第1話 曲剣の剣士
定住する地を持たず旅を続ける男が1人。人は彼のような人間を自由だといい、中にはうらやましがる者もいる。でも、この男も決して人がうらやむような生き方をしているわけではない。
この若い男は、腰に剣を差していた。それが、彼が剣士であることを物語っている。剣士は農民出身者がほとんどで、傭兵や冒険者を生業とする人々である。彼は、ほかの剣士なら身に着けていそうな防具を全く着けず、その長身を紺色のマントで包み、肩幅ほどもある大きな黒い帽子を深くかぶっていた。
また、彼の持っている剣は普通ではなかった。この国の剣士は、刃渡り70センチほどのショートソードや、1メートルを超えるロングソードなどの、両刃の直剣がほとんどだ。だが、彼の剣は刃渡り65センチほどの両刃だが、その刀身は緩く湾曲していた。船乗りや海賊が好んで使うカットラスという剣である。片手剣のため、本来は握りこぶし一つ分の長さのグリップが普通だが、彼はそれを両手で持てるように長いものに交換していた。剣を収めている鞘も、青色の金属製のようだ。それを革製の剣帯で腰に下げている。
麦畑が広がる丘陵地帯。彼が進む寂れた街道の先には、森があった。街道はその森の手前で二手に分かれ、一つはそのまま森の中へ続き、もう一つは森を東へ避けるように左へ分岐していた。
剣士の足は迷いもなく、淡々と同じリズムで前に繰り出されていた。それが、街道の分岐点に差し掛かった時に、初めて変化が起きた。前に振りだした左足が着地したその後、足の動きが止まっていた。左足のすぐ先に、左から飛んできた矢がささったからだ。
剣士には、弓矢で狙われたことについて身に覚えがあるらしい。矢が刺さった直後に、矢が飛んできた方角を確認すると同時に、身を屈めながら正面の森に向かって走り出していた。森まではおよそ200メートル。おそらくそこで待ち伏せしている者がいるはずだが、森の外では弓矢の餌食になってしまう。
彼の予想通り、森の中から男が2人、剣を抜きながら出てきた。道は幅3メートルほど。剣士は走りながら剣を抜いた。その2人と接触する直前、剣士は抜いた剣を振り上げ、左の男に向けておろした。同時に、右の男の突き出す剣をよけ、代わりに体当たりで突き飛ばした。左の男は、剣士の降り下ろした剣に飛びのき、体制を崩している。剣士はそれ以上2人の相手をせず、森の中に入った。
森の中の道は、通る者がほとんどなく、ところどころ道がわからなくなるほどに荒れていた。地元の猟師でさえ滅多に入っていない。しかし、道なりに進めば追いつかれるため、剣士は道を外れて左に進み、木々の間を縫うように走った。森の奥に新たな影が現れ、剣士は足を止めた。影の正体は、先ほどの2人とは別の剣士だった。金髪の容姿端麗な男で、動きやすくするためかチェインメイルを装備していた。
「やっと見つけたぞ。ルロイ」
行く手を阻む剣士が口を開いた。ルロイと呼びかけられた剣士は、帽子の下から追手の男を懐かしげに見た。
「ベネディクトか。久しぶりだな」
ベネディクトと呼ばれた男も、わずかに笑みを浮かべながら、
「五年ぶりくらいだな。曲剣の剣士か。この界隈では有名になったものだ」
「お前も追っ手に加わったのか」
「不本意だが、お前は師匠の仇だからな。領主の命令は、そのついでだ」
ベネディクトは剣を抜いた。刃だけで長さ1メートルほどもあるロングソードだ。それを右横に構える。
「あいつらがつけたルロイの名は捨てた。今の俺の名はロイだ」
「名前が何であろうが、そんなものは通用しない」
「悪いが、あいつにくれてやる命はない。お前にも」
ロイはカットラスを正面に構え直した。両手で柄を握り剣先をやや下向きにした、いわゆる下段の構えだ。それはベネディクトには奇妙に見えたらしい。彼の顔から笑みが消え、
「見たことのない構えだな。師の教えを捨てたのか?」
「捨てたのは名前くらいだ」
ロイが答えるのを見計らって、ベネディクトが剣を振りおろした。ロイは剣を振り上げてその一撃を跳ね返し、次に繰り出された突きを左へ流した。
ところがそこで、ロイの左上腕部に一瞬痛みが走った。ロイは右後ろに飛びのいて木々の間に移動し、ベネディクトから距離を取った。痛みの元を見ると、布製のマントが水平に裂け、赤い血がにじみ出ていた。誰かが投げたナイフがかすめたらしい。遠くから足音も聞こえる。じっとしていたら、追手は増えるだけだ。ロイは剣を構えなおそうとして、腕が重くなっていることに気付く。
「毒か。そこまで俺を?」
ロイはつぶやくと、森の奥へ走った。どんな毒かはわからないが、仮に死なない程度のものでも、毒が全身に回って動けなくなれば、戦うまでもなく殺される。背後で、逃げるロイを罵る声がするが、耳を貸すつもりはない。動けるうちに身を隠さなければ。
ロイは木々の間を抜けるように走っていたが、その足が徐々に重たくなっているのがわかった。追手との距離は開いていると思いたかったが、振り返って確かめる余裕はない。薄暗い森の様子が少し明るく変わったようだが、逃げることに必死な彼はそれに気づかない。背後の声も徐々に遠くになっていったが、それが彼らを撒いたからなのか、それとも毒のせいなのかはわからない。
何かに足を取られたのか、ロイは前に倒れ、立ち上がれなくなってしまった。かろうじて仰向けになり、天を見上げる。木々の隙間から見える青い空は、次第に色を無くしていった。
まだ世界の広さがよくわかっていない時代。人類未到の地が世界のほとんどを占めていた時代。大陸の西の端にその国はあった。アーカディア王国という。国王の権力が大きくなり、諸侯同士の争いがようやく終わった時代。
アーカディア王国の北西部、アルサミノル領ミザールの街の近くに位置するその森は、アルコルの森と呼ばれていた。広葉樹が主体の森で、地元の人間は「エルフの森」と呼んでいる。森自体は決して大きくはないが、地元民でさえ遭難してしまうことがあり、森を貫く街道を通る人も徐々に減っていったことから、いつしか、森には魔物が棲んでいると恐れられるようになった。
実際に森に住んでいるのは、野生動物の他に、いわゆる妖精と呼ばれる複数の種族。その中には、人間と関わることを極端に嫌う者もいる。そのため、この森の中には招かれざる者の侵入を防ぐ結界魔法が施されている。その結界内に、しかも目の前に突然人間が現れたのだから、身長15センチほどのピクシー似の妖精は驚いたことだろう。
その妖精はウォリディといった。女性の姿で、銀色の長い髪を持ち、緑色のシンプルな服を着ていた。背中からはトンボのような四枚の羽が生え、それで宙に浮いていた。先ほどまで仲間と共に木の実集めをしていたが、その仲間はいつの間にか別の場所に移動してしまい、今は一人だ。
