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第2話 偽りの街

 この国は、アーカディア王国という。王国とはいうが、国王の権力増強によって国がまとまったのは、最近のことである。千年ほど昔は強大なロムルス帝国の属国だったが、周辺民族の度々の侵攻や属国の氾濫により帝国は分裂。帝国は、今は名ばかりの存在で、とある名家の治める一国となった。アーカディア王国は大きな大陸の西にあり、東と南は他国と地続き、西と北は海だ。帝国を名乗る国は、王国の西にある。

 街道はアルコルの森から西南西へ進むと、丘陵地帯が続く。なだらかではあるが坂道が続き、一番高い丘は標高100メートルくらいあるだろう。そこには飲食や簡易宿泊のできる店が2軒あり、丘を登ってきた旅人の喉を潤したり、腹を満たしたり、時には睡眠の場を提供している。旅人の多くはここでつかの間の休憩をとる、あるいは夜道の移動を避けて宿泊する。

 長身の剣士がこの店に着いたのは、まだ日も高くはない時間だった。大きめの黒い帽子を深く被っているが、整った顔であることは想像がついた。しかし、その剣士が他の剣士と異なる様相を呈しているのは、マントの下でもわかる、緩く曲がった剣だ。船乗りがよく使うカットラスだが、およそ海から遠いこの地でその剣を携えている者は珍しい。

峠の往来はまだ少なく、剣士ロイは、外に椅子とテーブルを出している店を休憩場所に選んだ。

休憩場所に外の席を選んだロイ。そこには商人の先客がいた。商人とわかったのは、仕立ての良さそうな服装もさることながら、1頭の馬をつないだ4輪の幌付き荷車が近くにあったからだ。荷馬車のそばには若い男が見張りとして立っていた。荷馬車の中には、樽や木箱が半分ほど積まれているようだ。行商にしては荷物が少ない。

ロイは席に着くと、水とパンを頼んだ。

この国の商人は各地の情報を集めようとしているのか、この商人も見ず知らずのこの剣士に声をかけてきた。

「剣士殿は、コル・カロリの街へ向かうのですか?」

「ええ。そのつもりです」

 ロイは、聞かれたことだけ答えた。

「そうでしたか。私たちもこれからそのコル・カロリの街に向かうところなのですが、初めての街でして、どういう所か知りたいと思ったのですが」

「俺も、初めて向かう街なので、何も知りません」

「私たちと同じですね。私たちはここから南西にずっといった街の者ですが、噂では、あの街は領主も認める自由都市で、税金も安く、よそ者だろうと誰でも自由に商売ができると聞いたもので。どういう所か、まずはこの目で見て、住み心地が良ければ移住をしようかと考えているのです。しかし、本当にそんな都合の良い話があるのだろうかと半信半疑な部分もありまして、それで、事前にどんなところか知っておきたいと思ったのです」

「お役に立てないようで申し訳ない。俺は、あの街に知り合いがいると噂で聞いたので、近くに来たついでと、思っていたところです」

ロイは答えながら、運ばれてきた水とパンに手をつける。

「では、ひとつお願いしたいことが。実は、コル・カロリの街まで護衛をお願いしたいのです」

 商人の申し出に、ロイは首をかしげた。

「街はこの坂を下りた先で、あと10キロほどのはず。ここまで来たら、護衛が必要とは思えませんが?」

「そうなのですが、実は街にはもう一つ噂がありまして。コル・カロリにやってくる者は多いが、街から帰ってくる者は少ない、と言うのです。実際、私の友人も2年前にコル・カロリに移り住んだ筈なのですが、無事に到着したとの連絡があったきり、音沙汰がなくなったのです」

「仕事が忙しいだけではないですか?」

「ところが、友人の親族が街へ様子を見に行ったのですが、行方不明になっていたのです。確かに一時は住んでいたようですが、忽然と消えたようです」

「商売に失敗して、街を出たのでは?」

「それなら、家族のところへ戻ってくるでしょう」

「家族の元に帰りづらい事情があったのかもしれない。どちらにしても、俺の知った話じゃない」

「そう言わず、あなたが腕のある剣士と見込んでお願いします。友人は、家族にさえ連絡を絶って消えてしまうような男ではないのです。何か事情があるに違いない。先ほど、自由都市について半信半疑と言いましたが、友人のことがあったからです。本当は街に滞在する間お願いしたいところですが、せめて街に着くまで。もちろん、報酬もお支払いします」

 話を聞いたロイはため息をつき、

「仕事として、と言われるなら、俺も傭兵の身。街の門まで引き受けしましょう」

と、答えた。


 丘を越えた街道は下り坂になり、自然と歩く速度が速くなった。それを抑える為に、自然と膝に負担が掛かる歩き方となる。荷馬車もこの下り坂では、馬が引くと言うよりは、速度が出ないよう荷車を押し返しながら歩いているようなものだ。先ほどの商には御者として馬の手綱を持ち、若者はその右側に座り、手にした長い角材を時々車輪に押しつけてブレーキ代わりとし、速度が出ないようにしていた。ロイはその馬車の左側を、馬車の速度に合わせて歩いた。


 コル・カロリは、20年前に出来たという歴史の浅い街だが、領主から自由商業を認められ自治を行っている。俗に言う自由都市で、ギルドはほとんどなく、身分に関係なく自由な商売が出来る。人々はその街を『理想郷』と呼び、特に、貧しい生活を強いられる小作農民たちが夢を抱いてこの街にやって来た。

 その街をロイが訪れる気になったのは、特別な理由があったからではない。彼がもう少し若い頃、傭兵として組んだ事がある元騎士エイモス・ラッソーが、コル・カロリの街で剣士養成所、いわゆる道場を開いたという噂を聞いたのだ。丁度向かっている方向に、その街がある。だから、寄っていこうと思ったのだ。だが、ラッソーに会うつもりはない。一時、組んだだけの男と話す言葉は、何もない。道場を覗いてみる。ラッソーが無事でいる。それを見届けて去る。それだけであった。

