家が7軒見える範囲に建っているだけの場所に出た。ここには、おそらくこの十数キロの範囲で唯一の宿がある。人の気配は感じられない。不気味な静寂が支配する村。

 ロイはさらに脚を進めた。そのとき初めて、複数の人の気配を感じた。恐怖と殺気の入り交じった、何とも妙な気である。彼は再び脚を止めた。辺りを見回すと、家々の陰から何人かが彼をジッと睨んでいた。様子を伺っているようにも見える。気配から、十数人ほどが周りにいるようだ。しばらくして相手は、様子を伺うように恐る恐る物陰から出てきた。全員が農夫であった。手に鍬や棒を持っている。ただならぬ雰囲気であった。ロイは身の危険を感じたが、相手が農民だったので、じっとその場に立っていた。そうしている間に彼は、農具を持った彼らに囲まれた。

「何か、用でもあるのですか?」

 ロイが聞くと、村長らしい老人が少し離れた所から、

「その腰の剣を、こっちに渡してもらおう。話はそれからじゃ」

と言った。この剣で襲われるのを警戒してのことだ。殺気立っている彼らの前で、変な真似はしない方が良さそうだ。彼はマントを開き、剣帯を外して、鞘ごと剣を抜き取った。後ろから近づいてきた若者が、その剣を奪い取ると、後ろに下がる。すると、待っていたかのように村長が、

「やれ」

と指示する。突然、農夫たちは手に持っていた武器で彼に殴りかかった。左腕で棒を受けた時、激痛が走り、彼は前屈みになった。鍬を持っていた男は、素手で殴りかかり、足で蹴る者もいた。だが。これだけの人数で、しかも武器がなければ、どうする事もできない。黙って耐える内に、意識が遠のいていく。

「もう良い。殺してしまっては情報が聞き出せん。仲間がいるかも知れんからのぅ」

 村長がいうと、男たちはロイから離れた。彼はその場で倒れ、身動き一つしなかった。頭を強打され、気を失ったのだ。

「こいつをどうします?」

「物置にでも閉じこめておきましょう」

「いいや。物置じゃあ簡単に逃げられる。それに、誰の家の物置に入れるのだ?」

「もっと良い場所がある。オルドー、お前の宿屋の柱に縛り付けておくのじゃ」

「しかし、家に、こんな厄介な奴を入れるなんて…」

「勿論、見張りは交代でさせる。お前の所なら、見張るのも楽じゃろうて」

「はぁ…」

 オルドーと呼ばれる宿屋の主人は、仕方がない、という溜め息をついた。この村で、村長の言葉は絶対であった。言うことを聞かなければ、村八分にされる。貧困の村は、共同生活によって何とか持ちこたえている。仲間外れにされては、生きていけない。

「よし。そうと決まれば、早く連れていくのじゃ」

 ロイは2人の男に引きずられ、宿屋の中に連れて行かれた。平屋建てで、敷地の4分の1が食堂であった。彼は、背中の荷物を外されると、食堂の中央にある柱を背に座らされ、後ろ手に縛られた。まだ、気を失ったままだった。

「村長。こいつ…死んじまったんじゃねえかな?」

「いや。一応、息はしている」

「それにしても、この剣は何だ? サーベルか?」

 ロイから剣を奪った男は、彼の剣を眺めていた。過去数年にわたる内乱で、兵隊を見る機会が多かったので、兵士の持つ武器に関しては詳しいようだ。それでも、主に船乗りが使うカットラスは、内陸の人間には珍しいのだろう。カットラスといっても、ロイの剣はカットラスの割に細くて長い部類になる。グリップも両手で持てるように交換しているから、余計に判断がつかないだろう。

「異国の物か?」

「さあな。荷物の中身は、どうだ?」

「これといった物は、何もねえ。いや、待てよ。ペンダントがある」

 オルドーは鎖の付いた、金属製のペンダントを取った。魔法のアイテムで、ふたを開けると、人の姿などがホログラムのように浮かび上がるようになっている。昔は戦地に向かう男たちが、家族や恋人の姿を映し出すペンダントを持っていくのが流行った。最近ではペンダントだけでなく、手紙さえもホログラム付きのものがある。2つとも、マジックショップで取り扱っている。

ふたを開けてみると、男4人女2人の姿が浮かび上がった。6人とも、子供である。よく見てみると、全員の顔に、特徴的な何かが付いている。ある者は顎に赤い筋があり、ある者は両頬に紫の筋、ある者は青い2本線と。不自然な事に、彼らはだれ1人笑っていなかった。鋭い目付き、堅く閉じられた口、真剣な表情。記念映像でなく、まるで、何かの念を封じ込めたような映像である。

「何だ? このガキ共は」

「この男の子供か?」

「余り、似ていないな」

「これは、俺が預かっておこう」

 ペンダントをポケットにしまい込むオルドー。その時、ロイの頭が動いた。ハッと気付くと、彼は辺りを見回した。腕を動かそうとして、縛られていることに気付き、やっと状況を理解する。体中がズキズキし、頭や腕からは血が出ていた。