その目の前に突然現れた侵入者に対して、彼女は体が硬直し、何もできないでいた。ただ、その侵入者であるロイはすぐに倒れ、仰向けになったあと身動きしなかった。荒い息や尋常じゃない全身の汗から、彼に何かしらの身体の異常が起きているのはすぐわかった。その姿を見た彼女には、彼を助けるという選択肢以外はなかった。
「ちょっと、大丈夫?」
ウォリディが顔の近くで問いかけても、ロイは反応しない。彼は仰向けになっているとはいえ、背中に荷物袋があるらしく身体は右に傾いている。ウォリディは空中でバク転をしたかと思うと、突然身体が十倍ぐらいの大きさになって着地した。その姿は羽が消えたことや、服も替わったが、先ほどの妖精とほぼ同じだ。人の大きさになった彼女は、ロイのマントや背負っていた荷物を外して、木のそばに寝かせた。帽子を外すと、茶褐色の髪が現れた。面長の顔色は青白い。ウォリディは彼から少し離れて立ち、
両手を彼に向けて伸ばして、
「癒しの精霊よ。かの者の身体を蝕む毒を取り除き給え」
と唱えた。少しして、ロイの身体から紫色の薄い煙が立ち上がり、彼の頭上で丸い塊となって地に落ちた。彼の顔色は少し血色良くなり、呼吸も安定してきた。ウォリディは、今度は彼の全身を観察して、左腕の怪我を見つけた。長さ5センチほどの一筋の真新しい傷からの血は止まっているし、怪我自体は大したことはなさそうだが、ものはついでだ。
「癒しの精霊よ。かの者の身体を癒し給え」
ウォリディは治癒の魔法を使った。ロイの傷は深くはなさそうなので、すぐに跡形も消えるはずだ。が、彼女の表情はだんだん曇り、険しくなっていった。いつもならすぐに治癒するはずの傷はほとんど変化がなかった。
「あれ?」
彼女はもう一度、治癒の魔法をかける。が、彼の傷はわずかに小さくなった程度。
「ピーター。ピーター! こっちに来て」
彼女は、先ほどまで一緒にいた仲間を呼んだ。仲間の男のピクシーはすぐに飛んで現れた。
「どうした?」
赤髪のピーターは、人のサイズになっているウォリディに驚くこともなく聞いた。
「この人、怪我をしているけど、治癒の魔法が効かないの。長老様のところまで連れて行くのを手伝って」
彼女は倒れている彼を見せた。ピーターはそちらの方に驚いていた。
「人間じゃないか! どうやってここに入ってきたんだ?」
「そんなこと知らないわ。それよりこの人、怪我をしているけど、私の治癒魔法が効かないの。長老様ならどうにかできるかもしれないから、連れて行きましょう」
「何者かわからない人間を、長老様に連れて行くわけにはいかないよ。それに、僕たちだけでは無理だ」
「じゃあ、誰か呼んできて!」
ウォリディは、最後は強い口調で言った。ピーターはすぐに森の奥に飛んでいった。その間に、ロイはまた苦しそうにうめき声を上げはじめた。彼女は彼の枕元に座り、頭をそっとなでた。
「hime……hime……」
彼はうめきながら言葉を発した。このあたりの人間の言葉とは違う、聞いたことのない単語。なのに、彼女ははっと目を見開いた。知らないうちに、両目からわずかに涙がこぼれていた。
――私は、その言葉を知っている。
彼が発した言葉は偶然の産物か、それとも何か意味があるのか。ウォリディは、物憂げにただ彼の顔を見続けた。
ロイが意識を取り戻したのは、倒れてから数時間が経過した頃だ。あたりは薄暗くなり、もう日暮れ時であることを感じさせる。森の中では、闇の迫る時間がさらに早い。ただ、彼の目には明らかな人工の光が目に飛び込んできた。それがロウソクの明かりであることはすぐに察しがついた。誰かがすぐ近くにいる。しかし、彼は慌てなかった。先ほどまでの息苦しさや怠さが消えていたからだ。追っ手なら、とうの昔に死んでいる。
ロイはゆっくりと目を開け、目だけで周りを確認した。左側には長い白髭を蓄えた老人のエルフが椅子に腰かけ、足元には銀髪のピクシーの少女が、こちらも椅子に座っていた。
ロイの今の状態は、藁を敷き詰めたベッドに寝かされている。ロイは身体を起こし、2人に向けて頭を下げた。
「助けていただいたようで、恐れ入ります」
起き上がってすぐにそのように畏まった男に、老エルフとウォリディは互いに顔を見合わせた。老エルフは、ロイを安心させようと笑みを浮かべた。
「いや、ご丁寧に。しかし、苦しんでいる者を放置することはできなかったので、これくらいのことは当然のこと。私は、エフライム。このアルコルの森の長老をしている。そして、この娘はウォリディ。あなたを救ったのは、この娘です」
エフライムと名乗った老エルフに紹介され、ウォリディという名の少女は頭を軽く下げた。
「俺は、ロイ。剣士です」
ロイは答えた後、室内を見渡した。右手はすぐ壁になっていた。背後の窓の外は真っ暗で、夜まで長い時間気を失っていたようだ。
「ところで、その剣士殿は何故、このような森に? それも、何者かに襲われた様子」
エフライムは静かに、先ほどまでの笑顔が消えた険しい顔で聞いてきた。彼は続けて、
「この森に住む者は、誰も争いごとを望まぬ。長老を務める私にとっても、この森の安全を第一に考えねばならぬので、まずは何があったのかをお話しいただけますかな?」
「確かに、俺は命を狙われているようですが、詳細は説明できません。迷惑をお掛けする前にここを立ち去りましょう」
ロイは、事実を話すことをためらっているようだ。エフライムは、今度は穏やかな口調で、
「いや、事の背景まで詮索つもりはない。ただ、この森で倒れていた経緯を知りたかったのです。あなたを襲った連中は何人で、まだこの森のどこかにいるのか、とか。それを判断する情報が欲しいのですよ」
「俺が襲われたのは、ミザールの街から南へ向かう街道の途中で、この森との分岐のところです。そこで弓矢で狙われ、森の中へ逃げ込んだのです。森の中でも待ち伏せを受け、男と戦っていたところ、おそらく後ろから毒の塗られたナイフを投げられたのでしょう。それが左腕をかすめ、急に身体が重くなったので、森の奥へ逃げこんだのです。敵は最低でも男4人。もう1人いたかもしれない」
ロイは説明した後、顔をあげて、
「そういえば、どうして俺は生きているのでしょう? あいつらが見逃してくれたとは思えないのですが」
「それについては、少々思い当たることがある。まあ、推測の域を出ないが……そなたは、魔法について耐性があるのではないかな?」
「確かに俺は、魔法耐性が高いようですが?」
「実は、この森の一部には魔法による結界が張ってあって、招かれざる客が入ってこないようにしてある。つまり……」
「私たちは自分たちの集落を守るために、魔法の結界で外の世界と隔離しているのです」