 エイモスは苗字持ちである。苗字は、この世界では当時は騎士以上の階級、あるいは平民でも豪商など裕福な家にのみ認められていた。騎士はかつては、専業兵士であり、小さな領主でもあったが、今は爵位持ちの貴族から叙任される、一代限りの身分である。とはいえ、実際は騎士の長子が世襲し、身分もそのままということが多かった。エイモスは今は騎士ではない。彼は世襲で騎士になったが、領主と袂を分かったのか、それとも何らかの問題を起こして解任されたのかは定かではない。どちらにしても、ロイと出会った頃には騎士ではなくなったのだから、本来は苗字を名乗ることは許されなかったのだが、名乗り続けていたのは、彼のプライドがそうさせたのだろう。

 坂道の途中から、コル・カロリの街を見下ろす。街は盆地の中央部にあり、東西800メートル、南北1000メートルを城壁で囲っている。街のすぐ北側を川が流れ、さらにその周囲には農村が点在している。街の中心には小さな城があるが、もちろんこれは領主の物ではなく、住人から選ばれた代表者が街を運営するためにある。

 街へ続く主要街道は、ひっきりなしに人が往来する。行商人だけでなく噂通り、この街に憧れてやってくる者が多いのだろう。だが、移入者が多い街にしては、街自体はそれほど大きくはない印象を受ける。夢やぶれて去る人が多い、と言うことなのかも知れない。

 街に入る城門の前では、移住を希望する者は入城審査を受けるために一時待機所に案内される。この場合、長ければ数日はここで拘束される。行商人等の一時的に街に入る者は、門のところで通行税を払う。この場合は、金さえ払えばすぐに入れるが、一週間ごとに一時滞在の許可を得なければならないらしい。移住者が多く、長い審査を避けて入ろうと不正を働く移住者が後を絶たないため、それを防ぐための制度のようだ。


 商人たちとロイがその街に入ったのは、昼前であった。街が一番活気付いている時間帯で、全ての通りが人や物などで溢れていた。広場には露店が建ち並び、その中には、ドワーフの細工物や武器、エルフの魔法装飾品などもあった。彼らの作った品物は、特に高価に取引されるのである。昔は、人間の商人らが仲買人となって売っていたが、最近では、彼らが自ら店を開くこともある。あちこちで商品をやりとりする声が聞こえてきた。ロイはその中を、興味なさそうに歩いていた。彼にとって、武器は腰に差している曲剣カットラスで十分であったし、洒落た装飾品には縁のない身であった。

 門までの護衛という約束だったが、結局ロイと商人は、行商人が一時的に露店を開ける行商人の仲介屋のところまで一緒に行動した。ロイはその仲介屋でラッソーの道場のことを聞いてみたが、知らない、の一言がすぐに返ってきた。

 彼は広場に戻り、この街で長く住んでいそうな人間に聞いて回ったが、誰一人としてラッソーの道場を知る者はいなかった。剣術の道場として皆が真っ先にあげた名前は、ヴァンダイクであった。自己流の剣士であったが、かなりの腕前と評判であった。ラッソーはもしかしたら、すでに街を出ていってしまったのかも知れない。そう思っても、ここまで来たのだから数日だけ留まり、その事を確かめようと決めた。

 街に留まることを決めたロイが、次に考えたのは、宿を探すことであった。彼は裏通りに入り、両側を石造りの建物に挟まれ、今にも押し潰されてしまいそうな感じの、3階建ての木造の宿に入った。

「いらっしゃい」

 静かな声が彼を迎えた。ロイは黙ってその方を見る。食堂のカウンターの椅子に、声の主は腰掛けていた。ロイに負けないくらいの長身の女性、色白で耳が尖り、切れ長の目で鼻の高いエルフだった。

「お1人ですか?」

「ええ。宿をとるには、早過ぎましたか?」

「いいえ。この街では、早くから宿をとる人が多いのですよ。このようなオンボロの宿でも、夕方には満室になるくらいですから」

 エルフはそう言って自虐的な笑みを浮かべた。

「では、1人分の部屋を」

「何日、お泊まりですか?」

「2泊の予定です」

 ロイは言った。エルフは宿の受付に移動し、宿泊名簿と部屋の鍵を持って戻る。

「これがお部屋の鍵です」

ロイは宿泊名簿に名前を記入し、鍵を受け取った。彼は、鍵に付いている部屋の番号札を見る。部屋番号から、どうやら2階のようだ。

「ありがとう」

「この街には、何の用がありまして?」

「知り合いを捜しに。エイモス・ラッソーという剣士をご存じですか? この街で剣術の道場を開いているという噂を聞きましたが」

「いいえ。私はここに来て、まだ半年ですから」

「そうですか」

 ロイは力無く溜息をついた。やはり、誰に聞いても手がかりはつかめないのか。するとエルフは、言い難そうな口調で、

「でも、剣術の道場は、街には2つしかありません」

「2つですか?」

「ええ。ヴァンダイクと、モリスの2つです」

 その時、ふと、ロイは思った。道場を開いているのではなく、道場で師範代となって指南に当たっている、という事も考えられなくはない。噂は伝わる途中で内容がガラリと変わる事がある。ラッソーの件についても、同じ事が言えるだろう。ならば、道場を両方とも、訪れてみる必要がある。

「荷物は置いて行かれますか?」

「そうですね。部屋に置いていきます」

 ロイは、宿屋の階段を上がり、借りた部屋へ向かった。


 ロイがモリスの道場を訪れたのは、夕方だった。道場主がいなくても師範代なら誰かいるだろう。少なくとも、エイモスがいるのかどうかくらいは教えてもらえるに違いない。単に通りすがりに覗くだけのつもりが、大がかりになってしまった。

 道場は宿から比較的近い、街の東側にあった。ロイが道場で用件を伝えると、道場の奥で動きが慌ただしくなる。やがて、背はロイよりやや低いが筋肉質で上半身は逆三角形のような体型の男が姿を現した。顔も厳ついが、その見た目とは裏腹に、妙ににこやかな顔で、

