空を飛ぶ
人の形をしたそれは、全長が3メートルほどだった。
巨人、というよりかは小さいがそれでも人を超える大きさであることには変わりない。
全身が鋼で出来ているそれは無機物的であり、それでいて西洋の鎧騎士を髣髴とさせる。
しかし、それよりも遥かに強力な武装を携えた姿は、さながら≪鉄人≫と形容するのがふさわしい。
背中から吹き出るガスによって、水平移動や上昇、旋回を繰り返す二人の≪鉄人≫が空中で衝突する。
互いが銃を発射する。
夜空に交差した光線が辺りの建物を仄かに明るく映し出した。
連続する破裂音が、光に続く。幾重にも重ねられるように空に描画する光線。
その様子を夢中で見つめる少年がいた。
銃弾にあたるまいと、右へ左へと≪鉄人≫が動きまわる。
空に人の形が居る事の違和感など、少しも感じさせない。
まるで絵本の中の登場人物の様に空を縦横無尽に駆け巡る。
確か、ピーターパンといったか。
空を飛び、自由に生きた永遠の少年。
母がよく聞かせてくれた、母の故郷の物語。
だが、その母はもういない。
先日の爆撃で……
地面に一粒のしずくが落ちた。
肩を震わし、小さくなってしまった少年をよそに≪鉄人≫は空を飛び続ける。
と何かが爆ぜた様な音がした。やがて、一人の≪鉄人≫が動くのを止めた。
それは飛び方を忘れた妖精のようにくるくると回りながら、ゆるやかに落ちていき―
WW2や米ソ冷戦といった様な大国間の大戦、というものは無くなった。
度重なる軍拡は歯止めを失い、人類は地球が5回は滅びるであろう程の兵器を作り上げた。
気付かなかったのか、あるいは引けなくなったのか。まるでオークションの様に世界の核兵器の数は鰻昇りに上がった。
あの国がもった、この国に負けるな、銃が多ければそれだけで勝てる―
その結果世界にもたらされたのは「一度始まれば、即ち世界の終わりを意味する」驚異的な数の核兵器だった。
つまり、誰かが引き金を引けば連鎖反応で世界は崩壊するということだ。
戦争という経済消費活動を終わらせたくない国家にとってそれは当然、恐怖でしかなかった。
そこで先進8カ国によって打ち建てられた「大量破壊兵器防止条約」。
これは、核兵器の使用と今後一切の製造を禁止するものだった。
使用を禁止するものであって、所持の放棄とは明記されていない。
「核」という一種類の戦術兵器の使用を禁止しただけに過ぎない。
ただ、別の兵器によって戦争が続けられるだけ。
痛みは痛みのまま、世界はこまごまとした戦争を続けた。
まるでチェスを楽しむかのように、開戦と停戦を繰り返す世界。
多くの命を消費し、大きな金額が軍需産業に流れて行った。
しかし、それも数十年前のことである。
世界の「兵士」の数は大量破壊兵器防止条約が制定された頃に比べ、30%まで減少した。
日本国で軍需重工業を請け負っていた「清水重工」が開発した「エメセス」の登場が大きな理由である。
MSS(Mustel Suport Suit)はいわゆるパワードスーツを強固にしたものであり、運動能力と筋力を飛躍的に上昇させた。
しかし、ブースターやラジエーターの出力や大きさの観点からどれほど小さくしても3メートルが限界の小ささであった。
それ以上小さくすればたちまち性能は落ち、それ以上大きくすれば的に発見されやすくなり最早「的」でしかなかった。
そのちょうど良いバランスが3メートルであったといえる。
「エメセス」の登場は戦闘を大きく変化させた。
個人による重装備携帯、高速移動、連続戦闘が可能となった。
各国はこぞってエメセスを開発し、戦場へ投入した。
かくて、戦場は人でなく≪鉄人≫達のものへと変化した。
エメセスが跋扈する姿はまるで、中世の合戦の様であった。
米国、スプリングフィールド。
市民の移動手段が自動車であることは昔から変わらない。
スプリングフィールドにはそう言った自動車の製造工場が沢山連なっていた。
そこには生活があり、沢山の家庭が、沢山の幸せがあふれている。
だが、一度市の中心から外れてしまえばそこには「幸せ」というものなどはなかった。
不衛生な生活環境、満足に生き届く事のない教育。
窃盗や強姦が横行し、時には殺人すらも起きていた。
スプリングスラム。
人々にそう呼ばれる貧民街がそこにはあった。
地元民はもとより、警察ですらも近づくことを恐れた街である。
一人の男がオートバイにまたがってスプリングスラムを駆けていった。
見事な高級車は、スラムに似つかわしくない。
貧富の差を見せつけているように思われてしまう。
住人の好奇、猜疑、いろいろな視線がバイクに注がれる。
「良い気持ちは、しないな」