エフライムの言葉を補うように、ウォリディが後を継いで答えた。
「それで、追っ手は入ってこられなかったと? では俺は?」
ロイは頷きつつ、首をかしげる。
「おそらく魔法耐性のせいで、結界が効かなかったのだろう。希にだが、魔力の高い生き物も通過しているようだが」
エフライムはそう言ってから、慌てて、
「もちろん、ロイ殿のことを魔物だといっているわけではない」
「剣士さんは、自動で魔法を無力化しているみたいなの。その代わり、治癒魔法の効きも悪いみたい」
ウォリディに言われ、ロイはナイフで傷ついた左上腕を見る。服の袖はナイフにより裂けていた。その下の腕は、ナイフによる裂傷は消え、わずかに傷跡らしき赤い一筋が見えるだけだった。
「これで効いていないなんて、冗談でしょう? ありがとう」
「どういたしまして」
ロイの感謝の言葉を受け、ウォリディは少し頬を赤くした。
エフライムは椅子の上で姿勢を正し、話を切り替えた。
「さて、剣士殿。ベッドから起き上がったばかりで悪いとは思うが、あなたのその変わった能力を見込んで、頼み事をしたい。聞いてもらえるかな?」
「それは、俺を傭兵として雇いたい、という話ですか?」
ロイは、エフライムの話に身構えたようだ。
「怪我人に頼むのは非常識だとわかっておる。それに、本来なら街の口利き屋を通すべきこととはわかっておるが、今まで何回か雇っても、上手くいかなかったのだ」
「難しいことのようですが、一体、何を頼もうとしているのです?」
「数年前から、我々の仲間も何人か帰ってこないだ。調べてみると、この森の周辺や村、少し離れた街でも、同じようなことが起きているらしいことがわかった。しかし、魔物に襲われたにしても、遺体が見つかっていない。いわゆる神隠しだ。これ以上、我が森の仲間も、周りの街や村にも犠牲者を増やすわけにはいかない」
「今まで何度か人を雇ったようですが、何か手がかりは掴めていないのですか?」
「相手は魔法を使う、ということくらいだな。いいところまで追い詰めたことはあるのだが、最後は逃げられてしまった。どうやら、ベネトナシュの村の近くにある古い砦に住み着いているようだが」
「相手が魔法使いだから、魔法耐性のある俺に依頼したいと?」
「まあ、その通りだ。神隠しの原因となるものを排除し、二度と起こらないようにしてほしい。それで、報酬のことだが……」
エフライムは急に言葉がしぼむ。
「俺はあなた方に助けられた恩がある。報酬は要りません」
ロイは答えた。エフライムの顔はわざとらしいくらい急に明るくなり、
「おお。そう言っていただけるとありがたい。この森も、金を工面できるほど裕福ではないのでな。しかし、ロイ殿の支援はもちろん、させていただきますぞ」
というと、次にウォリディを見て、
「ウォリディ。ロイ殿に引き受けていただいたからには、こちらもいろいろ準備をせねば。頼めるかな?」
「はい。薬と、食料ですね」
「まあ、まずはそれくらいだろう」
エフライムの指示を受け、ウォリディは小さい身体ながら、飛びながらドアノブを引いて外へ出た。扉が閉じたのを見届けたエフライムは、
「実はもう1つ、これはお願いがある。ただし、これは本人の意思もあるので、そうならないかも知れないが」
「何の話です?」
ロイは困惑しながら聞き返す。
「今の娘、ウォリディのことだ。もしかすると、あの子のことをお願いすることになるかもしれない」
「言っている意味がよく分かりませんが?」
「それもそうだ。まずはあの子の身の上話をさせてもらおう。あの子は、ピクシーの姿をしているが、実はピクシーではない。実は、あの子の本当の姿は、人間の魂なのだ」
エフライムの顔はいたって真面目で、冗談で言っているのではないことが分かった。
「七、八年位前のことだ。この村に一つの魂がやってきた。その魂はまだ幼く、純粋な心を持った人間の魂だった。しかし、ずっと泣き続けていたから、どこから来たのか、いつ死んだのかは聞けずじまい。それがあまりにも可哀そうだったので、私がピクシーの姿を与えたのだ」
「それはつまり、彼女は人為的に作られた、と?」
ロイは、どういうわけか驚きというよりは、しかめっ面をした。
「そうとも言えるし、そうでは無いとも言える。魂自体は本物だが、身体は精霊樹の実から、私が作った」
「そんなことができるのですか?」
「まあ、方法は秘密だが、決して道義にもとる行為はしていない。恥ずかしながら、私の弟は道を踏み外してしまったが、それ故に同じ間違いは起こすまいと、これでも気をつけているのだ」
「道を踏み外した、とは?」
「今、おそらくそなたが想像したとおりだ。錬金術のうち、新たに生命を造ることだ。元々は不老不死を研究していたのだが、その実験体として人工生命体を造っていると聞いたのだ。もちろん、新たな生命を生み出すこと自体は歴とした錬金術だが、これには倫理上の問題がある。しかし、我が弟はさらに鬼畜の所業を行ったが故、この村を追い出されたのだ。今頃は、どこで何をしているのやら」
「心中お察しします。それで、先ほどの娘さんは、精霊樹の実から造られたと言うことは、彼女は植物なのですか?」
「いや、植物から動物に物質変換したというか……そこが秘密の技術だ。しかし、ピクシーに似せて作ったものの、元は人間だった魂だ。そのせいか知らぬが、彼女はピクシーにも人間にも姿を変えられる、希な存在になったのだ」
「そうですか。しかし、それが俺に?」
ロイは、ウォリディのことが自分にどう関係しているのか理解できないでいる。
「さっきも言ったように、今は主にピクシーの姿をしているが、魂は人間だった。つまり、妖精とは違う存在であるが故に、この森の中でも浮いた存在になっている。もちろん、森の仲間たちは、あの子を仲間外れにするようなことはない」
「それなら、この森でずっと暮らすのが良いのではないですか?」
「あの子自身がどう思っているかは分からぬ。しかし、この世に留まっているということは、何かやり残したことか、この世に対して未練があるのだろう。何より、魂だけの状態で長く、おそらく世界中をさまよっていたのではないかと思う。きっと、あの子は何かを探していたのだろう。ならば、探しものを見つけに、この森を出て行くのが正しいのではないか、と思うのだ」
エフライムは一度言葉を区切り、続ける。
「それに、ロイ殿とウォリディは、前世でも関係があったようだ。絆といってもいいと思う。現に、あなたがうなされている時に異国の言葉を呟いていたそうだが、彼女はその言葉に聞き覚えがあるそうなのだ。どうだろうか。考えておいてもらえないかな?」
ロイは目を落とした後、