「曲剣のロイ殿か。初めてお目にかかる。私はこの道場の師範代を務めるデリックと申す。道場主のモリスは高齢のため、私が代理を務めています」

「ロイと言います。突然の訪問、失礼いたします」

「いやいや。この地方であなたと剣を交えようとする剣士は、まずおりますまい。その剣士殿が我が道場に来られたとあれば、丁重にもてなしましょう。しかして、今日はどういったご用件で?」

「用と言うほどではない。単刀直入に言うと、昔の傭兵仲間がこの街で道場を開いたという噂を聞いて、立ち寄った次第です。しかし、どうやら違っていたようです」

「ちなみに、お捜しの男の名前は?」

「エイモス・ラッソー。元騎士で、歳は俺と同じくらい。当時はサーベルを使っていた。3年前くらい前に傭兵から足を洗っている」

 デリックは、ロイから聞いた情報を頭に浮かべ、

「エイモスという男は知りませんな。元騎士ということを考慮しても、うちの道場では師範代はもちろん、弟子も含め条件に当てはまる者はおりません」

「そうですか」

「道場ということで言えば、ヴァンダイクが確かサーベル使いでしたな。しかし……あそこの道場は、この街ができた頃からある古株で、年数が合わない」

「噂を頼りにした俺が悪いのです。邪魔をしました」

 ロイはそう言ってモリスの道場を出ようとした。

「いやいや。そう急がれることもありますまい。せっかくここまで来られたのだ。今日はうちの師範代が全員そろっているので、顔だけでも見ていってはいかがかな」

「わかりました。顔だけ見させていただきます」

 ロイが答えると、デリックは裏庭に面した窓に彼を案内した。裏庭は練習場として使われていた。建物内にも練習場はあるようだが、剣のような長いものを振るにはやはり屋外の方が良い。屋外では、10人ほどの人間あるいは獣人が剣をひたすら振り下ろしていた。獣人とは、体つきはほとんど人間だが、顔が犬あるいは猫の特徴を持った人々のことだ。構成比としては人間が8割方で、残りは獣人だ。

 ロイは全員の顔を見て、

「やはり、エイモスはいないようだ」

と、踏ん切りがついたようにデリックに答えた。

「今後はどうされる?」

「明日、もう1つの道場に行ってみるつもりです」

「ならば、忠告しておきましょう。ヴァンダイクはこの街一番の剣術使いと言って良いが、気難しい男。彼の機嫌を損なわないよう注意されよ。それと…」

 デリックは途中で声を小さく、低く太い声で、

「街のことに関して、余計な詮索はしないように。彼はこの街の評議会の委員であり、街の実力者の1人でもある」

「それはまた、ずいぶんと怖い脅し文句だ」

「脅し文句だけで済めば、それで良いのだが。とにかく気をつけられよ」

「分かった。ありがとう」

 ロイは軽く頭を下げて、モリスの道場を出た。


 宿に戻った時は、すでに陽は沈んでいた。宿の女主人が言っていたように、街は一夜の宿を求める旅人で賑わっていた。その夜を過ごす場所を確保してから街を出歩く人間が多いので、すでに殆どの宿は満室で、この時間に泊まる場所を探すのは困難な事であった。その場合は街の片隅で野宿か、教会へ一夜の宿を頼み込むしかない。彼がとった宿も、例外ではない。1階の食堂は人で溢れ、相部屋を頼まれている者もいた。ロイは1人部屋であったから、相部屋を頼まれることはないだろう。彼は、賑やかなテーブルの間を抜け、カウンターの椅子に腰掛けた。すぐに、女主人が彼の前にやってきた。

「パンと野菜と、水を」

「それだけで、良いのですか?」

「ええ」

 ロイが言うと、女主人は、奥の使用人に注文の品を伝える。それらの品はすぐに彼の前に運ばれてきた。

「ところで、ロイさん。アルコルの森を救った腕を見込んで、1つ、頼み事があるのですが」

「どうして森のことを?」

「聞いたのですよ、あちらのお嬢さんから」

 女主人の指差す方に、最も会いたくない相手が座っていた。人の姿をしたウォリディである。その微笑みかける顔は、彼を逃がしてくれそうにない。彼は溜息をついた。

「それで、申し訳ないのですが、相部屋になって頂きたいのです。あちらの女性と」

 女主人の話を聞いて、ロイはあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。

「しかし、俺の所は、1人部屋ですよ」

「簡易ベッドですが、後でお持ちします。ご覧のような状況なので、お願いいたします」

 周りの混雑ぶりを見れば、ぜい沢の言えない状況であることはよく分かる。それに、見知らぬ人間と一緒にされるわけではない。1人部屋とはいえ、ベッドを2つ並べることは可能だ。しかし、別の問題がある。

「彼女を、見ず知らずの男と一緒の部屋に泊めるのは不味いでしょう」

 ロイは、もっともらしい理由を探して、そう答えた。女主人は、

「そうなのですか? 私はてっきり、あなたのお知り合いだと」

「彼女は命の恩人ですが、この前会ったばかりですよ」

「そうですか。そうすると、あの方には、野宿していただくか、別のお客様と相部屋になっていただくしかないのですが…」

 女主人はそう言って、ロイの目をじっと見つめた。彼女が見ず知らずの男女の同室になるという事態は、避けなければならない。エフライムとの約束もある。どうやら、ロイが折れるしかなかった。

「仕方がありませんね」

「有り難うございます」

 彼女は、他の客の対応に追われ、離れていった。その代わりに、ウォリディが彼に寄ってきた。

「お久しぶり。やっと会えたわ」

「よく、ここにいると分かったな」

 ロイは、彼女と目を合わせようとしなかった。

「少し考えたのよ」

「どういう風に?」

「ロイさんは森から西へ向かっていた。森から西へ向かって、砦を越えてさらに進むと街がある。街へ来たら、宿をとる。だから、片っ端から宿を探したわけ」

 ウォリディは胸を張って答えた。

「そうか。結局、力業だったのは分かった。だが、どうして、追ってきた?」

「言ったでしょ。そう決めたんだって」

「俺は、生まれてから死ぬまでずっと1人旅と決めている」

「冷たいわね。でも、そうは行かないわよ。相部屋なのだし、旅の道連れなんだから」

「巻き添え喰って死んでも、知らないぞ」

「大丈夫よ。危なくなったら逃げるから」

 答えるウォリディに、深い考えは見受けられない。剣士の世界を、軽く考えているのではなかろうか? このまま付いてくれば、何時か危険な目に遭う。特に彼は、刺客に追われる身だ。彼女の気楽な考えは、妙に腹立たしくなる。だが、彼女の顔を見ると、それをすぐに忘れてしまう。