大通りにバイクを止め、フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。
顔からアジア系であることはわかった。
アジア系にしてはやけに体つきが大きい。
耳も心なしか、潰れている気がした。
アンデクティヒ・トイフェル。
片手に地図を手にし、ちらちらとそれを眺めながら歩く。
どこからか黒人の若者3人が出てきて、トイフェルに近づく。
「なあ、そこの君ら。ちょっと良いか?」
無愛想に若者を呼びとめる。
「ここに行きたいんだよ、場所分かるか?」
若者たちは顔を見合わせた。
何かを話し合っている。
「分からないのか?」
焦れたようにトイフェルが言う。
まだ若者の審議は終わらない。
30秒後、
「ついてきな」
とだけ若者は言って背を向けていった。
その後ろをトイフェルはついて行った。
「助かるよ」
薄暗い路地裏に連れてこられた。
若者が振り返る。
「着いたぜ」
「どこにも見当たらないが?」
トイフェルが不満そうに口を開く。
「いいや、ここに着いたんだ」
同時にリーダー格の若者がナイフを抜いた。
本能的に人を恐怖させてしまいそうな光が反射する。
ナイフをトイフェルに向けた。
「なんだ、おい」
反射的に両手を挙げ、無抵抗の意思を示す。
リーダー格が嫌味な笑みを浮かべる。
「置いてけ」
「何をだ?」
「とぼけるな、サイフだよ」
リーダー格が声を荒げて言った。
「わかったよ」
渋々と、後ろのポケットに入れてあるサイフを床に投げる。
「バイクのキーもだ」
「バイクもか?!」
ベルトバックルについていたキーも放る。
金属が地面に当たった時の独特の音。
それを聞いたリーダー格が勝ち誇ったような顔で言った。
「教えてやるよ、ここは余所者には厳しい土地でな」
自然とナイフを持つ手に力が入っていた。
「特に、お前のような金持ちは嫌いなんだよ」
血管が浮き出ており、手もわずかに震えていた。
今にもトイフェルを刺さんばかりである。
リーダー格が仲間にサイフとキーを拾うように眼で指示する。
二人がサイフとキーに手を伸ばした刹那、
「じゃあ、俺もひとつだけ教えてやるよ」
キーに手を伸ばした若者の足を蹴った。
つんのめり、顔が前に出た。
そこを、蹴りあげた。
ガチン、と音がする。
顎と顎がぶつかり、白と赤の何かが空中に放物線を描いた。
眼をこらせてみれば血と折れて砕けた歯だということは分かるのだが、その場にいたものが認識できたとも思えない。
ただ、それが人の口から出てきたことだけは鮮明に見てとれた。
「しゃっ」
キーを拾った若者の横っ腹を思い切りつま先で蹴りつけた。
めきり、という音と共に壁に串刺しにされる。
「貧乏人は、嫌いでね」
トイフェルが足を引く。
壁に寄り添うように、崩れ落ちる若者の肋骨あたりは風船のように収縮を繰り返していた。
息を吸うたびに、膨れている。
あばらを抑えたまま動かなくなった若者に目もくれず、リーダー格に向き直る。
「貧乏人は、大嫌いでな。特に、お前らの様に貧乏を理由に暴力を正当化する奴が、な」
言いながら、前に一歩踏み出る。
トイフェルが出れば、若者が退がった。
「どうした?大嫌いな金持ちを」
言い終わらないかの内に、走り去った。
一人手をあげ、ヤレヤレとふるまってみせる。
「面白いじゃないか」
そう言いながら、倒れた若者のポケットを探る。
財布の中には身分を示すものが多い。
それだけを抜き取れば、いくらかの小遣い稼ぎにはなる。
特に消えても構わないようなものの身分証というのは、闇社会で高値で取引されていた。
襲う相手を見極めなかった奴が悪い。−トイフェルはそう考えていた。
戦場では後ろから撃たれることもあるのだ、それに比べれは−
その時だった。
「何かと思えば」
どこからか声が聞こえた。
トイフェルが猫の様な素早さで反応する。
懐に右手を突っ込んでいる。
「物騒なものを出すな」
トイフェルの前に一人の老人が現れた。
泣いているようにも、怒っているようにも見えた。
いや、表情など最初からなかったのかも知れない。
顔の肉がしわで埋もれ、表情が読み取りづらいからである。
手にはいくつもの傷跡が出来ていた。
切り傷、アザ、火傷で所々が変色している。
「サギのじいさんか。脅かすな」
懐から手を抜く。
「まったく、そんなんじゃ安全な老後は送れないぜ?」
サギとよばれた老人が近寄りながら言う。
「安全など、生まれた時から求めたことが無いわい」
「そうかい。ところで、例のものは出来たのかい?」
トイフェルが右の人差し指をクルクルと回す。
「無論、だからこそ呼んだのだよ」
サギがトイフェルに「ついてこい」と視線を送る。
それほどまでの機密事項なのだろう。
誰かに聞かれては、まずかった。