「こいつは一体、何のつもりで?」

「それは、こっちが言う台詞じゃ。何をしに、この村へやってきた」

 彼の問いに、村長が問い返す。

「ただ、通り抜けようとしただけで」

「信用できんのう。こんな寂れた村を、ただ通り抜けるためだけにやってくる者は、おりはせぬ」

「しかし、そこの道は天下の往来だろう」

「だから、何だ?」

 若者が言う。何を言っても無駄だと、ロイは思った。他所者に対する警戒心が強い、というだけではない。何かを恐れているように見えた。

 ロイは自分の荷物が無くなっていることに気付いた。そしてオルドーが、彼の荷物を開けているのを見、そして、オルドーのポケットから延びている鎖を見て、彼の表情が変わる。

「それは、俺のペンダントだ! 返せ!」

「これか? いいや、できねえな」

「何故だ?」

「お前が何者か判るまで、俺が預かっておく」

「俺は見ての通り、この村を通りかかった旅の剣士だ。それ以上、何がある?」

「そいつは、どうかな。こんなペンダント1つでそこまで慌てるところを見ると、あれは相当価値のある物らしいのう」

 村長は言った。ロイは首を横に振り、

「ただのホログラム・ペンダントだ」

「こいつに映っていた6人のガキは、お前の何なのだ? 子供か?」

「別に…」

 オルドーに聞かれたロイは、言葉を濁した。

「答えられねえのか? こんな事も話せないところを見ると、やっぱりこいつは信用できねえ」

 若者の1人が言い、他の者たちは次々に頷いた。ロイは俯き、この状況をどう切り抜けるか考えた。無理に逃げようと思えば、逃げられた。だが、農民相手に手荒な真似は出来なかった。彼らは剣の扱い方も知らないのである。立ち向かってくる者は迷わず斬ることにしている彼も、素人相手にはそんな気になれなかった。今はただ、大人しくしている他はない。


 外は真っ暗な闇の世界になった。農民たちもいい加減なもので、集会場へ集まりに出掛けるのに、誰1人としてロイの監視に残らなかった。すぐ近くだし、縛っておけば逃げられない。そう思い込んでいるようだ。それはまた、彼にとっては絶好のチャンスでもある。彼は両手を動かしてみた。縄が緩むかも知れない。彼らが戻ってくる前までにある程度、縄を緩めておいて、夜中に抜け出すのが最良の方法であろう。

 彼は背後に人の気配を感じて、手を止めた。誰もいないと思っていたが、それは間違っていたようだ。身動き一つせず、耳だけを働かせていると、小さな足音が近付いてきた。ゆっくりとした足取りらしく、足音に続いて、何かを引きずるような音、そしてコツンと何かをつつくような音が繰り返し聞こえた。何だろう? ロイはゆっくりと振り返った。

 そこには、女の子が立っていた。右脚が不自由らしく、杖をついている。6~7歳くらいで、黒い瞳は彼を好奇の目で見つめている。ロイは顔を前に戻した。すると、その子は彼の前に回った。右脚はビッコを引いていた。大きな、ブロンズ色の瞳でジッと彼を見つめる。ロイは目を逸らした。子供が苦手だった。嫌いというわけではないが、何となく怖いようだ。

「おじさんも、捕まった人?」

 彼女は言った。この状況は、どう考えてもほかに言い換えることはできない。

「あんまり子供には見せられない姿だな。前にも誰か、捕まえられたのかい?」

「うん。2日前も、吟遊詩人って人が」

「そうかい」

 剣士どころか、吟遊詩人まで捕まえるところを聞くと、どうやら、この村の他所者に対する警戒心は半端なモノではないらしい。厄介なところへ来てしまったものだ。

「おじさん、名前は何て言うの?」

「ロイ」

「かっこいい名前。私はリィーナ」

「この宿の子供なのかい?」

「うん。でもね、この宿、お客さんが誰もいないの」

「どうして?」

「知らない。お客さんみたいな人が来ても、村の人たちが追い出しちゃうの。おかしいでしょう?」

「ああ」

 彼は表情を変えなかった。リィーナは立っているのに疲れたのか、彼の前に座る。

「聞いてはいけないのかも知れないが、その脚は?」

「この脚? 小さい頃に、馬車から落ちちゃって、それっきり治らないの。お父さんは、良いお医者さんに診せれば治るっていうけど」

 彼女は、右脚をさすりながら答えた。

「この村には、医者はいないのかい?」

「いない。街には、いるんだって」

「街か…」

「でも、誰も連れていってくれないんだ。おじさん、街ってどんなところ?」

 ロイは答えに困った。街、というものを改めて聞かれると、何と答えて良いのか分からないのだ。

「街っていうのは、人が沢山いるところだよ」

「狼人間や耳の長い人たちもいるって、本当?」

「ウェアウルフやエルフの事かい? 森ではよく会うけど、街では余り見掛けないな」

「良いなぁ。私、その人たちを見たことがないの。どんな人たちなの?」

「人間と変わらないさ」

「そうなの?」

 彼女はつまらなさそうに言った。ロイは彼女に気付かれないようにしながらずっと、両手を動かしていた。男たちが帰ってくるまでに、ある程度は緩めておかなければならなかったからだ。

「おじさん、逃げたい?」

 ロイは手を止めた。彼女に見えないようにしていたつもりだったが、気付かれたのか?