 パンと野菜を一気に口に詰め込み、水で流し込むと、彼は立ち上がった。賑やかな所には長居したくないのだ。階段を上って、自分の部屋へ向かう。ウォリディもすぐ後ろに付いてきた。

 鍵を開けて中に入ると、腰の剣を抜き取り、帽子とマントを外し、壁の帽子掛けに向けて、マントと帽子の順番に投げた。それらはきれいに帽子掛けに掛かった。彼は背負っていた荷物を床に置いて身軽になり、ベッドの上に座った。

「その剣、変わっているわね。何て言うの?」

「武器の種類としては、カットラスだ。それ以外に名前のない、そこら辺にある剣だ」

「そう言えば、曲剣の凄腕の剣士がいるって、聞いたことがあるわ。あなたの事ね?」

「どうだろう? 西の地方で傭兵業界の中なら、知られているかもしれないが。君はどうしてそういう噂を知っている?」

「そりゃまあ、私だって、あの森を1度も出たことがないわけじゃないから」

「相当、出回っていたのだろうな」

「さて、どうでしょう。ところで、この街へは、何しに来たの?」

「人捜しだ。昔の知り合いがこの街にいる、という噂を聞いたのさ」

「私に手伝えること、何かある?」

「手伝わなくて良い」

 ロイにあっさり申し出を断られて、ウォリディは膨れっ面をした。彼は外した帽子とマントを、入り口近くにある帽子掛けに掛けた。その時、ドアをノックする音が聞こえてきた。女主人が自ら、従業員を伴って簡易ベッドの部品を運んできたのだった。手際よくベッドは組み立てられ、あっと言う間に完成する。

「では、ごゆっくりと」

 彼女は出て行き間際に、そう言った。ウォリディは腕を組み、エルフの出ていったドアを見つめながら、

「あの人、愛想がないわね」

「その方が良い」

「本当に? 愛想がない方が良いの?」

「君と違って、余計な気を遣わなくて済む」

 それを聞いたウォリディは、顔をフグにして、

「気を遣わせて悪かったわね。どうして人間たちは、エルフの方ばかり誉め讃えるのかしら」

「そうは言ってない。ただはっきり言えるのは、俺に関わるとろくな目に遭わない、ということだ」

「どうして?」

「俺は不幸の塊だから、さ」

「…?」

 予想だにしなかった言葉に、ウォリディは戸惑った。不幸の塊? そう言い切る彼に、一体何があったのだろう。

「明日は、朝は早いんだ。先に眠らせてもらうぜ」

 ロイは剣を握ったまま、簡易ベッドに潜り込んだ。変なの、とウォリディは思った。こんな状況でも、剣を片手に寝るなんて。こんなか弱い乙女が、寝込みを襲うとでも思っているのかしら、と。


 翌朝、先に目を覚ましたのはロイの方だった。流れ旅も長いと、自然と起きるのが早くなる。暗い内から起き出し、夕方まで歩き続けて、日没と共にどこかへ潜り込んで野宿する。それが彼の毎日であった。たまに宿でゆっくりと羽を伸ばそうとしても、何故か目が覚めるのであった。彼はふと、隣のベッドで寝ているウォリディを見た。知り合ったばかりの男の側で、よく無防備で寝ていられるものだ。

 宿全体がまだ眠りから覚めぬうちに、ロイは剣だけを持って階下へ下りた。下に、人の気配がしたからだ。食堂に入ると、奥の調理室の中では、何人かの使用人が働いていた。食堂の隅の方のテーブルを見ると、エルフの女主人は、ノートみたいな物に何か書き記していた。

「お早うございます。お早いのですね」

 ロイの姿を見つけ、彼女は驚いた素振りも見せずに言った。彼女の向かいに腰を掛けるロイ。

「習慣でしてね。何をなさっているのですか?」

「帳簿ですよ。夜遅くまで仕事がありますから、朝、付けることにしているのです。あの、ピクシーの娘さんは?」

「まだ眠っていますよ。やはり、気付いていましたか」

「ええ。私は少しだけ、人の心が読めるのですよ。と言うより、読めてしまうのです。あなたの秘密も、失礼ながら…」

 エルフの女は、暗い顔で無理矢理笑みを作った。

「気味が悪いでしょうね。心を読まれるのですから。大丈夫。誰にも言いません。こんなことを話せるのは、あなたが一時の出会いの人だからですよ」

「その苦労、お察しします。俺の場合、知られたからと言って、どうって事はありません。この宿を出れば、知らない人と同じですからね。ところで、エルフであるあなたが、街で宿を経営するなんて、珍しいですね?」

 ロイに聞かれると、彼女はペンを置き、溜息をつきながら、

「人間の貨幣経済の影響ですよ。昔は村から出ず、人間の商人たちと物々交換したり、買い取ってもらったりしていましたが、自分たちで街まで直接売りに来た方が、良い儲けになりますからね。ここは、そうしたエルフたちの為に、私たちの村が作った宿なのです。今は、誰でも宿泊できますが」

「村から、この宿を任されているわけですか?」

「ええ。1年交代ですが」

「なるほど。それで、この街へ来てまだ半年だというわけですか」

「街にはもう、慣れましたわ。でも、私はやはり、森の方が暮らしやすいのですが…。ロイさんは今日も、お友達を捜しに?」

「ええ。今日はもう一つの、ヴァンダイクの道場を訪ねてみるつもりです」

「では今日、出立なさるおつもりなのですね?」

「いいえ。一応、街全体を回ってみたいので、予定通りもう1晩お世話になります」

「わかりました」

「お願いします」

 彼は立ち上がり、頭を下げた。

 午前九時、宿の前で、街見物に出るウォリディと別れる。しかし、彼女が後からつけてくる可能性があるので、逆に彼女の後をつけ、追ってこないことを確かめてから、ヴァンダイクの道場に向かった。