「そのことについては、後で考えましょう。依頼の件については、もう少しお話を聞きしたい」
と答えた。
次の日は、ロイは森の集落で受けた依頼のための準備をすることにした。
森の集落は、妖精の種族によって大まかに暮らす場所が分かれていたが、種族の壁のようなものはなく皆和気あいあいと暮らしているようだ。長老やほかのエルフが暮らすのは、木のそばあるいは大きな木の上に建てられた家。ピクシーは特に家を建てることはなく、木陰に寝床を作っている。ドワーフやコボルドたちは、土壁や石の家を建てている。オーガという、体型は人だが、頭に2本の角が生えている大柄の種族もいる。彼らの誰かが、ロイを長老のところに運んだようだ。
ロイは、武器のカットラスを森のドワーフに研ぎ直してもらうことにした。
森の集落は小さく、そもそも武器屋というものはない。住人も当然少なく、店も少ない。ここでは、鍛治屋が農具から武器まで売っている。
ドワーフは人間より小柄な人が多いが、手先が器用で職人気質が強いことでも有名だ。ロイはその鍛冶屋を訪れ、カットラスの刃を研ぎ直して貰うことにした。
「こんなところに人間の客か。珍しいな。何の用だ?」
「長老様に特別に許可を貰って、森に入れて貰った。剣を研いでほしい」
ロイはそう言いながら、鞘に入った剣を腰から外して、ドワーフに差し出した。
「長老様の客か。研ぐのは良いが、どうせなら、新しい武器にしてみないか?」
ドワーフは剣を受け取った。
「この剣が折れたら、考えよう」
「折れる前に考えてほしいな。カットラスか、珍しいな。15分ほど待ってくれ」
ドワーフはロイの剣を抜き、刀身を確かめながら言うと、店の奥の研場に移動した。といっても、部屋一つの店で、ロイの目の届く範囲での作業だ。ドワーフは手早くカットラスを分解して刀身だけにすると、ローラー状の砥石の前に移動し、椅子に腰を掛けた。そして砥石を回転させ、それに剣の刃を当てて研いでいく。表側の刃は全部研ぎ、裏側の刃は先端から三分の一まで研ぐ。これはカットラスという武器の基本的な刃の付け方らしい。ただ、このドワーフは刃の部分以外についても手入れを行い、見た目を整えていった。
研ぎ終えた剣は、ドワーフの手で手際よく元の形に組み立て直された。剣は、ロイの目の前の机に抜き身の状態で戻ってきた。ロイは剣を手に取って研ぎ具合を目で確認した後、剣を鞘に戻した。
「ありがとう。代金はこれで足りるか?」
「ああ。今、釣りを出す」
ロイの出した硬貨は、数枚の別の硬貨になって戻ってきた。
「しかし、何度も言うが、その剣はそろそろ替え時じゃないか? 生憎、うちにはカットラスはないが、似たような剣なら、時間を貰えば作れるぞ」
「依頼を受けたので、時間がない。もしもあれば、考えておくよ」
ロイはそう答え、店を出た。
「それなら、せめて魔法強化でもしていったらどうだ?」
ドワーフのかけ声に、ロイは右手だけ挙げて答えた。
その後、携行食や水、薬を補充し、先日の戦いで裂けた服等を補修してその日を過ごし、次の日に森を出発した。
ロイは、妖精たちの結界の外へ出た後、森の街道にでた。そこからは、一昨日進んできた道を戻ることになる。はじめに目指すのは、ベネトナシュの村。ここへ来たときと違うのは、追っ手がいないことと、ピクシー姿のウォリディが飛びながらつきまとっていることくらいか。
彼は黙って歩き続けた。あえて無視するような態度に興味を抱いた彼女は、彼の左肩に立ち、まるで品定めでもするようにじっとその顔を見つめる。
「ロイさんは、愛想はないけど、結構いい顔しているじゃない」
ウォリディは一方的に打ち解けていて、ロイが一言もしゃべらなくても語りかけている状況だ。
「この赤いのは、何?」
ウォリディは、ロイの左顎のあたりに薄く長方形の赤い模様があることに気づき、そっと触れた。刺青のようなものだろうか、しかし、皮膚そのものがそこだけ赤くなっているようにも見える。
「それは、痣のようなものですよ」
「そうなの? こんなに四角な痣があるかしら?」
「それより、どうして着いてくるのですか?」
ロイは話をそらすように話題を変えた。
「あら、聞いてない? 案内役だって。長老様から、そうするように言われているけど」
「いや。どういう話になっているかは知らないが、君のことは聞いていない。それに、この事件は危険らしいから、着いてこない方が良い」
「つれないこと言わないで。こうして出会ったのも何かの縁。仲間がいた方が旅は楽しいし、いざというときに頼りになるのでしょう?」
ウォリディが答えたとき、突然ロイの足が止まった。彼が足を止めたのは、森を出るまであと数十メートルほどだった。
「どうしたの?」
ウォリディは聞いた。ロイは目を細めて辺りを見回し、
「俺から離れた方が良い。誰かいる。待ち伏せかも知れない」
「あなたを追っていた人たち?」
「そうかもしれない」
ロイは答えた。ウォリディは黙って左肩から飛び上がった。彼は静かに足を右へ動かし、相手の位置を把握しようとした。もし、相手が襲撃者なら、ロイを見失ったことで、森のどこから出ていても良いように場所を厳選して人員を配置しようとするだろう。応援を呼んでいるかもしれないが、すぐに人員はそろうまい。
ロイは音を立てずに足を進めた。相手が無関係ならそのまま通り過ぎるが、襲撃者なら倒したほうが良い。左手は剣の鞘を握り、右手はグリップに手をかける。しかし、しばらくして右手は剣から離れた。森の出口にいたのは、木の根元に腰かけて休息している、商人とその護衛らしい3人だった。商人は、森から出てきたロイを見て、
「もし、旅の人。この道はこの先、どのような感じですか?」
と声をかけてきた。ロイは困惑した。彼自身は森を通り抜けたわけではなく、おまけに道をほとんど歩いていない。すると、彼にだけ聞こえるくらいのささやき声がした。
「道は荒れているように見えるけど、問題ないわよ」
「道は荒れているが、歩くのには問題はない」
ロイは、ささやき声に沿って答えた。
「そうですか。ありがとうございます」
商人は礼を述べた。
「皆さんは西から来たようだが。この先で神隠しが起きているという噂を聞いたが、本当か?」
「確かにそういう噂は聞いたことがある。実際、俺もその捜索隊に加わったことがあるが、未解決のままのはずだ」
「そうか」
ロイは会釈をしつつ、3人と別れてベネトナシュの村へ足を進めた。
「警戒しすぎだったみたいね」
急に帽子が重くなり、声がした。ウォリディが、今度は帽子の真上に乗ったようだ。
「そうだな。だが、し過ぎることはない。現に一昨日、俺は死にかけた。君のおかげでまだ生きてはいるが」
「そう。私に感謝してね」