「だって、お父さんたちにいきなり捕まえられたんでしょう?」

 気付かれていなかったか、と安心しながらロイは、

「どうして村人は、通りかかる旅人を捕まえるんだい?」

「知らない。お父さんに聞くとね、子供には関係ないって何時も叱られるの。戦争でも始まるのかなぁ」

「戦争なんて、そう簡単に起こるものじゃないよ」

「でも、それしか考えられないもん」

「どうして、そう思うんだい?」

「だってこの前、剣を沢山持ってきてたもの。それに、大きな銃だって」

「銃を?」

「うん。イノシシや魔物を撃つための銃。2本くらいだけど」

「そうかい…」

 ロイは考え込んだ。村人は、確かに武装蜂起を企てている。だが、その相手は誰だ? 武器を手にするなら、隣村ではない。間違っても王国ではない。きっと、領主である子爵だ。だが、子爵の軍隊相手に、素人の村人たちが勝てる筈もない。たった2丁の銃では焼け石に水だ。

「戦争になったら、大勢の人が死ぬ。戦争なんてするものじゃないよ」

「おじさん、剣士でしょう? 戦争にも行くんでしょう?」

「戦争には行かない」

「だったらおじさんは、何の為に旅をしているの?」

「さあ、何の為かな? 考えたこともない」

「行く当てはないの?」

「ない」

「フーン。ところで、これ、おじさんの?」

 彼女はポケットから、ペンダントを取りだした。すると、ロイの表情が変わった。

「そいつを、何処で?」

「テーブルに置いてあった。でも、お母さんのじゃないし、お父さん、こんなの買ってくれないから」

「それは、俺の大切な物だ。返してくれるかい?」

「いいよ」

 彼女がそれを彼に差し出した時、戸口が開いた。オルドーたちが帰ってきたのだ。彼女は慌ててペンダントを自分のポケットに押し込んで隠した。戸口から彼らは、恐る恐る顔を覗かせた。ロイの側にリィーナが座っているのを見ると、血相を変え、

「リィーナ、何をしいてる! その男から離れなさい」

と怒鳴りながら入ってきて、彼女をロイから離れさせた。

「どうして? この人、悪い人じゃないよ」

「子供のお前に分かる筈がないだろう。部屋へ戻ってなさい」

「はぁぃ」

 彼女は渋々、杖をついて奥に消えた。それを見届けてからオルドーは、ロイに顔を近付け、

「娘をたぶらかして、縄を解かせて逃げようとでも思ったのか?」

「あの子は頭のいい子だ。お前みたいな奴の言う事なんか、聴きはしないんだ」

「そうだ。こいつ、逃げて領主の所へ行こうとしていたに違いない」

 三人の男は言った。ロイは顔を上げ、無表情で言った。

「確かに、お前さんたちとは違って、リィーナは賢いようだ」

「何ぃ?」

「癪に障る奴だ!」

 一人がロイの顔を蹴った。オルドーも、血が固まったばかりの左腕を掴み、右手で彼を殴りつけた。身体を押さえられているため、首に無理な力が加わり、彼は顔をしかめた。もう一人は、彼の足を踏みつける。

「何故俺が、領主の所へ行かなければならないんだ?」

「今更、とぼけるんじゃねぇ。領主にこの事を告げ口に行くんだろう?」

「やっぱり、殺すべきだ」

「いや待て。それは明日決める事だ」

「畜生。今すぐ殺してやりたいところだが」

「おい。見張りを頼むぞ」

「ああ。分かった」

オルドーと血気盛んな1人は、若い男を見張りに残し、オルドーは宿の奥へ、もう1人は自分の家へ帰っていった。残った若い男は、ロイが見える、遠く離れたテーブルに腰掛け、酒瓶をあけた。

「なぁ。お前たちは本気で、子爵の兵士たちと戦うつもりなのか?」

 ロイは男と目を合わせないよう俯きながら聞いた。

「そうだ」

「領民全員なら勝てるかも知れないが、この小さな村人だけでは、全滅するだけだ」

「それでも構わない。税が払えずに飢え死にするくらいなら、やることはやらないと」

「税が高すぎることについて、領主に交渉したのか?」

「…いや、交渉の仕方を知らない」

「そこから始めた方が良くないか? 周辺の街や村と共同で動けば、子爵も交渉のテーブルには着くだろう」

「お前はやっぱり領主の手先だな。俺たちのことを恐れているんだろう?」

 この若者も、ほかの村人と同じく甘い見立てで動いているようだ。武装蜂起するにしても準備が足りなさすぎた。これでは、直接子爵を倒さない限り、失敗するのは目に見えている。ロイはため息をつく。

 そこでふと、ロイは自分の受けた依頼を思い出す。村の様子を見てくるだけと言っていたが、どうやらこのことを調べさせようとしていたと見える。だとすれば、子爵側はすでに村民の蜂起を察知しているに違いなかった。

 ロイは目を閉じた。ただ、眠ってはいなかった。今眠れば、脱出のチャンスを失うかも知れない。相手は酒を飲んでいる。眠ったふりをして相手を安心させ、相手が酔って眠るまで待つのだ。それまで、この疲れた身体を襲う睡魔との戦いとなる。

「スリープ」

 突然、頭上から声がした。次いで、コトンと言う音がする。彼は目を開けた。若い男の方を見ると、机に伏している。そして、頭上を見る。すると、梁の上に女のピクシーがいた。ウォリディだ。しかし、何故?