 ヴァンダイクの道場は、街の西側に位置していた。宿から向かう途中には、一時滞在で行商する人用の露店が並ぶ区画があり、昨日の商人もそこに荷馬車を入れ、簡易店舗としていた。馬は宿の厩舎にいるようだ。

「ロイ殿、おはようございます。お探しの人は見つかりましたか?」

「いえ。まだです」

「そうですか。私の方も、全く成果なしです。昔の住所をあたってみましたが、そこから先の足取りは全く不明です」

 商人は両手を肩まで上げた。

「大家さんにも何も言わずに、ですか?」

「そうなんです。荷物がそのまま残っていたそうで、荷物自体は、前に来た親族が引き取って故郷に持ち帰っておりますが。彼が肌身離さず持っていたものが残っていたというのは、どうも腑に落ちないのです」

「持ち出すほどの余裕がなかったのでは?」

 ロイは、軽く考えて答えた。

「夜逃げの場合には、大切なものは必ず持っていくでしょう。黙って出ていくのですから、むしろ余裕があったはずです。妻の肖像画入りペンダントさえ忘れるなんて、考えられない」

「なるほど。ペンダントでさえ置いて消えたとなれば、確かに変ですね」

「それに、この街の店のほとんどは、創業がこの街ができたのと同じくらいなのです」

「それが、何か?」

「絶対というわけではありませんが、もっと新しい店が多くても良いと思うのですよ。昨日のように、あれだけ多くの人が、新たにここに住もうとしているのなら」

「ちなみに、その行方不明になったご友人は、商売人としてはどういう人だったのですか?」

「商売人として、ですか? まあ、才能はあったと思いますよ。人の懐に入り込むのが得意な男で、いろんなところで情報を仕入れては、それを商売に生かしていましたね。今は何が売れている、とか。何が必要とされているか、とか」

「行方不明になるまで、どれだけこの街に住んでいたのですか?」

「おおよそ半年だそうです」

「そうですか」

「商売の片手間に、もう少し探してみるつもりです」

「新しい手掛かりが見つかるといいですね」

 ロイは慰め程度にそう言い、商人と別れた。


 その道場は、街の西に位置していた。師範のヴァンダイクは、滅法腕の立つ剣士として有名だった。噂では、王国警護隊にいたことがあるという。アーカディア王国には、軍隊としての王国騎士団の他に、街を警護する護衛騎士というエリート部隊がある。いずれの部隊も入隊できるのは大抵、騎士や貴族などの若者であり、農民上がりの剣士は殆どいない。

 したがって、ヴァンダイクは噂通りなら、相当な身分の人間と言うことになる。剣術の修行を積んだ騎士相手では、傭兵剣術のロイの腕で勝てる見込みは低い。しかし彼は、正面から乗り込むつもりでいた。もちろん、真剣勝負をするわけではない。昨日のようにあいさつ程度に立ち寄って師範代の中にエイモスがいるかどうか確かめるだけであって、師範ヴァンダイクと勝負する気はない。

 道場へ入ると、先に客間へ通された。その時に自分の名前を名乗ると、モリスの道場の時と同様、全員に緊張が走った。ロイにとっては、これで2度目のため、気にしないことにした。しかし、ここでは様子が違った。応接間で待たされること30分。だがその間、弟子が1人彼の前にやって来て、こう言っただけであった。

「師範は本日、火急の用事がありまして、出掛けております。12時前にはお戻りになられると思いますので、どうか…」

 見え透いた嘘だ、とロイは思った。いないならいないと、最初から言えば済むことだ。並の慌てようではない。ヴァンダイクが噂通りの男なら、逃げ隠れするような真似はしないだろう。しかし、彼1人を客間に残して、誰一人として接客に当たらないというのは、普通では考えられない。流れ者の剣士を相手にする気はない、ということかもしれない。

 やがて一二時を過ぎたのだが、今度は、まだ時間が掛かりそうなので、食事でもしながらお待ち下さい、と言うことであった。特別に断る理由もなく、彼はただ、頭を下げただけであった。やがて料理が彼の前に運ばれ、

「さあ、どうぞ」

と勧められた。だが、彼の手は動かなかった。目の前に並べられた料理の品々を前に、身体が硬直していたのだ。まさか、と思ったが、現実に目の前に並んでいる物は、疑いようもなく全て、彼が最も嫌う海産物であった。

 川魚を焼いたものは問題なく食べられるが、タコやイカ、貝の煮込み料理や焼き料理が所狭しとテーブルに並べられた。タコやイカについては、匂いを嗅ぐだけで吐き気をもよおしそうだった。傭兵で船に乗った時、食料の節約の為にと釣った魚を食べられなくて、エイモスに笑われた事がある。

 だが、彼はふと、妙なことに気付いた。いかに内陸の都市とはいえ、魚料理が並ぶこと自体は決して不思議な事はない。だが、海から遠く離れているため、簡単に入手できるものでもない。しかも、全てが海産物とは、普通は考えられない事であった。ここまで徹底していると、嫌がらせの類と判断せざるを得ない。しかも、ただの嫌がらせではない。ロイの弱点を知っている奴がいる。

「どうかしましたか?何か、お気に召されないことでも?」

「まさか、我々のお出しした物は食べられない、とでも言うのでは?」

 門弟らは、次々に言った。その言葉は、とても客人に向けられるものではない。

 しかし、追い返そうという意図があるなら、初めからそう対応していればよかった筈。これは、ヴァンダイクからのメッセージだ。この場は、そのメッセージを黙って持って帰るのがよさそうだ。