「それにしても、いつまで着いてくるつもりだい?」
「最初に言ったでしょう。道案内だって」
「どんな危険が待っているかもわからないのに?」
「そうね。でも、長老様は、あなたについて行けと」
「確かに、君のことを長老に頼まれたが、考えると答えただけで、連れて行くとはいっていない。それに、いざというときに君を守れる自信もない」
「それは大丈夫。私、魔法を使えると言ったでしょう?」
「…甘い考えだ。それではすぐに死ぬよ」
「私一人ではね。だから、あなたと一緒に行くの。こういうのを、パーティーを組むって言うのでしょう?」
「そうだ。俺は、他人と組んだことはほとんどない。知らない人間といきなりパーティー、この場合はペアだが、普通は組まない」
「じゃあ、私のことを知ってもらえば、良いかしら?」
「そうじゃない。よく知らない男と一緒になるのは危険だ。魔物よりも人間の方が怖いことだってある」
ロイとウォリディは、その後も会話を続けながら歩いた。といっても、喋るのはほとんどウォリディ。ロイは黙って歩くのみだ。
程なくして、ベネトナシュの村に着く。村は簡易な柵に囲まれ、十軒ほどの農家がある。農家の一つは酒場や宿を兼ねている。ロイはその酒場に入った。ウォリディは帽子に乗ったままだ。
その建物は、入り口から入ってすぐの部屋は20人ほどが入れるほどの食堂兼酒場で、正面の奥にカウンター、その奥に調理場がある。カウンターは宿の受付も兼ねているようだ。右手側には階段があり2階につながっている。調理場から、男が顔を出した。店主のようだ。
「悪いが、まだやってないよ」
時間は昼過ぎ。どうやらこの店は、昼は営業せずに、宿泊の準備をこの時間に行っているようだ。ロイはカウンターに静かに歩み寄り、財布から銀貨を1枚出してカウンターの上に置いた。
「それはすまなかった。しかし、せめて水だけでももらえないか?」
「コップ1杯かい? いいとも」
店主はカウンター上の銀貨を目で確認し、それを取る代わりに、水の入ったコップと釣り銭を置いた。
「ところで、このあたりで人間が神隠しに遭っていると聞いたが、今でも?」
ロイは水を飲みながら聞く。
「ちょっと前まではそういうこともあったが、最近は聞かないな」
「では、今はこのあたりは比較的安全なのか?」
「お陰様でね。剣士様の活躍する場はないな。あるとすれば、砦の方かな」
「砦?」
「この村の数キロ南に、今は使われていない砦があるのだが、最近、あの砦に宝が眠っているという噂が広まっていて、それを目当てに来る連中が時々いるんだ」
「砦に宝…」
「だが、宝を手にした連中の話を聞いたことはないからね。眉唾物だと思うよ」
「砦から戻ってきた連中に確かめなかったのかい?」
「ここに戻ってきたやつはいないな。まあ、そのままどこかへ行ったんだろうよ」
「そうか。水をありがとう」
ロイは水を飲み干し、釣り銭を受け取って店を出た。
ロイは、外にいた村人にも聞いてみたが、似たような回答だ。彼は村を出ることにした。
「ロイさん。初めから砦に向かうつもりだったでしょう? わざわざ水を頼んでまで聞かなくてもよかったのに」
「自分で確かめたかった」
ウォリディに聞かれ、ロイは答えた。
「でも、砦に宝物があるなんて、初耳ね」
「しかし、人をおびき寄せるには丁度いい話だ」
「おびき寄せる?」
「砦に宝物があるという噂が広がってから、神隠しは起きていないらしい。人さらいの目的が何かはわからないが、相手をさらってくるより、来てもらうほうが楽だろう?」
「じゃあ、宝物はないってこと?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。ただ、はじめのころは、何かしら高価なものがあったのだろう。宝物がなければ、なかったという話が広まっていないとおかしい。ということは、砦から帰ってきたやつがいない、ということになる」
「そういうことね。でも、それじゃあ……」
「危険なことは分かっている。だから、君は帰ったほうが良い」
ロイが再びウォリディに促す。彼女は、帽子の上から逆さまのふくれっ面を彼に見せ、
「私は、自分の役目を放棄したりしない! ちゃんとついていくから」
と、語気を強めて言った。ロイは逆に抑揚なく、しかし低い声で腹に響くように、
「だが、これから行く先では命のやりとりをすることになる。君に、相手の命を奪う覚悟があるのかい?」
「それは…」
ウォリディは言葉を飲み込んだ。彼女が本当にこの先に控えている危険を理解したかはわからないが、ロイはそれ以上言うのをやめた。
しばらくして、黙っていられなくなったウォリディは、ロイの顔の前に飛び出し、彼の歩調に合わせて後ろ向きに飛びながら再び口を開いた。
「ところで、ロイさん。歳はいくつ?」
「23。君は?」
「レディに歳を聞くのは、失礼じゃなくて?」
「これは失礼した」
「でも、教えてあげる。800歳よ」
「…!」
「冗談。本当は8歳よ。でも正直なところ、幾つなのかわからないの。私…」
ウォリディはいったん言葉を区切った後、決意したように、
「ピクシーの姿をしているけど、本当はピクシーじゃないの」
「エフライムから聞いている。元は人間だったらしいことも」
ロイに自分の秘密を言われたウォリディは、唖然とした。
「長老さまったら、そんなに簡単に私のことを…」
「君を心配してのことだろう。彼が君を俺に託そうとするのも、あの森では君が肩身の狭い思いをするだろうから、という気遣いじゃないか?」
「私、人気者よ? 肩身の狭い思いなんてしてない」
ウォリディはまたふくれっ面を見せた。感情豊かな彼女に、ロイはつい苦笑する。
「ピクシーは、人間の姿になれるのかい?」
「いいえ。人の姿になれるのは、私だけ」
「魔法で?」
「いいえ。でも、何で、と聞かれても答えるのは難しいわ」
「幻影みたいなもの?」
「幻影とは違うわ。実際に触れられるのだから」
ウォリディは自分の右手で左腕を触り、両手で頬をつついてみたりした。ロイは立ち止って、
「人の姿になってみてくれるかい?」
「お安い御用よ」
ウォリディは空中でバク転をした。ほんの一瞬で、彼女の身体は十倍近く大きくなった。顔や腰まで伸びた銀髪は当然同じだが、トンボのような翅はなくなっただけでなく、服装も変化していた。チュニックのような緑色の服は、上は茶色に白い袖、下は淡いピンクのスカートに変わっていた。靴も履いており、さらには、先ほどまでは持っていなかった肩掛け鞄を左肩にたすき掛けしている。
「正直驚いた。どっちが本当の君なんだい?」
「自分でも分からないから、説明できないわ。でも、どちらの姿でもいられるから、両方とも私といえるわ」