「ようやく会えたわ」

 彼女は4枚の羽を羽ばたかせて、ロイの顔の前に降りてきた。

「どうしてここが?」

 ロイは、彼女の突然の登場に素直に驚いていた。

「良い質問ね。どこかの誰かさんに当て身を食らわせられて、気絶させられて。目が覚めたら置いてけぼり。それでも諦めずに追いかけてきた私を、褒めてほしいものだわ」

「それは悪かった。君を危険な目に遭わせないためだったんだ」

「事情はフィリアさんに聞いたし、街の外の決闘跡も見たから、何があったか大体分かってる。でも、乙女に当て身をするのは良くないわ」

「それは分かったから。どうやってここまで来たんだ?」

 彼が改めて聞くと、彼女は腰に手を当てて、

「アークトゥルスの街で捕まっていたでしょう? そこからずっと、近くに居たのよ。声を掛けようか迷ったけど、御者さんがいたし、何やら複雑な事情がありそうだったから、ずっと馬車の下に隠れていたの」

「馬車を降りてから姿を現せば、良かったのじゃないか?」

 彼が言うと、彼女は顔を赤くして、

「昨日の宿で寝過ごしたの! 行き先が分かっていたから、村の様子をうかがいながら来たら、あなたは村人に襲われていた。だから、隠れて様子を見守るしかなかったのよ」

「心配をかけた。ありがとう」

「ヒーリングはかけたつもりだけど、やっぱり効きは悪いわね」

「いや。無いよりは良い。少しは楽になった」

 ウォリディに礼を述べたロイは、テーブルにうつ伏せになっている男を見て、

「眠りの魔法か?」

「ええ。お酒も飲んでいるから、明日の朝まで起きないと思う。今、ロープを外すわ」

 ウォリディはロイの背後の柱に移動する。その時、コツッ、コツッという音が聞こえた。

「誰か来る。隠れろ」

 彼が言い、彼女はさっと天井の梁に飛び上がった。彼は振り返った。

 奥の部屋から、リィーナが姿を現した。まだ起きていたのだ。ロイは顔を前に戻した。彼女は静かに彼に近付くと、彼の縄を解き始めた。

「何をしている? やめるんだ」

 驚いた顔をしてロイは言った。

「どうして? 逃げるんじゃないの?」

「君の手を借りたら、君に迷惑がかかる」

「大丈夫だよ、おじさん。誰も見てないから」

 彼女が縄を解くと、彼は立ち上がった。そして、自分を縛っていた縄を持って、寝込んでいる若い男に近付いた。まず、この男を動けないようにしなければならない。男のハンカチをズボンのポケットからそっと取り出すと、それで男に猿ぐつわをした。完全に酔いつぶれているので簡単であった。ロイは男を床に寝かせ、その両手両足を縛った。

「おじさん…」

 リィーナが心配そうに聞いてきた。ロイは静かに、

「殺しはしない。ただ、騒がないようにするだけだ」

と答えた。テーブルの上で開けられている自分の荷物を素早く仕舞うと、マントの下で背負った。側に落ちている自分の帽子をかぶる。しかし、腰が軽い。あるべき剣がないのだ。彼らに奪われ、何処へ持って行かれたか分からない。

「リィーナ、俺の剣を知らないかい?」

「知らない。でも、きっと武器庫だよ。ついて来て」

 リィーナは外へ駆け出した。ロイは、天井の梁にいるウォリディに目配せで着いてくるよう合図し、手近にあったランプを持ってリィーナの後に続いた。

 宿の外は星が輝き、月明かりで辺りは明るかった。

「ロイ。私はどうしたら良い?」

 頭上から、ロイにだけ聞こえるくらいの声で、ウォリディが聞いてくる。ロイにも、どうしたら良いか分からない。

「このまま身を隠していてくれ。紹介すると長くなる」

 彼はそう答えた。リィーナにピクシーを見せたら、はしゃぎすぎて問題になりそうだ。

「良いけど、忘れないでよね」

 頭上から、念を押す声が聞こえた。


 集落の家々は、何処も灯りがついておらず真っ暗で、住人たちは眠っているようだ。その中を抜けて東に向かうと、小屋の影が見えた。一見、普通の農機具小屋に見えるそれが武器庫のようだ。というより、農機具小屋を武器庫にしているのだ。リィーナが扉を開けると、彼は真っ先に飛び込んだ。中は農機具だけのように見えた。ランプを天井に引っかけ、手当たり次第に機具をどけると、はたして、10本のショートソードが出てきた。素人の農民が扱うには、短剣か、このショートソードが扱いやすい。その奥には槍の一種のスピアーもある。天井板を外すと、火打ち石式の銃が3丁あった。猟銃だろう。だが、ロイの剣はない。何処だ? 彼はもう一度、辺りを見回す。あった。しかも、鍬などの農機具と一緒に置かれている。それを手に取り、半分だけ抜き、刃が無事であることを確認する。それを鞘に戻して腰に差すと、表に出た。

「それが、おじさんの剣?」

 外で待っていたリィーナは、彼の腰の剣に触れた。剣は子供に触らせるものではない。その手を軽く払いながら、ロイは答えた。

「ああ。そうだ」

「変な剣。曲がっていて、使い辛そう」

 そう言われることに慣れているロイは、特に反応を示さなかった。空高く昇っている月で方角を確かめると、

「リィーナ、ここでお別れだ」

「そんなぁ。まだ一緒にいても良いでしょう?」

「そうもいかない。君がいない事に気付いたら、お父さんが心配するだろう?」

「でも…」

「それに、俺について来ても、厄介な事に巻き込まれるだけだよ」

「でも、この道を逃げたら、すぐにお父さんたちに捕まるよ。私の知ってる道だったら、誰にも見つからずに峠を越えられるけど」

 確かに、土地勘のないロイが一本道の街道を走って逃げたところで、馬でも使って追われたら、すぐに捕まるのは明白であった。しかし、彼女が急に言いだした言葉は突拍子もなく、もしかすると罠の可能性もある。罠でなかったとしても、彼女のロイから離れまいとするためのウソ、という可能性までは否定できない。