 ロイは急に立ち上がった。周りの者は皆飛び退いて、身体を硬直させた。彼は周りを見渡し、

「師範がお見えにならないのに、1人だけ先に食事するわけにはいかない。また、日を改めてお伺いすることにしよう」

と低い声で言い、戸口まで進んだ。何人かがその行く手を塞ごうとしたが、ロイが睨むと、圧倒されて後ろに下がった。外へ出たときには、誰も見送りに現れなかった。

 結局、エイモスについては何も聞き出せなかった。その代わり、厄介事が1つ増えたことになる。街の剣術家を敵に回した事になるのだ。このままでは済まないかも知れない。


 夕方、ロイは大して期待もせずに街中を歩き回った後、宿に戻った。

 宿の女主人は、食堂のテーブルを丁寧に拭いて回っていた。今日も宿泊客が多く、夜の食事提供の前にすでに食堂は人が多かった。

 ロイは部屋に戻った。そこには、銀色の長い髪を櫛でといている、人サイズのウォリディの姿があった。

「お帰りなさい。どうだった? 探している人には、会えた?」

「いや。だが、何処にいるかは、大体分かった」

 ロイは帽子とマントを脱ぎ、壁の帽子掛けに投げて引っかけ、答えた。

「そう?良かったじゃない。所在だけでも分かって」

「まあな」

 彼のその声には、何の力も感じられなかった。

「どうかしたの? 疲れているみたいね」

「ああ」

 ロイは答えた後、真剣な顔でウォリディに、

「ウォリディ。今からでも遅くはない。別の宿をとったらどうだ?」

と提案した。もちろん、これは彼女の身の安全を考えてのことだが、

「あら。またその話を蒸し返すの?」

と、その意図は伝わらなかった。

「身の危険が迫っている。この街から出られれば良いとは思うが、おそらく城門は閉まっているから、出られない。明日朝一番にここを発つつもりだ。しかし、今夜動きがあるかも知れない」

「何かあったの?」

「ああ。街一番の腕利きかも知れない奴に喧嘩を売られて、それを買ってしまった」

「それって大変なことじゃない。大丈夫なの?」

「だから、宿を変わったほうが良い、と言ったんだ」

「あなたはどうするの?」

 ウォリディの質問はもっともだ。しかしロイは、特にこれといった案を持ち合わせてはいなかった。

「俺は、何もしない。ただの喧嘩なら、今日は何も起こらない。だが」

 ロイは革製のブーツを脱ぎ、剣を抱きかかえながらベッドに横になり、続けた。

「奴らの対応は普通じゃなかった。俺を早く追い返したかったのだろうか。少なくともヴァンダイクは、俺に会いたくなかったのだろう。だが、何故だ?」

 彼は独り言のようにつぶやいた後、それらを忘れようとするかのように布団を被り、

「今日は早く眠らせてもらう」

「うん。それが良いと思うわ。疲れた時は、寝るのが一番だから」

 心配そうにウォリディは言った。

「それと」

 ロイは、眠りかけた体を起こしてウォリディを見て、

「寝るときは、ピクシーに戻ったほうが良い」

と付け加えた。


 深夜。ふと、ロイは目を開けた。ウォリディとは明らかに違う気配を感じて、目が覚めたのだ。窓は頭の側にあって、首を上げなければその様子はわからないが、誰かが窓の外にいることは間違いない。少し間をおいて、ガタガタと窓を揺らす音が微かに聞こえ、窓が開いたことが分かった。この部屋は2階である。侵入者は、屋根からロープを伝って下りてきたか、梯子を使って上ってきたに違いない。やがて、何者かが部屋に入ってきたのを感じた。

 毛布の中で、ロイの腕が微かに動く。侵入者は彼の背後に立っている。窓から差し込む月明かりが丁度、ロイの目の前の壁に男の影を映しだした。薄目を開けるロイ。その目が一瞬、光った。次の瞬間、鋭い金属音と共に、隠し持っていた曲剣が光の弧を描いた。青い鞘が敵の刃を受け止めると同時に、すでに抜いていた剣が男を水平に斬っていた。

「ロイさん。大丈夫?」

 ドスンと倒れるとほぼ同時に、ウォリディの悲鳴に近い声がした。彼女はピクシーの姿で、クローゼットの上に小さなかごを置き、そこにハンカチを敷いてベッドにしていたのだ。出来る限り静かにやったつもりなのだが、それでも目を覚ましたようだ。

 ロイは開いている窓を見た。上からロープが垂れて、しかもそれはまだ重々しく揺れている。それを見た彼は窓に駆け寄り、剣を外へ突き出した。それに重なるように、上から下りてきた影が重なる。彼の手にズンという衝撃が伝わってきた。窓から勢い良く飛び込もうとした剣士は、自らロイの剣に突っ込んできた形となったのだ。剣を抜き取ると、男は外の暗闇へ姿を消した。すぐに外から、ドサッと言う音がした。

「大丈夫か?」

 窓を閉めて鍵を掛けたロイは、クローゼットの上から身を乗り出しているウォリディに声をかけた。

「うん、私は大丈夫」

「ここで待っていろ」

 彼女にそう言うと、彼はゆっくりと部屋の外に出た。廊下は薄暗かった。だが、遠くの方で騒がしい音がした。刺客は窓以外からもやってくるようである。そして、彼に近付いてくる人影がある。宿の女主人だと、彼には分かった。彼女は、昼間の姿からは想像できないほどひどく取り乱している様子だった。左腕や脇腹に傷を負ったらしく、その辺りが血で真っ赤に染まっていた。

「早くお逃げ下さい。もうすぐここに…」

「知っています。失礼ながら、部屋の中を汚してしまいました」

「えっ?」

 彼女は部屋の中に、剣士の死体を見た。それを見ると急に力を失い、壁に寄りかかる。彼は慌てて、彼女を支えた。

「大丈夫です。癒しの魔法を掛けましたから。ただ、傷口が塞がるのに、もう少し時間がいるようです」

「ウォリディ。この人を」

 部屋の中のウォリディを呼ぶ。彼女は人の大きさになって出てきて、エルフを座らせた。癒しの魔法を掛けると、エルフは二人の顔を見て、

「階段の所に、結界を張っておきました。ただ、急いで張ったものなので、それほど長くはもたないと思います。ですから、今の内にお逃げ下さい」

と言う。ウォリディは、不安げな顔でロイの顔を見た。

「ウォリディ、明かりを点けてくれ。それと、彼女は任せた」

 ロイは、ウォリディの肩を叩いて言うと、立ち上がった。彼女はすぐに、光の魔法で光球を出し、廊下を照らし出す。昼間のように明るくなった廊下を彼が数歩も歩かない内に、階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、5人の人影が目の前に現れた。ロイの姿を見て、彼らに緊張が走る。全員レイピアを構え、レザーアーマーを装備している。先頭の男は、幅広の木製の楯を持っていた。対するロイは、防具と言えるものはない。