「そうか。しかし、その鞄はどこから出てきた?」
「これは長老様にもらったもので、亜空間収納魔法が付与されているのだけど、ピクシーの時はこれも亜空間に収納されるみたいね」
「エフライム殿は天才的だな。鞄の容量は? どれくらい入る?」
「そうね、tatamiichijyou分くらいかな……あれ? tatamiってなんだろう」
ウォリディは自分で言っておいて、首を傾げる。
「それって、俺が一人寝られるくらいの大きさ、ということで良いのか?」
「そう、それくらいの大きさよ。よく知っているのね?」
「それより、鞄の中の大きさを知っていると言うことは、中を見たことがあるのか?」
「あるわよ。1回だけ」
「よく首を突っ込めたな。亜空間に繋がっているだろう?」
「若気の至り、ということかな」
ロイはまた歩き出した。ウォリディは人の姿のまま彼の後に続く。やがて、主のいない石造りの砦が前方左手に見えてきた。
ロイたちが見ている砦の正面は北側にあたり、砦の南東側には池がある。砦の周囲には小さい空堀があり、侵入者が入れないようにしている。砦は3階建てのようだが、いたるところに砲弾撃ち込まれた跡があり、廃墟となった十数年前の戦争の激しさを物語っている。砦の門は木と鉄で出来ていたようだが、両開きの扉は、右側は外れて倒れ、左側も外に向け傾いている。
侵入者を拒むような外観の廃墟だが、門の前の堀には跳ね上げ式の橋が掛けられていた。この橋も劣化が激しいが、板や金属の枠を選べば、渡ることに問題はない。
「ここがベネトナシュの砦よ。砦と言ったら、この辺ではここだけ」
砦への橋の前で、ウォリディは言った。
「この中にお宝が眠っているというのか。いくらなんでも、それを信じろというのが無理だろう」
「そうね。こんなに入りやすそうですもの」
ロイの疑問に、ウォリディも同意する。
「宝探しの連中がここに来たのは間違いないだろう。問題は、神隠しにあった人々の件だが、他に手掛かりがないなら、この中を調べるしかない」
ロイは言いながら橋を渡りはじめたが、足を止めてウォリディに、
「どうする? 今なら引き返せるよ」
「着いていくわ。当たり前でしょう。こんな所に一人で残されても困るわよ」
ロイの後に続いて、ウォリディも砦の中に入った。
入ってすぐの部屋は、大広間になっていた。夕方だが、広間に窓はなく薄暗い。ロイは背中のサックをおろし、中から小さなランプを取り出した。火打ち石を使って紙に火を点け、それをランプに移すと、脂の匂いと共にオレンジ色の光が灯った。
「わざわざ火打ち石なんか使うの?」
彼に近寄って肩掛け鞄を下ろしながら、ウォリディは聞いた。
「悪いかい?」
「別に。でも、魔法を使った方が早いから」
「…俺は、魔法を使えないんだよ」
「どうして?」
「魔力耐性が高いと言っただろう? その代わり、使えないのさ」
「ふーん」
不思議そうな顔をしながらも、彼女は一応納得したようだった。魔法と言うものは、宗教などによっていろいろ種類があるが、根本は同じで、素質の差こそあれ習えば誰でも使える。
ランプの明かりで、中央の広い階段が浮かび上がった。2階の廊下まで続き、廊下はそこから左右へ続いている。ロイは階段を昇り始めた。
「上から調べるの?」
「ああ。ここの主がいるなら、一番上だろう」
ロイは答えた。その声には、どこか緊張感が感じられた。その時、嫌な感じがウォリディの背後にわき上がった。恐る恐る振り返るウォリディ。闇の向こうで、気のせいか、何かが動いているような感じがした。彼女はゆっくりと後ずさりし、階段を上る。
ロイは階段の途中で立ち止まっていた。その側まで来ると、彼女は、彼の肩をたたく。
「ロイさん。あそこで何か、動いてない?」
ロイは彼女の指さす方を見た。闇の中で微かに、何かが動く気配がする。それも、1つや2つではない。かなりの数が、闇の向こうにいる。彼はランプを向けた。その瞬間、異臭と共に奇怪なモノが浮かび上がった。それらは人の姿に見えた。だが、人間がこんな寂れた城の中にいる筈がない。よく見ると、それらは皆、体中にどす黒い血の痕がある。血の気の全く感じられない若い男女が、唸り声をあげながら2人に向かってくる。
「な……何、これは」
それはアンデッド。今で言うならゾンビと呼ばれる、魔法によって動くようになった死体だ。基本的に死後硬直しているか、肉体が腐っており、動きはゆっくりだ。武器を持たず、攻撃は主にその肉体を使ってくる。
「アンデッドだ!」
ロイは言うなり、剣を抜いた。右手の逆手で剣を抜くと同時に、先頭の1体の胴体を真っ二つに割っていた。すぐに剣を持ち替え、返す剣が2体目を斬る。だが、その後に20体ほど控えている。これではキリがない。3体目を斬ると、剣を鞘に収め、2人は階段を一気に駆け上がった。
逃げ道は砦の奥へ続く2階の廊下しかない。突き当たりを右へ曲がり、2人は全速力で死霊の大群から逃れる。死霊たちの足は速くなく、背後の気配は遠ざかった。だが、2人は不意に、自分の身体が宙に浮いたように感じた。あるべき床が無くなっていた。ウォリディが甲高い悲鳴を上げる。何だ? と思った時、ロイの身体は何かにぶつかった。その拍子に、握っていたランプが手から離れ、穴に吸い込まれていく。
落とし穴のようだが、運のいいことに、彼は上半身が穴の反対側の床に届いていたのだ。必死にはい上がろうとしながら、ふと、ウォリディの姿を探す。だが、ランプを落とした為に、辺りは真っ暗になり、彼女の姿は何処にも見あたらない。穴の底を見ても、暗くて何も分からない。
不意に、頭上に一つの気配を感じ、ロイは見上げた。ピクシー姿のウォリディが彼を見つめていた。
「大丈夫?」
「ああ。しかし、ピクシーって言うのは得だな。穴に落ちても、すぐに上がってこられる」
「そうかもね。でも、瞬時に姿を変えるのって、大変なのよ」
ウォリディはそう言いながら、人の姿になって着地した。人間の姿になった彼女の手を借りて、穴からはい上がるロイ。穴の大きさは幅が廊下のほぼ全体。奥行き2メートルほどだったのが幸いして、走った勢いだけで穴の反対側まで届くことが出来たのだ。しかし、先程のアンデッドと言い、この穴と言い、誰かがいることは間違いない。罠を仕掛ける必要があるほどのものが、この奥にあるのだろうか。
「この下は、井戸みたいに水が張っていたわ」
「深さは?」
「水面まで6メートルくらい。水の深さは分からないわ」
「どちらにしても、さっきの死霊に追われる心配はなくなったわけだ」
「それに、引き返せなくなった」
「帰りは別の道を探すさ」