「他の人たちが知らない道なのかい?」

「うん。死んだお爺ちゃんと2人だけの、秘密の近道なの」

「そうかい」

 感情のこもらない声で言いながら彼は、彼女の瞳を見つめた。何かを訴えかける時のような真剣な眼差し。迷う必要はなかった。今は、彼女の言うとおりにしよう。

「じゃあ、おじさんを案内してもらえるかい?」

「うんっ!」

 彼女を先頭に2人は、近くの山に向かって歩き出した。畑の間を縫うように進み、山へ近付くと、急斜面の林の中へ入っていく。しばらくは道なき道が続いたが、100メートルほど進むと山肌に沿って続く道に出た。道とは言っても、獣道のように細く、最近は誰も歩いていないようであった。月の光も、この林の中までは届かない。暗闇同然であった。リィーナは左の方角を指差し、

「あっちが南西の峠、池の手前で街道に出られるよ」

といった。ロイは南の峠の方向を指差し、

「あっちだね?」

「うん。途中まで案内するよ」

 彼女はまた先頭に立った。彼は何か言おうとしたが諦め、彼女に従った。これ以上一緒にいると、村人と出くわしたときに厄介なことになるのだが、彼女を無理に引き離すことは、彼には出来なかった。

 リィーナは、なだらかに傾斜している山道をスタスタと歩いていった。杖を持っていなければ、右脚が不自由であるということを忘れてしまう程である。長い間脚を患っているのだ。

「…おじさん。おじさんっ!」

 リィーナの大きな声で、ロイはやっと我に返った。彼女は立ち止まっていた。下から彼の顔を覗き込んでいる。

「どうかしたのかい?」

 彼は聞いた。彼女は足をさすりながら、

「私、疲れちゃった。休んでも良い?」

といった。

 ロイは辺りを見回し、横倒しになっている丸太を見付け、それに腰掛けた。リィーナもその隣にちょこんと座る。それから空を見上げ、

「おじさん、これから何処へ行くの?」

「さあ。峠を越えた後は、風任せさ」

「おじさん、私もついて行って良い?」

「えっ?」

「…駄目?」

「駄目だ。おじさんの行く道には、危険が一杯だ。危ない目に遭うよ」

「良いもん。ここにいたって、お父さんたちは構ってくれないし、何か言えば子供子供ってバカにするの。ここにいる限り、私に幸せなんて来ないんだわ」

「しかし、この村にはお父さんとお母さんがいるんだろう。おじさんは、生まれたときからお父さんやお母さんはいないんだ。それに比べたら、ここで暮らしていく方が幸せじゃないのかな」

「おじさん、孤児なの?」

「…似たようなものさ。とにかく、おじさんについて来ては駄目だ」

 ロイは、彼女に誰かの面影を見ていた。誰だか思い出せない。いや、思い出したくないのだろう。ふと浮かぶ人物を、すぐに消そうとするからだ。すごく大事な人であり、それでいて思い出したくない。つらい記憶が、そうさせているのは間違いない。

「リィーナ。ここでお別れだ」

 リィーナは立とうとする際、バランスを崩して杖を落とし、彼に倒れかかった。慌てて彼女を抱き留めるロイ。ところが、彼女は泣いていた。

「どうしても駄目なの?」

「リィーナとおじさんとはね、暮らす世界が違うんだ。さあ、ここで別れよう」

 彼は、泣いている彼女に、杖を拾って渡した。自分の力で立つと、彼女は涙を拭いた。

「うん。ありがとう、お姉ちゃん。さよなら、おじさん」

「ああ」

 ロイは軽く頭を下げると、身を翻して峠に向かって歩き始めた。

 彼は背中で、リィーナの気配がだんだん遠ざかるのを感じた。だが、振り返って見ることは出来なかった。そうすることが怖かったのだ。

「おじさんねぇ。あなた、まだ23でしょう」

 いつの間にか、帽子の上にウォリディが降りてきて、茶化すように言う。

「正確な年齢は忘れた。しかし、おじさんと呼ばれても仕方ないだろう」

 ロイは真面目に答えた。彼女は帽子のつばから身を乗り出して、彼の顔を覗き込み、

「まあ、10歳ほど老けて見えても仕方ないかな。もっと愛想のいい顔をすれば、若く見えるのにね」

「かもな…」

 ロイは気のない返事を返した。

 たった半日、出会ったばかりの子供なのに何故、別れるのにこんなに抵抗があるのだろう。流れ者の自分が何故、1度会っただけの娘のことを気にかけるのであろうか。こんな思いで人と別れるのは初めてであった。戦場を共に駆け抜けた仲間の時でさえ、ここまで後ろ髪を引かれるような気はしなかった。剣士は冷酷でなければならない。彼女との別れを惜しむようでは、まだまだ未熟だ。彼は自分にそう言い聞かせ、脚を速めた。