 次の瞬間、ロイが先に動いた。走りながら右手でカットラスを抜き、一気に間合いをつめる。先頭の男は左手で盾を構え、右手で刺突剣であるレイピアを抜こうとしている。男は盾を前に出してロイの剣を受け止めようとするが、ロイは左手でその盾の縁をつかんで男のレイピアに押し付けると同時に、男の脇腹に剣を突き出していた。

ロイはそのまま走りながら、2人目の脇腹を裂き、3人目をかわして背後から斬りつけると、4人目は力任せに上から叩き斬った。

 残りの1人は、迫るロイの恐怖に耐えきれず、慌てて階段を駆け下りた。それを追ってロイは階段を飛び降りると、剣を投げつけた。銛のように剣は飛び、男の背中に刺さり、男は食堂の真ん中で倒れた。ゆっくり男に近付いたロイは、剣を更に深く突き立て、死んだことを確かめてから、引き抜いた。

 ゆっくりと2階へ戻ると、ウォリディ達の所へ戻った。座っている2人の前に立ったところで、ふと妙な静けさが辺りを包んでいることに気付く。この騒ぎで、1人も起き出さないのは妙だった。

「他のお客さんは、どうしたんですか?」

「眠りの魔法を掛けておいたのです。こんな事もあろうかと、思いまして…」

「それは、どういう意味ですか?」

 ロイは訪ねながら、エルフの前に片膝をついた。エルフはしばらく考え込んだ後、決心したように話し始めた。

「あなたは、この街の事をどう聞いていますか? ギルドはほとんどなく、誰もが自由に商売できる街。でも、それはこの街の本当の姿ではありません」

「それはどういう意味ですか?」

「このコル・カロリの街は、世界に誇る自由都市として知られていますね。能力さえあれば、身分に関係なく、自由に職業を選んで、生きられる街。ある人は、『理想郷』とも呼んでいるくらいです。ですが、それは、外側から見た街の姿なのです。実際は、全く正反対の街なのです」

「…よく、分からないんだけど」

 ウォリディは首を傾げる。エルフは言葉を選びながら、

「ここは、元々は小さな村でした。ここを治める男爵は、産業のないこの地を経済政策で発展させようとしたのです。ですが、何も無かったこの地に街を造るとなると、大変なことです。人を呼び集めるには、何か大きな特色が必要です」

「それが、『自由自治都市』ですか?」

「そうです。しかし、最初の内は、思った通りに人々が集まり、街は人で賑わうようになって良かったのですが、今度は別の問題が生じました。誰でも自由に店を開くことが出来るようになって、競争が激しくなり、元からの住人たちの生活が脅かされ始めたのです」

「それが、どうかしたって言うの?」

「あなたがもし、この街で店を開いている時に、他所から来た者が、同じ商売を始めたとして、その人が、あなたよりも商売上手だったら、あなたはどうします?」

「さあ? どうしようもなくなったら、お店をたたむか、他所へ移って商売するかしら」

「しかし、街に昔から住む人々は、そうは考えず、後からやってきた商売敵を追い出そうと考えたのです。時には、相手を殺す事さえ…」

「まさか?」

「そうです。私たちも最初は、被害に遭いましたが、私たちがエルフという事もあって、急に手を出してこなくなりました」

「どうして、そんな事をするの? ギルドでも作って、潰し合いにならないように調整すれば良いじゃない?」

「それでは、他所の街と何ら変わりない事になってしまいます。人々が集まってくるようにする為には、あくまで『自由都市』でなければならないのです。そうしないと、何の産業もないコル・カロリは、あっと言う間に衰退していくでしょう」

 それからエルフは、言いにくそうに、顔をうつむかせながら、

「ロイさん、あなたがラッソーという方を捜していると聞いたとき、内心、不安でした。あなたが、捜し回っている内に街の秘密を知り、それでヴァンダイクに殺されるのではないかと…」

「ヴァンダイクに?」

「ヴァンダイクは、今は街の実力者の1人なのです。しかも、武力ならこの街一番。あなたがあそこを訪れるというものですから、失礼ながら、無事に帰ってこられるかどうかと…」

「分かっていたのなら、どうして一言、言ってくれなかったの?」

「この街で暮らす以上、お話しするわけにはいかなかったのです。お話すれば、街の事も言わなければならなくなりますし、話した事が彼らに分かったら、ただでは済みません」

「どのみち、この街から平穏無事に出ることは出来ない、という事ですね」

 言いながらロイは、思い立ったようにゆっくり立ち上がった。ウォリディも、つられるように立ち上がり、

「これから、どうするの? ロイさん」

と、聞いた。次の瞬間、彼女の腹部に激痛が走り、呼吸困難に陥ったかと思うと、急に目の前が真っ暗になった。

 ロイの右手が、彼女の鳩尾に当て身を喰らわせていたのだ。気を失って倒れ込む彼女を抱き上げ、彼は部屋に入っていった。ウォリディは、人間の姿をしていても、羽根のような軽さだった。彼女をベッドに寝かせ、自分の荷物を背負うと、剣帯を腰につけて剣を装着した。続いてマントを身にまとい、帽子をかぶると、旅支度は整った。彼は、再び部屋を出た。

 エルフは、彼の姿を見て立ち上がった。普段は表情を見せない彼女が、不安げな顔をしていた。ロイは、その顔を直接見ようとはしなかった。不安げな顔を見るのは、忍びなかったのだ。視線を逸らしながら、財布を取りだし、