「おうよ」
と応じて数歩あとを歩いた。
咥えたばこで歩くトイフェルに先程よりも懐疑的な視線が注がれたが、それを気にすることはなかった。
時折、侮蔑的で差別的な意図の発言が聞き取れたが、それはトイフェルを動かすだけの材料にはなり得なかったのである。
トイフェルの眼で見つめられれば、否が応でも人は視線を外さざるを得なかったのである。
「ポーズか……」
誰に言うでもなく、遠くの山を見つめる目でトイフェルが言う。
「何かに逆らう事が生きがいだ」
「反逆の精神を持て余しているのか?狂った生きがいだな」
サギがトイフェルの事を真正面で見据えた。
「何かに逆らってなくては自分という自我を保つ事が出来ない人種もいる、という事だ」
「そんな非生産的なので良いのかね?」
「なら、お前はどうなのだ」
サギが問うた。瞳の中は未だに揺れることはない。
「戦争に加担し、物を壊し、人を殺している。決して何を生み出すわけでもない。最も非生産的なのはお前ではないのか?」
「畑の肥料と消費くらいは生み出しているさ」
紫煙が口から漂った。いつか死ぬ人間が、いつ死んだっていいじゃないか―
そんな思いで銃を手にして数年がたつ。
多くのものと出会い、多くのものが散っていった。
一人暮らしの者、家庭を持っていたもの、面白かった奴、つまらなかったやつ。
生きていた時は人だったが、死んだときにそれはもはや「死体」という物でしかない。
多くのものを弔うように、目をつむった。
自分は、たまたま生きている。もしかすると、明日は死んでいるかもしれない。
そうは、なりたくない―
「逆に聞くが、あんたはどうしてそんな男の為にわざわざ兵器を作ってくれるんだい?」
半分に閉じた目でサギを見つめる。
「あんたも、俺の様な人間を生み出すのに一役買っているんだぜ?」
ふん、と鼻を鳴らしたサギが応える。
「それでしか飯を喰う方法を知らん」
「世界より、飯、か」
「平和な世の中だろうと、飢え死にしてしまえばそれまでじゃよ」
そう平然と言ってのけるサギには一種の清々しさのようなものがあった。
「全くだよ」
誰に言い聞かせるでもなく、トイフェルは独りごちた。
全く、全くだ―口中で繰り返す。納得の自己生産をいつから、自らを保つために使い始めたのだろうか。自己矛盾を抱えた足取りは、気のせいかいつもより重く感じられた。
作業に特化した造りに染み込んだオイルのにおい、壁に立てかけられた工具の数々がサギが職人として生きてきた歴史を物語る。彼をたらしめんとする工房に、人を歓迎する要素などない。
机の上に、白い布がかけてある物があった。大きさからして30センチ位であろう。様々な凹凸が布の上からでもはっきりと陰を作り出していた。
「これかい?」
トイフェルが布に手をかける。
「俺の人生とエメセスを左右しようってのは」
捲ろう、という時にサギが口を挟んだ。
「お前さん、」
切れ味の衰えない瞳をトイフェルに向ける。
「これを手にしたからには、分かっているな?」
「何がだ」
「この兵器、人類の戦争の歴史を変えるかもしれん」
答えずに、布を捲る。
「それが分からない俺だと思ったかい?」
布の下から出てきたのは、なんという事はない。30cm位の人形だった。
女性の形をした人形である。
普通の人形と大差無い大きさだが、一つ違う点を挙げるとするならそれは鉄で出来ているという事だろう。
トイフェルが手を触れようとしたとき、人形が微かに光った。
思わず手を引っ込めるトイフェルのことも気にせず、人形が立ち上がる。
じっ、とトイフェルを見つめて人形が問うた。
「おはようございます、トイフェル」
人形がトイフェルに近づく。
「おい、こいつは、なんていうか、スゴイな……」
思わずトイフェルが声を漏らす。
「これは確かに、戦争の歴史を変えるよ」
「だから、注意しろと言ったんだ」
サギの声に反応もせず、トイフェルが人形を持ち上げる。
「すげえ」
サギがトイフェルの脇腹を肘で小突く。
「なんだよ」
「トイフェル、名前でもつけてやったらどうだ?」
「名前?人形に名前がいるのか?」
暫く、トイフェルが腕を組んで考え込んだ。
何度か口を開きかけては、やめる。
それをいくばくか繰り返したのち、
「そうだ。ティンクにしよう」
人形をじっ、と見つめてトイフェルが話しかける。
「お前はティンクだ。ピーターパンにはティンクが必要だからな」
アンデクティヒ・トイフェル。敬虔な悪魔。名前と裏腹にこんな一面も持っていたとは-サギがふうむと唸る。
刹那、地面が爆音とともに揺れた。
壁にかかっていた工具が次々と落ちてゆく。倒れかけたサギを抱えてトイフェルが言う。
「これは、少々マズイんじゃないか?」