第八話
持ち帰り用のコーヒーはない。というか、持ち帰りならばコンビニやカフェスタンド的な店で買えばいいんじゃないかな?
喫茶店の中には、出前もしている店もあるみたいだけれど、あいにくとうちは私一人で切り盛りしているし出前なんてとても手が回らない。
「申し訳ありませんが、店内飲食のみで……」
と答えると、なりきりさんはがっかりとした顔を見せた。
なりきりレイヤーという痛い行動をしていなければ、よく見れば俳優のように整った顔をしている。
ん?もしかして本当に俳優だったり?近くでなにか撮影でもしてるとか?なりきりレイヤーでなく、役になりきった俳優?
「そこを何とか、金ならあるんだ、嘘じゃない。えっとサファルって聞いたことがないか?」
サファル?彼の名前だろうか。
……キャラの名前だろうか。
「ごめんなさい、聞いたことがなくて……」
彼が俳優だったとしたら、まだ名が知られていないとがっかりするだろうなぁ。なりきりレイヤーなら推しキャラが無名でがっかりするだろうなぁと、どちらにしても知らないと答えるのは申し訳ない。
「そ、そうか……ほ、ほら、これ、これ見れば」
と、サファルが鎧の内側からカードを1枚取り出した。金属のカードだ。色はくすんだ銀色。
なんだか見たこともない文字のような記号のようなものが並んでいる。
なんだろう、これ?
首をかしげる。
「あー、うん、これ見てもわかって貰えないかぁ……これは、信用してもらえるまで通うしかないのかな……」
がっかりと肩を落としてサファルさんがカードをしまった。
「あっ、しまった!扉が見えた瞬間に何も考えずに飛び込んでしまったけれど……。この中は魔法が使えないんだよな。金が取り出せない……鞄の中に今あるのは……」
サファルさんが大きな体を小さくしてしゅんっとなった。
ふ、ふふっ。なんか、楽しい人だなぁ。
ウエストポーチの鞄に手を突っ込み、手のひらサイズの巾着を取り出す。あ、手の平って私の手のひらね。
サファルさんの手は私の倍ぐらいある。体が大きな分、手も大きい。
巾着の口を開いて、サファルさんが中身をテーブルの上に全部出した。
「すまん。お金がない。飲んでから言うべきではないのがわかっている」
「え?」
思わず驚いて声が出る。
お金がないと言っているのは、どこまで本当なのか。
日本のお金を持っていないというい意味なら本当に日本のお金は1円もない。
「今度来る時には必ず、忘れずに金を持ってくるから。400だろう。今回の分も合わせて、そうだ、迷惑料も利子も取ってくれて構わないから……すまんっ」
サファルが深々と頭を下げた。
「ああ、しまった、時間が。本当にすまん。疑うなら、ギルドに言ってサファルの名を尋ねてくれ」
ぺこぺこと頭を何度か下げて、最後にドアの鴨居に頭をガツンとぶつけて出て行った。
「痛っ」
というのがサファルの最後の言葉。
……って、あっけにとられてつい見送ってしまったけれど……。
「これ、本物?な、わけないよね?……イミテーションだとしても、数があるからなんか、コーヒー代より高そうなんだけど?」
目の前には、小山になったコイン。
ファンタジー世界のお金っぽい作りをしたコインが山になっている。銀色のものは銀貨だろうか。金色のものは金貨……本物だとしたら、一体いくらになるのかと……。
とりあえず……本物なのかどうか質屋にでも持って行って確かめる?本物なら、1枚売って、日本円にして今度からこのお金で払ってくださいって渡してあとは返せばいいかな?毎回お金がないやり取りするのもめんどくさいし、コーヒーチケット買ってもらって、店に置いておく?
本物の銀や金じゃなくても、レイヤーさんの小物とかほしい人もいるよね。前の会社の人にちょっと相談してみようかな。
「まずは、コーヒー入れなおそうかな……」
カウンターの中に入ってお湯を沸かし始める。
チリンチリン。
ドアのベルの音が再びなり、あーっと、小さな声が出た。
失敗したぁ。ドアのカギを閉め忘れた。
「今日は定休日で」
ドアの入り口に立つ男性に声をかける。
「ああ、そうか、すま「社長!」い」
男性の言葉が終わらないうちに、大きな声が出た。
「え?社長?」
店の入り口に立つのは、青いTシャツに、黒いジーパンと、グレーのパーカーというラフな服装をした、30代半ばの男だ。
切っただけでセットしてない髪に、黒ブチの眼鏡。30代半ばにしては若く見える。大学生のような服装だからだけではない。若々しい生気に満ちたさっぱりした顔をしているからだろう。オタクっぽい恰好をしていなければ180近くある身長や背筋の伸びたすらりとした体形に、モデルかと思う人もいるんじゃないだろうか。
実際は……服装だけでなく中身もしっかりオタクなのだけれど。
「あれ?もしかして、僕、キャバクラと間違えた?喫茶店じゃないの?」
ずこっ。
「社長はキャバクラに行ったことがあるんですか?」
「いや、だって、ああいう店ではお客さんを気持ちよくさせるために、社長って呼ぶって聞いたことが……」
社長が私の顔を見た。
「あれ?どこかで会ったことある?」
「私、昨年までゲーム会社……サン幻子で働いていました。お世話になりました、社長」
そう。社長とは、昨年まで働いていたゲーム会社の社長。
サン幻子は、社長が大学生の時に友人と作ったゲームがヒットした時に起こした会社だ。会社ができて5年目。社員が50名を超えたあたりで私は入社している。昨年会社を辞めるときには社員は10倍の500名近く。大きな会社へと成長している。
社長がショックを受けた顔をした。
「なぜ辞めてしまったの?結婚で遠くへ引っ越すなら仕方がないけれど、ブラック企業にならないようにいろいろと努力はしているつもりだし、女性にも定年まで勤めてもらえるように、結婚出産後のフォロー体制も整えさせていると思っているんだけれど……。セクハラやパワハラや残業など、何か不満があったのなら、教えてほしい!」
真剣な顔だ。