「彼女の事、よろしくお願いします。お世話になりました」

と言った。彼の言葉に驚いた彼女は、震える声で、

「何処へ行かれるのです? 外にはまだ、ヴァンダイクの手の者がいるかも…」

「それなら、なおのことです。彼らがまさかここまで押しかけてくるとは思わず、かえって迷惑を掛けました。俺が出ていけば済む話です」

「しかし…」

「心配には及びません。これは、彼女の分も含めた宿代です」

 財布から銀貨を取り出し、彼女に差し出した。

「いいえ。迷惑をお掛けしたのに、受け取るわけにはいきません」

「迷惑をかけたのは俺のほうです。ここに置いておきます」

 手に持った銀貨を、彼は床にそっと置いた。

「彼女には、何と言えば…」

「東へ向かった、とでも伝えて下さい。そうだ。まだ、名前を伺っていませんでしたね」

「フィリア。ラスペルバの森のフィリアです」

「フィリアさん。二度とこの街に来ることはありませんし、次の機会があるか分かりませんが、どうかお元気で」

「あなたも、どうかご無事で…」

 最後の方は、聞き取れないほど微かな声になっていた。

 ロイは深々と頭を下げ、くるりと向きを変え、廊下を進んだ。階段を下り、食堂を抜けて宿を出たロイは、東に向かって歩き始めた。

 フィリアは恐らく、彼の心の内を知っている。ロイは、そのまま街を出る気など全くなく、ヴァンダイクと剣を交えるつもりだと言うことを知っているだろう。だから、声が震えていたのだ。このまま行けば、必ず死人が出る。もしかしたら、ロイが死ぬかも知れない。それを心配しているかも知れない。だが、ロイ自身はそれについて、何とも思っていなかった。斬り合いになれば、どちらかが死ぬ。それは、剣士の世界に生きる者の宿命であり、当然の事だ。


 街を囲む城壁の門は閉じられていた。北や東の門には門番がいたが、南の門だけは門番はいなかった。おまけに、閂が外されている。どうやらヴァンダイクは、ロイをこの先へ誘導しようとしているらしい。勝手に開けて街の外へ出ると、気分がいくらか落ち着いた。南へ続く街道は、川を越え、丘陵地帯の先の谷に続いている。空は次第に白みがかり、朝が来たことを告げる。彼はゆっくり歩き出した。

 歩き始めて10分もしない内に、街道に異変が起きた。道が東に向きを変え、いよいよ上り坂になるという所だ。そこで、行く手に六つの長い影が突如、現れたのだ。来たか、とロイは思った。予測していた事であり、彼は表情一つ変えずに歩き続けた。そして、彼らの20メートル手前で立ち止まった。顔をゆっくり上げると、朝日に照らされて左顎の赤い筋が映えて見えた。

「久し振りに会うんだ。顔を見せたらどうなんだ、エイモス!」

 腹の底から響く声でロイは言った。ヴァンダイクが、実はエイモス・ラッソーであると、彼は読んだのだ。そして、その声に反応するかのように、集団の後ろの方にいた男が前に出て、

「やはり、俺だと判ったか」

「元騎士でサーベル使い。加えて、俺の嫌いな物を知っているのは、コル・カロリではお前1人くらいだろうからな」

「では、街の秘密も知ってしまったわけだ」

「どうしてヴァンダイクと名乗っているのか、理由を話してもらおうか」

「簡単な事だ。俺の道場を潰しに来たヴァンダイクを、返り討ちにしてやったのさ。すると、町長らがやってきて、街の秩序を守るためにそいつに死なれては困るから、代わりになってくれって頼まれた。俺は、それを引き受けてやったというわけさ」

「自由都市なら、お前の名前で道場をやってもよかっただろうに」

「それじゃあ、他の奴らに示しがつかないというのだ。そして今や、俺も街の有力者だ。街の秘密を知ったお前を放置するわけにはいかない」

「じゃあ、その偽りの街の秩序を保つために、この俺とやるのか?」

「街の為だからな。やれっ!」

 エイモスが命令する。彼の門弟は剣を抜き、ロイに向かって走り出した。マントを広げたロイは剣を抜くと、一呼吸おいて走り出した。

 最初の1人を右にかわしながら腹を裂き、続いて2人目を正面から剣を振り上げて斬り、3人目をかわして通り過ぎ、4人目の男の首筋に刃を走らせると、5人目は身体をひねりながらその腹を薙ぎ、戻ってきた3人目に向かってその男を突き飛ばした。そして、男がひるんだ隙に、その身体に剣を深々と突き立てていた。

 残りはエイモス1人だ。

「さすがだな。こいつら5人掛かりでも、相手にならんとは」

 エイモスはサーベルを抜いた。

「お前はどうなんだ? 師範代という地位に浮かれて、腕が落ちているんじゃないか?」

 ロイは左手左脚を前に出し、剣を肩に担ぐように構えた。

 沈黙ののち、2人は同時に動いた。2人の剣が交差し、鍔迫り合いになる。押し飛ばし、剣を振り回して再び接近するロイ。接近戦となり、エイモスは左腕でロイの右腕を押さえた。だが、ロイも左手でエイモスの右腕を食い止めた。取っ組み合いになり、激しく位置が入れ替わる。エイモスは、ロイを街道沿いの1本の木に叩きつけた。エイモスは、ロイの手が外れ、自由になった右手でサーベルを突き出した。その剣先を右にかわしながら、ロイも剣を振る。カットラスの切っ先が、エイモスのレザーアーマーをかする。エイモスは振り返ると同時に、サーベルを左から右へ水平に振る。サーベルはロイの帽子を飛ばした。その時、ロイは姿勢を低くしながら、カットラスを下から上へ大振りした。エイモスの断末魔の叫びが辺りに響きわたる。エイモスの身体は前に崩れると、ロイは立ち上がって大きく息を吐いた。

 ロイは、剣に付いた血を振り落として鞘に収めると、帽子を拾ってかぶり、何事もなかったかのように、元の速さで歩き始めた。

 一方で、

「ロイの、バカぁっ!」

 街の広場で、大声で叫ぶ少女が1人。


                                       第2話 終わり 

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