 やがて、左手の木々の間から、街道らしき道が見え隠れするようになった。峠に近づいたのだろう。東の空は大分明るくなり、山の向こうに太陽の一部分が顔を出していた。

 ロイは急に立ち止まり、思い出したように荷物を下ろし、中身を出して調べ始めた。

「しまった。大切なものを忘れた」

「どうしたの?」

 独り言のように呟いたロイの側に寄って、ウォリディは聞いた。彼は荷物を仕舞い、再び背中に背負うと、

「ペンダントだ。取りに行く」

と言い、道を村へ向かって戻り始めた。

「このまま戻ったら、また捕まっちゃうじゃない?」

「そのときは……また考える」

 危険は承知の上だった。ペンダントは、彼にとってはとても大切なものだ。どうしても取り戻さなければならない。ウォリディは訳も分からず、ただ、彼の後に続いた。

「何なら、私が行きましょうか? あの子から返してもらえば良いんでしょう?」

 山肌に沿う獣道を下り、村に近付く。彼が村の異変に気付いたのはその時であった。村が静かすぎる。ロイが逃げたことは、すでに村中に知れ渡っているはずだ。何故、騒ぎにならないのか。

「ロイ。あそこ、火事だわ!」

ウォリディは左の高台を指差した。1軒の農家が猛火に包まれ、黒煙をあげていた。周りに人影は全くない。ロイは走り出した。ウォリディは飛び上がり、先に火事現場に一直線に向かう。すでに火は手のつけられる状態ではない。

 ロイは畑を突っ切って駆け上がり、ウォリディは一直線に飛んで家の側に来る。そこで2人は、異様な光景を見た。燃えさかる家の中に、人影があった。だが、その影は全く動かなかった。死んでいるのだろう。だが、どういうことなのか。

 2人は用心しながらその家を離れた。先へ進むと、男が俯せになって倒れていた。それを見てウォリディは、思わず口を押さえて顔を背けた。男が死んでいるのは一目で分かった。背中に刺し傷があった。刃幅の広い剣でやられたようだ。

 ロイの表情が不安の色に変わった。そして突然、リィーナの宿に向かって駆け出した。ウォリディが振り返ったときには、彼の姿は小さくなっていた。

 武器庫の側にも、抜きかけのショートソードを握ったまま倒れている男がいた。畑には、女と子供の2人が倒れている。街道を駆け抜けるロイはそれらを横目で見ながら、更に脚を速めた。土手に差し掛かると、河原で大勢の人間が、コボルトの剣士2人に1カ所に集められ、座らされているのが見えた。この異変は奴らの仕業か、と思いながら彼は土手を駆け抜けた。声が聞こえたのは、それからすぐだ。

「いいから、よこせっ!」

「やだ! これ、おじさんのだもん」

 続いて甲高い叫び声が彼の耳に届いた。少し離れた土手の下に、血の付いたブロードソードを下げたコボルトと、その前で倒れているリィーナの姿があった。ロイは土手を一気に駆け下りた。コボルトが彼に気付いて顔をあげた瞬間、ロイは跳躍していた。マントが羽のように広がり、銀光が弧を描いた。ロイがコボルトの背後に着地したとき、コボルトの右肩がざっくりと割れ、赤い血が吹き出していた。

「誰だ、お前は!」

 そのコボルトは一昨日、斡旋所で見かけた3人組の1人だ。彼は吠えてはみたものの、怪我を負ったこと、剣を構えるロイを見て、今はかなわないと悟ったらしい。傷口を押さえながらどこかへ走り去った。ロイは倒れているリィーナのそばに跪き、剣をおいて彼女を抱きかかえた。右手には、ベルトに付けていた携帯ポーチから取り出した金属の瓶が握られていた。回復薬の入った瓶で、飲めば体力回復。傷に掛ければ魔法により治癒が発動する。ロイは瓶の中の液体を半分ほどをリィーナの傷口に掛け、残りを彼女の口に運んだ。

 飛んでいたウォリディは、すでにリィーナにヒールの魔法をかけていたようだ。彼女の傷口に小さな両手を向けた。

 リィーナの顔からは、血の気が失せていた。うめき声一つあげない。だが、ロイの顔を見ると弱々しくも笑顔を見せ、堅く握っていた右手を彼に差し出した。

「おじさん……忘れ物」

 その手には、ロイのペンダントが握られていた。ロイは彼女を左手で支えながら、右手でそれを受け取った。それを見て安心したかのように、リィーナは目を閉じた。

「ヒールの魔法は掛けたけど、間に合うかどうか分からない」

 ウォリディは、泣きそうになりながら言う。ロイは呆然としながら、

「orii-hime…」

と呟いた。

 思い出したくなかった映像が頭の中によみがえった。黒髪の、それこそリィーナと同じくらいの歳の女の子。屈強な武士が刀を振り上げ、その子めがけて振り下ろす。

「やめろ!」

 ロイは叫んだ。ビクッとなったウォリディは戸惑い、恐ろしい者を見る目で彼を見た。

「どうしたの? ロイ」

 ウォリディの声で、ロイは現実に戻ってきた。

「…いや、違う。今のは間違いだ。この子のことを頼む。それから、リィーナの治癒が終わったら、すぐに身を隠せ」

「分かった」

 ロイは、静かにリィーナを地に寝かせた。呼吸は浅く、今にも止まってしまいそうだ。

彼女の体力が、治癒魔法に耐えられることを祈るしか無い。

 ロイは動かなかった。顔に表情はなく、目の色も死んでいた。空っぽの心の中を、冷たい風だけが吹き抜ける。だが、彼の耳は、近付きつつある敵の足音を捉えていた。

 3人のコボルトの吠える声が耳に届いた時、彼は突然、剣を拾って駆け出していた。

 無表情で走るその様は、どんな悪魔よりも恐ろしく、コボルトの3人は思わず脚を止めた。風となったロイが、その3人の真っ直中へ斬り込んだ。3人は散り、呼吸が完全に乱れる。