ランプを無くした2人は、ウォリディの魔法による明かりを頼りに、ゆっくり進むことにした。鞘ごと抜き取った剣で、石の床を叩き、落とし穴でない事を確かめる。2回ほど角を曲がり、分かれ道を右に進んで10分ほど歩くと、壁にぶち当たった。
「行き止まりね」
ウォリディは壁を確かめた。秘密の通路が隠されているという事は、無い。
「仕方ない。戻りましょう」
2人は引き返し始めた。だが、ロイはその瞬間、妙な胸騒ぎを感じた。前方から、何かが迫り来る音が聞こえる。水のようだ。
「水だわ。風よ、裂け!」
彼女は叫ぶと同時に、両手を前に突き出した。その手から風が、前方から迫り来る大量の水を裂き、水は2人を避けるように勢いよく流れていく。だが、背後の壁で跳ね返った水流が、背後から2人を襲った。
「きゃあ!」
ウォリディが悲鳴をあげ、水に流される。ロイも声はあげなかったものの、一緒に流されていた。帽子が脱げ、2人と共に流れていく。どこかに、侵入者を察知して水を流す仕組みが隠されていたに違いない。だから、行き止まりになっていたのだ。このままでは、先程の落とし穴まで流されかねない。
ロイは流されながら剣を抜き、床に突き立てようとした。2度失敗し、3度目に剣はやっと、床に突き刺さった。身体がやっと止まり、後から流れてきたウォリディを左手で受け止める。必死になって水面から顔を出し、
「大丈夫か?」
「見ての通りよ。でも、どういう仕掛けなのかしら?」
「そんな事はどうでも良い。立てるか?」
「ええ」
激流に流されないように気を付けながら、2人は立ち上がった。水は、腰までであった。彼は剣をゆっくりと抜き取り、鞘に戻した。気を抜けば、そのまま流されしまいそうだが、壁に沿っていけば、何とか前へ進めそうだった。
道が分かれているところまで引き返すと、今度は左に進む。こちら側には、水は入ってきていなかった。少し傾斜しているのだ。しばらく行くと、階段があった。その前を通り過ぎ、また角を曲がる。
不意に背後で、何か重たいものが落ちる音がした。振り返ると、いつの間にかそこに鉄格子が降りていた。また罠かと、ロイは他人事のように思っていた。だが、ウォリディはそうではない。
「何よこれ。今度は何なの?」
彼女は、牢屋に閉じこめられた無実の人間のように、鉄格子を押したり引いたりして動かそうとしている。もちろん、鉄格子がそんなことではビクともしない。
「前へ進むしかない」
ロイの落ち着いた態度に、彼女は腹を立て、
「なんでそんなに落ち着いてられるの?」
「まだ、行ける道がある」
前を指さすロイ。その絶望感の欠片もない言葉が、彼女を更に怒らせる。
「そう言う問題じゃない」
と言い返すと、スタスタと歩いていった。ロイは後に続いた。だが、すぐにその脚が止まった。
次の瞬間、ウォリディのすぐ前の床が、音を立てて割れ始めた。彼女は声にならない悲鳴をあげて、後ろに下がる。代わりにロイが前に踏み出した。すでに右手には、剣が握られていた。
「ゴーレムだわ。私の魔法が効かない相手よ」
「だからって、俺の剣じゃ、傷も付かないかもしれないぜ」
彼は一歩踏み出す。床を割って出てきたゴーレムは、土人形といった感じだった。大きさはロイの2倍ほどあり、姿形は土偶に似ているが、手には本物の斧が握られている。その能力は操る操縦者によって異なり、剣で倒せる物もあれば、操縦者を倒さなければならない物もある。
「聖なるものよ。ロイの剣に祝福を!」
ウォリディが言うと、ロイの剣が白い光をまとった。
「剣の攻撃力を上げたわ」
「助かる」
ロイは無造作に接近した。その彼めがけて、斧が振り下ろされる。瞬時に左に避けるロイ。床に斧がめり込む。次の瞬間、左に回り込んだ彼の剣が、ゴーレムの両腕を切断していた。岩のように堅いであろうゴーレムの腕を、一振りで断ち斬る腕は、かなりのものである。残った上腕で彼に襲いかかるゴーレム。屈んでそれを避けると、ロイは剣を振り上げるようにして、その左脚を切断していた。ゴーレムは、バランスを崩して倒れた。それでも尚、立ち上がろうともがくが、右脚一本ではどうにもならない。
「ウォリディ、今のうちだ」
彼はウォリディを引き連れ、その場を離れた。彼女は彼に寄り、
「どうして止めを刺さないの?」
「動けなくすれば、それで十分だ」
歩きながら答えるロイ。そして2人は、中から明かりが漏れている部屋を見つけた。入り口の扉は、普通のものより大きい。
「どう見ても、罠よね」
「入ってみれば、分かる」
ロイは何のためらいもなくドアを開けた。中は謁見の間のように広かった。壁にはいくつものランプが灯され、赤いじゅうたんが部屋全体に敷き詰められている。テーブルなどは一切無いが、今までとは明らかに違う奇妙なものが、中央にある。
金塊やら宝箱やらが、山のように積まれていたのだ。量はかなりある。
「噂は本当だったのね。うわぁ、宝がこんなに!」
宝の山に近付くウォリディは嬉しそうだった。だが、一方のロイは、どうでも良い、と言う顔をしていた。普通の人間なら、喜んで全部持っていくだろうが、彼は旅人である。必要以上のものはかえって邪魔になる。多少の興味はあったが、それだけだ。
ネックレスなどを手にとって眺めている彼女の横に立ち、手近な金貨を手に取ってみる。しかしすぐ、その金貨を元に戻した。そしてふと、財宝の頂上付近にいる宝箱の方に視線を向けた。
宝箱の口が、少し開いていた。その奥から、目のような物が見え隠れしていた。次の瞬間、彼はウォリディを突き飛ばし、剣を抜いていた。箱が突然、彼に向かって飛ぶ。身を屈めながら、彼は剣を振り上げる。曲剣が弧を描き、風の音と共に箱が真っ二つに割れた。その中から、見たこともない異形の小動物が姿を現した。ゴブリンに似ているが、体毛が全くなく、大きさは1メートルにも満たない。牙と鋭い爪を持ち、知らずに箱を開けていたらどうなったか。
呆然と座り込んでいるウォリディを他所に彼は、次々に襲ってくる箱の化け物と戦っていた。六匹を退治すると、彼は部屋の奥に向かって走り出した。そこにもう一つの扉を見つけたのだ。何となくだが、そこに何かありそうなのだ。
恐ろしい速さでそこに駆けつけると、扉を蹴破った。そして、薄暗い部屋に飛び込む。が、鼻を突く異臭に思わず立ち止まった。物が腐るような匂い。まさか、と思って辺りを注意深く見回すロイ。化学実験室のように、試験管やフラスコ、いろいろな調合器が所狭しと並んでいる。錬金術師の部屋のようだ。それらを眺めていたとき、突然、
「誰じゃ! 儂に断りもなく部屋に入る奴は」
と、声が響き渡った。彼は実験台の向こう側が見える位置に移動した。そこに人影が見えたからだ。
