命の価値
トイフェルと暮らし始めた次の日から、サギはトイフェルにもてる技術を全て叩きこんだ。
しかし、技術は技術である。
使うものによって生かされ、そして、死ぬ。
サギが最も重要視したのは心構え、というものであった。
いつでも投げだせる体。
そして生命。
自殺者の様な自棄ではない。
殉教者の様なトランスでもない。
そこにある命を、あたかも日常であるかのように投げ出す。
そういう事が出来るようになるのに必要なのは何か。
心構えで会った。
命の価値を説くほど、サギもものの分からない人間ではなかった。
価値、というものは全てにおいて相対的なものだ。
価値があると言う事は需要があると言う事だ。
どんなに高尚なものでも、需要がなければ無価値に等しい。
それを考えた上で、命の価値とは何だ。
命に需要があるのか。
ない。
商品として流通していないからだ。
しかし、命は無価値ではない。
命に「価値」という概念は当てはまらない。
価値、という概念。
それは人が決めることだからだ。
だから命に価値は当てはまらない。
そこに存在するだけである。
空気
岩石
水
どれとも同じく、そこに存在するだけだ。
だから、いつでも投げだせ。
差し出せ。
己のために。
そう教え込んでいた。