 コボルト3人は似たような顔をしているので、区別のためリーダー格をアルファ、次をベータ、傷を負っているのをガンマと仮に名付ける。

 ロイは、右へ逃げたガンマを追った。1対3では分が悪い。敵の人数を減らすのが先であった。ガンマは治癒の魔法をかけたらしく、血はすでに止まっていた。だが、まだ完全には治っていない。剣同士でぶつかり合うと、ロイはガンマを押し飛ばした。しかし、すぐに横へ飛んで、背後から迫ってきたベータを避ける。

 再び襲ってきたアルファの剣を弾き返すと、再び駆け出した。ガンマが遠くへ移動したからだ。するとアルファは、彼を足止めしようと火炎球を放った。火炎球はロイの足下を襲う。だが、彼には攻撃用魔法は通用しない。ロイはその攻撃を無視してガンマに駆け寄る。再びガンマとロイの剣が交差する。

 その間にベータがロイに追い付き、2対1の形になると、ロイは2人から離れた。その背後に、アルファが回り込む。だが、近付いてこなかった。他の2人も左右に別れて、ロイと10メートルほどの間合いを取っていた。

「なかなかやるようだな。だが、お遊びはこれまでだ」

 アルファが言った。ロイは剣を構えて立ち止まった。3人は、ロイからほぼ同じ距離の所に、3点に分かれて立っている。3人を順番に睨みながら、ロイは、緊張の余り息が荒くなる。

 3人は恐らく、同時に攻撃を仕掛けてくるだろう。3人の息はピッタリ合っている。その3人を、1人で同時に相手するのは不可能だ。では、どうするか? ほんの一瞬でもいい。3人の攻撃をずらせるしかない。ロイは左手をマントの結び目にやった。失敗すれば死あるのみである。ロイは何度か大きく深呼吸した。心は徐々に落ち着いた。

 3人は同時に動いた。ロイは振り返り、同時にマントを外すと、後ろから迫るアルファに向かってそれを放った。マントはアルファの顔に絡み付き、アルファはもがいた。

 ロイはその時には左に走り、ベータに対してすれ違い様に剣をすくうようにして振り上げて斬り、向きを変える。

 向かってきたガンマの突き出す剣を避け、体当たりしながらガンマの腹部に剣を突き立てた。

 ロイは剣を構え直し、絡まっていたマントを捨てて向かってきたアルファを、正面から力任せに叩き斬った。

 アルファは呻き声一つあげずに仰向けに倒れた。ロイはその側に立って、見下ろした。アルファには、まだ息があった。

「一昨日、お前たちが斡旋所で言っていた依頼は、これのことか?」

 ロイは、一昨日の彼らの会話を思い出しながら聞いた。

「そうだ。この村を襲って、半分を殺す。そういう依頼だ」

「確か依頼人は子爵だったな。依頼とは言え、罪も無い人を殺すことに、何も感じなかったのか?」

「俺たちは傭兵だ。金を出した奴の言うことを聞くのが、俺たちの仕事だ。お前は、村人に幾らで雇われた?」

「俺も、その子爵に雇われた。この村の様子を見てくるよう言われただけだ」

「じゃあ、お前が囮だったのか」

「囮?」

「村の奴らが、囮の奴を捕まえて安心する。その油断したところを俺たちが襲うことになっていた。お前……名前は?」

「ロイだ」

「そうか。お前が曲剣の…」

 アルファの呼吸が乱れ始めた。ロイは剣を逆手に持ち、彼に剣を突き立てた。アルファの身体はもう、動かなかった。ロイは剣を鞘に収めると、ウォリディの方を見た。

 ウォリディはリィーナのそばで、治癒魔法を慎重に使っているようだ。その後ろでは、オルドーとその妻らしき女が泣きながら跪いている。

 ロイは、街に戻らなければならなかった。それまでに、少なくとも一度は剣を抜くことになるだろう。彼はマントを拾い、その場を彼女に任せ、足早に立ち去った。


 池を右手に見ながら峠の頂上を目指して歩くロイ。前の方から、騎乗した騎士が3人と、その後ろに2頭立ての4輪馬車がやってきた。騎士たちは、上半身はプレートアーマーを装着している。盾は持たず、武器はロングソードだ。先頭の騎士は、ロイに仕事の斡旋をした男だ。昨日の御者によれば、サルモンというらしい。サルモンは、道を上がってくるロイに気づいて、騎士たちに停止を命じた。ロイも、彼らの目と鼻の先で立ち止まった。もう一度剣を抜くという機会は、意外と早く訪れたようだ。

「ロイとか言ったな。もう戻ってきたのか?」

 サルモンが聞いてきた。ロイは頷き、

「ああ。報告は、子爵に直接すれば良いのか?」

「いや。俺が聞こう。子爵様には俺から報告する」

「俺も聞きたいことがある。コボルトが村を襲った。依頼主は領主、つまり子爵と言っていた。これは本当に子爵の命令なのか、それとも子爵の名を借りたお前の仕業なのか、どっちだ?」