剣を構えながら接近する。そこには、ローブを身にまとった老人がいた。典型的な魔導師の格好。だが、見た目には老人だが、顔にシワはほとんどなく、そこだけ若々しかった。奇妙な感じがした。それに、どこかで会ったような顔だ。
「ここは、廃墟じゃなかったのかい?」
「使っていない物をわしが使ってやっているのじゃ。お前に文句を言われる筋合いはない」
「それにしては、入り口の死体といい、ゴーレムといい、随分と楽しい仕掛けを造ったようだぜ。お前が、神隠しの犯人か?」
ロイは近くにあった、一際大きなガラス容器の中を覗き込んだ。緑色の液体の中に、女らしき物が浮かんでいる。
「こいつは……ホムンクルスか?」
老人の方に向いた彼の形相が、にわかに変わる。ホムンクルスは、錬金術と呼ばれる技術で生み、育てた人造人間だ。
「お前には関係のない事。儂の研究を邪魔することは許さぬ!」
「ロイさん、後ろ!」
不意にウォリディの声が聞こえた。だが、ロイが振り向くよりも早く、背後のガラス容器が割れ、中の人間が彼を羽交い締めにした。しかし、左手で、首を絞めている腕を掴んだロイは、左膝を突いて姿勢を低くすると、身を屈めて背後の敵を前へ投げ飛ばした。次の瞬間、表情を変えずに剣を突き立てていた。
「お、おのれ……わしの大事な実験体を!」
言うなり、電撃をロイに向かって放つ魔導師。ロイは、特に防ごうとしなかった。電撃が彼を直撃する。だが、魔導師の魔力が弱いのか、彼は平気な顔をして立っていた。
「防御魔法か。ならば、ディスペルマジック!」
魔道士が叫び、ロイに何かの魔法をかけた。その上で今度はファイヤーボールを彼に向けて放った。彼は、ファイヤーボールを剣で払った。
「な、何故じゃ……防御魔法は打ち消したはず」
「悪いが、俺は鈍感な方なんでね」
答えた彼は、次の瞬間には魔道士を斬っていた。
「貴様……まさか、兄者の刺客か」
魔道士はその言葉を最後に倒れ、動かなくなった。ロイは、彼が息をしていないことを確かめると、剣を鞘に収めた。
ウォリディは、老人の研究内容を確かめようと、部屋の中を眺めた。本棚には古くて分厚い本が並んでいる。その中の一冊が彼女の目にとまり、彼女はその本を手に取って開いた。
「古い本だわ。これは……『体』の巻ね」
「『体』の巻と言うことは、ほかにもあるのか?」
「魔道の参考書は数あるけれど、この世には原始の魔導の教科書的な物があるそうよ。心、技術、体の3巻が基本中の基本として知られているわ。これがオリジナルなら、凄い発見よ」
「その本は写本か?」
「そうね。オリジナルはね、本自体に魔法が発動するような仕掛けがしてあるそうよ。多分、お試しのような物ね。私は見たことがないし、今もオリジナルがあるかどうか分からないから、確かめようがないけど。あっ。今までのは全部、長老様の受け売りね」
ウォリディはそう言いながら本を閉じ、
「この老人の研究って、何かしら?」
「大方、不老不死だろう。入り口の所で会った死霊は、その実験台にされた人間達かも知れない」
ロイは、化学実験器具が所狭しと並べられた机の上を見た。走り書きされた開きっぱなしのノートが散らばっている。そのノートを読んだ彼は、
「おまけに、ホムンクルスを造っていたようだ。人体実験に使うつもりだったのかもしれない」
「嫌なところね。それにしても、ロイさんは本当に魔法耐性が強いのね」
「まあね。外で待っていてくれないか。依頼達成の証拠をとりたい」
ロイはウォリディに、この部屋から出るよう促した。依頼の達成を証明するには、今回の場合は魔道士の耳を切り取ってエフライムに見せるのが良い。しかし、傭兵でもない若き女性に見せたくないものでもある。ロイは魔道士の顔のそばにしゃがんだ。そして、魔道士の長い耳をつかみ、手早く作業をした。
ウォリディがアルコルの森に戻ってきたのは、次の日の昼頃だった。その傍らに剣士の姿はなかった。人の姿の彼女は、木の上にある長老の部屋に通された。エフライムは部屋の中央にある、二つの長椅子とローテーブルのそばに立っていた。ウォリディはエフライムに促され、ローテーブルを挟んだ長椅子に座った。彼も対面の長椅子に座った。
「ウォリディ。無事に戻って何よりだ。ところで、剣士殿はどうした?」
エフライムは不思議そうな顔をして聞いた。
「彼は……次の街に向かいました」
ウォリディは俯き、潤んだ目を見せないようにしながら答えた。
「お前は、置いていかれたのか?」
「剣士様とは、この近くまでは戻ってきたのですが、この結界内には入らない方が良いと考えたようです。それと、私には、この森に残った方が良いと」
「ふむ」
「でも、依頼は果たしてくれました。犯人は老人の魔道士でした。ここに、討伐の証拠が入っているそうです」
ウォリディは、白い小さな革袋をエフライムに渡した。彼女自身は中身を知らないが、ロイが討伐証明として用意したものだ。
「それと、彼が言っていました。親族を殺してしまい申し訳ない、と」
「そうか。我が愚弟のことに気づいておられたか。却って迷惑をかけてしまったな」
エフライムはそう言って目を閉じ、再び開いて、
「ところで、ウォリディは、剣士殿を追いかけなくて良いのか?」
「私は…」
「遠慮することはない。そんな意気消沈した顔でいるということは、剣士殿について行きたかったのだろう?」
エフライムに言われたウォリディは、一度は頭を縦に振ったが、すぐに横に振り、
「ですが、彼に言われました。相手を殺す覚悟があるのか、と」
「別に相手の命を奪わずとも、彼の役に立つこともあるだろう。考え方次第ではないかな?」
「私は、ここには必要ないのですか?」
ウォリディは、涙で赤くなった目をエフライムに向けた。エフライムは静かに首を横に振り、
「私は、いてほしいと思う。しかし、無理にここに残って、泣くばかりのお前を見たくはない。前世でも、本当の自分の気持ちを抑えて生きてきたのだろう? 前世の立場がそうさせたのかもしれない。お前は優しい子だ。しかし今世では、自分の心に正直に生きてみても良いのではないか?」
「行って、良いの?」
ウォリディは涙を手で拭いながら、確かめるように聞く。
「私に止める権利はない。悔いのないようにしなさい」
「長老様、ありがとう!」
ウォリディは立ち上がり、エフライムに深々と頭を下げた後、長椅子にぶつかりながら部屋を出て行った。長老の家を出て、森の広場を進む。途中、ピクシー仲間のピーターが声をかけてきたが、彼女は振り返らず森を駆け抜けた。
結界を抜け、たどり着いた森の街道には、ロイの姿はなかった。もしかしたら待っていてくれているかも、という淡い期待は叶わなかった。辺りはただ、静かな時間が流れていた。彼の足音も聞こえない。
「でも、すぐに会えるよね」
彼女は一人つぶやいた。
第1話 終わり