 ロイは単刀直入に言った。サルモンは急に笑い出し、

「逆の意味で使えない奴だ。余計な詮索をせずにいれば、残りの金も受け取れたのに」

「払う気なんて無かったんだろう? コボルトのことだって、口封じをする気でここに来たんじゃ無いのか?」

「やはり、使えない奴だ。お前はここで死ね」

 サルモンたち3人の騎士は、馬から下りて剣を抜いた。全長が1メートル余りあるロングソードだ。剣のリーチでは、ロイは不利だった。さらに相手は、プレートアーマーで身を守っている。しかし、ロイは迷うこと無くカットラスを抜いた。カットラスを立て、顔の右側に寄せ、左半身を前にする、いわゆる八相の構えをとる。ただし、剣は裏刃の方を相手に向けていた。

 サルモンとロイは、同時に動いた。騎士に限らず、この世界の剣術は剣だけでなく格闘術も必要だった。剣を交差させている間に、隙を見せれば空いている手で足下をすくわれたり、関節技を仕掛けてきたりする。鍔迫り合いは、長くは続けられない。

 3人とロイは、激しい剣の打ち合いをする。ロイが裏刃を使うのは、打ち合いで表刃が刃こぼれするのを防ぐだめだ。表刃は全体に刃があるが、裏刃は先端から3分の1ほどだけに刃がある。騎士3人相手にロイは不利な戦いを強いられたが、逆に騎士同士が邪魔をしあって対応しにくい位置を常に取りつづける。対峙する騎士の、それぞれのプレートアーマーを何度も裏刃で叩き、アーマーの内部にダメージを与えていく。そして、ダメージが蓄積して騎士の動きが鈍ったところで、1人には足を切り、もう1人には相手の剣を叩き折ってから、その側頭部への打撃を加えて戦闘不能にした。残ったのはサルモンだ。そのサルモンにも、ロイは同様の打撃を加え続けた。そして、彼が焦って上段から大ぶりした剣を避け、同時にその胴を薙いだ。プレートアーマーのおかげでサルモンは致命傷を負わなかったものの、その場に崩れ落ち、しばらくは動けない状態となった。

 ロイは3人を倒すと、間髪入れず馬車に迫った。4輪馬車は、側面に子爵家の紋章が入っている。武器を持たない御者は、ロイが迫ると同時に逃げ出した。他に邪魔しそうな者はいない。

「やめろ! ジョエル様に手を出すな」

 サルモンが絶叫に似た声を出す。ロイは構わず、馬車の左サイドの扉を開けた。同時に何かが飛び出してくる。レイピアを持った男だ。ロイはとっさに飛び退くと同時に、剣を振るった。男は叫び声をあげ、右頬を押さえて地面を転がった。ロイは男を見て唖然とした。男は、まだ子供だった。それこそ、リィーナと大きくは違わない。

「これが子爵なのか? まだ子供じゃないか」

 ロイはサルモンを見た。サルモンは這いつくばりながら彼を見返し、

「そうだ。その方がジョエル様だ」

「今回の企ての張本人なのか?」

「それは違う。全ては私の責任だ。そもそも誤解があるようだが、我らは村を滅ぼそうとしたわけじゃない。盗賊に襲われた村を我らが救助する。それが最初のシナリオだった」

 サルモンの告白を、ロイは鼻で笑って、

「コボルトたちを盗賊に仕立て上げて、自作自演の救出劇か」

「あいつらは元々、素行不良な奴らだった」

「だからって、こんな形で命を奪っていい事にはならないだろう。そういえば、前にも同じようなことがあったと聞いたが、それも今回と同じ自作自演だったのか?」

「いや。あれは偶然だった。しかし、我らが偶然通りかかり、村を救ったことで、その村では我らを好意的に受け入れてくれるようになった。知先の戦争で賠償金を払わなければならなくなったわが領地の税は高く、領民の不満がたまっていたのだ。少しでも彼らの不満を和らげなければならず、仕方がなかったのだ」

「このやり方が正しいのかどうか知らないが、どうすべきか考えるのは、この子だろう」

「確かにそれが本来のあるべき姿だ。それで、我らをどうする?」

 サルモンの問いに、ロイは少し考えた後、

「残りの金は、斡旋所で受け取れるのか?」

「ああ。依頼時に全額預けるのが規則だ」

「では、今回の依頼達成の証明書を書いてもらおう。その場で書け」

 ロイに言われたサルモンは、懐から紙とペンを取り出し、走り書きした。ロイは出来上がった紙を、抜いた剣の鞘に引っかけて受け取った。手で受け取るほど近づけば、サルモンに切りつけられる可能性があるからだ。ロイは紙に書かれた内容を確認して、懐にしまうと、剣を鞘に納めた。

「街まで遠そうだから、馬を借りるぜ」

 ロイはそう言い、サルモンの乗っていた馬の手綱をつかんだ。主人を倒した男と分かっているのか、馬はとくに抵抗しなかった。馬にまたがったロイは、アークトゥルスの街へ馬の鼻先を向けた。

「待て。せめて、ジョエル様の治療を!」

「ポーションくらい持っているだろう?」

 サルモンの必死の形相に対し、ロイは冷たくあしらった。


 十何年か後のこと。とある村の宿の女主人の日記には、妖精の古い友人と子供の頃の話をしたとして、ある騒動の数日後の朝に窓に金貨が10枚ほど積まれていて驚いた、ということが書いてあったという。


                                       第3話 終わり 

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